節分と国譲り(譲位)
今日は節分。
最近フェイクニュースという言葉が流行っていますけれど、フェイクニュースの元祖?「虚構新聞」のこの記事は秀逸でしたね。忌み嫌うにもほどがあります。労災ですよ、これ(笑)。
ところで、昨年の節分に、渡辺さんは豆まきをしない?という記事を書きましたら、それがきっかけで10月のNHK「日本人のおなまえっ!」に出演することになりました。面白いものです。
同時期の高城剛さんのラジオ番組出演も別のブログ記事がきっかけでした。SNS花盛りの今だからこそ、よりパブリックな、ソーシャルという枠のないブログという前時代メディアが力を持っていると感じます。ま、ちゃんと検索に引っかかるということですよね。それは大きい。
さてさて、もともと私にとって節分はこちらに書いたように特別な意味を持っています。
表面的には鬼を退治するという物語の共有ですが、実際にはそうして鬼の存在を忘れないようにしている。これが日本の「国譲り」の作法であるということは、高城未来ラジオでもちょっと語っています。聴いていらっしゃらない方のために再掲しましょうか(宇宙人中村先生役です)。おかげさまでなんだか好評のようです(笑)。
幽閉することによって、鬼を純粋な形で保存継承していく。年に1回思い出して、また閉じ込めて。忌み嫌うというのが、実は最強の保存方法です。なぜならみんな近寄らなくなるから、手垢がつかない。解釈が入らない。
ところで、「国譲り」という言葉は、たとえば古事記や日本書紀には出てこないんですよ。では、かつてはどういう時に使ったかというと、天皇の譲位の時に使ったのです。すなわち、「国譲り=譲位」だったのです。
ということは、来年本当に「国譲り」が行われるんですね。200年ぶりに。ある意味、200年間封印されてきた日本の伝統的作法、伝統継承、生命保存の智恵である「国譲り」が行われるのです。
つまり、逆に言えばですね、そうした秘技が発動する必要のある世の中になったということです。それは日本国内だけの問題ではなく、世界の趨勢がそういう事態に陥っているということです。このピンチに天皇が世界に範を垂れるのです。
そういう観点で言いますと、実は鬼の復活も近いのです。出口王仁三郎の再臨でしょうか。それとも、国常立命のご発動でしょうか。富士山が動くか。
私はそうした地球規模での大変革が楽しみです。その中で日本人一人一人がどういう役目を果たすのか。
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