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2019.01.31

未だ木鶏たりえず

 日は雑誌「剣道日本」の「平常心」特集を読みまして、そののち録画してあった警察剣道大会の団体戦を、剣道部に所属している下の娘と観戦しました。
 いやはやすごかった。特に大阪府警と神奈川県警の決勝戦は見応えありましたなあ。娘がさかんに「怖い」と言っていましたが、まさに殺気あふれる戦いでありました。
 警察剣道大会は二十代から三十代という元気バリバリの世代の大会ですから、七段、八段の世界とはまた違う魅力がありますよね。特に警察剣道は足掛けありですから、なんか違う格闘技を見ているようでした。
 さて、剣道日本の「平常心」特集に「未だ木鶏たりえず」の話がありました。ご存知のとおり、木鶏とは木で作った鶏で、何事にも動じない様子を表す比喩です。荘子に見える故事ですね。
 双葉山が連勝を69で止められた時、心の師匠安岡正篤に「ワレイマダモッケイタリエズ」と電報を打ったエピソードは有名です。心が動いてしまったと。
 最近では、その双葉山の話を知っていたであろう白鵬が自らの連勝が63で止まった時、「未だ木鶏たりえずだな」と語りました。この時、白鵬は稀勢の里と肌が合った瞬間、「勝った」と思ってしまったのだそうです。
 この前、大坂なおみさんが同じことを言っていましたね。第2セット、圧倒的なマッチポイントで「勝つ前に勝ったと思ってしまった」と。
 双葉山、白鵬、大坂なおみという、その世界を極めた地球一の人たちでさえ、まだまだ「木鶏」の境地には至れない。特にピンチではなくチャンスの時の心の揺れというのは強敵なんですね。
 まあ、基本努力をしない私にはそんな体験ありませんが。ピンチにはまあまあ強いんですけど(苦笑)。
 木鶏…深い世界ですね。
 

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2019.01.30

追悼 橋本治さん

Th_20190129oyt1i50031l 大なる先達がまた天界に逝かれた。
 先達という言葉を思いついたところ、たまたま内田樹さんも同じく「先達」という言葉を使っておられたのでびっくりしました。いや、恐縮しました。内田さんにとっての先達を、私が同じ言葉で形容するなど…いやいや、高次元は低次元を包括するからいいのか(苦笑)。
 そして、内田さんの追悼文を読んで、いろいろなるほどと思いました。それこそ次元は違えど、自分の今の人生、特にこうして書き散らしている内容というかスタンスの、そのルーツにあったのは、高校時代に読んだ「桃尻娘」だったのだなあと。
 昨年末にも、なんだか偉そうに一般人相手の「枕草子講座」なんかやっちゃいましたが、考えてみるとそのベースにあるのも「桃尻誤訳枕草子」でした。
 世の中の権威や常識を疑うこと、そこに現代的(つまりワタクシ的)視点を自由に貫入させること、ユーモアを忘れないこと。そういうことをたくさん学びました。
 自分のブログを改めて検索してみたら、14年前のこういう記事が出てきました。書評にならない書評を書いている。けっこう面白い。

『「わからない」という方法』 橋本治 (集英社新書)

 さらに面白いのは、たまたまでしょうが、その数日前に紹介した『先生はえらい』 内田樹 (ちくまプリマー新書)と連関した内容になっている。お二人を「賢い」「頭がいい」でやっつけてしまっている(笑)。
 でも、そういうことなんだと思いますよ、今でも。
 本当に頭がいい人、賢い人、えらい人が、こうしてこの世を去ってしまいましたが、本当に頭がいい人、賢い人、えらい人は皆、ちゃんと言葉を遺してくれます。そうしてこの現実界に生き続けるのです。
 とりあえず、現実の世界でお疲れ様でした。ようやく高いところにお住まいになれますね。

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2019.01.29

MacBook Pro(Mid 2012)をSSD化

Th_81gl5lc6x7l_sl1500_ ょうど昨日、世紀の発明「フラッシュメモリーを作った日本人」の無念と栄光という記事を読みました。そうだったんですね。知りませんでした。
 今やHDDは、かつてのアナログレコード(実際機構が似ている)がCDに取って代わられたように、SSDにその地位を明け渡そうとしています。
 私の愛機MacBook Pro(2012mid)は、購入時のHDDのまま使っていましたので、正直かなり重苦しくなっていました。
 最近職場の後輩が同じMacBook Proをヤフオクで手に入れたのですが、それがSSDに換装済みでして、本当に驚くほど爆速でびっくりしてしまいました。
 そろそろ私も…と思っていたところ、ちょうどサムスンの最新SSDの価格が一気に下がったので、思い切って購入してみました。Samsung SSD 1TB 860QVOが15000円ちょい。信じられないくらい安くなりましたね。
 そしてさっそく換装しましたら…おお!あまりの快適さに感動!てか、今まで何やってたんだってくらい爆速になりました。
 いちおうベンチマーク・テストの結果をご覧ください。なんと10倍近く速い(笑)。
before
Diskspeedtest

after
Diskspeedtest1

 これならまだまだ愛機は現役で使えそうですね。というか、今の最新MacBook Proはこのメーターが振り切ってしまうくらい速いらしい。速くなった我が愛機のさらに4倍くらい速いのだとか。
 本当にフラッシュメモリーというのは画期的な発明でしたね。それが昭和の日本の東芝で、天才技術者舛岡富士雄さんによってなされたということは誇りに思うべきことですし、また現在の東芝、Samsungの力関係などを思うと、なんとも切なくもなる事実であります。

Amazon Samsung SSD 1TB 860QVO


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2019.01.28

「嵐」の予感…その2

Th_jaca56256 Are you happy?
 昨日は「予知夢」の話をしましたが、もう一つ最近偶然といえば偶然なことがありました。
 ある生徒から現在と未来の自分に関する相談を受けまして、その中にジャニーズの話も出てきたのです。
 その生徒の悩みの根幹には「性意識」の問題があり、つまり自分の性別に対する違和感というか、まあ思春期にはよくある悩みとも言えますが、そういう相談でした。
 そこでなぜジャニーズかというとこういうことです。私はずいぶん前から日本の文化における「性別越境」を研究、考察してきました。
 いや難しいことではなく、たとえば現代で言うなら、宝塚における男役とか、やたらテレビで見かけるおネエ芸人とか、女性歌手が歌う男歌、男性歌手が歌う女歌とか、そういうトランスジェンダーの事例ですね。言うまでもなく古くは歌舞伎はそうですし、ある意味相撲もそういう要素がある。土佐日記なんかもそうです。
 ここには日本人のネオテニー(幼生成熟)の問題がからんできています。性未分化の「少年」文化ですね。
 そういう文化の中で言いますと、ジャニーズの特性というのはまさにその性未分化の「少年性」にあるわけです。そして、そこに働く外的反応というのは、恋愛よりも母性愛ということになります。
 恋愛、特に女性の恋愛につきものなのは「嫉妬」です。それを巧みに覆い隠す文化こそが、たとえばジャニーズであり、宝塚であり、BLの世界です。そうしたものが日本で特徴的に発達しているのは興味深いですね。
 要はリアルな男女の「性」への忌避感と、そこに伴うのであろう本能的な「嫉妬」を、文化的発明によって低減される知恵なのです。
 ですから、男だけの世界ジャニーズと女だけの世界宝塚の、両者のファンが基本ほとんどすべて女性だというのも納得がいきます。もちろんBLのファンも女性ですね。
 そう、男はみんなスケベだし、それが嫉妬なんかを軽く凌駕してしまうので、そういう文化的装置はいらないのですよ(笑)。
 ちなみに、イケメンだけど低身長という残念な男と、美女だけど高身長という残念な女という、両極端を輝かせるという機能においても、またジュニアと音楽学校という教育システムにおいても、ジャニーズと宝塚は非常に近い関係といえます。
 ただ、現代において、その機能はますます重要になってくる一方、組織としての構造が前時代的になってきているのは事実です。つまり「ブラック」と言われる(言われてしまう)ようになったと。そういう意味で、ジャニーズの崩壊というのも歴史的必然なのではと、特にここ1年は感じてきたのであります。
 それがいわば「予感」だったと。宝塚は基本テレビとのつながりが少ないので、マスコミ、ワイドショーの俎上に乗りにくいのですが、実際内部では問題が噴出していると聞きます。
 もちろん、これはこうした芸能の世界だけでなく、多くの「昭和」的文化共通の問題です。他人事ではありません。
 話がそれてしまったので戻しましょう。ジャニーズの価値としての「少年性」。これを40過ぎや30代後半のオジサンたちが担うのは限界があるでしょう。彼らがその呪縛から自ら逃れようとすることを責められませんし、そんな無理を強いてきた会社、そしてファン、世間こそ反省するべきかもしれません。
 心からお疲れ様と言いたい。ほとんど宗教とも言える献身的で脱欲的な人生を送ってきたわけですから。

