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2018.10.20

高城剛 KEYNOTE SPEACH 『30年後の未来へ』(INNOVATION WORLD 2018)

20181022_131745 うそう、この前のイノフェスの高城さんの講演が本当にすごかったんですが、やっぱりあれも「即興」だったそうな。空っぽでその場に立つと、ちゃんと流入してくるらしい。それであれだけ淀みなくしゃべれるんだら、まあ天才ですわ。キース・ジャレットと同レベルですね。
 その基調講演の一部がラジオでオンエアされました。今日はそれを紹介します。全体の3分の1くらいですが、それでもかなり衝撃的な未来像が紹介されていますし、私たちが考えるべき課題も提示されています。
 高城さんは、基本、実際に現場に行って自らの五感(+六感)で確認したこと、あるいは実際に会って聴いて納得した情報以外は信用しません。インターネットの寵児のように思われがちですが、逆に彼はインターネットの情報は信用しません。
 そこに彼の発信する情報の価値の基盤があります。ぜひお聞きください。

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2018.10.19

楽譜リーダー 『MobileSheets』

20181021_81210 たまた音楽、特に「楽譜」のお話。
 私は「暗譜」が全くできません。ひどい。全くです。これは「暗譜」というより「暗記」と言った方がいいかもしれない。だから学校の勉強にも大変苦労しました。どうしても覚えられない。
 高城剛さんとも話したんですが、「我々が昨日のことも忘れてしまうのは、過去にこだわらないで未来を見ているからだ」とも言えますね(都合のよい言い訳?)。
 楽譜が覚えられないというのは、記憶の能力が低いというのもあるし、だからこそまず覚えようとしないというのもあります。さらにそう開き直っているために練習(訓練)をしないというのもあります。勉強でも同じです(苦笑)。
 その分、楽譜を読むのは得意。さらに即興もまあまあ得意。思いついたことをしゃべるのもまあ得意。原稿を暗記して話すのは無理。
 自分で楽しんでいる限りは、テキトーに即興で読んで、あるいはテキトーに即興で表現していいわけですが、グループで何かをやるとなると、そうもいかない。
 私はいくつかのバロック(ロックではない)のバンドに所属しているので、さすがにあまりにいい加減な演奏が許されない場面がけっこうあります。
 そんな時はもちろん楽譜を見ながら弾くわけですが、楽譜に対する思い入れ度が低いのか、楽譜をなくしたり、忘れたり、あるいは書き込みをさぼったり、あるいは本番当日まで製本しなかったり(笑)、演奏以前の部分でいい加減なのです。
 そこで考えたのが、楽譜の電子化です。
 最近、ロックやフュージョンをやっているう上の娘が、楽譜の管理をiPadでやってるのを見て、おおこれはいいなと思ったのです。
 iPadでは有名かつ大人気の無料楽譜リーダーアプリ、Piascoreがありますよね。あれはたしかにいい。
 ところが私はiPadは持っていません。老眼が進んでいるし、もしiPadを楽譜代わりにするとすると、iPad Proを買わなければならない。そんなお金はありません。
 そうそう、お金がないといえば、電子インク仕様の理想の楽譜リーダーGVIDOは売れてるのでしょうか。18万円はさすがに高い。8万円だったら考えますけど。あと10年もすれば5万円くらいになるかな。
Th_img_2871 で、私が持っているタブレットは、ヤフオクで落とした東芝 dynaPad N72。画面の大きさは実質B5サイズ。まあ老眼でもなんとかいける大きさです。
 アプリは有料になりますが、 MobileSheetsです。これはPiascoreに勝る機能を持っており、なかなか快適に使えています。
 まだ本番では使ったことがありませんが、クラブの指導の際には、いろいろなパートを行き来するので、とても便利です。手書きの楽譜もよく使いますので、それはスキャンアプリでパシャッと撮影して修正して取り込みます。
 書き込みもスムーズにできますので、たしかに紙の楽譜と同じ感覚で使えます。
 問題はやはりめくり。自動スクロールでめくりなしというのもできるのですが、クラシックですと、リピートやダ・カーポが多いので、単純にはいきません。そのあたり、まだ使い方がよくわかっていないので、これから研究します。
 あと、やっぱりバッテリー問題ですね。いちおうモバイルバッテリーを用意しておかないと、精神衛生上よくありません。演奏に集中できません。
 それから、電子ブックリーダーと同じように、いわゆるパラパラめくりができないのがちょっと…。さっと曲を探せないし、数ページまとめてめくるとという動作はできません。あれあれ?とかやっている間に、皆さんに迷惑をかけること必至。
 逆に紙より圧倒的にいいのは、薄暗い場所でもよく見えるということです。よくあるんですよ。夜の本番になって初めて、その暗さに気づき、なにしろ暗譜とかしていないので、いきなり音符が見えなくなって焦るっていうケースが(苦笑)。そういう心配はないですね。
 もちろん無線で譜めくりを可能にする、Bluetoothフットスイッチもあります。持っていませんが。
 もうロックやジャズの世界では、プロが本番でタブレットを使うのは当たり前になっています。はたして、クラシックの世界ではどうなのでしょうか。

