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2018.11.30

アナ雪『生まれてはじめて』山梨弁(甲州弁)ver.

 言の続き。山梨弁(甲州弁)でアナ雪をどうぞ(笑)。
 どこの県でもそうですけど、同じ県内でも方言には多様性があります。この山梨弁は、まあ甲府あたりを基礎としていますね。
 富士山麓を含む郡内地方では、これらに加えて八王子方言の影響もあって「べー」を使います。
 それにしても歌も上手ですね。素晴らしいと思います。
 この「生まれてはじめて」、いろいろな方言バージョンがあって、よく分からないけれど、それぞれ聴いてみるとなんとなく笑っちゃいますね。
 まあ、考えてみれば、外国語も地球レベルでは方言です。いつかも書きましたが、カレーはかれー(辛い)という洒落、もともと「カレー」も「からい(からし)」も、インドの言葉が西と東に広がっていったもので、語源は一緒なのです。
 話は戻りますが、たしか甲州弁(山梨弁)は女の子がしゃべると最も可愛くない言葉じゃなかったかな。たしかに(笑)。
 で、たしかカワイイ上位に入っていた秋田弁。その秋田弁の「生まれてはじめて」もオマケでお聴きください。たしかにカワイイかも(笑)。

 ウチのカミさんは秋田出身のなんちゃって歌手です。たしかにどんな曲も同時通訳的に秋田弁バージョンにしちゃんだよなあ。あれは面白い(笑)。

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2018.11.29

47都道府県の方言版「だからダメって言ったでしょ」

Th_map52 に忙しくなり、更新が遅れております。
 今日の記事は昨日の続きにもなりましょうか、方言の話です。
 こんなネットの記事がありました。ツイッターで盛り上がったみたいですね。

47都道府県の「#方言でだからダメって言ったでしょ」を集めてみた

 面白いですね。私は方言を持っていない寂しい人間で、つまり標準語しか話せない。山梨に35年くらいいますが、山梨弁はいまだに不自由。ほとんどしゃべれません。
 静岡出身ですが、静岡弁はもっと苦手。家内の実家のある秋田弁に至ってはリスニングすら難しい(笑)。
 ということで、「だからダメって言ったでしょ」も本当に多種多様ですよね。ちなみに山梨弁はこうなっています。

「だからだめっつったら〜」

 まあまあこんな感じですね。「ら」は古語の「らむ」(現在推量の助動詞)の撥音便形「らん」の「ん」の無表記・無発音、あるいはウ音便形「らう」から「う」が脱落したものでしょう。
 ちなみに「ずら」は「むずらむ」から生まれたものです。前半の「むず」の連体形「むずる」については、枕草子で清少納言が下品な流行語として批判していますね(「ふと心おとりとかするものは」参照)。
 いずれにせよ、方言というのは、古い言葉、特にかつて都で使われていた言葉が、遠く地方に伝わって、都では消えてしまったけれども、その地方には残ったというものがほとんどです。
 山梨の方言、特に郡内地方の方言をそのような視点から解説した記事をかなり昔に書きました。こちらもご参照ください。

方言「〜ちょ」など、いろいろと…


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2018.11.28

垈(ぬた)〜「のたうつ」の語源

Unknown 梨県民なら読めなくてはいけない漢字「垈」。逆に言うと、山梨県民以外はほとんど誰も読めない漢字ですし、もしかすると子どもまで含めれば、山梨県民でも読めない方の方が多いかも。
 長らくパソコンの世界では「幽霊文字」と言われていたこの字。一般的な漢和辞典には載っていないこともあって、いったいなんと読むのか、どこで使うのかと物議を醸していました。
 実際、この字が使われているは山梨県だけなんですね。
 ちなみに私も大学時代に山梨県に来て、初めてこの字を見て、そして読み方を覚えました。そう、ドライブ中に出会ったんですね、この字に。そして、ローマ字標記で読み方を知ったのだと思います。
 その後、山梨県内で複数の場所でこの字を見かたので、一般的な漢字なのかと思っていました。たまたま今まで出会わなかっただけで、全国的に使われているのだと思った。
 山梨には、たとえばこのような地名があります。

大垈(甲斐市、身延町)、垈(市川三郷町)、砂垈(富士川町)、藤垈(笛吹市)、相垈(韮崎市)

Th_unknown1 私が初めて出会ったのは「藤垈」です。有名な藤垈の滝があります。ずばり「垈」という地名は、四尾連湖の近く。
 「ぬた」というのは「沼田」、すなわち湿地という意味で間違いないとは思いますが、よりリアルなのは、「猪の寝床」という意味です。我が家の近くでも、山に入りますと、ああここは猪の寝床だなと思われる泥だまりがあります。それを地元では「ぬた」と呼んでいます。
 平安時代の和歌に次のようなものがあります。

君こふとゐのかる藻よりね覚してあみけるぬたにやつれてぞみる

 ここでは、猪が泥の上に草を敷いて寝るように、恋しい人のことを思って悶え憔悴する様子を、「ぬた」という言葉を使って表現しています。まさにドロドロした感情ですね。
 ちなみに山梨県大月市に「黒野田(くろのだ)」という地名があります。甲州街道の宿場町でしたが、かつては「黒奴田」と標記していたことがあるのを見ると、これも元は「くろぬた」であった可能性が高いと思います。いかにも猪のいそうな山に囲まれています。
 また、富士山の東側、御殿場に「柴怒田」という地名があります。なんと読むかといいますと、「しばんた」。これも「しばぬた」であったと思われます。
 これらは「奴」という漢字を嫌った結果ですね。
 ああそうそう、「のたうつ」っていう言葉があるじゃないですか。「のたうち回る」とか。これって、もともと「ぬたうつ」だったんですよ。
 猪が、体温を下げるため、あるいは虫を払うために、草や泥に激しく体をこすりつける動作です。まさに「のたうち回る」のです。

 猪のこういう行為を「ぬたを打つ」と言います。そこから「ぬたうつ」→「のたうつ」という動詞が生まれ、「のたうち回る」になったというわけです。
 あっちこっち行ったり来たり申し訳ないのですが、平安時代にこういう和歌もあります。

恋をしてふす猪の床はまどろまでぬたうちさますよはのねざめよ

 恋に身悶えることを、猪の「ぬたうち」になぞらえる習慣があったのですね。
 それにしても、なぜ山梨だけ「ぬた」に「垈」の漢字を当てたのか。これは不思議です。この漢字、韓国では使わているのだとか。「垈地」は「敷地」という意味だそうです。泥のイメージはない。
 もしかすると、かつて朝鮮系渡来人が巨摩郡に移住してきた際、この漢字を持ち込んだのかもしれませんね。証拠はありませんが、そのくらいしか理由が考えられません。