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2019.01.27

「嵐」の予感…その1

Th_unknown の予感がしました。
 皆さんも驚かれたことでしょう、ジャニーズ嵐の活動休止宣言。私もびっくりしました。なにしろ「予感」があったから。
 というのは…昨日の朝、家族に笑われたことがあったんです。実は昨日の朝、変な夢を見たんですね。なぜか私が知り合いと嵐のコンサートに行く夢。
 私はジャニーズ文化には興味はありますし、長女の影響でいくつかのグループはメンバー構成まで知っています。関ジャニ∞のドームコンサートに行ったこともありますし、草彅剛くんとは映画で共演した(というほどではないけれどもにらみ合った)仲です。
 しかし、「嵐」に関しては正直あんまり興味がなかった。興味がなかったというか、あまりにメジャーで日常的すぎ、また何かが起きそうな予感すらしないある種の安定感のおかげで意識してこなかったのです。
 それが夢に出てきたからびっくりした。ちなみにその夢では、いかにも夢らしくいろいろな困難が連続して、チケットを持っているのになかなか会場にたどり着けませんでした。結局、嵐には会えず目が覚めたのでした。
 それを朝、家族に言ったら笑われた。いい年してどんな夢見てるんだと。なんで嵐なんだ(笑)と。
 その翌日、突如このような活動休止報道があり、私はもちろん家族も驚いたのです。もしかして予知夢?
 おそらく単なる偶然でしょう。しかし、昔から「正夢」というものがあります。予知夢というのはありえるのでしょうか。
 私の時間論の中において、「夢」というのは重要なポジションを占めています。すなわち夢の方が本質。逆にいうと、夢ではないこの現実が特殊であるという考え方です。
 本来この宇宙における時間のあり方はこうです。「現在の中に過去と未来がある」。つまり「今ここ」が無限に多層的に同時に存在している。
 それを、私たち生命の脳は、まるで1巻の映画のフィルムを順に見ていくように、一つの「流れ」として把握している。
 しかし、私たちが寝て夢を見ている時、こうした現実の縛りは解かれ、時空をその本質に近い状態で知覚しています。時間があっという間に過ぎたり、空間を瞬時に移動したり、いや、過ぎたりとか移動したりというような「時間の流れ」さえもないじゃないですか。ほとんど全てが同時に起きている。それを起きてから思い出す時、不自然ながら流れに乗せているだけ。
 ですから、私の夢の中に「嵐の活動休止の予感」が現れてもおかしくないのです。
 夢は私たちが高次元につながっている状態なのです。
 「嵐」の予感の話は明日以降にも続きます。

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2019.01.26

ありがとう!大坂なおみ選手

Th_thumb12136174623sports らためてテニス門外漢の私がいろいろ言うのも野暮ですが、やはり感動しましたので一言。
 ちなみに家族の中では唯一まともなテニスの経験がありません。テニスラケットといえば、いわゆるラケットベースでしか振り回したことがなく、つまり全部ホームランになってしまいます(笑)。
 おっと、世界最下位の私の話はいいとして、本題の世界ランク1位のお話を。
 いきなりですが、大坂なおみさんを日本人としていいのかというテーマ自体が、非常に日本的ですよね。さまざまな分野で、特にスポーツ界において、かつてなら「日本人じゃないだろ」と言われてしまうようなスーパースターがたくさん生まれてきています。やっとそういう時代になったのですね。大変良いことです。
 一方でまだまだ日本が遅れているなあと感じたのは、皆さんも指摘されていましたが、「日本人初のグランドスラム制覇」という論調ですね。
 そう、ご存知の通り、ダブルスや車椅子テニスでは、もう何人もその栄誉をつかんでいます。特に国枝慎吾選手は車椅子テニスグランドスラムで42回(!)優勝しています。
 オリンピックとパラリンピックの関係でも日本は同様です。テクノロジーの進化によって、そのうちに記録や勝敗が逆転する可能性すらあるのに。
 今回の、そしてこれからの大坂選手の大活躍によって、そういったいくつかの「差別意識」…いや、「無意識的差別」がなくなっていくことを期待します。
 大坂さんの振る舞いや発言についても、日本人はいろいろ勉強させられていますよね。それがまた「無意識的差別」解消へのきっかけになっているように見えます。
 本当におめでとうございました。そして、ありがとう。
 
 

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2019.01.25

ドリームスウィーパー (日本電興)

Th_31qdyyitzvl_sy355_ の掃除機?
 今日はどうでもいい軽い話。最近買って意外に重宝しているモノ。ドリームスウィーパー。
 ウチはモノが多い上に猫が6匹もいて散らかり放題。ゴミ屋敷になる寸前です(笑)。で、あんまり散らかっているので掃除機もかけづらい。いろんなモノを吸い込んじゃう。さらに猫がパニックを起こす。
 というのは一般的な電気掃除機の話です。
 もちろんルンバのような自動掃除機はもっとダメ。スタートしてすぐにスタックしてしまう(笑)。ぜったいに部屋の向こうまで行けません。
 ではよくあるスティックタイプの充電式掃除機はどうかというと、やっぱり「充電問題」があるんですよ。充電池の寿命が短すぎてすぐに掃除機自体がゴミになる。つまりミイラ取りがミイラになるわけですね(笑)。
Th_4chwgjg0t6e3_ux300_ttw_ そこで登場したのが、韓国からの救世主、電気を使わない手動掃除機「ドリームスウィーパー」。はたしてその正体は…。
 単純に興味があったし、1,300円くらいで買えたので、ミイラになってもいいや程度の気持ちでネット購入。
 発売元は「日本電興」。電気を使わないのに電興とは(笑)。と思ったら、もうこの製品自体廃番なんですね。でも宣伝動画はありました。

 さて、実際使ってみるとどうか。
 これが意外に使えているんです。実に単純な仕組みなのですが、まあそこそこゴミも取れる。
 ちなみに部屋の角にはブラシが届きません。そこが問題。だいたい隅に猫の毛とかホコリがたまっているじゃないですか。それが取れない。まあ、それは手でとればいいか。
 ゴミがたまるボックスが少し緩かったので、ガムテープを使ってプチ改造。その他ブラシも少し調整して、「ドリームスウィーパー改」にしました。
 動画のようにはいきませんが、さっと取り出してさっと掃除するには悪くないです。まあホウキとチリトリで掃除するのと手間は変わりませんけどね。なんとなく面白いからいいや。
 ちなみに絨毯はダメ。畳をまあまあ。フローリングが一番得意なようです。音はそれなりにしますし、やや体重をかけないとブラシが回転しません。猫は珍彦を除いて怖がりません(笑)。

Amazon ドリームスウィーパー

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2019.01.24

『ヴィジュアル版 教師の歴史』ディアドラ・ラフテリー 著/立石弘道 翻訳 (国書刊行会)

Th_61b0pwcxo4l_sx425_bo1204203200_ 日、日本の学校の歴史について少し書きました。この本は世界の学校の歴史と言ってよい。学校の主役は生徒ですが、あくまで主体、客体で言うなら、学校の機能主体は教師です。すなわち、学校の歴史とは教師の歴史そのもの。
 この本を見ますと(ヴィジュアル版なので主に「見る」)、やはり近代以降教室(学校)の風景というのがあまり変わっていないことがわかります。
 それと裏腹に変わったものは、教師の地位でしょうかね。たしかに、歴史的に見ますと、古く教師は単に勉強を教える存在ではなく、やや宗教的ともいえる社会貢献的な主体であったことがわかります。「聖職」と呼ばれてしかるべき存在です。
 今はどうでしょう。なんとも不甲斐ない。世のバッシングを受ける対象に変わってしまいました。
 もちろん自分自身もそうです。最近はすっかり開き直って、「尊敬される」「感謝される」ではなく、「面白がられる」教師でいいや、なんて真剣に思っています(苦笑)。
 いや、それで本当にいいと思っているのです。世の中が変わり、学校や教師の意味も大きく変わりました。かつて教師が担っていた社会貢献の一面は、世の中全体で、あるいはその専門職が担うようになってきたという事実もあります。
 生徒にとっての「先生のような大人になりたい」という願望や憧憬の内容も、「楽しそうでいいな」程度でいいのかもしれません。いくらAIが現代的な教師の代わりをしたとしても、決して「楽しそう」ではないでしょうから。

