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2018.08.21

キリストの里公園の謎!?

Th_img_2353 足農業、残念でしたね。しかし、八郎太郎の末裔だけで(?)準優勝まで行ったのですから、これは本当に素晴らしすぎることでした。高校野球については、私は独特の視点で批判的に見ている部分もあるので、また近いうちに何か書こうと思います。
 てか、あの八郎潟のあたりって強い男をたくさん輩出しているんですよね。多くの力士、レスラーが出ている。野球でも落合博満さんがあのあたりの出身。彼らは長髄彦の末裔というウワサもあるんですよ。
 さてさて、吉田投手はマウンドで神になった。そう、マウンドというは特別な存在なのであります。マウンテンであり、塚・円墳であります。キリストが磔刑に処せられたゴルゴダの丘もある意味マウンド的存在です。
 というわけで、今回の七人旅の最後の経由地は新郷村にあるキリストの墓(&イスキリの墓)でした。54歳の誕生日の最後にキリスト&イスキリの墓参りというのもなかなかヲツであります。
 私は2年前に訪れており、その時私の解釈を詳しく書いています(こちら参照)。
 基本その考えは変わっていません。こういう「物語」に対して、あんまりホントウのコトを言ってしまうのは野暮ですけれども、まあそのホントウのコトもまた、かなり物語性が高いので、まあいいでしょう。
 さてさて、今回は違うところにツッコミを入れます。
 十和田湖にも「キリストの墓(はこちら)」という公式の青い看板がありますが、青森県、そして新郷村はこれらを本気で観光資源と考えていますね。実際、整備された「キリストの里」には金かかってるな感があります。上掲の過去記事にも書いたとおり、それは原子力行政のおかげでもあるわけですね。
Th__20180819_103325_2 で、その「キリストの里」なんですけどね、入り口のでっかい看板というかに英語が書かれているわけですよ。それがこういうふうになっている。

Christ of the village park

 これはどうなんでしょう。直訳すると「村の公園のキリスト」ってことですよね(笑)。
 「キリストの里公園」という日本語の語順どおりに英語が並んでいる。「里公園のキリスト」。
 どういうことなのでしょう。
 うん、これは「おらが村のキリスト」的なニュアンスなのか、それか、キリストもこうして日本で修行し、百歳越えるまでここで暮らしたとなれば、すっかり日本人化してしまい、日本語的な語順の干渉を受け…って、それじゃあ、なんでキリストが英語しゃべるんだよ!と、ジーザス・クライスト・スーパースターと同様のツッコミ不可避ですな(笑)。
 ま、それは冗談として、日本語に英語が干渉したことは間違いないでしょう。これは実に面白いですね。
 と思ったら!なななんと、もっと恐るべきことが!
 Googleさまで「キリストの里公園 英語」で検索したら、いきなりこんなのが出てきましたよ!ww

20180822_152633

 うお〜!これはどういうことですか。Googleさままで日本語の干渉を受けているのか?それとも、実際にある「キリストの里公園」の英訳を知っていて、こういう答えを出したのか!?
 これは神がかってますね(笑)。おそるべしキリストの墓&イスキリの墓、そして日本(笑)。


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2018.08.20

十和田湖へ…三湖伝説と金足農業

Th_img_2338 タクシ事でありますが、本当に今年の誕生日(8/17)は素晴らしい日になりました。
 いつもは一人旅なのですが、今回は七人旅。私のわがままな企画に気持ちよく乗っかってきてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
 いちおう今回の旅の最大の目的地は十和田湖でした。マニアックな話になってしまいますが…今回は今までの十和田湖訪問に必ず帯同した、我が家でお預かりしている出口王仁三郎の耀わん「十和田」に加え、その兄弟分の「十和田2号」も一緒でした。
 これって地味にすごいことだと思いますよ。不思議な不思議なご縁でこういうことになった。このたびの旅のメンバーも、皆さんもとをたどれば「十和田」が作ってくれたご縁です。そして今回、十和田が引きつけた新たなる十和田。
 ちょうどこの日、甲子園では金足農業が横浜を劇的に破りました。その後の快進撃も含めて、統合過剰なワタクシたちといたしましては、これぞ龍神様のお力添えであると信じるのであります(笑)。
 いやいや冗談でなく、田沢湖、十和田湖、そして金足農業の近くにある八郎潟の三湖には独特な「三湖伝説」があります。
Th_img_2339_2 八郎太郎が龍に姿を変え、十和田湖に住んでいました。そこに南祖坊という男が現れ戦います。結果は南祖坊の勝ち。南祖坊は十和田湖の主となり、十和田神社に祀られることになります。一方、辰子も龍に姿を変え田沢湖に住んでいたのですが、八郎はその辰子を見初め、田沢湖に通うようにります。そして、再び南祖坊と戦うことになり、今度は八郎が勝利…これが三湖伝説の概要です。
 異論はありますが、基本的に、現在十和田湖には南祖坊が、そして田沢湖には辰子が、八郎潟には八郎がいることになるわけですね。
 ちなみに我が家の耀わん「十和田」は、出口王仁三郎の孫で、南祖坊の生まれ変わりと言われる出口和明さんと縁が深い。
 そうしますと、このたび暫定的に「十和田2号」とした新たな耀わんは、もしすると田沢湖か八郎潟と、つまり辰子姫か八郎太郎と縁があるのかもしれません。そうだ、梅の紋が入っているから女性、すなわち辰子なのかも。
 さらにもうひとつ今回は「諏訪湖」も一緒でした。まさに龍神のネットワーク・デバイスが大集合という感じでしたら、八郎潟に近い金足農業が快進撃をしているのも納得できるところです。ちょっと神がかっていますからね。


