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2018.02.28

【討論】サヨクの本質-共産主義は本当に死んだか?

 称右翼、他称左翼のワタクシとしては、とにかく面白かった。いろいろツッコミどころもあるけれども、大方において間違いのない歴史観であると思います。
 間違いはないのですが、それが総体ではありません。世の中に見えていない部分が多すぎる。もちろん私も知らないことばかり。
 出口王仁三郎や仲小路彰を研究していると、本当に世界の、いや宇宙の大きな流れというのは、右左という世界では語りきれないことを知らされます。
 私、冗談で、「左右」が抱えているものは「エロ」だなんて言ってきましたが(我々が左右の手で大事に抱えているものとは…!?)、案外これって冗談ではなくて本質を突いているのかもしれない。
 いわゆる左翼においては、嫉妬心という自己卑下が暴力性と結びついていますし、いわゆる右翼においては、拡張した自己愛が暴力性と結びついています。
 人間の暴力性こそ、エロチシズムですよ。
 それらは、正直言って、両方とも宇宙の摂理から外れている。残念ながら、です。
 そこを乗り越えんとしたのが、おそらくはお釈迦様であったのだと思います。宗教ではありませんよ。宗教は、美化されたエロチシズムの物語に過ぎませんから。
 この討論を聴いていて、自分の中の両方のエロチシズムが、それこそ左右の手の中で暴れだして困りましたが(笑)、今はもう宇宙から地球人のドタバタを俯瞰できるようになっています。
 エロチシズムというのは、男女問わず人類に共通したモノだと考えられがちですが、その概念は男が作り出したコトです。
 結果として、男はそのエロチシズム(暴力性)の虜になってしまっている。だから、エロ対エロはケンカになる。しまいには戦争になる。「本当に死んだか?」なんて確かめたくなる。
 面白くも可笑しい男のサガであります。
 だからこそ、仲小路彰は21世紀は女性性の時代と言ったのでしょう。また、王仁三郎は変性女子を名乗ったのでしょう。

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2018.02.27

「ぶるな。らしくあれ」

Th_81ep4qz3wvl 阜は井深の名刹、正眼寺の山川宗玄老師と主席をともにいたしました。
 いろいろありがたいお話をうかがうことができました。やはりワタクシのような野狐とは次元が違いすぎます(当たり前)。
 その中でも、この言葉は心に残りました。どういう文脈だったか、禅語ということではなく、老師さまの小学校の時の若い恩師の言葉だそうで、それが僧侶になってから響いていると。
 たしかに重い言葉ですね。
 たとえば、ワタクシ、とにかくしょっちゅう「先生らしくない先生」と言われます。それを聞いてまたいい気になっている(笑)。
 先生ぶっているわけでは全然ありませんが、先生らしくもない…って、じゃあ、全然先生じゃないってことですよね。これはこれでいかん。
 老師のお言葉からすると、「先生ぶるな。先生らしくあれ」ということになります。先生らしい…というのは難しいけれども、そこを求めて、目指して頑張るべきですよね。
 ただ、「〜らしい」というのは、自分が決めるというよりも、他者の評価という気もします。
 そういう意味では、禅というか仏教にも通じるかもしれません。「職業」らしい…というのに限らず、「名前」らしさ、たとえば「山口隆之」らしさというのも、たしかに自分では分かりませんよね。人から言われて、そうなのかなあと。そして、何回も言われているうちに、自分はそういう人間なんだとか、自分の個性ってこれなんだと信じ込むようになる。
 そう考えると、「らしくあれ」というのは実に難しい。人に評価されたとおりにせよということになりかねない。他者の期待に応えるという言い方もできますが、そこにやはり自我や主体性はありえないのかもしれません。
 やはり縁起しているんですね、自分は。

Amazon くり返し読みたい ブッダの言葉
 

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2018.02.26

二・二六事件当日(小島威彦)

Th_2262 日は二・二六事件から82年目の日。そして、仲小路彰の117回目の誕生日となります。そう、仲小路彰は1901年の2月26日生まれなんです。
 ですから、仲小路彰の35歳の誕生日に二・二六事件は勃発したことになります。
 当時の仲小路の家は広尾にありましたから、事件現場の比較的近くですね。仲小路自身がその日のことについて書いたものは、いまだ見つかっていませんが、仲小路の親友であった小島威彦が「百年目にあけた玉手箱」にその日のことを書いています。
 今日はその文章を紹介します。ある意味当時の雰囲気がよく分かる内容です。事件が思わぬ方向に収束していくことを象徴するように、なんとなく冷めた空気が東京を支配していたように見えますね。

…二月二十六日早朝、大雪とともに大事変が勃発した。恰も忠臣蔵の討入りの黎明を迎えたように、東京は深々と降りしきる雪に蔽われた。僕の舎兄清彦はその朝八時半に日比谷公園と向かい合っている勧業銀行本店に出勤したところ、ただならぬ陸軍反乱軍の決起を目撃して、泡を喰って、左近司と軍令部の舎兄秀雄と同盟通信社の義弟波多尚は僕へ電話してきた。「陸軍革命軍は総理官邸において岡田首相、前首相斎藤実、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監を殺害し、目下その殺害目的は進行拡大中だ。大変な事態だ。日比谷と赤坂方面は蹶起した近衛連隊が陣取って砲門を敷いているようだ。兵隊はすべて銃剣だし、物々しい有様だよ。」僕は身支度をして田園調布から渋谷に出て赤坂へ向かった。もう昼だった。別に銃声が聞えるわけではない。想像したほど騒々しくはない。大きなアドバルンが二本空中に揚がっている。「直ちに原隊へ帰れ!!」と大書した幟が雪空にゆらゆらと風邪に靡いている。拡声器からは引切なしに「直ちに原隊へ復帰せよ。陸海軍はすでに鎮圧の体制を整えた。まだ遅くはない。すぐに原隊に復帰せよ。」僕は二時間余り動静を見ていたが、これ以上の革命的進展はありえないと思い、帰宅した。次から次に号外の鈴の音が巷に満ちている。しかし危機の感情が湧き立っている様相はない。さらに数名の重臣が殺害された。しかし大衆の感情は不景気や沈滞や退廃で燻った暗幕に風穴があいたように受け取っているのであろうか。しばらく沸騰した鉄瓶の蓋を明けて、水でも差せば収まるのかしれない、そんな漠然とした気分が街を蔽っている。

 

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2018.02.25

大杉栄の墓(静岡市沓谷)

Th_img_1104 日は2.26。82年前の今日は二・二六事件前夜ということです。
 蹶起当日は東京は大雪だったという伝説がありますが、実際は23日に大雪が降ってそれが残っていた状況です。26日もパラパラと雪が舞ったようですが、事件の起きた早朝にはまだ降っていなかったようです。
 今日、たまたま実家に用事があったので、実家のすぐ近くにある愛宕霊園をお参りしました。愛宕霊園の名称の由来となった愛宕神社がお祭りということで、紅白の幕が引かれていました。
 愛宕霊園には二・二六事件の主役の一人である安藤輝三が眠っています。私たち夫婦と安藤輝三との不思議なご縁については、こちらに少し書いてあります。
 安藤輝三の墓参りをすませたあと、私は、ある意味彼とは対照的な「愛国者」のお墓を初めて訪れました。
 安藤輝三のことについても全く勉強不足だったわけですが、こちら、アナーキスト大杉栄についても、まさか実家から歩いて5分とかからない場所にそのお墓があるなどとは、今まで全く知りませんでした。
 それにしても、なんなんでしょうね。今の価値観で言うと、極右と極左の二人の墓に、我が実家が挟まれてあるというのは。
 そして、ふたりとも愛する国家に殺された。安藤は天皇のために蹶起したにもかかわらず、天皇の命によって処刑されました。大杉は関東大震災のどさくさの中で、官憲によって惨殺されました。
 その二人が、その身を隠すように、本人とは直接関係のない静岡県静岡市沓谷に葬られた。そこに私の実家がある。単なる偶然とは思えない不思議なご縁です。
 先ほど、今の価値観で、と言ったのは、彼らの敬天愛人、すなわち愛国のスケールが現代からするとまるで自家撞着を起こしているかのように見えるからです。
 たとえば、安藤輝三と大杉栄に大きな影響を与えた人物として、頭山満と北一輝が挙げられます。頭山と北も、今の感覚では右とも左とも言えない人物です。
 そういう意味では、彼らと私が出会うきっかけを作ってくれたと言える出口王仁三郎や仲小路彰も、右のようにも左のようにも見える人物です。
 この両怪物は、愛国というよりも、愛地球、愛宇宙の人でした。頭山や北もそうでしょうか。
 戦後の視野狭窄の中で見ると、彼らは矛盾した行動を取っているように見える。だから、歴史学の対象とはなりにくいのです。
 大杉栄のお墓は、本当にいつも見てきた共同墓地の中にひっそりと建っていました。高校時代、いったい私は何度そのすぐ横の道を通ったことでしょう。なぜ知らなかったのか。おそらく知る機会がなかったのでしょう。興味もなかったのでしょう。だから目に止まらなかった。
 逆に言うと、今が彼らと出会うタイミングだったのです。今日初めて大杉栄(と伊藤野枝と甥っ子)が眠る墓を訪れ、
何か大きな衝撃を受けました。言葉にはならないのですが、光も音もない雷に打たれたような気がし、家に帰ってから珍しく死んだように昼寝してしまいました。
 そこで得たモノをどのようにコトにしていくのか。彼らの妄想した未来をどうやって受け継ぐのか。真剣に生きていきたいと思います。

