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2018.08.31

ゆかり・かおり・あかり (三島食品)

Th_trend_20180524172542thumb645xaut 用で静岡の実家に来ております。
 夕飯に「ゆかり」を使ったものが出ましたので、一つ紹介しておきましょう。
 「ゆかり」は今や辞書に載ってもおかしくないほど共通語化していますね。そう、あの紫蘇のふりかけのことです。
 広島の三島食品さんの製品ですね。商標が普通名詞のように使われるようになることはよくありますが、これはふりかけであるという意味ではちょっとユニークな例でしょう。
 もともとは「縁」という意味で「ゆかり」と名付けたそうですが、のちにあまりに有名になってしまい、また女子の名前のようでもあるところから、妹まで生まれる事態となりました。
 長女ゆかり(赤しそ)は1970年生まれの48歳。熟女ですね(笑)。次女かおり(青しそ)は1984年生まれの34歳。そして末っ子三女あかり(ピリ辛たらこ)は2010年生まれですからまだ8歳。
 こりゃ姉妹というより、親子孫という感じですなあ。ゆかりが14歳の時生んだのがかおりで、かおりが26の時生んだのがあかりとか(笑)。
 圧倒的におばあちゃん(失礼)の存在感が大きく、娘と孫は今ひとつ有名ではありませんね。今やゆかりはふりかけとしてではなく、最強の調味料とも言われ、さまざまな料理に使われています。プロもけっこう使っていますよね。
Th_1731595_detailimage1 ついでに最近のヒットといえば、ゆかりのペンでしょう。実際には、ゆかりだけでなく、かおりやあかりのも、また他の会社のふりかけや粉末のお茶バージョンなんかもあるんですが、やっぱりインパクトや実用性の高さでは「ゆかりペン」が最強でしょう。
 とはいえ、これって、やっぱりこのペンを開発した業者さんが偉いんだと思うんですよね。発想が良かった。たしかに持ち歩けるといいですよね。てか、レストランや食堂にふりかけ持ち込みしていいんでしょうかね(笑)。
 というわけで、私もゆかりおばあちゃんのペンを胸にさしています。中身は丸美屋のすきやきふりかけですけど(笑)。


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2018.08.30

TENDLIN 天然木層 iPhoneケース

Th_817xbcwx8kl_sl1500_ ょっと急用で忙しくなりそうなので、今日は軽い記事にします。
 最近気に入っているiPhoneのケースです。天然の木の感触が温かく柔らかく心地よい。
 TPUに極薄の天然木層を貼り付けてあるようですが、なかなかよくできていて多少の変形にも耐えられます。
 本体とのフィッティングもよろしく、ボタンの操作性も良い。
 天然木ですが耐水性もよいようで、昨日お風呂でゲーム中寝てしまい、iPhoneをドボンと湯船の底に落としてしまいましたが(笑)、全然大丈夫でした。
 あとは耐久性ですね。まあ安いものなので1年くらい使えれば良しとしましょう。今回は紫檀を購入してみましたが、次はほかの木材を選んでみるのもいいでしょう。
 それにしても、iPhoneのケース文化って面白いですね。こんなジャンルがここまで大きなマーケットになるなんて。ジョブズは当然そこまで想定していたのでしょう。
 ある意味どうせケースに収まってしまうので、ネイキッドな本体は完璧なデザインにすることができた。逆説ですよね。

Amazon TENDLIN iPhone8 ケース/ iPhone7 ケース 天然木層と弾性のあるTPU シリコン混合薄木製(紫檀)

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2018.08.29

『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか』 立川談慶 (日本実業出版社)

Th_51oust2n6kl_sx349_bo1204203200_ 日の話の続きなりましょうか。「学校」という異様空間の中での優等生が本当に優等なのか。それとも与太郎にこそ生きる力があるのか。
 実はこの問いに対する正解を、多くの先生たちは経験的に知っています。
 もちろん、優等生こそ優等…なのではなく、与太郎こそ可愛げがあり、生きる力を持っていて、なんだかんだ社会に出るとうまくやっていっている。
 逆の心配も常に消えません。すなわち、優等生がダメになるという経験則です。
 ですから、私も含めて、心ある(?)先生たちは、優等生を見つけると、それを崩しにかかります。それこそが仕事だとも言えます。
 今日もたまたま卒業生姉弟とその親御さんが遊びに来たのですが、その卒業生は二人とも、特に弟くんは「学校」的には手がかかりましたが、まあ、大人になったらそれなりにちゃんとやっていけるでしょうというタイプでした。
 そういう目利きをした先生たちは口を揃えて「大丈夫ですよ」と言いましたが、母親は心配でしかたなかったし、今も心配だと、今日は笑っていました。
 立川談慶さん、実は先日、私学の研修で講演されたのです。その話がとても面白かったので、御本人おススメのこの本を読んでみたというわけです。
 うん、たしかに!ということがたくさん書いてありました。談慶さん、山梨の私立の進学校を出て慶応大学に入り、ワコールに就職したという、まあそれだけ見れば、まあ優等生の部類に入るでしょう。
 しかし、そこから会社をやめて、立川談志に入門する。すっかり与太郎になってしまいました(笑)。ある意味、ボケとツッコミの両方を経験、理解している人ならではの、とってもためになる本でした。
 そうそう、ボケとツッコミって、素人のワタクシからすると、ボケがバカでツッコミが賢いのかと思っていたら、逆なんですね。うん、たしかに、ボケは社会の常識から自由で、ツッコミはそこに縛られている。だから、ツッコミの方がバカだと。キンコン西野さんもそう言っているそうです。
 そうした視点の転換を促すのが落語であり、またこの本であると思います。
 談慶さんの言葉を使えば、「敏」と「鈍」のアウフヘーベンでしょうか。二項対立、二元論ではなく、それらをアウフヘーベンするのが落語であり、日本人の知恵であったと。
 ディズニーランドに行くか、家で静かに写経するかで迷ったら、「ディズニーランドで写経する!」だそうです(笑)。なるほど!好きだなあ、その発想。
 時代が急速に変化していく現代、こうして古典の洗練された「型」の世界に、ある意味逆説的に真理を見出すことは、とても大切なことでしょう。それ自体が、現代と過去、新と旧といった二項対立を超えることだと思います。
 それにしても、たしかに談慶さんの話し方をうまかったなあ。あのリズム、間、微妙なずらしや、フリ、オチなど、人前でしゃべることを仕事としている者として、大変参考になりました。

Amazon なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか

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2018.08.28

学校行けなかった自分へ…中川翔子さんが「オールオッケー!」と言えるまで「しんどい時こそ、夢の種まき」

Th_2018082100000008withnews0005view 読みになった方も多いとは思いますが、自分のためにもここに記録しておきます。
 富士北麓地方は昔から1週間ほど早く2学期が始まります。最近では9月を待たず2学期を始める学校がけっこうあるようですね。
 とはいえ、やはりまだまだ9月1日からというところが多いことでしょう。そういう意味では、今日あたりも溜まった宿題を前にうんざりというか、正直暗〜い気持ちになっている子どもたちも少ないないのでは。いやいや、ほとんどみんなそうでしょうね。自分もそうでしたし。
 私、センセイになってから、ほとんど宿題を出していません。理由は単純でして、自分もいやだったから(笑)。いやいややってもちっともためにならない。
 というのは半分ホントで半分ウソ。回収したりチェックしたりするのが面倒くさいからです(笑)。というか、宿題の効果というのがはたしてあるのか、ちっとも検証されてこなかったと思うんですよ。
 教育現場って万事にそんな感じだから時代に取り残されていくんですよ。たとえば宿題を出すのが仕事だと思っているセンセイもいる。で、提出しないやつらを怒鳴り散らしたり。それがセンセイの姿だと、誰が決めたんでしょうね。
 宿題って、会社で言えば、持ち帰り残業ですよ。それを強制するのは、ブラック企業というか、ブラック学校ということになります。そういう発想はないんでしょうか。
 いつも講演や研修で言っているとおり、センセイという人たちは、学校で居心地が良かったお変人が、勘違いしてその職業に就いているからタチが悪いんです。
 ほとんど自虐的によく言うんですけど、私、生まれてこの方、一度も社会に出たことないんですよ。幼稚園に入る前まではママとずっと家にいたし、幼稚園入園のあとは、小学校、中学校、高校、大学、そして学校に就職して、また学校。学校が「社会」だなんて思っているのはセンセイだけ。
 ある時代までは、軍隊という社会への訓練所にはなっていました。その訓練所は残念ながら戦後もずっとその本質を変えずにきた。だから、体罰もいじめも不登校も、先生や先輩がやたらいばるのも、むちゃくちゃな練習を強いる部活も、みんな軍隊文化そのものじゃないですか。
 誰もそういうこと言いませんが、宇宙人から見ると(?)そのようにしか見えません。間違いありませんよ。
 だから、学校に行きたくないというのは、実に自然なことでもあるし、未来的なことでもあるのです。いちおうセンセイである私が言うんですから、たぶんこれは正しい。
 ようやく、そういうことをはっきり言える世の中になってきた。今までは、このしょこたんの記事にもあるように、学校に行かない、行けないことを、異常ととったり、わがままととったり、弱い人間ととったり、そんな感じでしたよね。
 もちろん、そういう軍隊のような理不尽な環境に耐えることが、実社会で役立つこともありました。特に会社が軍隊的だった昭和まではそうです。
 しかし、いかんせん、もう時代が違うんです。最近、実際に学校という場ではほとんど何も学ばなかったけれども、別の機会にいろいろ勉強して、社会でしっかり活躍している若者たちと対話することが多い。
 そのたびに、なんだか自分が数十年やってきたことに対して虚しさを感じるのですよ。そして、まだあと何年かそういう仕事をやってかなければならない。特にウチの学校は禅宗の教えに基づいているから、よけいに古い価値観に縛られがち。いや、もちろん私がそういう保守的な文化を大好きなことは、皆さんよくご存知でしょう。
 だからこそ悩みが多いのです。どうバランスを取っていこうか。あるいはアウフヘーベンしていこうか。苦しいけれども楽しい。逃げるつもりは全くありません。
 一度自分の信じてきたことやものを否定するところから始めてみようと思っています。とてもとてもマンネリ教師になっているヒマはありません。
 本題とは関係ない自分語りになってしまいましたが、まあ、とにくか中川翔子さんが言っていることは、いろいろな意味で正しい。学校という枠組みからはみ出したおかげで、立派なタレント、アイドルになれたという面も。それは非常に禅的な真実であります。
 苦痛を乗り越えられる人も、それはそれで良いし、長いものに巻かれてうまくやっている人も、それはそれで良い。そして、あまりの苦痛から、別の道、別の環境を探す人もまた、それで正しいのだと思います。みんな頑張れ!…頑張れと言ってはいけないという人もいますが、私はあえて自分も含めて全ての人に頑張れと言いたいと思います。