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2018.11.27

サエキけんぞうのコアトーク87 『YMO40周年“1978”』

Th_img_3164 25日、三つ目の音楽イベント。こちらもすごかった。面白すぎました。
 短歌の師匠であり、YMOマニア、細野晴臣さんとも昵懇の仲である笹公人さんから誘われての参戦。うむ、これはたしかに参戦という感じでした。参加というにはある意味激しすぎる(笑)。
 正直、戦場の兵士としては私はあまりに弱すぎました。そう、まさに「コアトーク」ですよ。登壇者はもちろん、客席の兵(つわもの)たちの静かな「熱」にすっかり気圧されてしまいました。
 ちょうど職場のはっぴいえんどマニアの先生に、細野さんってどうしてあんなに豹変できたのかな、なんていう、ある意味シロウトな質問をしていたところでしたので、今回の「1978年」を時系列的に考証する企画は実にタイムリーでありました。
 そこまでマニアでないワタクシにとっても、ああして秘蔵音源を含めて実際に音を聴くことによって、当時の流れというか、豹変が単なる豹変ではないことがよ〜く分かりました。
 さらにそこ(1978年の現場)に居合わせた方々、松武秀樹さん、鮎川誠さん、サエキけんぞうさん、吉村栄一さん、篠原章さんの、彼らしか知らない体験的証言が加わるわけですから、それはもう「熱い」!
 そしてワタクシ的には、笹師匠のほのぼのオカルトトークが、実はとってもYMOの真相、深層に迫っているな感じました。なにしろ、細野さんや坂本さん、そして川添象郎さんらは、リアル宇宙人仲小路彰の薫陶を受けているのですから(無意識的かもしれませんが)。
 この前の「宇宙人を囲む会」ではありませんが、当時の当事者たちは20台後半から30台前半が多かったと思います。その世代って世の中や自分を変革する力、それはおそらくある種の無鉄砲さと可塑性だと思うのですが、そういう力を持っているのですね。
 そこで何かを変革できた人々は、その後も世の中に影響を与え続けているように思います。そのへんが、私のような凡宇宙人と、天才宇宙人の違いかななどと思ったのでありました。
 それにしても、25日は濃かったなあ。百姓フォーク・ロックからバロック・オペラ、そしてテクノ。音楽は素晴らしいし、古今東西の天才宇宙人の遺してくれた作品に触れることができる、この時代にも感謝であります。
 あっそうか、「角石」と「YMO」、完全に同じ時代なんだ!正反対のベクトルだ。すげー!ww

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2018.11.26

モンテヴェルディ 『ウリッセの帰還』 (寺神戸亮指揮・ヴァイオリン/小野寺修二演出)

Th_img_3158 25日二つ目の音楽イベントは、これもまた自分の音楽人生において重要なポジションにある「古楽」関係。
 中でも二つの音楽祭は私という存在の骨組みを構成していると言ってもいい。そして、その二つの音楽祭がある意味今年統合されつつあります。
 このモンテヴェルディのウリッセの帰還の公演は、北とぴあ国際音楽祭の最大の見世物であります。見世物というのは決して蔑称ではなく、本来的な意味であることはお分かりでしょう。
 初期バロックの巨匠、天才であるモンテヴェルディのオペラが、現代においてどのように表現されるのか、それが大きな見ものなのです。
 指揮とヴァイオリンは寺神戸亮さん。寺神戸さんとは二週間前にお会いして3時間ほどお話させていただきました(こちら参照)。あの頃、稽古も佳境に入っていたと思います。大変だとおっしゃっていました。それはそうでしょう。今日それを実感しました。4時間に及ぼうかという大作。
 なんでもオーケストレーション、楽器の配分なども寺神戸さんが担当したと言いますから、それだけでも気の遠くなる難行です。なにしろ、あの充実しすぎた通奏低音軍団です。その効果的な使いわけも実に考えられたものでした。
 そして、演出は演劇畑の小野寺修二さん。いろいろな面で新しい挑戦がありましたから、稽古も実に大変でしたことでしょう。
 さて、その稽古の成果はというと…いや、本当に驚きと言ってもいいほど、モンテヴェルディが現代に生き生きと甦ったという感じでした。やられた!…いろいろな人たちの「創造力」にしてやられました。
 人間ってすごい。音楽ってすごい。演劇ってすごい。心が打ち震えました。
Th_img_3157 35年以上関わってきた古楽の世界。いろいろな意味でここまで来たかという感慨がありました。北とぴあとの因縁も浅からぬものがあります。この音楽祭草創期を支えた音楽仲間の谷田部格さんのことも自然と思い出されました。エントランスに入った瞬間、ああここで演奏したなあ、あの頃は若かった…なんて、思わず独り言を言ってしまいました。
 谷田部さんから寺神戸さんまで、本当にいろいろな方々に感謝です。ご恩返しのためにできることを頑張らせていただきます。

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2018.11.25

角石『若き百姓よ/休耕田に立つ百姓』…40年目の奇跡!

Th_img_3156
 あて、昨日も濃かったけれど、今日はもっと濃いっすよ。ですので、これから三日に分けて書きます。
 簡単に言うと、午後に音楽関係のイベントが三つあったんです。そのどれもが自分の人生を象徴するようなイベントでした。
 まずはじめは、40年近く前、たまたま買ったシングルレコード。当時一部で評判になった、百姓ロック・バンド「角石(かどいし)」。
 そのリーダーの阿部養助さんに初めてお会いし、レコードにサインをもらいました!
 ずいぶん前にも一度書いたのですが、実は養助さん、ウチの家内の生まれ育ったところの人でして、義父の同級生だったのです。
 これは本当にビックリしました。土方巽の件もめちゃくちゃびっくりしたけれど、これまたあまりにピンポイントすぎます。
 家内の故郷は正直秋田の中でもかなりの山間地で、都会育ちの私など、初めて(嫁にもらいに)行った時、日本にこんな所があったのか、本当にこんな峠を三つも越えなければならない所に人が住んでるのか(失礼)と思ったほどの過疎地域。実は土方巽と細江英公が「鎌鼬」の舞台に選んだ日本最奥の地(と思った所)は、まだ「都会」で、そこからまた一つ峠を越えてようやく家内のふるさとに着くのです。
 私もまさか「角石」の故郷の人と結婚するとは思っていませんでしたから、本当にびっくりです。なにしろ3軒隣なんですから!
 10年ほど前に一度電話でお話をしました。そして、大量に楽譜を送ってくださりまして、いつか共演しよう!という話にはなっていたんです。しかし、今や町議会議員も務めておられる養助さんは大変お忙しく、なかなかお会いする機会がありませんでした。
Th_img_3155 それが今回、東京で首都圏羽後町会が開かれるということで、それに参加する家内にくっついて顔を出したところ、養助さんがいらしたわけです。それで、さっそく突撃して、サインをしてもらいました。
 なんでも、御本人も見本盤しか持っていないということで、本当にびっくりしておられました。ほぼ40年の歳月をかけて、私の夢が実現したとも言えます。まったく不思議ですねえ。そして楽しいですねえ。
 というわけで、また今度は秋田でお目にかかり、おいしいお酒を飲みながら音楽談義に花を咲かせたいと思います。そう、今や養助さんは津軽三味線の名手として活躍されているんです。
 おっとYouTubeにあるではないですか!ぜひお聴きください。テレビ番組もある!こうして幻の名曲を共有できる時代になったんですね。


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2018.11.24

宇宙人を囲む会(今どきの若者はすごい!)