国書刊行会「教師の歴史」

Amazon 教師の歴史

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2019.01.23

平田オリザさんの教育論

Th_as20180201002659_comml 作家平田オリザさんの教育論が熱い!
 演劇はたしかにそれ自体がグループワークです。また創造性、自発性も重要。演劇というある意味古典的なアートが、こうして未来の教育と合流、いや再合流するのは実に面白い現象ですね。
 私もほんの少し演劇をかじったことのある人間です。そして、主に中学校では演劇の指導もします。演劇の教育的効果が絶大なのは言うまでもありません。
 さらに私はコント部(仮)の顧問でもあります。コントも演劇の一つですね。
 演劇はまさに「真似び(学び)慣らう(習う)」ことを基礎としています。
 さあ、そんな演劇畑で圧倒的な成果を残してきた平田オリザさんは、実は教育者として、あるいは教育論者としても大変優秀です。
 違う言い方をするなら、演劇という枠におさまらず、教育によって日本や世界という舞台を演出していこうという意志を感じる。この連載も非常に説得力がありますね。

「22世紀を見る君たちへ」

 うん、たしかに今年生まれた子どもは22世紀を見る確率が高い。そういう発想がまず私にはなかった。21世紀になったばかりだと思っていて、22世紀はずっとあとのような気がしています。もう先生としてダメですよね。先を見て生きていない。
 最新の記事はそんな現場教員にとっては実に耳が痛い話。

「変わりたくない」先生たち

 前年踏襲ばかりが横行するのが学校です。それがなんと150年も続いている。だから、明治初期の教室の風景と、今の教室の風景はほとんど変わっていない。つまりほとんど軍隊。おそろしく保守的な場所です。
 いやもっと古いかもしれない。日本で初めての藩校岡山藩学校が開校したのが、今からちょうど350年前。その頃から変わってないとも言えます。逆にすごい。武士でも兵隊でもない現代の子どもたちを、その頃の技術と慣習で教育しているわけですからね。
 自分の職場にもそうした悪しき学校文化が強く根付いています。禅宗の学校ですしね。変わってはいけない雰囲気があるのです。
 しかし、もうそんなことは言っていられません。どんどん様変わりする世の中に子どもたちを送り出す学校が最も時代遅れだなんて。国家としての生産力がかなり削がれている。
 もちろん伝統的なものの良さも理解できます。しかし、学校教育が硬直化した伝統芸能になりさがってしまってはどうしようもありません。
 この連載はまだ続きます。平田さんのご意見をよ〜く咀嚼して、私なりに22世紀に向けての教育を考え構築してきたいと思います。
 

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2019.01.22

2018 センター試験国語(その2)〜玉水物語

Th__20190123_111745 説は割愛。私が推奨する短編全文ではなく、長編の一部抜粋だったので。
 古文は印象に残る文でしたね。「玉水物語」…室町期成立の御伽草子の一つ。美しい姫に憧れたキツネが少女に化けて出仕するお話。わかりやすい現代語訳がこちらにありますのでぜひ。
 最後はちょっと切ないお話ですね。これって、狐というけだものでさえ、いやけだものだからこそでしょうか、人間以上の純粋さがあるというお話ですよね。
 「古文」とひとことで言っても、やはり平安までのものと、鎌倉以降のものとでは大きく違います。おそらく受験生にとっては同じように見えているかもしれませんが、やはり、宮中という特殊な場での文学と、より庶民全体に訴えようとする文学とでは、現代人の私たちにとって「わかりやすさ」に歴然たる違いがあります。
 中世の説話や御伽草子となると、まさに一般庶民にわかりやすく書かれていますから、当然入試問題としても取り組みやすくなります。そういう意味では、源氏物語という最強に特殊で高度な文章を大学入試に出すなんていうのは信じられません(実際、センターにも何度か出ている)。
 江戸のものになると「出版」という、現代とつながるメディアの形態になるので、より読みやすくなります。ですから、生徒には「知らない名前の作品だったらやった!と思え」と教えています。中古までの難文はだいたい文学史で知っている作品名なので。そういう意味では、「玉水物語」は「いい教材」だったわけですね。
 それでも、理系まで含めて、こんなほとんどの日本人が知らない作品を読めるか読めないかを試されるのはどうなのでしょう。それも50点分もある。現代、いや未来にこういう能力って必要なのでしょうか。
 いちおう古文の専門家として言います。必要です!
 どういう意味かというとですね、古文を読めなきゃダメってこととは違うんですよ。日本文化を大切にしろとかでもありません。
 たとえば今回の玉水物語のような「良問」ですと、しっかり勉強したことを利用して読み進めることができるのです。つまり、好き嫌いは別として暗記してきた情報をもとに、未知の作品を読み解いていくことができるのですね。
 これって人生においてとても重要な能力です。生きる力、死なない力と言ってもよい。
 私が未知の古文を読む時の感覚って、人生における想定外の事態に対処していく感覚と非常に近いんですね。
 もちろん、数学において公式を活用して未知の問題を解く場合も同じでしょう。現代文も同じかもしれない。しかし、古文の場合、全体の文脈やメッセージを受け取るという面においては、単なる情報分析とは違った「モノ」的センスが必要なんですよね。「コト(既知)」を使って「モノ(未知)」を解く。もちろん数学でそういうモノを感じる方も多いでしょう。
 ですから入試問題というのは実に慎重に作成されなければならないんですね。そういう意味では今回の「玉水物語」は良問だったと思います。

 

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2019.01.21

大月駅は「恐怖」なのか…?

Th__20190121_190954 ンターネタはまた明日以降ということで、今日は臨時ニュース(?)。
 今日ネットニュースで、中央線ユーザーの恐怖 「深夜の『大月行』で終点まで行ってしまったら」をプチ体験 大月駅には何がある?という記事を見つけました。文春ですな。
 おおっ、わかるわかる。その電車で大月まで帰って来た(行ったではなくて帰って来たというところが山梨県民)ことがあるワタクシとしては、ある意味よくわかるのです。
 ちなみに私は大月駅に降り立ったのち、近くに停めてあった自分の車で富士山まで帰ってきたのですが、たしかに真っ暗な大月駅に取り残されたら…恐怖といえば恐怖でしょう。
 特に東京の方が乗り過ごして(寝過ごして)大月で目覚めたら、それはそれは怖いでしょう。あんまりにも真っ暗ですから。ものすごく山が迫っていますからね、星も真上を向かないと見えない。
 今、ウチの娘は吉祥寺に住んでいるんですが、中央線で山梨まで帰ってくる時、たしかにこの記事にあるとおり、高尾を過ぎてトンネルに入った瞬間から、まるで別次元にに迷い込んでしまったかのような非現実感、ある種の恐怖、寂しさ、切なさを感じるそうです。わかる(ちなみに我が家ではそういう感情や、そういう感情を催させる風景などのことを「バヤーン」と表現します)。
 その終着駅が大月。大月とはビッグなムーンということではなく、「大きなつきあたり」という意味だと思われます。そう、実はそこから先(西)にはこれまた難所である笹子峠が行く手を遮る形でそびえ立っているのでした。
 かといって、南に向かう、すなわち富士みちで富士山に向かうのもまた酷。標高は上がる一方ですし、それこそ「生黄泉(なまよみ)」の国へ向かう天国の(地獄の?)階段であります。
 後戻りもできない。まああと4時間ほど我慢すれば、東京方面行きの始発電車が走りますけどね。その4時間が恐ろしすぎる。
 泊まる宿はありますが、もしお金がなかったら、あるいは満室だったら、それが真冬だったら…考えるだけでも恐ろしい。たしかに冗談でなく死が迫ってきます。
 しかし!しかしですね、アンビリーバボーな朗報です!?
 なんとなんと、その大月駅の北側に506室の東横インができるんですよ!夢じゃないっす。本当です(こちら参照)。
 てか、逆に怖いかも。なんで、あの大月に突然巨大ホテルが?
 おそらくインバウンド目当てでしょう。海外の日本旅行ガイドブックではけっこう大月駅が紹介されているとの噂も。富士急行線に乗る前に駅前に降り立つ外国人が多いのはたしかです。
 しかし、現状ではそんなに泊まる人はいないような気がしますが、たぶんこれを機に大月を外国人の宿泊場所として定着させようという意志があるのでしょう。ちなみに河口湖畔にも巨大な東横インが2棟建設中であります。
 というわけで、寝過ごしてしまった東京人の皆さん、これからは都会的な東横インでゆっくりお休みいただけます。どうぞご安心ください。500人寝過ごしても大丈夫です(笑)。
 というか、それ以前に大月はとってもいいところです。この前の日曜日もふらっと車で山あいを散歩いたしました。自然も豊富、文化も豊か。東京まで特急なら1時間。富士山まで高速で30分。考え方によっては最高のベッドタウンですよね。始発に乗れば確実に座って通勤できますし。

