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2018.07.31

ヘッドセットマイク

Th_61ga23lpqml_sl1500_ 日は公立の小中の校長先生方43名を前にして2時間もお話させていただきました。内容は…ナイショです。
 いろいろ反省点はありますが、基本自分自身も楽しかったし、校長先生方もそれなりに興味をもって聴いてくれたようです。
 正直午後の眠い時間帯でしたので、いろいろ爆弾を投下して眠気を吹き飛ばさせていただきました(笑)。
 弱小私立の教頭が公立の校長先生方に対して講演するなんて、まさに「釈迦に説法」。しかし、だからこそかっこつけず自分をさらけ出すことができたと思います。
 いろいろと旧来の教育、学校についてのアンチテーゼを提示させていただいたのですが、だいたいが、プレゼンの形式をとっていたこと自体、フツーの授業に対する批判であり皮肉であったと思います。
 今回、あえてヘッドセットマイクを使わせていただいたのも、そうしたアンチテーゼの一つ。教室では教師が肉声を張り上げるというのが常識ですが、実はマイクとアンプとスピーカーを使ったほうがお互いのためだったりします。
 細かいことは抜きにしますが、とにかく現在の学校文化は150年来全く変わっていないのです。特にそこに巣食う軍国主義、軍隊文化は、さすがにそろそろ払拭しなければなりません。
 ただただ苦渋を強いて、我慢した生徒が偉いというような精神論、根性論は…正直私はそれらを好きですが…さすがに世界的に見ても、あまりに時代遅れというか時代錯誤です。
 というわけで、このヘッドセットマイク、自前の路上ライブ用スピーカーアンプにつなぎまして、実に重宝しています。
 両手が使えるというのは、アクションが可能になる、あるいは手に何かを持つことができることを保証します。それによって、いかに私たちが表現力を得ることができるか。そして、それが受け手にとっていかに喜ばしいことか。
 お笑いのライブを見れば分かりますよね。漫才なんか中央にマイクが立っていますが、ご存知のとおり、あれは単なる漫才のアイコンにすぎません。コント寄りの漫才が増える中、実はそれぞれにピンマイクがあてがわれて機能しているわけですね。
 さすがにヘッドセットですと、お笑いや演劇ですと演技上のじゃまになりますが、逆に歌手なんかだと、ある種のかっこいいアイコンとしてヘッドセットマイクが使われていますよね。
 プレゼンにおいてもそう。プレゼンのアイコンとして機能しています。それを授業に取り入れたらどうでしょうか。ずいぶん昔からずっとそう思っています。
 2学期になったらやってみようかなあ。アンプはこちらで紹介したヤツを腰にぶらさぜてみましょうか。また生徒に笑われそうだな。いや、ブレイクスルーをするイノベーターは最初は笑われるものなのです。

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2018.07.30

Stevie Wonder 『Sir Duke』

Th__20180801_131032 日はあまりにも有名なこの曲について、あらためていろいろ考えました。
 学校のジャズ部がこの曲を練習していて、それ聴きながらふと思ったんですが、この曲の冒頭部分って、単純な分散和音、言うなればドミソドですよね。
 そこからあのような展開をし、そして空前絶後の名曲になるわけですから、やっぱりスティービー・ワンダーは天才だあと。
 なんだか、あんまりにも耳になじんでいて、冒頭の単純さに気づかなかった。ドミソドのドミソまではリズムもオンタイム、つまり4分音符が三つ並んでいるだけですよね。最後のドはちょっと前に食っているわけですが、たとえば左上のように記譜されることもあって、これだと、まるでドミソドです。それもユニゾンですからね、本当にこれ以上シンプルにはなりえません。
 ドミソドという、ある意味究極の近代西洋音楽というかクラシック音楽の主軸を最初に提示しつつ、その後の展開は実に自由であり、その枠からはずれていく、その感じがこの曲の魅力です。
 ジャズはまた違った方向性で、近代を超克していきました。スティービーの音楽性はそことはまた違った方法で近代を超克していきます。かっこいいすね。
 彼がピアノなど近代西洋楽器を駆使しつつ、やはりブラインドであるために、最も明瞭に可視化された枠としての楽譜から自由だったのでしょう。
 天才は天才であり、それがある種の欠如から生じているのはなんとも美しい事実であります。


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2018.07.29

落合陽一 「ユビキタスからデジタルネイチャーへ:アート・エンターテイメント・デザイン」

20180730_91348 画の紹介が続きます。そういう時代です。
 そういう時代の象徴の一人が落合陽一さん。言語によるコミュニケーションは決して次元が高いわけではなく、たとえば動画のように視覚と聴覚に直接訴えかける方がより良いという考え方もある。
 そして、その先にはさらなる情報伝達、共有手段の世界が広がっている。デジタルネイチャーの時代。
 旧世代の私たちはそれを拒否するのか、受け入れるのか。教育はどうなっていくべきなのか。いろいろ悩みがあります。
 ただ、彼の話はとっても面白いのです。私は拒否反応どころか非常に興味がわく。しかし、そちら側にいくためには、とにかく自分の常識、過去を捨て去らなければならない。悩ましくも楽しいことです。なにしろ、この歳になって、まるで子どもの時の、あの未知の世界に出会った瞬間のようなドキドキ・ワクワクを感じることができるのですから。
 こういう世界観を、はたして学校は教えることができるのでしょうか。教育は常に最先端を行かねばならないのに、実態は全く逆で旧態依然、非常に保守的なムラ社会になってしまっています。
 今、筑波大学は面白いですね。こういう人が学長補佐とかやってるんですから。大学、特に国立大学が変わらないと、その下の高校、中学、小学校、そして幼児教育は変わりませんよ。やはり、未来に原因を作っていかなければ。

 落合さんのすごいところは、最先端のテクノロジーを荘子や侘び寂びと結び付けられるところですね。スマートです。

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2018.07.28

朝まで生テレビ「激論!宗教と若者」(1991.9.28)

20180730_85806 ましい記事が続きます。いいことです。
 私自身の戦後教育を考える上で避けて通れないのが、オウム真理教事件です。こちらに書いたように、全く他人事ではなかったこの事件。ある意味紙一重のところで、今私はこうして「普通」の生活をしています。
 決して目を背けることなく、今後もこの問題とは真剣に対峙していかねばならないと思っています。
 この番組が放送されたのが1991年。バブルが終焉し、失われた10年が始まる年。祭のあとの虚しさ、不安のようなものが世の中を覆い始めていました。
 幸福の科学は講談社ともめ、オウム真理教はすでに坂本弁護士家族を殺害し、選挙で出て負け、波野村などで住民と衝突をはじめていました。
 そんな時、麻原彰晃も出演して、この番組が放送されました。今観ても非常に興味深い内容です。当時、私はリアルタイムで観ていましたが、正直、どちらかといえば幸福の科学よりもオウムの方にシンパシーを感じていました。
 それにしても、この回の出演者はすごいですね。麻原、村井、景山、池田、西部はすでに故人です。みんな若くして死んだ。殺された。または自裁した。もちろん死刑になった人もいます。
 その他、のちにいろいろ大変な目にあった人たちもいます。ある意味変わらないのは田原総一朗だけかな(笑)。
 個人的には、池田晶子さんがすごくいい。こういう言い方は失礼かもしれませんが、危ない美しさがありますね。言ってることも一番真理に近いかも。

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2018.07.27

「どーせむり」をなくそう

Th__20180728_100655 育者としての悩みシリーズ(苦笑)。どんどん悩みますよ。悩むことは楽しいことです。悩むのは矛盾があるからです。対立するナニモノとナニモノかがあるからです。
 先ほど、仲小路彰の研究・顕彰を主導してくださっている方から久しぶりにお電話をいただいたのですが、やはり仲小路彰を理解するにはヘーゲルの弁証法を勉強しなくてはならないとのこと。
 今、いろいろな意味で矛盾、対立に悩んでいる自分にとって、たしかにその解決法は弁証法しかないなと思います。そして、弁証法こそ、未来的な思考方法です。
 考えてみれば、弁証法によって未来的発展を遂げるためには、現在において矛盾や対立がなくてはならないわけですね。ですから悩みに感謝なのであります。
 さてさて、そんな素晴らしい悩みと、その先にある希望を与えてくれるプレゼンを紹介しましょう。
 北海道の実業家植松努さんのTED。本当にいいですよ。植松さんのお人柄もよく分かる。
 学校の先生としては実に耳の痛い素晴らしいお話の連続です(苦笑)。
 たしかにほとんど学校の先生は「どーせむり」のプロになってしまっている。まず自分に対してもそうです。植松さんの言うとおり、教育(学校)とは「死に至らない失敗を安全に経験させる」ものであるべきです。
 失敗を避けるために私たちは「どーせむり」という魔のワードを使ってしまうのですね。
 私も「どーせむり」は人にも自分にも絶対使わず、「だったら〜してみたら」と言い続けたいと思います。

 

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2018.07.26

ホリエモンが“ゼロ高”創設!目指す教育改革とは?