Th_img_3148 日は駒場祭が終わってから下北沢へ移動。夜は初めて会う若者たちと楽しい飲み会でした。
 いちおう名目は「宇宙人を囲む会」(笑)。
 宇宙人とはすなわちワタクシであります。自称宇宙人の謎のおじさんに会うために、全国から若者たちがわざわざ集まってきてくれた(遠くはフランス、福岡、山形から…)。
 いや、実は最近、二十代後半から三十代前半の人たちとの交流が多い。多いというか、楽しいので、ついそういう機会が増えてしまうのです。
 今日はこちらで対談もした、プロ無職のるってぃさんが企画してくれました。
 何が楽しいかって、彼らの価値観、ライフスタイルが、宇宙人標準に近いんですよ。
 そう、おじさん世代で言うと、同郷(同星)の高城剛さんがちゃんとそういう生き方を実践してくれています。
 彼らに共通する要素はいろいろあります。
 ミニマリストであること、フットワークが軽すぎるほど軽いこと。お金や名誉に対する執着がない…というか、近代地球人とは違うこだわり方をしている。利他的である。だからシェアするのが当たり前。発信力がある。巷の情報に惑わされない。コミニュケーション力がある。さまざまな部分で壁を簡単に越える。もともとボーダーレスなのかもしれない。自我がない。悟っている。
 これらを一言でまとめるなら、「シェエリング」ということになるかもしれません。家や財産をシェアするのはもちろん、才能もシェアしあう。それはアウトソーシングという形で表れます。
 今日も若者たちに話しましたが、元祖プロ無職、シェアリングのプロ、アウトソーシングのプロはお釈迦様なんです。だから、本当に彼らは悟り世代なのかもしれない。
 いや、無欲ではないから、さとり世代とは違うな。ゆとりとさとりの間(なとり?)でしょうか。非常に面白い、これからの世界を変えていく力を持った世代だと思います。落合陽一さんなんかもその世代の代表格でしょう。軽く既成概念を超越していく。
Th_img_3149_2 今日もそんな彼らからたくさん学びました。お互い学びがあるんですよね。おまけで宇宙から降ろされたあの未来医療CS60も体験してもらいました。みんな感性豊かだし純粋だから効く効く。大笑いしながらみんなで楽しみました。
 軽やかでしなやかな若者たち。私も負けないようにがんばります。しかし、やはり基本は彼らにシェアリング、アウトソーシングしていきますよ。あとは彼らをやる気にさせることが宇宙人の仕事でしょうか。
 ちなみにそういう世代の方々との「宇宙人を囲む会」、いつでもどこでも開催します。もういくつか全く違うコミュニティーの若者たちと開催する予定があります。もし関心をお持ちになった方がおられましたら連絡ください!

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2018.11.23

駒場祭にて(運命のベース)

Th_img_3137 際には24日の出来事ですが、3連休密度高くいろいろなことがあったので、この日の記事に書いておきます。
 24日は東大の駒場祭に行ってきました。娘がいくつかのバンドでベースを弾くからです。
 とは言っても、ウチの娘、東大生じゃありませんよ(笑)。東大の音楽サークルPOMPに入っているからです。
 もともとPOMPに入れと言ったのは、実は父親であるワタクシであります。自分の夢を娘に押し付けた(笑)。
 まあ、娘も大変楽しそうですし、ついでにライバル音楽サークルである「音感」にも誘われて、そちらでもステージに立っておりました。
 それぞれなかなか良い演奏だったわけですが、ごく個人的に感慨深かったシーンがありました。
 EGO-WRAPPINバンド。当初、娘は普通のエレキベースを演奏する予定でした。しかし、その練習音源を聞かせてもらって、あっこれは違うと思ったのです。これはアコースティックで弾かないと、エゴの雰囲気が出ないと。
Th__20181127_121400 そうだ!ウチにあるではないか。私の秘蔵の楽器が。そう、まさに秘蔵で、最近全然弾いてなかった。
 これです。ヤイリのアコースティック・ベース・ギター。そう、この13年前の記事に書いてあるジャズ・トリオ、実はその後道の駅でライヴをやったんです。その時、なんとワタクシがEGO-WRAPPINのあの「色彩のブルース」を弾いたんですよ。
 それをですね、まさか実の娘がこうしてこのベースで同じ曲を(私よりずっと上手に)演奏し、それを私が聴く日が来ようとは、まったく夢にも思いませんでした。
 結果として、胴鳴りの豊かなまろやかな音色がぴったりで、いかにもEGO-WRAPPINらしい空気が出ていたと思います。
Th_010224 この写真は、18年前のものです。娘がこのベースを初めて弾いた日です。まったく面白いですね、運命というのは。考えてみると、このベース、吉祥寺で買ったんだよな。今、娘は吉祥寺に住んでいるわけで、このベースは二十数年ぶりに吉祥寺に帰ってきたとも言えます。
 ベースを弾けなんて一度も言ったことありませんでしたが、いつのまにかプロのベーシストを目指すようになった娘。このベースはそんな運命を知っていたのかもしれません。
 娘も私に似てかどうかわかりませんが、相対音感はまあまあよく(絶対音感はない)、フレットレスを上手に弾きこなしています。ちなみにあの絶対リズム感は母親譲りで、私はとてもかないません。いいとこ取りしやがったな(笑)。
 というわけで、個人的になんとも感慨深いライブでありました。

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2018.11.22

御札(ふだ)とお札(さつ)

Th_149dd5 都の旅でも両方に出会いました。というか、お札で御札を買ってる人をたくさん見かけました(笑)。
 と書いてみて、なるほど「御札」は「おふだ」、「お札」は「おさつ」ですね。
 「札」という漢字はもともと単に「木片」を表す字です。すなわち「さつ」は木片ということです。
 木片にはよく字が書かれます。紙がない時代は木片に書きました。木簡とか。
 で、文字を書いたので、「文板(ふみいた)」と言われ、それがなまって「ふだ」となりました。
 大昔は文字も神聖なものでしたから、文字の書かれた木片、すなわち「ふだ」も神聖なものとされました。それが「御札」となって現代でも神聖なものとして扱われているわけです。
 「お札」の方はどうでしょう。今では「紙幣」のことを「さつ」と言いますが、最も古くは「手紙」や「書状」のことを「さつ」と言いました。
 兌換紙幣が登場するのは江戸時代でしょうか。金札とか銀札とか米札とか。その頃から「さつ」が「紙幣」を表すようになったようです。
 その頃にはすでに貨幣経済が一般化し、庶民にとっても「おカネ」は重要なものとなっていました。ある意味神仏よりもありがたいものになってきたんですね。
 そういう意味では、「御札」よりも「お札」がありだかい時代になったとも言える。皆さんはどうですか。「御札」と「お札」、どっちがほしいですか(笑)。
 最初に書いたように、「お札」で「御札」を買うわけですから、そこでは「御札」の方が「お札」よりも価値が高いということになりますよね。
 しかし、それは神社仏閣という非日常空間の話であって、日常的には「御札」よりも「お札」をもらった方が嬉しいでしょう。「御札」の束より「札束」の方がいい!?
 つまり、よく言われるようにですね、おカネ(マネー)が現代の神になったのです。紙が神になるのは、「御札」の時代からあったけれども、現代では仮想通貨のように紙すらない。
 データが神になったというのは、実は昔に戻ったとも言える。そう、もともと神は実体のないモノだったのです。神像ができたのは仏像の影響です。
 ちなみに「マネー」の語源は「モンスター」の語源と重なり、それは「モノノケ」の「モノ」とも重なってきます。面白いですね。
 「マネー」という「モノ(霊)」が世界に広がり、ある意味一神教による征服が完成しつつあります。そうなった時、王仁三郎が喝破した「一神即多神即汎神」が実現するのかもしれません。
 「御札」も「お札」もなくなる日。それが「みろくの世」が到来する日なのかもしれませんね。そういう予感がします。
 そうそう、ちょっと違う視点ではありますが、「御札」と「お札」についてホリエモンがいいこと言ってます。ぜひお読みください