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2018.02.24

追悼 左とん平さん

Th_38f91214eb5b8843b51f63d0b7766917 わ〜ん。また名優が…。大杉漣さんもショックでしたが、とん平さんもなあ。
 とん平さんの歌と言えば「ヘイ・ユウ・ブルース」か有名ですが、私はそのタイトルのパワーからこの「ブスな女」を思い出しました。
 ブスな女に情をかけた 馬鹿な男の男の話…ということで、主人公は男(自分)ということですが、今の時代、このタイトルは無理でしょうねえ。
 こんな歌詞でも、やっぱり左とん平さんが歌うとなんとも不思議な味わいが醸されますし、女の人も悪い気はしないことでしょう。

 最近はあまりテレビや映画で見かけませんでした。私の一番最近の思い出としては、山梨県と当時の石原都知事がもめた映画「青木ヶ原」での渋い演技が心に残っています。
 この映画、けっこう感動的だったんですが、いろいろあってあまり広く公開されず、またのちにDVDなどにもなっていません。残念です。
 ご冥福をお祈りします。いろいろ昭和の映画やドラマを見直してみたいと思います。

 

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2018.02.23

ヘンデル 『戴冠式アンセム』

Th_images 日は富士山の日。また、未来の天皇誕生日。
 それからあの人の誕生日でもあります。
 昨日はバッハ研究の巨匠、礒山雅さんの追悼記事を書きましたが、バッハと並ぶバロック時代を代表する作曲家、ヘンデルの誕生日なんです。
 今日はヘンデルの数多い名曲の中から、イギリス人はもとよりヨーロッパの皆さんは何かと耳にすることの多い曲を紹介します。
 「ジョージ2世の戴冠式アンセム」です。ドイツからイギリスに帰化したヘンデルは、英王室のためにたくさん曲を書きました。今だったら考えられないことかもしれません。当時のイギリスはハノーヴァー朝。ドイツ北部のハノーファーから国王を迎え入れていました。
 この曲の冒頭「司祭ザドク」は、現在でも国王の戴冠式で演奏されます。
 

 また、サッカーUEFAチャンピオンズリーグの試合前に流れるアンセムは、このヘンデルの名曲からインスパイアされたものです。たしかに現代風にアレンジされていますが、どことなくヘンデル風でもありますね。
 

 こうしたことからも分かるとおり、ヘンデルの音楽というのは、全ヨーロッパ的とも言えるわけです。ヘンデル自身イタリアに学び、ドイツやフランス、イギリスの音楽のエッセンスも取り入れ、当時で言えば実にグローバルな音楽を作曲したわけです。
 そういう点では、バッハよりもずっとスケールが大きいとも言えます。いや、バッハはグローバルを超えてユニバーサルなのか。
 まあ、とにかくこの戴冠式アンセム、ヘンデルが王様に気に入られようと気合を入れて作った名曲であることは間違いありません。たしかにいろいろな様式が混在し、キャッチーなパッセージにも満ちています。
 私も死ぬまでに一度は生演奏してみたい曲ですね。

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2018.02.22

追悼 礒山雅さん

Th_3122m8l1nwl 報に驚きました。先月末の大雪の時、凍結した道で転んでしまい頭を痛打。結果としてそのままお亡くなりになってしまったとのこと。
 直接お会いしたことはありませんが、ご著書やラジオの優しい語り口が強く印象に残っております。
 特に、6年前マタイ受難曲全曲演奏に参加させていただいた時、あらためてマタイの勉強をし直そうとして手に取った、礒山先生の名著「マタイ受難曲」を読みました。
 長大深淵のこの人類の遺産、宇宙に誇る地球の遺産を演奏するには、それなりの勉強が必要となります。その時、この本は本当に最良のテキストとなりました。この本を読んでいなかったら、本番でのあのような自己発見もなかったことでしょう。
 真摯に聖書と音楽に向かい続けた磯山先生が、こういう形で天に召されるとは、なんとも複雑な気持ちになります。
 ぜひ、安らかにお休みいただきたい。間違いなく磯山先生の命は生き続けます。バッハの音楽が不滅であるがごとく。
 追悼の気持ちをこめまして、私が個人的に大好きな、ヘレヴェッヘの指揮によるマタイ受難曲を聴きたいと思います。

Amazon マタイ受難曲

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2018.02.21

井上順 『お世話になりました』

Th_inoue1203 日は何の日シリーズ昭和編が続きます。今日は井上順さんの誕生日。71歳になられるのですね。相変わらずお若い。
 さて、そん井上順さん、おととい紹介したにも書かれているとおり、やはりキャンティに集うメンバーの一人でした。
 13歳であの「六本木野獣会」に入ったいうのですから、うむ、すごい大物ですよね。中学生の時から大人の学校で勉強していたので、中学校の卒業アルバムには欠席枠で写真が掲載されているそうです。
 キャンティの先生は、兄貴分の峰岸徹さんはじめ、加賀まりこさん、福澤幸雄さん、かまやつひろしさんなどなど。かなりうらやましいですね。
 のちにザ・スパイダースに入り、スパイダース解散後、ソロデビューして2枚目のシングルがこの名曲です。
 ほのぼのとして自由で明るい井上さんのキャラクターを見事に表現した曲ですね。作詞は山上路夫さん、そして作曲は筒美京平さん。この二人はやっぱり最強ペアだなあ。
 井上順さんって、本当はものすごいボンボンで、庶民とは違う生活を送ってきた人なんですが、この曲に象徴されるように、なんとも不思議な庶民性があるんですよね。
 この動画はいつのものでしょうかね。スパイダースの皆さんはじめ、お客様方にもキャンティ族がたくさんいらっしゃいますね。