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2018.08.19

大湯環状列石…愛と感謝

Th_img_2383 17日のマジカル・ミステリー・ツアーの続きです。
 田沢湖から玉川温泉、八幡平を抜けて、私たちは目的地である十和田湖へ。途中、黒又山(クロマンタ)を望む大湯の環状列石に立ち寄りました。
 縄文後期のストーンサークルであるこの遺構は、共同墓地跡であるとか、集落跡、祭祀場跡であるなどの説がありますが、このたび私たちの検証(体験)からしますと、「祈り」の場であったことはほぼ間違いないと思われます。
 以前一人でここを訪れた時には、我が家の「玉」を配置したところ、急に雨が降ってきました。このたび「玉」を三体配置し、歌と舞の奉納をいたしましたところ、上空だけがポッカリ晴れわたりました。
 そして、そこにいた皆が感じたのは、「愛」と「感謝」でした。縄文人のみならず、それ以前もそれ以後も、クロマンタや火山十和田や十和田湖、そして大地と空と太陽や星や月、その他すべての自然に対して人々が抱いてきた愛と感謝、また、すべての自然から私たちへの愛と感謝が交流する場が、ここストーンサークルだったのです。
 歌と舞という、太古から変わりない高次元メディアの力は本当にすごい。あらためて感激いたしました。
 祈りは言葉ではないのですね。


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2018.08.18

私の中に神がいて、神の中に私がいる。

Th_img_2334 にちがずれていますが、気にしないでくださいね。今日は17日のことを書きます。17日は濃かったので、何日かにわたります。
 そうそう、実は17日は私の54回目の誕生日だったんです。正直言って今までの誕生日の中で、最も楽しく、最も充実した日となりました。皆様のおかげです。ありがとうございました。
 さてさて、17日はまず田沢湖へ向かいました。途中までは雨が降り、寒々としていましたが、最後には青空が広がり、温かい太陽の光が注ぎ始めました。
 その時感じたこと。寒さや暖かさを感じる自分の中に、なるほど自然(モノ)がいるなと。雨やお日様が、自分の中にいるから、こうして感じることができるのだと。
 田沢湖は今日も青かった。しかし、それもまた、田沢湖が青いのではなく、田沢湖の中に青があるのです。
Th__20180819_120801 そして、そんなことを思いながら、御座石神社を参拝した時、御神鏡に自分の姿が映っていることに気づいたのです。
 なるほど、神の中にも私がいた!
 この相互的な入れ子構造こそ、昨日の「ボーダーレス」そのものですよね。なるほど。たとえば砂漠の一神教のような、神と人間との対立的な関係ではなく、仏教の「一切衆生悉有仏性」のように、全ての存在の中に神がいて、神の中に全ての存在があるというのが本当なのかもしれません。
 雨が止み、霧が晴れた田沢湖は、たしかに空の青や山の緑を映し、さらに青く見えたのでした。
 素晴らしい誕生日プレゼントですね。ありがとうございました。


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2018.08.17

西馬音内盆踊りに見るボーダーレス

Th_img_2375 16日夕方はみんなで鎌鼬美術館を訪れました。今回のメンバーの中には、ダンサーとフォトグラファーもおりましたので、また格別な訪問となりました。
 夕食は向かいにある「格山」さんで、おいしいおそばをいただきました。メンバーにはおそば関係者もおります。これまた格別な時間となりました。ありがとうございました。
 鎌鼬美術館も格山も、国際的とも言える素晴らしい展開を見せています。そこに関わった人々の思いが、あの世とこの世でコラボしているのだと、つくづく感じました。ご縁とはそういうものなのでしょう。
 さて、あの世とこの世といえば、夜に鑑賞した西馬音内盆踊りですね。雨のため残念ながら街並みの中ではなく、体育館での披露となってしまいましたが、逆にそのような機会はなかなかないので、明るいところで間近に鑑賞することができました。
 そこで感じたことは、「ボーダーレス」です。昨日紹介した薬師堂もそうでしたが、とにかく東北には近代的な意味での枠組みや分類が通用しない。だから面白いし、快感なのです。
 西馬音内盆踊りでは、死者と生者、男性と女性、大人と子ども、玄人と素人、聖と俗が渾然一体となっています。もちろん、踊る者と見る者の境目も希薄になっていく。
 そうした渾然の中に、「むすび」がある。すなわち、融合と創造があるわけですね。
 よく知られているように、歌垣を起源とすると考えられる盆踊りでは、男女の関係、性の営みにおいても非日常的な面を持っており、実際そこで新しい生命が生まれることもありました。
 祭はそのような、日常と非日常、ハレとケを結ぶ時空であり、そこに生命の力強さ、すなわち神の本質が体現されてきたのです。
 もちろん観光化の問題もあります。こうして「鑑賞」の対象となってしまった盆踊りが、はたして本来のエネルギーを持ち得ているのか疑問でありますが、しかし、一方で、すっかり西洋近代的な価値観によって世の中を分析、分節して生きている都会人たちが、こうして祭を「鑑賞」することによって、本来のなにモノかを思い出す機会になっているとも言えましょう。それもまた生命力の一部なのかもしれません。


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2018.08.16

成就院薬師堂(秋田県角館市)

 16日は東北(主に秋田)マジカル・ミステリー・ツアーの1日目。仲間たちを空港と新幹線の駅でピックアップし、計画では田沢湖に行くことになっていたのですが、天気がいまいちなので、急遽予定変更して角館へ。
 角館では、武家屋敷の雰囲気を味わいながら、昼食に比内鶏の親子丼や稲庭うどんをいただきました。今大人気の秋田犬「武家丸」にも会うことでき、そうこうしているうちに天候も回復傾向。前日までの暑さが嘘のように、まるで秋のような過ごしやすさとなりました。
Th_img_2324 さて、今回集まってくださった仲間たちに共通しているあるモノがありまして、その関係で成就院薬師堂を訪れました。
 昨日の田んぼの中のタワーマンションや、単線でカーブだらけで無人駅、踏切もあり、熊と衝突することもある秋田新幹線など、東北というのは、都会的、すなわち西洋近代的な価値観からすると、なんともボーダーがはっきりしていないといいますか、様々なモノが渾然一体となって共存しているところが面白い。
 ここ成就院薬師堂も、本尊は薬師瑠璃光如来でありながら、なぜか大きく立派な鳥居があり、そして堂内には参拝要領として「二拍 合掌 礼」とある。
Th__20180819_111400 ここはいったい寺なのか、神社なのか。いや、そんなコトはどうでもどうでもよいのです。庶民にとっては、ご利益さえあれば、それが仏であろうと神であろうと、はたまたキリストであろうと、正直どうでもよいのです。尊い「とでっこ」であれば名前やジャンルなどどうでもよい。
 そうした前近代的な日本人の本質が見え隠れするところが、東北の面白さであります。

