AIに音楽は可能か
今日は、横浜にてコンサートに出演いたしました。古楽器のアンサンブルでテレマン三昧。
満員御礼。演奏する側も楽しめるのが、テレマンの良さですね。
さてさて、ここのところAIなど未来のテクノロジーと、それに伴う人間自身や人間社会(たとえば教育)のアップデートについて考えています。
そんな流れから、今日は、音楽ってAIでもできるのかなということを考えました。
音楽ができると言う言葉にはいろいろ意味がありますよね。作曲、演奏、鑑賞、その他…。
結論から言いますと、やっぱり人間にしかできない音楽ってあるのではないかと。
そう、いくらテクノロジーが発達しても、やはり生身の体を中心に戦うオリンピックが面白い。限界があるからこそ、そこにドラマがある。あるいは、限界を感じている私たちにとってのブレイクスルーやアップデートの可能性を与えてくれる。
そういう意味で、音楽もそういう部分があるでしょう。究極の人間技。それはある意味では曲芸のすごさだとも言えます。
コンピュータ・ミュージックの歴史はもうずいぶん長い。物理的な古典楽器や、人間の歌唱の限界を超えるのは、とても簡単な世の中になりました。しかし、なぜかそれが主流にはならない。それは、やはり、機械には表現できない何かがあるからでしょう。
そういう個人の技術の話以前に、あの独特のアンサンブル感というのはどうなのでしょう。たとえば私が感じ、合わせている、あの空気。決して理論的ではない、さまざまな呼吸や揺らぎを、同時的にとらえて、瞬時に処理してアンサンブルできる。
古楽は基本指揮者を立てません。なのに、なんでお互いの体の動きが見えない状況でもアンサンブルができるのか。つまり視覚的なものではないし、単に聴覚の範疇におさまるものではない。
それがおそらくは「波動」の世界だと思うんですよね。それはおそらく物質や情報の次元ではなく、意識の次元で起きている現象だと思います。あるいは、意識のちょっと下かなあ。
魚群や鳥群のあの一糸乱れぬ動き、シンクロというのも、そういう領域なのでしょう。私たちがあの現象を全く理解でないのと同じように、他の生物や物質からすると、私たちのあの一糸乱れぬ(?)アンサンブルは信じられない神技でしょう。
おそらくAIでは不可能でしょうね。様々なビッグデータから、すなわち過去の情報から、ある程度パターン化したアンサンブルは可能でしょう。
しかし、あの波動による同期というのは不可能ではないでしょうか。
音楽というモノ自体が、すでに意識に次元へのアクセスツールなのですらか、意識にまで踏み込めない現状でのAIにはとても無理なことかもしれません。
そう考えると、たとえば囲碁や将棋、チェスなど、肉体性を伴わない純粋な知的ゲームにおいてAIが台頭するのは当たり前です。
やはり、スポーツと音楽に関しては、当分は人間の優位が続くのではないでしょうか。もちろん、今考えられているシンギュラリティをはるかに凌駕するレベルでのシンギュラリティが、未来永劫にわたって実現しないとは断言できませんが。
最近の私の興味が、もっぱら音楽やスポーツに向かっているのも、何かの予兆なのかもしれませんね。
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