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2018.01.31

ブルー・ムーンとは?

Th_2018020100000007cnippou0000view しぶりの皆既月食。観測しやすい時間帯でもあり、天気もまあまあでした。ウチのあたりは何しろ寒いので、寝室の月見窓から鑑賞いたしました(そのうちに寝てしまった)。
 スーパー、ブルー、ブラッドという三つの条件が重なるのは、たしかに珍しい。しかし、ブルー・ムーンというのはよく分かりませんよね。なんでブルーなのかなと。
 と思ったら、なんと間違いなんですね!
 もともと、ブルー・ムーンとは、季節の中に4回満月がある時、その3つ目の満月の名称だったそうです。つまり、こういうことです。
 四季の一つの季節、すなわち3ヶ月の間に訪れる満月というのは、基本3回ですが、太陰暦の1ヶ月、すなわち月の公転(&自転)周期と、太陽暦の1ヶ月とはずれがあるために、たまに3ヶ月に4回満月が来る年があるんですね。
 通常の3回の満月には、1回目、2回め、最後のそれぞれに季節ごと固有の名前がつけられいますが、4回目はめったにないので、3回目の名称がなかったらしいのです。そこで、それを全季節まとめてブール・ムーンと呼んだらしい。
 それをですね、なんでも1946年に天文雑誌の老舗「Sky & Telescope」が間違えて「ひと月に2回満月がある時の両方の呼称」としてしまったというのです。それが今でも通説としてまかり通り、今回NASAまでものがスーパー・ブルー・ブラッド・ムーンと喧伝しているのです。
 まあ、たしかに珍しい現象ですし、それで多くの人々がお月見するというのも悪くありません。細かいことはどうでもいいのですが、本来の「ブルー・ムーン」は実は来年の2月19日です。2〜3年に1回の現象ですので、それ自体はそれほど珍しいことではありませんね。
 間違った説の方のブルー・ムーンも頻度としては正しい方と同じくらいですが、今年はなんと2回あるんですよね。それももうすぐ。3月2日と31日です。その次は、東京オリンピックが終わったあと、2020年10月1日と31日だそうです。
 それにしても、なんで「青」なのか、その理由は分からないままであります。いずれにせよ、ブルー・ムーンは天文現象とは言えません。人間の勝手な暦の中でのことですから。スーパー・ムーンやブラッド・ムーンとは違います。

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2018.01.30

文MON next 115号 「音」

Th__20180131_180434 文さんが送ってくれる冊子、いつも面白いし勉強になるのですが、今号は実にタイムリーな内容でした。
 昨日まで、さんざん「音」に関する記事を書いてきましたよね。そこにこの冊子が来た。テーマはまんま「音」。
 「人間の限りない可能性をみつめつづける人間探究誌」を標榜するこの冊子、いちおう定価300円となっていますが、一般の方は入手可能なのでしょうか。ネットでバックナンバーが読めるといいのですが、それも見当たりませんし、Amazonにもありません。
 内容をいちいち紹介できませんので、目次だけ掲載させてください。

 「自閉症児の優れた音楽資質とニューロダイバーシティ」…正高信男(霊長類額・認知科学者、京都大学教授)
 「静けさ、よい響きーコンサートホールのよい音」…池田覺(音響コンサルタント、株式会社永田音響設計代表取締役)
 「見えない相手に繋がろうとする」…林幸治郎(ちんどん屋、有限会社東西屋代表取締役)
 「カタリの力ー稗田阿礼の『誦習』」…北野達(国文学者、米沢女子短大教授、宮内熊野大社宮司)
 ◎わたしの転機◎「独立自尊の喜び」…鈴木孝夫(言語社会学者、慶應義塾大学名誉教授)
 読み聞かせでお母さんの脳もいきいきー絵本の読み聞かせのひみつ
 KUMONのあるところ◎ケニア
 言葉を覚えるには節をつけて歌に…公文公

 ね、面白うそうでしょ。それぞれいろいろ学びがありました。自分は自閉症児なので、コンサートホールを飛び出して、ちんどん屋になって、世界中を嘘ガタリして歩きたいなあと(笑)。
 そして、なんと言っても、我が心の師匠、鈴木孝夫先生がお元気に自己の人生を語ってくれているのがうれしい。
 そう、私のこの劇的な後半生のスタートは、実は鈴木孝夫先生と飲んだあの日に始まってたのです!あそこから、「会いたい人に会える」人生になっていきました。そういう意味でも師匠です。もちろん「日本語」「日本」についても大師匠ですが。91歳になられたんですね。もう一度お会いしたいです。

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2018.01.29

松田淳一 『指板の真の役割と誤解についてー弦楽器起源からの考察ー』

Th_144012737186521212178 日の続き。
 古今東西、いろいろな弦楽器を演奏する機会があります。
 近代西洋楽器だけに触れている人にとって、主に左手で音程を調整するにあたり、「指板」や「フレット」という概念から逃れるのは難しいところです。
 たとえばヴァイオリンやギターの近代的な演奏法としては、とにかくしっかり弦を押さえなさいということを教える。そうしないと、いい音がでませんよと。
 「いい音」の定義が難しいんですよね。これについていろいろ言い出すとキリがない。ただ、分かりやすいところで言えば、三味線なんかわざと「さわり」を設けてビビリ音というノイズを加えて、「いい音」にします。これなんか、近代西洋の価値観から言うと真逆の行為ということになるでしょう。
 私は和楽器も弾きますし、だいいちヴァイオリン属もほとんど自己流で習得してきましたので、ある意味あんまり近代的な常識にとらわれていません。どちらかというと古いタイプの楽器を弾いていますし。
 たとえば、最近はまっている八雲琴なんか、左手で音程を調整する時、板に押さえつけません。弦は宙に浮いた状態で、そこにパイプ(ボトルネック)を触れさせるか、自身の爪の甲を軽く当てることしかしません。
 それが結果として、弦の長さを変える切断点が、それこそ限りなく点に近づき、いい音が鳴る(開放弦に近い響きになる)。
 ヴァイオリンだと、指の腹で強く指板に押さえつけるのが普通なので、そうすると、どう考えても弦にとっては「さわり」が非常に多い状態ということですね。
 フレットがある楽器においても別の問題が生じます。たとえばヴィオラ・ダ・ガンバのように、フレット上を指で押さえる場合は、やはり指の腹という面がさわりの役割をしてしまいますし、ギターやベースのようにフレットではないところを押さえるのが普通とされる場合は、強く押せば押すほど弦のテンションが上がる、すわなち音程が上がってしまいます。
 その点、昨日のケマンチャや二胡、馬頭琴など、非西洋の擦弦楽器では、「空中運指?」というのがスタンダードなんですね。また爪を使ったりすることも普通にある。
 そんなわけで、私もヴァイオリンの運指にあたっては、いろいろと試してみているわけですが、ヴィブラートのことも含めまして、ユニークな活動をしている大阪音大のヴァイオリニスト松田淳一さんが、実に示唆に富む論文を書いていますので、フツーにヴァイオリンを弾いている方などには、ぜひお読みいただきたい。
 この論文で鋭く指摘されている音程のことも含めて、「いい音」とはなんなのか、教えられた常識や先入観抜きにいろいろ試してみるのが、本当の演奏家なのではないでしょうか。

指板の真の役割と誤解についてー弦楽器起源からの考察ー(松田淳一)