学校行けなかった自分へ…中川翔子さんが「オールオッケー!」と言えるまで「しんどい時こそ、夢の種まき」

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2018.08.27

アナザーストーリーズ「CD開発 “不良社員”たちが起こしたデジタル革命」

Th__20180827_181243 日の23時45分から再放送がありますので、ぜひご覧ください。
 音楽におけるアナログ、デジタルの問題はもちろん、働き方改革ってなんだろうなあとか、ブラック企業ってなんなのかなとか、高度経済成長、働く男たちのロマンとか…まあ、いろいろ考えさせられました。
 たしかに当時のソニーはとんがっていました。一方で、最後にAppleの話が出てきた時、本当にあの頃の日本企業のやり方が効率的だったのか、ちょっと疑問にも思えてしまいました。
 「あの頃」に憧れる自分と、「あの頃」を美化したくない自分がいるのです。
 それは松任谷正隆さんの、アナログとデジタルの間で揺れるご自身も同じなのかもしれない。最後にやっぱりデジタルがアナログを凌駕してしまったと認めざるを得なくなる、いや、そこに感動すらしてしまう…。
 本当にいろいろなことを考えさせられ、感じることができました。そうそう、スティービー・ワンダーの話も良かったなあ。彼のようなハンディをかかえた人にとって、テクノロジーはまさに神のような存在だったのでしょう。
 というわけで、あんまりネタバレしてもしかたないので、とにかく再放送をおススメすることにします。
 あと、やっぱり沢尻エリカさん、単なるナレーションなのだけれども、とにかくうまい!すごい人ですね。そこもこの番組の見どころの一つです。


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2018.08.26

PRISM 『Bu-1st album medley"Live2012"』

 日は甲府で某オケのお手伝い。ヴィオラで3曲弾いてきました。
 富士山と甲府の往復、車の中で聴いていたのがPRISMです。
 最近、大学生の夏休みを謳歌している上の娘が、サークルでフュージョンをやる機会があるようで、かっこいいJフュージョンの曲はないかと尋ねてきました。
 待ってましたとばかり、それこそ自分が大学生の時に聴いていたフュージョン、いやクロスオーバーを紹介しているのですが、その一つが、日本最古のフュージョン・バンドである「PRISM」の楽曲たちです。
 PRISMも今ではリーダーの和田アキラさんだけがオリジナル・メンバーとして残っていますが、まあ、和田さんのバドですからね、あとはサポートということでいいんじゃないでしょうか。
 で、古くからのマニアには異論もあるかと思うんですが、私は最新の「PRISM」が結構好きなんですよね。和田さん自身も当然お年を召されていろいろ変わって当たり前。ワタクシ的にはかなりいい感じで成熟されているように感じています。なんか哲学者みたいになられましたね。
 ドラムスの木村万作さんは安定していい味出してますし、ベースの岡田治郎さんがさりげなく実にうまい!クールでかっこいいし。そしてそして、なんといっても、個人的には渡部チェルさんが正式加入したというのが、衝撃的にうれしかった。
 渡部チェルさんと言えば、このブログではマイメロ関係でその天才性を紹介しました(笑)。いや、まさかその後「プリズム」に正式加入するなんて夢にも思いませんでしたよ。
 まあPRISMでもその才能を遺憾なく発揮しておりますし、相変わらずアニソンなどでも大活躍でいらっしゃいます。なにしろ、こうして天才的生演奏の様子を動画で見られるようになっただけでも、ファンとしては嬉しい!
 というわけで、2012年のカッコ良すぎるライヴの映像をどうぞ。この超絶メドレーは、ファンならずとも必見であります。こんなの生で聴いたら卒倒しちゃいますね。

PRISM公式

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2018.08.25

表現 Hyogen (バンド)

Th_img_2409 前中は学校の「カルチャーフェスティバル」。文化系クラブの大掛かりな発表会。今年は初めてふじさんホール(市民会館大ホール)での公演でした。
 個性的なクラブの多い本校。それぞれが素晴らしいレベルでのパフォーマンスをしてくれました。手前味噌になってしまいますが、すごい学校だと思いましたよ。
 講評の中で話をさせていただきましたのは、「culture」の語源が「cultivate(耕す)」であること。自分や人の心を耕し、美しい花を咲かせ豊かな実を結ばせるのが「文化」であると。
 というわけで、午前中は生徒たちのパフォーマンスに鑑賞し、また自分も演奏に加わって心を耕しましたが、夕方からは優れたプロミュージシャンの皆様に心を耕してもらいました。
 学校の母体である月江寺に「表現」という素敵なバンドがいらっしゃりコンサートをしてくれたのです。
 先代の住職の時代には盛んに「お寺コンサート」をやっていました(ちなみに30年前の第一回はワタクシが出演いたしました)。若い現住職もお寺は人が集まるべき場所というお考えをお持ちだったところ、仏縁あってか若い優秀なプロデューサーが現れ、「第1回月江寺音楽会」が実現する運びとなったのです。
 結論から言いますと、音楽会は大成功、「表現」の音楽はとっても魅力的でした。
 PAを使うとはいえ、基本はアコースティックな編成。彼らのオリジナル楽曲は、無国籍ノスタルジーとでもいうような、どこか懐かしい、つまりどこかで聞いたことがあるような、しかしとても新鮮なものでした。
 正直好きなタイプの音楽です。コード進行の循環、リフレイン、代替コードによる変化、転調の妙、物語性の強い4分の3や8分の6拍子のリズム、押し付けがましくない透明な歌詞、メロディーラインは個性的ですが、絶妙なコーラスでそれが柔らかく処理されている。
 即興性と論理性のバランスが素敵。こちらも感性と知性両方を同時に満たされました。皆さん、東京芸大の楽理の出身者なのかな。芸大楽理の友人は多数いますが、皆さんとってもいい音楽をされるんですよね。
 つまり、楽器の演奏の技術に囚われないのです。もっと本質的なところで音楽を感じている。それが楽器専攻の皆さんとは一線を画するところ。
 こういう音楽スタイル、演奏スタイル、興行スタイルで食っていける音楽界になるといいですね。私も退職後は旅芸人になることが決まっていますので、彼らとは仲良くしていきたいと思いました(笑)。
 「表現」、おススメです!下のサイトの動画をご覧いただけるとよく分かると思いますよ。今日も子たちが楽しそうに踊っていました。

「表現(Hyogen)」公式

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2018.08.24

『特殊有楽街 Special Amusement Center』 仲小路彰(昭和20年8月?)

Th__20180825_140134 日はまた歴史のお話。
 今年の終戦の日、以下のような記事をネットで読みました。

終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた

 なんとも重苦しい内容であります。これもまた戦敗国の現実です。
 「性の防波堤」たる「特殊慰安施設協会(RAA…Recreation and Amusement Association)」が計画されたのが終戦二日後。そしてその10日後には「慰安所第一号」がオープンしたとあります。
 一方、私がここ富士北麓のご老人たちから聞き取った話には、少し違ったニュアンスのものもありました。
 ここ富士北麓には日本軍の演習場があり、戦後すぐにアメリカ軍に接収され、キャンプマックネアと称されて約10年間大いに栄えました。そこにもやはり公設、私設の「慰安所」があったと聞きます。
 そうした「慰安所」が、たしかに「防波堤」として機能していたのは事実であり、それは見方によれば、日本の高度な防衛作戦であったとも言えます、実際そうした解釈をしている地元のお年寄りも複数いらっしゃいます。
 終戦時の山中湖と言えば、天才歴史哲学者仲小路彰がすでに住んでいましたね。そして、その終戦工作や終戦後の提言などを考えますと、その後の「戦後日本」のスタートに彼が深く関わっていると言って過言ではありません
 実は「慰安所」についても、仲小路は早い時期に重要な提言をしています。そして、それが実際に東久邇宮内閣、そしてのちに首相となる池田勇人に影響を与え、結果として上掲記事にあるRAAが実現したことも間違いありません。
 今日はその提言を活字化して紹介したいと思います。その経済的効果、さらに軍隊帰還の早めるための作戦など、仲小路の卓見を垣間見ることができる重要文書です。
 仲小路は、実際慰安にあたっていた職業婦人たちに対して、「昭和のお吉」と評価し、大変強い敬意を抱いていたとのことです。
 旧字体は新字体に改めました。