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2018.08.15

スカイタワー41 (山形県上山市)

Th_unknown 日から、このたびの東北(特に秋田)マジカル・ミステリー・ツアーで心に残った「モノ」を少しずつ紹介していきましょう。モノの性質上、書けないコトも多いので、なんとなく分かりにくい記事が続くことになりますがお許しくださいませ。
 さてさて、15日の往路にして最も興味をそそられたのは、山形県上山市の「スカイタワー41」です。ウワサの高層マンションを初めてこの目で見ました。たしかにすごい!
 何がすごいって、写真のとおり、山形の田舎、のどかな田んぼの中に突如現れた(生えたのか、降ってきて刺さったのか?)タワーの、その存在感がすごいのであります。
 41階と言えば、東北地方でも最も高いビルということになります。それがこの田舎に突然現れたのだから、それはたしかに衝撃的であります。
 よくあるリゾート地、スキー場周辺の、バブルの墓標かと思いきや、いやいや、建ったのはバブル崩壊後。そして、今ではちゃんと完売して、ほとんど全ての部屋に人が住んでいる!
 いやあ、これはですね、もしかすると全国的にこういう風景が増えてもおかしくないのかもしれないなと思いましたよ。
 田舎にいながら、田舎特有のさまざまなしがらみを避けて、ある種都会的な生活をしたいという若い人たちも多いことでしょう。
 考えてみると、私もそういう田舎都会人の一人であり、だからこそ富士山という超高層建造物?の中層階に住んでいるのでした。
 なんでも当初は販売価格が高すぎて売れなかったとのこと。今では3LDKで一千万円以下がほとんどということですので、それならたしかに一般人が買えますね。+維持管理費で採算が合うのであれば、こういうマンションがいろいろな地方にあってもおかしくないことになります。
 私たちが、こういう風景を不自然に感じるのは、ある意味では妙な常識にとらわれているからですよね。逆に高層マンションは田園の中にあることが常識になれば、自然な風景になるのでしょう。
 では、なぜこの上山で常識を破るようなことができたのか。それについてはいろいろ地元の政治家が関わっていたようなので、ちょっと踏み込めないグレーゾーンなのですが、まあ結果として我々の常識を破った成功例となったという意味で、やはりすごいランドマークですよね。
 これ、全国展開したら絶対流行りますよ。時代がスカイタワー41に追いついてきているのかもしれません。

参考 山形県上山市ののどかな街に41階の超高層マンション 住み心地は
 

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2018.08.14

東北中央自動車道

Th__20180819_94614 日はもう19日です。たまった記事を書きます。15日に秋田に入り、16、17は仲間と秋田マジカル・ミステリー・ツアー。で、18日に富士山に戻ってきました。
 行き帰りはいつものとおり、愛車エブリィ貨物車で往復。今年は初めて東北道福島ジャンクションから東北中央自動車道を通って北上いたしました。
 東北中央自動車道は、福島県相馬市から秋田県横手市まで、基本的に国道13号線をなぞるように完成を目指している高速道路です。
 まだまだ断続的にしか完成しておらず、上ったり降りたり運用ですが、今回の往復ではそんな凸凹も楽しませていただきました。今年度中に供用開始の区間も多いので、来年にはもっと快適に運転できることになりそうです。
 今年は長く続いた都留音楽祭がないため、お盆の時期を少しずらして秋田に行くことになりましたので、帰省渋滞、Uターン渋滞を避けられました。
 そうしますと、富士山から秋田に行くには、中央道→圏央道→東北道→東北中央道というコースが最も近く、また安くなります。
 かつてはよく長野→新潟を回る日本海ルートを使いましたが、そちらよりも、時間にして2時間は短縮できました。とは言っても休憩入れて約9時間。日本は狭いとは言っても、遠いものは遠い。
 福島から米沢に抜けるルート上にある、東北最長のトンネル「栗子トンネル」は約9キロ。今回初めて通ってみた
わけですが、まあよくこれだけのものを掘りましたね。日本のトンネル掘削技術は本当にすごい。
 山形と秋田の県境には雄勝峠という難所が待っていますよね。あそこはどうするんでしょうかね。はたして全線開通はいつのことになるのか。
 しかし、毎年通るたびに道路ができ、つながっていくことに、ある種の感動を覚えます。人の力ってすごいですね。そして道路を造ってくださっている皆様に、本当に感謝です。