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2018.01.28

モハンマド・レザー・ロトフィのケマンチェ演奏

Mohammad-Reza Lotfi
Th_101ab5001c8c4912ab47346b8e5e1831 日の「イランの子守歌」からの流れ。
 イランはかつてのペルシャ。ペルシャ音楽は奈良時代に日本にも伝わっていました。正倉院に楽器がありますよね。
 また、あのあたりの音楽や楽器が西に行って、ヨーロッパの音楽になりました。ペルシャの音楽の音階は、世界的にも珍しくペンタトニック(5音)を中心とした微分音階ではなく、いわゆるドレミファソラシの7音を基礎とした微分音階です。
 違う言い方をすると、世界に広がった7音の音階の起源はペルシャ付近にあるというのが、私の考え方です。
 そんなペルシャ音楽の伝統を継いでいるのがイランの音楽。イラン音楽といえば、数年前に亡くなった大御所モハンマド・レザー・ロトフィですね。彼はいろいろな楽器を演奏しますが、擦弦楽器であるケマンチェもものすごく上手い。
 いちおう擦弦楽器をやってる者からしますと、やはり、ボウイングだけでなく、左手の音程感覚というか、微調整がすごい。音を揺らすにしても、ヴァイオリニストなどにありがちな、貧乏ゆすり…いやいや、やたらなヴィブラートとは違いますよ(笑)。
 私もケマンチェやってみたいなと思いました。買っちゃおうかな。そんなに高くないんですよね。
 日本では胡弓が同じタイプの楽器です。弓の角度を変えるのではなく、楽器を回す。あるいは、弓は膝で固定して、楽器を揺らして演奏することもある。ヴァイオリン弾きやチェロ弾き、ガンバ弾きには考えられない奏法でしょう。
 また、左手の弦の押さえ方もヴァイオリンなどとは違います。それについては、明日にでも書きましょうかね。
 ケマンチェも最近では金属弦を使うそうですが、これは絹糸でしょうか。シルクロードですから、やっぱりシルクを張りたいところですね。
 もう少し古いタイプの楽器なら自作もできそうです。老後ヒマになったら作ってみましょうか。

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2018.01.27

加藤登紀子 『ペルシャの子守歌〜わたしの花』 (山川啓介作詞)

Th_o0400030013991204357 う1曲、山川啓介さんの知られざる作品を紹介しましょう。
 この写真では、山川さん、「北風小僧の寒太郎」を持っていますね。そう、子ども向けの作品も多く手がけている山川さんです。戦隊もののテーマ曲なんか膨大に書いてます。
 もしかすると、この曲も子ども向けと言えるかもしれません。NHKの「みんなのうた」で放送された曲です。1984年ですから、私が二十歳の時。大学生か。なんとなく覚えていました。
 加藤登紀子さんが歌っています。イラン民謡ということですが、その元歌がなんなのか分かりません。
 ここでの山川さんの歌詞は、なんとも優しくファンタジーに溢れていますね。たしかにリラックスして眠くなります(笑)。
 加藤登紀子さんの歌唱も穏やかで美しい。アニメーションが芝山努さんというのもすごいですね。こういう絵も描くんだ。
 隠れた名曲だと思います。どうぞお聴き下さい。


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2018.01.26

岩崎宏美 『小さな旅』 (山川啓介作詞)

Th_as20170814002058_comml 日も山川啓介作品をどうぞ。ちょうど1ヶ月前に、こちらで大野雄二さん作曲の作品として紹介した「小さな旅」。NHKの「小さな旅」のテーマ曲ですね。
 実は、これの歌詞付きバージョンは山川啓介さんの作詞だったんです。岩崎宏美さんと言えば「聖母たちのララバイ」が山川作品ですが、地味にこの曲も山川さんの手になるものでした。
 この曲の場合、先に大野雄二さんのメロディーがあったわけですが、そこにこういう素敵な歌詞を乗せられるというのが素晴らしい。ま、1ヶ月前の記事にも書きましたとおり、私も「なぜ」のところだけは「なぜ」と作詞していましたけど(笑)。

 1ヶ月前にも紹介しましたが、こっちの方がいいな。岩崎さんもこの頃の方が上手い。

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2018.01.25

スペクトラム 『サンライズ』 (山川啓介作詞)

Inner2_ph001_2 日に続き、昨年亡くなった作詞家山川啓介さんの隠れた名曲を紹介します。
 プロレスファンならスタン・ハンセン選手の入場曲として誰でも知っている…というか、最近では甲子園の応援でも定番になっていますね、イントロが。
 そう、あの超有名なイントロのあとに、こんな素敵な(笑)歌が続いているとは知らない方も多いのではないでしょうか。
 和製EW&Fとも言われた伝説のブラス・ロック・バンドSPECTRUMをご存知ない方のために、まずはインパクト大なライヴ映像をご覧いだだきましょう。

 ふむ、上手い!ブラスもいいが、やっぱり渡辺直樹さんのベースがねえ。ウチの娘も渡辺さんの「ベースのしらべ」で勉強しておりますよ。司会のつのだ☆ひろさんも若いな。共演の映像がないのが残念。
 さて、この名曲のアルバム・バージョンはこんな感じ。スタン・ハンセンの懐かしい映像とともにどうぞ。しかし長い曲だな。

 実は私はこのサンライズのHyper Mixバージョンが好きなんですが、残念ながら音源がありませんでした。最後、リコーダー・コンソートになるところが素晴らしい(笑)。ぜひ探して聴いてみてください。
 今、SPECTRUMみたいなバンドがあったらウケそうだなあ。娘もこういうのやりたい!と言っておりました。やらせるか(笑)。

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2018.01.24

伊東ゆかり 『ふたりの小舟』 (山川啓介作詞)

Th_inner2_ph002 んだかとっても忙しいので、逆にこういう機会を利用して音楽の紹介をします。
 昨年惜しくもお亡くなりになった作詞家の山川啓介さん。山川さんの作詞作品と言えば、矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」や岩崎宏美さんの「聖母たちのララバイ」が有名ですが、もちろんそのほかにも大変魅力的な作品を残しておられます。
 これから数日は、そんな山川さんの隠れた名曲、あるいは意外な名曲を紹介します。
 今日は伊東ゆかりさんの歌った「ふたりの小舟」。この曲の原曲は、こちらで紹介したスコットランド民謡「The Water is Wide」です。いい曲ですよね。
 上に紹介した記事ではブリテンやラターの名編曲も聴いていただきましたが、こちら山川さんの名作詞も素晴らしいですよ。
 原曲に忠実な日本語訳で歌っている人もたくさんいますが、私はこれが好きです。川ではなく海にしたところがまずすごいですね。歌詞はこちらでご確認ください。
 伊東ゆかりさんの落ち着いた歌もいいし、編曲も秀逸。誰の編曲だろう。

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2018.01.23

草津白根山噴火(ほか)

Th_afr1801230056p1 日の大雪から一夜明けて、今度は草津白根山噴火のニュースが入ってきました。
 まさに天変地異。日本の自然環境はある意味厳しい。
 天変地異の地異に関して言えば、今日は草津白根山の噴火だけでなく、アラスカ方面でM7.9の大規模な地震があったり、フィリピンのマヨン山が噴火したりと、環太平洋火山帯が非常に活発に活動した感じがしました。
 そういう意味では、ここ富士山も他人事ではありません。今回の白根山も、あの御嶽山も、ほとんど前兆がなく、登山者やスキー客が被災することになりました。
 地震よりは火山の噴火の方が格段に予知しやすいというのが、学会での常識だったと思いますが、どうもそうとも言えなくなってきました。やはり、自然は人間にとって認知制御可能な「コト」ではなくて、不随意な「モノ」なのだなあと、つくづく感じます。
 ですから、奈良時代の日本語などでは、自然自体を「もの」と呼び、また神霊や妖怪のことをも「もの」と呼んだのでありました。納得ですね。
 我が家は富士山の中腹にあります。かつての噴火口もすぐ近くにあります。いちおう地下シェルターはありますが、いざとなったらそんなもの気休めにもならないでしょう。その時はその時と覚悟して、日々の自然の恵みを享受するしかありません。
 ある意味それが日本人らしい、いや人間らしい生き方なのかもしれませんね。
 フィリピンのマヨン山、ルソン冨士とも呼ばれていました。富士山同様、美しい円錐形の成層火山です。
 比較的活動が活発な火山ですが、今回はその歴史の中でもかなり規模の大きな噴火になりそうです。富士山に住む者として、まさに他山の石としなければならないですね。

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2018.01.22

「もののけ姫」と同和問題 (古谷経衡)

