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2018.02.25

大杉栄の墓(静岡市沓谷)

Th_img_1104 日は2.26。82年前の今日は二・二六事件前夜ということです。
 蹶起当日は東京は大雪だったという伝説がありますが、実際は23日に大雪が降ってそれが残っていた状況です。26日もパラパラと雪が舞ったようですが、事件の起きた早朝にはまだ降っていなかったようです。
 今日、たまたま実家に用事があったので、実家のすぐ近くにある愛宕霊園をお参りしました。愛宕霊園の名称の由来となった愛宕神社がお祭りということで、紅白の幕が引かれていました。
 愛宕霊園には二・二六事件の主役の一人である安藤輝三が眠っています。私たち夫婦と安藤輝三との不思議なご縁については、こちらに少し書いてあります。
 安藤輝三の墓参りをすませたあと、私は、ある意味彼とは対照的な「愛国者」のお墓を初めて訪れました。
 安藤輝三のことについても全く勉強不足だったわけですが、こちら、アナーキスト大杉栄についても、まさか実家から歩いて5分とかからない場所にそのお墓があるなどとは、今まで全く知りませんでした。
 それにしても、なんなんでしょうね。今の価値観で言うと、極右と極左の二人の墓に、我が実家が挟まれてあるというのは。
 そして、ふたりとも愛する国家に殺された。安藤は天皇のために蹶起したにもかかわらず、天皇の命によって処刑されました。大杉は関東大震災のどさくさの中で、官憲によって惨殺されました。
 その二人が、その身を隠すように、本人とは直接関係のない静岡県静岡市沓谷に葬られた。そこに私の実家がある。単なる偶然とは思えない不思議なご縁です。
 先ほど、今の価値観で、と言ったのは、彼らの敬天愛人、すなわち愛国のスケールが現代からするとまるで自家撞着を起こしているかのように見えるからです。
 たとえば、安藤輝三と大杉栄に大きな影響を与えた人物として、頭山満と北一輝が挙げられます。頭山と北も、今の感覚では右とも左とも言えない人物です。
 そういう意味では、彼らと私が出会うきっかけを作ってくれたと言える出口王仁三郎や仲小路彰も、右のようにも左のようにも見える人物です。
 この両怪物は、愛国というよりも、愛地球、愛宇宙の人でした。頭山や北もそうでしょうか。
 戦後の視野狭窄の中で見ると、彼らは矛盾した行動を取っているように見える。だから、歴史学の対象とはなりにくいのです。
 大杉栄のお墓は、本当にいつも見てきた共同墓地の中にひっそりと建っていました。高校時代、いったい私は何度そのすぐ横の道を通ったことでしょう。なぜ知らなかったのか。おそらく知る機会がなかったのでしょう。興味もなかったのでしょう。だから目に止まらなかった。
 逆に言うと、今が彼らと出会うタイミングだったのです。今日初めて大杉栄(と伊藤野枝と甥っ子)が眠る墓を訪れ、
何か大きな衝撃を受けました。言葉にはならないのですが、光も音もない雷に打たれたような気がし、家に帰ってから珍しく死んだように昼寝してしまいました。
 そこで得たモノをどのようにコトにしていくのか。彼らの妄想した未来をどうやって受け継ぐのか。真剣に生きていきたいと思います。

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