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2018.08.13

討論 『もし大東亜戦争の開戦が無かったら」

 後の日本にとっての「夏」は、戦争の反省の季節でした。
 もちろん戦争は悲惨ですが、いつまでその戦後は続き、私たちは反省をし続けなければならないのでしょう。
 というような皆さんの意見もよ〜く分かります。私も感情的にはそういう気がします。
 しかし、一方で、やはり忘れてはならない、二度と過ちを繰り返してはいないという方々の意見ももっともだと思います。
 正直双方ともセンチメンタリズムに基づくもので、そこが私にはいかにも日本的に映るのであります。
 いつも書いているように、たとえば靖国の御魂も私たちと同様に十人十色。勝手に「英霊」と十把一絡げにするのは間違っています。心を無にして靖国をお参りすれば、それこそ様々な声が聞こえてくるはずです。
 さて、そんな夏。平成最後の夏。そして、150年戦争最後の夏。いよいよこの夏の意味も来年あたりから大きく変わってくるものと思われます。
 変な話で恐縮ですが、その「最後の夏」がこれだけ暑く、甲子園の、すなわち高校生の野球を通じた軍隊文化ノスタルジーまでもが灼熱地獄となっているのは、これは偶然ではないと思っています。本当にこれで終わるのかもしれません。
 さて、そんな折、タイムリーな討論企画。「もし大東亜戦争開戦がなかったら」。たしかに漠然としたテーマであり、また歴史に「もし」は認められないとするなら、根本的に無理のあるテーマでありますが、だからこそ、保守派の皆さんの、歴史でなはい「物語」が全開していくことになっています。
 ちょうど、先日、国際関係論を学んでいる娘が、同様のテーマを大学のゼミかなにかで提起したようです。まあ、私がさしむけたわけですが(笑)。そこではいったいどういう議論になったのでしょう。あんまり盛り上がらなかったとの報告だけ受けていますが。
 よく「あの戦争は間違っていた」と言う人がいますが、では、はっきり言って避けられたのか。開戦しないでいたらどうなっていたのか。日本は日本でいられたのだろうか。
 また、「あの戦争に勝っていたら」という妄想も広がりますが、そうすると、今ここは大日本帝国ですか?
 結果としては、歴史は全て必然です。まるで、ほんの七十数年前の、祖父の時代の日本人が、今の我々よりも愚かだったような言い方だけは、私は許したくありません。
 一方で、人類の歴史を俯瞰して分かるとおり、大方の面においては、私たちは確実に進化してきており、戦争のみらなず命を奪われる機会というのは、ぐんと減っていると思います。
 また、あとからいろいろ言うのは、後出しジャンケンのようなもので、あの時グーを出したから負けたんだ、パーを出していればというのと同じです。
 そう、歴史というか、私たちの「今ここ」の生活のほとんどは、ジャンケンのような運を天にまかせるような選択の連続でもあるのです。常に相手のあること、縁の中で自身が生起してくるものであり、ある意味常に賭けをしているようなものです。
 ここのところいろいろなところで言っていますが、歴史を見る時に、「こういう選択をしたからこうなった」という因果関係で捉えるのではなく、その時の選択者がどのような未来を想定したのかという、逆因果で捉えるのことが大切です。
 なぜなら、「今ここ」の自分自身がそうやって生きているからです。その集合体をのちに過去から現在という、ある意味フィクションである時間軸の上に並べ直したのが、「歴史」という記録です。
 さてさて、そういう視点をもって、この討論を聞きしますと、なるほど保守派の皆さんの思考の限界というのが見えてきますね。大変面白いことです。
 当たり前ですが、さまざまな側面から「開戦がなかったら」と突き詰めていくと、「開戦しかなかった」ということが分かるでしょう。もちろん、その後の作戦ミスや、情報戦での敗北は、相手のある中での縁起ですから、やはり間違いだとは言えないでしょう。

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2018.08.12

新日本プロレスG1 CLIMAX 28 日本武道館大会3日目

Th_201808120000926w500_0 めでとうございます、棚橋選手。本当に素晴らしすぎる優勝決定戦でした。
 素晴らしくなることは予想されていましたが、その予想をはるかに超えた神どうしの戦い。戦いの中に溢れる愛。
 棚橋弘至と飯伏幸太。そう、かつてのプロレスラーにあった恐さはなく、愛と愛のぶつかり合いという新しい戦いの景色を見せてくれました。
 こういうプロレスを観て、昔のプロレスファンの一部は、こんなのダメだと言うでしょう。これはプロレスに限らず、たとえばスポーツ界、あるいは教育界でも同じ、そういう人がまだまだたくさんいます。
 しかし、ここのところずっと書いてきたように、時代がドラスティックに変わりつつあり、私たちはそれに気づき、それを受け入れ、自分自身を変えていかなければならないのです。
 そういう意味で、棚橋選手がこの20年くらい戦ってきたモノは強大だったと思います。今日の勝利は、飯伏選手や今回のG1の参加選手に勝ったという意味だけでは説明できません。
 これはまさにトップダウン、天の力による世界改造ですよ。人事を尽くした棚橋選手に、天がほほえんだ。そう感じました。
 そんな偉業を具現化するのに、大切な役割を演じた飯伏選手にも拍手を送りたいと思います。どんどん進化し、見たことのない風景を見せてくれる飯伏選手は本当にすごい。
 覚醒した飯伏選手を久しぶりに見ましたけれど、うん、棚橋選手のバックステージでの言葉は重かったなあ。

「後は飯伏が覚醒した状態のままでやれるか。俺は真のトップレスラーだから。オンとオフがないから。それが自慢だから」

 なるほど、常にオンでいられるのが棚橋選手のすごさなんですね。恒例のエアギターも含めて、試合後のパフォーマンスも全力。本当にファンに愛を届けようとしている。たしかに素晴らしく魅力的な男ですね。
 ありがとうプロレス。プロレスが時代の先端を行っていることを再確認した大会でした。

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2018.08.11

新日本プロレスG1 CLIMAX 28 日本武道館大会2日目

20180812_102505 の雪崩式タイガードライバーには本当に度肝を抜かれました。
 今回のG1において私的に最も楽しみにしていたカードが、今日のメイン、飯伏幸太vsケニー・オメガでした。
 もちろん内容は予想を上回るものでした。結果よりも、その内容と、試合後の二人の対話に、今私の中のテーマである、「荒魂と和魂」の答えが合ったような気がしました。
 究極の荒魂は和魂になる。これからの荒魂はこうした演劇的世界で昇華され、現実社会においてはその姿を消していくでしょう。そういう予感がしました。
 昨日も書いたとおり、プロレスは単なるスポーツではありません。ある意味演劇であり、哲学であり、修行でもあります。
 フランスの哲学者、ロラン・バルトも「プロレスする世界(レッスルする世界)」で、その神話作用に注目しています。
 現実の社会、いわばリアルがどん詰まりになった時、私たちはフィクションの中に次のリアルを見ます。今日の二人の戦いは明らかに未来の光を見せてくれました。
 お互いの限界と、限界突破のポテンシャルを信頼しあっているからこそ、真正面からぶつかり合い、磨きあえる。
 試合後、ケニーが語った「負けたい思った。誰かに進化してもらいたい、私より強い相手に出てきてほしかった」という言葉に、大きなヒントがあります。勝ち負けをすでに超えています。対立する二者をアウフヘーベンしている。
 親友同士という、その「和」の中に「荒」が取り込まれた瞬間でした。
 飯伏とケニーは2012年に武道館で当たっています。その時の試合も素晴らしかったけれども、明らかに次元が違いました。
Uni_2984_2 思えば、2009年、山梨でのキャンプ場プロレスの時、二人と一緒にバーベキューしました。その時の彼らが、こうして絶頂期を迎えている新日本プロレスのG!の武道館大会でメインを張るなんて、その時は夢にも思いませんでした。
 しかし、たしかに、「この天才たちを世の中の人に知ってもらいたい」とは思っていました。具体的ではなかったけれども、私も未来に妄想していました。そんなことも含めて、今日の芸術的な試合は格別な感情を湧き起こすに充分すぎるものでした。
 さて、明日は飯伏選手と棚橋選手による決勝戦です。これもまた、さまざまな対立構図の中に語られます。しかし、私が期待しているのは、対立ではなく、二人のパーソナリティーだからこそ可能であろう、「対話」です。
 楽しみにしています。大げさでなく、地球の未来を切り開くために、頑張ってください。