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2018.02.20

金嬉老事件から50年…寺山修司版「HAIR」

Th_unknown せずして昨日の記事の続きになりますね。
 今日は金嬉老事件から50年目の日です。私、当時3歳だったんですけれど、なんとなく覚えてるんですね。
 劇場型犯罪のはしり。きっと、テレビで観たんでしょう。
 単なる殺人事件が、犯人の「演劇」によって、いつのまにか差別や人権の問題にすり替えられた、なんとも時代を象徴する事件でした。未来を予言するとも言える。
 そういう意味では現代においても、そうした傾向は続いています。被害者よりも加害者の人権が守られ、それどころか加害者がヒーローになってしまう。
 さてさて、昨日の続きという意味では、この画像を観ていただきたい。これは、仲小路彰邸にて見つかった、ミュージカル「ヘアー」の初期稿の一部です。
 この字を見て、誰の字かピンとくる人はかなりのマニア。ちなみにJ・A・シーザーさんはもちろん分かりましたよ。
 そう、寺山修司です。実は日本初のロックミュージカルとなった日本語版「HAIR」は、当初寺山修司が脚本を書いたのです。
 しかし、それはボツとなり、結局、川添象郎さんの直訳版になった。そのへんの事情については、寺山自身が「ヘアー」白書に書いています。そこに見えない力に妨害されたというようなことが書いてあるんですが、寺山の脚本をボツにしたのは、仲小路彰だと私は考えています。
 ま、そのへんのことについては、いずれ詳しく書きましょう。今日は、とりあえず、その一部をご覧いただきたいと思います。そう、金嬉老事件が何度か出てくるんですよ。
 金嬉老事件は1968年2月20日に起きました。HAIRが上演されたのは1969年12月。寺山版の脚本はおそらく1968年中に出来上がっていたと思われます。
 人種差別、人権問題に劇場型と来れば、これは寺山が注目して当然です。本家HAIRもアメリカにおけるそういう問題を扱った作品ですから、日本語版に翻案するにあたって、寺山らしい仕掛けを施すのも理解できますね。

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 ここに出てくる「寸又峡」とは、金嬉老が立てこもったふじみや旅館のある場所ですね。永ちゃんは矢沢永吉ではなくて、佐藤栄作総理。
 次の部分には、金嬉老自身の名前が出てきます。ちなみに片桐操は1965年に起きた少年ライフル魔事件の主役です。

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 たしかに、この過激さでは上演は難しかったでしょう。特に仲小路彰はこういうの大嫌いですからね。寺山が影の大物の力を暗示していますとおり、影の大物が川添浩史を通じてダメ出ししたというのが本当のところでしょう。
 さて、この寺山版「HAIR」は上演されるのでしょうか。今だからこそしたいですね。やりますよ。


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2018.02.19

『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』 延江 浩 (講談社)

Th_51d85ssyp6l 日は、この本にまつわる人たちが、微妙に日常に食い込んできた不思議な日でした。
 まず、学校においでになったあるお客様の口から「頭山満」の名前が出てびっくり。なにしろ、その方のお父様は玄洋社で頭山満本人のすぐ近くにいたとのこと。事情があって山梨に戻ることになったそうですが、その方のお墓の文字は頭山自身の揮毫とのこと。本当に驚きました。
 たまたま私は出口王仁三郎関係で頭山満のことをよく知っていたわけですが、普通の学校の先生だとあんまり知らない名前なのではないでしょうか。実際、その方も、私がよ〜く知っているので驚いてらっしゃいました。
 その方もおっしゃってましたが、右翼の大物なんていう捉え方は全く間違えています。大アジア主義者ですし、本当の意味での尊王愛国者でした。王仁三郎もそうですが、右も左も関係ない。
 それから、今日はYMO結成から40年の日。そんな日に、仲小路彰文献を整理していたところ、アルファレコードの内部資料とおぼしきものを発見しました。
Th_img_1083 1979年と1980年、すなわちデビューした翌年と翌々年の、YMOに関する内外の記事をまとめた資料です。
 右の冊子の表紙の上に置いてあるのは、資料にはさまっていた川添象郎の名刺です。アルファレコードの取締役制作担当という肩書です。
 この本にも川添象郎さんは何度も登場します。象郎さんは、キャンティのパパ川添浩史(紫郎)の長男。川添浩史は仲小路彰の実動体の一人でした。象郎さん自身も何度も山中湖の仲小路邸を訪れた形跡があります。
 おそらくYMOの活躍を仲小路に報告しに行ったのでしょう。ちなみに細野晴臣さんも中沢新一さんらと山中湖に来ていますが、その時は晩年の仲小路は入院中で会うこと能わずでした。
 象郎さんが関わったミュージカル「ヘアー」の話もこの本に出てきます。以前書いたかと思いますが、仲小路邸では、ボツになった寺山修司版の「ヘアー」の自筆脚本のコピーが発見されました。非常に貴重なものです。
 そう、この本には昭和のアーティストや政治家の名前がじゃんじゃん出てくるわけですが、その人たちのほとんどが、なんらかの形で仲小路彰に関わっています。
 ユーミンというネーミングをしたシー・ユー・チェンさんも、著書の中で仲小路彰の「未来学原論」について書いていますから、当然ユーミン自身もキャンティで仲小路の思想の一端に触れたことでしょう。覚えていらっしゃるかなあ。
 岸信介、佐藤栄作については言うまでもありません。東西冷戦期における、アメリカを利用した日本の復興、独立という観点は、まさしく仲小路彰のアイデアそのものです。
 それからこれもまた不思議なのタイミングだったのですが、私の静岡の実家の町内に、大杉栄の墓があることを本当に最近知りました。安藤輝三でも驚きましたが、もっと近くの墓苑にあったのです。不覚にも知らなかった。
 この週末実家に行く用事があるので参ってみようと思っていた矢先、この本の中に「伊藤野枝と大杉栄」という章があり、興味深く読んだのであります。
 ここにも頭山満が絡んでいたのか。なんとも不思議な感じがします。もう明らかに霊界に動かされている…そう思わずにはいられません。
 それにしても、この本、本当によく調べていますね。私はたまたま仲小路のことを調べていたし、音楽が好きなので、だいたい出てくる名前は知っているものでしたが、普通の人にとってはちょっと混乱するかもしれません。それほど多くの人物が、この松任谷家、頭山家には関係してくるんですね。
 ここに、さらに仲小路彰を絡ませたら、もう日本の政治家、実業家、芸術家はほとんど網羅されてしまうでしょうね。
 御世代わりによって、昭和が前前時代にならんとしている今、こうして昭和のエネルギーが私たちに語りかけてきているモノとは、いったいなんなのでしょう。単なるノスタルジーではなく、真剣に感じ、考えていきたいと思います。
 
Amazon 愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家

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2018.02.18

奥村チヨ 『涙いろの恋』

Th_megto10075350x350 日は奥村チヨさんのお誕生日。今年、引退することを発表したばかりですね。というか、今までデビュー以来56年、私が生まれる前からずっと現役歌手でいらしたわけで、本当にすごいと思います。
 奥村さんと言えば、恋三部作やご主人さまとなる浜圭介さんの名作『終着駅』が有名ですね。まずそちらの紹介動画を御覧ください。

 うん、すごいオーラ。そして歌がうまい。独自の世界観を完成していますね。もちろんお美しい。
 さて、そんな奥村さんの楽曲で、私が好きなのが、ちょうど50年前の今月発売された『涙いろの恋』です。作詞は橋本淳さん、作曲は筒美京平さんです。これまたすごいコンビですね。青山学院コンビ。
 いかにもお二人らしい詞と曲だと思いますよ。特に入りと最後の節回しは筒美さんらしくていいなあ。

 このライヴ映像も貴重ですね。いつ頃でしょうか。


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2018.02.17

羽生結弦は自ら陰陽師になった

Th_img_1065 ?結局藤井くんが最強ってこと?w
 本当にすごい戦いでしたね。最高の結末。たしかにマンガだったらやり過ぎと言われてしまいそうな展開。まさに事実は小説よりも奇なり、ですね。
 さて、もう私がいろいろ書く必要はないわけですが、これはさすがに驚いたので書いておきます。
 6年前、ロンドンオリンピックの時、私は内村航平は宇宙人か!?という記事を書きました。また、ソチの真央ちゃんのことでは、オリンピックに棲む魔物とは…という記事を書きました。
 それらの中で、実はオリンピックというのはサイキック戦争であるという衝撃的な事実?を暴露しております。
 そして、日本は複数の「陰陽師」を雇っていると書きましたが、そう、今回はななななんと、羽生結弦選手自らが陰陽師になるという、とんでもない裏技を使ってきたのです!
 なるほど、その手があったか!
 これはフィギュアスケートならでは作戦です。他の競技では無理。いったいこれって誰のアイデアなんでしょう。
 ご存知のとおり、「SEIMEI」という曲、プログラムは2015年から使い始めていました。ある意味オリンピックに向けて、その裏技の効果を図ってきたとも言えます。
 まさかの怪我、これもまたオリンピックへ向けたサイキック攻撃を被弾した結果だったのかもしれません。
 なんだか、トンデモな話になってきましたね。まあ、それでもそういう世界があるというのは、これは事実です。
 ちなみに現地につめかけているファンの皆さんは、もちろん真剣に結界を張りに行っているのだそうです。羽生くん、世界中で人気ですから、そうしたファンの方々の意識が、サイキック攻撃を防いだというのも、実際あると思いますよ。
 面白いですね。

