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2017.12.31

朝青龍を押し出したら1000万円

Th_d601e5b1s 年の(とは言っても書いているのは年が明けてからですが)大晦日の夜は、紅白でもなく、笑ってはいけないでもなく、RIZINでもなく「相撲」でした(ちなみに昼間は「鶴田 vs 長州」を最初から最後までじっくり鑑賞しました)。
 どの番組も録画してあとでゆっくり観ればいいかという程度の興味しかない中、久しぶりに朝青竜の相撲を観ることができる、それも様々なジャンルの猛者たちと、そして最後は同期の元大関琴光喜との大一番ともなれば、これは観ないわけにはいきません。
 と思う反面、衰えた朝青龍の、悪い意味でのプロレス的茶番になったら最悪という危惧もありました。
 しかし、結果、朝青龍の強さ、魅力、面白さ、相撲の強さ、魅力、面白さを再認識できる番組になっていました。
 取り組みの合間の時間は音だけ聴きながら、たまった仕事をこなしつつ、朝青龍が土俵に上がるとiPhoneの画面を凝視するという年越し。こういうのは初めてだなあ。
 大相撲がいろいろある中、また、朝青龍自身もかつていろいろあった中ではありますが、やはり相撲っていいなあと思いました。誰でもできるルールだからこその、横綱の並外れた強さです。
 考えてみると、これほどシンプルな格闘技ってほかにないですよね。モンゴル相撲やシルムなど、似たものはいくらでもありますが、洗練されたシンプルさということで言えば、やはり相撲でしょう。
 テクニックももちろんありますが、そういう次元を超えたところでの、荒魂のぶつかり合い。まさに人間界を超越した神事ですね。
 現役時代の朝青龍にはいろいろ言いたいことがたくさんありました。しかし、どうしてか今日は彼の相撲が美しく見えましたよ。
 私が子どもの頃、学校の砂場で興じていたのも相撲ですし、こういう企画も相撲。大相撲だけが相撲ではありません。
 江戸の見世物であった相撲は、こういう感じだったんですよね。各地で我こそはという挑戦者が名乗りを上げたりして。それでも圧倒的な強さで勝ってしまう。それが、人間界を超えた神の世界を垣間見る、非日常的体験になっていたのです。
 それにしても、今回の8人の挑戦者たち、それぞれ朝青龍の良さを引き出していい仕事していましたね。個人的には中身は知り合いでもあるスーパーササダンゴマシンが面白かった(笑)。
 大相撲が大荒れ、そしてもあった矢先、大晦日の夜から新年にかけて、こうして朝青龍が相撲の原点を見せてくれたことに、私は感謝したいと思います。
 平成30年の大相撲、その他格闘技界の頑張り、原点回帰に期待いたします。さて、明日は録画した、プロレスクラシックの特集と、年越しプロレスを観ましょう。おやすみなさい。

「朝青龍を押し出したら1000万円」見逃し視聴

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2017.12.30

コクヨ 超静音シュレッダー

Th_51aaiohwkdl_sl1000_ 籍、書類の電子化関係でもう一つ。
 スキャナiX500にオマケでついてきたシュレッダーです。
 オマケにしてはずいぶん立派なものでした。定価15000円ですからねえ。
 必要とは思いながらも、自分ではなかなか買わないものです。
 シュレッダーっていつごろから登場したのか気になったので調べてみました。はあ、そうだったんだ〜。なんと発明は1907年といいますから、100年以上前なんですね。
 もともとshredderというと、キャベツの千切り機のことだったとか。なるほど。まあたしかに書類の千切りだし(笑)。
 日本で普及しはじめたのは、明光商会のMSシュレッダーが発売された1960年台からとのこと。
 たしかに学校にも明光商会のMSシュレッダーがあります。
 昔は学校でもやばい?書類は焼却炉でガンガン燃してたんですよね。それが、ダイオキシンだかなんだかが問題になって、世の中から焼却炉が消えてしまい、シュレッダーの活躍の場が格段に増えました。
 それで、小型のもの、パーソナルなものが普及しはじめました。デスク4つに1台とかね。
 この製品ももちろんパーソナルユースをターゲットにしたものです。だから静かを売りにしている。オフィスで個人的にゴミ箱代わりに使うということでしょうか。書類を捨てる時に、昔であれば丸めてポイしたように、サッとシュレッダーに挿入するというわけです。
 ところで、書類はまあいいとして、皆さん、裁断して破壊してしまった書籍はどのようにしているのでしょうか。たぶん廃棄するのでしょうが。別に千切りにする必要はありませんが、なんとなくゴミ箱にバサッというのは、それもまた抵抗があるような気がします。
 焼却炉があれば、供養するような気持ちもこめて荼毘に付すことができるんですがね。本って、いろいろな意味で、情報(コト)の詰まったモノなので処分が難しいですね。バラしちゃったら古本屋にも売れませんし。
 今日のニュースで、紙の本の販売数が大幅に減った、それもいわゆるコミックの売れ行きが大きく下がったと伝えられました。
 平安時代以来の、紙の本文化はいよいよ終焉を迎えるのでしょうか。それとも反撃があるのか。
 一足先にデジタル化が進んだ音楽の世界では、再びLPレコードやカセットテープがブームになりつつあります。
 紙の本も、もちろんなくなることはないでしょう。
 私も電子書籍と紙の本、今購入するのは半分半分くらいです。やっぱり不便な点もあるんですよね。
 10年以上前にどこかに書いた記憶があるのですが、いわゆる紙の本でペラペラ、パラパラというのを再現する、リアルに数百枚の極薄ディスプレイを搭載した電子ブック端末が発明されないかぎり、紙の本はなくなりませんね。