Th_663 日の西部邁さん自死の衝撃が残っています。
 やはり残念です。誰かがツイートしていました。右翼は自死するが左翼は自死しない。殺し合いはするけれど。
 まあそんなに単純な話ではないけれども、人間の命をどう捉えるかというのが、左右を分ける一つの視点であったこともたしかです。
 西部さんが何かの本で批判していた歴史学者網野善彦さんも、若かりし頃は山梨県の山村工作隊の一員でした。
 右、左で言いますと、どちらかというと左と言われる歴史学者網野善彦さん。実は今日は網野さんの誕生日です。生誕90年にあたります。
 私は網野さんについて、このブロクで何度か取り上げてきました。若い頃、網野史観に大変な影響を受けましたからね。また網野さんの甥っ子である中沢新一さんからも多くを学んできました(『僕の叔父さん 網野善彦』参照)。
 実際、山梨県の郡内地方という特殊地域(?)に住み、富士山をめぐる信仰と生活に触れると、網野さんが実際に体験したであろう「普通の歴史」への違和感を感じざるをえません。
 地元の人は、おそらくあまりに日常なので気にならないかもしれませんね。私は外様、マレビトですから、嫌というほど、いや好きになってしまうほど感じています。
 西部さんは、たしか網野さんが「敗戦後、日本という国名を考え直す必要があった」と言ったことに対して怒っていたと記憶しています。網野さんのその言葉は、そのままの意味ではなく、「日本」という国名の成立事情を考慮せず、無批判にそれを受け入れている日本人に対する皮肉としてそう言ったのだと思うのですが。まあ、保守陣営に対する挑戦的な揶揄なんでしょうね。
 私はそんな網野さんの姿勢も好きでした。学会ではずいぶんいろいろと批判されましたが、逆に庶民のレベル、すなわち芸術や芸能、サブカルチャーなどに多大な影響を与えたことは結果として良かった。なにしろ、研究対象が庶民であり、被差別民であり、芸能者であったわけですからね。
 さて、そんな網野史観の影響を受けた作品として最も有名なのは、宮崎駿さんの「もののけ姫」ですね。私も以前、こちらにちょこっと書きました。
 最近メディアで大活躍の若手批評家、古谷経衡さんも、網野史観ともののけ姫の関係について以前語っていました。今日はその動画を紹介しましょう。
 西部さんの死。古谷さんの活躍。保守系批評も大きな転換点を迎えているように感じます。


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2018.01.21

追悼 西部邁さん

Th_2018012100000512san0007view 西部さん、本当に死んでしまったらダメですよ!全然かっこよくないですよ!
 10月22日に死ぬつもりだったけれど、選挙のこともあって死に損なったみたいなこと言ってましたよね。その時、ああこの人は病んでしまったなと思いました。それでもどこかでずっと死に損なってくれることを期待していた。
 そういう意味で裏切られた気がします。悔しいというか、虚しいというか。
 言論は虚しい…最近自虐的によくおっしゃっていましたね。たしかに言論を虚しいですよ。コトは究極的に虚無ですから。でも、肉体としての人間の存在はモノじゃないですか。なのにモノを虚しくしてどうするんですか。
 嫌いではないけれども尊敬をしていたわけでもない。ちょうど西部さんが死のうと思っていた頃に、こんな記事を書いていました。西部さんに反論したいと。
 三島の時代はとっくに終わっています。ごめんなさい、あえて言わせていただきます。かっこよくないです。
 昭和保守は終わりましたね。自死しました。自裁しました。
 いや、終わらせてくれたのでしょうか…。
 昨日ちょうど私は「ホシュ」は「ホシュ」でも「保守」ではなくて「捕手」、みたいなことを書きました。ふざけているように感じられますが本気ですよ。
 左翼から保守へ転向して、そして自ら命を絶つ…そういう時代ごと全部終わりにするつもりだったのか。それとももっと個人的な決断なのか。
 死者に対して失礼と知りながら、あんまり悔しいので書かせいただきます。やっぱりコトにこだわりすぎた。西洋の言葉遊びをしすぎた。そういう意味では、全然保守ではなかった。そういうことでしょう。
 数年前にこちらでも、私はちょっとした批判を書いていました。それこそ庶民の独言レベルですけれども。
 実はここ数日、西部さんの出演している動画をいくつか見ていたんです。お風呂でウトウトしながら話を聴いていた。軽い調子で今日の自裁を予感させてるようなこと言っていましたが、あんまり軽い調子なので、ああこの人は結局死なないなと思っていました。そんな矢先、私のある種の期待を裏切る行動に出るとは。

 多摩川、丸子橋のあたりと言えば、私が少年時代を送った場所。そして、丸子橋と言えば、5年ほど前に牧伸二さんが同じく78歳で自裁した場所です。
 西部邁さんと牧伸二さん。お二人とも78歳になって何に「やんなんちゃった」んでしょうか…。
 ご冥福をお祈りするしかありません。日本は、日本人はまだまだ頑張りますよ。あちらで見ていて下さい。

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2018.01.20

『太平洋戦争の大嘘』 藤井厳喜 (ダイレクト出版)

Th_book コウヨ(笑)、いやいや国際政治学者で未来学者である藤井厳喜さんの「ワールド・フォーキャスト」を定期購読しています。
 メインストリーム・メディアの情報では知ることのできない世界の動きは、藤井さんのこのワールド・フォーキャストと、高城剛さんの「Future Report」で勉強させていただいております。
 トランプさんが「フェイクニュース」という言葉を流行らせましたが、たしかに日米、またヨーロッパの大手メディアはかなり偏っていますね。
 そういう意味では、学校で教えている歴史、日本史も世界史もかなり偏っていますね。
 今、上の娘が大学受験真っ只中で、楽しそうに世界史を勉強しています。いろいろ暗記している横から、私や家内が、藤井さんや高城さん、そして仲小路彰から学んだ、裏の(真実の)歴史の話をするものだから、余計にドキドキ・ワクワク、そしてイライラ?しています。ま、たしかに大学入試には出ないだろう話ばっかりだからなあ(笑)。
 しかし、そのおかげもあってか、全く興味がなかった世界史に異常に興味が出てきてしまったらしく、ついには大学は史学科に行きたい!とか言い出しました。大いにけっこうだと思います。
 うん、やっぱり受験勉強っていいですね。安易に推薦とかもらわなくて良かったと本人も言っています。ま、ウチはもともと推薦禁止という変な家だったのですが。
 私は、世界史の勉強挫折した派なので、娘が代わりにこうして勉強してくれると助かります。聞けばすぐ答えてくれるんで。教えてもらえるわけです。
 さてさて、この藤井さんの最新著作「太平洋戦争の大嘘」も、普通の教科書には書かれていないことばかりが書かれています。しかし、非常に読みやすく、世界全体を俯瞰して見えてくるストーリーが、すんなり頭に入ってきます。
 太平洋戦争というネーミング自体がフィクションであるわけですが、たしかに戦後の教育というか洗脳は強力でした。私もずいぶん毒されていましたが、不思議なご縁から裏の歴史、真実の歴史(もちろんそれらも歴史の一側面でしかないわけですが)を知る機会があり、今ではそれなりにバランスよく過去、現在、未来を見ることができるようになっていると思います。
 この前書いたとおりワタクシは、右翼(ライト)でもなく左翼(レフト)でもなく、全体を見渡す捕手(ホシュ=キャッチャー)を自認しておりまする。
 この本の具体的な内容についてはこちらでご確認ください。
 それにしても、コミンテルンはすごいですね。昨年はロシア革命から100年。今月はロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国の実質的な建国から100年の月。来年はコミンテルン誕生から100年です。
 コミンテルンは表面的には1943年になくなっているはずですが、実際には今でも大きな力を持っている、あるいはその亡霊の影響はいまだに残っていると言えます。
 仲小路彰も自らの人生を共産主義(コミンテルン)との戦いであったと回想していたそうです。たしかに、日本の天皇制は最も共産主義と相容れないモノですよね。
 第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争…それぞれ視点から見て、そして未来的な視点から見て、はたして「勝者」は誰だったのか。私は今年その答えが出ると思っています。そう、明治維新以来の150年戦争終結の年ですからね。
 この藤井さんのご著書、今なら送料だけで読むことができます。出版元のダイレクト出版さんは、独特の商売をしている会社です。私も上述の「ワールド・フォーキャスト」を購読しています。ネット時代の出版のあり方を示してくれていますね。
 この本を送料だけで提供しているのも、もちろんその先にネット番組の購読を期待してのことですが、まあたしかに藤井さんの提供する最新の情報はそれなりの価値があると思います。
 かつては違う方の違う番組を購読していましたが、あまり価値が感じられなかったので解約の電話をしたら、二つ返事ですぐに返金してくれました(契約後30日以内)。あっけないくらい。これもまた新しい商売のしかただなと感じました。