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2018.02.16

新井紀子 『AIは大学に合格できるか』(TED)

 近、AIの専門家と意見交換する機会が多くあります。そこには実は教育の問題が大きく絡んでくるのです。
 それが一番よく分かるのが、この動画でしょう。
 一橋大学法学部在学中に数学に目覚めるというユニークな経歴をお持ちで、東大合格を目指す東ロボくんの開発者である新井紀子さん。
 AIはすでにMARCHレベルの大学に合格できる能力を持っているけれども、東大に入れないというその理由がよくわかります。
 今ちょうど東大入試国語の指導をしていますが、たしかにあれはAIには解けないだろうなと思います。あまりに文脈力、行間読解力を必要とするからです。
 しかしMARCHレベルなら合格できるとなると、ある程度の知的作業は、人工知能によって代行できるということになります。
 もちろん、それは悪いことではなく、その部分、すなわち機械でも可能な部分は機械にまかせておけばよくて、人間はそういう意味ではとっても楽に生活できることになるということでもあります。
 そして、現状では機械の苦手とする分野について、時々能力を発揮すればよい。
 これは、私たち教育者が学校で行なってきた勉強内容を見直しなさいということでもありますね。機械ができることは学ばなくてもよいというわけではありませんが、力の入れどころに関しては、今までの知識詰め込み型学習、特に一問一答クイズ的知識ばかりをはかる試験に向けての学習ではなく、もっと創造的な学習を促す方向に変えなければなりません。
 つまり、より「人間的」な勉強をしなければならないということですね。これはもちろん悪いことではありません。AIのおかげで、私たちは人間性を取り戻すきっかけを得るかもしれないのです。
 異常に保守的な日本の教育界が、はたしてそういう変化を受け入れられるのか。これこそが、日本という国の未来を占う大きな要素になってくるでしょう。
 

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2018.02.15

石橋湛山の元号廃止論

Th_tanzan_ishibashi_2 日、立正大学に通う教え子が学校に遊びにきました。彼は将来的には法華宗の僧侶になる予定です。立正大学は日蓮宗の大学ですから、卒業後別の学校でも勉強する必要があるとのこと。
 短い時間ではありましたが、法華宗と日蓮宗の教義の違いなどについて教えてもらい、大変勉強になりました。
 その立正大学で長く学長を務めたのが、山梨県出身の総理大臣経験者である石橋湛山。
 石橋総理は、たった2ヶ月ほどで病気のため辞任していますが、その裏にはどうもアメリカの策謀があったようですね。なにしろ、あの冷戦真っ只中、ソ連、中国とも仲良くしましょうと唱えたのですから、アメリカにとっては大変面倒な総理だったに違いありません。
 石橋退陣後は、副総理であった岸信介が総理になり、日本の外交政策は完全にアメリカ寄りとなっていきます。
 まあ考えようによっては、当時の自由民主党というのは、保守からリベラルまで、非常に幅広い思想集団だったということがわかりますね。今の自民党とはえらい違いです。
 湛山の父親は身延山久遠寺81世法主、日蓮宗24代管長というバリバリの日蓮信者でしたから、彼の政治信条というのには、仏教の、そして日蓮の思想が色濃く影響しています。
 今でこそ、創価学会や顕正会のおかげで(?)、日蓮というとなんとなく保守的なイメージがありますけれど、日蓮宗と言えども仏教ですから、リベラルな世界観が基礎にあります。
 さて、そんな石橋湛山、ある意味、のちの自民党の総裁らしからず、戦後すぐに靖國神社廃止論を唱えたり、元号廃止論を唱えたりしていました。すごいですよね。まるで共産党(笑)。
 湛山の元号廃止論は、彼が深く関わっていた東洋経済新報の昭和21年1月12日号に掲載されています。時代の流れと社会の状況からして、元号を廃止し全て西暦で統一すべきだという意見です。
 ちょうど今日、新元号を今年の末以降に発表するという報道がありましたね。いろいろと便利なこともあるけれども、たしかにダブルスタンダードで面倒ともいえるし、世界史的に見ればたしかに王権の象徴のような元号が、未来的に必要なのかどうか、最近はそういう議論すらありませんね。
 もちろん私は、言霊的に必要だと思っていますよ。とはいえ、本来の言霊的な機能のためには、明治以降の一世一元の制ではなく、天変地異などでも変更が可能な形に戻さねばなりませんが。

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2018.02.14

「無鉄砲」とは?

 大入試講座で2011年の国語第四問を指導しました。いつも書いているように、本当に東大の問題を解くのは面白い。いい問題です。対策をするだけでも生徒は大きく成長します。
 で、今日取り上げた2011年の第四問ですが、今福龍太の「風聞の身体」から、アイヌの長老のカタリに関する文章でした。
 丸腰でヒグマと戦う武勇伝。私も生で聞いたことがあるカタリです。そう、もう12年も記事になるんですね、秋田の山村で長老たちの武勇伝大会に参加した時のことをこちらに書きましたっけ。
 やっぱり、秋田の山奥にはアイヌ的な文化が残っているんですね。地名なんかも完全にアイヌ系ですし、顔つきもアイヌかロシアという…。
 武勇伝というカタリは、それが嘘だろうと大げさだろうと、そんな真偽に関する野暮な考察はどうでもいいのでして、上の記事にも書きましたとおり、カタリ自身が「祭」の「場」になっているということの方が重要です。あの時は私もまた、その場に居合わせ、場を演出する「マレヒト(客人)」だったというわけですね。神事に参加していたわけだ。
 さて、こちら東大の問題のカタリですが、ここで面白かったのは「無鉄砲」という言葉です。まあ、とにか面白いので、皆さんも読んでみてください。問題は解かなくて結構です(笑)。

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 なるほど、「無鉄砲」という言葉は、面白いですね。字面どおりで解釈するなら、非武装中立(笑)。結果として無茶ということになりますね。自衛軍ぐらいは持たないとと。
 たしかに、丸腰という非武装こそが、最強の武勇伝になりますよね。国際関係、防衛においても実はそうなのかもしれないと思ってしまいました。
 本文にもある漱石の坊っちゃんの「無鉄砲」は、たしかにストレートに非武装丸腰という意味ではありませんよね。どちらかというと「有鉄砲」的なイメージ。ケンカばっかりしてる。けっこう武器持ってますよ(笑)。
 それこそ、近代的な意味においては、鉄砲を持たずに強敵に臨むことは無茶でしょう。しかし、縄文的に言うと、その逆ということもあり得る。
 日本が誇る?平和憲法の意味というのも、近代的、現代的な価値観だけでは計り知れません。なにしろ、昭和天皇のご発案なのですから。
 そのあたりについては、仲小路彰が非常に深い考察を行っています。いつか皆さんの目にも触れることになるでしょう。お楽しみに。
 さあ、「無鉄砲」の未来的な意味はどうなっていくのでしょう。

