« 2018年4月 | トップページ

2018.05.23

与謝野晶子の未発表「和歌」発見

Th__20180523_142924 日は「和」について書きました。
 和と言えば…短歌か和歌か、これは大きな問題です。昨日、与謝野晶子の未発表の歌が見つかったというニュースがありました。
 各社のニュースタイトルを見ると、和歌と短歌が約半数ずつと、見事に分かれていました。一部「歌」もありましたが。
 私もいちおう歌詠みのはしくれです。単独では歌集を出すほどの実力はありませんが、合同歌集には二回参加させていただきました。
 二冊目の収載のエッセイにおいて、「私は自分の詠む歌のことを「短歌」ではなく「和歌」であると言っている。なんだか、それらしいことを言って、他との差別化を図っているようにも見える。なんとも困ったものだ」と書き出し、勝手な「和歌⇔荒歌」論を展開しました。短歌は長歌の対義語ですが、和歌の対義語は荒歌であると。
 一般的には、江戸時代までの歌は和歌、明治時代以降のものを短歌と認識することがほとんどでしょう。
 そうしますと、与謝野晶子の歌は間違いなく短歌ということになりますが、実際、ニュースにおいても両方の表現が拮抗しているわけですから、実は皆さんなんとなく判然としない気持ちがあるのでしょう。
 たしかに、自分も自分の歌を「短歌」と呼びたくないのは、和歌でなんでいけないのか?という疑問があるからです。
 私にしてみれば、別に明治維新を挟んで、歌が全く違ったものになってしまったとは思っていません。もちろん、石川啄木に代表されるような、近代的自我という幻想を背景に自意識過剰に陥った「私短歌」的作品群は、今でもたくさんあります。逆に言うと、そうしたものを「和歌」とは呼びたくない(なんちゃって…ですけど)。
 では、与謝野晶子の歌は「和歌」なのか「短歌」なのか。これは意見が分かれるところでしょうね。私は…個人的には「和歌」と呼びたい。
 まず、字がうまいから(笑)。写真見てくださいよ。専門家が時間かけて解読したんですよ。伝統的な仮名文字です。これは彼女があくまでも「和歌」を意識していた証拠です。近代に対抗、反抗していた。
 歌としても和歌と言っていい世界観と言葉遣いです。

よひよひに 天の川なみ こひながめ 恋こふらしと しるらめや君

 「天の川なみ」とは「天の川が無いので」と解釈すべきでしょう。無いから乞うのでしょう。「ながめ」はもちろん「眺める」ではなく「物思いにふける」の意味。
 「恋こふらしと」と続けるところがいいですね。なにしろ「こふ」が三回続くわけですから。どれだけ会いたかったかが分かります。その気持ちが伝わらない切なさ、まさに「もののあはれ(不如意の嘆息)」ですよね。
 これを和歌と言わずなんと言うのでしょう。これは晶子の歌の中でも、特に秀逸な作品と言っていい。決して習作などではありません。和歌として完成していると思います。
 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.22

日本=ニコニコの国

Th_images 日もニコニコ動画を見ました。いや、いいネーミングだなと改めて思いましたよ、ニコ動。
 だって、ニコニコって「日本」ってことだもん!
 …って、何を言ってるのかと思われそうですが、実はこれがホントの話なので面白いわけです。
 いつかどこかにも書きましたが、「にこにこ」を漢字で書きますと、「和和」となります。そう、「和」という漢字には本当に多くの読み(訓み)があるのですが、「にき・にぎ・にこ・にご(なぎ・なご)」系列の訓みが一番古いのです。
 記紀に登場する、和魂(にぎみたま)はもちろん、今でも使われる「にぎやか」とか「にこやか」「なごやか」などの語源もここにあります。
 ですから「ニコニコ動画」は「和和動画」で間違いない。
 そして、面白いのが、かつて日本のことを「大和(やまと)」と呼んでいたということです。これは奈良県の天理市あたりの地名「やまと」に、のちに「大和」という漢字を当てたものです。それが国名にもなった。
 当時の「やまと」地方の信仰は、三輪山信仰でした。三輪山は言うまでもなく、出雲の神オオクニヌシの和魂(オオモノヌシ)の鎮まる山です。おそらくそこから「和」という字をもって「やまと」と読み、そして、そこにグレートの意味をこめて「大」をつけたものと思われます。そして、それが外国から見た国家としての「やまと」をも意味するようになった。
 すなわち、たとえば大和心とか大和魂とかいうのは、決して勇ましいものでなはく、あくまでも「にこにこ」「やわらぎ」なのです。
 このことは誰も指摘していませんが、言われてみるとたしかにとなりませんか。日本はニコニコの国。日本人はいつもにこにこしているべきなのです。
 皆さんはいかがですか?そういう意味で日本人ですか?ニヤニヤじゃダメですよ(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.21

しにせ(仕似・老舗)