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2018.10.18

禅とインプロヴィゼーション

 このところ忙しいと言いつつ、音楽について熱く?語っておりますな。
 今日から二日間、禅宗の教えに基づく教育をしている先生方との交流をいたします。
 禅と言えば不立文字。あるいは以心伝心、教外別伝。つまり、言葉や文字を頼りにしてはいけないというのが基本。
 音楽で言えば、楽譜はダメということですよね。しきたり(為来り)再現をするにしても耳で覚えなければならない。
 では、勝手に即興をやっていいかというと、禅ではそれもダメ。しかし、茶道などもそうですが、型を忠実に再現する中で、生きた人間としての差異、誤差というのが、ある種のその場性になるというのはある。
 それが一期一会であります。
 おとといのキース・ジャレットの彼らしさというのは、ある意味では「型」とも言えます。それがその時、その場という中で微妙な、しかし無限の差異や誤差を生じて、まさに一期一会の音楽となる。
 そうそう、キースも禅に興味を持っているんですよね。京都大好きです。ステージでの最後の礼の時も、必ず合掌しますし。
 また、違う言い方をすると、キースは空っぽになっているとも言える。器としての型はあるけれども、そこに注がれる何ものかは、完全に自由です。
 不変なるコト(型)と流動するモノとの関係性はかくも面白い。それがこの世を作っている(…と私は思っている)。
 キースの演奏で言えば、西洋音楽の理論という制約、そしてピアノという楽器と人間の肉体という制約がコト(型・器)になっていて、そこに時の流れに根ざしたモノが流入して一期一会が成立している。
 キースはある種の瞑想状態で演奏するわけです。間違いなくガンマ波が出ています。私も何度か彼のライヴを鑑賞しましたが、彼の脳波に誘導され、プチ瞑想状態に陥りました。会場全体が波打つのです。量子論的波動の世界ですよ。
 そんな過酷な状況を続けたために、彼は慢性疲労症候群になってしまったこともありました。まあ、あの集中状態はやばいですよ。私なんか、この前たった6分弱の即興演奏をしただけで、ぐったり疲れてしまいました(苦笑)。
 というわけで、今日もまたキース・ジャレットのソロ・コンサートの動画を紹介します。動画からも波動が伝わってきますよね。いったいどういう意識の状態になっているのか、そして、どうやって戻ってくるのか、いつも不思議でしかたありません。


 
 

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2018.10.17

モニカ・ゼタールンド

 日はスェーデンのウプサラ大学の先生方が我が校を訪問されまして、教育についてものすごく濃い討議をさせていただきました。お互いの教育観、あるいは方法論がまさに正反対。だからこそ学ぶところも多く、両方の良いところをミックスしていくことが大切だという話になりました。
 ないものねだり、隣の芝生は青いということもあるでしょう。いや、隣ではなく、お互い地理的にも歴史的にも遠いので、どこか理想郷のようなイメージがあるんでしょうかね。
 さて、昨日までの即興つながり、ジャズつながりで言いますと、スウェーデンと言えばモニカ・ゼタールンドでしょうね。とってもチャーミングなボーカリストです。
 彼女の半生がおしゃれな映画「ストックホルムでワルツを」にもなりましたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 この映画のタイトルにもなっていますように、彼女はジャズ界の大御所であり、憧れの存在でもあった、あのビル・エバンスと共演しています。これがまたいいんですよ。彼女の人柄が音楽に表れていますね。

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2018.10.16

キース・ジャレット 『ソロ at 武道館(1978)』

 代の即興の天才と言えば、この人を忘れるわけにはいきませんね。キースジャレット。
 優れた即興演奏をたくさんの録音、録画として残し、またそれを日本人が「楽譜」に起こしたりしております。
 もちろん私もケルン・コンサートの楽譜を持っています。楽譜にしてみて、キース本人も驚いたとか。これはバッハのデザインだと。
 さて、そんなキースのソロ・インプロヴィゼーションの中で、正式にCD化されていないのが、この演奏。1978年12月12日。
 これをこうしてYouTubeで聴けるなんて、なんともいい時代ですね。音質もFMのカセット録音とは思えないほど美しい。なんか現場の空気が伝わってくる感じですね。アナログだからでしょうか。
 それにしても素晴らしい音楽ですね。キースらしさ、すなわちある種のパターンがあるのは当然ですが、だからこそその新しさ、即興性、その場感が聞こえてきます。
 

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2018.10.15

viola bastarda…即興と楽譜

 のすごく忙しいので、楽曲紹介が続きます。知られざる名作、名演奏を紹介するにはいい機会かもしれませんね。
 今日もまた、即興演奏に関わる動画を紹介します。
 今でこそ楽譜というものの存在が当たり前になっていますが、西洋で楽譜が普及したのは、活版印刷が登場した15世紀以降です。それまでも楽譜がなかったわけではありません。「変えてはいけない」音楽として、教会の聖歌などは楽譜として残されていました。しかし、庶民にまでそれが普及するのは、近代になってからです。
 日本でも事情はそんなに変わりません。五線譜が輸入される前は、正確な記譜法もありませんでした。
 ということは、逆に言えば、音楽とは再生するものではなく、その場でどんどん創造されるものだったわけです。つまり即興が主であったと。
 作曲家という職業のあり方、あるいは作曲家自身の考え方も近代になって大きく変わったと言えます。バロック音楽までは、かなり自由な即興性を認めていましたが(バッハは例外)、古典派以降になると、即興が許されるのは、いわゆるカデンツァの部分だけとなっていきます。
 一方で、大衆の音楽文化においては即興性が生き続けました。それがいわゆるクラシック音楽にリベンジして成功したのがジャズですよね。
 楽譜は「転写」された「コト」ですから、時間の流れが過去から未来へとなります。一方、即興演奏はその場で生まれる「モノ」なので、時間の流れが未来から過去となります。全然違うんですよね。
 その話はまたいつかするとして、今日は、そうした即興性が残っていた時代における楽譜に残された音楽を紹介しましょう。つまり、モノとコトが混在している音楽。
 ヴィオラ・バスタルダ(Viola bastarda)という楽器があったと言われています。即興演奏用のヴィオラ・ダ・ガンバだと言われていますが、どうも普通のヴィオラ・ダ・ガンバを即興で演奏する時に、そのように呼ばれていたようです。ヴァイオリンとフィドルの関係と同じですね。
 で、即興ですからほとんど楽譜に残されていないのですが、おそらく即興性が徐々に薄れていくことに対しての危機感でもあったのでしょう、何人かがその即興の例を楽譜に残したり、即興風の作曲をしたりしています。
 今日紹介するのは、16世紀の作曲家ジローラモ・ダッラ・カーサ (Girolamo Dalla Casa) の作品です。