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2018.08.10

新日本プロレスG1 CLIMAX 28 日本武道館大会1日目

Th_201808110001spnavi_2018081100002 日のグレート小鹿さんもプロレス。今日テレビ観戦した棚橋弘至とオカダ・カズチカの戦いもプロレス。
 全くプロレスというのは奥深い。勝ち負けではなく、人生の春夏秋冬を見せるのがプロレスという芸術。スポーツはアートであるべきだと常々考えていますが、その答えの一つがプロレスの中にあると思います。
 今日から三日間は、新日本プロレスの真夏の祭典G1CLIMAXの、実質上の準決勝、決勝を堪能いたします。そういう記事になりますので、興味のない方はごめんなさい。
 まず、本来なら、11日の日本武道館は現場で生観戦する予定で、宿までとってあったのですが、なんとチケットが手に入らないという事態に。
 某関係者にお願いしていたのですが、あまりに人気でなかなかキャンセルが出ず、ようやく出たのはロイヤルシートでして、とてもそんなお金は払えず断念。当日券も炎天下の中長時間並んで取れるか取れないかだと聞いて、急遽参戦をとりやめました。代わりにテレビで三日間観戦する手続きをとりました。残念といえば残念。
 さてさて、ワタクシ、昔から完全に全日本派でありまして、あまり新日本の試合を観てこなかったのであります。最近大人気の「新・新日本」についても、それほど興味があるわけではなく、プロレス専門チャンネルのニュースで、その雰囲気を知る程度でした。
 しかし、今回は元DDTのケニー・オメガと飯伏幸太が武道館で当たると知り、二人のファンとして、新日本の大舞台でどんな未来的な戦いが展開するのか、非常に今日が湧いてきました。それでG1初参戦を目指したのであります。
 で、結果としてテレビでの観戦となったわけですが、今日10日のAブロックの最終戦もまあそこそこ楽しみました。正直「新」の部分についていけないところもありましたが、やはり今儲かっている団体だけあって、世界中の魅力的なレスラーが大挙参戦しており、第1試合から世界最高レベルの戦いが展開していたのは間違いありません。会場の雰囲気も良かった。
 特に、メインイベントの新日本看板カード、「棚橋対オカダ」は予想以上に素晴らしい試合でした。今までも何回か二人の対決は観てきましたが、今日の試合が一番棚橋らしさが出ていたと思います。
 思えば、今までの対戦では、新日本の中心は明らかにオカダだったので、今回、その流れとは違い、エースの復活劇的なストーリーの中で、その主人公棚橋選手が輝くのは当然と言えます。
 それなりに年齢を重ね、若い力に押され気味だった中年(失礼)が、まだまだ若いもんには負けないぞと、しかしそれを明るく爽やかにやってのけているところが、棚橋選手の中年らしからぬところであります。そこに人生の秋冬からの春夏という物語を感じることができました。
 逆に言うと、オカダ選手のこの世の春から夏には、しっかり秋が来ているということで、それはそれである種の演歌的な哀愁を感じさせるとともに、しかし一方でその先の明るい季節の到来をすでに予感させます。
 そういう「負け」が単なる負けでないところが、プロレスの温かさ優しさですよね。きっと若い女性たちも、そういう母性的な目で、荒くれ息子たちを見守っているのでしょう。
 明日、あさってもとっても楽しみです。

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2018.08.09

グレート小鹿…「高齢者が院政を敷くのはよくないよ」

Th_979c7_1399_433d376c_3798fd0d 45年ぶりにシングルの王座に輝いたグレート小鹿さんは76歳。
 インタビューで独自の高齢者論を展開しました。なんとも平和でいい話ですよ。同じ格闘技でも、相撲、アマレス、ボクシング、そして広義で言えばアフメトもあんな感じになっている中、プロレスはなんとも平和です。
 まあ、とりあえず記事をお読みください。

76歳・グレート小鹿45年ぶりシングル王者 78歳・山根会長問題へ持論を展開

 グレート小鹿さんには3年前にお会いして、素晴らしいお話をうかがいました。

グレート小鹿 vs 宮戸優光 特別トークバトル(UWFスネークピット・ジャパン)

Th__20151025_10_06_38 この記事にも書いてあるとおり、小鹿さんの報恩、社会貢献の気持ちは非常に強い。若い頃、いろいろな人たちのお世話になった分、若手を育て、ボランティアをし、恩を返す人生を送っています。
 このたびの王座奪取も、そうした流れの一つでしょう。こういう「老害」が世間を騒がせているご時世だからこそ、違った老人、高齢者のあり方を示しているのです。
 違う見方をすることもできます。実はプロレスの世界は、他の格闘技、あるいはスポーツの世界よりもかなり早い段階で、年功序列や上意下達、そして反社会的勢力との関係におけるマイナス面を克服してきたのです。
 プロレスの世界は70過ぎても現役でやれるどころか、チャンピオンにさえなれるという、独特の文化を持っています。純粋な西洋スポーツとはあまりに違う。
 では、日本の武道の世界はどうかいうと、これがまた硬直化していて、まだまだ旧弊悪弊が残っています。仏教の修行の世界もそうです。
 明治維新後、特に戦前戦中に造られたフィクションが、いまだ通用している困った世界がたくさんあるのです。教育の世界もそうですよ。
 東京オリンピックまでに、はたしてどこまで各世界が変わることができるのか。オリンピックとはスポーツの祭典であるだけでなく、文化、教育の祭典でもあるのです。
 甲子園も今年で終わりでしょうね。いいんじゃないですか、ちょうど100回ということで。
 今後、まだまだいろいろなところから膿が出てきますから、皆さん、楽しみにしていてください。決して悪い方向にはいきませんので。