Th_51rly8k7fbl 日、下の娘は東京にて人間国宝野村四郎先生による能のお稽古でした。
 帰ってきた娘が言うには、「今日はあんまり怒られなかった。しにせるという言葉について教わった」とのこと。「まね」の体が「しにせ」であると。
 なんでも師匠がおっしゃるには、教えると理屈になってしまうのだそうで、そうならないためには弟子が「まねをする」ようにするのだとか。
 なるほど、これはよく分かりますね。言葉にならないモノを無理やり言葉にしてしまうと、いわばコト世界に限定されてしまい、モノの本質が伝わらないということでしょう。
 だから、世阿弥も「物まね」という言葉を重視した。「まね」は私の解釈では「招く」と同源であり、「もの」は他者、自己の補集合を表しますから、結果として「他者を招く」「何かをおろす・憑依させる」ということになりましょう。
 これは実に日本的な文化です。言語を否定する禅の教えにも通じます。言葉(コト)で分かった気になってしまってはいけない。最も大切なモノは言葉では表せません。
 さてさて、「しにせる(古語…しにす)」で気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、「老舗(しにせ)」はこの「しにせる(しにす)」という動詞が語源です。動詞の連用形。
 と言いますか、「ニセモノ」の「偽(にせ)」も、もとは「似せる(古語…似す)」の連用形です。「偽」というと、どうしても悪いイメージがありますが、もともとはただ単に「似せたもの」ということです。本モノに対して似せモノとなると、たしかにフェイクなケースが多くなるため、いつのまにか悪い意味でしか使われなくなってしまいました。
 しかし、世阿弥の時代には、「まね」も「にせ」も決して悪い意味ではありませんでした。逆に良い意味だったとも言えます。自分が何かの真似をして、自分をなにかに似せるというのが、能の基本です。
 モノを招く(ものまねする)ことによって、自らが他者(モノ)の型にはまり、しかし、その型をはみ出してにじみ出るモノこそが、その演者の個性ということになります。
 そうそう、ちょうどこの前、プロ無職の方とも話したんですが、日本の学校は型にはめすぎるけれども、それが逆に個性を生んでいることがあります。
 カタの語源はコトと同じです。すなわち私がいつも言うところの「コトを窮めてモノに至る」というやつで、他者のカタ(コト)にはまりきると、いつのまにか、そこに自己というモノが立ち上がる。
 禅宗の修行も「なりきれ」と言います。作務(掃除などの作業)の時には、たとえば雑巾になりきれと言います。そうするとことによって、実は自我が立ち現れてくる。これは実に面白いパラドックスです。
 あっそうだ、「老舗」の話でしたね。
 「老舗」というのは、もう何代も同じことをしているお店などのことを言います。すなわちカタ(コト)にはまって、先代のやり方の真似をして、先代に似せて…の連続なんですね。だから「し似せ」なのです。
 もう予感がしているかもしれませんが、老舗こそ、それぞれの代によって微妙な個性があったりします。同じことをするからこそ個性が表れる。何代目の、それらしさが出る。
 だからこそ、ずっと伝統を守るわけです。これは生命の基本とも言えます。守ることが実は非常にクリエイティブなことになる。そう、保守と革新は全然反対語ではないんですよ。
 変わりたければ、変えたければ、まず守る。徹底して真似してみる。似せてみる。これは真に創造的な人生を送るための極意なのです。

Amazon 東京老舗名店120

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.20

熱海(伊豆山)→池袋→中野→富士山

Th_img_1511 日は実に面白い日でした。海から都会、都会から山へという長距離移動の中、本当にいろいろな出会い、学びがありました。
 一つ一つを細かく書いている余裕がないので、ざっと流れだけ。
 実は昨日から熱海の伊豆山に泊まっておりました。恒例となっている親族の集まりです。熱海や伊豆山、そして興亜観音については、毎年記事にしてきましたので、そちらをご参照ください。神々の世から近現代に至るまで、霊的に大変重要な土地です。出口王仁三郎にも縁がある場所ですし、富士山ともつながっています。
 今日は素晴らしい好天、かつ久しぶりに寒気が流れ込んでくれたおかげで、まるで初秋のような爽やかな朝を迎えることができました。
 そんな中、上の娘を東京行きの新幹線に乗せ、両親や親族に別れを告げた我が家の残り3人は、車で上の娘を追いかけて上京いたしました。
 向かうは池袋西口公園。池袋ジャズフェスティバル2018に、我が富士学苑中学・高等学校ジャズバンド部のOB・OGなど関係者で結成された「富士山燦燦楽団」が出演するのです。
 ベースをやっているウチの娘も今春高校を卒業し、晴れて社会人ビッグバンドのメンバーとしてデビューいたしました。
Th_img_1520 池袋ジャズはかなりレベルが高い。アマチュアでもそれなりの実力者が揃っています。そんな中、見事結成したばかりの富士山燦燦楽団はAステージという場を与えられました。栄誉なことですね。
 ある意味同じ釜のメシを喰ってきたメンバーですので、練習の機会は少なくとも、なかなかに息の合った演奏を繰り広げてくれました。相変わらずお見事なボーカルも交えた演奏で、会場の方々も大変盛り上がっていい雰囲気でありました。
 あっそうそう、会場でめちゃくちゃ懐かしい人に会いました!10年ぶりくらいでしょうか。かつてヴァイオリンを教えていた小学生の女の子が、早稲田大学の2年生になって私の前に現れたのです。
 たまたまビッグバンドに参加していたOGの友だちだったということで、ステージを見に来てくれていたんですね。彼女は東京に引っ越してしまっていたので、正直もう会うことはないかなあと思っていたのに、音楽が結んでくれたご縁、感動的な再会でありました。
Th_img_1522 さて、次の目的地は中野です。まずは警察病院の近くに車を停めまして、同病院の敷地内にある「陸軍中野学校」の碑を(裏側からですが)拝見。なるほど、ここがエリートたちを育てた、ある意味あまりに自由な聖地か。
 現代の教育、学校のあり方を「軍国主義・軍隊文化」と批判しまくっているワタクシでありますが、皮肉なことに理想の教育機関は、その軍の中心にあった!…のかもしれませんね。面白いものです。
 さてさて、そこからまた少し移動しまして、来週土曜日(26日)のコンサートの最終練習。何度かプログでも宣伝したラモーのオペラ・バレエ「優雅なインドの国々」ですね。歌手の人たちの「踊り」も完成し、実に楽しいコンサートになりそうです。当日券もありますので、ぜひお越しくださいませ。必ずやご満足いただける内容です。
 たっぷり5時間近く練習したのち、中野にてもうひと仕事。これがまた楽しかった。
Th_img_1528 「プロ無職」の、るってぃさんと初めてお会いしてのいきなり対談。彼がプログに「時間は未来から過去に流れてることを意識できているか?」という記事を書いてくれたのがきっかけ。とってもよく理解してくれている内容だったので、私の方から連絡をさせていただきました。いい予感がしたので。そして、1週間で実際会うことになり、そして意気投合。面白すぎるご縁。
 はっきり言いましょう。るってぃさん、すごい若者です!私も大変刺激を受けました。きっとこれから面白いことが起きますよ。るってぃさんのファンの皆さんも、ぜひご期待ください。
 今日お話したことは、きっとるってぃさんが発信してくれると思います。無精者のワタクシは、こうしてアウトソーシング(笑)。
 最近本当に出会いにムダがない。タイミングが絶妙。初対面から意気投合でソウルメイトみたいな…。もう楽しくてしかたありませんよ。そして幸せだなあって思います。
 いろいろ余韻に浸りながら、疲れも吹っ飛び眠気にも襲われず富士山に戻ってきたのでありました。皆さん、ありがとうございました。おやすみなさい。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.19