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2019.01.20

2018 センター試験国語(その1)〜翻訳論

20190121_114806 年はセンター試験評をサボりました。長女が受験したんですけどね。もうあれから1年ですか。早いものです。
 そんなセンター試験も、今回を含めてあと2回。新テスト(大学入学共通テスト)の波乱が近いということでもあります。
 さてさて、センター試験の国語については、ここ10年以上ずっといろいろ文句をつけてきましたが、ここ数年でようやく良問になってきました。あまりツッコミどころがない。
 せっかくここまで成熟してきたのに、新テストで記述問題が入ってきたりすると、またいろいろと問題が生じるんでしょうね。それについてはまたいつか書くことになるでしょう。
 さてさて、今年の国語ですが、ます第一問。評論は「翻訳論」でした。根本的に「翻訳」は成立するのか。これはたしかに古来のテーマですね。
 私はこの文章における「楽天家」に属する人種です。すなわち、奇跡は起きるという考えです。
 そう、翻訳の結果がどうのこうのというよりも、翻訳という「他者との邂逅、融和」という行為自体に、創造的な可能性があると考えているです。
 だいいちですね、翻訳以前に「言語」が奇跡的なメディアです。発信者と受信者が同一ではないというのが前提ですから、そこには少なからず、いや大規模に「翻訳」が介在しているわけですよね。
 たとえば「りんご」という言葉一つとっても、そこから想起される「りんご」はほとんど無限の可能性を持っているわけです。
 その意味では「翻訳」の成立を論ずる前に、実は原作者と翻訳者との間において言語的なやりとり、すわなち「翻訳」が行われているわけです。ゆえに、ここで問題とされる一般的な「翻訳」の成立について真剣に語るのはナンセンスであるとも言えるような気がするのです。
 昨日の話(モノ・コト論)で言うのなら、「コト」の最先端兵器である「言葉」こそが、実は意味を収斂する存在ではなく、多様な解釈へ拡散していく「モノ」の性質を帯びているのです。これは非常に面白いことです。
 人間の欲望としての「コト化」のために発明された「コトの端」、つまりエントロピーの増大という「モノ」の性質を抑制するべく生まれた言葉が、新たなエントロピーの増大を生むという皮肉。
 これこそが言語の芸術性そのものです。この豊かな世界の源泉は人間の脳みその中の「コト」にあった。まさに「はじめに言葉ありき」なのでした。
 おっと、センター試験の講評を忘れてました(笑)。基本、いい問題だったと思います。本文内に根拠が明確にあります。漢字は簡単すぎ。難しかったとすれば、問二以降は正解が「2」と「4」しかなかったことでしょうか。「2」が三つ連続するし。こういうのって、人間は迷っちゃうんですよね。AIなら迷わないのでしょう。

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2019.01.19

素数ものさし

Th_31o4tsamtvl_sx425_ 日の続き。少し前に評判になった「素数ものさし」を遅ればせながら入手しました。
 ご存知のとおり、目盛りが素数だけという大変不便なものです(笑)。しかし、工夫次第(足し算引き算)で実は素数以外の長さも測れるというスグレモノ(?)。
 京都大学の川上浩司教授が代表を務める「不便益システム研究所」が開発したモノです。
 今、モノという言葉を2回使いましたが、この「不便」はワタクシのモノ・コト論でいうところの「モノ」に当たりますね。不随意、不如意、他者性です。反対に近代社会が目指してきたのが「便利」。すなわち随意、合理性である「コト」。
 私も「コトよりモノ」と主張してきましたが、川上先生も「便利より不便」の方が「益」があると言っているわけですね。
 コトはどんどん収斂、画一化してゆき、モノはどんどん拡散、多様化していきます。どちらが豊かなのかという根本的な問いですよね。
 私は行き過ぎた「コト」はよくないと思うのです。もちろん「モノ」も自然のままではダメな場合もある。すなわちバランスなんですね。人間というか生命全体にとって、どういうバランスがいいのかを模索する時代になってきていると思います。
20190117_115417 ところで、この素数ものさし、定価は577円ということで、ちゃんと素数になっているんですが、Amazonでは私が注文した時には1,399円。だいぶ高めですけれど素数だったので、まあいいかと思ってカートに入れました。すると送料が257円かかるとのこと。おっこれも素数だ!
 しかしその合計が1,656円で、これは偶数ですから言うまでもなく合成数。なんだか残念だなあと思ったらポイントが779円分あった。これは素数のようですが19で割れます。で、ポイントを引いた877円は素数でしたので、気持ちよくポチッとしました(笑)。
 どうでもいいけれども、それで気持ちよくなれるんでしたら、まさに不便益というか、モノ楽しさですよね(笑)。
 あっ、ちなみに「ものさし」の「モノ」も他者、未知(未計測)のモノということです。

Amazon 素数ものさし

不便益システム研究所

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2019.01.18

『素数はなぜ人を惹きつけるのか』 竹内薫 (朝日新書)

Th_815jmdnwjvl ぜだか素数がマイブームです(笑)。
 とはいえ、私は文系人間。数学が一番の苦手です。しかし、数学的な世界には興味があり、また数学者たちの数奇な(数奇という言葉いいですね!)人生にも大いに興味があります。
 つまり数式はわからないけれども、イメージとしては数学の世界がこの現実の風景に重なって見えているという感じでしょうか。
 なんていうとカッコいいけれど、実際はもっとダサい感覚です。なにしろ、最近の私の「大発見」はこんな程度ですから(笑)。生活の中の素数。

 俳句 5・7・5(17)
 短歌 5・7・5・7・7(31)
 三三七拍子 3・3・7
 漢詩(五言・七言) 5・7
 セブンイレブン(7・11)
 17アイスクリーム
 31アイスクリーム

 まあ半分ギャグですが、不思議と言えば不思議ですよねえ。いかにも文系的な大発見でしょう(笑)。
 ちなみに音楽的な観点から言いますと、俳句や短歌、三三七拍子、ついでに漢詩は休符まで含むと完全なる四拍子(八拍子)です。
 素数に魅了される人はたくさんいます。全ての数の基本となる、いわば「元素数」でありながら、なかなかその出現規則性などがはっきりしなかったり、思わせぶりなところが、なんとも人を惹きつけます(って、また文学的な表現になってしまった)。
 そのため多くの素数に関する本が出版されていますが、この竹内さんの本は、その中でも最も文系に優しいものでしょう。私でも理解できる内容でした(一部の数式は見て見ぬフリをしましたが)。
 リーマン予想も含め、わかりそうでわからないところ、またわかったらトンデモなく美しい世界がそこに広がっている予感をさせるところが、特に男性を魅了しているのでしょう。そうそう、素数にはまるのは、数学者に限らず男性が圧倒的に多いのです。
 ということは…素数は女性である。素数がわかれば女性がわかる。女性がわかれば素数がわかる。すなわち、素数がわかれば生命とは何かがわかるのではないでしょうか。
 そんな感じで、私はあくまで文系的(文学的・音楽的)な立場から素数に迫ってみたいと思っています。

Amazon 素数はなぜ人を惹きつけるのか

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2019.01.17

阪神淡路大震災とオウム事件

Th__20190119_83209 日、一昨日のオウム事件を起こした一つの原因が阪神淡路大震災にあることはあまり指摘されていません。
 国家転覆を狙うタイミングという意味もありますし、富士と鳴門の仕組という意味合いもあります。富士と鳴門の仕組と王仁三郎の予言についてはこちらに書きました。
 麻原らが教団への圧力が高まることを、大本事件と重ねていた部分があるのはたしかです。私も彼らがそう考えていた証拠の資料を持っています。国家による弾圧が結果として国家の滅亡を生むという論理ですね。
 それは言うまでもなく大本事件の読み間違いです。たしかに世界史上最大とも言える宗教弾圧事件である第二次大本事件の翌年、二・二六事件が起き日本が戦争へと向かっていった、そしてのちに日本が焼け野原になったのは事実です。
 しかし、大本はオウムとは大違いです。神道と仏教の違いはもちろんですが、大本は徹底的な平和主義でしたし、もちろん事件を自ら起こしたりはしませんでした(一部の信者は過激でしたし、多くの軍人が入信していたのは事実ですが、それは本質ではありません)。なにより教祖の霊的な格が違いすぎます。
 どちらかというと、大本事件の頃は、国家こそが異常なカルト教団のようになっていたわけで、結果としてそれが崩壊するのは歴史的意味合いからして悪いことではありませんでした。
 そして、大本事件を発端とするカルト日本の崩壊から50年目の年に、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きたのは偶然ではありません。政治的にも55年体制が崩れたタイミングでした。ちなみに東日本大震災も非自民政権の時に起きましたね。そのあたりのことも何度か書いてきましたので、ここでは繰り返しません。
 大本事件がその後の日本の雛型になったように、平成の富士と鳴門の仕組も未来の歴史の雛型になっているものと思われます。あれから24年。干支が2周しました。今年は大きな変革の年になりそうです。

