「みろくの世=宗教がなくなる世」は近い!?
なんででしょうかね、私のところには本当にあらゆる宗教者が集まってくる。面白いほどです。
もちろんワタクシ自身は凡夫の中の凡夫であって、ワタクシが偉いわけではない。しかし、自分では分からないのですが、どうも私の後ろにとんでもなく偉い方がいらっしゃるようで、先日もある霊能者(宗教家)にそう言われました。
たしかに、出口王仁三郎の耀わんを所持していたり、仲小路彰の遺品を整理していたり、たしかに普通ではありえないご縁に恵まれて、いわゆる霊的な世界と身近に接する機会をいただいているのかもしれません。
ただ一つはっきり言えることは、どこの教団にも属さないということです。あらゆる宗教とのおつきあいはありますが、実際どこの信者でもない。
これは王仁三郎の言う「宗教のない世の中がみろくの世」ということに則っているからです。そのとおりだと思っているので、自分が先駆けてそれを体現しているのです。
いろいろな人から、アヤシイ宇宙人と言われるワタクシではありますが、どうか怖がらないでおつきあいいただきたい(笑)。
さて、一昨日、昨日は、学校行事の「接心」がありました。禅宗の僧侶の修行の一部をまねるだけですが、それでもいろいろと気づきがあります。生徒たちにとっては辛いだけの行事かもしれません。スマホもない、しゃべってもいけないという状況で学校に泊まるのですから。それでも何かを学んで、見つけてほしいと心から祈りながら、私も一緒に時間を過ごします。
一昨日はその接心の前に、某神道系宗教団体の方と、かなり核心に迫る話をいたしました。さらに昨日は、その接心が終わってからすぐに三島に飛び、ある教え子の結婚式に出たのですが、そこで久々に会った教え子がいまして、彼と、「接心」を取り入れている某仏教系宗教団体の教えについて語り合いました。
そのどちらにも共通しているのは、教団内部の変革と、富士山の存在ですね。実は最近、その他の大手(?)教団のトップの方々とも話す機会があったのですが、みな実は同じようなことをおっしゃるんですね。
おそらくその教団どうしは、ほとんど交流がないと思います。ですから、しめし合わせたわけではない。だのに、みんな同じことをおっしゃる。
これはやはり、いよいよそういう時代が来ているということなのだと思います。王仁三郎が予言した「みろくの世」の入り口に、私たちは来ているのではないでしょうか。
仲小路彰のもとにも、本当に驚くほどあらゆる教団が集まってきていました。いろいろな資料が発見されています。時代的にいえば、それぞれが対立していたかと思うのですが、やはり宗教についても21世紀的なビジョンを持っていた仲小路には、それぞれの教団、教祖にとっても、学ぶところがたくさんあったのだと思います。
違う言い方をするなら、大教団の教祖レベルであれば、実は21世紀の宗教のあり方はわかっていたと思うんですよね。しかし、巨大化し、時代の要請から集金機構、集票機構になりさがってしまった教団が、ある意味暴走してしまったあの時代は、不幸な時代だったと思います。
どことは言いませんが、もちろんその教祖自身も狂ってしまった、そういう教団もいくつかありました。
しかし、21世紀に入って、日本の宗教団体を取り巻く環境は大きく変わりました。伝統宗教もしかり、新興宗教もしかり。
特に多く見られるのが、保守と革新の対立です。なんだか時代遅れなような気がしますが、特に明治以降成立した新宗教の部類は、ほとんどが今、「開祖」とその教えをどう扱うかでもめている。場合によっいては分裂している。
もちろんそういう対立は会社などでもよくあることですが、やはり宗教の場合は難しさがあります。信者自身の人生や存在意義に直接関係してきてしまうからです。
しかし、一昨日も昨日も皆さんと話したんですが、開祖の言葉にだけとらわれると危険です。言葉ではなく、彼らが21世紀やもっともっと未来に対して、どういう夢や理想を抱いていたかを忖度しなければならない。
熱心な信者や弟子の方々にかぎって、言葉の呪縛にはまってしまうんですよね。
おそらく私にできるお仕事は、そういう方々の呪縛を(いとも簡単に)解いてしまうことなのでしょう。得意のはったり力を活かして(笑)。
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