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2018.01.19

小室哲哉さん引退について

Th_2018012100000098spnannex0002view 春砲によって、一人の天才の音楽が聴けなくなりました。
 私はTKの音楽はあまり好きではありませんでしたが、それでも日本の音楽界に多大な功績と影響を残した彼が、こういう形で引退してしまうのは残念です。
 世の中がより高い倫理性を求めるようになったのはいいことです。それもそれなりの立場にある人たちが、庶民を先導する形で、そのような精神性を持つようになるのは悪いことではありません。
 しかし、一方で、このように大手メディアが庶民のバックアップを受けて、庶民でない特別な功績を残した人を、ある意味抹殺してしまうことには、少なからず抵抗があります。
 というのは、私も含めて庶民の感情や言説、特に非庶民に対する批判の根底には、凡夫ならではの「嫉妬心」があるからです。
 21世紀に入って、弱者たる庶民が、たとえばSNSという自由な言論の場を得て、自らのことは棚に上げて、あるいは庶民という匿名性を盾にして、感情的な言葉をもって非庶民を総攻撃する(もちろんその逆の立場の言説も同数近くありますが)という状況が生まれました。
 これには当然良い面もあったわけですが、私の意地悪な視点からすると、共産主義の悪い点、すなわち下克上的革命思想や過剰な平等主義の表れにも見えてしまいます。
 そのあたりについて、私たち庶民はもっと冷静であるべきだと思います。政治家や芸能人、そして教師などに対しての熱狂的とも言えるバッシングのほとんどが、私たち庶民からある権利や利益を奪っているようにしか見えません。
 まあ、庶民なんて言葉をある意味階層的に使っている時点で、私もバッシングの対象になってしまうんですけどね(苦笑)。
 1年とちょっと前の、小室哲哉さんのこのインタビューをぜひ観て聴いていただきたい。彼が未来に創造しようとしたモノは、もう手に入りません。

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2018.01.18

追悼 夏木陽介さん

Th_que12100881957 た昭和の男が一人旅立ちました。
 私の世代ですと、パリダカで三菱チームを率いているイメージがあるはずですが、私はたまたま大学時代に深夜の再放送で「青春とはなんだ」にはまっていたので、やはり野々村先生の熱血イメージが強烈です。
 「青春とはなんだ」は昭和40年から41年にかけての放送です。つまり私は1歳か2歳ということで、全くリアルタイムではありません。高校を卒業したばかりの大学生の私にとっては、前時代の、ある意味古き良き時代の高校の風景という感じでした。それが新鮮だった。
 実は、一緒にはまっていた友人と、「これって山梨ロケじゃない?」と予感し、番組をVHSビデオに録ってですね、いろいろなシーン、たとえば商店街の風景なんかを分析したんですよ。あと、山の形とか。
 結果、これは山梨県の勝沼や塩山の付近じゃないかということになり、車でロケ地探しをしたりしました。駅は勝沼駅、駅前の商店街のシーンは塩山駅付近と特定できました。
 学校のシーンは、塩山高校か日川高校かなと当時は思っていましたが、今、インターネットで調べると、日川高校だったようですね。まあ、ラグビーですからね。
 夏木さんがメインではありませんが、この動画を観てください。原作は石原慎太郎さん。役者陣もすごいですね。

 う〜ん、背景の山の感じだと、塩山高校ではないかとも。ビデオを引っ張り出して観てみようかと思います。
 何年か前に、BSで同窓会的な番組をやっていました。山梨の勝沼付近にもいらしていました。相変わらずダンディーでお元気そうだったのに、とても残念です。

 ご冥福をお祈りします。青春よ永遠なれ!

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2018.01.17

天災は忘れた頃にやってくる…阪神淡路大震災から23年

Th_mig 年も1月17日がやってきました。
 23年前の今朝、あの兵庫県南部地震が発生しました。直下型M7,3、最大震度は7。
 テレビに映し出されたあの光景は忘れられません。地震でお亡くなりになった方々のご冥福をあらためてお祈りいたします。
 1995年は大変な年でした。1月に震災、3月に地下鉄サリン事件。言うまでもなく、1995年は終戦から50年という特別な年だったのですが、前半にあまりに大きなことがあったため、なんとなくその印象は薄くなってしまいました。そういえばテレサ・テンさんも前半に亡くなりましたね。函館ハイジャック事件も6月でしたっけ。
 そして、偶然と言われれば偶然なのですが、阪神淡路大震災も東日本大震災も、非自民政権時代に発生しています。
 村山政権は自社さ連立政権ではありますが、なにしろ社会党党首が総理大臣でしたからね。本来の自民的なモノからは大きくかけ離れていたことは事実です。
 今、モノと書きましたが、自民党はモノを鎮める「まつりごと」を重視しており、自社さ政権、また民主党政権の時はそれが疎かになってしまったとも言えましょう。
 それこそ唯物論的には、まったく非科学的な因果関係でありますが、私はどうしても唯物論者にはなりきれません。
 特に、先述したように1995年が終戦から50年という節目の年だったというのに、そうしたモノ(たとえば「霊」)をしっかり祀らなかったというのが問題だったのではないでしょうか。
 もちろん村山富市さんは今も昔も靖國神社を参拝しません。最近も安倍さんの靖国参拝を「売国行為」と批判していましたね(苦笑するしかありません)。
 もうお気づきかとも思いますけれども、実は東日本大震災の起きた2011年は真珠湾攻撃、すなわち大東亜戦争(太平洋戦争)開戦から70年の年でした。言うまでもなく、民主党政権時代であり、モノ(霊)に対する「まつりごと」は疎かになっておりました。
 私は自民党の全てを肯定する立場では、もちろんありません。しかし、モノを祀る仕事は天皇だけにまかせておいていいものではありません。
 そういう「まつりごと」を、国民の統合のもとにしっかり行っておれば大難は小難となる、小難は無難となるというのが、日本の歴史そのものであったと思います。
 はたして、今の日本はどうでしょうか。自民党はどうでしょうか。そういう視点で世の中や人間や自然を見ることも大切であると信じます。
 「天災は忘れた頃にやってくる」という時の「忘れる」対象とは、天災そのものではなくて、もしかするとそういう大切な「モノ」のことなのかもしれません。


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2018.01.16

告知! 2/11『洋館サロンで味わう テレマン~管と弦の競演』

 校生の進路指導などでなんとも忙しい日々を送っています。
 そんな生徒たちの「本番」の盛りに、私も「本番」を迎えます。たしかこの日は娘もどっかの大学を受けに行くはずです。
 高3の娘は、私の娘ですから(笑)、本番を楽しむ術を覚えております。まあ、ジャズで鍛えられたというのもあるでしょう。
 私も、娘に負けないように本番を楽しみたいと思います。私の本番は、恒例の「横濱・西洋館de古楽」のコンサート。大好きなテレマンをたっぷり演奏させていただきます。
 特に、錚々たるプロのお三人と一緒に演奏させていただく4つのヴァイオリンのための協奏曲は、とっても楽しみです。