【厳秘】
  特殊有楽街 Special Amusement Center

一、占領地域に数個の外界から遮断せる特殊有楽街を設置し他に対し悪影響の波及するを厳に阻止し、猶この地域に一種の異国情緒を濃厚にせる設備を大規模に実施すること
一、この特殊有楽街は嘗つての長崎、江戸等に見る花街組織の上に近代西洋の趣味娯楽を加味しその風俗を飽くまで特殊地域のみ限定すること
一、こゝに働らく人々は一時廃業せる特殊業の者を再び集め、又既に頽廃せる者等をもつて組織し、政府がこれに対し相当積極的な施設をなし飽くまでも一般の風俗の紊乱を厳戒すること
一、この地域に外人部隊の莫大な浪費をなさしむべく特殊なる遊楽設備をなし、戦後経済の恐慌に対する一つの応急措置たらしむべきこと
一、外界から遮断するため所謂出島の如き地域を撰定すること極めて肝要なり、例へば東京にあつては台場、埋立地の利用をなすべきこと、猶既存の特殊街は市中にある限り成可くそれを使用せず都市より遠隔の地区に新しく設置しこれが不要となる時は直ちに全部取壊し禍根をすべて残さざるべく計画すべきこと、成可く焼□(足へんに止)を巧みに利用し一種の緑地化を先づ実現する可能性を示すこと
猶使用後の資材は新しく他に文化設備として転用するも可なり
一、占領軍の国別に応じ彼等の民族的性趣味に最も適合するべ情緒をもつて形成すること、寧ろ租界的色彩を意識的に表示し又彼等の本国に対する郷愁の念に堪へざらしめ軍隊帰還の時期を成可く促進せしむべく企図すること

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2018.08.23

度付きメガネをAmazonで買う

Th_61zoq0wb76l_sl1500_ んとも浮世離れした記事が続いたので、今日は軽めに現実的な内容にします。
 メガネを替えました。7年前に買った跳ね上げメガネの跳ね上げ部分が、あまりに多く跳ね上げたために摩耗し、クリック感がなくなってしまったのと、年相応に老眼が進行し、近くが見にくくなってしまい、結果として頭の上まで跳ね上げなければならなくなってしまったので、交換を決意いたしました。
 まあ可動部の多い跳ね上げメガネですから7年頑張ってくれたのでご苦労さまと言っていいでしょう。
 で、今回もお世話になっているメガネ屋さんでちゃんと作ろうと思ったのですが、運転免許の更新があったりしたので、とりあえず安い出来合いのモノを買ってみようと思い、Amazonでポチりました(笑)。
 自分の視力の度数もわからないし、PDも本当にテキトーに選んだんですが、それが奇跡的にぴったり合ってくれまして、めちゃくちゃラッキーだったのです。
 送料込みで2980円ですよ。ところが、とっても良いのです。TR100%の医療用樹脂フレームは韓国製、レンズはなんとHOYAでした。軽いし、丈夫そうだし、見え味は全く問題ないし、なんだか逆にだまされている(いた)ような感じです。
 あんまり良かったので、下の娘のも色違いで注文してしまいました。それもすぐに届きましたが、全く問題ありません。気に入っているようです。
 なんだか、自分専用のメガネがポストに届くというのは新鮮でしたね(笑)。皆さんもぜひお試しください。安いので、セカンドメガネというか、着せ替えというか、ファッションとしても良いと思いますし、シーンによっていろいろな度数を使い分けるというのもありだと思います。
 私も、運転用、楽器演奏用、パソコン用など、いろいろ用意してみようかと思っています。なにしろ歳で、ピント調整機能が劣化しているものでして(苦笑)。

Amazon 近眼用メガネ

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2018.08.22

安倍宗任(鳥海三郎)とニギハヤヒ

Th_250pxabe_munetou 田旅シリーズの番外編。
 実はこの旅、最初に企画してくれた方はあの方です(わかりませんよね)。御本人は残念ながら不参加になってしまいましたが、心は一緒に旅してくれたということでしたので、さっそく報告がてら近所にあるプライムミニスターのセカンドハウスにおじゃましました。
 そこで土産話&2021年以降の話をたっぷりさせていただいた中で、いつのまにか話題の中心になっていたのが、安倍宗任さん。
 ちなみに安倍総理のご先祖は安倍宗任です。安倍宗任は秋田近辺にいましたが、前九年の役で捕らえられ、のちに伊予、筑前に配流になっています。東の果てから西の果てまで流されたわけです。そして、その安倍宗任の子孫のうち、山口県長門市油谷に住み着いた一族が、安倍総理のご先祖だと言われています。
 その安倍宗任、実はこの旅で分かったことがあります。
 ウチのカミさんは旧姓「安倍」ですが、「アベ」とは読まず、すわなち「I'm not ABE」でして(笑)、「アンバイ」と読みます。
 ウチの家内の故郷は秋田県の羽後町軽井沢という山の中の集落です。鳥海山を望むその地には「安倍(アンバイ)」さんや「阿部(アベ)」さんがたくさん住んでいます。
 その集落から南側の峠を越えたところに川が流れています。子吉川。鳥海山を源流とする河川です。で、今回義弟が教えてくれたのですが、その子吉川、古くは「安倍川(アベカワ)」と呼ばれていたらしい。
 安倍川と言えば、ウチの実家のある静岡市の安倍川(今年は花火大会が中止になりましたね)、安倍川餅の安倍川が超有名ですが、なんと秋田の安倍の里の近くにもあったのです。
 考えてみると、安倍宗任は鳥海三郎とも呼ばれており、鳥海山とは切っても切れない縁があります。ただ、今までは、本家鳥海山麓の秋田山形ではなく、宮城や岩手の「鳥海」との関係ばかり言われてきた。
 しかし、それは鳥海三郎やその一族末裔が居住したから、のちにそういう地名になったのであり、やはりルーツは鳥海山であってしかるべきです。
 物部氏と安倍氏が深い関係にあることは、たとえば谷川健一さんの「白鳥伝説」にも詳しく書かれています。
Th_images そう、安倍、鳥海と言えば白鳥氏の存在を忘れてはなりません。白鳥氏も奥州安倍氏の系統です。「鳥」の字を使っているのも偶然ではないでしょう。
 そして、白鳥氏、羽後町となると、ワタクシ的大発見である、上到米の唐松神社本社。こちらの記事をお読みください。ほとんど誰も知らないホンモノの唐松神社は、鳥海山を望む形で鎮座しています。
 ちなみにパワースポットとしても有名な協和町の唐松神社。そこに残る物部文書によれば、ニギハヤヒは鳥海山に降臨したことになっています。しかし、そちら有名な唐松神社は鳥海山からはずいぶんと離れた所にあります。謎ですね。
 さてさて、結局何を言いたいかといいますと、安倍宗任は鳥海山を信仰しており、その鳥海山には物部氏の始祖であるニギハヤヒが祀られていたと。ニギハヤヒはその名から想像できるとおり、「和魂(にぎみたま)」を内包しています。
 物部氏が信仰した大和の三輪山に、出雲のオオクニヌシの和魂(にぎみたま)が祀られていたのも、もちろん偶然ではありません。
 そして、その物部の「和」を完全に理解し、物部氏の「国譲り」を受けて、その魂を永遠に残そうとしたのが、聖徳太子であり、その現実的な成果の一つが、十七条の憲法の第一条「以和為貴」なのです。
 さらに言えば、出口王仁三郎も鳥海山を特別な霊山としてとらえていました。田庭の真名井、そして石切神社とイスキリ…ここまで想像力を広げてしまうと、さすがに収拾がつかなくなってしまいましたが(笑)。
 統合失調ならぬ統合過剰なワタクシたちは、そんな話で大いに盛り上がりまして、最後には、アベ氏もアンバイ氏も、「和(にぎ)」をこの国に施すために存在し、現在の立場にあるのだと、まあ、そういう我田引水な結論に至ったわけであります(笑)。
 現在、鳥海山には「大物忌神」が祀られているとされています。「モノ」と「ニギ」との関係については、今研究中ですので、いつか書きましょう。

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2018.08.21

キリストの里公園の謎!?

