筧克彦の「和(にぎ)」論
今日は備忘録です。
戦前、「イヤサカ先生」とも言われた、東大法学科の名物教授にして、神道研究家でもあった筧克彦。
この人が当時の「皇国史観」に与えた影響は多大です。本人の意志はともかくも、日本が世界と対峙していく一つのきっかけを作ったと言ってもいい。
私の身近なところでも、彼の名前はよく出てきます。私の三大研究テーマである、宮下文書、出口王仁三郎、仲小路彰、いずれにもやはり影響が感じられます。
実際、筧は宮下文書の研究機関であった富士文庫の顧問でしたし、王仁三郎とは因縁の中と言える貞明皇后に「惟神」の講義をしています。また、仲小路彰の蔵書の中に筧の著書がありましたし、高松宮さまにも直接講義をしていました。
そんな筧克彦が「和魂(にぎみたま)」について書いたものを見つけましたので、その一部をここに記しておきます。
昭和15年発行の「惟神の大道」の一部です。冒頭の大御神様とは天照大御神のことです。
大御神様は和魂の神にして和魂により荒魂を用ひ給ふ、大御神様の荒魂は撞賢木厳之御魂天疏向津媛命と称へ奉り、和魂を実現する勇猛心の大本と坐す。和魂とは、本末を立するにより一切に其の所を与ふる有難く懐かしみ思ふ超越心にして、普く大切に(愛しく)思ふことと一致する「うつくしび」(いつくしみ)の心である。而も本末を立し所を与ふるといふ美化作用となる心である。和魂はにぎにぎしく栄ゆる魂である。にぎはひの本となる魂である。「和」は「にぎ」を表す仮字であるが、「にぎ」に在っては漢字「和」のもつ妥協とか正しきを斥ける様な意味はない。それと申すも、和魂は本来正しく直く明かく清く坐す神様の御魂の御性質であるから、妥協の意味なきは申すまでもない。外国にて「和」といふは何と申しても本来思ひ思ひの多数者が妥協して勢に従ふ義が主となり勝ちである。故に「和」の背後には程よく之を革めねばならぬといふ意義が附着して居る。然るに、和魂とは自ら期せずして本末の正しきに帰せしめ又帰入する心で、本末の正しきを立する心ともいひ得、心其の者が「天晴れ、‥‥おけ」と暖く賑やかなものである。此の和魂は其れを実現する方便として荒魂をも準備して居る。荒魂とは現魂(実現する魂)の義で、和魂の本末を立する要求を実現し一切を救済・済度する心である。又、矛盾・反対を歓迎し和魂の要求を徹底する勇猛心なりとも申される。
面白い内容ですね。私の「荒魂・和魂」観と似ているところもある。私も無意識のうちにいろいろなところから影響を受けているのでしょう。
ところで、こうした独特の筧の神道観、そして国家観は、もしかすると彼が諏訪の生まれであることから来ているのかもしれませんね。
そうしますと、まさに出雲の荒魂が発動していたということでしょうか。そして、その裏には和魂がある。あの戦争もそういう視点で観ると面白いかもしれません。ちょっと考えてみます。
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