 バロック期には、コレッリやテレマンが、即興の例を楽譜に残すというある意味矛盾した「作曲」をしています。面白いですね。
 忙しいと言いながら長々と即興で書いてしまいました(笑)。

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2018.10.14

パイプオルガン・インプロヴィゼーション

 昨日は自らインプロヴィゼーション(即興演奏)をしました。とはいえ、ヴァイオリンはその構造上、基本単旋律なので、即興と言っても単純なものしかできません。
 で、実はワタクシ、鍵盤楽器は弾けないのに、なぜか鍵盤楽器の即興演奏は得意なのであります。
 人様の前で堂々と(図々しく)演奏したこともたびたび。ピアノもいいけれども、個人的にはクラヴィコードでの即興が一番得意です(自分にしか聞こえないから?)。
 一生の間に一度やってみたいのは、パイプオルガンでのインプロです。そう、あのキース・ジャレットの『Hymns/Spheres』を聴いたからでしょうかね。夢です。
 昨日は、バッハのフーガを紹介しましたが、バッハなんかもしょっちゅうフーガなどを即興演奏していました。そんなの当たり前。その延長として楽譜に残された作品群があるわけですね。実際、もう二度と再現されない名フーガがあったかもしれません。
 さて、現代にもフーガの即興演奏に長けた天才はたくさんいます。私がYouTubeで聴いた中で、特に好きなのは、このDavid Briggsの演奏(作曲)です。バロックと近代、現代が見事に調和している。
 オルガンはサン=シュルピス教会のもの。ここはオルガン即興演奏のメッカです。
 ここのオルガニスト、即興演奏の名手でもあるダニエル・ロートさんが何か隣で言ってるのが、とってもリアル(笑)。

 いやあ、素晴らしいフーガですよね。こんなの即興演奏できたら気持ちいいでしょう。時々、夢では見るんです。どこかの教会の巨大なオルガンでフーガを即興演奏している自分。ドキドキしながらも、最後まで神がかりで演奏し終わるという。本当に気持ちいいんです。目がさめると全くその音楽は再現できません。残念。再現できたら天才作曲家と呼ばれていたかもしれません(笑)。
 さて、もうひとつ同じサン=シュルピス教会の巨大オルガンによる即興演奏。これはファンタジーという感じですね。美しい。こういうのもいいなあ。美しい。
 このSophie Veronique Cauchefer Choplinという女性も即興の天才のようです。

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2018.10.13

バッハ 『組曲ハ短調 BWV997』

 しい日が続いていますので、楽曲紹介でスミマセン。
 バッハの作品の中でも、ちょっと変わり種、変態的な1曲。
 ギターで演奏されることも多いこの曲ですが、リュートのための曲なのか、鍵盤楽器のための曲なのか、よく分かりません。
 音の密度や音域からすると、やはりリュートかなあと思いますが、鍵盤で弾いてもなかなか良い響きになります。ちょっと和音が薄い感じがするのですが、それがまた不思議な「間」になっています。
 最近ではリュートとチェンバロの中間、すなわちガット弦を張ったチェンバロ「リュート・チェンバロ(ラウテンヴェルク)」での演奏も増えてきました。
 この動画もそのリュートチェンバロによる演奏ですね。
 ここのところ、バッハの「空」の話を何度か書いてきましたが、この曲など、まさに「間」が多いので、では「空」がたくさんあるのかというと、これがまた少し違う。
 すなわち、変態的に転調していくので、私たちの想像力がそれに追いつかず、結果として「空」が発生しにくいんですね。少なくとも私はそうです。
 そんな変態的なところが面白く、ああバッハさん狙ったな、という感じを与える裏名曲です。
 特に私はフーガが好きです。半音階を含むテーマがもう変態なんです。それが反転したり、ダルセーニョしたり、ある意味幾何学的に作られていて、楽譜もまたどこかバロック装飾的に映ります。
 つくづくバッハは変態だなあと思わせる逸品ではないでしょうか(笑)。