Th_img_2353 足農業、残念でしたね。しかし、八郎太郎の末裔だけで(?)準優勝まで行ったのですから、これは本当に素晴らしすぎることでした。高校野球については、私は独特の視点で批判的に見ている部分もあるので、また近いうちに何か書こうと思います。
 てか、あの八郎潟のあたりって強い男をたくさん輩出しているんですよね。多くの力士、レスラーが出ている。野球でも落合博満さんがあのあたりの出身。彼らは長髄彦の末裔というウワサもあるんですよ。
 さてさて、吉田投手はマウンドで神になった。そう、マウンドというは特別な存在なのであります。マウンテンであり、塚・円墳であります。キリストが磔刑に処せられたゴルゴダの丘もある意味マウンド的存在です。
 というわけで、今回の七人旅の最後の経由地は新郷村にあるキリストの墓(&イスキリの墓)でした。54歳の誕生日の最後にキリスト&イスキリの墓参りというのもなかなかヲツであります。
 私は2年前に訪れており、その時私の解釈を詳しく書いています(こちら参照)。
 基本その考えは変わっていません。こういう「物語」に対して、あんまりホントウのコトを言ってしまうのは野暮ですけれども、まあそのホントウのコトもまた、かなり物語性が高いので、まあいいでしょう。
 さてさて、今回は違うところにツッコミを入れます。
 十和田湖にも「キリストの墓(はこちら)」という公式の青い看板がありますが、青森県、そして新郷村はこれらを本気で観光資源と考えていますね。実際、整備された「キリストの里」には金かかってるな感があります。上掲の過去記事にも書いたとおり、それは原子力行政のおかげでもあるわけですね。
Th__20180819_103325_2 で、その「キリストの里」なんですけどね、入り口のでっかい看板というかに英語が書かれているわけですよ。それがこういうふうになっている。

Christ of the village park

 これはどうなんでしょう。直訳すると「村の公園のキリスト」ってことですよね(笑)。
 「キリストの里公園」という日本語の語順どおりに英語が並んでいる。「里公園のキリスト」。
 どういうことなのでしょう。
 うん、これは「おらが村のキリスト」的なニュアンスなのか、それか、キリストもこうして日本で修行し、百歳越えるまでここで暮らしたとなれば、すっかり日本人化してしまい、日本語的な語順の干渉を受け…って、それじゃあ、なんでキリストが英語しゃべるんだよ!と、ジーザス・クライスト・スーパースターと同様のツッコミ不可避ですな(笑)。
 ま、それは冗談として、日本語に英語が干渉したことは間違いないでしょう。これは実に面白いですね。
 と思ったら!なななんと、もっと恐るべきことが!
 Googleさまで「キリストの里公園 英語」で検索したら、いきなりこんなのが出てきましたよ!ww

20180822_152633

 うお〜!これはどういうことですか。Googleさままで日本語の干渉を受けているのか?それとも、実際にある「キリストの里公園」の英訳を知っていて、こういう答えを出したのか!?
 これは神がかってますね(笑)。おそるべしキリストの墓&イスキリの墓、そして日本(笑)。


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2018.08.20

十和田湖へ…三湖伝説と金足農業

Th_img_2338 タクシ事でありますが、本当に今年の誕生日(8/17)は素晴らしい日になりました。
 いつもは一人旅なのですが、今回は七人旅。私のわがままな企画に気持ちよく乗っかってきてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
 いちおう今回の旅の最大の目的地は十和田湖でした。マニアックな話になってしまいますが…今回は今までの十和田湖訪問に必ず帯同した、我が家でお預かりしている出口王仁三郎の耀わん「十和田」に加え、その兄弟分の「十和田2号」も一緒でした。
 これって地味にすごいことだと思いますよ。不思議な不思議なご縁でこういうことになった。このたびの旅のメンバーも、皆さんもとをたどれば「十和田」が作ってくれたご縁です。そして今回、十和田が引きつけた新たなる十和田。
 ちょうどこの日、甲子園では金足農業が横浜を劇的に破りました。その後の快進撃も含めて、統合過剰なワタクシたちといたしましては、これぞ龍神様のお力添えであると信じるのであります(笑)。
 いやいや冗談でなく、田沢湖、十和田湖、そして金足農業の近くにある八郎潟の三湖には独特な「三湖伝説」があります。
Th_img_2339_2 八郎太郎が龍に姿を変え、十和田湖に住んでいました。そこに南祖坊という男が現れ戦います。結果は南祖坊の勝ち。南祖坊は十和田湖の主となり、十和田神社に祀られることになります。一方、辰子も龍に姿を変え田沢湖に住んでいたのですが、八郎はその辰子を見初め、田沢湖に通うようにります。そして、再び南祖坊と戦うことになり、今度は八郎が勝利…これが三湖伝説の概要です。
 異論はありますが、基本的に、現在十和田湖には南祖坊が、そして田沢湖には辰子が、八郎潟には八郎がいることになるわけですね。
 ちなみに我が家の耀わん「十和田」は、出口王仁三郎の孫で、南祖坊の生まれ変わりと言われる出口和明さんと縁が深い。
 そうしますと、このたび暫定的に「十和田2号」とした新たな耀わんは、もしすると田沢湖か八郎潟と、つまり辰子姫か八郎太郎と縁があるのかもしれません。そうだ、梅の紋が入っているから女性、すなわち辰子なのかも。
 さらにもうひとつ今回は「諏訪湖」も一緒でした。まさに龍神のネットワーク・デバイスが大集合という感じでしたら、八郎潟に近い金足農業が快進撃をしているのも納得できるところです。ちょっと神がかっていますからね。


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2018.08.19

大湯環状列石…愛と感謝

Th_img_2383 17日のマジカル・ミステリー・ツアーの続きです。
 田沢湖から玉川温泉、八幡平を抜けて、私たちは目的地である十和田湖へ。途中、黒又山(クロマンタ)を望む大湯の環状列石に立ち寄りました。
 縄文後期のストーンサークルであるこの遺構は、共同墓地跡であるとか、集落跡、祭祀場跡であるなどの説がありますが、このたび私たちの検証(体験)からしますと、「祈り」の場であったことはほぼ間違いないと思われます。
 以前一人でここを訪れた時には、我が家の「玉」を配置したところ、急に雨が降ってきました。このたび「玉」を三体配置し、歌と舞の奉納をいたしましたところ、上空だけがポッカリ晴れわたりました。
 そして、そこにいた皆が感じたのは、「愛」と「感謝」でした。縄文人のみならず、それ以前もそれ以後も、クロマンタや火山十和田や十和田湖、そして大地と空と太陽や星や月、その他すべての自然に対して人々が抱いてきた愛と感謝、また、すべての自然から私たちへの愛と感謝が交流する場が、ここストーンサークルだったのです。
 歌と舞という、太古から変わりない高次元メディアの力は本当にすごい。あらためて感激いたしました。
 祈りは言葉ではないのですね。


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2018.08.18

私の中に神がいて、神の中に私がいる。

Th_img_2334 にちがずれていますが、気にしないでくださいね。今日は17日のことを書きます。17日は濃かったので、何日かにわたります。
 そうそう、実は17日は私の54回目の誕生日だったんです。正直言って今までの誕生日の中で、最も楽しく、最も充実した日となりました。皆様のおかげです。ありがとうございました。
 さてさて、17日はまず田沢湖へ向かいました。途中までは雨が降り、寒々としていましたが、最後には青空が広がり、温かい太陽の光が注ぎ始めました。
 その時感じたこと。寒さや暖かさを感じる自分の中に、なるほど自然(モノ)がいるなと。雨やお日様が、自分の中にいるから、こうして感じることができるのだと。
 田沢湖は今日も青かった。しかし、それもまた、田沢湖が青いのではなく、田沢湖の中に青があるのです。
Th__20180819_120801 そして、そんなことを思いながら、御座石神社を参拝した時、御神鏡に自分の姿が映っていることに気づいたのです。
 なるほど、神の中にも私がいた!
 この相互的な入れ子構造こそ、昨日の「ボーダーレス」そのものですよね。なるほど。たとえば砂漠の一神教のような、神と人間との対立的な関係ではなく、仏教の「一切衆生悉有仏性」のように、全ての存在の中に神がいて、神の中に全ての存在があるというのが本当なのかもしれません。
 雨が止み、霧が晴れた田沢湖は、たしかに空の青や山の緑を映し、さらに青く見えたのでした。
 素晴らしい誕生日プレゼントですね。ありがとうございました。


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2018.08.17

西馬音内盆踊りに見るボーダーレス

Th_img_2375 16日夕方はみんなで鎌鼬美術館を訪れました。今回のメンバーの中には、ダンサーとフォトグラファーもおりましたので、また格別な訪問となりました。
 夕食は向かいにある「格山」さんで、おいしいおそばをいただきました。メンバーにはおそば関係者もおります。これまた格別な時間となりました。ありがとうございました。
 鎌鼬美術館も格山も、国際的とも言える素晴らしい展開を見せています。そこに関わった人々の思いが、あの世とこの世でコラボしているのだと、つくづく感じました。ご縁とはそういうものなのでしょう。
 さて、あの世とこの世といえば、夜に鑑賞した西馬音内盆踊りですね。雨のため残念ながら街並みの中ではなく、体育館での披露となってしまいましたが、逆にそのような機会はなかなかないので、明るいところで間近に鑑賞することができました。
 そこで感じたことは、「ボーダーレス」です。昨日紹介した薬師堂もそうでしたが、とにかく東北には近代的な意味での枠組みや分類が通用しない。だから面白いし、快感なのです。
 西馬音内盆踊りでは、死者と生者、男性と女性、大人と子ども、玄人と素人、聖と俗が渾然一体となっています。もちろん、踊る者と見る者の境目も希薄になっていく。
 そうした渾然の中に、「むすび」がある。すなわち、融合と創造があるわけですね。
 よく知られているように、歌垣を起源とすると考えられる盆踊りでは、男女の関係、性の営みにおいても非日常的な面を持っており、実際そこで新しい生命が生まれることもありました。
 祭はそのような、日常と非日常、ハレとケを結ぶ時空であり、そこに生命の力強さ、すなわち神の本質が体現されてきたのです。
 もちろん観光化の問題もあります。こうして「鑑賞」の対象となってしまった盆踊りが、はたして本来のエネルギーを持ち得ているのか疑問でありますが、しかし、一方で、すっかり西洋近代的な価値観によって世の中を分析、分節して生きている都会人たちが、こうして祭を「鑑賞」することによって、本来のなにモノかを思い出す機会になっているとも言えましょう。それもまた生命力の一部なのかもしれません。