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2018.02.13

自動車が本当に「自動」になる日

Th_nvidiaam24 日、AI研究の最先端を行く学者さんとお話する機会がありました。いろいろなお話をしたのですが、一番盛り上がったのは自動運転について。
 私たちシロウトは、いわゆる職人技という部分に関しては、AIは人間には敵わないだろうと思いがちですが、実際は全く逆なようですね。
 とにかく私たちが時間をかけて勉強を重ね習得してきたコトこそAIが得意なのであると。なるほど、考えてみればそのとおりでしょう。
 一方で、技術ではない、そうですねえ、あえて言えば知恵のようなモノ。たとえば想定外の事態に瞬時に対応するようなセンスというのは、なかなかAIには難しい。まあ、私たちが想定外だと感じるモノのほとんどは、過去のビッグデータに含まれる既知のコトなんだそうですけど。なるほど。
 車の運転というのは、道路というインフラや交通ルールのデザインさえしっかりすれば、かなり規則的なコトであり、そういう意味では、AIの最も得意とする分野の一つです。
 逆に言うと、現在私たちが半分カンにまかせて、けっこう死と隣り合わせで行なっている「運転」を、そのままAIに任せると、これはけっこう大変。それこそカンに頼るようなモノ性が高いからです。
 ですから、完全自動運転、つまりレベル5の自動運転を可能にするためには、インフラ、ルールのリ・デザインが非常に重要となるでしょう。
 私たちが今まで当たり前だと思ってきたこと、あるいはずいぶん効率化したと思ってきたことの中には、実は大きなムダがあったりする。それを最先端のテクノロジーが簡単に軽減してくれるというのが、これからの世の中の大きな変革のあり方になります。
 私も自分で自動車を運転して、いろいろなところに移動しています。通勤にも使っていますし、東京や横浜との行き来にも自動車を使いますから、年間にしますと、2万キロ以上車で移動していることになります。平均速度を40キロで計算しても、実に500時間を運転に費やしていることになります。
 私は運転という「スポーツ」自体が好きで、それをすることによってストレス解消をしている部分もありますから、決してムダな時間とは言い切れません。また、かつてはゆっくり音楽を聴いたり、あるいは最近ではネット動画の討論番組をまとめて聴いたりもしているので、それはそれなりに有意義な時間を使っているとも言えます。
 まあ、自動車とは言うのもの、全然自動ではなく、ほとんど手動ですし、オートマによってオートマ化したのはギアチェンジだけですよね。かなりの部分で自分のエネルギーを運転につぎ込んでいる。
 しかし、これが全て自動運転になったら、500時間の自由な時間、より有意義に使える時間が確保できるということです。
 本を読んだり、映画を観たり、楽器の練習をしたり。ま、日常の自由時間と同じく、ムダにゲームをしたり、食べたり飲んだりして昼寝したりするだけになるかもしれませんが(笑)。
 そっか、たしかに今の「手動運転」には「寝てはいけない」という最強の条件があるので、案外有意義な時間を創出しているのかもしれませんな。
 強制的に睡眠を妨げる、命がけで眠気と戦うという意味では、今の手動運転には大きな意味があるのかもしれませんね。
 そんな笑い話的な昔話が語られるようになるのは、そんなに遠い未来のことではないと考えます。少子高齢化、人口減少が避けられない日本は、そしてある程度道路が整備され、また国土が狭い日本は、実はこの部分で世界の先駆けとなるべきなのではないでしょうか。
 もちろん、個人レベルでのムダの排除だけではなく、物流という巨大産業にも革命が起きます。いくら世の中がデジタル化、情報化しても、残念ながら物質をどこかに伝送することはできないので、おそらくあと千年は物流の業界はなくならないでしょう。
 自動運転が実用化すると、たしかに現在の物流関係、あるいは交通関係の運転手さんたちの職は失われるでしょう。しかし、それは時代の流れの中での必然であり、その人たちにはまた違った、ある意味もっと楽な仕事をしてもらうことになるでしょう。
 自動車、列車、飛行機、ドローンなどによる物流が自動化することによる経済効果は非常に大きい。人件費は言うまでもなく、渋滞などによるさまざまなムダも劇的に軽減し、結果として私たちは豊かになることでしょう。
 国家レベルでのイノベーションに期待します。

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2018.02.12

自立なんて「しないほうがいい」!?

Th_img_5821 総研の深津武馬さんのインタビュー記事オスなんて「いないほうがいい」!? 性を操る細菌の不思議が面白かった。
 オスがいないほうがいいという以前に、昆虫と菌との共生、寄生の奥深さに、ちょっと感動してしまいました。
 意識しているかいないかは別として、互恵関係を作って生き延びる道を選んだ生物たちに、なんとなく敬意すら抱いてしまった。
 そう、生物学とは全然関係ないのですが、最近、近代日本の教育が子どもたちに促してきた「自立」というのが、本当に大切なことなのか、よく分からなくなっていたんですよね。
 それはもしかすると、おとといの西部邁さん追悼番組のところでも書いた、「国家の自立」にも関わってくるかもしれない。本当に自立すべきなのかと。
 変な話、戦後の日本は、アメリカに寄生することによって生き延びる道を選んだとも言えますし、アメリカはアメリカで宿主としてのメリットも計算していたとも言える。お分かりになりますよね。
 主に反米嫌米保守の皆さんは、そんな状態を「情けない」として、盛んに自立を促すわけですね。
 ただ、したたかに、そして賢く宿主の中で生きる細菌の世界を見ると、なんだか、寄生も悪くないなと思うわけです。寄生なのか共生なのかの境界線は、生物の世界でも難しいとのことですが、人間どうしや国家どうしにおいても、その判断は不可能に近い。
 私は、現在の日米関係というのは、けっこう高度な互恵関係にあって、そういう意味では、結果として生命保持手段としてはかなり対等に近い「共生」だと思っているんですね。
 それこそ宇宙からの視点で見ればですね、もしかすると日韓関係も米中関係も「共生」ということになるかもしれない。かつての米ソ関係が非常に高度な両者の生き残り作戦であったように。
 ま、冬虫夏草みたいに、結局宿主を殺してしまうのはどうかと思いますが、基本的に他者の力を拝借するというのは、ある種の知恵と言っていいでしょう。
 あまりに強く自立を志向するというのは、結局お釈迦様の言う縁起する世界観を否定することになりかねません。互いに利用しあい、譲りあって、与えあうというのが、この世の、特に生き物の世界の究極の知恵なのではないでしょうか。
 私がよく言う「国譲り」の作法や理論というのも、ここにつながっているような気がします。
 ところで、人間界でもオスの存在感はどんどん小さくなっていますね。ある意味、最近の男は女に寄生しているとも言える(笑)。
 まあ、男が強くなるのは、戦争の時代だけとも言えますよね。つまり、そんな時も、結果としては死にゆくのは男だということでして(苦笑)。
 はてさて、教育者はどういうふうに教えればいいのでしょうね、これからの時代。とりあえず、自分のことを棚に上げて「自立しろ!」というのはやめようかと思います。
 世話になるというのは、世話する喜びを与えるということでもあります。禅語の「恩を知る者は恩に報いることを解す」ですね。
 そういう意味では、私たち日本はアメリカに依存しつつ、アメリカに布施の喜びを与えている、すなわち方便によって智慧を得るという修行の機会を与えているのです(なんちゃって?)。
 