Fly751


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山手バロッコ公式

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2018.01.15

ブクステフーデ 『トッカータニ短調』・『プレリュードニ短調』

 ンター試験の後始末でバタバタしております。
 ということで、今日もブクステフーデ翁におまかせします。
 一昨日、昨日と、大バッハが影響を受けたであろう名曲を紹介しました。今日も2曲オルガン曲を紹介します。
 偽作とも言われますが、バッハの代表曲として人気の「トッカータとフーガ」。原曲が無伴奏ヴァイオリンのためのものだという都市伝説もあります。まあ、たしかにバッハの作品にしてはちょっと薄っぺらいですよね。
 もしかするとバッハ以外の誰かの作品かもしれませんが、いずれにせよ、当時最も有名なオルガニスト、作曲家であったブクステフーデの影響があったことは間違いありません。
 私は次の2曲が特に「トッカータとフーガ」に影響を与えたと思っています。
 まずはトッカータニ短調。それこそ「トッカータとフーガ」のトッカータ部分と似ていますよね。
 

 「トッカータとフーガ」のフーガのテーマの原型は、次の前奏曲にちょっとその姿を垣間見ることができます。

 イタリアで発達した即興的な楽曲トッカータが、ゲルマン人によって、いかにもそれらしく進化していく過程が分かりますよね。バッハによって、それは異常に(過剰に?)完成したのであります。

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2018.01.14

ブクステフーデ 『パッサカリアニ短調』

 れも以前どこかで紹介した気がします。今日も受験指導に忙しいので、昨日に続き、ブクステフーデさんの名曲を一つ。
 パッサカリアニ短調。これもバッハに大きな影響を与えていますよね、ぜったい。
 いかにもブクステフーデらしい、同音や同音型の反復がなんとも魅力的。この曲をヨーロッパの教会で生で聴いてみたい。私の夢です。
 今日の動画は、そんなブクステフーデらしい音型が視覚的によく分かるものです。
 バロック音楽は視覚的にも楽しめますね。
 楽譜を見ながらお楽しみいただくには、こちらの動画がいいでしょう。上の動画では、音楽が向こう(未来)からやってくるというのがよく分かりますし、下の楽譜では、私たちがその記録を過去から未来へ向けて、つまり逆転させて再生しているのが分かります。

 一度、これを弦楽四重奏編成で演奏したことがあります。それもまた楽しいですよ。楽譜はこちらにありますよ。

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2018.01.13

ブクステフーデ 『アリア「カプリッチョーサ」と32の変奏』

 センター試験1日目。今年は娘も受験するということもあり、なんだか忙しくしております。まだ国語の問題も解いておりませんので、レビューはまたのちほど。
 時間がないので、名曲紹介をします。
 以前に紹介したかもしれませんが、新しい演奏動画があがっていたのでもう一度。私の好きなチェンバロ曲の一つ。
 おそらくはバッハがゴルトベルク変奏曲を作曲する際に影響を受けたのではないかと思われる、大先輩ブクステフーデさんの変奏曲です。
 このテーマは当時有名だったのでしょうかね。とってもチャーミングなテーマです。それを32の変奏に展開させていますが、バッハのような小難しさはなく、各変奏曲もまさにチャーミングそのもの。
 変奏曲は飽きられないようにするのが難しい。実際、バッハのゴルトベルク変奏曲は不眠症解消のために作曲されたとか(つまり眠くなる)。
 このブクステフーデの変奏曲はその点大変優れています。様々なアイデアを盛り込みつつ、それらがバランス良く配置されていて、全体として飽きることなく聴くことができます。
 バッハの半分くらいの長さというのもちょうどいいのかな。
 この動画の演奏家は知らない方ですが、とても誠実かつセンスの良い演奏してますね。
 あまり目立ちませんが、時々現れる偽終止の和音進行がたまりませんね。胸がキュンとします(笑)。
 なぜか私、この曲の楽譜を持ってるんですよ。もちろんテーマくらいしか弾けませんが。チェンバリストのみならず、ピアニスト、オルガニストにとっても、素敵なレパートリーになると思いますよ。抜粋版で弾いてもいいですし。

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2018.01.12

iOS版 『日本語大シソーラス−類語検索大辞典』 (ロゴヴィスタ)

20180113_83200 日の日国に続き、結局購入してしまいました。
 このシソーラスのすごさについては、13年前、書籍版が出た時に書きました(こちらの記事です)。
 それ以来、いろいろなシーンでお世話になってきました。特に短歌を始めてからというもの、このシソーラスからはずいぶんいろいろな言葉を教えていただきました。
 書籍版もパラパラめくる楽しみがあるのですが、なにしろ大冊なので持ち運びはできません。学校の図書なので、基本学校でしか使えませんでした。
 しかし、パソコン版が出て、そしてこのiOS版が出まして、本当に「携帯」できるようになったのです。
 もともと、編者の山口さんも言っているとおり、この大偉業はデジタルとの親和性が高いものでした。iOS版を使ってみて、本当にそうだなと再確認しているところです。
 特に、昨日購入してた日国と連携させて、語義をすぐに調べられるのがいい(カーソルで語を選び共有から日国を選ぶだけ)。これは紙の本ではありえないことです。
 そう、書籍版のたった一つの欠点は、語義を調べるのに別の辞書を引っ張り出す必要があったことなのです。
 紙の本の良さもたしかにありますが、たしかに日国やこのシソーラスのような大冊に関しては、携帯性はもちろん、その使い勝手、機能の豊富さからしても、圧倒的にデジタルの方が優れています。
 実際、辞書の中身、すなわち人力で集められたデータたちが、その能力と魅力をより発揮するために、それらの間の見えないご縁を作るという意味において、やはりデジタルは非常に優れた機能を持っているということですね。
 短歌を作るのは、案外出先ということが多い。ですから、そんな時、このシソーラスと日国で、私も私の人知を超えた言葉たちのご縁を頂戴しようと思います。
 そういうのを「ずるい」と感じる人もいるようです。自分の能力じゃないんじゃないかと。いや、もともと自分は自分ではありませんから。縁起しているのですから。

iOS版 『日本語大シソーラス−類語検索大辞典』

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2018.01.11

iOS版 『精選版 日本国語大辞典』 (物書堂)

Nds_200x200 当に最大にお世話になっております。物書堂さん。
 最近では、私がほそぼそと、しかし骨太に使い続けてきた名ワープロソフト「egword Universal 2」を10年ぶりに復活してくれるという夢のようなプロジェクトを始動してくれました。
 これで、私が二十年以上かけて蓄積してきた膨大な学校関係の書類データが生き残れることになりました。本当にありがたい。おかげさまで、学校に新規に導入した最新のMac環境でもアルファリリース版を使えるようになりました。あらためてその洗練された便利さ、動作の軽さを痛感しております。
 そんな夢を実現してくれつつあるのは、ちょうど10年前の「今までありがとう egbridge & egword そして…これからも」という記事にも登場している神様仏様、開発者様である廣瀬さんです。
 廣瀬さんが立ち上げた物書堂は、特に日本語の美しい表示にこだわったアプリを多数開発してくれています。
 そうした中で、本当に快適に、ほとんど快感に近いイメージで使わせていただいているのが、「精選版 日本国語大辞典」です。
 仕事柄、そして趣味柄、日国は必需品。もちろん書籍版も持っていますが、職場ではジャパンナレッジさんでオンライン版を10年間使ってきました。
 しかし、iPhoneでは検索できないなど、いろいろ不便なこともあったので、今日思い切ってこの物書堂さんのiOS版「精選版 日本国語大辞典」を購入しました。
Th_vertical そう、実は今日買って、ずっといじっていたんです。もちろんいろいろ調べることがあったからですが、調べれば調べるほど、どんどんハマっていく。そして、脳みそが活性化していく。そういうアプリなんです。本当に使い勝手がよい。そして、美しい。
 精選版でもほとんど不自由はありません。精選版といっても項目数は約30万。必要十分です。文例も豊富なまま。そしてインデックスが楽しい。日本語マニアにはたまりませんね。
 なぞってジャンプ機能や、他のアプリ、ブラウザなどからの直接検索、手書き入力なども、書籍版では考えられない便利さです。
 iPhoneのアプリが7800円。これは普通に考えると「高い!」ということになるでしょう。しかし、書籍版が45000円以上ということや、ジャパンナレッジ版では月々1620円(完全版ですが)払い続けなければならないことを考えれば、先ほど書いたデジタル版ならではの利便性もあり、めちゃくちゃ安いと思います。
 なんとなく、この歳になって、また新しい日本語たちにたくさん出会える予感して、それこそ年甲斐もなくドキドキしております(笑)。
 こうなると、書籍版でお世話になっている日本語大シソーラスもほしくなってしまう…買っちゃいそうだな(笑)。