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2018.08.16

成就院薬師堂(秋田県角館市)

 16日は東北(主に秋田)マジカル・ミステリー・ツアーの1日目。仲間たちを空港と新幹線の駅でピックアップし、計画では田沢湖に行くことになっていたのですが、天気がいまいちなので、急遽予定変更して角館へ。
 角館では、武家屋敷の雰囲気を味わいながら、昼食に比内鶏の親子丼や稲庭うどんをいただきました。今大人気の秋田犬「武家丸」にも会うことでき、そうこうしているうちに天候も回復傾向。前日までの暑さが嘘のように、まるで秋のような過ごしやすさとなりました。
Th_img_2324 さて、今回集まってくださった仲間たちに共通しているあるモノがありまして、その関係で成就院薬師堂を訪れました。
 昨日の田んぼの中のタワーマンションや、単線でカーブだらけで無人駅、踏切もあり、熊と衝突することもある秋田新幹線など、東北というのは、都会的、すなわち西洋近代的な価値観からすると、なんともボーダーがはっきりしていないといいますか、様々なモノが渾然一体となって共存しているところが面白い。
 ここ成就院薬師堂も、本尊は薬師瑠璃光如来でありながら、なぜか大きく立派な鳥居があり、そして堂内には参拝要領として「二拍 合掌 礼」とある。
Th__20180819_111400 ここはいったい寺なのか、神社なのか。いや、そんなコトはどうでもどうでもよいのです。庶民にとっては、ご利益さえあれば、それが仏であろうと神であろうと、はたまたキリストであろうと、正直どうでもよいのです。尊い「とでっこ」であれば名前やジャンルなどどうでもよい。
 そうした前近代的な日本人の本質が見え隠れするところが、東北の面白さであります。

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2018.08.15

スカイタワー41 (山形県上山市)

Th_unknown 日から、このたびの東北(特に秋田)マジカル・ミステリー・ツアーで心に残った「モノ」を少しずつ紹介していきましょう。モノの性質上、書けないコトも多いので、なんとなく分かりにくい記事が続くことになりますがお許しくださいませ。
 さてさて、15日の往路にして最も興味をそそられたのは、山形県上山市の「スカイタワー41」です。ウワサの高層マンションを初めてこの目で見ました。たしかにすごい!
 何がすごいって、写真のとおり、山形の田舎、のどかな田んぼの中に突如現れた(生えたのか、降ってきて刺さったのか?)タワーの、その存在感がすごいのであります。
 41階と言えば、東北地方でも最も高いビルということになります。それがこの田舎に突然現れたのだから、それはたしかに衝撃的であります。
 よくあるリゾート地、スキー場周辺の、バブルの墓標かと思いきや、いやいや、建ったのはバブル崩壊後。そして、今ではちゃんと完売して、ほとんど全ての部屋に人が住んでいる!
 いやあ、これはですね、もしかすると全国的にこういう風景が増えてもおかしくないのかもしれないなと思いましたよ。
 田舎にいながら、田舎特有のさまざまなしがらみを避けて、ある種都会的な生活をしたいという若い人たちも多いことでしょう。
 考えてみると、私もそういう田舎都会人の一人であり、だからこそ富士山という超高層建造物?の中層階に住んでいるのでした。
 なんでも当初は販売価格が高すぎて売れなかったとのこと。今では3LDKで一千万円以下がほとんどということですので、それならたしかに一般人が買えますね。+維持管理費で採算が合うのであれば、こういうマンションがいろいろな地方にあってもおかしくないことになります。
 私たちが、こういう風景を不自然に感じるのは、ある意味では妙な常識にとらわれているからですよね。逆に高層マンションは田園の中にあることが常識になれば、自然な風景になるのでしょう。
 では、なぜこの上山で常識を破るようなことができたのか。それについてはいろいろ地元の政治家が関わっていたようなので、ちょっと踏み込めないグレーゾーンなのですが、まあ結果として我々の常識を破った成功例となったという意味で、やはりすごいランドマークですよね。
 これ、全国展開したら絶対流行りますよ。時代がスカイタワー41に追いついてきているのかもしれません。

参考 山形県上山市ののどかな街に41階の超高層マンション 住み心地は
 

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2018.08.14

東北中央自動車道

Th__20180819_94614 日はもう19日です。たまった記事を書きます。15日に秋田に入り、16、17は仲間と秋田マジカル・ミステリー・ツアー。で、18日に富士山に戻ってきました。
 行き帰りはいつものとおり、愛車エブリィ貨物車で往復。今年は初めて東北道福島ジャンクションから東北中央自動車道を通って北上いたしました。
 東北中央自動車道は、福島県相馬市から秋田県横手市まで、基本的に国道13号線をなぞるように完成を目指している高速道路です。
 まだまだ断続的にしか完成しておらず、上ったり降りたり運用ですが、今回の往復ではそんな凸凹も楽しませていただきました。今年度中に供用開始の区間も多いので、来年にはもっと快適に運転できることになりそうです。
 今年は長く続いた都留音楽祭がないため、お盆の時期を少しずらして秋田に行くことになりましたので、帰省渋滞、Uターン渋滞を避けられました。
 そうしますと、富士山から秋田に行くには、中央道→圏央道→東北道→東北中央道というコースが最も近く、また安くなります。
 かつてはよく長野→新潟を回る日本海ルートを使いましたが、そちらよりも、時間にして2時間は短縮できました。とは言っても休憩入れて約9時間。日本は狭いとは言っても、遠いものは遠い。
 福島から米沢に抜けるルート上にある、東北最長のトンネル「栗子トンネル」は約9キロ。今回初めて通ってみた
わけですが、まあよくこれだけのものを掘りましたね。日本のトンネル掘削技術は本当にすごい。
 山形と秋田の県境には雄勝峠という難所が待っていますよね。あそこはどうするんでしょうかね。はたして全線開通はいつのことになるのか。
 しかし、毎年通るたびに道路ができ、つながっていくことに、ある種の感動を覚えます。人の力ってすごいですね。そして道路を造ってくださっている皆様に、本当に感謝です。

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2018.08.13

討論 『もし大東亜戦争の開戦が無かったら」

 後の日本にとっての「夏」は、戦争の反省の季節でした。
 もちろん戦争は悲惨ですが、いつまでその戦後は続き、私たちは反省をし続けなければならないのでしょう。
 というような皆さんの意見もよ〜く分かります。私も感情的にはそういう気がします。
 しかし、一方で、やはり忘れてはならない、二度と過ちを繰り返してはいないという方々の意見ももっともだと思います。
 正直双方ともセンチメンタリズムに基づくもので、そこが私にはいかにも日本的に映るのであります。
 いつも書いているように、たとえば靖国の御魂も私たちと同様に十人十色。勝手に「英霊」と十把一絡げにするのは間違っています。心を無にして靖国をお参りすれば、それこそ様々な声が聞こえてくるはずです。
 さて、そんな夏。平成最後の夏。そして、150年戦争最後の夏。いよいよこの夏の意味も来年あたりから大きく変わってくるものと思われます。
 変な話で恐縮ですが、その「最後の夏」がこれだけ暑く、甲子園の、すなわち高校生の野球を通じた軍隊文化ノスタルジーまでもが灼熱地獄となっているのは、これは偶然ではないと思っています。本当にこれで終わるのかもしれません。
 さて、そんな折、タイムリーな討論企画。「もし大東亜戦争開戦がなかったら」。たしかに漠然としたテーマであり、また歴史に「もし」は認められないとするなら、根本的に無理のあるテーマでありますが、だからこそ、保守派の皆さんの、歴史でなはい「物語」が全開していくことになっています。
 ちょうど、先日、国際関係論を学んでいる娘が、同様のテーマを大学のゼミかなにかで提起したようです。まあ、私がさしむけたわけですが(笑)。そこではいったいどういう議論になったのでしょう。あんまり盛り上がらなかったとの報告だけ受けていますが。
 よく「あの戦争は間違っていた」と言う人がいますが、では、はっきり言って避けられたのか。開戦しないでいたらどうなっていたのか。日本は日本でいられたのだろうか。
 また、「あの戦争に勝っていたら」という妄想も広がりますが、そうすると、今ここは大日本帝国ですか?
 結果としては、歴史は全て必然です。まるで、ほんの七十数年前の、祖父の時代の日本人が、今の我々よりも愚かだったような言い方だけは、私は許したくありません。
 一方で、人類の歴史を俯瞰して分かるとおり、大方の面においては、私たちは確実に進化してきており、戦争のみらなず命を奪われる機会というのは、ぐんと減っていると思います。
 また、あとからいろいろ言うのは、後出しジャンケンのようなもので、あの時グーを出したから負けたんだ、パーを出していればというのと同じです。
 そう、歴史というか、私たちの「今ここ」の生活のほとんどは、ジャンケンのような運を天にまかせるような選択の連続でもあるのです。常に相手のあること、縁の中で自身が生起してくるものであり、ある意味常に賭けをしているようなものです。
 ここのところいろいろなところで言っていますが、歴史を見る時に、「こういう選択をしたからこうなった」という因果関係で捉えるのではなく、その時の選択者がどのような未来を想定したのかという、逆因果で捉えるのことが大切です。
 なぜなら、「今ここ」の自分自身がそうやって生きているからです。その集合体をのちに過去から現在という、ある意味フィクションである時間軸の上に並べ直したのが、「歴史」という記録です。
 さてさて、そういう視点をもって、この討論を聞きしますと、なるほど保守派の皆さんの思考の限界というのが見えてきますね。大変面白いことです。
 当たり前ですが、さまざまな側面から「開戦がなかったら」と突き詰めていくと、「開戦しかなかった」ということが分かるでしょう。もちろん、その後の作戦ミスや、情報戦での敗北は、相手のある中での縁起ですから、やはり間違いだとは言えないでしょう。