『分断した世界-逆転するグローバリズムの行方』 高城剛 (集英社)

Th_51rnorus5hl_sy346_ 日も登場した高城剛さんが最近出した興味深い本。
 高城さんのすごさは、とにかく自分の足で現地に行き、自分の五感(プラス第六感)で得た情報こそを信じるということです。逆に言えば、マスコミが垂れ流すニュースや、インターネット上の情報は基本信用していないということです。
 ですから、この本には、彼が体験して確かめた各国の実態、情報だけが載っていると言えます。そこから見えてくる、高城さん独自の未来予測がまた面白い。
 彼がこちらに遊びに来た時に、直接聞いた話もいくつかありました。またこの本にはまだ書かれていない情報も教えてくれました。
 もちろん、こちらからもレアな情報をお伝えしました。役にたったかどうかは分かりませんが。
 私たちに共通した話題としては、やはり欧州が分裂していくこと、そして、中東とアメリカの情勢、インターネットが今後障壁を築くであろうこと、日本の今後の立ち位置と役目、本当のグローバリズムとは何かということでしょうか。
 そのあたりも含め、この本に書かれなかったことは、後編の「再び一つになる…」で明かされることになるでしょう。
 高城さんと私とは、ライフスタイルは全く違いますが、なぜか共有できるモノがあります。それはなぜか…。おそらく故郷が同じだからでしょう(笑)。
 まあ、それは冗談としまして、あえて二人の違いを言うならば、地球と日本の未来に対して、私のほうが高城さんよりもやや楽観的だということでしょうか。
 いずれにしても、本当に彼は賢く、魅力的な男です。心から尊敬しています。また近いうちに高城さんにお会いして、じっくり情報交換したいと思います。
 
Amazon 分断した世界

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.18

Kindleの読み上げ機能

Th_51gadl1g53l 評だった高城剛さんとの対談がKindleで書籍化されました。
 『21世紀の「匿名」ハローワーク: 人には理解されないもうひとつの職業図鑑(未来文庫)』で、取り上げられた6人のうち、一番変な宇宙人が私です…って、「匿名」「仮名」なのに(笑)。
 いや、全然いいんです。別に間違ったこと言ってないですし、ある意味発言に責任を取らなきゃなとも思ったので。もともと実名でも良かったのですが、先方からの依頼が「仮名でぶっちゃけトーク」だったので、こういう形になりました。
 さてさて、最近ですね、たとえば自分の言葉が載っているこの本なんかも、いわゆる読む時間というのが大変少なくて困っているんですね。
 で、新しいスタイルとしての読書、いや聴書とでもいうのかな、口伝的な意味では原点回帰とも言えそうなスタイルを利用しています。
 趣味柄、車で長時間移動することが多いので、運転中に本を聴くわけです。
 本を聴く。昔だったら、だれかに朗読してもらわなければならなかった。それが今ではiPhoneでSiriのKyokoさんが読み上げてくれる。
 ちょっと日本語が不自然ですが…日本語の高低アクセントというのは(私の専門分野です)、案外難しい…、とっても明瞭に、そして要望どおりのスピードで読んでくれるので、とっても便利です。ちゃんとページをめくって先をどんどん読んでくれるし(少し止まるが)。
 これって案外使っている人が少ないようですね。設定→一般→アクセシビリティ→スピーチ→画面の読み上げonでOKです。あとは、Kindleの画面で上から指二本のスワイプでコントローラーが出てきます。
 読み上げ自体はバックグラウンドでも可能ですが、ページめくりをしてくれなくなってしまうので、たとえばナビを起動しながら本を聴くということができない。これが改善されれば最強なんですけれども。
 最近、こうして本を聴いたり、動画の音声を聴いたりしながら、別の仕事や趣味やゲームをやることが増えました。テクノロジーのおかげで、自分も多少なりともヴァージョンアップしているのかなとも思うのでした。
 いや、前に書いたように原点回帰していのかも。考えてみると、音楽だって楽譜を読むのではなく、聴く方が正統ですよね。文字ができて、読むという行為が生まれた。それも近代になって黙読という特殊な文化が入ってきて一般化してしまった。言霊、音霊のない世界が異常だったのかもしれません。
 皆さんもどうぞお試しあれ。

Amazon 21世紀の「匿名」ハローワーク: 人には理解されないもうひとつの職業図鑑

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.17

追悼 西城秀樹さん…「Sweet Memories」「ブルースカイブルー」

 当にショックです。西城秀樹さんが亡くなりました。63歳。あまりにも早すぎる。脳梗塞を患い、大変苦労された中、還暦を祝うコンサートでは元気な姿を見せてくれていたのに。
 本当にカッコよく、歌が上手で、そして何より個性的であったヒデキ。男の私から見ても、この人はカッコいいなと、子ども心に思ったものです。
 そして、大人になってみて分かった、素晴らしい歌唱力。郷ひろみさん、野口五郎さんももちろん歌はお上手ですが、今になってみるとヒデキが一番うまかったのかもしれないと思うのであります。
 それを再認識したのは、そうこの11年前の記事の時でしょうか。古いビデオを再生して驚きました。
 今は便利な世の中になりまして、そのビデオはネット上の動画サイトで観る(聴く)ことができます。どうぞ、皆さんもヒデキの歌唱力をご堪能ください。

 こうしてバラードを、それもハモリパートを歌うと、その歌のうまさがよく分かりますよね。お見事としか言いようがありません。
 ヒデキのバラードと言えば、やはりこれを忘れてはいけません。阿久悠さん作詞、馬飼野康二さん作曲の超名曲「ブルースカイブルー」。スケールの大きな、西城秀樹ならではのバラードだと思います。これをこういうふうに歌える人、そんなにいませんよ、絶対。本当に偉大な歌手でした。心からご冥福をお祈りします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.16