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2017.12.29

格安裁断機

Th_imgrc0073012352 て、昨日の記事の続きです。
 破壊型?スキャナを購入したので、書籍を破壊しなくてはなりません。ここに抵抗がある人が多いんですよね。
 本を大切にしなさい、というのは家庭でも学校でもずっと言われてきた文化です。
 それをバッサリ裁断してしまうわけですから、まさに文化的に言えば破壊行為です。
 特に自炊する人たちに聞くと、大切に何度も読んできたマンガ本などをバッサリというのは、さすがに抵抗があるとのこと。
 しかし、なんでもそうですが、抵抗があるものも一度やってしまうと逆に快感に変わってしまうというもの(笑)。
 私も最初はどうでもいい本で試していましたが、今や大切な本こそ、きれいに裁断してしっかりデジタル化するようになりました。面白いものですね。
 この格安裁断機、格安ですがとても切れ味が良い。コピー用紙なら500枚一度にバッサリやってしまいます。
 あのサクッという感覚を一度体験してしまうと、なんだかクセになっちゃいますね。ギロチンもこのくらい切れ味が良ければ…なんて変なことを考えてしまいました。逆に介錯って難しいだろうなと。
 どのくらい耐久性があるのか分かりませんが、替え刃や替え受け木までついているので、とりあえず10年くらいは大丈夫でしょう。
 それにしても重い。もちろんだからこその安定感と信頼感なんですが。久しぶりに無骨なモノに出会いました。

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2017.12.28

A4両面スキャナ 『ScanSnap iX500』 (富士通)

 末、すなわち二学期が終わって冬休みに入ると、なぜかいつもより忙しくなります。そんなわけで、ブログの更新が遅れております。今日は雑仕事をしながらまとめて書こうかと考えています(大晦日)。
 で、時間がないので軽く行きますね。最近買ったものを紹介していきます。
 まずは、スキャナ。スキャナは2台め。昨年7月に非破壊オーバーヘッドスキャナsv600を購入。大活躍してくれています。もう何ページスキャンしたかな。
 で、非破壊型で対応してきた文書類のスキャンが一段落したので、さらに大量にある書籍の様態になっている文書のスキャンに入ろうかと。
 いったい何をスキャンしているか…それは今はナイショです。自分の家の書類や書籍ではありません。来年には何らかの形で公表するなり、出版するなりしていけると思っています。
 さて、今回購入したのは、名機と言われている富士通のiX500です。今回はキャンペーンで、コクヨのシュレッダーがオマケでついてきて4万円台前半でした。
 これ、いわゆる自炊する人たちはみんな使っていますよね。なにしろ早い。両面同時にスキャンしてくれますし、ソフトも非常に優秀です。ストレスなくじゃんじゃんデジタル化できます。
 仕事でも使えますね。私、すぐに書類をどっかにやってしまったり、捨ててしまったりするので、これからは全部これでスキャンしようかな。
 一般的な活字本であれば、検索可能なpdfにしてくれますので、文書の内容のキーワードや、覚えている言葉で検索できます。
 また、活字化してくれたものを、Wordなどのワープロで流用できますので実に便利です。
 また、仕事柄有用なのは、各種入試問題などをスキャンして取っておけることです。著作権の問題はありますが、工夫次第では問題集の利用の際にも使えますね。
 あと、音楽家?としては、楽譜の電子化ですね。旅芸人するときは、タブレットを楽譜代わりに使うことが多いので、これで大量にスキャンしておくといいですね。
 書籍の電子化。平安時代以来の紙の本の文化は終わりを告げるのでしょうか。
 さて、これからどんどんスキャンしますよ。家の本も溢れている状況なので、老後は自炊生活しようかな(笑)。