Th_unknown1 日の悩みの続きです。今日、堀江貴文さんが「学校教育を壊す」と宣言しました。素晴らしいことです。
 私も戦後日本の学校教育は一度ぶっ潰してもいいと思っています。それくらい病んでいますよ(私は)。
 自分がやってきたこと、信じてきたことを疑う、否定するというのは勇気のいることですが、無理に続けている方がずっと疲れますので、私は私の立場を大切にしながらいろいろ悩み、叫んでいきたいと思っています。
 少し前の自分なら、このゼロ高にせよ、先行していたN高にせよ、違和感というか、拒否感を抱いていたと思います。それが今はとても興味がある。
 今までの学校、つまり自分がやってきた教育方法というのも、ある種類の生徒たちには一定の効果があります。もしかすると、これからの社会においても、確率論的には安全安定の人生を用意してあげられるかもしれない。
 しかし、今までもいた一部の個性的な生徒にとっては、こういう個性的な先輩方が創ってくれた新しいタイプの学校は、非常に魅力的でしょう。成果も上がると思いますが、一方、自分が特別だと勘違いしている単なる中二病の生徒が進学すると、よけいにきついかもしれない。
 私も退職したら学校創ろうかな(笑)。

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2018.07.25

ZOZO前澤社長がいま明かす 『私の幸福論、仕事の哲学』

Th__20180726_123234 週あるところで講演をするのですが、そのおかげで大変悩ましい日々を送っています。
 お恥ずかしいかぎりですが、私は学校の先生として30年以上やってきてですね、その仕事にようやく自信を持てるようになったかというと、全くその反対でして、とにかく迷い悩んでしまっているのです。それもその根本の部分で。
 極論してしまえば、本当に学校って必要なのか?今の学校は本当に正しいことを教えているのか?学校の先生って本当はやばい人たちなのではないか?と、そんなことばかり考えているのです。
 特に最近、学校の価値観からはずれた、あるいは正反対な人生観の中で成功している人と話すことが多く、そんな彼らを見ていると、ますます自分のやってきたこと、これからやらねばならないことに疑いや不安を感じてしまうのです。
 まだ直接はお話したことありませんが、たとえば今いろいろな意味で衆目を集めている、ZOZOの前澤友作さん。彼のこのインタビューを読むと、「世界平和」から「競争嫌い」、「幸福論」まで、正直完全に同意します。しかし、彼は、私たちにとっての当たり前な日本の学校、教育に対して、強い違和感を抱いていることがわかります。
 今の彼の大成功と幸福の基礎に、いったいどれほど戦後日本の学校教育が貢献したのか。
 教育論は抜きにしても、大変素晴らしいインタビューだと思いますので、皆さんもぜひお読みください。

 ZOZO前澤社長がいま明かす「私の幸福論、仕事の哲学」

 実際に体現している方と妄想だけの私とを同列に並べるのは申し訳ないのですが、基本的な発想、ある意味宇宙人的な発想は、似ているなあとつくづく思います。
 球団の話も、ちょうど今ある人たちと話していたところでしたので、実にタイムリー。もしかするともしかする?
 最近ストラディバリを手に入れたとか。ぜひ弾かせてもらいたいですね(笑)。いや、自分が億万長者だったらバロック仕様に戻してみたいかも。

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2018.07.24

石森山(山梨岡神社)

Th_unknown 日は甲府にて某研修会の指導員を仰せつかりまして、それなりにこなしてまいりました。
 最近はいろいろな場面で先生方を指導することが多く、自分もそんな年齢、立場になったのだなあと感じます。それは喜びではなく、なんだか自分もまだ研修が必要なのに、こんなに偉そうに語っていていいのかなあという不安であります。
 その研修が終わりまして、私は山梨市にある石森山へ向かいました。ある知り合いと落ち合うためです。なぜ、そこを集合場所にしたのかは…ナイショです(笑)。
 私も久しぶりに石森山を訪れました。甲府盆地の東側、峡東地区にはとにかく巨石が多い。それが信仰の対象となっていて、磐座だけのところもあれば、のちに社が造られ神社の様態をなしているものもある。
 多くの巨石群が山の中や麓にある中で、この石森山は平地、というか普通に生活圏の真ん中ににょっきり生えているような感じで、それはまるであの皆神山のような感じがします。
 ただどうも皆神山とは違い、人工的な石積みであるらしい。 たしかに「石森」は「石盛り」ですから、石を誰かが盛ったということでしょう。
 そうなると、これはまさにピラミッドということになりますね。はたしてあれだけの巨石をどこからどうやって運んできたのか。不思議すぎます。
 ちなみにご多分に漏れず、ここにもダイダラボッチ伝説が残っています。巨人が巨石を盛ったと。なるほど。
Th_img_2158 そんなパワースポットに、今日はまたとんでもないパワーアイテムが集合し、それこそとんでもないことになりました。石森山の山梨岡神社に祀られている国常立尊もさぞ驚いたことでしょう。
 春日井にある別の山梨岡神社との関係、また、近くの大石神社やその他巨石群との関係など改めて研究してみたいと思いました。塩の山も登ってないしなあ。まだまだ山梨県内にも行かなければならないところがたくさんあります。
 この石森山、今ではつつじの名所となっています。古くからの信仰の形態とは違いますが、そうしてお祭りをして人々が集まるだけで充分かもしれませんね。
 今日は私たち二人以外は、妙に人懐こい猫さんしかいませんでした。暑いのでしかたありませんね。

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2018.07.23

不機嫌は怠惰の一種である(ゲーテ)

Th_200pxgoethe_stieler_1828 は先生にしては珍しく?あんまり不機嫌にならない方です。生徒にも「そういえばいつも上機嫌だ」と言われます。
 生徒というのは先生の「不機嫌」に対して非常に敏感です。ほとんど動物的なカンでそれを察知し、自分に被害が及ばないようにします。空気を読むわけですね。まあ、それだけ不機嫌になる先生か多いということです。
 ゲーテは名作「若きヴァルテルの悩み」の中で、ヴェルテルに「不機嫌は怠惰の一種です」と言わせています。高校時代、この言葉に出会ってからというもの、私はこの言葉を座右の銘としてきました。
 では、現在の私があまり不機嫌にならないのは、私が怠惰ではなく勤勉なのかというと、どうもそうでもないようです。
 つまり努力して機嫌よくしているわけではない。たぶん生まれつきの性格なんだと思います。あえて言えば、不機嫌になることによって得るものが全くないと思っているのかもしれない。不機嫌は他人も自分も不幸にします。
 学校の先生は、「不機嫌」を武器にしているところがある。その最たるものが「体罰」であって、ようやく最近それがダメということになりました。
 ですから、かつて私が教員になりたてのころ、まず身につけなければならなかったのは、「不機嫌なフリをする」ということでした。先輩方がそれを実にうまくやっているように見えたからです。
 ある意味自分の主義に反していたわけで、なんとも言えない居心地の悪さも感じていましたが、反面、テクニックとしてうまくいくようになると、なんとなく自分も先生らしくなったんだなと思っていたのも事実です。
 今はもうほとんどそういう無理はしなくなりました。やっぱり自分に合っていないからです。不機嫌になる教師を否定したり、見下したりするわけでありません。やはり単純に自分の性分に合わないテクニックだということです。
 ゲーテは先程の文章のあと、さらに深い、厳しいことをヴェルテルに語らせています。

 不機嫌は、むしろ、自分のくだらなさに対するひそかな憤懣ではありませんか? 愚劣な虚栄によって煽られた嫉妬とつねに結びついている、自己不満ではありませんか?

