学校は無駄!?
まさに学校で教員業をやっておりますが、本当に疑問ばかりです。こんなことでいいのでしょうか。自信をもって仕事をしていないわけですから。
いや、この前、ある研修の講師をやらせていただき、そこでも教師とは迷い続ける仕事だと言いました。まさに「是非初心不可忘」ですよね。
これでいいのだろうかということを忘れて、毎年同じことを繰り返す教師もたくさんいます。そうはなりたくない。
そういう疑問、迷いというのは本当にたくさんいろいろなスケールであるのですが、根本的な「学校のシステム」についての疑問というのが、実は一番大きいかもしれません。
そういう意味で、この落合陽一さんとホリエモンさんの話は、実にみにつまされる。第三者的には完全合意です。しかし、現場でそのムダな仕事をしている身としては、なんとも複雑な気持ちになります。
いや、本当に150年前のまんまな「学校」って本当に意味があるんでしょうか。いや、いくらでも意味らしきものは語れますよ。しかし、それはほとんどがこじつけ、自己弁護です。
彼らの言う、ここ二十年の日本の凋落というか、テクノロジーの進歩から取り残された日本の残念な姿というのは、この旧態保守でしかない教育、学校がもらたしたものでしょう。
では、どうすればよいのか。正直なかなか答えが出ません。なかなか自分自身も常識、習慣から抜け出せません。まずいなあと思いながら、また普通の学校の普通の生活を繰り返してしまいます。危機感はあるのですが。
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