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2018.05.23

与謝野晶子の未発表「和歌」発見

Th__20180523_142924 日は「和」について書きました。
 和と言えば…短歌か和歌か、これは大きな問題です。昨日、与謝野晶子の未発表の歌が見つかったというニュースがありました。
 各社のニュースタイトルを見ると、和歌と短歌が約半数ずつと、見事に分かれていました。一部「歌」もありましたが。
 私もいちおう歌詠みのはしくれです。単独では歌集を出すほどの実力はありませんが、合同歌集には二回参加させていただきました。
 二冊目の収載のエッセイにおいて、「私は自分の詠む歌のことを「短歌」ではなく「和歌」であると言っている。なんだか、それらしいことを言って、他との差別化を図っているようにも見える。なんとも困ったものだ」と書き出し、勝手な「和歌⇔荒歌」論を展開しました。短歌は長歌の対義語ですが、和歌の対義語は荒歌であると。
 一般的には、江戸時代までの歌は和歌、明治時代以降のものを短歌と認識することがほとんどでしょう。
 そうしますと、与謝野晶子の歌は間違いなく短歌ということになりますが、実際、ニュースにおいても両方の表現が拮抗しているわけですから、実は皆さんなんとなく判然としない気持ちがあるのでしょう。
 たしかに、自分も自分の歌を「短歌」と呼びたくないのは、和歌でなんでいけないのか?という疑問があるからです。
 私にしてみれば、別に明治維新を挟んで、歌が全く違ったものになってしまったとは思っていません。もちろん、石川啄木に代表されるような、近代的自我という幻想を背景に自意識過剰に陥った「私短歌」的作品群は、今でもたくさんあります。逆に言うと、そうしたものを「和歌」とは呼びたくない(なんちゃって…ですけど)。
 では、与謝野晶子の歌は「和歌」なのか「短歌」なのか。これは意見が分かれるところでしょうね。私は…個人的には「和歌」と呼びたい。
 まず、字がうまいから(笑)。写真見てくださいよ。専門家が時間かけて解読したんですよ。伝統的な仮名文字です。これは彼女があくまでも「和歌」を意識していた証拠です。近代に対抗、反抗していた。
 歌としても和歌と言っていい世界観と言葉遣いです。

よひよひに 天の川なみ こひながめ 恋こふらしと しるらめや君

 「天の川なみ」とは「天の川が無いので」と解釈すべきでしょう。無いから乞うのでしょう。「ながめ」はもちろん「眺める」ではなく「物思いにふける」の意味。
 「恋こふらしと」と続けるところがいいですね。なにしろ「こふ」が三回続くわけですから。どれだけ会いたかったかが分かります。その気持ちが伝わらない切なさ、まさに「もののあはれ(不如意の嘆息)」ですよね。
 これを和歌と言わずなんと言うのでしょう。これは晶子の歌の中でも、特に秀逸な作品と言っていい。決して習作などではありません。和歌として完成していると思います。
 


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