 さすがゲーテですね。完全同意します。人間の煩悩の中でも特に強く面倒な「嫉妬」と結びつけている。
 私も実のところ、「小さな不機嫌」はあります。そして、それが「嫉妬」に基づいていることも知っています。まだまだ修行しなければなりませんね。

Amazon 若きウェルテルの悩み

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2018.07.22

松の木の下に松は生えぬ

Th_img_2154 眼夏期講座二日目。
 山川宗玄老大師の提唱は無門関第四十則。言語を超えるにはどうすればよいか。言語を超えるために言語を使ってはいけない。蹴倒する勇気、智慧がなければなりません。
 今回の講座のテーマは「葛藤を蹴倒(しゅうとう)す」でした。まさに、快刀乱麻を断つ、その快刀とはなんなのか、どう手に入れればいいのかを、体験的に学んだ気がします。
 言語というコトは、違う言い方をすれば「容れ物」「枠」。そこに安住するのではなく、そこから軽やかに解放されるというのは、たしかに理想的な生き方ですね。
 そこに重ねた教育論も心に残りました。結局、子どもや弟子を自分の容れ物に入れていい気になっていてはいけないということですね。
 老師がある人から聞いたとして、「松の木の下には松は生えない」というお話をされました。どんな植物も、親木のすぐ下に落ちた種は育たないと。たしかにそうです。親の木は成長しないように毒を出すこともあるのだとか。
 可愛い子には旅をさせよというのと同じですね。護りすぎてはいけない。可愛がりすぎてはいけない。
 教育者として深く考えさせられました。正眼寺の奇跡の松との対比も興味深かった。
 午前中の音楽演奏では、今の若い作曲家の、それこそ古い容れ物からおしゃれに飛び出した編曲術を堪能することができました。
 そして午後の白洲信哉さんの講演。なにしろ父方の祖父母は白洲次郎・正子。母方の祖父は小林秀雄というのだから、まあ驚きです。日本の不完全の美、あるいは日常で使われることによって生まれる味わいについての文化論は非常に面白かった。
 それもまた西洋の容れ物からは余裕ではみ出ていますし、実際、瓶や徳利からは、内容物が染み出してきています。それがまた素晴らしいというのが、日本の美学。お隣の白磁の話とのコントラストには笑ってしまいした。
 ところで、最後に老師の口から出た言葉には驚きました。なんと、あのロスチャイルドが正眼寺を訪ねていた。もちろん梶浦逸外老師を頼って来た。全てを手に入れた大富豪が、「死」について学ぼうとし、わざわざ伊深まで来たのだといいます。正眼寺恐るべし。梶浦逸外畏るべし。

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2018.07.21

「全」=まこと

Th_img_2136 日から正眼夏期講座。64回目を迎えるこの伝統的な行事も、この異常な猛暑のおかげで会場の変更を余儀なくされました。
 すなわち、本堂で行われていた、講演や座禅は、冷房の効いた短大の講堂で行うことととなりました。これは、命を大切にする仏教としては全く正しい判断ですね。
 快適では修行にならないと言う人もいるかもしれませんが、そういう根性主義の時代はとうに終わっています。
 そうそう、禅堂での修行も、明治維新以降軍隊文化の影響を受け、ある意味非常に暴力的になったとききます。学校で起きてきた、いじめや体罰の問題も同様ですね。
 さて、今日一番心に残ったのは、滝田栄さんのご講演でした。演劇人として本当にその世界を極めた方が、今、仏道を極めようとしている。そして、その基本的な姿勢は、難しい理屈ではなく、仏教が持っている不思議な力を体験するというもの。
 正直、これは私と話が合うなと思いました(笑)。超能力的にもなりかねないので、ひょっとするとオカルト?と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、いやいや仏教ってそういうものでしょう、本来。
 まあ、そこを勘違いしちゃったのがオウムや、その他密教系の新興宗教の一部ということになると思います。
 しかし、たしかに滝田さんのおっしゃるように、奇跡的なこと、たとえば病気が治癒するということは普通にあります。
 最近私がはまっているモノも、実は薬師如来に関係した病気治療器具です(アヤシイでしょ)。これについては、今いろいろ大きな流れが起きているので、時期が来たらここで堂々と紹介します。
 そのモノについても、ぜひ滝田さんに知ってもらいたいですね。連絡してみましょう。
 ところで、滝田さんのお話の中に、「禅」は「全」という言葉がありました。「全」という字は、上が「人」、その下の三盆の横線は「過去、現在、未来」。それを一本の縦棒が貫いていると。その貫くモノことが仏法なのでしょう。
 もちろんそれは方便であり、実際には上は「入」という字ですし、「王」は「工」と同じだとか。しかし、そんな理屈は抜きとして、やはり「まったき」モノとしての「法」というのは存在しますし、それが人のもとで時空を超えるモノであるのは確かです。モノというより、唯一のコト、すなわち「まこと」なのです。


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2018.07.20

富士北麓でうなぎを食す

Th_img_2129 泊三日の修行の旅から帰ってきました。
 ということで、三日間のことを簡単に記録しておきます。
 まずは1日目。移動日です。向かうは6月にも訪れました美濃国伊深の古刹、妙法山正眼寺です。昨年に続き、夏期講座に参加いたします。
 今日は土用の丑の日ということで、出発すぐに市内のうなぎ専門店にて、同行する職場の若手二人とともに、おいしいうな丼を食しました。
 考えてみると、こうしてうなぎ専門店でうなぎを食べるのは数十年ぶり。ほか弁とかコンビニのなんちゃってうなぎや、スーパーのうなぎはけっこう食べてきましたが、このような本格的なうなぎは久々。
 いやあ、それにしても高くなっていてびっくり。特に国産は品薄で高価だと聞いていましたが、ここまでとは(笑)。
 地元で有名なうなぎ専門店に昼時立ち寄ったのですが、あんまり人がいませんでした。
 ところで、山梨は海なし県ですが、寿司屋が異常に多かったり、マグロの消費量が全国上位だったり、まあ海がないせいで、海への憧れが強いというのがあるんですね。
 今ではこちらから沼津へ寿司やうなぎを食べに行く人が多いのですが、なんと昔は向こうからわざわざこちらに来るようなこともあったのだとか(笑)。たしかにそういうことって、ほかの文化でもありますよね。本家より日本のそれの方が優れているというもの。ラーメンとか(笑)。
 で、うなぎも甲斐の国のものは上等だったという記録が残っています。江戸や駿河からわざわざ食べに来ることもあったとか。
 それは主に甲府の話なんですが、沼津から鮮魚やうなぎを運ぶ際、当然その一部は当地方にも落とされたでしょうから、それなりの食文化が育っていたと思います。
 それも、甲府までは鮮度が持たないだろうという、実は一番おいしいタイミングの素材が落とされた可能性がある。
 で、この地方の人はたしかに魚に関しては、とっても舌が肥えています。私の生まれた焼津なんか、世界に誇る漁港の町だったのに、たしかに寿司屋は少なく、また刺し身の文化もあんまり色濃くなかった。
 ありふれていると愛着がわかないし、新鮮すぎると工夫もしないんでしょうね。面白いですね。

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2018.07.19

クローズアップ現代+ 『プロレス人気復活! “過去最高”の秘密』

 日のネタはなんと言ってもこれでしょう。NHKのクローズアップ現代+で新日本プロレスが取り上げられました。
 棚橋選手も出演し、なぜ今プロレスブームなのか、どうやって苦境を乗り越え、そして世界戦略に打って出るまでになったかを解説してくれました。
 いろいろと共感する部分がありましたね。今の新日本プロレスを、かつての新日とは違うと否定してしまうのは簡単ですし、そういう人もまだたくさんいますが、現実は現実です。当時と同じように、いやそれ以上に、プロレス的価値は高まり、人々を元気にしているのです。
 私もある時期、今風なプロレスに違和感を抱いていましたが、今では完全にそれを楽しめるようになりました。もちろんそれとともに、昔のプロレスをまた別の視点から楽しめるようになりました。一石二鳥ですね。
 番組中キーワードになっていた非日常と日常というのは、日本において古くから文化構造の基礎になってきました。ハレとケですね。
 いわば、昔の荒々しいプロレスは、まるでナマハゲか何かのように、日常の中に突如現れ去っていくマレビトのような存在でした。
 それが、今は非日常と日常、フィクションとリアル、ハレとケ、荒魂と和魂などが、決して対立するのではなく、絶妙に融和し、あるいは高め合う存在になっているわけです。
 それが現代の地球文化の行く先を占っているとも言えますし、私たち個人の人生のあり方をも象徴していると思うのです。
 また、番組でも多く語られた、折れない心、負けても立ち上がっていく姿というのは、プロレス業界そのものの姿でもあると同時に、普遍的に人生そのものなのです。あるいは日本のこれからの姿かもしれない。
 古くからのプロレスマニアとしては本当にうれしいですね、いろいろと。また家族で観戦に行きます。どの団体に行こうかなあ。