堀江貴文さんが語る「みんな『お金』のことを勘違いしていないか?」

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2018.11.21

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その7)』

 リーズ最後。なるほど、「遣隋使」「遣唐使」と対等に「遣日使」を想定すべきか。たしかに鑑真はなぜ命懸けで日本に来たのか。なぜ帰化人がこんなに多いのか。渡来人ではなく帰化人ですよ。
 学校の歴史学習においては、とにかく日本は中国から学んだと教わります。しかし冷静に見れば、その逆もあったはず。
 そう言えば、今、百田尚樹さんの「日本国紀」が大変な騒ぎを巻き起こしていますね。読まなくてもだいたい内容が予想される、すなわち、保守派の語る歴史というのはパターン化していて、私もそれをいやというほど読んできたのです。
 それを一つまとめたことに関しては、まあ百田さんの一つの功績だと思いますよ。また、ぜったいに毀誉褒貶があることは予想されたわけですから、さすが幻冬舎さんの商売はうまいということでしょう。
 まあ歴史というのは元来解釈する立場によってその景色が違うのは当たり前です。なにしろ、その時代時代にも、ほとんど無限の多様性を持つ人々が生きていたわけですから。
 それを十把一絡げにして「正解」を得ようというのですから、それは全て「でっちあげ」「捏造」「パクリ」になりますよ。ですから、議論することは意味ありと言えども、それによって勝敗を決しようとするのは、それこそ戦争の歴史に学ばないバカということになるでしょう。
 

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2018.11.20

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その6)』

 日は京都花園にて仕事を終えたあと、ゆっくり太秦まで「太子道」を歩きました。ちょうどこの動画の内容とリンクしますね。偶然にしてはよくできすぎている。
 途中蚕の社の三柱鳥居を見たりしながら、太子と秦氏に思いを馳せ、キリスト教ネストリウス派のこともふと思い浮かべられました。そして最後は、中学校の修学旅行以来、すなわち40年ぶりに廣隆寺を参拝しました。
 言うまでもなく、聖徳太子ゆかりの寺。弥勒菩薩、半跏思惟像のあるお寺です。中宮寺の弥勒菩薩さまにはここのところ毎年お会いしていましたが、こちらはそれこそ40年ぶりでした。なんともお美しい。向かって左に少し傾いていらっしゃるのが不思議と印象に残りました。それが一つの動きのエネルギーを生んでいる。
 また隣にあった秦河勝夫妻像にもある種の霊感を覚えました。富士北麓と秦河勝との因縁は深い。深すぎます。富士山と京都、いろいろ不思議なミッシングリンクがあるのですが、そんなえにしをその場から感じた結果、旅の最後は亀岡の天恩郷となりました。そこもまた富士山や「みろく」と関係の深い整地です。
 本当に霊的に動かされた旅でした。いろいろな場所で、いろいろお祈りすること、お誓いすることがたくさんあり、もちろん本来の仕事の上でも学ぶことの多い旅でしたが、それ以上にこのタイミングで一人京都に来た意味がよく分かった気がします。ありがたや。

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2018.11.19

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その5)』

 日は京都におります。ある敬虔なカトリック信者の方と、某神道系教団本部と禅宗のお寺を訪問しました。
 今、彼はキリスト教に少しばかり疑問を感じ始めているようでした。逆に、今日行った宗教施設では期せずして、キリスト教をも呑み込んだ、まさに「宗際化」を目指す話で大いに盛り上がりました。
 そうした宗際化ということでいえば、聖徳太子はそのパイオニアであり、ある意味最大の巨人であったともいえます。
 この動画の中でも語られているとおり、多神・汎神は一神を容易に併呑することができます。かの出口王仁三郎は「多神=汎神=一神」と喝破しました。
 そう考えると、これからの世の中、日本が世界に及ぼす影響、日本の果たすべき役割は大きそうですね。

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2018.11.18

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その4)』

 詩に恋愛ネタがない、和歌は恋愛ばっかり…というのは確かにそう(笑)。
 ふむ、仏教が恋愛の感性を磨いたと。それはあるかもしれませんね。無常観。たしかに恋愛は、ワタクシの言うところの「モノのあはれ」(不随意へのため息)の代表ですな。思い通りにならない。
 神社(神棚)が「場」や自然、お寺(仏壇)が「人間(個人)」を祀るというのも面白い。それが両方ある、今の私たちの信仰の形は、たしかに聖徳太子が作ったと言えます。
 やはり、神道(という言葉さえありませんでしたが)が仏教を包み込んでいるのが、日本の特徴でありましょう。私は仏教は最強の思想だと思っていますし、お釈迦様は宇宙人だと思っていますが(笑)、それを意識せずとも、すでに日本は自然の中にあって無我、空、縁起を体現していたのでしょう。その姿勢こそが「あはれ」=「諦念」であったのです。

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2018.11.17

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その3)』

 小路彰が聖徳太子を敬愛する理由は、その「融合性」にあります。ここで語られている神道と仏教の融合も、たしかに非常に高い次元での融合を実現しています。
 ただここでは、集団と個という対比をしていますが、私からすると仏教も無我や空、縁起ということからすると非常に集団的な宗教というか思想だと思いますがね。
 まあたしかに、自己を見つめるところから、最終的に自己から離れるという意味では、個人宗教とも言えるかもしれません。
 田中先生も少し言っているとおり、日本が外来のもの、たとえば仏教をスムーズに取り入れたのは、もともと仏教的な思想というか生き方が普通にあったからだと思います。
 それが裏を返せば、外来勢力に制服されなかった理由。つまり、最新技術や最新哲学を持って「おらおら!」とやってきた人たちが、日本人を見て、「あらら、こっちの方が進んでた」と思ったから、自ら帰化したりして日本人になり、日本語をしゃべっていたわけでしょう。普通逆ですよ。
 奈良や京の都の人口の7割が帰化人(渡来人)だった、特に政治、文化の中心は…という説があります。もしそうだとしたら、絶対に日本語は駆逐されたはずですよ。世界史を見るかぎり。

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2018.11.16

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その2)』

 中先生は「和」を「やはらぎ」と訓んでいます。仲小路彰は「にぎ」と訓んでいます。どちらが正しいかは難しいところですが、少なくとも「ワ」と読んでいた可能性は低い。和語で訓読したはずです。
 日本には文字がなかった。それは劣っていたという意味ではなく、逆に文字という情報次元を超えた高度な科学を持っていたというのにも納得します。
 少し話がそれるようですが、最近音楽の世界がレコードやCDからダウンロードへ、そしてしまいにはストリームへと変化してきているじゃないですか。アナログにせよデジタルにせよ、そのデータを所有するというのは文字によって情報を記録して所有するのと同じことです。それがストリームになりつつある。
 つまり所有しなくなったということです。そして、かつてのように情報というか音楽そのものが向こうからやってくるようになったということです。それはある意味古代の口承文化に戻るということです。私はそうとらえています。
 近代西洋的価値観、すなわちワタクシの言うところの「コト」文明から、かつての日本がそうであったであろう「モノ」文明に再び戻りつつあるのではないでしょうか。そんな話も年末に出る某雑誌のインタビューで語っています。どうぞお楽しみに。

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2018.11.15

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その1)』

 ょっと忙しさが続きますので、しばらく田中英道先生の動画紹介をさせていただきます。少しだけワタクシのコメントを記します。
 年末に出るある雑誌に私のインタビューが載ります。また発売日が近くなったら告知しますね。かなり面白い内容になっていると思います。肩書は「未来学研究家」となる予定。
 そこでも、聖徳太子のことをお話しました。「和」、「家」などなど、この動画での田中先生のご意見と重なるところもあります。もちろん、私の聖徳太子論は仲小路彰の受け売りですが。
 田中先生の聖徳太子論については、昨年も何回かこのブログで紹介しましたが、あらためて拝聴しますと、仲小路彰のそれにかなり近い気がします。いつか田中先生に仲小路の聖徳太子伝を読んでいただきたいものです。
 というわけで、シリーズ「日本らしさの基礎を築いた聖徳太子」第1回。どうぞ。

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2018.11.14

『自衛隊戦力と交戦権を肯定せよ』 小山常実 (自由社ブックレット)