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2018.10.12

Power FemaleーMother Earth/神聖なる女性

Th_img_2770 人であるマシュー・エリクソンの写真展「Power FemaleーMother Earth/神聖なる女性」。本当に素晴らしい展覧会、いや「天」覧会でした。21世紀のアートが宇宙に発信されました。
 写真の歴史と可能性、絵画との接点と相違点、天地人の調和、女性の神聖…本当にいろいろなことを感じさせてくれる素晴らしい作品群でした。
 僭越ながら、多くの皆様の前で、そこで感じたことを言葉に変換してお話させていただきました。私が私の言葉を弄すれば弄するほど、それはアートから離れていってしまう。まさにアートとは言語を超えた存在であることを知らされました。
Th_img_2793 しかし、あえて引用させていただいた仲小路彰の文章は、そのままアートでしたね。天才の言葉は言葉を超えます。朗読させていただきながら感動してしまいました。
 ただ、トークの寸前に降りてきた「かげ」という言葉は、自分においても大きな発見であり、その「場」を表現するのにふさわしかったかなと思います。
 「かげ」…日本語では、「光」「影」「姿」、そして「おかげさま」という四つの意味がある。それがマシューの作品には全て含まれている…。
Th_img_2765 そして、私のエレクトリック・ヴァイオリンの即興演奏に合わせた、マシューの奥様アムリッタ朝子さんの即興舞の美しさ。それはまさに「女性の神聖」そのものでした。あの奇跡的な「場」で共演させていただき光栄です。
 たしかに世界が変わりつつあります。今日も不思議な出会いがいくつもありました。人と人のご縁は、全てこの地球のためにあり、宇宙に開かれており、神聖なるお役目のためだと思いました。
Th_img_2762 これはトークのお礼にといただいたマシューの作品「クリスタル・ジャズ」です。
 まさに私たちの世界はジャズの名手たちの奏でる音楽のように、自由であり、他者との関係性の中で豊かであり、陰陽があり、色彩がある。
 これからも友人たちと、この地球が平和であるために、できることをしっかりやっていきたいと思います。ありがとうございました。

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2018.10.11

BOSS 『KATANA-MINI』(ポータブルアンプ)

Th_91l5ntbmmll_sl1500_ 日のトークショーのために急遽購入しました。トークはたぶん地声でやると思います。ただエレクトリック・ヴァイオリンにはアンプが必要ですね。
 当初、ふだん使っている大型のアンプを持っていくつもりでしたが、自家用車ではなくバスで行くことになったので、もっと小さなアンプが必要になったのです。
 小型でいい音…といえば、この「刀ミニ」でしょう。ギター界では有名な逸品です。はたしてヴァイオリンの音はどうでしょう。
 さっそく届いた刀を鳴らしてみました。ふむ、なるほど音量は想定したとおり。小さな空間ならぎりぎり使えるかな。ちなみに出力7Wで4インチスピーカー内蔵。
 「クリーン」に加え、「クランチ」と「ブラウン」のサウンドが出せます。これがギター弾きにとってはなかなかの音質だそうですね。ヴァイオリンではほとんど「クリーン」しか使いませんが。
 リバーブでなくディレイが搭載されているのも個性的ですね。個人的にはこれも嬉しい。一人で即興演奏する時、けっこう遊べます。
 それからミニアンプのくせに、ちゃんと3バンドイコライザーがついているのもいいですね。私のなんちゃってエレキ・ヴァイオリンでは中音域をふくらませた方が豊かな響きになりますので。
 そして何より小ささがよい。リュックにスポンと入りました。縦にすることなく横のままスポンです。さらに乾電池で7時間駆動というのも良い。電源を探し、引っ張ってくる必要がないというのは、実にストレスレスです。
 というわけで、明日の即興演奏はどうなるのでしょう。なにしろ即興ですから、自分でも何が起きるか分かりません。その「場」をそのまま音にしたいと思っています。楽しみです。

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2018.10.10

『The Bach Album』 ファミ・アルカイ  (ヴィオラ・ダ・ガンバ)

Th_51n3aaovfrl_ss500 「」…先日「武久源造さんのシャコンヌ」という記事を書きました。
 バッハの無伴奏作品における、書かれていないけれど鳴っている音について書きました。無でも有でもない「空」。
 その後、考えてみるとですね、人間の記憶による「空」の出現ではなく、もっと根源的な、まさにルーツのルート音が「空」であることに気づきました。
20181011_150505 そう、バッハの無伴奏ヴァイオリンのための有名なシャコンヌの冒頭は、2拍目から始まっているんですね。
 これは冒頭であるために、記憶の助けを得ることができませんが、確実にベース音、ルート音としてDが存在しています。
 こうした始まり方をするシャコンヌというは皆無ではありませんし、ある種のアウフタクトであるという解釈もできます。いやそれ以前にシャコンヌという舞曲が「にーいち」というリズム感で構成されているのを考えれば、こういう始まり方があっても良いと思います。
 実際、長調に転調するところや、再び短調に戻るところを見ても、そういう音楽的な構造であることは分かりますね。
 また、実は隠された1拍目がDでなくても音楽は成立します。たとえば上声部にB(シ♭)を鳴らして、2拍目のAに持っていってもよい。1拍目、ベースにCis(ド♯)を鳴らしてもいいですよね。ほかにも音型のパターンまで含めると、ほとんど無限の可能性があります。
 しかし、私が思うに、この大曲、バッハ自身の勝負曲ということを考えると、この1小節目の1拍目の「空」にかけた思いは、かなり強いと思います。
 記憶による補充ができないからこそ、永遠なる「空」を生むことができるのではないか…。
 たとえば、この長大なシャコンヌの最後のDの音から、再び冒頭に戻ることもできる。そうすると、文字通り永遠に持続する…。
 さてさて、そんなことを考えながら聴くのにふさわしい編曲がありますので、紹介したいと思います。
 ヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏です。ガンバは重音を弾くことを前提とした楽器です。フレットがありますし、基本4度調弦です。すなわちギターと同じような感じなんですね。
 ヴァイオリンだと音域が高すぎて重みが出ない、だからと言ってチェロで演奏すると、運指にかなり無理がある。そうした悩みを一気に解決してくれるのがヴィオラ・ダ・ガンバでしょう。
 しかし、今まであまりこのチャレンジをした人はいなかった。いや、個人的にはけっこう自ら編曲して演奏する人はいましたが、録音する人がいなかった。
 ですから、この新しい録音は貴重です。そして、演奏も良い。ガンバのもう一つの特徴として、弦のテンションが低く、またフレットもあるために、残響が多いということがありますね。
 そのおかげで、かなりじっくりゆっくり演奏できる。ヴァイオリンだと間が持たないんですね。だからついつい雑に早い演奏になりがち。
 このアルバムにはほかにも、バッハのヴァイオリン、チェロ、フルートの無伴奏作品の編曲版が収録されています。どれも素晴らしい出来だと思いました。ぜひ聴いてみてください。
 YouTubeには、シャコンヌのほんのさわりだけがありました。まあこれだけでも、私の言いたいことはおわかりになると思います。
 さて、私もそろそろヴィオラ・ダ・ガンバを練習しようかな(老後にとっておこうか)。