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2019.01.16

森達也監督作品 『A2(完全版)』

 日の「A」に娘もかなり衝撃を受けたようなので、続編の「A2」、それも3年前に公開された「完全版」を鑑賞しました。
 作品としては、正直こちらの方が面白かったと思います。オウムの内部というよりも、今回は外部の方に焦点が当てられた、いや、内部と外部との関係の「妙」が上手に表現されていて、それが私たちのよく知る対立と対話の物語に、ある種の興奮や赦しや癒やし、さらには滑稽さまでもが見え隠れしてきます。
 対立という濃厚な接触をしているうちに、いつの間にか友人のようになっていくというのは、よくある物語のパターン。あるいは、たとえば警察という正義が簡単に悪になってしまうという物語。
 そのあたりのあぶり出しのテクニックは見事だと思います。すわなち編集術ですね。御本人も語っていたと思いますが、森さんはかなり意識的に私たちの価値観を揺るがす編集をしています。
 私たちは、映画という時間の流れの中に囚われているうちに、しっかりマインドコントロールされている。それはまさにオウムのテーマそのものでもあるという入れ子構造。すなわち正義もまた洗脳であると。
 森さんの作品には、映画に限らず書物にしても、そういうデプログラムという逆説的な洗脳のシステムがインストールされています。
 ドキュメンタリーだからこそその効果は大きい。現実のように見せかけた「作品」なのですから、それじたいも「FAKE」です。言い方によっては悪質だとも言えます。
 そう、語弊があるのを承知で言うなら、また私自身の得意の語り口のことも棚に上げず言うなら、「正義」のふりをした「悪意」であるとも言えるのです。それもまたオウムの存在そのものに重なります。
 そういう多重構造、多義的な構造こそが、この映画、森作品の魅力であると言えましょう。私は嫌いではありません。
 それにしても、一人ひとりは皆さん、いい人ですね。オウム(アレフ)の皆さんも、警察の皆さんも、マスコミの皆さんも、右翼の皆さんも、住民の皆さんも。それが集団になるとなぜ…そこがこれらかの人類の課題なのでしょうね。

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2019.01.15

森達也監督作品 『A』

 来映画作りに関わりたいと考えている次女と鑑賞。ドキュメンタリーにこそ監督の思想が表現されるということを知ってほしかった。
 バッシングオンリーだったオウム報道の中、あえて中立という立場を取っているかのように見せつつ、結果としてこの映画は相対的にオウムを擁護する形になりました。
 オウムの人たちは純粋な青年たちであり、異常なのは世間の方であるという構図が浮かび上がるようになる。たとえ森さんがそんなことを意図していない、あくまで中立であると言っても、たとえば私のようなオウム世代の人間にとっては、自然にオウムの方にシンパシーがわき、世間に対する違和感が醸成されてしまうように、ある意味たくみに作られています。
 私は完全にオウム世代。オカルトで育ち、バブルに違和感を覚え、仏教に目覚め、正直ギリギリのところでオウムに入信しなかった人間です。いや感覚的にはギリギリとはいえ、現実的な可能性は限りなくゼロでした。なぜなら、私には出家する勇気も根性も全く欠けていたからです。
 そういう意味では今でもオウム真理教という存在や、彼らが起こした様々な事件の評価は、自分の中で定まっていません。
 そのあたりの心情はこちらにも書きました。
 彼らを単純に排除しようとするのは、まさに「殺人」と同じ行為です。出て行け、目の前から消えろ、というのは殺人と同じ発想と言えます。
 昨年、麻原を含む複数の死刑囚の死刑が執行されました。法という国家権力を借りて、ある意味私たちの「排除=殺人」が達成されました。
 さて、それで私(たち)の心の中のオウムは本当に消えたのでしょうか。

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2019.01.14

ファミリーヒストリー『堺正章~父は伝説の喜劇役者 引き継がれる覚悟~』(NHK)

Th__20190115_102320 にげなく観ていたらよく知った風景が出てきたのでビックリ。
 へえ〜、私の職場のすぐ近くに堺駿二さんが住んでいたとは!
 今回もまたNHKさんの取材力のすごさを痛感する内容でしたね。潤沢な資金と時間、優秀なスタッフのおかげでしょう。私もいくつかNHKさんの番組に出させてもらいましたが、そのたびにいろいろ感心させられてきました。民放さんは民放さんでまた違ったすごさを感じますが。
 さて、堺正章さんのお父さんである堺駿二さんが主役だった今回のファミリーヒストリー。早川雪洲の懐に飛び込み認められたというのはさすがですね。
 堺正章さんは、そんな偉大なお父さんをある意味で超えたかもしれません。それこそ父親譲りの才能もあったことでしょう。しかしそれよりなにより、堺さん父子の時代を読む力、笑いをベースにした利他精神、そしてお人柄こそが成功の要因だった。まあ、それもまた才能(タレント)ということでしょうけれど。
 堺駿二さんが富士吉田に住んだのは昭和15年とか16年とかでしょうか。当時月江寺界隈は瑞穂村が下吉田町になったばかり。戦争の影もちらつき始めていましたが、織物産業でかなり盛っていた時代です。そんなこともあって堺駿二さんは商売になると考えたのでしょう。
 戦争が始まると、下吉田の織物業は厳しい状況になります。絹織物は奢侈とされ、織機は金属として接収されていきます。そんな空気も感じたのでしょう。堺さんは昭和17年に東京に戻り役者業を再開します。
 まあそれにしても、ウチの学校(当時はまだありませんでしたが)の目と鼻の先に昭和の名役者が住んでいたとは。面白いですね。ちなみに正章さんは戦後の生まれですから富士吉田とは直接縁はありません。
 戦後、下吉田の織物業は輸出増に伴い、ガチャマン時代と言われる隆盛期を迎えます。映画館も昭和30年台には、下吉田だけでも銀嶺シネマ、松竹館、富士国際劇場、武蔵野大映、富士映画劇場と5館が林立していました。一つもなくなってしまった今からすると信じられないですね。こんな狭い地域に5館ですよ。きっと、堺駿二さんの出演した映画もたくさん上映されていたことでしょう。
 今回の堺駿二さんの富士吉田居住情報には、ユリ・ゲラーさんの富士吉田居住情報なみにびっくりしました。

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2019.01.13

「平成」(という言葉)を振り返る…

 日は中学校の推薦入試でした。毎年のことですが、国語の入試問題は私が本文から作ります。そう、小学生が読めて問題にしやすい文章を見つけるのは非常に難しいので、それなら両方の条件を満たす文を自分で書いてしまったほうがずっと楽です。ある意味ずるい作問方法かもしれませんね。
 今年もその本文をここで紹介します。今年のテーマは「平成」です。ではどうぞ。


  まもなく「平成」という時代が終わります。「平成」という元号は、中国の古い書物の中にある「内平外成(内平かに外成る)」、「地平天成(地平かに天成る)」から取ったもので、国の内外も天地も平和でありますようにという願いがこめられていました。
 実際の平成時代は、国内外ともにテロがあったり、大きな自然災害があったりと、なかなか願いどおりにはなりませんでした。
 とはいえ、一つ前の「昭和」の時代や、その前の「大正」、さらにその前の「明治」の時代には、二つの世界大戦や日清・日露戦争などがありましたから、それにくらべれば平和な時代だったと言えるかもしれません。
 そんな「平成」を、今日は漢字の視点から見直してみましょう。
 「平」という漢字は、音読みでは「へい・びょう」と読みます。「平成」や「平行」、「公平」のように「へい」と読むことがほとんどです。ほんの少しだけ「びょう」と読む場合がありますが、みなさんの頭の中には「男女平等」などという時の「平等」という熟語しか浮かんでこないのではないでしょうか。
 一方、訓読みでは「たいら・ひら」と読みます。「ひら」と読む例としては「平泳ぎ」や「平社員」、「平謝り」、「平仮名」、そして苗字の「平井」「大平」などが浮かぶでしょうか。
 「平」という漢字は、もともと「干」の中に「八」が描かれた象形文字(実際の物の形をかたどった文字)です。
Th_159647 「干」は木を削る道具で、「八」は削りカスが飛び散る様子を表しています。古い中国の文字にはこんなものもあります。削りカスが多めですね。
 このように「平」は、道具を使ってデコボコをなくすことを意味する文字です。つまり、最初から「たいら」なのではなく、私たちが意志をもって「たいら」にしなければならないのです。
 これを「平和」にあてはめてみますと、「平和」とはただ待っていても訪れるものではない、意志をもって戦争や災害というデコボコをなくしていかなければならないということになります。
 ここで「成」の方に目を移してみましょう。この「成」という漢字は案外筆順(書き順)が難しい。みなさんは正しい筆順で書いているでしょうか。
 「成」の音読みは「せい・じょう」、訓読みは「な(る)・な(す)」です。音読みで「じょう」と読むのは、仏教の言葉である場合が多い。たとえば「成仏」です。「成就」も元々は仏教の言葉として輸入されました。
 さて、訓読みはどうでしょうか。この文章の冒頭に「内平外成(内平かに外成る)」、「地平天成(地平かに天成る)」と書きましたが、ここでの「成る」は「平」と同じようなイメージで使われています。「成」は「完成する」「できあがる」という意味です。つまり、人間が意志をもって何かをなしとげたことを意味しているわけですね。
 そうしますと、「平成」とは、「デコボコを削り落としてできあがる」、「平和・公平・平等を私たちの意志で完成させる」という意味だということがわかります。
 「平成」という元号は、昭和という時代が終わる時に考案されました。つまり、昭和の人々の願いがこめられているということですね。大きな戦争や差別、不平等があった時代だったからこその願いだと言えるでしょう。
  では、平成を生きてきた私たちは「平和・公平・平等が完成する」ように意志をもって努力したでしょうか。はたして昭和の人たちの願いをしっかり受けついだのでしょうか。
 たしかに平成は戦争のない時代でした。そういう意味では、たくさんの歴史のデコボコを平らにならしたかもしれません。しかし、一方で私たちは新しいデコボコを作り出してしまったとも言えます。
 平成を象徴するのはインターネットです。インターネットにより、私たちは世界の人たちと瞬時につながることができるようになりました。それによって便利になったこと、公平になったこともたくさんありますが、一方で、身近な人との関係が希薄になってしまったり、ぎくしゃくしてしまったりしたのも事実です。
 平成という時代は今年の四月で終わります。次の元号は何になるのでしょうか。楽しみですね。どんな願いがこめられるのでしょう。
 五月の一日に新しい時代が始まるからといって、「平成」への挑戦が終わるわけではありません。次の時代を作るのは、平成時代に生まれたみなさんです。ぜひ、本当の「平成」の精神で、平和や公平、平等を完成させてほしいと思います。