Th_81p1kirgrdl 守派を自称する方々の劣化が激しい。もちろん劣化左翼としてのリベラルもひどい状況で、今の日本は両翼とも腐ってしまい飛翔することができなくなっています。
 なんて過激な言い方をすると、お前は何者だ!と言われますので、あらかじめことわっておきますが、私は「愛国左翼」です(笑)。
 ま、それも半分冗談、半分本気。つまり両翼を止揚したところに私はいたいのです。出口王仁三郎や仲小路彰、頭山満などに学んでいる者としては当然です。彼らからするととっくに周回遅れですが、それでもジタバタしていきたい。
 さて、劣化保守の中で、地味に燦然と?輝いているのが、これまた地元山梨の郡内地方で地味に輝いている大月短期大学の名誉教授手ある小山常実さん。ブレない筋金入りの保守派です。
 この本も実に論理がすっきりしており、賛成するかどうか別として、大いに納得する内容となっています。
 自民党の改憲案や安倍総理の自衛隊観でさえイマイチ、イマニ、イマサンなのだから、その他は推して知るべし…なんて言っている矢先に私の上空を自衛隊機が低空飛行していきました。
 ここ富士山麓を低空で飛ぶのは自衛隊機か米軍機。高空には旅客機が飛びます。富士山があるおかげで、軍用機、民間機ともに特別待遇されています。日本の上空はアメリカのものですからね。
 ちなみにこの本の目次を次のようになっています。面白そうでしょう。

第一章 自衛戦力と交戦権を持たない国
 一 自衛隊員の捕虜資格
 二 交戦権を持たない国の戦闘自体ーミニ国家にも勝てない
 三 交戦権を持たない国の補給戦ー敗北は最初から決まっている
 四 その他の交戦権否認の不都合
 五 第九条第二項は属国化を招来した

第二章 自衛戦力と交戦権を肯定せよ
 六 正しい第九条解釈をー自衛戦力と交戦権を肯定せよ
 七 「日本国憲法」は憲法として無効である
 八 「日本国憲法」改正では自衛戦力と交戦権は取り戻せない
 九 「日本国憲法」に正しい名前を与えよう

 この本こそ、左派やなんとなくリベラルの方々、そしてなんちゃって保守(&なっちゃんて保守?)の方々に読んでもらいたいですね。そして、まじめに反論、あるいは賛成するために真剣に勉強してほしいですね。
 もちろん私もなんちゃって「愛国左翼」なので、もっと勉強が必要です。たしかに戦争が嫌いでもなんでも、学校で「戦時国際法」についてちゃんと教えられるようにならなくちゃなあ。現実を知った上で、未来のことを考えなければ。
 それにしても、今日は上空がにぎやかだなあ。何かあったんでしょうか。

Amazon 自衛戦力と交戦権を肯定せよ

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2018.11.13

言語道断とは

Th_7a8cef25b46f69b394b2ca6caac3e5e7 「ランプ大統領のやることは言語道断なことばかり」…政権内の高官がこんな告発文を出したとか。
 まあ普通に考えて、ここでの言語道断とは「かなりひどい」という意味でしょう。表現できないくらいひどいと。
 一般的に四字熟語としての「言語道断」は、たしかにそういう意味です。
 しかし、仏教語としての、すなわちオリジナルな意味は正反対なのでした。

「仏法の深遠な真理は言葉で説明できない」

 これが本来の意味です。禅が言葉を排除するのはこの原理によるもの。
 日蓮も「言語道断の経王、心行所滅の妙法也」と言っています。法華経は素晴らしいと。ブッダのお悟りは言葉にできないどころか、我々人間の心さえも及ばないのです。
 言語道断の「言語」は、まあ普通に「言葉」でいいと思います。あるは「言う」「語る」という行為。
 「道」は、これはroadやwayではなく、報道の「道」、唱道の「道」ですね。漢文でも「道ふ」は「いふ」と訓読します。
 言語断とも言います。つまり、「言語」も「道」も同じ意味なんですね。それら全てが「断」たれるとということです。言葉を受け付けない。言葉で説明できるようなものではない。説明しようとしてはいけない。説明できたら偽物。
 仏教の教えというのは、常にそういう矛盾を抱えています。なにしろ、たとえば「法華経」という言語で書かれたものが言語道断なんですから(笑)。
 座禅も言語道断を体験するためのものです。しゃべっていはいけないし、考えてもいけない。徹底的に言語を追い出すのです。
 ということは…もしかして、トランプさんの行いは深遠すぎて言葉で説明できないのかも?
 だから、我々凡夫には理解できないんですね(笑)。


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2018.11.12

Rei 『2017 Eurockéennes(full concert)』

Th_drtn3lzu8aakqig 日のNHK-FM『今日は一日“クイーン”三昧』が面白かった。錚々たるゲストの方々のトークも最高でしたが、個人的には武田アナとReiさんのギタープレイにしびれました(!)。
 特にReiさんという才能に触れることができたのはラッキーでした。ごめんなさい、勉強不足で存じ上げなかった。
 この前も、なんちゃってベーシストである長女と「うまい女子のギタリストがいない」という話をしていたのですが、実は歴史的に見てもなかなかいない。特にロックギタリスト。
 個人的にはマイケル・ジャクソンのギタリストとして有名なJennifer Battenなんか、男勝りでカッコいいと思いますが。あと、やっぱりJoan Jettかなあ。
 そんな中、こんなカワイイ(ちっちゃい)日本人でこんなに上手いギタリストがいたとは!ブルーズのセンス最高。歌もうまいし。
 で、動画を見ていたら、去年のフランスの音楽フェスでのライヴがあったので鑑賞。ドラムスと二人だけでこれだけの迫力を出すんですから、只者ではない。驚きました。

 先ほど挙げた海外の女流ギタリストなんか男勝りですが、日本人の女性って向こうからするととってもネオテニーに見える。それとロックがまたギャップでいいらしいですね。
 ウチの娘もチビで子供っぽいのでウケてるようです(笑)。まあ、学生バンドの中の話ですがね。まだまだ実力も足りないし、音楽や楽器に対する愛情も全然足りないので、ちょっと叱ったところです。
 どうせやるなら、Reiさんに一歩でも近づけるよう真剣に取り組んでほしい!一度Reiさんのライヴに行かせます。

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2018.11.11

告知! 11/25 『ウリッセの帰還(モンテヴェルディ)』

 昨日はモーツァルト、昨日はお能、そして今日はバロックオペラ。それぞれの超一流の方々とお会いし懇談する歓び。本当にありがたいですね。
 楽器を始めてそろそろ40年。大きな何かが実を結びそうな予感がします!
 今日は、バロック・ヴァイオリン奏者としても、また指揮者としても世界的に大活躍しておられる寺神戸亮さんにお会いしました。何度かご挨拶することは今までもありましたが、こうしてじっくり3時間近くお話する機会をいただけるとは。間に入ってくれた友人に感謝です。
 お話してみると、実はいろいろと共有することがありまして、いろいろと話がはずみました。
 考えてみると不思議ですよね。北とぴあ国際音楽祭の最初期の頃、祝祭管弦楽団でヴァイオリン、ヴィオラ、ヴィオリーノ・ピッコロ、ヴィオラ・ダモーレを弾いていた私。その楽団が現在寺神戸さんが指揮しヴァイオリンを弾いている「レ・ボレアード」に発展進化したわけですし、寺神戸さんはこの音楽祭で、昨日私がお会いした野村四郎先生と「オルフェオ」で共演されているのですから。
 そのお二人とこうして続けてお会いできるなんて。全く不思議なご縁であります。和洋両刀をそれなりに磨いてきてよかった(笑)。
 今、寺神戸さんは北とぴあ国際音楽祭での公演「ウリッセの帰還」へ向けて稽古中。これがまた実に面白そうです。寺神戸さんは現代音楽にも造詣が深く、また、邦楽とのコラボにも積極的。今は浄瑠璃とバロックオペラを結びつけようとしているようです。
 今回の演出家は演劇の世界では超有名な小野寺修二さん。今年もまた、面白い化学反応が起きそうですね。もちろん私も聴きにうかがいます。皆様もぜひどうぞ!
 とにかくモンテヴェルディは楽しいとのこと。天才ですからねえ。私も楽しみにしています。