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2017.12.27

大野雄二作曲 『小さな旅(のテーマ)』

Th_637898a982844830b18e4b0991882c60 さな旅「三ツ峠」の録画を観ていたら、横で上の娘が「ルパン三世のテーマ」の各種アレンジを聴きながら「かっこいい!」を連発していたので、「この曲とこの曲はおんなじ人が作ったんだよ」と教えてやりました。めちゃくちゃ驚いていました。
 和製ジャズ、フュージョン、そしてアニメやドラマ、映画などのテーマ曲と言ったら、「W大野」さんですよね。
 大野雄二さんと大野克夫さん。時々、どっちがどっちだっけ?となる(笑)。そのたびにウィキ調べたりして。
 それほどお二人の残した名曲たちは、同じようなイメージで私たちの心に刻まれているのです。
 自分のためにもごく簡単にまとめてみましょう。
 大野雄二…ルパン三世のテーマ、小さな旅のテーマ。
 大野克夫…太陽にほえろ!のテーマ、名探偵コナンのテーマ。
 もちろん、ほかにもた〜くさん名曲はありますが、これだけでもお二人すごいですよね。お二人のすごいところは、ジャズ、フュージョンという様式の中に、日本的な情緒あふれるメロディーを乗せたところです。歌詞はなくとも、美しい歌があるということです。
 で、今日はあらためて「小さな旅」のテーマを聴いてみましょう。まずはテレビ尺。

 この曲の魅力はなんと言ってもその旋律でありますが、そのハーモナイゼーション、そしてオーケストレーションもお見事です。
 実は長尺バージョンもあります。

 これをお聴きになるとわかりますが、後半の展開もいいですよね。これは歌詞をつけて歌ってみたくなる。まさに歌心あふれる佳曲です。
 と、実は正式に歌詞をつけたバージョンがあるんです。ご存知でしたか?岩崎宏美さんが1986年に出しました。
 「なぜ」のところは、このバージョンが出る前から、絶対「なぜ」だと思っていたら、本当に「なぜ」だった。不思議だなあ。

 ちなみにこの動画も貴重ですよ。コーラスが…。
 最後に作曲者自身によるジャズピアノバージョン。これまたすごい。さすが大野雄二さん。

 こういう名曲をどういうふうに作るんでしょうね。W大野さんたち、やはり、先に映像作品があって、そこからイメージするのでしょう。それってすごいですよね。特にこの小さな旅のテーマは、みごとすぎるほどに「旅情」を表現しています。旅の出会いと別れの切なさが、プチ転調や偽終止にうまく表現されていると思います。
 ああ、日本人で良かったなあ。

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2017.12.26

『ビジネスで差がつく 論理アタマのつくり方』 平井基之 (ダイヤモンド社)