精選版 日本国語大辞典


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2018.01.10

『教職課程ー教職はブラックか』 (協同出版)

Th_51h4k8xdeul 僚に借りて読んでみました。ふむ、教職はブラックなんだ。へえ。
 世で言う「ブラック」とはなんなのか。その定義がまずあやふやです。だから「ブラック」なんていう外国語、イメージ語を使うわけです。
 私のイメージとしてのブラックについては、半年くらい前に「ブラック」はお好き?という記事に書きました。
 今は少し考え方が変わっているところもあるのですが、店頭から完全にブラックコーヒーが排除されることには、やはり反対です。少数派のために残しておいてくれ。
 で、教職はブラックか、についての答えですが、やはり、世間的にはブラックに映るでしょうね。しかしですね、こういう言い方をするとお叱りが飛んできそうですが、私個人としては教職につく人は、ある程度ブラック好きであってほしいのです。
 少なくとも、普段はマイルドコーヒーを飲んでいても、いざという時にはブラックコーヒーを飲める人であってほしい(笑)。
 どんな仕事でもそうですけれども、やはり「人のため」を実践するには「自分のため」をガマンしなければならない。つまり、自己を犠牲にするしかないじゃないですか。
 その自己を犠牲にすることをブラックというのなら、やはり教職はブラックだということになると思います。
 ちょっとシャレて言うなら、「教職は(今以上に)ブラック化」するのはまずいけれども、基本路線「教職はブラック可」だということです。どうでしょう。
 ちなみにウチは私立です。昔はですね、私立の先生は公立の先生の3倍仕事してるなんて言ってましたが、今は逆転してますね。いや、私立の先生が働かなくなったんじゃないんです。公立の先生が忙しすぎる。特に小中の先生方。
 管理が進んで、いろいろな会議や研修、発表など、まあその準備や後始末に忙しそうです。直接生徒に関わるわけではないことに忙しい。もちろん間接的には生徒のメリットになっているのでしょうが。
 ただ私立にもですね、ある種の管理が進みつつあります。表面的、つまり民間企業組織としての体裁であったり、法的な部分に関して、今までは教育はある意味グレーな領域だったのが、それこそ白黒はっきりさせるようになってきた。
 ついでに世間の目も厳しくなってきていますので、そういう意味での仕事が増えていることはたしかです。
 それでも、あんまりブラック、ブラックって言ってほしくない。貴重な人材が逃げてしまいます。いや、それでも教員になろうとする、ブラック好きが集まるようになるからいいのかな。

Amazon 教職課程ー教職はブラックか

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2018.01.09

『あまりに呑気で危うい日本のエネルギー事情』

 ず最初に書いておきましょう。何度も言っているとおり、私は「ワシは原発には反対の賛成なのだ!」という立場をとる人間です。
 そのことをご理解いただいた上で、上の動画を御覧ください。非常に勉強になると思います。知らなかったことがいかにたくさんあるか。
 エネルギー問題は、そのまま広い意味での国家の安全保障の問題だと思っています。
 このエネルギー大量消費社会においては、どんな方法であれ一定のリスクを背負っていかなければなりません。
 世界的、長期的に見て、はたしてどのリスクをとり、どのリスクを回避、排除すべきかを、私たちは真剣に考えなければなりません。もちろん、単なる好き嫌い、感情論、利己主義で論じてはいけません。
 誤解を恐れずあえてたとえれば、国家のエネルギー問題というのは、個人の食の問題に近いものがあります。個人の食の問題もエネルギー問題ですよね。
 食に関しても、私たちはずいぶんと贅沢になっています。たとえば江戸時代の庶民の食事に戻れるかというと難しいでしょう。
 結果として、食料自給率は非常に低く、多くを輸入の食材に頼っています。もしそれが絶たれたら…国家のエネルギー問題と同じですよね。
 一方、健康志向や自然志向で食にこだわる人もいます。同様に、国家のエネルギー問題、たとえば発電方法についても、いろいろな趣味、嗜好があるようです。原発はなんとしてもイヤだという人もいれば、原発もやむを得ないのではないかという人もいる。食(農業)における農薬や遺伝子組み換えに対する姿勢と似ていなくもない。
 個人の問題は、個人それぞれが自分の責任で決めればいいことですが、国家のエネルギー問題となると、ある程度の「総意」を形成しなければならない。今、そういう段階であると思うのです。
 たとえばこの動画のような事実も知らなくては議論できません。食の趣味のレベルではダメなんですよね。
 そして、理想と現実というのがある。私の「反対の賛成」なんか、まさに理想と現実を両方語っているわけですね。どっちはっきり知ろではなくて、未来的にはこういう方向性だけれども、それが実現するまでは、とりあえずある種のリスクをとると。
 繰り返しになりますが、食にせよ、エネルギー問題にせよ、私たち人間が生きる源の話ですから、単なる好き嫌い、感情論、利己主義は避けなければなりませんね。
 命に関わることとなると、人は一生懸命なあまりに視野狭窄に陥ります。脳みそがそのようにプログラミングされている、すなわち進化してきたのでしょうから、ある意味しかたありません。
 しかし、それが結果として、自らの命を危険にさらすこともあります。そのことに気づき、まずは違う考えの人たちの意見をしっかり冷静に聞きたいものです。

日本エネルギー会議
 

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2018.01.08

洗って繰り返し使える 粘着クリーナー

Th_61mr6ujulql_sy355_ 日も軽めの買い物レビュー。
 ウチは猫が6匹もいるので、家の中がめちゃくちゃ毛だらけです。
 毎朝、4人でコロコロの奪い合い。
 しかし、結局服に毛をつけたまま車に乗るので、車の中も毛だらけ。車にもコロコロが常備されているけれども、もう正直キリがありません。イタチごっこならぬ、ネコごっこ。
 そういえば、あのコロコロを「コロコロ」と呼び始めたのはいつ頃からでしょうかね。今では商品名にまでなっていますからね。
 正式名称はたぶん「粘着式クリーナー」だと思います…とか考えていたら、なんと公式コロコロHPがありました!
 ふむふむ、1985年なんですね、「コロコロ」が商標登録されたのは。ニトムズさんの商標なんだ。
 擬態語がそのまま商品名になるのは、ガリガリ君とか…ん?これは擬音語かなあ。
 電子レンジで温めることを「チンする」なんていうのも、ある意味日本語独特ですよね。
 コロコロ転がるものは無数にあったわけですが、その「粘着式…」というお硬い名前と、手軽な使用感や親近感とのギャップを埋めるのにこのコロコロはちょうど良かったということでしょう。
 さて、その粘着テープ式のクリーナーは、やっぱり粘着テープなので、どうしても消費が激しく、そして、そのたびにゴミが出ることにもなります。おかげさまで、私の車はテープの残骸だらけ(笑)。
 そこで、久しぶりに、テープ式ではないものを買ってみました。これも昔からありまよすね。同じ粘着式ではありますが、テープ式ではありません。
 実際最初はものすごくよく毛やゴミが取れますね。ただ、問題はそれを数回やって粘着力がなくなった(つまり)
 洗えば粘着力が戻るのですが、いちいち洗うのも面倒ですし、乾かさなければならないので、洗ってすぐに使えるわけではない。ですから、我が家のような状況なら数本用意しておくべきなのかもしれません。
 小さい方はカバンに入れています。これも時々洗う必要があります。いざという時使えないのではどうにもなりませんからね。
 そう考えるとですね、ゴミが出てしまうテープ式でもなく、洗わなければならないこういうタイプでもない、つまりゴミも出ないし洗わなくてもいいコロコロを開発したら、これは売れるでしょうね(笑)。さすがに難しいか。
 この商品、あんまり耐久性には期待できませんが、まあたしかに安い。安いということで、洗うことも考えて、これを10個くらい買って、そこらじゅうに置いておきましょうか(笑)。