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2018.02.11

AIに音楽は可能か

Th_750 日は、横浜にてコンサートに出演いたしました。古楽器のアンサンブルでテレマン三昧。
 満員御礼。演奏する側も楽しめるのが、テレマンの良さですね。
 さてさて、ここのところAIなど未来のテクノロジーと、それに伴う人間自身や人間社会(たとえば教育)のアップデートについて考えています。
 そんな流れから、今日は、音楽ってAIでもできるのかなということを考えました。
 音楽ができると言う言葉にはいろいろ意味がありますよね。作曲、演奏、鑑賞、その他…。
 結論から言いますと、やっぱり人間にしかできない音楽ってあるのではないかと。
 そう、いくらテクノロジーが発達しても、やはり生身の体を中心に戦うオリンピックが面白い。限界があるからこそ、そこにドラマがある。あるいは、限界を感じている私たちにとってのブレイクスルーやアップデートの可能性を与えてくれる。
 そういう意味で、音楽もそういう部分があるでしょう。究極の人間技。それはある意味では曲芸のすごさだとも言えます。
 コンピュータ・ミュージックの歴史はもうずいぶん長い。物理的な古典楽器や、人間の歌唱の限界を超えるのは、とても簡単な世の中になりました。しかし、なぜかそれが主流にはならない。それは、やはり、機械には表現できない何かがあるからでしょう。
 そういう個人の技術の話以前に、あの独特のアンサンブル感というのはどうなのでしょう。たとえば私が感じ、合わせている、あの空気。決して理論的ではない、さまざまな呼吸や揺らぎを、同時的にとらえて、瞬時に処理してアンサンブルできる。
 古楽は基本指揮者を立てません。なのに、なんでお互いの体の動きが見えない状況でもアンサンブルができるのか。つまり視覚的なものではないし、単に聴覚の範疇におさまるものではない。
 それがおそらくは「波動」の世界だと思うんですよね。それはおそらく物質や情報の次元ではなく、意識の次元で起きている現象だと思います。あるいは、意識のちょっと下かなあ。
 魚群や鳥群のあの一糸乱れぬ動き、シンクロというのも、そういう領域なのでしょう。私たちがあの現象を全く理解でないのと同じように、他の生物や物質からすると、私たちのあの一糸乱れぬ(?)アンサンブルは信じられない神技でしょう。
 おそらくAIでは不可能でしょうね。様々なビッグデータから、すなわち過去の情報から、ある程度パターン化したアンサンブルは可能でしょう。
 しかし、あの波動による同期というのは不可能ではないでしょうか。
 音楽というモノ自体が、すでに意識に次元へのアクセスツールなのですらか、意識にまで踏み込めない現状でのAIにはとても無理なことかもしれません。
 そう考えると、たとえば囲碁や将棋、チェスなど、肉体性を伴わない純粋な知的ゲームにおいてAIが台頭するのは当たり前です。
 やはり、スポーツと音楽に関しては、当分は人間の優位が続くのではないでしょうか。もちろん、今考えられているシンギュラリティをはるかに凌駕するレベルでのシンギュラリティが、未来永劫にわたって実現しないとは断言できませんが。
 最近の私の興味が、もっぱら音楽やスポーツに向かっているのも、何かの予兆なのかもしれませんね。

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2018.02.10

【討論】追悼・西部邁と日本

 本が足りない。なるほどそこが寂しがり屋の原点なのかもしれない。
 西部先生がお亡くなりになって、あっという間に3週間になります。
 自裁された日、私は全然かっこよくないですよ!と書きました。
 その気持ちは、正直今でも変わっていません。
 佐藤健志さんが、弟子であるからこそ直截的に、自殺は自分以外をも全て殺す行為である、と言っていますが、そのとおりだと思います。自分を消すということは、自分の肉体で感じ、記憶し、予感している世界、他者を全て抹殺することなのです。
 しかし、一方で、西部さんがお亡くなりになっても、この世はなくならないどころか、あまり大きな影響を受けていません。これはまさに、思想や批評や言論の虚しさにつながる。
 もちろん、この討論に参加されている西部さんの申し子のような方々には、大きな影響を与えていることでしょう。しかし、それも死ではなく生が影響を与えているわけですね。そこには今度は死、自裁の虚しさを感じざるを得ません。
 国家とは何か。母国とは。祖国とは。
 これもまた虚しい事実ですが、実は日本人にとっての国家観などというものは、たかだかここ150年の、それも西洋から押し付けられて、無理やり作り上げようとした思想にしかすぎませんでした。
 だから、結局、国ではなく「母」に帰っていった。母というか母性でしょうかね。だから、亡くなった奥さんに対する、まるで小さな子供のような甘えが現れてしまった。奥さんやお母さんという「女」に帰っていったのでしょうね。
 日本が足りない…それは結果的には母性に対する渇望だったのかもしれません。西洋は父性の原理、東洋特に日本は母性の原理。
 あえてそういう見方をすると、西部さんを一つの象徴とする、日本人の寂しさが分かるような気もしますね。
 仲小路彰が「21世紀は太陽の世紀」と言った意味は深い。

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2018.02.09

スマホで朝生~激論!AI時代の幸せな生き方とは?!~

 このところとんでもなく忙しいので、とにかく移動の時間には討論番組を聴くようにしています。
 そんな中で、特に面白く、続けて2回聴いてしまったのが、この「スマホで朝生」です。もう1年前の回ですが、まだまだ新しい議論に感じますね。
 モチベーション格差かあ。なるほどね。日本の教育はモチベーションを低下させるというのは、たしかにあるよなあ。
 もちろん、私は違いますよ(笑)。私は、それこそ生徒のモチベーションを上げるのが教師の仕事だと思ってますから。
 たしかにモチベーションは特別に大切だと思います。なぜなら、そのモチベーションはモノ・コト論的にいうと、「モノ」の世界だと思うからです。
 昨年夏、「シンギュラリティはあり得るのか」という記事にも書きましたとおり、AIのおかげで、逆に人間の「意識」を際立たせることになると思いますね。
 モチベーションこそ意識です。AIにもモチベーションもどきを持つことは可能だと思いますが、ホンモノのモチベーションは人間のみに与えられた能力です。
 なんていうと、また人間至上主義だ、近代的な価値観にとらわれていると言われそうですけどね(笑)。ま、地球上では事実人間だけの特権なのでした。そこに気づくのが、21世紀の科学であり、哲学であり、そして教育でありましょう。
 それにしても、この動画、コニタンとハゲー!が出てて笑っちゃいますね。
 

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2018.02.08

レア度を高める

Th_images 日もまた昨日までの続きです。本当に最近ある種の危機感をおぼえています。自分ははたしてちゃんとアップデートできているのか。
 未来人、宇宙人(笑)として、ちゃんと一歩先を行っているのか。
 急に現実的なお金の話になってしまいますが、皆さんもよくご理解のとおり、市場経済においては、その価値、すなわち価格は、そのもののレア度によって決まります。
 オークションを考えればよく分かりますよね。基本価格は需要と供給の関係によって決定されます。需要に対して供給が追いつかないとレア度は高まり、価格は上昇します。
 まあ、ここまでは学校の教科書にも書いてあるとおりです。基本はそれで正解です。もちろん、実質的な経済にはさまざまな事情やら、人間の心理が入り込みますので、そんなに単純にはいきませんが。
 そのレア度というのを、少し視点を変えて見てみますと、このようなことが言えます。
 流行を作り出したものは価値が高い。
 そう、何かが流行りだす時、そこにレア度が生まれます。供給が需要に追いつかない。それも実生活の中で簡単に想像できますよね。
 たとえばビットコインなどの仮想通貨の価値、価格が急騰しているのは、そういう現象。今までにない、なにか可能性を感じさせるものに人は飛びつきます。
 そして多くの流行がそうであるように、みんながそれを持ち始めると急にレア度は下がり、価格も下がっていく。そのうちにあるものは忘れ去られてしまう。供給が需要を上回るようになってしまうわけですね。
 では、商品ではなく、人間としてのレア度というのはなんなのか。商品としての人ではなくて、純粋に存在としてのレア度の話です。
 これはやはり、まず超未来的に生きている人でしょう。現在や近未来にはそれほどのレア度はありません。ほとんどの人たちが意識や知識のレベルで共有しているからです。
 それが超未来的な考え方をしている人となると、誰もが想像しないことをいとも簡単に言ってのけたり、やってのけたりするので、そこにある種の需要が生まれます。
 昨日のドームの社員の皆さんもそうですし、落合陽一さんもそうでしょう。私の知り合いで言えば、高城剛さんも最たるものですし、未来医療器具発明者Nさんや天才科学者のFさんもそういう人物です。
 もちろん仲小路彰もそうです。彼なんか、まさにレアそのもの。だいたい普通の市場に現れてこなかったから、ますますレア度は高まり、いくら積んでも会いたいという人が絶えなかった。それは彼がとんでもなく未来に生きていたからです。
 それから、反対に超過去的に生きている人もレア度を上げますね。これは面白いことです。
 たとえば、私には能役者の知り合いが何人かいますが、彼らは600年前のことを基本そのまま受け継いでいます。これはこれでレア度が高く、それなりに仕事になっています。
 お気づきのとおり、もちろんその「過去」が、その過去の時点でとんでもなく「未来」的であったという条件がつきます。過去ならなんでもいいわけではありません。観阿弥・世阿弥の先見性、未来性が異常に高かったのです。少なくとも600年後のことを想像していたわけですから、きっと彼らも宇宙人なのでしょう(笑)。
 さて、そう考えてくると、はたして自分や、自分をとりまく組織にはレア度はあるのか。本当に悩ましいところです。
 観世のような長期的なレア度を目指すのは難しいとはいえ、刹那的なレア度では虚しいだけです。いや、刹那的なレア度を連続的に生み出していくのが、この情報化時代の天才なのかもしれませんね。
 正直、日本の学校は、生徒のレア度を下げる方向に教育をしています。はたしてそれでよいのか。センセーなんていう仕事をしている私は、そこがとんでもなく悩ましい。なんとかブレイクスルーしたい。
 私も悪あがきしてみます。