カンタンな中1数学だけでできる!
Th_51ofbqfu9l 日の忘年会でもこの本の出版祝いをいたしました。
 著者の平井先生はカワイイ赤ちゃんとしっかりした奥様と一緒に参加してくれました。奥様は初のご出産を。そして旦那さんは初の出版を。なんともおめでたいことです。
 平井先生はワタクシの元部下。学校でも活躍していただきましたが、独立後はさらに飛躍されました。もともと理系で東大に合格し、しかし在学中は教育を学び、そして教員生活ののち再び東大に挑戦。なんと今度は文系で合格しました。それだけでもすごすぎますね。
 そうしたすごいキャリアをベースにして、今は押しも押されぬ「受験戦略家」として、受験生の指導に、そして言論活動に活躍しています。
 数学の教員としてウチで働いている時から、私も彼といろいろな話をさせていただきました。今回の処女作は、ある意味その頃のセッションが一つの実を結んだような気がして、私は勝手に嬉しく思った次第です。
 そう、私は国語の教員ですが、たとえば文学を教えることよりも、論理力を鍛えることに重きを置いてきました。その象徴が、中学で教材として使っている、出口汪先生の論理エンジンです。
 出口先生も「論理こそ世界共通語」とおっしゃっています。その最も純粋な形が数学です。国語も数学も同じ論理という一つ上の次元でとらえるという意味では、「数学は言語だ」と力説する平井先生と出口先生は同じ考え方ですね。
 当然のことながら、結果として、論理エンジンで強調されている「イコールの関係」「対立関係」「因果関係」と、この本で強調されている「同じ」「違う」「順番」は、ほぼ同じことになります。
 論理学に限らず、全ての学問、いや私たちの認識のパターンの基本は、その三つに集約されます。この本は、中1の数学という、世界中のみんなが経験する(経験した)サンプルを使って、その基本を意識させてくれるという意味で、まずは非常に有用です。
 そして、それを単なる学校の勉強や受験のレベルではなく、実生活、特にビジネスの現場にしっかり応用するべく解説されているところも素晴らしい。学校の勉強と実生活がなかなか結びつかないのが、日本の教育の問題点ですからね。
 そういう意味で、やはり「受験は戦略」であり、そこから「人生における戦略」を学ぶべきだという平井先生の考え方には、私も大いに共鳴します。実際そういう話を生徒によくしていますし。
 それらを私たちに納得させてるために、サンプルとして中1の数学を選んだのが正解でしたね。私のような数学苦手オジサンでも、さすがに中1の数学なら復習せずとも理解できます。
 さらに、平井先生の素晴らしいところは、その易しい(優しい)サンプルを、さらに読者への愛情(教え子への愛情の延長でしょう)をもって、実に易しい(優しい)文章で説明してくれていることころです。
 難しいことを易しく(優しく)語ることができる人が、本当に賢い人です。私も教育者として学ばせていただきました。
 ところで、ワタクシの難解な?「モノ・コト論」で言いますと、論理や数学は最も純粋化された「コト」ということになります。
 しかし、皆さん予感されるように、その最も人間的といえる、脳内ツールの極致であるはずの「純粋言語」が、自然界の「モノ」に直結している、すなわち「神」と直結しているところが面白い。私の言うところの「コトを窮めてモノに至る」という真理ですね。
 おそらく私たち人類はそうして「シゴト(コトを為す)」を突き詰めて、宇宙の真理に近づこうとしているのでしょう。
 数学史上の天才たち(最近では「ABC予想」を証明した望月新一さん)の多くが、理系・文系などというつまらない分類に収まりきらない人生を送っていることが象徴的ですね(そう言えばペレリマンはいまだにキノコ狩りしてるのかな?)。
 まさに理系・文系の壁を超えている平井先生の今後の活躍に期待いたします。

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2017.12.25

ネオテニーは地球を救う!?

Th_71aknc8lz9l 経新聞の正論に、動物行動学者の竹内久美子さんが日本人が持ち合わせる「人類最強」の性質とは…を投稿しておりました。
 最近竹内さんの本を読んでないなあ。かつてはずいぶん勇気づけられたものだが。
 というのは、竹内さん、たとえば「女は男の指を見る」のような男の指にこだわったエッセイをたくさん書いていまして、まさに「薬指が人差し指より長い」、すなわち男らしい(?)ワタクシとしては、大変いい気にさせられたのであります(笑)。
 それらの本には、「ハゲは胃がんになりにくい」とか、そういう、ワタクシに有利な言説がけっこう散りばめられていて、ようやく援軍を得たような気がしていた。
 いや、たしかにですね、ワタクシ、手だけはほめられることが多いのですよ。薬指が長いだけでなく、血管が適度に浮き出ているし、まあいちおうヴァイオリンなんかやってますから、繊細かつ器用に動いているのでしょうかね。
 男としては手だけほめられても実はあんまりうれしくなかったのですが、この本を読んで、なるほど女性は男性の指に本体のセクシーさを見出しているのだと、まあ都合よくほかのことは忘れて得心したりしていたわけです。
 で、もう一つ、竹内さんがよく語っているのが「ネオテニー」についてで、それもある意味私にも当てはまる特性でありました。というか、ワタクシに限らず日本人はみんな子供っぽいと。今回の正論もその話。
 子供っぽいことはマイナスではなく、純粋、好奇心旺盛、発想が柔軟、優しいなど、プラスの側面もあり、それを再評価すべきとのこと。
 私も全くいい年してバカみたいなこと言ってばかりで、それこそネオテニーのチャンピオンみたいな人間ですが、たしかにそれも徹底していると、それなりに価値を発揮しはじめたというか、人様にありがたがられる(めったにないと珍重される)ようになってきたとも言えます。
 もちろんご迷惑もおかけしていて、立派な常識ある大人にいろいろカバーしてもらっているのは分かるのですが、これはしかたないですね。
 そして類は友を呼ぶということでしょうね、一昨日の忘年会なんか、まあ素晴らしいネオテニー・パーティーでありましたよ。高城剛さんも少年のまんまですよね。
 10年前にオーストラリアで「姉妹校訪問…ネオテニー再確認」という記事を書いておりました。
 そこにこんなこと一節がありますね。