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2018.07.18

田野大輔 『私が大学で「ナチスを体験する」授業を続ける理由』

人はいとも簡単にファシズムになびく
Th__20180719_114012 近、動画または他人の記事紹介ブログになってますね‥と言われました。
 いや、それでいいと思うんです。このブログを始めた14年前は、まだまだ動画共有文化もありませんでしたし、ツイッターような共有アイテムもなかった。
 今、メディアの環境は大きく変わりました。ネットメディアは「紹介」「共有」の方向性で成熟しつつあります。そんな時代ですから、私のつまらぬ文章をいやいや読んでもらうよりも、よくできた動画や記事などを読んでもらう方がお互いのためです。
 ただ一つ言えるのは、この地味なブログのスタイルは変えたくないということです。最近のブロガーの皆さんは、とにかく「今」読んでもらうことに執心しているようですが、私はとにかくデータとして残して、100年後でもいいから読んでもらおうと思っているんです。
 おっと、関係ない話が長くなってしまった。今日はこの記事を紹介します。
 今月末に公立の校長先生方を前に講演をしなくてはならなくなり、自分なりの戦後教育論を復習しております。昨日の安冨歩さんの動画も、その流れの中で見つけたものです。戦後の学校教育は実は軍国主義、軍隊文化を継承・保存する役割を果たしていた、という視点ですね。
 で、そんな軍国主義、軍隊文化、ファシズムの象徴であるナチズムを、大学生に疑似体験させている大学の先生がいるということで、この記事を紹介します。

私が大学で「ナチスを体験する」授業を続ける理由

 甲南大学文学部教授、田野大輔さん。非常に面白い授業ですねえ。これはちょっとやってみたいかも。私、たぶん総督役うまいですよ(笑)。優れた教員というのは、優れた扇動家でなければならないし、優れた洗脳家でなければならないわけです。
 そうそう、ちょっと話がそれますが、あるクラスでの雑談の中で、「この学校で一番コワい先生って誰?」という話になり、全員に書いてもらったんですよ。
 そうしたら9割が強面の体育の先生とか、部活の厳しい先生とかの名前を挙げたんですが、数人私の名前を書いた。私は全く怒らないし、不機嫌にもならないことで有名な?センセーなので、これはきっとふざけているのだろうと思って確認したところ、異口同音にこう言ってのけました。

 「違う意味でコワい!」

 たしかに!と他の生徒たち、そして私までもが納得してしまった(笑)。なんでも、私が語る話がぶっ飛びすぎていて本当か嘘か分からないし、いつのまにか洗脳させてそうでコワいのだとか。な〜るほど、そのとおりだ(笑)。
 というわけで、私もこういう授業やったらうまいと思います。いやいや、軍隊的な厳しさは苦手ですから、ちょっと違った方法で同じ効果を上げることができるかもしれません。
 こういうことをしっかり体験しておくというのは、若い人たちにとっては非常に重要なことですね。そして、客観的にその時の自分を分析し、そう簡単にだまされないようにする。
 ふむ、契約、制服、マーク、スローガン、集団行動、大声、糾弾、反復…けっこう、普通に学校の日常でやっていることですよ。危ないよなあ。歌も加えるといいんじゃないかな。
 あと、今日はウチの高校の文化祭があったんですけど、このクソ暑い日に体育館にすし詰めにして、みんなでお祭り騒ぎすると、不思議とですね、熱中症になるヤツが出ないんですよ。食中毒もいっしょ。
 とっても雑で乱暴な考え方ですが、やっぱり気合とか愛情とか感動とかって、抵抗力、免疫力を高めるんですかね…なんていう、非科学的な「根性論」こそ、宗教とも絡んだ軍国主義、軍隊文化そのものだったりします。
 こうして観察していると、本当に学校というところは異常なところだと思いますね。今後も研究を重ねていきます。そして、日本の教育を変えますよ。

Amazon 愛と欲望のナチズム

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2018.07.17

安冨歩 「なぜ『優秀』な人が集まって愚かな暴走をするのか?」

Th_yasutomi550x413 日、東松山市長選で残念ながら敗北してしまった、女性装の東大教授、安冨歩さん。
 一見イロモノのように見えてしまいますが、なかなか面白い人ですし、基本的な発想において私との共通点が多いので、私はけっこう好きです。
 彼の女性装が単なる性的な意味での趣味ではなく、彼自身の人生そのもの、いや日本という国のあり方に関わるものであるということは、次のインタビュー記事をお読みいただくとよく分かります。

なぜ日本の男は苦しいのか? 女性装の東大教授が明かす、この国の「病理の正体」

 戦後の軍国主義(靖国主義)が続き、誤った「男らしさ」「女らしさ」が唱えられ、そして男たちは「ホモマゾ」「立場主義」 に陥っていく。これは全く私の戦後教育論と同じですね。というか、実際、学校現場ってずっとそうだったんだもん。
 いろいろと共感する安富さんの面白い講演があるので、ぜひ御覧ください。これもまた、私の「モノ・コト論」と全く同じ。
 記号化できる(語り得る)「コト」と、記号化できない(語り得ない)「モノ」。近代西洋は「コト」ばかり追究し、結果として、モノ性を内在して当たり前の自己の大部分を否定することになってしまった。

 仲小路彰を研究すると、彼自身も含めて多くのエリートたちが、なぜ戦前、戦中、あのような言説に走り、そして実際行動してしまったのか、とっても興味が湧いてきます。
 そして、なぜ戦後、あまりにも見事に変節したのか。いや、変節したかのように見えて、なぜ日本社会全体としては何も変わらなかったのか。すごく興味があります。
 そして、安富さん、見事な歌下手であります(笑)。ぜひ一度お会いしてお話うかがってみたいですね。
 

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2018.07.16

新型ジムニーカタログ1ヶ月待ち!

Th_20180703_jimny 日はちょっと出かけたついでにスズキアリーナに寄り、新型ジムニーのカタログを入手しようとしました。
 しかし!なんと、カタログさえも1ヶ月待ちというトンデモないことになっていました(笑)。
 報道もされているように、とにかく発売1週間で、ジムニーは年間生産計画台数を超える受注があり、先代があまり売れなかったシエラはなんと年間生産台数の3倍の受注があったとのこと。
 もちろん、フツーの車と同列には語れないジャンルではありますが、それにしても、このすさまじい反響は異様でさえあります。
 その魅力は発売日、こちらに簡単に書いたとおりです。
 今日は試乗車の運転席に乗ってきました(運転はしていない)。また、後部座席をフラットにしたり、いろいろ気になっていたところを五感全部を使って確認してきました。
 うん、やっぱりいい!一緒にいたカミさんも珍しく、もうここで注文しちゃいなよ!と言ってくれました。
 さすがにそれはちょっと待てと、こちらが制止するほど気に入っていたようです。
 まあ、今注文しても、年内にはかなり難しいということ。たぶん春まで待たないといけないとのことで、そうしますと、逆に今注文しておくのがいいのかなと思ったりして。来年度になったら買おうと思っていたので。
 スズキの公式のプロモーションビデオがなかなか秀逸ですので、ぜひご覧ください。

 カタログは手に入りませんでしたが、今はネットで様々な動画を観られる時代ですからね。まるで自分が乗っているような気分になれるので、カタログがなくても全然問題ありません!
 まあ、とにかく大好きな車の新型が、日本中で、そして世界で大人気になり、実際に人様の役に立っているのを見るのは、なんだかとっても嬉しいのでした。


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2018.07.15

勝ち抜き歌下手合戦(タモリ倶楽部)