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2019.01.12

England Dan & John Ford Coley 『We'll Never Have to Say Goodbye Again』

 と1曲だけ紹介させてください。1978年、ワタクシ中学2年生の時のお気に入り。中二病極まれリ(笑)。
 実はこの曲が発表された頃、私は東京から静岡へ転校しました。人生唯一の転校です。東京の石川台中学校での1年間は友だちや先生方にも恵まれ(大村はま先生にも教えていただきました!)とても楽しく、正直転校したくなかったという記憶があります。転校する寸前にちょっとした恋などもありまして(笑)、「goodbye」がとても辛く切ないワードになっておりました。
 そんな中で、まず私の心に響いた名曲が、デビッド・ゲイツの「グッバイ・ガール」。これがいい曲でしてね。大人になって映画「グッバイガール」も観ましたが、それがまた良くて…(こちら参照)。
 そうだ、せっかくだから、「グッバイ・ガール」も紹介しましょう。おお、こんなTVショウでの演奏があったんだ。これは貴重ですね。インタビューもある。

 この「グッバイ・ガール」が全米15位になったのが4月15日。3月くらいからチャートに載っていましたから、まさにワタクシの転校にかぶっております。
 そして、4月から5月にかけてヒットしたのが、イングランド・ダン & ジョン・フォード・コーリーの「We'll Never Have to Say Goodbye Again」です。
 この曲、このたび調べてみて初めて知ったのですが、カバーなんですね。元歌の歌手は全然知らない人です。1976年の作品ということです。シンプルですがいい曲ですよね。
 これを車の中で聴いていたら、高1の次女が「いい曲だね」と言ってくれました。なんとも嬉しいですね。
 ちなみに静岡の安東中学校に転校しましたところ、そこはそこでとってもいい友だちに恵まれましてまたまた楽しい中二病ライフを味わうことになりました。音楽を聴く中でヴァイオリンも始めたりもして、今のワタクシを形成する重要なファクターが培われることになりました。
 そして、1年後、イエモンの吉井和哉くんが入学してきて、そしてそして30年後に思わぬところで再会するという…不思議なご縁も生まれてくるのでありました。
 というわけで、ごく個人的な音楽体験を紹介させていただきました。いやあ、音楽っていいですねえ。

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2019.01.11

Chris Rea 『Fool (If You Think It's Over)』

 たまた懐かしい洋楽の名曲を。これも1978年。中二病真っ只中のワタクシのお気に入りだった曲。
 当時はアメリカのヒット曲をFEN(極東放送)で聴いておりました。だからAM音質で記憶されています。こうしてきれいな音で聴くと、なんだか照れくさくなってしまうから不思議ですね。
 クリス・レアという人についても、当時は全然わからず、もちろん歌詞もわからず、声からもっとおじさんだと思っていたら、当時まだ27歳くらいなんですね。
 ウチのカミさんとは10歳くらい年が離れているので、微妙に洋楽の好みが違うのですが、この曲はなぜかお互い大好きということで一致しました。彼女はどこでクリス・レアを知ったのでしょう。私がこの曲について超リアルタイムだと知ってなぜか悔しがっていましたっけ。
 しかし、こうして久しぶりに聴いてみますと、アレンジが素晴らしいですね。たしかに曲自体は単調といえば単調です。それをここまで聞かせるのはやはりアレンジの妙でしょう。
 特にこの年になって分かったのは、ベースの素晴らしさですね。誰が弾いているのでしょう。ストリングスやサックスのアレンジも絶妙ですよね。スタジオ・ライブ映像を見てもよくわかりません。

 繰り返しますが、当時の中2ってませてましたね(自分だろ)。ブラックコーヒーとか無理して飲みながら、こんなの聴いてたんでしょうか(笑)。

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2019.01.10

Kenny Loggins & Stevie Nicks 『Whenever I Call You Friend』

 日に続き懐かしい洋楽を一曲。うわぁ、これ30年ぶりくらいに聴いたかも。これも好きだったなあ。中二の私ってホント中二病でしたね(笑)。なんだかんだ好きな曲がアダルト・コンテンポラリーです。
 いや、当時はバリバリにロックを聴いていたんですが、その合間にこういうのにも酔いしれていたんですね(笑)。今思えばこのころバロック音楽にも出会いますし、意外にジャンルを超えて音楽を楽しんでいたんだなあ…とちょっと感心したりして。
 ちなみにヴァイオリンを始めたのもちょうどこの頃です。うん、偉い!俺!www
 さて、この曲、なにしろ入りのコーラスの美しさですよねえ。今、音楽がいろいろ分かるようになってから聴いても、なかなか複雑な和声とコーラスワークですよ。
 そして、テンポアップしてからのポップさ楽しさも最高ですね。こういう男女デュエットもはやってましたね。
 ケニー・ロギンスも渋いけれども、なんと言ってもフリートウッド・マックで絶頂期だったスティーヴィー・ニックスの歌声がなんとも味わい深いですね。
 ちなみにこの詩と曲は、のちに「あなたしか見えない(Don't cry out loud)」で日本でも有名になるメリサ・マンチェスターとケニー・ロギンスとの共作です。当の二人はデュエットしていないのですが、メリサはメリサで、翌年に黒人男性歌手Arnold McCullerとレコーディングをしています。これもいいですね。こちらはあまりディスコを意識せず、よりソウルに編曲されています。こっちの方がよりアダルトかな。

 ちなみに邦題はあの頃らしく(?)「二人の誓い」でした。そうあの頃の邦題って一つの文化でしたね。けっこうハチャメチャで面白すぎます。邦題作家さんとかいたんでしょうかね。

 

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2019.01.09

Paul Davis 『 I GO CRAZY』

 日たまたま久しぶりに聴いて、懐かしさのあまり泣けてきてしまった曲がこれ。
 いやあ、便利な時代になりましてね、たとえば私にとって最も心に残っているヒットチャート、1978年のビルボード年間チャートなんかも、YouTubeでまとめて聴くことができたりする。
 ちなみに1978年の年間TOP100はこちらでご確認ください。たとえば今大流行のクイーンの伝説のチャンピオンでさえ25位ですからね。サタデー・ナイト・フィーバーがまさにフィーバーした年。ビージーズ&そのきょうだいたちが異常に活躍した年でした。
 当時はあまりディスコサウンドが好きではなかったのですが、今になるとやっぱり名曲が多かったんだなと思いますし、そうしたディスコサウンドに囲まれていたから、地味なバラードやAORにも佳曲が多いのかとも思います。
 そんな中、日本ではほとんどヒットしなかったけれども、年間12位と大健闘しているのが、ポール・デイヴィスの「アイ・ゴー・クレイジー」です。当時、40週連続チャートインの記録を作っていました。週間順位は最高7位なのに年間で12位というのも納得です。
 中学2年生だった私、こんな渋い曲が好きだったんですね(笑)。学校の廊下でなんちゃって英語で歌いながら歩いていて笑われたこともあります。
 先ほど日本ではほとんどヒットしなかったと言いましたが、数年後映画「なんとなく、クリスタル」のテーマソングになったので、その頃耳にした人たちは多かったかと思います。
 ちなみにクイーンにも同名曲がありますが、まったく別物です。「I go crazy」とは「おかしくなりそう」とかそんな感じなんでしょうか。「うつつを抜かす」、つまり夢中なイメージでしょうか。
 当時はAMラジオでこの曲を聴いてましたから、なんとなくああいう音質で記憶に記録されています。全曲聴くこともなかったしなあ。こうして聴きますと、終わり方がかなりクレイジーですね(笑)。すごい。
 最後にスタジオ・ライヴも観てみましょうか。曲から想像していたイメージと違うおっちゃんでした(笑)。