 考えてみますと、日本のオタク文化は、大人による子ども文化なわけで、今やそれが日本文化を支える土台にすらなっているわけです。あるいは日本の産業の基幹である職人的な手仕事的な部分というのは、以前からある意味オタク的、幼児的、自閉症的でありまして、日本文化の分析にはどうしてもそういう視点が必要なような気がしてきます。

 これなんか、竹内さんの説に近いかもしれません。
 はたして未来、日本人のネオテニー性は地球を救うのでしょうか。それとも自らを絶滅に追いやるのでしょうか。私は竹内さんと同様に前者だと思ってますよ。
 近代的な意味における「おとな」が、この地球を破壊していたのは事実です。コト(自我)に執着してモノ(他者)への共感を忘れた「おとな」の描いた利己的な夢は、もうそろそろ醒めることでしょう。

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2017.12.24

志村正彦テレビインタビュー

 リスマスイブ…私たちフジファブリックファンにとっては、本当に忘れられない日。志村正彦くんが亡くなって、もう8年も経ってしまいました。
 今の私のある部分は、彼によってできていると言えます。毎年クリスマスイブは、彼に感謝する日です。いつまでも悲しい気持ちでいるわけにはいきません。感謝は過去に向かうものではありません。未来に恩返しするための心です。
 そんな彼への感謝を新たにするために、今日はこの懐かしいインタビューを久しぶりに観ました。
 もう10年前なんですね。
 彼がどんな未来を妄想していたのか。それを知るだけでも興味深いですね。コラボレーションは実現しなかったかのように思われますが、間接的に、そしてある種霊的には、さまざまな形で彼の音楽性がいろいろな人たちに影響を与え、立派な共同作業が現実化していると思います。
 彼が憧れの奥田民生さんに楽屋で会った時の印象は、私が志村くんと楽屋で会った時の印象と一緒ですね。あっ生きてるホンモノがここにいる!
 そして、あの鹿ちゃんのような潤んだ大きな目に吸い込まれそうになった…そんな9年前を懐かしく思い出しました。
 時が経つのは本当に早い。しかし、彼の存在や音楽は全く色褪せることなく、それどころか、ますますエネルギーに満ちて輝いていると思います。
 志村正彦の魂は永遠に生き続けます。あえてRIPとは言いません。向こうでも休むことなくどんどんいい詩を書いて、いい音楽を作ってください。言われなくてもきっとやってるな。

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2017.12.23

天皇誕生日の夜に(平成29年)

Th_img_0670 年も盛り上がりました。ご縁に感謝です。
 集まってくださった皆さん、本当に純粋な魂を持った方ばかりで、心から人々の幸福と地球の平和を祈り、そしてその実現のために行動されている大人ばかりでした。
 発明家、教育者、歌手、ダンサー、施術家、能楽師、物理学者、そしてクリエイター…ワタクシのような者の声掛けに、こんなに素敵な方々が賛同してくださり、本当に感謝にたえません。ご挨拶で申し上げましたとおり、ワタクシの幸せは皆さんでできています!
昨年の「天皇誕生日の夜に」には、今年はいろいろあって大変だった安倍昭恵さんがスペシャルゲストとしてお越しになってくださりましたが、今年は世界を飛び回り、めったに日本にいない、日本にいても超多忙な高城剛さんが来てくれました!
 おかげさまで、皆さんのテンションと意識の次元が一気に上がり、濃すぎる内容の会となりました。そのせいか、逆にどんな話をしたのか、日常に戻ってみると思い出せない(笑)。
Th_img_0674 後半には、天才物理学者さんやプロの能楽師の皆さんも急遽参加してくださり、歌あり踊りありのにぎやかかつ祝福のムードにあふれた場となりました。
 平成30年の重要性については、昨年書いたとおりであり、それについても確認しあいました。そして、来年の12月23日は今上陛下の最後の天皇誕生日となりますので、また盛大にこの会を開催し、「天皇陛下万歳(長寿をお祈りする)」で乾杯したいと思います。
 どうぞ参加されたい方は早めにご連絡ください。
 本当に皆さまありがとうございました。来年の皆さまのご活躍に期待します。私も頑張ります!
 最後になりますが、いつも会場を提供してくださる日本教育会館にある秋田料理のお店「御燗」さんには心から感謝です。そして、今年はあのミ◯ラまんじゅうが最高でしたね(笑)。来年は彼も呼びましょう!