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2018.02.07

株式会社ドーム

 日の続きとなりましょうか。旧来のものを破壊して世界をアップデートする企業のお話。
 今日は仕事で有明へ。懐かしいディファ有明の隣の倉庫、いやビルに行ってきました。株式会社ドーム。アメリカのスポーツウェア大手アンダーアーマーの日本代理店として有名な会社です。
 ディファや有明コロシアムでプロレスを観てきたものにとっては、なんとも時代の流れを感じる風景。2020年の東京オリンピックに関する施設建設工事がいろいろなところで進行中でして、近未来都市が立ち現れる予感をさせつつ、その前夜のなんとも静かな、ある種の寂しさをも感じさせる光景に、思わずため息が出てしまいました。
 さて、そんな近未来の都市に、数年前に時代を先取りしたかのような、一見倉庫、中身は最先端オフィスという自社ビルを堂々と建てたのが株式会社ドーム。
 今日は社内の見学とともに、2時間以上にわたって、社員の方と日本のスポーツ文化、学校体育文化について語り合いました。
 高城未来ラジオでも言いましたが、私は日本の学校文化は軍隊文化そのものだと思っています。その最たるもの、一番分かりやすいのが、日本の学校体育と部活動です。
 いじめの問題も体罰の問題も、硬直した上下関係、権威主義、既得権益による体育会や連盟の構造など、その全てが明治維新以降の軍隊文化がもたらしたものです。
 戦後日本はアメリカに洗脳された、特に教育は…と言いますが、私にしてみれば笑止千万。戦争反対を標榜し続けてきた日教組が守ってきたのは、実は日本独自の軍隊文化です。
 今日も例として話しましたが、甲子園やリコーダーやラジオ体操や徒競走、運動会なんかも、みんな軍隊文化、軍事教練の延長線上にあります。
 それをほとんど誰も意識せず、あたり前のこととして享受し、教授してきたわけで、この岩盤はめちゃくちゃ堅くて高い壁を形成しています。
 そこに挑戦しようとしているのがドームです。アンダーアーマー自体新興の会社ですが、そこと創業以来タッグを組んで、日本の、そして世界の誤ったスポーツ文化を正そう、そしてスポーツ産業によって国家の経済活動、地域の振興に寄与しようと奮闘しています。
 その志は非常に高く、だからこそ会社自体に活気が満ち溢れている感じがしました。旧来の会社や学校の雰囲気とは正反対です。
 しかし、当然、そのような岩盤破壊行為には抵抗勢力が立ちはだかります。今日はそのへんについても、現実的な話をたくさんさせていただきました。あまりに厳しい話をしたので、途中社員の方から冗談で「ああ、もうめんどくさい。やめちゃおうか!」という言葉が出たくらいです。もちろん、実際には私も含めて、強大な見えない敵に対してより一層の闘志を燃やしていたのですが。
 今後、個人レベル、学校レベル、そうして地方レベルで、なんらかのコラボレーションをしていきたいと考えています。
 大きく深く、レベルの高いビジョンのある組織は魅力的です。私たちは単なる物売りではない…その言葉が胸に響きました。
 健康は平和の礎です。私も彼らにない発想を提供しながら協力できればと思います。これからの展開にご期待ください。

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2018.02.06

落合陽一氏 「日本再興戦略」 を語る

 を運転しながら聴いていました。たしかに面白い。ああ、時代は変わったんだなとしみじみと感じました。
 最近メディアでひっぱりだこの落合陽一さん。あの落合信彦さんの息子さんですが、正直お父さんをすでに超えていますね。
 彼の近著「日本再興戦略」を読んだあとでしたので、本当にすんなり落合さんの先進的な未来予測が頭に入ってきました。
 そうそう、彼は自分でも言っていますが、その風貌と態度と言葉遣いから、ずいぶん誤解をされている。本だと、ちゃんとした言葉遣いになるので問題はないけれども、たしかにこうして喋っているのを聴くと、さもありなんと思いますね。
 そういう旧来の価値観をも軽く超えてしまうのが、彼を代表とする新世代の天才たちですね。私はようやく最近、そういう彼らを心から尊敬できるようになりました。
 もう完全に私たち旧世代人には不可能な自由かつ論理的な発想ができるんですね。うらやましく思います。こういう若者たちがこれからの日本を支え、引っ張っていくと思うと、実に心強く思います。
 それにしてもまだ30歳ですか。なのに教育者としても実にレベルが高い見識を持っている。日本再興戦略の内容もさることながら、彼のような存在こそが、日本の未来を明るく照らしてくれると感じました。
 内容については、私は偉そうに何も語れません。この動画を観たり、本を読んだりして、皆さんがそれこそ自由に議論してくださればそれでよし。
 ところで、彼が世界を波動と物質と知能という三つに分けて観ているのは、私のモノ・コト論にも通じて面白い。物質はモノ、知能はコト、そして波動はタマ(霊)でしょうか。
 いよいよ最先端の科学が、古来の宗教というか、宗教以前の何かに近づいてきている感じがします。
 AIがもたらす魔術的な世界、魔法の世紀とは、まさに私の言うところの「コトを窮めてモノに至る」というやつでしょう。面白い。
 ところで、私が研究している天才思想家仲小路彰も20台、30台の頃から、その才能を開花させ、ずっと年上の人々にも尊敬され、影響を与えてきました。
 彼が若い頃に残した多くの復興計画、日本経営計画なども、当時の人からすると、落合陽一さんの意見のように、非常に先進的なものだったことでしょう。
 いつか、落合さんにも仲小路の文献を読んでもらいたいですね。天才は天才を理解することでしょう。
 落合さん、高城剛さんのことも好きだと言ってましたね。いつか3人でお会いしたいです。

Amazon 日本再興戦略

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2018.02.05

椎名林檎 『カーネーション』

 しいので、更新が遅れています。
 昨日の『花すみれ』からガラッと変わって…ではなく、私には同じ世界に感じる名曲を紹介しましょう。というか、皆さんよくご存知、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
 NHKの朝ドラ『カーネーション』の主題歌。椎名林檎さんのすごいところは、こういうクラシカルな作曲もできるというところです。
 そこに斎藤ネコさんの、これまたクラシカルでゴージャスな編曲が加わり、どこかノスタルジックな、それこそドラマの舞台である大正ロマンな雰囲気を醸しています。
 古くて新しいというのは何なのかなと、よく考えます。古いものというのは、歴史上無数にあるわけですが、そのうちのどれが、何が未来において「新しい」ものとなるのか。
 そのあたりについては、またいつか書きます。今日はここまで。