 
 

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2019.01.08

教師への夢をあきらめた学生たち…

現役教育大生のリアル 競争倍率低下時代における教育の危機
Th__20190109_170337 日の大学の先生との話の中にも、こういう話題が出てきました。その先生は教師教育学を専門に研究されている方です。
 そう、日本には「教師教育」が足りないんですよ。現場を知らない大学教員が教員を育てる。さらに現場を知らない官僚が教育行政の舵取りをしている。ヨーロッパ、特に北欧の現状を教えていただき、ますますそういう日本の状況に危機感を抱きました。
 ちなみに私はバリバリの現役教員ですが、学校の先生業は決して大変だと思っていません。逆に他の職種に比べると甘い部分が多いと思い続けてきましたので、教職がブラックだなんて全く思いません(異常なのでしょうか)。
 もちろん、ウチは私学ですし、私学の中でもウチの学校はいい環境なのでしょうね。それはありがたく思っています。
 ですから、正直内田さんの本をいろいろ読んだりして驚きました。みんなそんなにイヤイヤ先生をやってるんだと。先ほど書いたように、私にとっては全然ブラックではなく(労務形態に限らず総体としてですよ)、逆に楽しいこと、嬉しいこと、感動することに溢れている、ほかにない恵まれた仕事だと思っていたので。
 おっと、自分語りはいいとして、今回の記事はこちらです。

教師への夢をあきらめた学生たち 現役教育大生のリアル 競争倍率低下時代における教育の危機

 うん、たしかに異常なのかもしれない。教員の世界は。そして、それを変えるには行政、大学を変えなければならない。それはたしかにそうでしょう。
 しかし、なんていうかなあ、こういう発信ばかりあると、ますます教員志望の学生が減っちゃいますよね。大変だけれど充実感に満ちた仕事という側面をもっと知ってもらいたい。
 ウチの学校は特別なのかなあ。公立さんなんかはたしかにより管理するされる体制が強化されているようですね。
 それから、昔、こういう記事を書きました。この考えは今でも変わっていません!

「ブラック」はお好き?(コーヒーの話ではありません)

 ブラックコーヒーを選べない珈琲店がはたして正しいのか。それをあえて世間に問いたいと思います。
 さて、この記事の元になった動画があります。こちらのほうがよりリアルにブラック嫌いなマイルド派の皆さんの言葉を聴くことができます。もちろん、私はこの方々の意見も肯定しますよ。ぜひ対話してみたいと思います。


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2019.01.07

ハーシェルのヴィオラ協奏曲

Th_225pxwilliam_herschel01 日、たまたまある大学の先生にこの話をしました。天王星の発見などで有名な天文学者ウィリアム・ハーシェルが、実は音楽家でもあったという話。
 昔は音楽と科学は完全に同列に扱われていました。音楽が必修だったと言ってもいいでしょう。最近の学問は、哲学、宗教、芸術をやらないからダメという話をしたわけです。
 さて、そのハーシェルの音楽、話すと長くなってしまうのですが、私の人生を大きく変えてくれたんですよ。これはホントに感謝しています。
 というのは、日本ハーシェル協会というのがあってですね、その発足当時に作曲家ハーシェルを紹介する音楽会を企画したんですね。
 で、天文同好会に入っていた大学3年生だったワタクシは、当然のごとくその演奏会に行ったわけです。たぶん1984年のことです。
 その演奏会が開かれた場所が東京は東久留米の聖グレゴリオの家。すでに古楽を愛好しており、古楽器を本格的に始めようとしていた私にとっては、まさに運命の場所でした。
 なにも知らず東京の端っこの教会に着いた私は、演奏会が始まる前に大興奮してしまいました。その聖グレゴリオの家に「グレゴリオ音楽院古楽科」という古楽を勉強できる学校が併設されていたのです。
 当時としては本当に日本で唯一古楽演奏の勉強ができる場所でした。言うまでもなく、私はすぐに入学しました。それから15年近く毎週そこに通うようになったのです。
 ちなみにそのコンサートの演奏者は田崎瑞博さん、川原千真さんらの古典四重奏団(の前身?)でした。もちろん古楽器を使用。本格的な古楽器の演奏を生で聴いたのも、実はその時が初めてだったのです。めちゃくちゃ上手で、そういう意味でも衝撃的だったのを思い出します。
 天文と古楽、今でも私の重要な構成要素です。その二つのライフワークをつないでくれたのがハーシェルだったというわけですね。
 で、その時のプログラムは当時の天文ガイドを見れば分かると思います。記憶はかなり曖昧になっているのですが、中にヴィオラ協奏曲もあったような気がします。えっ?ヴィオラ協奏曲?と思った覚えがあるので。
 その後、残念ながら作曲家としてはマイナーなハーシェルの作品は録音されることもなく、なかなか聴く機会に恵まれませんでした。しかし、今は本当に便利な時代ですね。YouTubeで何曲も聴くことができます。
 今日はそのうち、ヴィオラ協奏曲全3曲を紹介します。当時なんでそんなマニアックな楽譜が手に入ったのかは、こちらに記述がありました。なるほど、そうだったのか。
 ということで、私にとってあまりに大きな意味を持つこのハーシェルのヴィオラ協奏曲。客観的には名曲とは言えないかもしれませんが、いや、私にとっては超名曲です。いつか演奏してみたいなあ。

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2019.01.06

秘境 奈良田

Th_img_3406 日、遅ればせながら初詣に行って参りました。毎年マニアックな神社を直感的に選んで参拝するのですが、今年も突然の思いつき(霊感?)で、南アルプスの秘境「奈良田」にある奈良法王神社を参拝しました。
 奈良田に行くのは学生の時以来かなあ。なにしろ奈良田と言えば国語学徒にとってはある意味聖地。完全に孤立した方言「奈良田方言」が残っている地域です。

 全くわかりませんね。秋田弁より難しい。音韻、アクセントが関西風ともいえます。西日本から来た人々が住み着いたのは間違いないでしょう。しかし、共通語「に・へ」にあたる「さ」も使われ、その点は東北方言に似ています(中世には東国で使われており、これもまた古い都言葉とも言えます)。
 奈良田という地名も、奈良時代の女帝孝謙天皇の落魄伝説から来ていますし、奈良法王神社の祭神も孝謙天皇です。孝謙天皇の父は聖武天皇、母は光明皇后。
Th_img_3413 ちなみにこの神社には、昭和62年、浩宮殿下(現皇太子)が参拝しています。今年天皇になる方ですね。なにか因縁を感じました。
 神社を参拝して、町営の奈良田の里温泉につかりました。誰もいない極上のお風呂を独占させていただきました。評判通りのぬる湯、とろ湯でリフレッシュ。
 ただ驚いたのは、奈良田についた途端、iPhoneの動作が不安定になり、しまいには全く動かなくなってしまったことです。富士山に帰ってきたらすっかり直っていましたが。なんだったのだろう。
Th_img_3417 もちろん、糸魚川静岡構造線の上ですし、また近くでリニアのトンネル掘削工事が行われていましたから、なんらかのエネルギーがうごめいていたのかもしれません。
 南アルプスを貫通するトンネル。私の予想では開通しないんだよなあ…。日本の背骨に穴を開けちゃあねえ。