 追伸 今日お話させていただきましたが、12月23日は天皇誕生日であるとともに、東京裁判で死刑判決を受けたA級戦犯はじめ何人かの方の刑が執行された日です。今年で69年目。すなわち来年の今日は70年目の日となります。
 今上陛下の譲位にはこのことも関係しています。そして、譲位後、この日が祝日にならないというのも、そういう意味での陛下のご意思であると理解しています。

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2017.12.22

天皇陛下記者会見…「譲位」という言葉について

 日の天皇誕生日を前に天皇陛下が恒例の事前記者会見を行われました。
 今年の会見の内容は上掲の動画のとおりですが、この中で陛下が大変重要なお言葉を発しておられるのにお気づきでしょうか。
 それは「譲位」という言葉です。御自ら「再来年4月末に期日が決定した私の譲位」とおっしゃり、「退位」ましては、「生前退位」という言葉は使われなかった。
 「退位」をスクープしたNHKはもとより、他のメディア各社も、フジサンケイグループを除いては、基本的になぜか「譲位」という言葉を使わないできました。政府官邸もですね。
 もともと天皇陛下は「譲位」を希望されていたのにもかかわらず、政治的な事情で「退位」、それも「生前退位」という不自然な日本語が使われるようになり、非常に不愉快な気持ちになっていた私としては、このたびの記者会見での陛下の「譲位」というお言葉には、とても安心させられました。
 このお言葉を受けて、今後は各種マスコミはじめ国民が自然な形で「譲位」という言葉が使えるようになることを、切に希望します。
 

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2017.12.21

Vladimir Cauchemar 『Aulos』

20171222_115112

 〜む、これは…素晴らしい。昨日の話の続きで言えば、これぞ「謎」・「なんだ?」。

 ツイッター上でバズっていた動画です。思わず見入ってしまいました。
 そして何度も繰り返してしまった。中毒性がありますね(笑)。
 というか、これを観て聴いて、この曲が何か分かってしまう私もかなりマニアック?
 というか、それこそ、アウロスの樹脂製フラウト・トラヴェルソで吹いたことすらありますよ(笑)。
 そう、元歌はテレマンの無伴奏フルートのためのファンタジー3番のアレグロですよね!
 それをこういうふうにね〜(笑)。
 まさにファンタジー。才人テレマンもびっくりでしょう。テレマンなら喜ぶな。テレマン、もし現代に生きていたら、こういうことやりそうな人です。
 というか、この動画についてはもう解説はいりませんよ。世の中にはなんだかすごい人がいるもんですね。
 この人だれですか?ww
 なんでもロシア人ではなく、フランス人と日本人のハーフだとか?それもホントかなって感じですが。
 Aulosとはもともとダブルリードの木管楽器のことですよね。フルートではありませんし、もちろんリコーダーではありません。
 見たところ、この方の吹いているリコーダー、トヤマ楽器製すなわちアウロスではなくヤマハ製のようです。これでアウロスだったら言うことなかったのにな(笑)。
 しかし、センスいいわ、この人。編集技術も高いし。負けた…。