『外交と宗教:一外交官の経験から』 天江喜七郎

Th_img_650ed4e44f3c6c53baa7e6dca424 日は仲小路彰について、ここ地元でも理解が進むきっかけになりそうな吉事がありました。今こそ彼の思想が世に出る
 学生時代に仲小路彰に師事し、そこで得た知見をその後の外交官人生に遺憾なく発揮された天江喜七郎さん。一度だけお会いしお話させていただきましたが、本当に深い洞察力をお持ちの方だと感じました。
 その天江さんの10年前の講演記録が、非常に興味深い内容だったので紹介いたします。
 仲小路の影響もあってのことでしょう、天江さんは日本文化や日本人の宗教観についても非常によく理解し、また具体的には茶道や合気道などを実践しておられます。やはり外交のベースは日本人たるアイデンティティーなのでありましょう。
 そうしたベースをもとに、イギリス、ソ連、ウクライナ、イラン、シリア、韓国などで外交の最前線におられた天江さんが強く感じたのは、「やはり、宗教というものがしっかりと自分の心に根付いていない民族は、早晩崩壊してゆくのではないか?」ということだそうです。
 では、今の日本人、あるいは今の自分には宗教が根付いているのか…そんなことも考えながらぜひお読みいただきたいと思います。
 唯物弁証法に対する厳しい評価や、聖徳太子の和の精神でしめるところなど、やはり天江さんには仲小路の影響が大きいなとも感じます。
 またお会いして、いろいろと教えていただきたいと思います。

外交と宗教:一外交官の経験から

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.15

山梨に埼玉のマンホールが…

Th_as20180514004186_comm 日のYahooニュースに「山梨のマンホールに…ひっそり千葉のふた 30年設置か」というネタがありました。
 読んでみると、ウチの隣村、現在では富士河口湖町である勝山に千葉は松戸のマンホールがあったとのこと。
 あれ?なんで今さら?
 これってマンホーラーの中では知られていたことではないでしょうか。
 このように他地方のマンホールの蓋が見つかることは、全国的にはよくあることです。記事にあるように仮設したものがそのままになるということです。
 そうそう、勝山と言えば、京都のマンホールもあるんですよ。マンホール蓋学会のホームページでご確認ください。一番下です。
 それにしてもマンホールマニアの世界って面白いですね。楽しいだろうなあと思います。全国、世界中を回れるし、観光地ではなく、日常の生活圏を歩き回れます。
 もちろん産業遺産として、あるいは工業デザインとしての魅力もありますよね。最近では観光資源としても活用されています。また、マンホールカードなるものも人気だとか。
 こういう日常に潜む何気ない魅力を発見できると、人生は幸せになりますよね。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.14

持田盛二 『剣道と気品』

 日東京の知り合いの方から、いろいろと貴重な史料をお預かりしました。その際、剣道をやっているウチの娘にということで、剣道の奥義に関する資料をいくつかいただきました。
 その中に、持田盛二十段の「剣道と気品」があり、大変感銘を受けました。気品と強さが表裏一体というのは、実に興味深いですね。日本文化の真髄でしょう。 
 どうぞお読みください。そして、持田十段の実際の剣さばきにおける「気品=殺気」を御覧ください。死と美とが結びつく不思議と納得。

 剣道と気品   大日本武徳会範士 持田盛二

 剣道を修行する上に、種々の目標を立てることができようと思う。昔から「大強速軽」ということがあるが、これなども誠によい教えで、大きい、強い、速い、軽妙な剣、それぞれ修行の目標となるものである。
 すなわち、この意味から「気品」ということも剣道修行上の一目標になろうかと思う。
 強いということももちろん重要なことであるが、強いだけでは物足らない。「強い剣道」であるとともに「気品のある剣道」でありたいものである。
 あの人の剣道に「気品」があるとか無いとかは誰にでも自然に感じられるものであるが、然らばその気品とはどんなものかという段になると、容易に謂いあらわし難い。気を花に譬えれば、気品はその香りのようなものではあるまいか、あるいは心を光になぞらえれば、気品はその映ろいのようなものではあるまいかと
思う。
 花鮮やかならざれば薫りを得がたく、光明らかならざればその映ろいを望みえないと同様に、気品は正しい心、澄んだ気から、自然に発する、得も言われぬ気高さである。何事によらず、真剣になっている時ほど、気高いものはなく、三昧の境地、無念無想の境地に入りこんだときほど気品のあるものはない。結局、真剣を離れて気品は得られぬものである。一本の稽古もいやしくもせず、ただ真剣、ただ一心、その心掛けがあったら求めずして上達し、求めずして「気品」のある稽古となるは請け斎戒沐浴、神の御前に出ずるが如き厳粛な気持ちをもって、日々の稽古を真剣に励みたいものである。合いである。
 「端正」ということも気品を養う上に大切な要素の一つである。心が端正でなければ気品は生まれない。形が端正でなければ気品は添わない。
 いたずらに勝敗に拘泥する時、品が悪くなる。私心、邪念にとらわれて、稽古に無理がある中は気品が添わない。
 剣道は「礼に始まって礼に終わる」といわれるが、礼儀を離れて気品はない。
 かく段々に考えて来ると、心も形も共に正しく相たすけるのでなければ、真に正しい立派な剣道、気品のある剣道となることはできないのである。「心正しければ剣亦正し」というのも、この意味に外ならないのである。
 気品を養う上に於いて「気位」というような事も考えられる。すなわち戦わずして敵を飲む気位、遂には宇宙を呑吐する底の気位に至って、いよいよ気品は高まるので
ある。
 さらに申したいことは剣道を単なる竹刀打ちと考えている中は、本当の気品は生まれないということである。 この道は天地自然の理法に貫通する大道であることを悟って、修行の上にも理想をもって進むことが肝要である。
 理想ある剣道と然らざる剣道とでは、気品の上にも天地雲泥の差が生じてくる。しかし無理に気品をつけようと気取っても見ても本当の気品にはならない。気品は朝に求めて夕に得られるものではない。絶えず心を練り気を養い、心と業とが進むに従って、自然に備わるべきものである。
 奥ゆかしき気品漂うところ、人格そのものに高き香薫じ、明るき光映ろい、誰しも、おのずから湧き起る尊敬を禁じえないものがある。
 折れず、曲がらず、鉄をも両断する切れ味と、にえ、におい、いうにいわれぬ気品をもつ名刀の如く、願わくは剣道においても「強さ」と「気品」の両者をあわせ得たいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.13