Amazon 洗って繰り返し使える 粘着クリーナー コロコロクリーナー ローラークリーナー

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2018.01.07

Makino 2way登山用パンツ

Th_51pdykxtdl_ul1500_ 近ようやく自分で自分が着るものを買うようになりました(笑)。別にオシャレに目覚めたわけではありませんが、年をとってきた分、逆にちょっと派手めな服を着たくなってきました。
 で、夏前に買って大変重宝しているのがこのパンツ。登山用となっていますが、普段着として非常に快適です。
 まず腿の部分にあるファスナーによって裾が着脱でき、つまり長ズボンにも半ズボンにもなるというのが良い。実際、夏の暑い盛りは半ズボンとして履いていました。
 そして、今、めちゃくちゃ寒いこの季節には、インナー(ヒートテック的なももひき)の上に、長ズボンとして履いています。
 素材が軽くて、そして伸縮性が高いので、たしかに登山やちょっとした運動の際にも足への負担が少ない。
 さらに速乾性が非常に高く、洗濯後や雨で濡れたあと乾くのがとても早い。
 私はネイビーを買いましたが、なかなか個性的な色合いで気に入っています。オシャレ着とも言えるかも。
 あと、これは我が家ならではのことですが、猫の毛がつきにくくて良い(笑)。静電気が起きにくいんでしょうかね。
 実は半額くらいの似た製品も買ったのですが、やはりいろいろな部分にわたって、このマキノの製品にはかないません。
 1年通しての家着として数本持っておいて損はないですよ。もちろん登山やトレッキング、ジョギングなどが趣味の方にもおススメです。

Amazon (マキノ)Makino 登山用パンツ 吸汗 速乾 ストレッチ 2way 薄手 コンバーチブルパンツ 登山 トレッキングパンツ 春 夏 秋

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2018.01.06

たけしの教科書に載らない日本人の謎 『日本語』

 ょっと古い動画ですが、ぜひご覧いただきたいので。
 いつのまにか、この「たけしの教科書に載らない日本人の謎」シリーズ、なくなっちゃいましたね。面白かったのですが。
 教材としていいんですよ。国語史、日本語史って、なかなか中高の授業では教えられない。現代語と古語が断絶しているので、教科としての古文が外国語のように感じてしまう。その溝を埋めるのに、この番組はいいですね。
 私たちが使っている現代日本語の成立過程がよくわかりますね。
 私の専門は国語学(今風にいうと日本語学)。実は今日、中学校の推薦入試があったのですが、その国語の問題は、いつものにように私が本文を書きました(今年はちょっと事情があってここに掲載できません)。
 内容は「漢字」についてでした。なぜ漢字の勉強をしなければならないか、なぜ近代において漢字がなくならなかったか。
 漢字の受容については、それこそこの番組がわかりやすい。近代において、漢字廃止論があったことには触れられていませんけれども。
 こういうとっつきやすい教養番組というのは、テレビ、それも地上波民放ならではですよね。ある程度、お金と時間をかけて、ある程度の芸人さんらを使って、難しいこと、硬いことを柔らかく伝えるということに関しては、ネットでは難しいのではないでしょうか。
 ちなみにこの動画に関するコメントが面白いので、ぜひ YouTubeのページ でご覧ください。神代文字とかね。あった、なかったという単純なものではありませんよ(笑)。

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2018.01.05

【平成30年 新春特別対談】加瀬英明氏に聞く

 年新春には楽しみにしている保守系論客の対談。今日、まとめて拝見、拝聴しましたが、一番共感したのは加瀬英明さんと水島社長の対談でした。
 まず、明治維新から150年ということで、今年は新たなご維新の年になるという点。ただし、憲法については、私は加瀬さんとは違う考え方です。呪いだなんて思っていません。
 国士舘大学でのシンポの話はいいですね。いつまでも東京裁判やWGIPの話でブツブツいっているのは、韓国の「自虐史観(被害者史観)」と同じだというのは、私はまったく同感です。
 私が高城剛さんとのラジオ対談で言った「保守派の自虐史観に対する憂いこそ自虐史観」というのと通じます。
 しかし、六法全書の冒頭にアメリカの独立宣言が載っているというのは知らなかった。なんなんでしょうね(笑)。
Th_02610742 さて、最も心に響いたのは、加瀬さんの御父様のエピソードですね。
 ミズーリでの降伏文書調印。その時加瀬さんの御父様加瀬俊一さんは、重光葵外務大臣の隣で調印に立ち会いました。
 左の写真ですと、二列目右から二人目が加瀬俊一さんでしょうか。ちなみにその隣、真ん中にいるのは、富岡定俊海軍少将。
 何度か書いてきましたが、富岡の実質的ブレーンは仲小路彰でした。この動画で加瀬さんが御父様の言葉として語っている「戦闘には負けたが戦争には勝った」というのは、まさに仲小路彰の思想そのものです。おそらく、富岡を通じて加瀬俊一さんにも仲小路の歴史哲学が伝わっていたのでしょう。

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2018.01.04

渋沢栄一 『道徳経済合一説』

 日の話にも通じます。明治維新以来の150年戦争とは、軍隊による戦闘を表しているわけでないことは、皆さまもよくお分かりのことと思います。
 たとえば、資本主義市場経済というのが輸入され、それが根ざす個人の功利主義と、それまでの日本人が商いに抱いてきたある種の道徳観、利他主義との闘いという一面もあります。
 そういう意味で、私たちはその150年戦争の前半にもいろいろ学ばなければなりません。たとえば、「日本資本主義の父」とも言われる渋沢栄一が、どのように内外、東西を自己と社会の中で融合、止揚していたかを、今知ることには豊かな価値があります。
 「仁義道徳と生産殖利は全く合体する」…はたして、現代の経済人たちはこのような高い視点で活動しているでしょうか。
 全体通しても10分あまりのものですから、ぜひお聴きください。
 大正12年6月ですから、翁は83歳ですね。大変重みのある言葉です。

 第一次世界大戦バブルが終わり、このあと関東大震災があり、そして昭和恐慌へと向かっていく時代。そう、150年戦争の折り返し点昭和18年に向かって、ある意味日本は破滅の道を歩むことになっていきます。
 第二次世界大戦ももちろん各国の経済的な事情から起きた戦争です。というか、全ての戦争は経済戦争、もともとは食べ物の取り合いです。
 その最悪の状況が昭和18年を中心とする太平洋戦争時代だったということです。私たちは、その悲劇から何を学び、何を未来的に創造しなければならなかったのか。
 世界経済を牽引した資本主義市場経済も、150年を経て今岐路に立っています。道徳と経済の合体こそ、私たち日本人に特別に与えられた課題なのかもしれません。苫米地さんの言う「哲学の輸出」とは、そういうことも含まれているのではないでしょうか。

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2018.01.03

『真説・国防論』 苫米地英人 (TAC出版)