 日は河口湖でバンド演奏。まあ、このバンドは自他ともに認めるドタバタおやじバンドでして、正直いろいろな意味で笑える演奏をいたします。
 まあ、お客さんは楽しそうですから、それはそれでいいのかと。それにしてもよくあの演奏で歌えるな、ボーカリスト(カミさん)。
 しかし!今日偶然発見したこの番組を観て、もしかしてこのバンドすげえんじゃね?と思ったのです。なにしろ、ここで採り上げられた歌下手ならぬ演奏下手の響きが、まさに我々のバンドのそれにそっくりだったからです(笑)。
 いやあ、そうか。上手いはゴールがあるが、下手には無限の可能性があると。そして、プロの皆さんが忘れてしまったロックのソウルがそこにはある!…のか?ww
 それにしてもこの番組面白すぎます。さすがだなあ、タモリさん。そして、出演者の皆さんもすごい。まじめに、しかし最大限にふざけて論じているところが見事。
 いろんなシャレたコメントに、思わず吹き出しつつ感心してしまいましたが、特にタモリさんの「雅楽」発言は素晴らしすぎ。
 音楽の本質に迫るところですよ。西洋近代音楽が整理しすぎてしまった、つまり可能性を摘んでしまった、音楽の本質、そして豊かさがそこにある。音楽に限らず、私たちがコト化を進めた結果忘れてしまったモノの魅力を思い出させてくれました。
 日本で古く音楽のことを「もののね」と呼んでいたことは偶然ではないでしょう。これからはモノの音の復権、復活の時代になるのかもしれませんね。そうしますと、我々のバンドはその最先端を行っている、それも無意識で行っているという最強ユニットということになるのかもしれません(笑)。
 ああ、いろいろ楽しい一日でした。音楽はやめられませんね。

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2018.07.14

ジャン=リュック・ポンティ 『ケルティック・ステップス〜ジグ』

Jean Luc Ponty - Celtic Steps - Jig

 日は、明日の本番へ向け、初めて練習に参加しました。やる曲を初めて知るという、いつものパターン(笑)。ま、バンドの中のストリングスなんてものは「雰囲気」ですから、コード進行さえなんとなく把握しておけば、即興でなんとかなるでしょう(ホントか?)。
 というわけで、先日何回かに分けて紹介した、なんちゃって5弦ヴァイオリンを、初めて人前で弾きました。うん、けっこういい音がするし、なにしろ弾きやすくでよろしい!さすが木曽鈴木!
 で、ウチに帰ってきて、「そういえば昔、ジャン=リュック・ポンティよく聴いてたな」と思い出し、さっそくYouTubeで何曲か鑑賞しました。
 レコードは何枚か持っているけれども、考えてみると、演奏している姿ってのは、今回初めて観るかもしれない。
 お〜、なるほど、軽いボウイングが素晴らしいですね。そして、無駄なヴィブラートがなくてよろしい。これは、バロック・ヴァイオリンの奏法に近いぞ。
 たしかに、ポンティの師匠でもある、かのステファン・グラッペリのボウイングやフィンガリングもこんな感じですね。フランスのヴァイオリン奏法の伝統というのがあるのかなあ。
 しっかし、それにしても、この動画に驚きました。いや、ポンティもまあ普通にうまいのですが、なんと言っても、ベース、そしてピアノもドラムもすごい!
 特にベースの人、なんて人か知りませんが、うまいっすねえ〜。世の中にはうまい人がたくさんいるんだなあと感激してしまいました。
 その点、エレキ・ヴァイオリンは少ない。今やバロック・ヴァイオリンより少ないのでは。バロック楽器は完全に市民権を得ていますからね。
 というわけで、私も四半世紀ぶりにエレキでいろいろ遊んでみようかと思っています。エフェクトかけて、いろいろ即興でやってみようかなと。
 秋には東京である方とコラボすることが決まりました。いったいどうなることやら。自分でも楽しみです。
 ポンティ、いまだに元気で現役なんですね。グラッペリも90すぎまで現役でした。ヴァイオリンって、比較的演奏家寿命が長いんですね。あんまり力がいらないからでしょう。年取って力が抜けると、ようやく本来のヴァイオリンの音が出るようになるんですよ、実は。

ジャン=リュック・ポンティ公式

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2018.07.13

『妻よ!松本サリン事件 犯人と呼ばれて…家族を守り抜いた15年』

Th__20180714_153806 原ら7名の死刑が執行され、中学校や高校の私の授業では、その話でもちきりになっています。リアルタイムで、しかもかなり近いところで彼らを見てきた者として、正しく伝えなければならないことがたくさんあります
 今の中高生は、オウム事件を単なる興味の対象として受容しています。YouTubeには彼らの「悪の所業」の数々が閲覧可能になっています。
 一方で、いわばマスコミの見方とは違った評価をされるべき部分があるのも確かであり、また、そのマスコミが自身の「悪の所業」を暴露する結果になったという事実もあります。
 昨日、今日と教室では、こちらで紹介したNNNドキュメント『妻に語りかけた14年 松本サリン事件が終わった日』を見せました。
 いろいろな意味でかなりのショックを受けたことと思います。単なる興味本位からではなく、人間の善悪両面を見ることになったと思います。
 言うまでもなく、冤罪被害者の河野義行さんは「善」。そのまぶしいばかりの「善」の光に照らされて、オウムの、そして警察の、マスコミの、そして私たち市民の「悪」が影として立ち現れる。おそろしいことです。
 その秀逸なドキュメントは今ネットでは見られなくなっています。残念ですね(著作権は何を守り、何を奪っているのでしょうか)。
 そのかわり、その1年後に、そのドキュメントをもとに日本テレビが制作した別番組(再現ドキュメント)が視聴可能になっていますので、それを紹介します。ぜひご覧ください。

 蛇足ではありますが、前田敦子さんですね。

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2018.07.12

石井裕 『独創・協創・競創の未来:タンジブル・ビットからラディカル・アトムズへ』

 〜む、本当に素晴らしい!ワクワクします。
 ずうずうしく言わせていただきますと、時間、未来、現在、過去に関する考え方が、ワタクシと石井先生は一緒ですね。
 テクノロジーの寿命は1年、ニーズの寿命は10年、ヴィジョンは100年。自分が死んでからも残る。
 テクノロジーが未来を切り拓くのではなく、未来のヴィジョンがニーズとテクノロジーを生む。
 だからこそ、私たちはテクノロジーに近視眼になるのではなく、ある意味アホくさいほどの夢、ヴィジョンを描くことですね。
 そして、アート、サイエンス、デザイン、テクノロジーをアウフヘーベンして、総体としてのスパイラルを生み出すこと。
 プレゼンのしかたも含めて、非常に勉強になりましたね。
 タンジブル・ビッツで一躍有名になり、MITの最先端に生き残っている日本人、石井裕さん。かっこいいですねえ。
 MITのあり方に象徴されていますが、やっぱりアートって大切ですね。世界に対して疑問を抱くことがアートの本質。そこからしかイノベーションは生まれない。人類の歴史とはまさにアートの歴史であったわけです。
Th__20180713_113020 未来視力‥いい言葉ですね。そこに富士山があるのも素晴らしい!
 やはり時間は未来から流れてきていて、だからこそ未来に原因を創って今結果を出す。ぜったいにそうですよね。
 いかに壮大な妄想をし続けるか。それこそが重要です。あきらめたら終わり。
 温故知新という言葉に対する解釈も私と同じでした。過去の人たちが、私たちの今を超えたはるか未来に何を妄想したのか。それを知ることは実は楽しいことです。

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2018.07.11

5弦エレキ・ヴァイオリン作りました‥その3

20180712_85126 て、皆さんにとってはどうでもいい話も今日で終わりますよ。
 エレキ・ヴァイオリンの製作(改造)ですが、Kranzのピックアップはいろいろ問題があったので、取り外してしまいしました。その代わりに装着したのが、この格安の(謎の)ピックアップです。

アコースティックギター・バイオリン用ピックアップ

 もともとKranzやSojingはアクティブ・ピックアップだったので、9V電池が必要でした。これが案外面倒くさい。いざという時に電池切れしていたり、電源切り忘れたり。
 今回はのちに紹介する予定のZOOMのエフェクターを通すことにしたので、基本的にはパッシブ・ピックアップでも良いと判断し、このなんちゃってピエゾ式を購入しました。
 Amazonでもそこそこの評価だし、期待していたのですが、実装してみますと、たしかになかなか良い。装着場所はいろいろ検証した結果、駒が立っている裏側にしました。というか、ここしかなかった。
 ノイズも少ないし、高音から低音まで比較的バランスよく拾ってくれます。ケーブルを脱着できるのもよい。サイレントとして使う時、ケーブルがじゃまになりません。
20180712_91603 続きまして、普段の練習用、またちょっとした演奏会などで使えそうな、超コンパクト・ギター・アンプも購入してみました。
 SDカードからMP3の音源などを鳴らすことができるので、なにかと便利に使えます。これをベルトにつけて旅芸人になります(笑)。ただ、ちょっと出力が不足気味でして、ダイレクト接続だと、リアル・ヴァイオリンより、ちょっと音量が小さいかもしれません。野外では使えません。もちろんエフェクターを通せばそれなりの音量にすることができますが。