中沢新一「野生の科学」〜ラモーの「Les Sauvages」

 日は東京でした。いろいろなプロジェクトが並行して進行中でして、それらを一つ一つこなすのではなくて、それこそ混ぜこぜに処理していくからこそ、いろいろと面白いことが起きます。
 絶対に結びつかないようなことが、実は高次元(あるいは超低次元でw)結びつくことがあるから面白い。忙しいというのはいいことですね。
 さて、今日もまたいろいろなコトやモノが結びついた一日でしたが、そのうちの一つを紹介しましょう。
 まず東京へ向かう車の中で聴いたラジオ番組がこちら。中沢新一さんが語る「野生の思考」。中沢さんは山梨の出身でいらっしゃるし、若かりし頃、生前の仲小路彰に会うために、盟友の細野晴臣さんらと山中湖を訪ねたような方ですから、私も深いご縁を感じております。近い将来お会いできることを予感(確信)しております。

 若い頃から中沢さんの著作には大変大きな影響を受けてきました。特にいわゆるアカデミーの世界にはまりきらない、ワタクシ的な表現でいうところの「ホンモノのモノ学」は、今の私の土台を形成していると言っても過言ではありません。
 最近(と言っても2011年からですが)、中沢さんは明治大学の「野生の科学研究所」の所長さんを務めておられます。「野生」と「科学」はある意味矛盾する言葉どうしですね。これはワタクシの「モノ・コト論」で言いますと、まんま、「モノ」と「コト」ということになるので、まさに人類は「コトを窮めてモノに至る」という世紀を迎えているということですね。
 さてさて、そういう意味で、今日練習したラモーの「優雅なインドの国々」は実に象徴的です。18世紀ヨーロッパは、科学(コト)がある程度進行し、産業革命の前夜的な雰囲気でした。実はそういう流れに対抗するがごとく、野生(モノ)に対する興味が再興した時代でもあります。
 このラモーのオペラ・バレエも、そうした状況の中で生まれた名作です。中でも有名なこの曲。今日もしっかり練習しましたよ。26日の本番でもたっぷりお聴きいただくことになります。
 曲名は「「Les Sauvages」。日本語で言えば、野蛮・野生です。コトを構築する形で発展した西洋近代音楽の中で、はたして野生はどう表現されるのか。
 今となっては、そのオペラ・バレエの内容はツッコミどころ満載ですが、しかし、そこに生まれた音楽は実に魅力的です。まさに「野生の科学」。
 それを現代日本人の私たちが演奏するわけですから、まったく面白いことであります。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.12

100分de名著 『般若心経』

 みません。公私共にとっても忙しく、なかなか長い文章を書く時間がありません。
 皆さんにとっては、そちらの方が嬉しいかもしれませんね(笑)。10年前の記事なんか見ると、まあ長い長い。読みたくなくなっちゃいますよね、あれじゃ。
 今や文字よりも映像の時代。これはある意味では「コトからモノへ」の回帰であります。そういう意味で、以心伝心、不立文字、教外別伝である仏教は、とっても未来的ですね。
 というわけで、そのへんも含めまして、般若心経のお勉強をしてみましょう。私も仕事柄、少なくとも週に一回はお唱えしております。全校生徒500人でお唱えする、それを先導するお仕事をさせていただいております。ご利益あるかな(笑)。
 この番組、なかなか分かりやすく、だからこそ分かったようで分からない感じを、伊集院さんが見事に表現されていて面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.11

武田鉄矢が落合陽一を語る

 こ数日、未来的な意味でとっても忙しい。いろいろなところに行って、いろいろな人と会い、いろいろと今までなかったモノを産み出す仕事をしています。正直楽しい!みんながドキドキ・ワクワクすることをしたいですね。
 というわけで、ちょっと時間がないので、今日はおじさん(じじい)の代弁者として、武田鉄矢さんに登場してもらいます。よろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.10

落合陽一・小泉進次郎 『POLITECH』

 日の「教育」と同様、旧態依然としたシステムが時代から取り残されているのに堂々とまかり通っているのが「政治」の世界です。
 最近、落合陽一さんと小泉進次郎さんが対談しました。はたして、この対談の内容に、自民党のおじさんやおじいちゃんたちはついてこれるのでしょうか。
 何度も書きますが、150年前から始まった近代日本のシステムが、大きく変わってきているんです。ようやくですよ。150年戦争が終わるんです。
 この対談の途中、「教育」の話が出てきますね。全くそのとおりですよ。電子黒板導入すりゃいいってもんじゃない。笑っちゃいますよ。
 医療の世界もそうですよ。つまり「先生」と言われる人の世界はダメなんですよ。
 なるほど、これを聴くと、小泉進次郎というのは優秀な若手政治家ですね。彼の時代が早く来ることを祈ります。めちゃくちゃ抵抗勢力出てくるでしょうけどね(笑)。
 会議中、スマホやタブレットを出しにくい雰囲気ってあるよなあ。なんか抜本的な改革したいなあ。自分の時代では難しいかなあ。でも、準備だけはしておきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.09

学校は無駄!?