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2018.08.12

新日本プロレスG1 CLIMAX 28 日本武道館大会3日目

Th_201808120000926w500_0 めでとうございます、棚橋選手。本当に素晴らしすぎる優勝決定戦でした。
 素晴らしくなることは予想されていましたが、その予想をはるかに超えた神どうしの戦い。戦いの中に溢れる愛。
 棚橋弘至と飯伏幸太。そう、かつてのプロレスラーにあった恐さはなく、愛と愛のぶつかり合いという新しい戦いの景色を見せてくれました。
 こういうプロレスを観て、昔のプロレスファンの一部は、こんなのダメだと言うでしょう。これはプロレスに限らず、たとえばスポーツ界、あるいは教育界でも同じ、そういう人がまだまだたくさんいます。
 しかし、ここのところずっと書いてきたように、時代がドラスティックに変わりつつあり、私たちはそれに気づき、それを受け入れ、自分自身を変えていかなければならないのです。
 そういう意味で、棚橋選手がこの20年くらい戦ってきたモノは強大だったと思います。今日の勝利は、飯伏選手や今回のG1の参加選手に勝ったという意味だけでは説明できません。
 これはまさにトップダウン、天の力による世界改造ですよ。人事を尽くした棚橋選手に、天がほほえんだ。そう感じました。
 そんな偉業を具現化するのに、大切な役割を演じた飯伏選手にも拍手を送りたいと思います。どんどん進化し、見たことのない風景を見せてくれる飯伏選手は本当にすごい。
 覚醒した飯伏選手を久しぶりに見ましたけれど、うん、棚橋選手のバックステージでの言葉は重かったなあ。

「後は飯伏が覚醒した状態のままでやれるか。俺は真のトップレスラーだから。オンとオフがないから。それが自慢だから」

 なるほど、常にオンでいられるのが棚橋選手のすごさなんですね。恒例のエアギターも含めて、試合後のパフォーマンスも全力。本当にファンに愛を届けようとしている。たしかに素晴らしく魅力的な男ですね。
 ありがとうプロレス。プロレスが時代の先端を行っていることを再確認した大会でした。

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2018.08.11

新日本プロレスG1 CLIMAX 28 日本武道館大会2日目

20180812_102505 の雪崩式タイガードライバーには本当に度肝を抜かれました。
 今回のG1において私的に最も楽しみにしていたカードが、今日のメイン、飯伏幸太vsケニー・オメガでした。
 もちろん内容は予想を上回るものでした。結果よりも、その内容と、試合後の二人の対話に、今私の中のテーマである、「荒魂と和魂」の答えが合ったような気がしました。
 究極の荒魂は和魂になる。これからの荒魂はこうした演劇的世界で昇華され、現実社会においてはその姿を消していくでしょう。そういう予感がしました。
 昨日も書いたとおり、プロレスは単なるスポーツではありません。ある意味演劇であり、哲学であり、修行でもあります。
 フランスの哲学者、ロラン・バルトも「プロレスする世界(レッスルする世界)」で、その神話作用に注目しています。
 現実の社会、いわばリアルがどん詰まりになった時、私たちはフィクションの中に次のリアルを見ます。今日の二人の戦いは明らかに未来の光を見せてくれました。
 お互いの限界と、限界突破のポテンシャルを信頼しあっているからこそ、真正面からぶつかり合い、磨きあえる。
 試合後、ケニーが語った「負けたい思った。誰かに進化してもらいたい、私より強い相手に出てきてほしかった」という言葉に、大きなヒントがあります。勝ち負けをすでに超えています。対立する二者をアウフヘーベンしている。
 親友同士という、その「和」の中に「荒」が取り込まれた瞬間でした。
 飯伏とケニーは2012年に武道館で当たっています。その時の試合も素晴らしかったけれども、明らかに次元が違いました。
Uni_2984_2 思えば、2009年、山梨でのキャンプ場プロレスの時、二人と一緒にバーベキューしました。その時の彼らが、こうして絶頂期を迎えている新日本プロレスのG!の武道館大会でメインを張るなんて、その時は夢にも思いませんでした。
 しかし、たしかに、「この天才たちを世の中の人に知ってもらいたい」とは思っていました。具体的ではなかったけれども、私も未来に妄想していました。そんなことも含めて、今日の芸術的な試合は格別な感情を湧き起こすに充分すぎるものでした。
 さて、明日は飯伏選手と棚橋選手による決勝戦です。これもまた、さまざまな対立構図の中に語られます。しかし、私が期待しているのは、対立ではなく、二人のパーソナリティーだからこそ可能であろう、「対話」です。
 楽しみにしています。大げさでなく、地球の未来を切り開くために、頑張ってください。

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2018.08.10

新日本プロレスG1 CLIMAX 28 日本武道館大会1日目

Th_201808110001spnavi_2018081100002 日のグレート小鹿さんもプロレス。今日テレビ観戦した棚橋弘至とオカダ・カズチカの戦いもプロレス。
 全くプロレスというのは奥深い。勝ち負けではなく、人生の春夏秋冬を見せるのがプロレスという芸術。スポーツはアートであるべきだと常々考えていますが、その答えの一つがプロレスの中にあると思います。
 今日から三日間は、新日本プロレスの真夏の祭典G1CLIMAXの、実質上の準決勝、決勝を堪能いたします。そういう記事になりますので、興味のない方はごめんなさい。
 まず、本来なら、11日の日本武道館は現場で生観戦する予定で、宿までとってあったのですが、なんとチケットが手に入らないという事態に。
 某関係者にお願いしていたのですが、あまりに人気でなかなかキャンセルが出ず、ようやく出たのはロイヤルシートでして、とてもそんなお金は払えず断念。当日券も炎天下の中長時間並んで取れるか取れないかだと聞いて、急遽参戦をとりやめました。代わりにテレビで三日間観戦する手続きをとりました。残念といえば残念。
 さてさて、ワタクシ、昔から完全に全日本派でありまして、あまり新日本の試合を観てこなかったのであります。最近大人気の「新・新日本」についても、それほど興味があるわけではなく、プロレス専門チャンネルのニュースで、その雰囲気を知る程度でした。
 しかし、今回は元DDTのケニー・オメガと飯伏幸太が武道館で当たると知り、二人のファンとして、新日本の大舞台でどんな未来的な戦いが展開するのか、非常に今日が湧いてきました。それでG1初参戦を目指したのであります。
 で、結果としてテレビでの観戦となったわけですが、今日10日のAブロックの最終戦もまあそこそこ楽しみました。正直「新」の部分についていけないところもありましたが、やはり今儲かっている団体だけあって、世界中の魅力的なレスラーが大挙参戦しており、第1試合から世界最高レベルの戦いが展開していたのは間違いありません。会場の雰囲気も良かった。
 特に、メインイベントの新日本看板カード、「棚橋対オカダ」は予想以上に素晴らしい試合でした。今までも何回か二人の対決は観てきましたが、今日の試合が一番棚橋らしさが出ていたと思います。
 思えば、今までの対戦では、新日本の中心は明らかにオカダだったので、今回、その流れとは違い、エースの復活劇的なストーリーの中で、その主人公棚橋選手が輝くのは当然と言えます。
 それなりに年齢を重ね、若い力に押され気味だった中年(失礼)が、まだまだ若いもんには負けないぞと、しかしそれを明るく爽やかにやってのけているところが、棚橋選手の中年らしからぬところであります。そこに人生の秋冬からの春夏という物語を感じることができました。
 逆に言うと、オカダ選手のこの世の春から夏には、しっかり秋が来ているということで、それはそれである種の演歌的な哀愁を感じさせるとともに、しかし一方でその先の明るい季節の到来をすでに予感させます。
 そういう「負け」が単なる負けでないところが、プロレスの温かさ優しさですよね。きっと若い女性たちも、そういう母性的な目で、荒くれ息子たちを見守っているのでしょう。
 明日、あさってもとっても楽しみです。

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2018.08.09

グレート小鹿…「高齢者が院政を敷くのはよくないよ」

Th_979c7_1399_433d376c_3798fd0d 45年ぶりにシングルの王座に輝いたグレート小鹿さんは76歳。
 インタビューで独自の高齢者論を展開しました。なんとも平和でいい話ですよ。同じ格闘技でも、相撲、アマレス、ボクシング、そして広義で言えばアフメトもあんな感じになっている中、プロレスはなんとも平和です。
 まあ、とりあえず記事をお読みください。

76歳・グレート小鹿45年ぶりシングル王者 78歳・山根会長問題へ持論を展開

 グレート小鹿さんには3年前にお会いして、素晴らしいお話をうかがいました。

グレート小鹿 vs 宮戸優光 特別トークバトル(UWFスネークピット・ジャパン)