Amazon The Bach Album
Fahmi Alqhai

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2018.10.09

追悼 輪島大士さん

 念な訃報です。元横綱の輪島大士さんがお亡くなりになりました。
 横綱としてもそうですが、やはり私としてはプロレスラーとしての輪島さんの思い出が多い。
 特に天龍さんとの壮絶な戦いには、何か言葉にならない感情を湧き起こされました。横綱が前頭力士に「かわいがられる」。人生の過酷な運命の象徴でもあり、また、それを受け入れ乗り越えようとする、人間の強さと悲哀を感じずにはいられませんでした。
 今日は、その「人生劇場」の一つを見かえてみながら、輪島さんのご冥福をお祈りいたします。

 アメフト問題で一躍注目を浴びた日大の田中理事長は、日大相撲部で輪島さんの一つ上の先輩でした。そんなこともあり、輪島さんもアメフトに関わっていた時期もありましたね。あの一件について輪島さんはどんな思いだったのでしょうか。
 そういえば、相撲界を引退した元貴乃花親方が、馳浩元文科大臣と会ったとのこと。「プロレスは?」と聞かれ、「そんなに器用ではない」と答えたとか。
 プロレス的な器用さというのは、本当に奥が深い。貴乃花のような人にはたしかに難しいかもしれませんね。
 そう考えると、当時プロレス不器用に見えた輪島さんも、実は人間としては器用だったのかもしれません。

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2018.10.08

『大宏池会の逆襲』 大下英治 (角川新書)

Th_71pglillrl 倍一強という、自民党として、いや日本として今までになかった状況が続いています。それが良いことなのか、悪いことなのかは、のちに歴史が教えてくれることでしょう。
 そうした現状は「宏池会」の弱体化であるとも言えます。保守本流、穏健ハト派である「宏池会」が、その内部分裂などによって自らの力を弱めてしまったのは事実です。
 そして、だからこそ「大宏池会の逆襲」なのです。歴史は繰り返す。偏りすぎたものは揺り戻す。これは政治の力学だけでなく、宇宙の法則でもあります。
 そう考えると、今の安倍一強というのは、未来のスウィングのためのバックスウィングということになります。
 今年の夏、バックスウィングの当事者の別荘にお招きいただき、そして2021年以降の話をさせていただきました。
 実はもうそういう方向で動いているのです。政治の現場というのはそういうものです。未来的に今動いている。
 岸田さんが昨年「未来戦略研究会」を設立し、この夏に2050年のヴィジョンを発表したのは象徴的でした。
 そこで私が思い出さずにいられないのは仲小路彰のことです。知られざる黒幕ですから、もちろんこの本にも出てきませんが、宏池会の誕生と成長に、間接的であれ仲小路が影響を与えたのは間違いありません。
 仲小路彰は、熊本の五高で、池田勇人、佐藤栄作と同級生でした。そして、彼らよりはるかに成績が良かった。言うまでもなく、池田と佐藤は宏池会と深い関係があります。
 また、山中湖での隠棲(ある意味院政)にあたっては、富士急行創始者の堀内良平やその子孫たちの援助がありました。堀内家も宏池会の歴史のど真ん中に存在しています。
 戦後、仲小路は吉田茂に多くの提言をしています。仲小路の言う「グローバリズム」や「地球平和」、さらに「未来学」、そしてそれらの中における対米政策などが、吉田に大きな影響を与えたことも間違いありません。そして、それが吉田学校を通じて宏池会の精神につながっている。
 この大下さんの著書が表の宏池会史だとすると、私がここに書いていることは裏の宏池会史ということになるかもしれませんね。
 そろそろバックスウィングも折り返し点に至りつつあります。2021年以降、はたしてどんなスウィングが様々な逆境を打ち返すことになるのか。私は非常に楽しみにしているのであります。
 その時代はきっと(また)富士山が鍵を握ることになるでしょう。仲小路が富士山麓に40年間蟄居していたのには、そういう未来的な意味があったのです。