 さに学校で教員業をやっておりますが、本当に疑問ばかりです。こんなことでいいのでしょうか。自信をもって仕事をしていないわけですから。
 いや、この前、ある研修の講師をやらせていただき、そこでも教師とは迷い続ける仕事だと言いました。まさに「是非初心不可忘」ですよね。
 これでいいのだろうかということを忘れて、毎年同じことを繰り返す教師もたくさんいます。そうはなりたくない。
 そういう疑問、迷いというのは本当にたくさんいろいろなスケールであるのですが、根本的な「学校のシステム」についての疑問というのが、実は一番大きいかもしれません。
 そういう意味で、この落合陽一さんとホリエモンさんの話は、実にみにつまされる。第三者的には完全合意です。しかし、現場でそのムダな仕事をしている身としては、なんとも複雑な気持ちになります。
 いや、本当に150年前のまんまな「学校」って本当に意味があるんでしょうか。いや、いくらでも意味らしきものは語れますよ。しかし、それはほとんどがこじつけ、自己弁護です。
 彼らの言う、ここ二十年の日本の凋落というか、テクノロジーの進歩から取り残された日本の残念な姿というのは、この旧態保守でしかない教育、学校がもらたしたものでしょう。
 では、どうすればよいのか。正直なかなか答えが出ません。なかなか自分自身も常識、習慣から抜け出せません。まずいなあと思いながら、また普通の学校の普通の生活を繰り返してしまいます。危機感はあるのですが。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.08

『フランシス子へ』 吉本隆明 (講談社文庫)

Th_51imwuifkwl ーん、いい本だったたなあ。恥ずかしながら吉本さんのこういう言葉を読む(聞く)のは初めてでした。
 それでも、たしかに予感はあったのかもしれません。亡くなった日にも、追悼 吉本隆明なんていう記事を書いている。「人のいい日本のおじいちゃん」というのは、あながち間違いではなかった。「始原的で最大最強の「共同幻想」たる「言語」に「共同」のプロセスがなくなるということは、そこには辞書的な意味しか残りません。つまり、生きた歴史も時代も国家もそこには立ち現れなくなるということです」と書いたのも結構するどいところを突いているかもしれません。
 しかし、その象徴が「猫」であったとは、そして、亡くなる直前に、こんな素敵な言葉を残しているとは知りませんでした。
 コトを窮めてモノに至る…すでにモノに生きている猫さんを前に、私たち人類はたしかにその二面性、すなわちコト的な自分とモノ的な自分に分離させられます。
 なるほど、猫がつれない時は、私たちは文明人になっているわけか。逆に猫がすり寄ってくる時は、自分も自然なモノになっていると。
 ウチにも6匹の猫がいますが、今までそういう観点で接したことはありませんでした。
 猫は「うつし」かあ。なるほど。「うつし」とは「うつ(空)」なところに何モノかが「うつる(映る・移る)」ことです。
 猫は空なのです。とっくに悟っている知恵者なのです。だから、猫は魅力的であり、猫に私たちは教えられ、導かれてるのでした。
 吉本隆明、やっぱり出口王仁三郎を継ぐ人だったのかもしれません。この本を読んで納得しました。

Amazon フランシス子へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.07

初代iMac誕生から20年

Th_img_1431 うあれから20年かあ。すなわちワタクシたち夫婦も結婚20年ということです。
 というのは、TOWNS使いだった私が、Mac使いのカミさんと結婚してすっかりMacにはまり、そして夫婦で初めて買ったパソコンがiMacだったということです。
 この写真はその歴史を物語っています。分かる人には分かるでしょうね。これ、今、私の寝室兼書斎に積み上がっている遺産たちです。
 ええと、下段左が独身時代の私が使っていた富士通のFM TOWNS II。なんだかプリクラのはしりみたいなシールが貼ってありますね。これは、最近コンデジからの撤退を表明したカシオの、あの初代コンデジQV-10で撮ったものです。懐かしい生徒たちの顔が見えます。
 今思うと、本当にTOWNSってすごかった。TOWNSで簡単にできて、今のパソコンで簡単にできないこともあります。
 その右がカミさんが独身時代使っていたAppleのMacintosh LC-630です。最後のLCシリーズ。TOWNSも使い心地良かったけれども、初めてしっかり触れたMacも衝撃的でしたね。一日いじっていたら、すっかりはまってしまった。
 そして、上段右側が言わずもがな、今年発売20年になる、まさにエポックメイキングな1台、ボンダイブルーの初代iMacです。
 今見ても、本当に魅力的なデザインですね。アップル社はこれによって完全に復活しました。それからの快進撃は説明するまでもないでしょう。
 その左に見えているのは、iMac G5です。これにも大変お世話になりました。現行のiMacも基本この路線ですよね。
 現在の、たとえばiPhoneやiPadにつながるコンセプトというのもは、まさにこのiMacの「i」にこめられていたということです。
 スティーブ・ジョブズは、初代iMacの発表の際、「i」には次のような意味があると語りました。

Internet
Individual
Instruct
Inform
Inspire

 たしかに、ここ20年の私の生活は、まさにAppleによってインターネットにつながり、個人的にコンピュータを手に入れ、教え導かれ、情報を手に入れ、インスパイアされてきました。「i」のない生活など想像がつきません。
 まさに、世界を変え、人々を豊かに、人類を幸福にしてきました。初代iMac発表20年のこの機に、この「i」の意味をあらためて味わってみたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.06

Sanfic Qiワイヤレス車載充電器

Th_71m8hoe2oml_sl1500_ ールデンウィーク最終日。今日もこれの便利さを痛感しました。
 iPhone8にしてから1年以上経ちましたが、今まで無線充電をしたことがありませんでした。このたび、従来使っていた車載用スタンドが壊れたので、2,000円で買えるならと、この製品を購入しました。
 うん、たしかにこれは便利ですね。いちいちケーブルをつながなくてもいい。つなぐというよりも、降りる時、あるいは電話を取るときに、ケーブルをはずさなくていいというのがいいですね。そういう時の方が案外急いでいるので。
 そして、この製品の地味に素晴らしいところは、そのホールド方法ですね。すなわち、iPhoneの自重によって、しっかりホールドされるような機構になっているのです。
 これは使ってみなければ分からない気持ちよさです。装着に力は全くいらないのに、車が激しくはねてもiPhoneが飛んでしまうことはありません(かつてのものはビュンビュン飛びました)。
 それから、ダッシュボードへ取り付け用の吸盤も、吸着ジェルとバキューム機構によって多少のデコボコがあってもしっかりくっつきます。
 もちろん充電も完璧。ナビを使いながらでも少しずつですが充電率が上がります。まあ、こういう使い方がバッテリーを傷めるというのも事実ですが、車の運転が異常に多い私としては、ここも大きなポイントになります。
 というわけで、すっかりQi無線充電の便利さにやられてしまった私でありますが、家での充電、つまり就寝中の充電はやはり有線ですね。ふとんの中で使うことも多いので、充電器に乗せておかねばならないのは正直不便です。寝落ちして朝になったら充電してなかった、なんてことがありそうですしね(笑)。
 