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2018.08.08

どてらYMO 『RYDEEN』

 昨日、仲小路彰の文献の一つを紹介しました。政治の世界で厳然かつ暗然たる力を持っていた仲小路。
 しかし、彼が文化面、特に音楽に関しても厳然かつ暗然たる力を持っていたことはあまり知られていません。
 今日紹介するYMOというグローバルなバンドのコンセプトは、実は仲小路彰が創ったとも言えます。彼らは、仲小路の実働隊であり、キャンティのオーナーだった川添浩史(紫郎)を通じて、仲小路の「未来学原論」を読み、そこに展開する未来学、グローバリズムを、音楽によって具現化しました。
 それが世界に大きな衝撃を与えたことは言うまでもありません。
 今日紹介するのは、ご覧になった方、ご存知の方も多いであろう、「どてらYMO」です。NHKもさることながら、やっぱりスケールの大きなお三人は純粋に面白い(笑)。
 その三人が久しぶりに生で共演した貴重な映像がこれ。どてらと、すさまじいプロフェッショナルな演奏との対比がすごすぎますね。ホント、三人ともやばい。こういう演奏家、今いませんね。

 ちなみにこの妙なシチュエーションへの展開は次の動画のとおりです(笑)。いろいろやばいですなあ。

 コメント欄でも何人かが書いていますが、2020年東京オリンピックの開会式で、ぜひこの三人にどてらで演奏してほしいです!
 それが実現すれば、仲小路先生もきっと喜ばれることでしょう。いや、これは冗談でなく実現したいですね。

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2018.08.07

暴力・威圧による教育の時代は終わるのか?

Th__20180808_175100 研修会での指導を終え帰宅しました。指導とは言うのものの、特に今回はこちらが学ぶことが多かった。若手教員からいろいろ教えていただきました。
 たしかに時代は変わっている。
 たとえば、「新アンガールズ」と言われる、日大田中理事長にボクシング連盟山根会長に象徴されるような、「荒魂」的世界は、教育から追いやられる時代が来ました。
 今若い先生たちは、体罰や威圧的な発言、行動によって生徒をコントロールするという旧来のやり方を自ら捨てようとしています。これは素晴らしいことです。
 愛のムチ…たとえばこういう言い方によって美化されてきた「暴力」。そういう力が働いてこそ生徒は成長するという、よく考えれば全くエビデンスのない伝説がまかり通っていたのが、学校という異常な空間です。
 150年戦争終結という言い方で、いろいろなところで話していますが、学校のそうした軍隊文化もいよいよ終わらせなければならないですね。
 いや、ホント数ヶ月前までは、「昔はよかった」「今はダメだ」的な発想をしていたんです。お恥ずかしいことですが。
 しかし難しいですよ。今日もそういう話で6時間、グループワークしましたよ。何が間違っていたのか、何を変えていかなければならないのか。そういう検証が全くされてこなかった世界なので。
 若い先生方は大変ですよ。子どもたちは基本、どの時代も変わりません。反抗や怠惰という表現方法しか知らない生徒たちは今もたくさんいます。
 今までは、それを威圧によって3秒でしっかりさせることができました。私も、若い頃そういうことが苦手だったので、自分なりに訓練して、威圧も体罰もできるようになりました。しかし、そういう方法をとっていた頃の自分は、なにか不自然で、教師という仕事に対しても違和感を抱いていたのです。
 今、面白いもので、こういうご時世になりまして、ようやく自分らしく毎日を送れるようになったのです。不機嫌にならなくて、というか不機嫌なフリをしなくてよくなった。
 私、生来の性格で本当に怒りの感情がほとんどないんです。なのに先輩方から、そんなことではダメだ、なめられる、自分はこうして生徒を静かにさせる、と聞かされ、ある意味しかたなくやってきた部分があるのです。
 では、その代替策がしっかりあるかというと、今日の若い教員たちと同じく、これというものがないのです。だからこそ、今日は指導というよりも、本当に一緒に悩みましたよ。
 ただ、本当に時代はそういう「荒魂」ではなく、「和婚」の方向に動いてるのは間違いありません。これは実にいいことなのです。
 人類はいよいよそういう次元上昇の時を迎えているのでしょう。教育とは、未来の大人、すわなち未来の社会を創る営みです。
 子どもたちが、そうした暴力的な教育の世界から解放されれば、もしかすると世界から戦争がなくなるのかもしれません。
 ちょっと前までの私を知っている人は、いったい山口はどうしちゃったのか?と思うことでしょう。しかし、これはどうしようもありません。どの瞬間だったかは分かりませんが、急に変わったのです。
 誰か言っていました。不機嫌によって人をコントロールしようとするのは、赤ん坊と教師だけだと。笑えませんね。

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2018.08.06

『広島、長崎戦跡善後処置緊急具体案」 (仲小路彰)

Th__20180808_84318 島原爆忌。今日はある研修に講師指導者として参加しておりますが、たまたま広島からいらした先生とじっくりお話する機会がありました。
 被爆地ゆえの特殊な教育事情。このたびの豪雨被害について。広島は特別な試練の上に崇高な使命を持っているように感じました。
 仲小路彰は戦後すぐに、広島・長崎両被爆地について提言を行っています。はたしてこれが誰にあてられたものか分かりませんが、結果として、平和記念公園や資料館、そして原爆ドームの保存へとつながっていったことは間違いありません。
 今日はその貴重な文書の一部を翻刻して紹介したいと思います。お読みになっていただければ、仲小路がいかに進歩的、未来的な思想を持っていたかが理解できると思います。メディア戦略や経済戦略なども含め、当時の常識とはかなりかけ離れた、しかし未来的には実際に実現したアイデアが満載です。
 なお、旧字体は新字体に直しました。