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2018.02.04

『花すみれ』 貞明皇后作詞・信時潔作曲

Th_img_0996 の娘が大学入試10連ガチャ発動中です。今日は一晩だけ富士山に一時帰国。明日からまた旅に出ます。
 前半戦は女子大巡り。MARCHの問題より、ずっと難しい。ある意味ちゃんとした問題ばかりです。どういう学生がほしいかがよく分かります。教養ある女性を求めている感じですね。
 そんなわけで、東京に娘を迎えに行くついでに、久しぶりに多摩御陵(武蔵陵墓地)にお参りしました。
 いつもそうですが、一番すごいパワーを感じるのは貞明皇后陵です。貞明皇后との因縁(もちろん片思いですが)は、こちらこちらに書かせていただきました。
 今日もまた、貞明皇后陵の前に立った時、ポツポツと雨が降ってまいりました。いつものことです。不思議ですね。
 さて、今日は貞明皇后が作詞された歌を1曲。作曲はかの信時潔です。交響曲「海道東征」の作曲者ですね。
 実はこの曲、女子学習院のために作曲されたのですが、のちに信時自身が曲を書き換え、現在ひらがなの「はなすみれ」として歌い継がれています。また、のちに同歌詞を用いて山田耕筰が「花すみれの御歌」を作曲しています。そのへんの事情については、論文があるようですが、私は読んでいません。
 貞明皇后作詞と書きましたが、その詞は次のような和歌です。

うつふして
にほふ
はるのの
はなすみれ
ひとのこころに
うつしてしかな

 一番最初にできた「花すみれ」を小川明子さんの素晴らしい歌でお聴きください。小川さんは、信時作品など隠れた日本の名曲を多く歌われています。

 ひらがなの「はなすみれ」はこちらで聴くことができます。
 「花すみれ」の方が和風、「はなすみれ」の方がより洋風(モダン)になっていますね。いずれもいい曲です。

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2018.02.03

節分と国譲り(譲位)

Th_oni 日は節分。
 最近フェイクニュースという言葉が流行っていますけれど、フェイクニュースの元祖?「虚構新聞」のこの記事は秀逸でしたね。忌み嫌うにもほどがあります。労災ですよ、これ(笑)。

全身に節分豆浴びた園長が重傷 東京・八王子

 ところで、昨年の節分に、渡辺さんは豆まきをしない?という記事を書きましたら、それがきっかけで10月のNHK「日本人のおなまえっ!」に出演することになりました。面白いものです。
 同時期の高城剛さんのラジオ番組出演も別のブログ記事がきっかけでした。SNS花盛りの今だからこそ、よりパブリックな、ソーシャルという枠のないブログという前時代メディアが力を持っていると感じます。ま、ちゃんと検索に引っかかるということですよね。それは大きい。
 さてさて、もともと私にとって節分はこちらに書いたように特別な意味を持っています。
 表面的には鬼を退治するという物語の共有ですが、実際にはそうして鬼の存在を忘れないようにしている。これが日本の「国譲り」の作法であるということは、高城未来ラジオでもちょっと語っています。聴いていらっしゃらない方のために再掲しましょうか(宇宙人中村先生役です)。おかげさまでなんだか好評のようです(笑)。

日本の教育システムの真相(前編)

日本の教育システムの真相(後編)

 幽閉することによって、鬼を純粋な形で保存継承していく。年に1回思い出して、また閉じ込めて。忌み嫌うというのが、実は最強の保存方法です。なぜならみんな近寄らなくなるから、手垢がつかない。解釈が入らない。
 ところで、「国譲り」という言葉は、たとえば古事記や日本書紀には出てこないんですよ。では、かつてはどういう時に使ったかというと、天皇の譲位の時に使ったのです。すなわち、「国譲り=譲位」だったのです。
 ということは、来年本当に「国譲り」が行われるんですね。200年ぶりに。ある意味、200年間封印されてきた日本の伝統的作法、伝統継承、生命保存の智恵である「国譲り」が行われるのです。
 つまり、逆に言えばですね、そうした秘技が発動する必要のある世の中になったということです。それは日本国内だけの問題ではなく、世界の趨勢がそういう事態に陥っているということです。このピンチに天皇が世界に範を垂れるのです。
 そういう観点で言いますと、実は鬼の復活も近いのです。出口王仁三郎の再臨でしょうか。それとも、国常立命のご発動でしょうか。富士山が動くか。
 私はそうした地球規模での大変革が楽しみです。その中で日本人一人一人がどういう役目を果たすのか。

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2018.02.02

朝生ウーマン村本の炎上「そもそも論は必要?」宮台真司、上念司が激討論

Th__20180204_111346 いぶ遅ればせながら、村本さん出演の朝生を観ました。たしかにあの空気の中であれらの発言は不快に感じましたが、まあ、プロレスにおける他団体選手の乱入みたいな意味で、つまり宮台さんが以下の番組でも言っている、お座敷を乱す意味では価値があったと思います。
 かつてそういう役を買って出ていた宮台真司さんは、基本的に村本さんを擁護しています。それもよく理解できます。
 しかし、ここでテーマになっている「そもそも論」は必要かというと、それはあの場でのあのレベルでの「そもそも論」は必要ではなかったと思いますよ。
 皆さんはどう感じましたでしょうか。私は単純に村本さんが空気を読めていなかった、あえてそうしたというのも後付けだと感じました。あのレベルでの、すなわち論理的でない反戦平和論ではお花畑と言われてもしかたないでしょう。
 正反対にいるのが上念さんだと思います。空気を上手に読みつつ、ユーモアも絶品なので敵を作らない。基本保守寄りですが、リベラルの方ともうまく話ができる。保守の中でも仲間割れが多発する中、どこにでも顔を出せる賢さがありますね。
 過剰は贈与か。面白いですね。ていうか、朝生での落合陽一さんも村本さんも、まあ宮台さん上念さんも、多動ですね。今の地球の基準からすると発達障害と診断されるかもしれませんね。黙ってる原田さんが一番フツウ(笑)。
 朝生も久しぶりに観ましたが、うん、西部邁さんが言論の世界に虚無を感じたのもなんとなく分かるような気がしました。

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2018.02.01

NEWセーブ90 (水道管凍結防止ヒーター用節電器)

Th_51s7gjbkcbl 日、マイナス20度まで気温が下がった日に、台所の水道が出なくなりました。今まで20年間、凍結したことがなかったし、ほかの水道は問題なかったので、む?これは?と思い確認すると…予想通りでした。
 2004年にこちらの記事で紹介した、水道管凍結防止ヒーター用節電器「節電太郎」の一つが故障していたのです。
 その記事にあるとおり、極寒地の我が家では、フツーにヒーターを稼働させると、なんと1ヶ月の電気料金が10万円になってしまいます(!)。それを90%節約してくれるスグレモノが節電太郎くんでした。
 そんな太郎くんも20歳。たしか耐用年数が10年となっていたと記憶していますから、本当によく頑張ってくれたと思います。ちなみに太郎くんは3台稼働中でして、今回故障した1台以外の2台はいまだにバリバリに節約してくれています。本当に9割カットになるんですよ。1万円ちょっとですむ。
 ワンシーズン約30万円の節約ですから、20年で600万円!?すごいなあ。
 というわけで、故障した太郎くんを新品と交換しようと思ったら、あらまあ、もう絶滅していたんですね、太郎くん。で、ライバルの?NEWセーブ90を急遽購入いたしました。
 とりあえず、凍結してしまった水道管はヒーター直結して溶かし(なんと5時間かかった)、そしてAmazonから翌日届いた新人NEWセーブ90くんを接続しまして、いつもの節電生活に戻りました。
 今回壊れた太郎くんは1口タイプでしたので、3000円弱。あと2口タイプ二つ使っているのですが、それもそろそろ寿命かと思うので、来シーズンには全部新人に交換しようかな。水道管破裂させちゃうと大変ですから。
 3台、全部合わせても1万円ちょっとですから、めちゃくちゃコストパフォーマンスが高い製品です。寒冷地にお住まいの方は必須アイテムでしょう。
 なのに、なんで各社参入しないんでしょうね。ぜったい需要あると思うんですが。やっぱりローカル製品だからかなあ。普通はヒーターなしで水をチョロチョロだしておけば済むのか。こんな極寒地は、山梨、長野、北海道くらいなのかなあ。
 どうせなら、北欧とか、ロシアとかに売れば儲かりそうな気もしますね(笑)。

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テムコ株式会社公式

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