Amazon 大宏池会の逆襲

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2018.10.07

富士山世界文化遺産登録5周年記念「Mt.FUJIMAKI 2018」

Th_img_2727 に素晴らしいフェスでした。楽しいだけでなく、なんというか深く染み渡るというか、自らのここ10年をも振り返るというか、本当に濃密な時間を過ごさせていただきました。
 まさに10年前、一緒にレミオロメンを追いかけ、このブログがきっかけで知り合い、輪が広がった懐かしい皆さんと再会し、そして、藤巻くんのご両親を始めとする親族の方々(10年の間にめちゃくちゃ増えた!)の隣に陣取らせていただき、いろいろと懐かしい話をしながら、また、「この曲をこの人が歌うなんて、10年前夢にも思わなかったね」という言葉を何度も繰り返しながら、素晴らしいミュージシャンたちの素晴らしい楽曲に涙しておりました。
 セットリストやそのパフォーマンスについては、いろいろな方が報告してくれているので、そちらに任せます。ここは極私的な感想だけ書かせていただきます。
 仲間たちもそれぞれいろいろあったようですが、私たち夫婦も、この10年の間に全く想定外のことをたくさん経験させていただきました。
 特に憧れの人たちとのご縁をたくさんいただいたことには、本当に感謝あるのみです。もとを辿ると、全てが「アレ」に至るのですがね。昨日の記事に出てきた人が作ったモノです。
Th_img_2726 考えてみると、音楽だけとっても、志村正彦くん、藤巻亮太くん、そして昨日お花を届けてくれた吉井和哉くん(中学の後輩なので「さん」はやめます)と、この富士山の麓富士吉田で立て続けにお会いして、お話する機会をいただきました。それだけでも夢のような話ですよね。
 もちろん、今日は天に帰ってしまった志村くんのことも思いながら涙していました。特に山内総一郎くんの「今」にこだわる選曲と演奏、歌唱には、なにか逆に癒やされたというか、そう、山中湖だし、志村くんの曲をやるかもなと期待していた部分もあったんですが、やはり「今」の方が輝いているし、志村くんも天から彼らの音楽を楽しんでくれたと思います。
 和田唱くんが最初に言ってくれましたが、ここ富士山麓には不思議なパワーが流れているんです。彼が大地からそれを感じていることを表現してくれましたが、そのとおりなんです。富士山から直接来ているのではなく、大地にその気が流れている。
 そこに住まわせていただき、そして音楽に少しでも関係させていただいている自分は、これからもその大地からの波動と、宇宙からの波動と、そして私たち生命の波動を調和させ、「もののね」を発信していこうと誓いました。
 そんな大切な節目の日を作ってくれた藤巻亮太くんの純粋な魂に感謝。ご両親にも心よりの感謝を申し上げました。奇跡的に天候に恵まれたのも、藤巻くんの生き様のおかげですし、彼のことを慕い祈ってくれていた人々のおかげだと思います。本当にありがとう。来年も楽しみにしています。

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2018.10.06

『大正天皇』原武史(朝日文庫)

Th_41uwic3gryl_sy346_ 々大正天皇のお墓参りをしております。なぜか分かりませんが、ふと思い立ってお参りすると、必ずなにか不思議なことが我が身に起きます。
 もともとは出口王仁三郎を通じて大正天皇に興味を持ちました。王仁三郎は一説では有栖川宮熾仁親王のご落胤とも言われております。
 大正天皇は有栖川宮威仁親王を心から信頼し敬慕していました。結果、有栖川宮家は断絶するわけですが、大正天皇はその祭祀をのちの高松宮に託すことになります。
 その高松宮のブレーンだったのが仲小路彰ということで、私の半生におけるキーパーソンは全てリンクすることになります。
 まあ、それはごく個人的なことであって、そこになんの意味があるかはよく分かりません。しかし、その不思議なリンクを考える上で、大正天皇というのはどうしても外せない存在です。
 一般には病弱でちょっと頭も…というとんでもない評価をされてしまっている大正天皇ですが、10年前こちらにも書いたとおり、大正天皇は素晴らしい漢詩人でありました。そこ一つをとっても、とても暗愚の方とは言えません。
 ある意味、時代が強制的に大正天皇を追いやり、まさに暗愚な時代というべき昭和の初期が到来することになります。明治維新150年の今年、大きな流れの中で見ますと、大正天皇は軍事を嫌い平和的世界を切望した方だったことが分かってきます。
 そんな心優しきお人柄をしっかり描写、紹介してくれているのがこの本です。今、考えるべきは、いったい何が、誰が、大正天皇を日本の歴史から追いやったのか、大正天皇が高松宮さまに託した思いはなんだったのか、そして高松宮家も断絶してしまった今、その大正天皇の想起した「国体」はどこにあるのか、ということでありましょう。
 ちなみに大正天皇のお后さま、節子皇后については、同じ原さんの「皇后考」に詳しく書かれています。そちらもおススメです。

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2018.10.05

『オカルト化する日本の教育』 原田実 (ちくま新書)