Th__20151025_10_06_38 この記事にも書いてあるとおり、小鹿さんの報恩、社会貢献の気持ちは非常に強い。若い頃、いろいろな人たちのお世話になった分、若手を育て、ボランティアをし、恩を返す人生を送っています。
 このたびの王座奪取も、そうした流れの一つでしょう。こういう「老害」が世間を騒がせているご時世だからこそ、違った老人、高齢者のあり方を示しているのです。
 違う見方をすることもできます。実はプロレスの世界は、他の格闘技、あるいはスポーツの世界よりもかなり早い段階で、年功序列や上意下達、そして反社会的勢力との関係におけるマイナス面を克服してきたのです。
 プロレスの世界は70過ぎても現役でやれるどころか、チャンピオンにさえなれるという、独特の文化を持っています。純粋な西洋スポーツとはあまりに違う。
 では、日本の武道の世界はどうかいうと、これがまた硬直化していて、まだまだ旧弊悪弊が残っています。仏教の修行の世界もそうです。
 明治維新後、特に戦前戦中に造られたフィクションが、いまだ通用している困った世界がたくさんあるのです。教育の世界もそうですよ。
 東京オリンピックまでに、はたしてどこまで各世界が変わることができるのか。オリンピックとはスポーツの祭典であるだけでなく、文化、教育の祭典でもあるのです。
 甲子園も今年で終わりでしょうね。いいんじゃないですか、ちょうど100回ということで。
 今後、まだまだいろいろなところから膿が出てきますから、皆さん、楽しみにしていてください。決して悪い方向にはいきませんので。


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2018.08.08

どてらYMO 『RYDEEN』

 昨日、仲小路彰の文献の一つを紹介しました。政治の世界で厳然かつ暗然たる力を持っていた仲小路。
 しかし、彼が文化面、特に音楽に関しても厳然かつ暗然たる力を持っていたことはあまり知られていません。
 今日紹介するYMOというグローバルなバンドのコンセプトは、実は仲小路彰が創ったとも言えます。彼らは、仲小路の実働隊であり、キャンティのオーナーだった川添浩史(紫郎)を通じて、仲小路の「未来学原論」を読み、そこに展開する未来学、グローバリズムを、音楽によって具現化しました。
 それが世界に大きな衝撃を与えたことは言うまでもありません。
 今日紹介するのは、ご覧になった方、ご存知の方も多いであろう、「どてらYMO」です。NHKもさることながら、やっぱりスケールの大きなお三人は純粋に面白い(笑)。
 その三人が久しぶりに生で共演した貴重な映像がこれ。どてらと、すさまじいプロフェッショナルな演奏との対比がすごすぎますね。ホント、三人ともやばい。こういう演奏家、今いませんね。

 ちなみにこの妙なシチュエーションへの展開は次の動画のとおりです(笑)。いろいろやばいですなあ。

 コメント欄でも何人かが書いていますが、2020年東京オリンピックの開会式で、ぜひこの三人にどてらで演奏してほしいです!
 それが実現すれば、仲小路先生もきっと喜ばれることでしょう。いや、これは冗談でなく実現したいですね。

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2018.08.07

暴力・威圧による教育の時代は終わるのか?

Th__20180808_175100 研修会での指導を終え帰宅しました。指導とは言うのものの、特に今回はこちらが学ぶことが多かった。若手教員からいろいろ教えていただきました。
 たしかに時代は変わっている。
 たとえば、「新アンガールズ」と言われる、日大田中理事長にボクシング連盟山根会長に象徴されるような、「荒魂」的世界は、教育から追いやられる時代が来ました。
 今若い先生たちは、体罰や威圧的な発言、行動によって生徒をコントロールするという旧来のやり方を自ら捨てようとしています。これは素晴らしいことです。
 愛のムチ…たとえばこういう言い方によって美化されてきた「暴力」。そういう力が働いてこそ生徒は成長するという、よく考えれば全くエビデンスのない伝説がまかり通っていたのが、学校という異常な空間です。
 150年戦争終結という言い方で、いろいろなところで話していますが、学校のそうした軍隊文化もいよいよ終わらせなければならないですね。
 いや、ホント数ヶ月前までは、「昔はよかった」「今はダメだ」的な発想をしていたんです。お恥ずかしいことですが。
 しかし難しいですよ。今日もそういう話で6時間、グループワークしましたよ。何が間違っていたのか、何を変えていかなければならないのか。そういう検証が全くされてこなかった世界なので。
 若い先生方は大変ですよ。子どもたちは基本、どの時代も変わりません。反抗や怠惰という表現方法しか知らない生徒たちは今もたくさんいます。
 今までは、それを威圧によって3秒でしっかりさせることができました。私も、若い頃そういうことが苦手だったので、自分なりに訓練して、威圧も体罰もできるようになりました。しかし、そういう方法をとっていた頃の自分は、なにか不自然で、教師という仕事に対しても違和感を抱いていたのです。
 今、面白いもので、こういうご時世になりまして、ようやく自分らしく毎日を送れるようになったのです。不機嫌にならなくて、というか不機嫌なフリをしなくてよくなった。
 私、生来の性格で本当に怒りの感情がほとんどないんです。なのに先輩方から、そんなことではダメだ、なめられる、自分はこうして生徒を静かにさせる、と聞かされ、ある意味しかたなくやってきた部分があるのです。
 では、その代替策がしっかりあるかというと、今日の若い教員たちと同じく、これというものがないのです。だからこそ、今日は指導というよりも、本当に一緒に悩みましたよ。
 ただ、本当に時代はそういう「荒魂」ではなく、「和婚」の方向に動いてるのは間違いありません。これは実にいいことなのです。
 人類はいよいよそういう次元上昇の時を迎えているのでしょう。教育とは、未来の大人、すわなち未来の社会を創る営みです。
 子どもたちが、そうした暴力的な教育の世界から解放されれば、もしかすると世界から戦争がなくなるのかもしれません。
 ちょっと前までの私を知っている人は、いったい山口はどうしちゃったのか?と思うことでしょう。しかし、これはどうしようもありません。どの瞬間だったかは分かりませんが、急に変わったのです。
 誰か言っていました。不機嫌によって人をコントロールしようとするのは、赤ん坊と教師だけだと。笑えませんね。

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2018.08.06

『広島、長崎戦跡善後処置緊急具体案」 (仲小路彰)

Th__20180808_84318 島原爆忌。今日はある研修に講師指導者として参加しておりますが、たまたま広島からいらした先生とじっくりお話する機会がありました。
 被爆地ゆえの特殊な教育事情。このたびの豪雨被害について。広島は特別な試練の上に崇高な使命を持っているように感じました。
 仲小路彰は戦後すぐに、広島・長崎両被爆地について提言を行っています。はたしてこれが誰にあてられたものか分かりませんが、結果として、平和記念公園や資料館、そして原爆ドームの保存へとつながっていったことは間違いありません。
 今日はその貴重な文書の一部を翻刻して紹介したいと思います。お読みになっていただければ、仲小路がいかに進歩的、未来的な思想を持っていたかが理解できると思います。メディア戦略や経済戦略なども含め、当時の常識とはかなりかけ離れた、しかし未来的には実際に実現したアイデアが満載です。
 なお、旧字体は新字体に直しました。

 厳秘
  広島、長崎戦跡善後処置緊急具体案
 主要目標
  第一方法
 ウラニユーム原子爆弾を広島及長崎の両都市に使用したる結果を極めて広範囲に渉る各種科学の方面より整然と調査整理して之れを詳細に何等区々たる感情を混ふる事なく大胆率直に全世界に発表すること。
 之れに依りて自ら全世界の各所に軍事的方面より又は道徳的観念より或は宗教思想等の角度より各種の議論多出すべく之等は総て之れを大乗的見地よりなすに委せて唯その究極を之れに依りて最も深刻に人類を反省せしめ、物質文明特に近代科学の飛躍的に進歩せるに比して精神文化の発達甚だしく遅れ、殊に各国家間の国際道義の低下を今後如何に為すべきか、又社会道徳の混乱頽廃せる真相を如何にして正しく進歩向上せしむるかを自ら深刻に考慮せざるを得ざらしむる事。
  第二方法
 世界の宣伝網を活用すべくその中心勢力と協力する事。
 全世界のあらゆる交通及観光会社と提携する事。
 之れを映画化して極力活用する事。
 見学及観覧の為に完備せる大設備をなす事。
  第三方法
 之等のあらゆる方法を活発且つ有意義に実現し、而も之れを我国復興の一大財源たらしむる為に国家直接の機構は之れを唯背景となすに止め、公共又は私設団体或は特設会社を創設して之れに当らしむること。
 国家は即刻撮影、上映其他の権利を之れに与へて確保せしめ、外国人及それ等の会社との交渉は尽く之れに当らしめ今後の大計画及び相互の事情をよく懇談の上少くとも第一回の撮影許可料壱千万弗以上を入手し、直ちに之れを二分し、その一は直接罹災者の救助費の一部となし、その一はあらゆる設備の費用となす事。猶世界に之等の映画を上映する場合の純益の三割以上を提供せしむる事。

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2018.08.05

水で作る…MEGAニボ ど煮干し中華そば (エースコック)