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2017.12.20

「なぞなぞ」の語源

Th_maxresdefault 日もまた語源のお話。いちおう国語の先生ですからね(笑)。
 とか言いつつ、今日は某クラスの授業でなぞなぞをやりました。冬休み前ということでちょっとサービス。
 で、そういえば「なぞなぞ」という言葉、枕草子にあったなと思い出しました。138段ですね。原文と現代語訳はこちらでどうぞ。
 「なぞなぞ」は言うまでもなく、「なぞ」という言葉を重ねたものですね。だから上に紹介したサイトにも「謎々」と表記されています。
 それはそれで間違いはありませんが、枕草子の原文を見て分かるとおり、もともとは「なぞなぞ合わせ」という遊びがあったようです。
 歌合の進化版みたいなもので、基本和歌に関する知識を問い合うゲームです。この枕草子の段では、「天に張り弓」とかけて「三日月」と解くという、めちゃくちゃ分かりやすい「なぞなぞ」を出してしまった恥ずかしい男のことが紹介されています。
 文中の最後の方に「なぞ、なぞ」とあるのは、訳せば「なんだ、なんだ」となります。たぶん、左右のチームに分かれて、片方が「(問題は)なんだ、なんだ」とたずねるのに対し、たとえば「天に張り弓…な〜んだ」と問題を出し、それにさらに「三日月!」と答えるというようなゲームだったのでしょう。
 「なぞ」は「なんぞ」と発音されていた(撥音便の無表記・「ん」という文字が一般化していなかった)と思われるので、本当なら私たちも「謎」は「なんぞ」、「なぞなぞ」は「なんぞなんぞ」と発音すべきなのかもしれませんが、日本語の歴史を見ると、そういう例はたくさんありますのでOKとしておきましょう。
 今でも、なぞなぞを出す時、必ず「〜もの、な〜んだ?」と言うのには、こういう伝統があったのです。
 

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2017.12.19

イカれた◯◯…「イカれる」の語源(その2)

Th_top_image3 日の続きです。昨日の記事で「私たち普通の人」と書きましたら、お前もそうとう「イカれてる」って言われました。たしかにそうですね(笑)。スミマセン。
 さて、そんなイカれてる私の「イカれる」の語源論、二つ目は「れる」を受身と取る立場から。すなわち「行かれる」を、誰かに「持って行かれる」という意味でとらえるものです。
 最近…テレ東・鷲見アナ盗難被害「かばんと財布いかれた」…というニュース見出しを見ました。関西の方ならよく分かると思いますが、この「行かれた」には、標準語で言うところの「やられた」的なニュアンスがあります。
 つまり、この場合の「行かれる」の「れる」は、受身、それも日本語独特とも言える「迷惑の気分を含む受身」ということになり、全体として「先を越されて持って行かれる」、「してやられる」というような意味を表していると考えられます。
 それがいわゆる「イカれる」の語源になったという説もあります。しかし、よく考えてみると、行かれた、すなわち迷惑をこうむったのは、たとえばかばんと財布をいかれた鷲見アナであって、犯人ではありません。このシーンで言えば、「行かれた野郎」は犯人ではなく、鷲見アナになってしまう論理矛盾が生じてしまうわけですが、まあ言葉においては、そういうことは多々あるので(「負けず嫌い」の論理矛盾とか)、まあよしとしましょうか。
 たしかに「持って行った野郎」よりも、「持って行かれた野郎」の方が迷惑、怒りの感情がこめられた表現になります。つまり「持って行かれたんだけど、その持って行った野郎」の略みたいな。
 さて、次は「れる」を自発と取ってみましょうか。自発というのは「故郷が偲ばれる」と言うような、「無意識的に〜してしまう」ニュアンスです。「行かれる」の「れる」を自発とするとどういう解釈ができるでしょうか。
 「無意識的に行ってしまう」…これはたしかにアブナイですね。意識的に行くのなら、行かない選択もありますし、戻ってくることもできそうですけれど、無意識的に行ってしまった人には、意識的に行かない選択肢も、意識的に戻ってくる選択肢もなさそうですよね。
 こちらにも書いたとおり、古語の「る(らる)」、現代語の「れる(られる)」には、「自分の意志ではない(思い通りにいかない)」という基本的な意味があり、そこから可能(実際には「れず」の形で不可能として使われた)、受身(迷惑)、自発、尊敬が生まれました。
 で、最後の尊敬説になります。「行かれる」の「れる」が尊敬とすると、ちょっと変な表現ですが「お行きになる」という意味になるということですね。
 尊敬と「アブナイ」は一見無関係そうですよね。いや、将軍様だから尊敬語を使わないといけないか。「工場視察にイカれた将軍様」とか。
 そう、日本語は敬語が異常に発達している言語でして、そのために独特の文化も生まれています。その一つが敬意逓減という現象です。これは、敬語が使われている間にその敬意が低くなっていくという傾向のことで、しまいにはまさに慇懃無礼、侮蔑語にまでなります。貴様や御前や手前(てめえ)という言葉が分かりやすいでしょうかね。
 あるいは意図的に慇懃無礼にする侮蔑敬語もあります。わざと過剰に丁寧な言葉を使って、相手をバカにするというやつですね。
 「イカれる」の「れる」が尊敬の助動詞だとすると、これこそ侮蔑敬語ということになりましょう。アブナイ奴に対して、そのアブナさを強調するために、あえて敬語を使ったと…いえいえ、上記の将軍様に対する表現は、純粋な敬語でございますよ(笑)。
 というわけで、昨日、今日と四種類の解釈を書いてきましたが、そのどれが正しいかは実は答えがなく、日本人が「れる(られる)」に、ある種言葉にならないニュアンスを感じ取り、そして表現しているということに注目してほしいと思います。
 なんとなく自分の手の届かない感覚。あるいは自分とは無関係でありたく、どちらかという迷惑な感じ。
 ラ行の音で始まる日本語(漢語などの外来語を除く和語)が皆無であることはご存知ですか。ラ行音というのは、古来日本人にとって、なんとなく遠い存在だったのです。
 そう考えますと、古語「る(らる)」・現代語「れる(られる)」の対極にある使役の助動詞「す(さす)」・「せる(させる)」が、最も名詞の語頭に立ちやすいサ行音であることは示唆的ですね。そのあたりについては、またいつか持論を展開させていただきます。