 厳秘
  広島、長崎戦跡善後処置緊急具体案
 主要目標
  第一方法
 ウラニユーム原子爆弾を広島及長崎の両都市に使用したる結果を極めて広範囲に渉る各種科学の方面より整然と調査整理して之れを詳細に何等区々たる感情を混ふる事なく大胆率直に全世界に発表すること。
 之れに依りて自ら全世界の各所に軍事的方面より又は道徳的観念より或は宗教思想等の角度より各種の議論多出すべく之等は総て之れを大乗的見地よりなすに委せて唯その究極を之れに依りて最も深刻に人類を反省せしめ、物質文明特に近代科学の飛躍的に進歩せるに比して精神文化の発達甚だしく遅れ、殊に各国家間の国際道義の低下を今後如何に為すべきか、又社会道徳の混乱頽廃せる真相を如何にして正しく進歩向上せしむるかを自ら深刻に考慮せざるを得ざらしむる事。
  第二方法
 世界の宣伝網を活用すべくその中心勢力と協力する事。
 全世界のあらゆる交通及観光会社と提携する事。
 之れを映画化して極力活用する事。
 見学及観覧の為に完備せる大設備をなす事。
  第三方法
 之等のあらゆる方法を活発且つ有意義に実現し、而も之れを我国復興の一大財源たらしむる為に国家直接の機構は之れを唯背景となすに止め、公共又は私設団体或は特設会社を創設して之れに当らしむること。
 国家は即刻撮影、上映其他の権利を之れに与へて確保せしめ、外国人及それ等の会社との交渉は尽く之れに当らしめ今後の大計画及び相互の事情をよく懇談の上少くとも第一回の撮影許可料壱千万弗以上を入手し、直ちに之れを二分し、その一は直接罹災者の救助費の一部となし、その一はあらゆる設備の費用となす事。猶世界に之等の映画を上映する場合の純益の三割以上を提供せしむる事。

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2018.08.05

水で作る…MEGAニボ ど煮干し中華そば (エースコック)

Th_91od7t3osl_sl1500_ いシリーズその3。今年の夏、勝手にはまっているモノ。
 かなりアホですけど、ここのところ毎日のようにこれを食べています。それもお湯ではなく「水」で作って。
 えっと、最近はだいぶ知られてきましたが、いわゆるカップラーメン(そば、うどん、焼きそば含む)は、熱湯で作らなくともおいしくいただけます。
 特に暑い夏には、冷水で作っていただくのが最高です。いろいろ試した中で、この「ニボ」の冷たい版が一番美味い。ひんやりと煮干しの味が絶妙に合うんですよ。
 で、最後に残ったスープの中にご飯を突っ込んでいただくとまた最高。なんともジャンクな食生活ですね(笑)。一日一食なのに。それに缶チューハイという、最悪な夕食ということもあります。
 ちなみに、「水」での作り方ですが、普通にお湯で作るのと同じ要領です。ただ、フタはしなくてもいい。水ですので。
 そして、待ち時間ですが、一般的なカップ麺はだいたい20分ですけれど、この「ニボ」は長く置けば置くほど煮干しエキスが麺にしみてうまい。今日は1時間置きました。
 なんだかアホみたいと書きましたが、実は災害時など、お湯を沸かせない時に、こうして水でカップ麺を作れることを知っておくのは有効です。
 皆さんもお試しあれ。ちなみに今日娘はチリトマトヌードルを水で作って感動してましたよ。あれも合いそうだな。


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2018.08.04

折りたたみ日傘(晴雨兼用)

Th__20180805_181411 い、暑いシリーズが続きます。
 買いましたよ、とうとう。日傘です。日傘なんて女性のものだと思っていましたが、今や都会では男性も日傘を堂々とさしているようです。
 私、坊主頭、すなわちスキンヘッドじゃないですか。これがですね、真夏は涼しいどころか、とんでもなく熱い(痛い…ちなみに冬はめちゃ寒いっす)。
 で、最近は突然の夕立、いやゲリラ豪雨もあるじゃないですか。そうなるとやはり晴雨兼用の折りたたみ傘がほしくなる。
 実はずいぶん前から私は日傘をさしたかったんですよ。しかし、社会的なパラダイムシフトが起きないと、単なる変人にしか見えなかった。それが、昨日も書いたとおり「ホンモノのトップダウン=天の力」で、なかば強制的にパラダイムシフトが起きつつあるわけです。ラッキーですね(笑)。
 仲小路彰は弟子にこう語ったと伝えられています。

実に簡単です。
常識を捨てればいいんですから。
 

 これはすなわち、私たち凡夫にとってはこういうことを語っていますよね。

実に難しい。
常識や過去や信じてきたもの
を捨てるのは。

 たった日傘でさえも、私たちはなかなか常識を破ることができませんでした。それを見かねた天の神様が、こういう異常な酷暑を私たちに与えてくれたわけです。感謝しましょう。
 そうそう、この傘、軽くて小さくてホントいいですよ。自動開閉の仕組みなんていりません。ただ重くなるだけですからね。

Amazon  折りたたみ日傘(晴雨兼用)

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2018.08.03

「あんずボー」大人買い!