江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム
Th_41oku2eqe5l_sx304_bo1204203200_ 日の話(教育勅語トンデモ本?)ともつながりましょうか。
 実はこの本、6月に読んで記事を書いていたのですが、タイミングをはかっていたら、4ヶ月も経って今日になってしまいました。ということは、今日がベストタイミングなのでしょう。
 今年読んだ本の中では出色の面白さ。勉強にもなりました。
 特に後半、近現代日本の陰謀論とオカルトナショナリズムを概観する部分は最高にエキサイティングでしたね。左右にぶれまくるフィクションの生命力に、我ながら感動してしまいました(笑)。
 我ながら…というのは、もうご存知のとおり、ワタクシはまさにその爆発的エネルギーの中で生きてきた人間です。
 実際、この本に出てくるアヤシイ(?)世界のかなりの部分に、私も直接関わりを持っています。会って(楽しく)話したことがある人ばかり。そういう意味では、原田さんよりもよく分かっている部分があるかもしれません。
 そして、もちろん私も「教育」の中心にいるセンセイです。いちおう教育のプロとして、現場をいやというほど知っています。いい面も悪い面も(圧倒的に後者が多い)。
 では、私はどっち側の人間なのかというと、これがまた自分でも面白くてですね、両方OKな立場なんですよね。右・左、宗教・科学などの対立構造についても、どちらも否定はしませんし、どちらも正解だと思っていない。
 昨日もそんな、ある意味ずるい優等生的なポジション取りをしていましたが(笑)、まあ本当だから仕方ない。
 それが私らしさ、つまり「アヤシサ」そのものであり、また、客観的に見れば、そうして地球人の上に立とうとする、それこそエセ宇宙人のいやらしさでもあるわけですが、これはもう生まれ持った性質なので仕方ないですね。諦めてます。
 さてさて、前半の「江戸しぐさ」については、原田さんの『江戸しぐさの正体–教育をむしばむ偽りの伝統』『江戸しぐさの終焉』を読んで記事を書いております。後者の記事には、原田さんご自身がコメントくださりました。今読むと、たしかに原田さんの言う通りで、さすがに私のモダンチェンバロのたとえは、ちょいと牽強付会という気がします。
 しかし、なんでしょうねえ、どうしても「江戸しぐさ」というフィクションにシンパシーも湧いてしまう。自分にそういう嘘つき、ハッタリ屋の部分があるからでしょう。
 「親学」については、これはTOSS、すなわちワタクシの宿敵である向山洋一氏が関わっているので、これまた複雑な気持ちで読みました(向山洋一氏に対する恨み節はこちら)。
 この4ヶ月の間、ずっと「学校こそ諸悪の根源」という本を書こうと思い準備をしておりました(匿名で書こうと思ってたのにカミングアウトしてしまった!)。しかし、ここに来て、やっぱりやめようと思い始めたのです。それは北欧の教育関係者とのご縁ができ、本当にいろいろな人たちとお互いの教育について対話ができたおかげです。
 お互いに、外から見ると全く違った風景が見えてくる。良いところも悪いところも新たに発見できる。あるいは、善悪が逆転したり、自分の中での教育観の変化に驚くばかりです。
 北欧の方々から見ると、軍国主義的、軍隊文化的な日本の教育は、それ自体がオカルトに見えるでしょう。しかし、一方で理想的、先進的に見える北欧の教育がもたらす社会的な弊害というのも実はあり、それはある意味では、科学的ではない理想主義というオカルトに起因しているとも言えるのでした。
 教育は大切です。だからこそ難しい。正解がないが、迷いながら正解を求めるのが教育なのでしょう。そんな難しさの中には、オカルトが入り込みやすい。新しい(しかし古くからありそうな)特効薬のように見えるからです。そういう意味では、常にオカルトとの戦いであるとも言えるかもしれません。

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2018.10.04

『聖なる約束4 ヤマト人への福音 教育勅語という祈り』 赤塚高仁 (星雲社)

Th_41tdvbirshl_sx337_bo1204203200_ 日はいろいろなお客様が入れ代わり立ち代わりいらっしゃり、合計6時間ほどお話をしました。
 「対話に貴賎なし」がモットーのワタクシといたしましては、大変楽しい一日でした。
 その中のお一人、政治家の方とは「教育勅語」の話になりました。そう、新文科大臣の発言がありましたので、そこからのお話でありました。
 教育勅語が素晴らしいという人と、教育勅語なんかとんでもないという人の溝は埋まりません。なぜなら、論点、評価のステージが全然違うからです。
 私はそのステージを行き来できると自負しておりますので、称賛も批判も両方できるつもりです。
 ただ一つ、直視していなければ教育勅語自身が持つ矛盾もしっかり直視しなければならないと思います。すなわち、教育勅語の眼目である「忠孝」は儒教の教えであり、決して日本古来のもの(国体の精華)ではないということです。
 いや、我が国の国柄は宏遠であり、彼の国の教えをも内包しているのである…なんて言い訳もありえます(いかにも私が言いそう…苦笑)。あるいは、忠孝のルーツは日本であるという言い方もありかな。
 しかし、教育勅語の時代性から考えると、実は単純な構造であって、江戸時代以来の儒教的家族観、友人観の最上位に、天皇への忠義を置いたものにほかなりません。
 そこを基準に論じると、たしかにいいことを言っている部分もあるが、それは別に教育勅語でなくてもいいだろうという、非常に単純な結論に至るわけですね。儒教の教えのエッセンスを紹介したものはほかにもいくらでもあるし、天皇家の素晴らしさを、あるいはあの時代の天皇制の危険を語るものもいくらでもある。
 教育勅語に関しては別にケンカすることはない。どっちも正しいし、どっちも間違っている。原理主義的二元論の罠にはまっているだけです。議論の仕方がいかんのです。
 では、私たち現代人は、教育勅語全体とどう付き合えばいいのか。それ自身が内包する矛盾をどう乗り越えればいいのか。
 というわけで、今日紹介する本は、知り合いである著者御本人からお送りいただいたものです。これは、今述べた二元論的な判断基準によるものではなく、儒教の上に「やまとこころ」を置き、天皇をキリスト(救世主)に見立てるという、全く別次元のお話です。
 これはこれで実に面白いストーリーであり、私は楽しく読ませていただきました。もちろん小馬鹿にしたり、ましてや怒り出したりはしません。21世紀において、そのような読みが可能ならば、それはそれでいいと思います。
 世の中には「教育勅語トンデモ本」というジャンルがあります。この本なんか、その中でもかなり先鋭な存在でしょう。たしかに常識的には「トンデモ」の称号を与えられてしかるべきでしょう。
 しかし、出口王仁三郎や仲小路彰に親しんでいる私としては、こういうトンデモ世界に、世の中の本質が見え隠れしているように思えてならないのです。
 少なくとも不毛なケンカのタネにするよりは、こうして新たな意味を付与する方が、当時の皆さんにも失礼がない…と思います。
 それにしても、著者赤塚さんのピュアな魂と行動力には、本当に頭が下がります。自らのお役目をよく知っていらっしゃる方です。

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2018.10.03

菅野よう子インタビュー

Th_kannoyokointerview01 だ停電が続いていますよ!
 真っ暗なので、音楽を聴きながら寝るしかありません(笑)。あるいはスマホでゆっくり読み物を読んだり。
 今日読んで感動したのがこれ。昨日は天才ユーミンの曲を紹介しましたが、こちらも負けず劣らずの天才ミュージシャンです。作曲家として尊敬している菅野よう子さんのインタビュー。
 菅野さんと言うと、ゲーム音楽や、「花は咲く」で有名ですよね。このブログではどうかなと思って検索してみましたら、おおっありました。なるほど坂本真綾さんか!