ギターアンプ コンパクト スピーカー 5w

 というわけで、今回新たに購入したのは、上記二つの製品だけです。本体だけで考えれば、ピックアップの1560円と塗装スプレーの200円だけですんだということですね。

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2018.07.10

5弦エレキ・ヴァイオリン作りました‥その2

Th_img_2046 て、一日あいてしまいしたが、エレクトリック・ヴァイオリン改造のお話です。
 ほとんどの方に関係ない世界ですよね。ヴァイオリン弾く人もそんなにいないし、ましてやエレキとなると数えるほどしかいない。さらに楽器をヘーキで改造する人もそんなにいません(笑)。
 私は昔からそういうことをするのが大好きでして、おかげで家にはガラクタが大量に転がっています。
 さて、私はヴァイオリン&ヴィオラ弾きとしては、また違った意味で変わり者でして、普段使っているモダン・ヴァイオリンもバロック・ヴィオラも5弦です。
 それぞれについては、こちらこちらに書きましたので興味のある方は御覧ください。
 それらは最初から5弦のモデルであり、よって指板も広め、糸巻きも当然ペグの穴が5セット空いています。しかし、今回はもともと普通の4弦のボディーを使って無理やり5弦にするという荒業をやりました。
 はたしてそんなことができるのか。それもなるべく作業を少なくしたい(めんどうくさい)。
 ということで、初めての試みに挑戦しました。笑っていただいて構いません(笑)。なんと、5本目(C線)用のペグに関しては、あらたにあけなかったのです。
 ではどうしかたというと、写真のとおりです。A線のペグ孔の向かって左側にC線のペグを無理やり差し込んだのです。
 そうしますと、当然両方のペグが真ん中でごっつんこするわけですので、そこは思い切って両方の先っぽを削り取りました。弦をさす穴はもちろん残し、あと弦を巻き取る最低限の長さだけ残しでバッサリ。とはいえ、巻き取るスペースもかなり限られているので、弦もギリギリまで短くカットしました。
 で、今回は指板も4弦用のままですので、5弦を等間隔に並べるには狭すぎます。そこで、C線は完全に補助的に使うものと考え、写真のようにG線とギリギリ干渉しあわないくらい近づけました。
 これですと、普通の4弦部分に関しては、重音も含めてついもどおり演奏ができます。あくまで低音のG以下の音が必要な時だけにC線は使う。このC線とG線の間隔ですと、C線を押さえるということは、G線も同時に押さえるということになりますが、C線とG線で重音を弾くことはほとんどないので問題はありません。
 エレキの場合は基本、胴鳴りというものはなく、弦の振動をそのまま増幅するので、リアル・ヴァイオリンではよくあるボディの小ささから来るC線のパワー不足は心配ありません。
 どうでしょうね。こんな改造した人、あんまりいないんじゃないでしょうか。いや世界にはいるかな。
 ちなみに高校の時には、12弦ギターに憧れて、E線を2本並べて張ったこともありました。その時はペグも共用して、片方にアジャスターをつけてチューニングしました。微妙にずらすと、いわゆるコーラス効果が出て、面白い音になりましたっけ。今回もそれをやってみようかな。
 ちなみに今回の増弦法ですと、理論的にはあと3本弦を増やして8弦にすることができますね。まあ実用性は全くありませんが(笑)。
 というわけで、この改造エレキ・ヴァイオリン、15日に富士河口湖町のイベントにてデビューいたします。
 あとピックアップと小型スピーカーについては、後日紹介します。

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2018.07.09

追悼 加藤剛さん‥ドラマ 夏目漱石「こころ」

 た残念な知らせが入ってきました。加藤剛さんがお亡くなりになったとのこと。
 少し特殊からもしれませんが、私にとっての加藤剛さんは、夏目漱石の「こころ」のイメージです。
 加藤さんは「こころ」の朗読をし、舞台やドラマで「先生」を演じてきました。おそらくライフワークの一つと考えていたのだと思います。
 その朗読の録音、舞台やドラマのビデオを持っていますが、そのどれもたしかに素晴らしい。あの深遠なる漱石世界をよく理解し(理解しようとし)、ご自身の中で大変高い次元に昇華していると感じました。
 特にテレビ東京の名作ドラマでの熱演は、その集大成だと感じていました。最近その動画がアップされました。ぜひ皆さんも、加藤さんの名演技をご堪能ください。あまり知られていない作品だと思います。
 私もご冥福をお祈りしながら、このドラマを観て、あらためて「生」と「死」について考えてみたいと思います。

 いくつかの「こころ」の映画、ドラマの中で、最も原作に近く、違和感の少ないのはこの作品です。大山勝美さんの演出、加藤剛さん高橋恵子さん、そして若手女優、俳優たちも素晴らしい。音楽もいいですね。これってペルトかなんかでしょうか。それともオリジナル?

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2018.07.08

5弦エレキ・ヴァイオリン作りました‥その1

Th_img_2043 いうか、単に4弦を5弦に改造しただけですが。
 面白いもので、最近ある若手ヴァイオリニストと出会ってから、再びエレキ熱が湧いてきました。彼がエレキ・ヴァイ オリンの新たな可能性に挑戦しているを見て、すっかり刺激を受けてしまいました。
 私は彼が生まれた頃からエレキをやっていたので、なぜか尊敬されています。こんな近くにこんな変な人がいたのか!と(笑)。
 まあ実際バンドで弾く機会も増えているので、エレキを新しく買おうかなと思ったと思ったのですが‥考えてみるとウチには使ってない(壊れた)エレキが2本あるではないですか。その他使わないジャンク楽器がゴロゴロ転がっているので、それは組み合わせて一挺作っちゃおうかと。
 まずは、基本となる本体はですね、四半世紀前に買ったKranzのエレキ・ヴァイオリン。これっておそらく日本で初めてのエレキ・ヴァイオリンでしょう。
 当時はバーカスベリーしか選択肢がなかった。青いやつ。ELOのミック・カミンスキーとか、ジャン・リュック・ポンティが弾いてたやつですね。だけど高くて手に入らなかった。
 それを、今はなき木曽鈴木さんが製作して、比較的安価で売り出した。私はごく初期に御茶ノ水の下倉楽器で買いました。ほんとに初期型だと思います。
 なにしろ国産は当時Kranzしかなかった。それがなかなかいい出来でして‥とはいえ、本体の作りはさすが専門メーカーという感じですが、電気部品に関してはシロウト工作レベル‥のちに、かのSUGIZOさんも愛用するようになりました。
 で、その後の展開については、こちらの記事をご覧ください。変な安物楽器買っちゃったんですよね。それを最近まで使っていた。しかし、なんとも重いのと、やっぱり本体の作りがいい加減なんでしょうね、だんだん音程も取りづらくなってきた。どこか歪み始めているようです。
 そこで、ここはやはり原点回帰!ということで、久しぶりにKranz完全復活です!
 な〜んて、実際使ったのは本体の枠組みだけ。ピックアップも取り外してしまいました。そして、様々なガラクタの部品を集めて無理やり1台に仕上げたのが、こちら。
 10年前の記事では「Kranzも白(だいぶ黄色く変色しちゃってますが)だったし、もしかするとペイントするかもしれないんで(まあ、しないでしょうけど)」と書いていますが、今回はペイントしました。
 というわけで、なんとなく記事が長くなりそうなので、これは連載ということにしましょう。はたしてどうやって4弦を5弦にしたのか。衝撃の事実が公開されます(笑)。


