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2018.07.21

「全」=まこと

Th_img_2136 日から正眼夏期講座。64回目を迎えるこの伝統的な行事も、この異常な猛暑のおかげで会場の変更を余儀なくされました。
 すなわち、本堂で行われていた、講演や座禅は、冷房の効いた短大の講堂で行うことととなりました。これは、命を大切にする仏教としては全く正しい判断ですね。
 快適では修行にならないと言う人もいるかもしれませんが、そういう根性主義の時代はとうに終わっています。
 そうそう、禅堂での修行も、明治維新以降軍隊文化の影響を受け、ある意味非常に暴力的になったとききます。学校で起きてきた、いじめや体罰の問題も同様ですね。
 さて、今日一番心に残ったのは、滝田栄さんのご講演でした。演劇人として本当にその世界を極めた方が、今、仏道を極めようとしている。そして、その基本的な姿勢は、難しい理屈ではなく、仏教が持っている不思議な力を体験するというもの。
 正直、これは私と話が合うなと思いました(笑)。超能力的にもなりかねないので、ひょっとするとオカルト?と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、いやいや仏教ってそういうものでしょう、本来。
 まあ、そこを勘違いしちゃったのがオウムや、その他密教系の新興宗教の一部ということになると思います。
 しかし、たしかに滝田さんのおっしゃるように、奇跡的なこと、たとえば病気が治癒するということは普通にあります。
 最近私がはまっているモノも、実は薬師如来に関係した病気治療器具です(アヤシイでしょ)。これについては、今いろいろ大きな流れが起きているので、時期が来たらここで堂々と紹介します。
 そのモノについても、ぜひ滝田さんに知ってもらいたいですね。連絡してみましょう。
 ところで、滝田さんのお話の中に、「禅」は「全」という言葉がありました。「全」という字は、上が「人」、その下の三盆の横線は「過去、現在、未来」。それを一本の縦棒が貫いていると。その貫くモノことが仏法なのでしょう。
 もちろんそれは方便であり、実際には上は「入」という字ですし、「王」は「工」と同じだとか。しかし、そんな理屈は抜きとして、やはり「まったき」モノとしての「法」というのは存在しますし、それが人のもとで時空を超えるモノであるのは確かです。モノというより、唯一のコト、すなわち「まこと」なのです。


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