坂本真綾 『うちゅうひこうしのうた』

 そこにも書いてますが、菅野よう子さんの楽曲って「職人」を感じさせます。天才というより職人なのかな。いや、天才職人というのが正しいか。
 そんな天才職人が、いかに天才職人であるか、このインタビューを読んでよ〜く分かりましたね。正直、笑いながら読んでしまいました。いや、面白おかしいんじゃなくて、その天才ぶりがぶっ飛んでて楽しくなってしまったのです。

菅野よう子インタビュー

 メロディーやコードではなく、最終的にビートやリズムに逢着したあたり、なにか音楽と宇宙の本質に迫る何かを示唆しているように直観しました。
 最近、作曲家の方とご縁があります。宇宙の波動をダウンロードできる彼らに、ちょっと嫉妬しているワタクシであります。

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2018.10.02

荒井由実 『そのまま』

 BUMP OF CHICKENの「シリウス」や、椎名林檎と宮本浩次の「獣ゆく細道」など、魅力ある作品が発表されて、それも実に素晴らしいと思うわけですが、先日、とうとう松任谷由実(荒井由実)の全作品が配信されることになりまして、毎日のように聴いて感動しております。
 実を言うと、今までアルバムをアルバムとしてちゃんと聴いたことがなかったのです。大学時代以降、何曲も演奏のお手伝いをする機会はありましたが、それはいわば名曲ばかり。ある意味地味なアルバムの作品は、そう、そのアルバムのどこに位置している作品なのか意識せず、聞き流してきたのでした。
 停電していたり、いろいろ忙しかったりしますので、今日はそうした「再発見」の一つを紹介するだけにいたします。
 ファーストアルバム「ひこうき雲」の実質的な最終曲である「そのまま」。ユーミンが中学生の時に作曲したのだとか。なんという天才的な感性でしょう。大人になった私が、なぜか異様に共感共鳴してしまった曲です。
 いろいろ語れてしまうのかもしれませんが、あえてそれは抜きにして、なるべくピュアの心で聴いてみたいと思います。

 変な話ですが、なんだかユーミンに近づいている気がするのです。いろいろな意味で。すごくワクワクするのです。ある意味、若い頃聴き込まなかったからこそ、今こうして新鮮な感動があったりする。曲や歌詞ももちろんですが、演奏一つとっても無限に楽しめます。
 世界の…というより、なんでだろうなあ、「日本の」財産だと思うのであります。

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2018.10.01

異常気象は人為か天意か

Th_img_2694 日の夜から今日の未明にかけて、台風24号が接近しました。
 当地富士山北麓でも大変な風雨となり、多数の倒木が発生し、長時間にわたって停電しております。
 我が家では、地震、噴火、台風などで被災した時のために、いろいろと防災グッズを準備しておりますので、そこそこ快適な生活を維持しています。
 とはいえ、灯油ボイラーが使えず、結果として風呂に入れない状況です。今日は、とりあえず私と娘は風呂割愛ですが、秋田出身温泉大好きな家内はここぞとばかりに近くの温泉施設でゆっくりしてきたようです。
 近くの携帯電話の基地局も機能しておらず、スマホもポケットWi-Fiも圏外で、インターネットに接続されない状況です。まあ、それでもなんとかなると言えばなりますが。
 今年は豪雨、酷暑、台風など、明らかに異常気象ですね。実は毎年のようにいろいろあるのですが、私たちは喉元すぎれば「暑さ」忘れる存在です。去年のことも覚えていないので、来年になると今年の災害のことも忘れてしまうんでしょうかね。
 さて、先日のイノフェスで高城剛さんが、最近の地球的な異常気象は太陽の活動に起因する「宇宙気候変動」であるという、天文学者の説を紹介していました。なんと、温暖化ではなく「ミニ氷河期」が訪れると。
 私もかねてから、二酸化炭素などの温暖化ガス排出による温暖化よりも、太陽活動による寒冷化の方が勝るのではないか、その日のために、今はなるべく温暖化させておいた方が良い、などと極端なことを言ってきました。
 一方で、標高の高い寒冷地に住んでいることを、短期的人為的な温暖化の中においては「勝ち組」だ、あるいは、2020年東京オリンピックの夏は「冷夏」になって全てがうまくいく、などという無責任な楽観論を言ったりして、温暖化反対派を故意に刺激してきました。まあ、軽い戯れのつもりなんですがね。
 しかし、どうもそれは冗談のレベルではなかったようです。実際に寒冷化が進む可能性が高いとか。
 実際、私が上のような戯言を言ってきたのは、地球レベル、あるいは宇宙レベルと、いわゆる人間レベルとを比べると、圧倒的に前者の方が上位にあると認識しているからです。逆に言うと、良いことにおいても、悪いことにおいても人間がなんでもできると思うのは、それは完全なる思い上がりです。
 日本には宗教がないと言っていいと思いますが、この確信において、おそらく本来の日本人は「神」を共有していたのだと思います。
 言うまでもなく「かみ」は「上」という意味であり、それは「天」そのものを指します。つまり「宇宙」ですね。それを忘れてはいけません。
 そういう意味において、このプチ被災状況をも天意であると受け入れ、ある意味楽しんでいきたいと思います。


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