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2018.07.07

オウム事件と安全保障

 日の続きとなります。死刑執行に対する世の中の論調と、私の感情の間にある違和感の一つがこれでした。
 チャンネル桜の討論の冒頭の、皆さんのお話を聴いていて、ああ一つはこれだと思いました。
 単なる異常な宗教集団によるテロということで片付けるのではなく、これからこうしたことが別の形で起きうることを想定して、私たちはそれなりの準備をしてかなけれはなりません。
 これからの「戦争」の形は、このようなBC兵器によるテロ、あるいはサイバーによるテロのような形をとるでしょう。核兵器の脅威というのも当然ありますが、コストパフォーマンスの点から考えても、より現実的なのは化学兵器、生物兵器であると思います。
 そして、結局、戦争の種が宗教であるという事実。これについては仲小路彰がエキスパートでした。もっと、私たち日本人は宗教について思いを巡らさねば。研究とかいうレベルでなくとも、せいぜい三大宗教の基本は理解しておきたいですね。私も含めて。
 それにしても、この専門家の皆さんの話は非常に興味深いし、知らないことばかりで勉強になりました。
 冒頭の30分だけでもぜひお聴きください。葛城さんがそういう形で勧誘されていたとは。私もずいぶん勧誘されました。文系なんですが。

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2018.07.06

麻原彰晃ら7人死刑執行に思う‥

Th_2018070600000032mai0008view 撃的なニュースでした。当然いつかは死刑が執行されるとは思っていましたし、ある意味遅すぎるとも感じていましたが、実際それが執行されたとなると、なんともいえない不快な気持ちがわいてきました。そんな自分に正直動揺しています。
 私とオウムの関係について(なんて書くと誤解されそうですが)は、『革命か戦争か オウムはグローバル資本主義への警鐘だった』をお読みください。今でもある意味他人事とは思えません。ですから、動揺してしまったのでしょう。
 今日のほとんどの世論のように、客観的に感想を述べることができません。ましてや安倍政権の陰謀だとか、ありえません。そういう次元で皆さんよく語れますね。事件自体は他人事なのでしょう。
 先ほど紹介した野田さんの本の文脈から言えば、今回の処刑‥いや死刑執行で、グローバリズム資本主義の勝利が確定したのでしょうか‥。
 これではまるで大東亜戦争のようです。フラクタルな感じもします。もちろん、オウムと当時の日本、特に軍部を同一視するなど、トンデモも過ぎると言われて当然ですが。
 しかし、皮肉なことに、7人の同日死刑執行は、あの極東国際軍事裁判(東京裁判)による、A級、B級戦犯処刑以来。あの日は奇しくも、今上天皇(当時皇太子)の誕生日でした。来年譲位をし、平成という御代が終わる、その前に時代の暗部を清算したいという思いもあったことでしょう。いろいろ因縁を感じます(いつもの統合過剰ですが)。
 麻原彰晃というより、他の6人こそが自分と重なる部分があります。ノンポリオカルトの同世代であり、またここ富士山麓で活動をし、実際会ったことがある人もいる‥。
 テロを許されません。被害者の皆様のことを考えると、それこそ遅きに失した感もあります。しかし、なんなんでしょう、この妙な違和感は。世の中の感情の動きとは全く相容れない何かが、自分の中にある。恐怖ですらあります。
 言うまでもありませんが、オウム(AUM)とは「阿吽」のことです。すなわち、宇宙の始まりと終わり。麻原はそれを曲解しました。
 また、グローバリズムという言葉の発明者は仲小路彰です。彼が戦後すぐに発表したグローバリズムという概念は、まさに地球を球体としてとらえ、最終的にはコスミカリズムにまでつながる高次元なものです。それをヨーロッパ諸国は20世紀的な価値観で曲解してしまいました。
 そう考えますと、オウムもグローバリズム資本主義も、どちらも誤りであって、どちらが正しいとか勝つとか、本来はそういう話ではないことが分かります。
 21世紀、そして新しい御代に、私たち日本人は、本当のAUM、そしてGLOBALISMを模索しなければならない。まずは言語化され、概念化されてしまったからこそ厄介な、その誤ったオウムとグローバリズムを乗り越えねばならないのです。これは大変なことです。先入観から忌避するのではなく、その奥、そのはるか上空を見つめる作業をしていきたいと思います。
 今日はここまで。また続きを書きます。

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2018.07.05

新型ジムニー発売開始!

Mainimage1

 人的には久しぶりにドキドキするニュース!
 いよいよ4代目ジムニーが発売になりました。とにかく「ほしい!」。
 個人的にはですね、2代目を3台乗り継ぎましたので、2代目の雰囲気が復活したこの新型には、一目惚れせずにはいられませんでした。
 逆に言うと、3代目とは20年間全く縁がなかった。運転席に座ったこともありません。
 ちょうど結婚して子どもを育てる時期と重なっていたため、どうしても個人的な趣味で車を選ぶわけにはいかなかったし。
 子どもも大きくなり、そろそろ自分の趣味も復活させられるかなと思っていた矢先、この新型の発売ですから、これはもう食指を動かさないわけにはいきませんよね。
 最新の装備も盛り込まれましたが、無骨なほどの基本は全く変わらない。すなわち、20年以上乗れる車なので、なんだかんだ安上がりなんですよね。実際、2代目ジムニーはまだ普通に町で見かけますよね。
 私が2代目を乗り継いだのは、本当に「趣味で」です。最初はSJ30-1型の幌ドア2スト。次が、JA71第2期のキャンバストップ4ストインタークラーターボ。最後が第4期のハードトップでした。
 そういう意味では、独身時代は富士山の林道をけっこうハードに攻めたりしてましたね。家族ができると、さすがにそういう遊びはしにくくなりました。
 もうそういう遊びはあまりしないかもしれませんが、ウチは大雪が降る地域ですし、噴火などの災害の可能性もあります。そういう意味でもジムニーは最強であり、本来は必需品です。
 そうそう、この動画観ると、やっぱりほしくなりますよ!なんだか感動して涙が出てくる(笑)。

 とはいえ、すぐには買いませんよ。というか買えない。今のエブリィ・バンもとってもいい車ですし。さてどうしようかなあ。これでまた、新型が街を走り始めるとほしくなるのか、それともその逆になるのか‥。
 これは爆売れの予感がしますね。このスクエアなデザインはある意味未来的でもあります。もう納車まで6ヶ月待ちだとか。う〜ん、まずどこかで試乗しよう。

ジムニー公式

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2018.07.04

筧克彦の「和(にぎ)」論

Th_picture_pc_78b5ffe763971dea1ab47 日は備忘録です。
 戦前、「イヤサカ先生」とも言われた、東大法学科の名物教授にして、神道研究家でもあった筧克彦。
 この人が当時の「皇国史観」に与えた影響は多大です。本人の意志はともかくも、日本が世界と対峙していく一つのきっかけを作ったと言ってもいい。
 私の身近なところでも、彼の名前はよく出てきます。私の三大研究テーマである、宮下文書、出口王仁三郎、仲小路彰、いずれにもやはり影響が感じられます。
 実際、筧は宮下文書の研究機関であった富士文庫の顧問でしたし、王仁三郎とは因縁の中と言える貞明皇后に「惟神」の講義をしています。また、仲小路彰の蔵書の中に筧の著書がありましたし、高松宮さまにも直接講義をしていました。
 そんな筧克彦が「和魂(にぎみたま)」について書いたものを見つけましたので、その一部をここに記しておきます。
 昭和15年発行の「惟神の大道」の一部です。冒頭の大御神様とは天照大御神のことです。

 大御神様は和魂の神にして和魂により荒魂を用ひ給ふ、大御神様の荒魂は撞賢木厳之御魂天疏向津媛命と称へ奉り、和魂を実現する勇猛心の大本と坐す。和魂とは、本末を立するにより一切に其の所を与ふる有難く懐かしみ思ふ超越心にして、普く大切に(愛しく)思ふことと一致する「うつくしび」(いつくしみ)の心である。而も本末を立し所を与ふるといふ美化作用となる心である。和魂はにぎにぎしく栄ゆる魂である。にぎはひの本となる魂である。「和」は「にぎ」を表す仮字であるが、「にぎ」に在っては漢字「和」のもつ妥協とか正しきを斥ける様な意味はない。それと申すも、和魂は本来正しく直く明かく清く坐す神様の御魂の御性質であるから、妥協の意味なきは申すまでもない。外国にて「和」といふは何と申しても本来思ひ思ひの多数者が妥協して勢に従ふ義が主となり勝ちである。故に「和」の背後には程よく之を革めねばならぬといふ意義が附着して居る。然るに、和魂とは自ら期せずして本末の正しきに帰せしめ又帰入する心で、本末の正しきを立する心ともいひ得、心其の者が「天晴れ、‥‥おけ」と暖く賑やかなものである。此の和魂は其れを実現する方便として荒魂をも準備して居る。荒魂とは現魂(実現する魂)の義で、和魂の本末を立する要求を実現し一切を救済・済度する心である。又、矛盾・反対を歓迎し和魂の要求を徹底する勇猛心なりとも申される。