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2018.11.10

告知! 12/24 『独立披露 田口亮二 渡邉瑞子』

Th_img_2935 日のモーツァルトのオペラから、今度は日本のオペラ(歌劇)である能へ。
 今日は下の娘の初舞台。この春から人間国宝野村四郎先生に弟子入りし、半年を経過して初舞台となりました。
 ずいぶんと贅沢なもので、初舞台がGINZA SIXにある観世能楽堂ですからね。それも人間国宝の先生に地謡で歌ってもらいながら舞うわけですから。洋楽の世界では考えられませんね。
 こちらは勝手にドキドキしましたが、本人はなかなか堂々と舞っておりました。まあ合格点でしょう。苦難の道の入り口に立ったということですね。頑張ってもらいましょう。
 さて、娘の入門にあたり、大変お世話になったのが、教え子でもある渡邉瑞子さんと、彼女の同志であり私も懇意にさせていただいている田口亮二くんです。
 彼らはまさにその苦難の道をひたすらに歩んでいる若手なわけですが、このたびいよいよ独立することになりました。その披露の舞台がクリスマスイブにあります。
 本人たちの「覚悟」の熱演に、野村四郎先生や野村萬斎さんらが華を添えてくれます。私たち家族は大変楽しみにしております。ぜひ皆様も足をお運びくださいませ。素晴らしい舞台になるに違いありません。

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2018.11.09

『ドン・ジョバンニの夕べ』 (河口湖円形ホール)

Th__20181112_90746 に楽しい夕べでした。
 知り合いが企画したこのコンサート。素晴らしい音楽家の方々との交流も含めて充実の時間。
 なるほど、こういう小さな「オペラ」というのも、ある意味気楽に楽しめていいですね。
 前半のドン・ジョバンニの抜粋版、それぞれの歌手の方々の実力はもちろん、ピアノ伴奏も的確で、またあの地獄の門を足踏み発電によるLEDで表現するという、実に現代的かつユーモアに溢れた演出で面白かった。こういう形での入門編というのは、とても重要です。足踏みには聴衆も参加。参加型オペラというのは新しい!
 後半のピアノ曲演奏がまた良かった。原佳大さんは、日本人では初めてモーツァルトのピアノ・ソロ作品全曲演奏をされた方です。
 演奏されたのは、ピアノソナタ イ短調 KV 310、幻想曲ハ短調 KV 475、ピアノソナタ ハ短調 KV 457。全て短調というプログラムは珍しい。すなわち「死」がテーマになっている。
 モーツァルトというと、どうしても明るいイメージがありますが、よく言われるようにだからこそ短調の曲に名曲が多いんですよね。それをこうして並べて聴く機会というのはそうそうない。
 田舎のベーゼンドルファーが、演奏者によって次第に鳴るようになっていくのが、よく分かりました。原さんとも話しましたが、ベーゼンドルファーはスタインウェイなどとは違い、しっかり胴体を鳴らします。そういう意味では、フォルテピアノの系統とも言えるんですよね。
 だんだん胴体が振動し始めて、香り立つような響きが生まれた瞬間には感動しました。あまりメインテナンスされてないからこその瞬間(苦笑)。
 終演後はワインをたらふくいただきながらの懇親会。先日知り合った作曲家の権代敦彦さんも交えて、実に楽しい対話の時間でした。ああ、酔っ払った(笑)。モーツァルトとワインに酔いしれた「夕べ」でありました。ありがとうございました。


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2018.11.08

『バカとつき合うな』 堀江貴文・西野亮廣 (徳間書店)

Th_51e7j5rqhel 常に面白かったし、勉強になった本。皆さんに読んでもらいたい。
 「バカ」という言葉は一見キツいようですが、読めばなるほどと思えます。「バカ」…本当の自由を奪うもの、邪魔するもの。うん、私も「バカ」とつきあいたくない。
 しかし、しかし!この本では、まさに「バカ」の代表として、「学校」がやり玉にに上がっております。学校にバカが集まるというのもありますが、学校というシステムそのもの、戦後の日本の教育こそが「バカ」であると。
 まったくそのとおりです。最近のワタクシはそこに毎日悩んでいるのであります!バカの巣窟でバカを代表するような立場にあるのですから(笑えねえ)。
 学校関係者(もちろん自分も含む)に対して大変失礼な結果になってしまいますが、私はホリエモンやキンコン西野の考え方に基本賛成です。
 いや、それは彼らのような、一部の現代的「天才」だから、そんなふうに言えるのだという、まあかなり想定内な反論もあると思いますよ。しかし、彼らが巻末で「自分もバカだ」と言っているように(それもあんただらか言えるのでは?という批判もあるでしょうが)、残念だけれども実際に学校は自由を奪うことを仕事としているようなバカな装置ですし、先生も生徒もそれの言いなりになっているバカがほとんどです。
 私ももちろんバカであり、またバカを育てる仕事をちゃんとしているわけですが、ただ、それに強い違和感を覚えていることだけはたしかです。
 現場では言われますよ。そういう人たちとのつきあいが多いから洗脳されてんじゃないの?って(笑)。
 しかし、意外に冷静に今の仕事をこなしている部分もあるし、守旧派、保守派と戦うだけでなく、ちゃんと協調してやっているところもあるし、それどころか、自分こそが守るべきものを守ろうとしているとも言える。
 特に我が校は禅宗の教えに基づく学校ですので、基本「型」を変えないことを良しとしてきました。変わらないことの重要性もたしかにあるし、よく理解しているつもりです。
 しかし、それでもやっぱりそろそろ変えなくてはならないなと感じています。バカでいつづけることが、どうも本能的に辛くなってきた。
 しかし、凡人である自分にはたして何ができるのか。今の仕事を通じて、何をどう変えていけばいいのか。それはまだ分かりきっていないというのが実情です。けっこう辛い。
 自分のためにも、また生徒たちのためにも、あえてこの本の目次を書き写しておきます。はたしてこのうちのいくつのバカに当てはまるのか。

01バカばっかりの環境に居続けるバカ
02人と同じことをやりたがるバカ
03学校を盲信するバカ
04目的とアプローチがずれているバカ
05我慢を美徳にしたがるバカ
06未熟なのに勘に頼るバカ
07欲望する力を失っているバカ
08「自分の常識」を平気で振りかざすバカ
09機会の代わりを進んでやるバカ
10付き合いを強要するバカ
11ひとつの仕事で一生やっていこうとするバカ
12先に設計図を描きすぎるバカ
13にわかを否定するバカ
14人生の配分ができないバカ
15新しさばかり追求するバカ
16無自覚に人の時間を奪うバカ
17善意なら何でもありのバカ
18マナーを重んじて消耗するバカ
19自分は老害にはならないと思っているバカ
20孤独を怖がるバカ
21一貫性にこだわるバカ
22未来に縛られるバカ
23空気を読むバカ
24バカを笑って、自分は棚上げのバカ