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2019.01.05

地球内部に微生物の巨大生物圏

 味深いニュース。地下生物圏についての研究はここ30年くらいのことです。人間中心の科学では、なかなかこういう発想がなかったんですよね。
 過酷な環境…私たちにとってはそうでしょう。しかし、彼らにとっては、気象変動が激しく、紫外線やら放射線の降り注ぐような地上の環境の方がずっと過酷かもしれません。さらに人間が環境を破壊し、さらに戦争まで起こすとなると。
 地下生物の中には千年以上の寿命を持つものもいるらしい。ある意味安定した環境なのでしょう。
 もしかすると、もともと地下に生まれた生物が海洋に出て、そして陸に上がったのかもしれない。あるいは間違って出てしまったのかもしれない。そして過酷な環境で生き抜くために知能が発達したのかもしれない。
 そう考えると、私たち人間は最悪な負け組であるとも言えそうです。それを基準に考えて、まるで逆さまな発想で進化を唱えたわけです。
 最も古い生物圏を、最も遅く見つけたわけですね。また違った視点から見ますと、稲垣先生もおっしゃっているとおり、これこそ地球外生命の可能性につながると言えます。今までは地球人目線で、あの惑星は暑すぎるとか、寒すぎるとか、酸素がないとか、そんなことで地球外生物を否定してきた人たちもいますよね。
 そうそう、ウチのカミさんは地底人を自称(他称)していて、ワタクシは宇宙人を自称(他称)しているのですけれど、結局地底人の方が宇宙人より偉いということになりますよね(笑)。やばい。逆転してしまった。
 ある惑星にいられなくなって宇宙に飛び出してしまった宇宙人こそ、最悪の負け組ということですから(苦笑)。
 話を戻しまして、この地下生物圏の炭素量は膨大だそうです。もしかするとほとんど無尽蔵の化石燃料(と思われていたもの)は、この生物圏が生み出しているのかもしれませんね。
 なんとなくの予想ですが、さらに深いところでは、高温高圧と生命のおかげで、私たちの知らない次元での核融合のようなことが起きているような気がします。まさに灯台下暗し。自分たちの足下にとんでもない未知のエネルギー源があったりして。
 

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2019.01.04

新日本プロレス1.4 『棚橋弘至 vs ケニー・オメガ』

Th__20190105_101311 月恒例の新日本プロレス東京ドーム大会をテレビで観戦しました。
 変化に富んだ試合の並んだ良い興行だったと思いますが、やはりメインの棚橋対オメガは心揺さぶられるベストバウトでした。
 イデオロギー闘争。品格論議。プロレスらしく大きな物語を内包した試合でしたね。
 それにしても棚橋のプロレスが「クラシック」と言われる時代になったのですから、なんとも感慨深いというか、ある種のショックを感じますね。
 プロレスという日本独特の(とあえて言います)伝統芸能、相撲に代わる神事には物語がふさわしい。勝ち負け、白黒という次元を超えた物語世界がそこにあります。
 そういう意味で、伝統派の日本人棚橋と、進化派の外国人オメガとの一進一退の戦い、そして日本の薄氷の勝利こそは、まさに今の私たちが待望している物語そのものでしょう。戦後、力道山がバッタバッタとアメリカ人を倒したように…。
 伝統派、保守派の(とあえて言います)棚橋が大事にしたのは「品」。一つ一つの技に「思い」、「心」をこめる。そこに「人間性」が表れる。まさに科学や経済を超えた「保守」の価値観ですね。
 長い目で見ますと、平成という時代にはプロレスと総合格闘技の相克がありましたね。あれも保守と新自由主義の対立でした。
 結果として、こうして「物語」が勝利を収めつつあることは、次の時代への大きなヒントになると思います。
 ちなみに、オメガは外敵のように見えますけれども、実は日本人よりも日本をよく理解している、実は大変なナイスガイです。一緒にBBQした者として断言します(笑)。
 さて、オメガはこのあとどう動くのか。日本のスピリットをアメリカに持ち込むのか。飯伏もそこに帯同するのか。戦後日本の新しい日米関係の物語を紡ぐ…私はそれを期待しています。
 聖徳太子が示した日本の日本文化の真髄。輸入して成熟させお返しする。プロレスはまさにそういうモノであると感じています。

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2019.01.03

細野晴臣 イエローマジックショー2

Th_img_3375 日のYMO名盤ドキュメントに続き放送された神番組。う〜ん、すごすぎた。面白すぎました。
 そう、伝説の「細野晴臣イエローマジックショー」が、細野さん音楽活動50周年の今年の年始に復活しました!それもパワーアップして。
 昨日も書きましたが、これで紅白出ちゃったら出すぎでしたね、ホント(笑)。
 YMOが18年ぶりの一夜限りの復活。それも再び「ドテラ」で。あっそうそう、先に言っておきますが、次の復活は2020年、東京オリンピックの開会式ですよ!?
 18年ぶりのドテラRYDEENは、ちょっとテンポが遅めで、なんとも円熟味のあるあったかい演奏でした。御本人いわく「シロウトには分からない」というヘタになった加減もまた、これはこれで「味」となっていました。
 昨日書いたように、YMOってとってもアナログなのです。昨日の番組で紹介されていた「根性」。今日のほんわかRYDEENの中にも、坂本龍一さんの円熟した「根性」の指さばきを見ることができましたね。そうそう、キーボードがJUNO-6だったところも良かった!デジタルシンセだけど、なんかとってもアナログなんですよね。
Th_img_3378 そして、星野源さんとの夢の共演、「FIRECRACKER」がまた良かった。昨日も書きましたが、こうして若者たちによって若者たちにベテランのすごさが伝わることは素晴らしいことですね。これぞ文化の継承でしょう。
 その他、コントのコーナーもそれぞれ面白すぎた。小山田圭吾さんが…(笑)。ナイツや清水ミチコ・イチロウ姉弟、その他高田漣さんらライヴのメンバーたちからも、ものすごい「細野愛」が感じ取れましたね。
 そして、テレ東モヤさまとの奇跡のコラボ(笑)。まったくNHKってのは恐ろしい。ホントさりげなく深夜のBSでこういう歴史的なことをやっちゃうんだから!
 まあとにかく楽しすぎる上に感動的で、ついつい何度も見たくなってしまう神番組でした。「3」はいつなのかなあ…。それまでお三人ともお元気で!

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2019.01.02

「名盤ドキュメント」 YMO『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(1979)』

Th__20190103_115457 晴らしすぎた!実は続く番組でまた奇跡が起きるわけだが、まあNHKというのはすごいなあと再認識。
 なるほど、細野さんが紅白に出なかったのはこれかな。年末年始出過ぎになっちゃう(笑)。
 明日記事にする続く番組イエローマジックショーとの対比がすごかったなあ。あえて本人抜きで真面目に語っておいて、本人たちはあれだから。超一流ってそうでしょう、いつも。何度も泣いてしまったよ〜。
 こちらの名盤ドキュメント、ワタクシ的にはやはり川添象郎さんが出たことがうれしかった。仲小路彰、川添浩史の流れですよ。仲小路邸でYMOの販促資料とともに象郎さんの名刺見つけたもんなあ。それから、なんと言っても、細野晴臣さんと中沢新一さんらきサイン色紙。訪問してたんですよ。
 ちなみに、坂本龍一さんは仲小路彰の名前は知らないけれども、未来学原論は覚えているとのこと。
 なんかあの時代の裏側の空気をそのまま感じることができていることに、感動というか、もうほとんど戦慄のようなモノを感じますね。
 11月の40周年の日には、サエキけんぞうのコアトーク87 『YMO40周年“1978”』に行きました。そこでも鮎川誠さんの超カッコいいトークと音源を聴きましたが、今日のこの番組でも最高のギターを披露してくれましたね。
 YMOのすごいところって、やっぱりシンセサイザーや人民服に象徴されるような、ある種のデシタル世界を前面に押し出しつつ、だからこそ見え隠れする人間性、自然性、アナログ性が売りになっているんですね。今日分析されていたマルチトラックなんか、めっちゃ人間業の集合体だったじゃないですか。
 すごい。すごい。とにかくすごい。めちゃくちゃリアルタイムだった私ですが、あの頃はそこまで共感できなかった。違う種類の音楽聴いてましたからね。でも良かったかも。こうして大人になって、いろいろ知った上で彼らのすごさを実感できるのですから。
 今の若いミュージシャンもしっかり影響受けていて安心しました。今どきの若者は恵まれてますよね。今日も家族で車で移動中、ずっと70年代の歌謡曲と洋楽聴いてましたよ。子どもたちが聴きたいっていうんですから、私たち親もおかげで再発見できる。
 いい音楽、そして「新しい」音楽は時代を超えます。次は若者たちの「新しさ」への挑戦を聴いてみたいですね。

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2019.01.01

あけましておめでとうございます(2019年年賀状公開)

 なさま、あけましておめでとうございます。本年も今までどおりよろしくお願いします。
 今年も私は、未来から流れてきたボールをただただキャッチしながら生きていこうと思います。つまり今までどおりであります。
 一昨年、昨年はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、YouTubeなど、メディアへの露出がたくさんありました。昨年末にもお騒がせし、ご心配をおかけしました(苦笑)。今年も懲りずにいろいろ発信していきます…というか、発信のアウトソーシングしていきます。お楽しみに。
 さてさて例年通り、我が家のおバカな年賀状を公開いたします。今年もまたギリギリ12月30日に家内と二人でやっつけで作ったものです。イノシシということで、どうしようかなあと思っていたところ、「もののけ姫」が思い浮かべられたのでパロってみました(笑)。
 原画(似顔絵)はカミさん、色塗りその他デザイン等はワタクシです。どうぞ初笑いとしてお納めくださいませ。
 あっ、ちなみにワタクシはコダマだけでなく…(以下略)。

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