Amazon Sanfic Qiワイヤレス車載充電器

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.05

ミルヴァ&ピアソラ 『オブリビオン』

Th_sokisas2018pdf 日は都留市のうぐいすホールにてKISAS弦楽四重奏団とクラリネットの式部由姫さんの演奏会の司会を担当させていただきました。
 一昨年のコンサートで初めて司会を務めさせていただき、ありがたいことにそれが好評だったとのことで、今回またお声をかけていただきました。
 私自身、黒川さんのファンですし、まあ人前でしゃべること、そしてジャンルを超えて音楽が大好きですから、一聴衆の視点(聴点)にて、自然体でやらせていただきました。すなわち、自分も楽しかった。いい演奏会でしたよ。
 今回のプログラムの中で、特に印象に残ったのが、一昨年と同様にピアソラの「オブリビオン」でした。
 特に今回はですね、舞台上でも語らせていただきましたが、演奏を聴いていて、ミルバの歌唱を思い出したんです。それほどに歌心あふれる演奏だったわけですね。
 ミルバとピアソラは一緒に来日しているんですね。たしかにミルバは日本でも人気のあった歌手です。イタリア人のオペラ歌手ですが、シャンソン歌手として認識されていたんじゃないでしょうか。
 このオブリビオンも、もともとはイタリア映画の音楽として作曲されたものですが、のちにフランス語の歌詞を乗せることによって、シャンソンに生まれ変わったとも言えます。
 もともとピアソラの持っている独特のアンニュイな感じがシャンソン的世界にぴったり合ったということでしょう。

 ちなみにヴァイオリンと「オブリビオン」ということで、巨匠クレーメルの熱演(?)をお聴きいただきましょうか。これは歌になっていないですよね。どうも彼は勘違いが多いようです(失礼)。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.04

死海文書

Th_img_1409 日はある方の別荘にお招きいただき、8時間たっぷりお話させていただきました。
 その御夫婦は昨日まで中東数か国を歴訪し、大切なお仕事をされてきました。写真はお土産にいただいた死海の塩です。
 死海と言えば、昨年新発見があった死海文書ですね。盗掘のためほとんどが空だったようですが、新しい12番めの洞窟から多くの壺が出てきたようです。
 死海文書とはなんなのかについては、こちらからいろいろ読んでみて下さい。
 2018年、日本に救世主が現れる…なんていうトンデモな解釈もありますが、まあそれも楽しんでみて下さい。
 たしかに、昨年は死海文書発見から70年、今年はイスラエル建国70年。70という数字は死海文書において重要です。
 ユダヤ人が祖国を失ったのは西暦70年。ちょうどその頃書かれたのが死海文書だと言われています。すなわちイエスが生まれて70年より前に書かれているわけで、もしイエスの刑死と復活が物語だとすると、イエス自身が存命だった可能性もありますし、少なくとも生きたイエスを直接知る人が執筆したかもしれないのです。
 そんな死海文書、私たちもネットで見ることができます。

The Digital Dead Sea Scrolls

 もちろん、古代ヘブライ語が読めるわけありませんから、まさに「見る」だけですけれどね。それでも、なんか不思議な気持ちになります。つくづく紙と墨という記録方法はすごいなと。
 そうそう、今日の会話の中で、青森のキリストの墓に行かなきゃという話が出ましたっけ(笑)。十和田湖周辺のキリスト教遺跡(?)は本当に面白い。考えてみると、イエスは生きていてシベリア経由で津軽の戸来(へらい)に漂着、106歳まで生きたということですから(!)、死海文書が書かれた頃には、実は日本で米農家やってたわけですよね(笑)。
 まあ、それはいいとして…新発見の重要文書といえば、今日の会話にも随所に出てきた仲小路彰の著作も、いずれはこのようにデジタル化され公開されるといいですね。おそらく死海文書と同じくらい、地球の未来に関わる大切な内容の宝庫でしょうから。山中湖文書か。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.03

日本国憲法と仲小路彰

Th__20180504_74958 年もまた憲法記念日がやってまいりました。昨年は施行70年ということもあり、安倍総理が大胆な改憲メッセージを出し、それが物議を醸しました(今でも侃々諤々)。
 昨年は「元に戻す」のも改憲という記事を書きましたっけ。今読んでなるほどと思いました(書いたこと、考えたことも忘れていました)。
 私は憲法「改訂派」であり、改訂に関する国民の議論が深まることを望んでいる立場です。そして、九条に関しては、国民投票の結果守られるだろうと予測しています。なぜなら、そこには昭和天皇の願いがこめられているからです。
 現憲法がGHQによって1週間程度で作られたというのは事実です。そして最近では、「天皇の命」と引き換えに、日本側に「無条件降伏」を迫った、すなわちそのまま草案を受け入れさせたということが分かってきています。
 それをもってますます、「アメリカに押し付けられた憲法だ。自主憲法制定を!」という声が高まってきているようにも感じます。
 しかし、ここで考え方を変えてみますと、現憲法はまさに「天皇が命をかけて受け入れた」とも言えるわけで、それを破棄せよというのは、いささか乱暴に過ぎるようにも思えてきます。
 日本国憲法成立に至る、こうした日米の裏側の取り引きについて、かの仲小路彰は逐一報告を受けていたようです。
 そして、「天皇の命と引き換え」という意味をよく理解し、次のように語ったと言われています。