Th__20180805_92050 ばらく重いネタが続いたので、軽くいきます。
 とにかく暑いですね。ここ富士北麓では、かつては30度を超えることはほとんどなく、だからこそ避暑地であったわけですが、この夏はとうとう河口湖で35度を超えてしまいました。
 台風は逆走するし、これぞまさにトップダウン、天の力によって我々人間の生活や思考の様式がなかば強制的に変化させられています。
 さて、そんな中、ワタクシも暑さ対策を講じざるを得なくなっています。我が家でもついに扇風機が稼働しまじめましたし、今までは絶対にご法度だった「夜寝る時窓を開けっ放しにする」も毎日実施しています(ただし明け方、寒さで目覚めて閉めますが)。
 そして、10年ぶりくらいで復活したのが、「風呂上がりのあんずボー」です(笑)。ええと…なんと14年前にですね、このブログであんずボーをおススメしてるんですね。

あんずボー (ミナツネ)

 このたび、久々にこのあんずボーを大人買いしました。さすがに時代の流れからか、パッケージがあの駄菓子屋仕様の紙箱ではなく、樹脂製のおしゃれな?ものになっていました。しかし、中身、すなわち味は全く変わらない!
 素晴らしい。とにかくおいしい。風呂上がりのあんずボーは密かなブームになっているそうでして、Amazonでもけっこう大人買いする人がいるらしい。人気商品として「Amazon's Choice」になっています。
 なにしろ100本で2750円ということで、大人買いといってもそんなに大きな負担ではありません。1日2本食べても50日分です。ひと夏持ちますね。
 ところが、これがですね、1日2本と決めていても、どうしても3本食べちゃうんです(笑)。いかん。特に風呂上がりには最高。
 まあ、おかげでお酒の量は減っていますが。そう、ここのところ缶チューハイを毎日500ml1缶飲んでしまっていたのですが、あんずボーのおかげでそれも止まりました(笑)。そう、自分の中では、チューハイよりもあんずボーなんですよね(笑)。
 というわけで、まだまだ暑い日が続きます。皆さんもぜひお試しください。最高ですよ。

Amazon ミナツネ あんずボー 20本× 5箱

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2018.08.02

辻田真佐憲 『東京オリンピックは「太平洋戦争化」してしまうのか?』

20180803_84847 日は約40年ぶりに野球場のグランドに立ちました。最近野球熱が再燃しているという話は何度か書きましたが、それがなぜなのか、全く分かりません。自分でも不思議です。
 今日はグランドで高校生球児たちに話をする機会もありました。そこで、「新しい高校野球の歴史」という言葉を使わせていただきました。
 先日の校長先生方対象の講演では、「甲子園も今回の100回記念大会を期に大きく変わる」と予言?しました。
 実際、軍隊文化を最も引きずっている、いやそれを死守してきた甲子園も、自然の猛威という「神」の力によって修正を迫られているのです。
 まさに150年戦争の集結を象徴しているようですね。
 しかし、150年続いてきた頑固なその文化も、その往生際の悪さという最強最狂の捨身作戦で、最後の抵抗をしてくることでしょう。
 ある意味、その戦場となることが予想されているのが、2020年の東京オリンピックです。辻田真佐憲さんが、それを上手に記事にしてくれました。

「暑さはチャンス」なぜ東京オリンピックは「太平洋戦争化」してしまうのか? 森喜朗、小池百合子、東条英機……今も昔も「竹槍精神」

 講演でもあえて話させていただいたのですが、私はそういう根性論や精神論、神風的なモノが嫌いではありません。どちらかというと、そういう物語が好きです。また、そうした世界がもしかすると合理的な世界、科学的な世界を凌駕するのではないか、高次元物理学における意識の領域で説明できるのではないかとも思っています。
 しかし、実際問題として、人の命、特に若い人たちの命が危険にさらされていることは、学校現場で働くものとして看過できません。
 なぜ五輪を酷暑の時を選んで行うのか。いろいろ事情があります。それは20世紀的な価値観にのっとるものかもしれません。いったいどの「価値」が勝つのか。
 案外ですね、「神風」が吹くかもしれませんよ。つまり冷夏になる。ホントにありそうだから、日本という国は恐ろしい(笑)。
 昨日、ある政治家秘書の方から、「先生、出番ですよ!」と言われました。五輪に関する話です。もしかして、私のお役目は「神風」すなわち「涼風」を吹かせることなのかもしれませんね。

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2018.08.01

白井聡・國分功一郎 『日本人から思考を奪う「国体の正体」とは何か』

Th__20180802_90604 日の講演で「150年戦争」論を少し披瀝しました。日本は何と戦ってきたのか。そして勝ったのか、負けたのか。
 明治維新以来150年の見えない敵との戦いは今年終結します。折り返し地点は昭和17年から18年。まさに大東亜戦争の負け始め。
 そして昭和20年の「敗戦」。仲小路彰は「勝利」したと言いました。だから「終戦」であると。その本当の意味は、そこからの70数年、つまり戦後日本の戦いを視野に入れないと分かりません。ただ単に大東亜戦争の目的を達成したから勝利というのでは、あまりに都合が良すぎる。
 戦争が終わって、日本人は兵士であることをやめたかと思いきや、とんでもない。今度は企業戦士となって欧米と対等以上に戦いました。
 しかし、その戦いにも「負け始め」が訪れます。それがいつだったのか、バブル崩壊なのか、いや、もう少ししないと分からないでしょう。俯瞰しないと。
 つまり、私たち日本人は、この150年間において、少なくとも二度負けているのです。その無謀な戦いを支えたのは、根性論であり、精神論であり、滅私奉公であり、そして「国体」でした。
 …と、これは私の勝手な妄想であり、多くの方々の賛同は得られないと思いますが。
 しかし、この白井聡さんと 國分功一郎さんの対談では、多少似た論が展開されていると感じました。もちろん細かい部分では、私はとても彼らには敵わないわけですが、全体としては共感できる部分が多くありました。

日本人から思考を奪う「国体の正体」とは何か

 「国体」という概念自体が、もちろん明治以降に生まれたものです。教育勅語で明示され、その後国体明徴運動が起こり、国家として「国体の本義」まで発表されました。
 今の人たちにとって「国体」とは「国民体育大会」にほらならないのですが、それは笑い話ではなく、その「体育」の中に見事に戦前、戦中の文化が残っているという話も、少しですが昨日させていただきました。
 「国体」という、本義を明徴しなければ何が何やら分からないモノに支配され、結果として平和を築いてきたと同時に戦争もしてきた日本。なんとも不思議としか言いようのない歴史を持つ日本が、これから世界においてどういう価値を発揮していくのか。それは仲小路彰が示してくれています。そして、私はそれが正しくそのとおりになると信じています。

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