Th_91od7t3osl_sl1500_ いシリーズその3。今年の夏、勝手にはまっているモノ。
 かなりアホですけど、ここのところ毎日のようにこれを食べています。それもお湯ではなく「水」で作って。
 えっと、最近はだいぶ知られてきましたが、いわゆるカップラーメン(そば、うどん、焼きそば含む)は、熱湯で作らなくともおいしくいただけます。
 特に暑い夏には、冷水で作っていただくのが最高です。いろいろ試した中で、この「ニボ」の冷たい版が一番美味い。ひんやりと煮干しの味が絶妙に合うんですよ。
 で、最後に残ったスープの中にご飯を突っ込んでいただくとまた最高。なんともジャンクな食生活ですね(笑)。一日一食なのに。それに缶チューハイという、最悪な夕食ということもあります。
 ちなみに、「水」での作り方ですが、普通にお湯で作るのと同じ要領です。ただ、フタはしなくてもいい。水ですので。
 そして、待ち時間ですが、一般的なカップ麺はだいたい20分ですけれど、この「ニボ」は長く置けば置くほど煮干しエキスが麺にしみてうまい。今日は1時間置きました。
 なんだかアホみたいと書きましたが、実は災害時など、お湯を沸かせない時に、こうして水でカップ麺を作れることを知っておくのは有効です。
 皆さんもお試しあれ。ちなみに今日娘はチリトマトヌードルを水で作って感動してましたよ。あれも合いそうだな。


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2018.08.04

折りたたみ日傘(晴雨兼用)

Th__20180805_181411 い、暑いシリーズが続きます。
 買いましたよ、とうとう。日傘です。日傘なんて女性のものだと思っていましたが、今や都会では男性も日傘を堂々とさしているようです。
 私、坊主頭、すなわちスキンヘッドじゃないですか。これがですね、真夏は涼しいどころか、とんでもなく熱い(痛い…ちなみに冬はめちゃ寒いっす)。
 で、最近は突然の夕立、いやゲリラ豪雨もあるじゃないですか。そうなるとやはり晴雨兼用の折りたたみ傘がほしくなる。
 実はずいぶん前から私は日傘をさしたかったんですよ。しかし、社会的なパラダイムシフトが起きないと、単なる変人にしか見えなかった。それが、昨日も書いたとおり「ホンモノのトップダウン=天の力」で、なかば強制的にパラダイムシフトが起きつつあるわけです。ラッキーですね(笑)。
 仲小路彰は弟子にこう語ったと伝えられています。

実に簡単です。
常識を捨てればいいんですから。
 

 これはすなわち、私たち凡夫にとってはこういうことを語っていますよね。

実に難しい。
常識や過去や信じてきたもの
を捨てるのは。

 たった日傘でさえも、私たちはなかなか常識を破ることができませんでした。それを見かねた天の神様が、こういう異常な酷暑を私たちに与えてくれたわけです。感謝しましょう。
 そうそう、この傘、軽くて小さくてホントいいですよ。自動開閉の仕組みなんていりません。ただ重くなるだけですからね。

Amazon  折りたたみ日傘(晴雨兼用)

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2018.08.03

「あんずボー」大人買い!

Th__20180805_92050 ばらく重いネタが続いたので、軽くいきます。
 とにかく暑いですね。ここ富士北麓では、かつては30度を超えることはほとんどなく、だからこそ避暑地であったわけですが、この夏はとうとう河口湖で35度を超えてしまいました。
 台風は逆走するし、これぞまさにトップダウン、天の力によって我々人間の生活や思考の様式がなかば強制的に変化させられています。
 さて、そんな中、ワタクシも暑さ対策を講じざるを得なくなっています。我が家でもついに扇風機が稼働しまじめましたし、今までは絶対にご法度だった「夜寝る時窓を開けっ放しにする」も毎日実施しています(ただし明け方、寒さで目覚めて閉めますが)。
 そして、10年ぶりくらいで復活したのが、「風呂上がりのあんずボー」です(笑)。ええと…なんと14年前にですね、このブログであんずボーをおススメしてるんですね。

あんずボー (ミナツネ)

 このたび、久々にこのあんずボーを大人買いしました。さすがに時代の流れからか、パッケージがあの駄菓子屋仕様の紙箱ではなく、樹脂製のおしゃれな?ものになっていました。しかし、中身、すなわち味は全く変わらない!
 素晴らしい。とにかくおいしい。風呂上がりのあんずボーは密かなブームになっているそうでして、Amazonでもけっこう大人買いする人がいるらしい。人気商品として「Amazon's Choice」になっています。
 なにしろ100本で2750円ということで、大人買いといってもそんなに大きな負担ではありません。1日2本食べても50日分です。ひと夏持ちますね。
 ところが、これがですね、1日2本と決めていても、どうしても3本食べちゃうんです(笑)。いかん。特に風呂上がりには最高。
 まあ、おかげでお酒の量は減っていますが。そう、ここのところ缶チューハイを毎日500ml1缶飲んでしまっていたのですが、あんずボーのおかげでそれも止まりました(笑)。そう、自分の中では、チューハイよりもあんずボーなんですよね(笑)。
 というわけで、まだまだ暑い日が続きます。皆さんもぜひお試しください。最高ですよ。

Amazon ミナツネ あんずボー 20本× 5箱

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2018.08.02

辻田真佐憲 『東京オリンピックは「太平洋戦争化」してしまうのか?』

20180803_84847 日は約40年ぶりに野球場のグランドに立ちました。最近野球熱が再燃しているという話は何度か書きましたが、それがなぜなのか、全く分かりません。自分でも不思議です。
 今日はグランドで高校生球児たちに話をする機会もありました。そこで、「新しい高校野球の歴史」という言葉を使わせていただきました。
 先日の校長先生方対象の講演では、「甲子園も今回の100回記念大会を期に大きく変わる」と予言?しました。
 実際、軍隊文化を最も引きずっている、いやそれを死守してきた甲子園も、自然の猛威という「神」の力によって修正を迫られているのです。
 まさに150年戦争の集結を象徴しているようですね。
 しかし、150年続いてきた頑固なその文化も、その往生際の悪さという最強最狂の捨身作戦で、最後の抵抗をしてくることでしょう。
 ある意味、その戦場となることが予想されているのが、2020年の東京オリンピックです。辻田真佐憲さんが、それを上手に記事にしてくれました。

「暑さはチャンス」なぜ東京オリンピックは「太平洋戦争化」してしまうのか? 森喜朗、小池百合子、東条英機……今も昔も「竹槍精神」

 講演でもあえて話させていただいたのですが、私はそういう根性論や精神論、神風的なモノが嫌いではありません。どちらかというと、そういう物語が好きです。また、そうした世界がもしかすると合理的な世界、科学的な世界を凌駕するのではないか、高次元物理学における意識の領域で説明できるのではないかとも思っています。
 しかし、実際問題として、人の命、特に若い人たちの命が危険にさらされていることは、学校現場で働くものとして看過できません。
 なぜ五輪を酷暑の時を選んで行うのか。いろいろ事情があります。それは20世紀的な価値観にのっとるものかもしれません。いったいどの「価値」が勝つのか。
 案外ですね、「神風」が吹くかもしれませんよ。つまり冷夏になる。ホントにありそうだから、日本という国は恐ろしい(笑)。
 昨日、ある政治家秘書の方から、「先生、出番ですよ!」と言われました。五輪に関する話です。もしかして、私のお役目は「神風」すなわち「涼風」を吹かせることなのかもしれませんね。

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2018.08.01

白井聡・國分功一郎 『日本人から思考を奪う「国体の正体」とは何か』

Th__20180802_90604 日の講演で「150年戦争」論を少し披瀝しました。日本は何と戦ってきたのか。そして勝ったのか、負けたのか。
 明治維新以来150年の見えない敵との戦いは今年終結します。折り返し地点は昭和17年から18年。まさに大東亜戦争の負け始め。
 そして昭和20年の「敗戦」。仲小路彰は「勝利」したと言いました。だから「終戦」であると。その本当の意味は、そこからの70数年、つまり戦後日本の戦いを視野に入れないと分かりません。ただ単に大東亜戦争の目的を達成したから勝利というのでは、あまりに都合が良すぎる。
 戦争が終わって、日本人は兵士であることをやめたかと思いきや、とんでもない。今度は企業戦士となって欧米と対等以上に戦いました。
 しかし、その戦いにも「負け始め」が訪れます。それがいつだったのか、バブル崩壊なのか、いや、もう少ししないと分からないでしょう。俯瞰しないと。
 つまり、私たち日本人は、この150年間において、少なくとも二度負けているのです。その無謀な戦いを支えたのは、根性論であり、精神論であり、滅私奉公であり、そして「国体」でした。
 …と、これは私の勝手な妄想であり、多くの方々の賛同は得られないと思いますが。
 しかし、この白井聡さんと 國分功一郎さんの対談では、多少似た論が展開されていると感じました。もちろん細かい部分では、私はとても彼らには敵わないわけですが、全体としては共感できる部分が多くありました。

日本人から思考を奪う「国体の正体」とは何か

 「国体」という概念自体が、もちろん明治以降に生まれたものです。教育勅語で明示され、その後国体明徴運動が起こり、国家として「国体の本義」まで発表されました。
 今の人たちにとって「国体」とは「国民体育大会」にほらならないのですが、それは笑い話ではなく、その「体育」の中に見事に戦前、戦中の文化が残っているという話も、少しですが昨日させていただきました。
 「国体」という、本義を明徴しなければ何が何やら分からないモノに支配され、結果として平和を築いてきたと同時に戦争もしてきた日本。なんとも不思議としか言いようのない歴史を持つ日本が、これから世界においてどういう価値を発揮していくのか。それは仲小路彰が示してくれています。そして、私はそれが正しくそのとおりになると信じています。

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