 面白い内容ですね。私の「荒魂・和魂」観と似ているところもある。私も無意識のうちにいろいろなところから影響を受けているのでしょう。
 ところで、こうした独特の筧の神道観、そして国家観は、もしかすると彼が諏訪の生まれであることから来ているのかもしれませんね。
 そうしますと、まさに出雲の荒魂が発動していたということでしょうか。そして、その裏には和魂がある。あの戦争もそういう視点で観ると面白いかもしれません。ちょっと考えてみます。

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2018.07.03

ルクレールのガヴォット

 曲の多いルクレール。特にヴァイオリン弾きとしては、なにしろメロディーが魅力的で、そして適度に(シロウトには過度に)難しいという、実においしい作曲家であります。
 アンサンブルをするにしても、ヴァイオリン2本だけの曲から、壮大なスケールのトリオ・ソナタ、さらには名人芸的なヴァイオリン協奏曲まで、とても一生では弾ききれないほどです。
 そんな中、私が高校生の時から大好きな曲がこの曲。ヴァイオリンまたはフルートのためのソナタ、作品1の1からガヴォットです。
 なんともチャーミングなテーマに、それぞれ個性的な変奏部の対比も面白いロンド形式です。もとはハ長調ですが、けっこう遠い調にまで旅をします。その旅から帰ってきた時の安心感というか、アットホーム感がたまらないのです。
 まずは、バルトルド・クイケンのフラウト・トラヴェルソの名演奏をお聴きいただきましょう。ヴィーラントのガンバも素晴らしい。

 これがですねえ、ヴァイオリンのですねえ、「これだ!」という演奏がなかなかないんですよねえ。自分で弾くのが一番いい(笑)。ガヴォットって案外テンポが難しいんですよね。踊れることを基準とするかどうかでも変わってきます。この時代ですからね、そろそろダンスから離れた純粋な器楽曲になりつつあるわけでして。
 比較的最近の録音で、バターフィールドのバロック・ヴァイオリンによる演奏を聴いてみましょうか。

 バルトの演奏と比べるのは酷ですが、ちょっと雑な感じがしますね。フランスバロックの優雅さがもう少しほしいかも(なんちゃって)。
 私が昔聴いたのは、かのジャン・ジャック・カントロフによる演奏でした。あれは優雅で良かったなあ。クラヴサンはラクロワだったかなあ。
 というわけで、久しぶりに私も挽いてみます。楽器は…なんとエレキ・ヴァイオリンです(笑)。そうそう、最近30年前に買ったエレキ・ヴァイオリンを復活させたんです。原形をとどめないくらい改造しちゃいましたが。それはまた近日紹介します。

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2018.07.02

ちやほやの語源

Th_51plckg0jll_sx348_bo1204203200_ さん、「ちやほやされたい」ですか?
 まあ、悪い気分じゃないですよね、ちやほやされると。
 逆に「ちやほやする」立場はどうでしょう。これもそんなに悪い気はしないのでは。簡単に言えば、「ほめる」「かわいがる」わけですからね。
 ただ、「甘やかす」という意味合いもあるので、「ちやほやされていい気になる」など、マイナスの意味で使わることもあります。というか、結果として「ちやほやされる」と、いらぬ嫉妬心を買ったり、慢心に陥ったりと、あまりいいことはありませんね。
 お金と一緒で、度が過ぎると良くないというわけです。
 さて、その「ちやほやする(される」の「ちやほや」ってなんでしょうか。語源をご存知ですか?
 実はこれ、あえて漢字で書きますと、「蝶や花や」となるんです。意外ですよね。
 「蝶や花や」という文字を見て、「蝶よ花よ」という言葉を思い出す方もいらっしゃるでしょう。そう、それが正解です。
 「蝶よ花よ」という表現は明治時代以降の文献に見られます。樋口一葉の「たけくらべ」には、次のような文章があります。

何故でも振られる理由わけが有るのだもの、と顏を少し染めて笑ひながら、夫れじやあ己れも一廻りして來ようや、又後に來るよと捨て臺辭して門に出て、十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、と怪しきふるへ聲に此頃此處の流行はやりぶしを言つて、今では勤めが身にしみてと口の内にくり返し、例の雪駄の音たかく浮きたつ人の中に交りて小さき身躰は忽ちに隱れつ。

 「蝶よ花よ」の原型である「花や蝶や」は、なんと平安時代の枕草子や源氏物語にも見られます。古い表現なんですね。

みな人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける(枕草子)
花や蝶やとかけばこそあらめ、わが心にあはれと思ひ(源氏物語)

 いずれも、特別に寵愛するというニュアンスですので、現代の「蝶よ花よ」、「ちやほや」と同じ意味ですね。
 すなわち、「花や蝶や」→「蝶や花や」→「ちやほや」という変化をしたと考えられるのです。そして、「蝶よ花よ」は、感嘆の終助詞が「や」から「よ」に変化したのに伴って生まれたものと言えそうです。
 今、私たちは「ちやほや」という言葉を使う時に、「蝶」とか「花」を意識することはありませんが、もともとは、「蝶」や「花」が美しく、可愛らしく、またある意味では儚くもろい「愛すべきもの」「大切にすべきもの」だったということですよね。
 そう考えると、「ちやほや」が過剰になると「甘え」につながるというのも納得です。また、なんとなくですが、子どもや女性には使うけれども、大人の男性に対してはあんまり「ちやほや」しないような気がしますよね。なにしろ「蝶」と「花」ですから(笑)。 
 そういう意味では上の画像の選択は間違っていますね。いや、合ってるか(笑)。
 それにしても、こういう無意識の中に残る語感というのは面白いですね。

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2018.07.01

NHK公開収録「にっぽん百名山 富士登山!徹底ガイド」@ふじさんホール

Th__20180702_103448 日は富士山山開きの日。この日にちなんで、富士吉田市のふじさんホールで、NHKの「にっぽん百名山」の公開収録がありました。
 この収録があることを、地元の私は知らなかったのですが、かつてのレミオロメンおっかけ友だちが久しぶりに連絡をくれまして、一緒に行くことになりました。
 会場には、それこそ10年以上前一緒におっかけした(笑)仲間が集まり、久しぶりの再会を喜ぶとともに、年月の流れの早さと、それぞれの人生の変化に、なんともいえない感慨を覚えることとなりました。
 これもまた音楽の素晴らしさですね。
 詳しくは語れませんが、山好きでなくとも楽しめる内容となっていたと思います。司会は、山と渓谷社の編集長萩原浩司さんと、ハリウッド女優にして農家の工藤夕貴さん。萩原さんの穏やかで誠実なお人柄と、いい意味でぶっとんでいる天然(ナチュラル)ガール工藤さんの絶妙なタッグです。
 そこに加えて、ある意味お二人のいいとこ取りをした(?)穏やかで天然の藤巻亮太さんがゲスト。山に関するトークも面白かったけれども、なんと言っても、収録の最後のサプライズ・プレゼント、山中湖の某スタジオで完成させたあの名曲「粉雪」を弾き語りしてくれたことは、私たち長年のファンからしますと、なんとも感動的な出来事でありました。
Th_img_1999 ここふじさんホールは地元の私たちにとっては、いろいろな思い入れのあるステージです。私自身も学校行事や式典などで何度も舞台に上がっていますし、いろいろなミュージシャンのパフォーマンスを見たり聞いたりもしてきました。
 特に、あのは格別な思い出です。そこで、志村正彦くんと同世代、ある意味同郷である藤巻くんが歌ってくれることに、私は感激しないではいられません。
 藤巻くんの生歌をこのホールで聴くのは、なんだかんだもう3回目となります。5年前にはリハーサルに同席させてもらい、彼と志村くんについてしんみり語り合いましたっけ。今日も思い出してくれたでしょうか。
 そうそう、そういえば、この秋に藤巻くんは「」を主催するんですよね。そこにはフジファブリックの山内総一郎くんも参加してくれます。嬉しいですね。行かなきゃ。
 と、個人的にいろいろなことを考え、思い出させたくれる収録でしたが、放送は、山梨県では総合テレビで7月27日(金)午後7時30分から、全国放送ではBS1で7月28日(土)午後10時からとなります。ぜひ御覧ください。私も映ってるかな(笑)。坊主頭を探してみてください。
 

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