 ふむ、実に面白い。けっこう当てはまるぞ。
 あっちなみに、「先に設計図を描きすぎるバカ」や「未来に縛られるバカ」というのは、一見ワタクシの「時間は未来から…」哲学に反するようですが、よく読むと同じことを言っていることが分かりますよ。どういうことかは、ぜひ本書を購入してお読みください。
 さて、明日もバカな自分との戦いは続きます。諦めず戦い続けましょう。

Amazon バカとつき合うな

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2018.11.07

バッハ『無伴奏チェロ組曲6番』(ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラによる)

Th__20181108_105420 またま今度日曜日にこの楽器の世界的な奏者にお会いします。ヴァイオリン弾きの夢を実現してくれた楽器ですね。
 チェロではありますが、チェロ弾きは弾きこなすのが大変。それはそうでしょうね。
 私も一度弾いたことがあります。こちらでその勇姿?を御覧ください。
 いや、実際思っていたよりうまく弾けなかったんですよね。あれからもう8年経ちますが、まだこの楽器は持っていません。そろそろ、と思っています。
 お金がありませんから、安物の1/10チェロを買って改造する計画です。さらにこの前ヴァイオリンで成功したのをいいことに、5弦に改造します。それで弾きたいのが、このバッハの無伴奏チェロ組曲の6番。
 無伴奏チェロ組曲5番書いたとおり、この6番は5弦チェロのために書かれています。
 さらに、その運指を詳細に見ていくと、どうも普通のチェロの大きさでは演奏が難しいところがある。これは肩掛けチェロのために書かれたのではないか…ということが最近言われるようになりました。
 少なくとも、バッハ自身は5弦のヴィオラを弾きながらこの曲を作曲したというのが、ワタクシの説であります。今度、お会いする大家にも聞いてみます。
 というわけで、ここのところ続けざまに紹介している、オランダバッハ協会の動画。この6番がまたいいですよ。いやあ、いい演奏だ。インタビューも興味深い。
 


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2018.11.06

島津亜矢 『SINGER』シリーズ

Th__20181107_115020 日のNHK「うたコン」は良かったなあ。すごかった。「夢コラボ続々!うたコン文化祭'18」。
 まあいろいろ面白かったけれど、やっぱり三山ひろしと山内惠介の三波春夫長編歌謡浪曲が圧巻でしたかね。素晴らしい。
 いつも書いているように、最近の歌謡界は(特に歌唱力に関して)男高女低です。今日も全体では「白組」の圧勝でした(個人的には布施明さんが復調していて安心しました)。
 そんな中、紅組で唯一感激したのが、三山&山内のあとに登場した島津亜矢さんでした(共演したBeverlyさんも頑張ってましたが、なにしろね)。
 MISIAのEverythingを歌ったのですが、まあ上手いこと…。
 そう、最近の島津さんはポップスやジャズ、そして洋楽など、いわば非演歌を歌うことが多い。
 いや、私は今までもそれがいいんじゃないかと思ってきたんですよ。なんちゃって歌手のカミさんと、ず〜っとそういう話をしてきた。演歌もいいんですが、ちょっと声質が細いんですよね、演歌には。透明すぎるとも言える。
 抜群すぎる歌唱力は誰しも認めるところ。そして、ある意味ご自身の声質に合った楽曲を歌うことで、ますますその上手さが光るようになった(もちろん、元歌との比較によって「上手い」と認識することもある)。
 先日も、昨年に続き、オペラシティで非演歌のコンサートやったんですよね(レポートはこちら)。行きたかったなあ。そう言えば今月山梨に来るな。行けるかな。
 実際聴いてみないと、どんなにすごいか分からないと思いますので、YouTubeのこちらのメドレーをお聴きください。非演歌CDシリーズ「SINGER」からです。
 というわけで、実は今最も注目しているボーカリストは島津亜矢さんなのでした。

島津亜矢「SINGER」公式

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2018.11.05

分裂から融合へ

超越融合!
Unknown 日は重いテーマを軽いメモ風に。
 時代は明らかに「分裂」から「融合」へと変化しつつあります。
 仲小路彰は言いました。「21世紀は太陽の時代である」と。そこには大きく二つの意味があります。
 一つは「女性性」の時代。そして、もう一つは「核融合」の時代。
 たしかに「女性」も「融合」という生命の本質を担う存在ですね。
 私は何度も書いているとおり、ワシは原発には反対の賛成なのだ!という立場を取っています。
 まさにそれを研究している私の友人たちによると、もうすぐ核融合は画期的な方法によって現実的になるそうです。「分裂」から「融合」です。期待しています。
 そして、一昨日も触れました、天皇の譲位の本質。ちょうど700年前から南北朝に「分裂」していた天皇家が、ある方法によって「融合」します。まさに象徴的ですね。
 さらに身近なところで、興味深い「分裂→融合」の動きがありました。保守分裂と言われて久しい、山梨2区を巡る自民党内の対立。そこに大きな変化が。

山梨知事選で自民推薦の長崎氏「憎み合う状況では発展ない」

 超手前味噌ですが、絶対に和解は無理だと言われていた両者を、ある象徴的場で無理やり「呉越同舟」させたのは、このワタクシです。それはまたすぐに分裂してしまいましたが、その時御本人に、そして自民党のトップに、また神様に訴えかけたことが、こうして予想以上に早く実現することになるとは。勝手に感無量です(笑)。
 私の中でも、実は「分裂→融合」がたくさん起きています。たとえば音楽とか。今までの自分内対立はなんだったのかと思うくらい、いとも簡単に融合できるようになった。なんなんでしょうね。
 これらの動きは歓迎すべきものです。今日もたくさんの「融合」を見つけて生きたいと思います。
 今日はここまで。

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2018.11.04

『前祝いの法則』 ひすいこたろう・大嶋啓介(フォレスト出版)

予祝のススメ
Th_81mk6biz35l 年に続き、忍野村で行われた大嶋啓介さんの講演会に行ってきました。ベストセラーになっているこの本の出版記念という名目の講演会。
 居酒屋てっぺんの代表であり、独特の「朝礼」や「予祝」で夢を叶えることを説く伝道師。非常に魅力的な方です。
 高校野球のチームを多く甲子園に導いたり、オリンピックチームを金メダルに導いたり、スポーツの世界でも、彼のメンタルトレーニングは評判です。生徒や選手というよりも、指導者に変化を与えることを主目的としているのも特徴ですね。
 昨年同様に会場の聴衆を巻き込んだ魅力的な講演に、私も引き込まれながらいろいろな意味で勉強をさせていただきました。
 否定的な言葉や勝手な負の思い込みによって、生徒たちの可能性に蓋をしてしまっている…教師には耳の痛い話の連続だとも言えます。
 実は先日、学校でペップトークの講演が開かれたんです。似た部分もありますよね。とにかく肯定する。良い未来を想像する。それによって脳の働きが変わり、人生も変わっていく。
 私も真の日本の教育改革を目指す者として、それらの考え方、実践のほとんどに同意、賛同します。
 しかし、あえて、あえてですが、今日講演後に打ち上げ(来年への予祝の意味合いもあり)に参加させていただいた折、大嶋さんに申し上げたことがありました。
 それは集団心理としての予祝の危険性です。たとえば、先の大戦において、特攻に出発した若者たちは「予祝」をしました。それも、家族や天皇陛下が喜んでくれる思って、心から自分の死を祝ったのです。
 もちろん、全ての若者がそうだったとは言えませんが、しかし、多くがそういう心境で出発前夜に祝杯を上げたのは事実です。
 ですから、予祝がダメとか、みんなでテンションを上げあって、各自の内的な壁を乗り越えるのがダメとか、そういうことではありません。それらをより良いものにしていくために、これからバージョンアップしていくことを願っての苦言でした(本当に不躾に失礼しました)。
 自らの夢を実現することが、場合によっては戦争を引き起こすこともあります。そういう冷静な目をもって、これからの若者たちを導いてほしいのです。
 しかし、さすがは大嶋さん、ものすごく謙虚で繊細でいらっしゃる。しっかり考えてくださりました。悩んでくださいました。さすが一流は違うなと思いました。二流の人は必ず反撃してくるか、逃げます(笑)。
 教育の現場、毎日の教室の中では、こうした「祝」的な非日常性は継続できません。それもまた教師の悩みです。特に軍国主義的な要素の色濃く残る現在の学校制度の中では、大嶋さんのやり方はなかなか浸透していかないでしょう。
 やっぱり全く新しい学校を作るべきなのかなあ…最近、いろいろな人とそんな話もしています。はたしてどなるのやら、私の未来。
 ちなみに、この本のタイトルにある「予祝」という言葉自体は近代になってから生まれたものですし、「前祝い」も江戸時代に一般化した日本語です。もちろんだからと言って、そういう習慣がなかったというわけではない。あえて言語化する必要がないほど当たり前だったというのが、私の考えです。
 もちろん私の「未来から過去へと流れる」という時間観にもつながるところがあります。私自身も独自の人生哲学をしっかりブラッシュアップしていこうと思っています。
 ありがとうございました。