Th_71dkekdyoal 年の一冊目はこれ。
 最近、自分の意識がずいぶん変わったなと思います。人にも言われます。リベラルになったねと。
 自分の中では、別に右から左に守備位置が変わったとは思っていません。かと言って、中堅でもない。あえて言うなら、保守ならぬ捕手(笑)。全体がよく見えてきた。
 そんな中で、この苫米地博士の国防論はまさにタイムリーヒットでした。
 あえて捕手の立場から言わせていただくとですね、ライトもレフトも基本75年前の感覚なんですよね。憲法改正を叫ぶにも、戦争反対を叫ぶにも。
 今年は明治維新から150年。ようやく150年戦争が終わる年です。まだ我が国は戦争が続いているんですよ。それを今年中に終わらせなければならない。
 75年前というのは、その150年戦争のど真ん中。昭和18年です。そこが一つの折り返し点であることはよくわかりますよね。
 いまだにあの頃の戦争論にしばられている。時代はあまりに変わっているのです。もうすぐゴールなのに、まだ折り返し地点のノスタルジーに縛られている。
 そんな数字あそびに意味などあるのかと言われそうですが、意味があるのです。偶然なのか必然なのかわかりませんが、意味を見出すことは簡単です。
 たとえばこの本を読んでみてください。日本が今、世界史の中でどういう立場にあるのか。北朝鮮がどうのこうのというご近所だけの話ではなく、地球を俯瞰して、未来的にどういう立ち位置にいるのか。
 苫米地さんは宇宙人ですから(!)、常に地球を俯瞰しています。だから、ある種のトンデモ臭がする。私もちょっとそういうところがあって、ある種の人たちからはずいぶん煙たがられています(苦笑)。
 大いに結構だと思います。トンデモな感じがなく、とっても常識的だと、未来は切り拓けません。常識は過去の記憶の集積でしかありませんから。
 それにしても、苫米地さんの人脈というのも面白いですね。情報網がすごい。そして、それをこうして、ある意味常識的な方法で発信してしまうから、なおすごい。
 彼の仏教論なんかもそうですが、誰も反論できないんですよね。反論できないから、トンデモという言葉で片付けてしまう。
 私が研究している仲小路彰もそうです。あまりにその視点が高いために、あっちこっち行っている感じがするし、ある種の矛盾を含んでいるように見える。しかし、そこには絶対的な真理への道筋が示されている。だから、理想主義のように見えるけれども、実は非常に現実的である。
 この苫米地さんの国防論も非常に現実的だと感じました。逆に一般人があまりに現実を知らなすぎる。苫米地さんなら仲小路を正しく理解するだろうなあ。今年はなんとか苫米地さんにもアクセスしたいところです。
 この「真・国防論」を一家に4冊!と力説している次の動画がまた面白い。やはり、日本が地球の未来の舵取りをする時代が来ているんですね。仲小路の言うとおりになっています。ぜひご覧ください。

Amazon 真・国防論

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2018.01.02

椎名林檎 『とんがれエレガント』 緊急招集!音楽家サミット

Th__20180103_83051 日、ふと思い立って諏訪方面に初詣へ。とは言っても、諏訪湖は拝まずに帰って来ました。
 我が家のホーム神社である白州の山口諏訪神社、富士見の原山様こと御射山神社、そして茅野の諏訪大社上社前宮です。
 考えてみると、この三社さまには、昨年のみならずいつもお世話になっております。今年は娘二人も受験ということでくっついてきました。そういえば諏訪とのご縁の最初は、6年前の上の娘の中学受験だったなあ。それ以来、本当に公私ともにお世話になりっぱなし。
 さて、そんなマニアック初詣の帰りの車の中で聴いたのがこのラジオ。家族はみんな車中で寝てるし、私も寝不足で運転が辛いかなと思っていたのですが、このラジオのあまりの面白さにめちゃくちゃ目が覚めました。
 何が面白いって、まあ聴いてみてください。音楽好きにはたまらない内容ですよ。

 椎名林檎さんの偉大さを自分なりに理解していたつもりでしたが、いやはや、もっとレベル高かったな。
 で、ふと思ったのは、ああ椎名林檎って男だな、ってこと(笑)。
 いや、今までは、魅力的な女性のために、周りの才能あるオジサンたちが頑張っちゃってるんだと思ってた。
 それは半分違ったなと。
 そう、こういう音楽の細部にわたるこだわりの話って、男同士だと理論武装して戦っちゃうのでケンカになるんですよね。譲らなくなる。
 でも、林檎さんの、ある意味理屈を超えた感性のすごさって、男を納得させてしまう。
 つまり、仕事人、職人的な意味での男性性の上に、ちょこっと女が乗っかっていて、それが周りの男をだまらせたり、燃えさせたりするのではないかと。あくまでベースは男。その上に魅力的な女がダイヤモンドみたいに乗っかっている。
 両性具有だとも言えるけれども、基本は「おやじ」なのではないか。
 だから、女性にも男性にもファンが多い。女性が嫉妬しない。あんなに美しくかっこよく、男をたくさん侍らせているのに(笑)。
 それから、これは前から気づいていたことだけれども、林檎さんにとっての音楽は、決して自己表現ではない。聴く人(お客様)の人生のBGMとしてある。この他者性が素晴らしいですね。桑田佳祐さんも同じ。
 明治以降、日本の文学界が「私(わたくし)」に走ってしまい、その系譜として、たとえばJ-Rockがあることを、このブログでも何度も書いてきましたが、そこには功罪両方ありました。ワタクシ音楽が新たな地平を拓くとともに、それに酔う作り手や聴き手をある場所に閉じ込めてしまった部分もある。
 椎名林檎さんの音楽観は、もっと広くて深くて高い。それは「私」を純粋なメディア、音楽の下僕としているからこそでしょう。それを「音楽への愛」と言ってもいいかもしれない。
 …ということに気づき…昨年から平成30年の目標は椎名林檎に会うことと決めていたのですが、ますますその気になってきました(笑)。
 今回ゲストの一人、斎藤ネコさんとは、ずいぶん前に共演する機会があり、その時サインをもらったり、いろいろお話させていただきました。今日のラジオでも相変わらずトボけたユーモアが全開で安心しました(笑)。尊敬するヴァイオリニストのお一人であります。
 ふむ、それにしても、椎名林檎さんの敬語はいつもなから見事ですね。かっこいい。
 あ、あと、村田さんの紹介していたニルス・ラングレンはホント天才ですよ。


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2018.01.01

あけましておめでとうございます(2018年年賀状公開)

 なさま、あけましておめでとうございます。
 いよいよ平成30年がやってまいりました。そう、時間は未来から過去へと流れているのです。だから、平成30年が向こうからやってきた。
 今年の目標の一つは、その時間の流れに関する地球人の誤解を正すことです。みんな、過去から未来へだと思っているので。
 原因は過去にはないんだよ。未来にあるんだよ。
 というわけで(?)、恒例の山口家のおバカ年賀状を公開させていただきます。
 今年は戌年ということですので、我が家の6匹の猫をフィーチャーいたしました(笑)。国芳さん、勝手にパロってごめんなさい。
↓click!
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 6匹の猫に対して、4匹の犬(人間?)の方の絵のクオリティーがめちゃくちゃ低いのはご愛嬌(笑)。
 ちなみに、絵師はウチのカミさんで、彫師と摺師はワタクシであります(もちろんフォトショップ上での話です)。
 夫婦の猫への異常な愛情を感じ取っていただければ幸いです(お犬様には申し訳ないけど)。
 本年、平成30年がいかに大切な年なのかは、なぜか一昨年の12月にこちらに書いておりますし、なんと昨年のおバカ年賀状の私の記事の見出しも「平成30年が勝負の年だ!」となっております。
 そんな年がとうとう来たのだと思うと、身の引き締まる思いがいたします。ずっと言い続けてきたからには、本当に頑張らねば。
 昨年はどういうわけか、テレビ・ラジオ・新聞などのメディアに登場させていただくことが多かった1年でした。今年は本でも書こうかなと思っています。どうぞご期待ください(こう書いちゃわないと絶対やらない)。
 そして、地球平和のための大切な第一歩を皆様と踏み出したいと考えています。天皇のご譲位への動きや、政治の裏の動きとも連動した一大勝負です。頑張ります。
 娘たちも今年はそれぞれ大学、高校へ進学する予定です(受かれば)。それぞれの場で、どうぞ富士山の山口家をよろしくお願い致します。
 この不二草紙も地味に書き続けますので、たまには読んでやって下さい。
 では、皆さまにとっても平成30年が佳き年となりますよう。
 

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