 当時GHQ案の内容を伝聞した仲小路彰は、天皇を日本国民統合の「シンボル」とすることについて歴史的に見る天皇制度の実態に最も近いものだと指摘しており、「戦争放棄」についても、終戦時の『我等斯ク信ズ』で「今日ノ陸海軍ハ既ニ余リニモ旧弊ニシテ…大軍縮軍備撤廃ヲ為スモ何等恐レ忌ムベキコトニアラズ」と断言しており、積極的に賛成であった。(春日井邦夫「情報と謀略 下」より)

 のちに、1953年、憲法改正論議が高まってきたころには、九条の基本は護持の方向、一条においては天皇を元首とすべきだという意見を述べています。
 特に「それ(平和憲法)は日本の進むべき方向を明示した、むしろ、未来への宣言として考えられるべきものであり、近代国家概念をこえた次の時代に導く最も象徴的、哲学的な最高の理想というべきである。そこには改正されるべきなにものもないであろう」と述べていることは注目に値します。
 仲小路彰の天皇論は非常に高次元です。その上で、天皇が地球平和に果たす未来的な意義を主張しており、憲法改正論議がどの時代においても現在の現実論にとどまっていることを憂えています。
 そういう意味で、私も「元に戻す」のも改憲と言っているのです。
 万が一有事の際には、近代成文憲法(いわゆるコト)なんていう次元をはるかに超えたモノが発動するでしょう。その時にはきっと改憲派も護憲派も納得せざるを得なくなると思いますよ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.02

M.S.ベレゾフスキーのグラーヴェ

Th_berezovsky_maksim_sozontovich 日は渋い、いやなかなか華やかな音楽を紹介しましょう。
 昨日登場した格闘家のヒョードルはウクライナ出身。同じウクライナ出身の作曲家M.S.ベレゾフスキーのヴァイオリン・ソナタです。日本ではほとんど知られていませんが、ベレゾフスキーは31歳で亡くなってしまった天才音楽家でした。活躍した時代はヨーロッパで言えば前古典から古典派にかけての時代。ハイドンの長い人生の中にすっぽり入る感じです。
 私もベレゾフスキーのことはほとんど知りませんでした。あまり資料もありません。本当にたまたまロシアのバロック音楽を調べていて知りました。
 YouTubeなどで彼の音楽を聴いてみると、なかなか魅力的です。完全にヨーロッパ、特にイタリアの様式を踏まえていますが、どこか東方的(?)な雰囲気が漂う瞬間があって、それがなんとも言えないのです。
 彼はオペラ歌手としても有名で、声楽の作品、特に宗教的合唱曲をたくさん残しています。しかし、器楽曲もなかなかいいんですね。やはり歌心があったのか、メロディーメーカーとして優秀だと感じます。
 そんな中で、ヴァイオリン弾きの端くれである私が気に入ったのが、この1771年に作曲されたヴァイオリン・ソナタハ長調のグラーヴェです。

 雰囲気としては前古典という感じですね。ガルッピの影響を受けたとも聞いています。なるほどですね。
 このグラーヴェを両端の楽章も悪くありません。全曲聴いてみて下さい。

 このころのウクライナは、ロシアに攻められてコサックが滅びるころでしょうか。地政学的に、ヨーロッパ、ロシア、そしてモンゴルに翻弄された歴史があります。そして、現代、今でもゴタゴタしてますよね。
 そんな中、このような美しい音楽が作られていたのは興味深いことです。まあ、ベレゾフスキーもロシア帝国に仕えていたようですが。
 こういう知られざる音楽に触れることができるようになったのも、インターネットのおかげです。なんともいい時代になりましたね。ほかにもいろいろ探してみたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.05.01

馬場 vs ヒョードル (清野茂樹の架空実況中継)

 成もあと1年。昭和は二時代前になるわけで、昭和生まれの私にとっての明治みたいなものになるわけで、たしかに遠くなりにけりだなあと思うわけです。
 しかし、たしかに昭和という時代と平成という時代はかなり違っており、良き対称をなしているとも言えますね。
 どちらが好きかと言えば、私はもちろん昭和です。面白さのケタが違います。
 昔は良かったとは言わないようにしています、最近は。昭和は懐かしいけれども、あの頃が今より綜合的にベターだとは思いません。
 あの頃のいい加減さは一つの魅力ではありますが、今となってはなくても良かった不条理な不幸もたくさんありましたからね。
 かと言って平成のようなあまりに白黒はっきりした世界も結局は不条理だった。次の時代は、昭和と平成の矛盾をどのように昇華していくかというのが、幸福や平和への鍵となることでしょう。すわなちモノとコトの融合、止揚。
 さてさて、前置きが長くなりましたが、昭和と平成の矛盾を妄想の中で昇華してしまったのが、この架空実況中継」です。
 昭和プロレス、物語的最強人間であるジャイアント馬場と、平成総合格闘技、リアル最強人間であるエメリヤーエンコ・ヒョードルがリング上で相まみえたら…。
 たしかにあり得ないけれども、妄想としては最高に興味深い対戦です。ジャンボ鶴田さんだと、ちょっとリアルになってしまうので、やはりここは馬場さんですよね。
 そして、結果は…お聴きになってください。最高の結末でしょう(笑)。
 こういうのを、いろいろな意味であり得ないと言ってしまう人は、次の時代には生きていけないと思います。大相撲なんかも、こういう物語性を重視しないと、本当に潰れてしまいますよ。
 宗教を信じるのと一緒ですし、天皇を崇拝するのと一緒です。唯物論的な世界観とは対極にある、高次元な物語、すなわち神話こそ、再び私たちが信じるべきモノなのでありましょう。
 しかし、本当に清野さん、プロレスが、格闘技が大好きなんですね。愛ですね。
 そうそう、さっきもやってたんですが、ゲームのプロ野球スピリッツAなんかも、時代を超えてレジェンドが今の選手たちと戦い勝ったりする。楽しいですよ。
 昔から、私たちのファンタジーは、あの時代のあの人とあの時代のあの人を戦わせてきたのです。「最強」とは、その妄想力に対する敬称なのでした。
 ワタクシ的には、馬場さんが42歳というのがツボでした(笑)。たしかに最強だわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年4月 | トップページ