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大嶋啓介公式

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2018.11.03

【討論】明治維新とは何だったのか? (チャンネル桜)

 化の日。つまり明治天長節。今年は明治維新(戊辰戦争)150年ですから、特別な文化の日であると思います。そして、平成最後の文化の日でもあります。
 そんな日にふさわしい素晴らしい討論を聴くことができました。いやあ、本当に面白かった。いろいろな角度、立場から、いろいろな解釈ができる「明治維新」。たった150年前の出来事なのに、まだまだ分からないことばかり。
 私は今年を、明治維新以来の「150年戦争」終結の年であるととらえています。それは歴史学的な意味ではなく、あくまでも霊的な意味ですが。
 また、何度か書いてきたように、そして冒頭で小堀先生も触れていますが、今年は後醍醐天皇即位から700年、すなわち、天皇家が実質的に南北に分かれてしまう、「統合の象徴」であるべき天皇、皇室が「分裂」してしまってから700年なんです。
 ほとんど誰も同調してくれませんが、宇宙人である(笑)ワタクシは、来年に迫った「譲位」をそのような視点から見ております。
 それはまた、この討論でも何度か出てきている、「国譲り」の作法に基づくものであるとも思っています。
 それから…これはタブーですけれども、明治天皇すり替え説と出口王仁三郎の関係、その父とも言われる有栖川宮熾仁親王の存在…そこまで行ってしまうと、ほとんど誰もついて来れませんね(苦笑)。
 まあ、歴史的な事実はいかなりとも、たとえばここ富士北麓地方でも報国蒼龍隊など、錦の御旗を掲げた部隊がありましたが、彼らを突き動かしたエネルギーというのは、実は非常にローカルな「物語」から発したものでした。
 この討論の一つの論点でもありますが、薩長と会津でも、それぞれの「物語」が全く違っていて噛み合うはずもなく、それが武力衝突にもなるし、今に至る微妙な分断にもつながっている。
 こんなに小さな国でも、こういう矛盾を抱えながらやってきた。縄文と弥生まで遡るかもしれない、いや、もっと古いのかもしれない。そこを「和」してきたのが日本だったはずです。そして、その「和」の象徴が天皇であったと思います。
 結果として、明治維新によって、その「天皇」の本質が変わってしまった。そここそが、この討論の基底となっている「保守」の精神をお持ちの方々にはなかなか論難できない、大きな大きな問題であると思います。
 それを本来のあり方に戻す第一歩が、今年始まっているということでしょう。天皇自らの手によって。
 そう考えると、「150年戦争」とは、天皇自らの戦いそのものであったのかもしれませんね。

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2018.11.02

BAROQUE(バンド)

Th_img_you 「本のバロック」「バロックの日本」の話の続き。
 そのまんま「BAROQUE」なのが、この日本人ヴィジュアル系バンド「BAROQUE」。
 そう、いわゆるヴィジュアル系ロックバンドというのは、ある意味日本独特な文化であり、また、歌舞伎の伝統を継ぐものと言って良い。非常に面白い存在です。
 もちろん洋楽にもヴィジュアル系のバンドはありますが、やはり、日本人男性の中性的な存在感は独特なものがあります。
 そして、実に興味深いのは、ヴィジュアル系と言われるバンドの多くが「うまい」こと。ベースをやっていて様々なバンドのコピーをしている娘も、ヴィジュアル系はすごい!と常々言っております。
 もう一方のヴィジュアル系であるアイドルとは違う。そこはなんなのかなあと思います。ある種のギャップによる効果を狙っているのか、あるいは相反する要素を両立することを狙っているのか。
 ヴィジュアル系だとうまいのか、うまいとヴィジュアル系になるのか、はたまた天は二物を与え給うたのか。
 このBAROQUE、そうした相反する二面性をしっかり持ちつつ、そのバンドの歴史もどこかバロック的(大げさな芝居のよう)であり面白い。
 今年の夏に発売された2曲のシングルも、なかなかよろしいと思います。とは言え、彼らは「傾奇者」「婆娑羅者」ファッションではありませんね。イケメン系かな。

 BAROQUEと言えば、この曲、私は好きです。女性ベーシストのTOKIEさんが参加しているのがなんとも面白い。一番男っぽい?…いや、失礼。DREAMSCAPEです。

 そうそう、かつてはCembaloというバンドもありましたな。これはあんまりバロック的ではバンドでしたが。

BAROQUE公式

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2018.11.01

『プロフェッショナル 仕事の流儀 ~歌舞伎俳優・市川海老蔵~』(NHK)

宿命を背負い、歌舞伎に生きる
Th_main00 日の「バロックの日本」にぴったり。11月4日(日)13時05分から再放送があるので紹介しておきます。
 昨日の記事にも書きましたとおり、歌舞伎は最もバロック的な日本文化です。ある種の過剰さ、過激さ、大げささ、そして「型」とそれを崩す「荒らし」。
 今、それを伝承し、そして時代に合わせてバージョンアップしようとしている市川海老蔵さんを追った番組。まさに伝承とバージョンアップの現場を見ることができた素晴らしい内容でした。
 バロックということでいえば、この番組の中でも紹介されていた「源氏物語」で、海老蔵さんはカウンターテナー歌手と共演し、バロックの歌曲をバックに光君を演じています。それがなんともぴったりなんですよね。バロック貴族。このチャレンジも海老蔵さんのアイデアでしょうか。
 歌舞伎とは対照的な能の世界でも、たとえば人間国宝野村四郎さんがバロックオペラにおいてオルフェオを演じたりしていますね。
 ちなみに四郎先生は私の教え子および私の娘の師匠であり、その関係もあって、西洋古楽の音楽祭である都留音楽祭において、先生に舞ってもらったことがあります。その時、頑張って丁重なお願いのお手紙を書いたのですが、そこにも日本文化とバロックの関係を述べさせていただきました。
 これはごく私的な話になってしまいますが、私がなんだかんだずっと続けてきたバロック音楽演奏と、そして日本文化への探求というのが、なんとなくですが統合されつつあるような気がしているのです。
 そこにまた、実は海老蔵さんとの不思議なご縁(間接的ではありますが、かなり影響を与えていると思います)もありまして、ますますその意を強くしているところです。
 この番組、未見の方は、ぜひとも再放送をご覧くださいませ。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」公式

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