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2017.12.18

イカれた◯◯…「イカれる」の語源(その1)

Th_unknown ランプ大統領が金正恩総書記のことを「イカれた若造」と批判したというニュースがありました。
 英語でなんて言ったのかなと思ったら「sick puppy」とのこと。
 「sick」を「イカれた」って訳したんですね。まあそういう訳になるか。体の病気というより頭の病気ってことでしょう。
 sickは最近では「cool」と同じような意味で、つまりいい意味で「すげ〜!」とか「かっこいい!」という意味でも使われるといいますから、もしかするとほめたのかもしれませんね(笑)。トランプさんもかなりsickですから。
 日本語の「イカれる」の語源について語ると、ちょっと長くなりますよ。正直よく分かってないんですよね。
 まあ、「行く」+「れる」だというのは、おそらく間違いがないわけですが、外国人が日本語の学習で苦労する、そして私たち日本人も文法の勉強で苦労する、「れる」の意味の特定が難しいわけですよ。
 そう、「れる」「られる」の文法的な意味は、可能・受身・自発・尊敬と四つもあるんです。なんで、その一見関係なさそうな四つの役割を兼任しているかについては、たしかこちらに書いていました。関係ないどころか関係大ありなんですね。
 で、「行かれる」がなんで「sick」の意味になったのかということについて、四種類の説明をしてみましょう。
 ええと、まずは可能から行きましょうか。つまり、「行かれる」の「れる」が可能の助動詞で、「イカれる」はもともと「行くことができる」、「行ける」という意味だったという説。
 「いく」には、「逝く」という漢字が当たられるように、「死ぬ」という意味もありました。この世ではなく、あっちの世界に行くというわけですね。
 「イカれている」人や物というのは、たしかにあっちの世界に行っちゃってる感じがしますよね。この世では反社会的だったり、役立たずだったり。
 私たち普通の人(?)は、なかなか進んであっちの世界に行こうとはしません。行けない。それをいとも簡単にできてしまう人は「イカれた」人であります。
 と、ここでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、そう、「イケてる」、すなわち「イケメン」の「イケ」も、たとえば「ここのメシはイケる」とか言う時の「イケる」と同様に、いい意味で(いい所へ)「行くことができる」という意味ですよね。
 すなわち、「行かれる」と「行ける」は、両方とも「行くことができる」という意味でありながら、良い悪い両極端の評価を分業していることになります。
 これなんか、まだ違う言葉だからいいけれど、古語の「いみじ」や「ゆゆし」、「あはれなり」のように、一つの語の中に両極端な意味を包含する場合もあります。現代語でも「やばい」なんかそうですよね。
 英語の「terrific」などもそうですし、そうそう、トランプさんの使った「sick」もそういう性質を持っているわけですね。
 だから、もしかすると、「sick puppy」とはモロに「ジョンウン、イケメン!」なのかもしれませんよ(笑)。いや、puppyは子犬だから「イケワン」か。
 と、ここまで書いたところで、だいぶ長くなってしまったので、四つの説のうち残りの三つはまた後日書きます。できれば明日にでも。

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2017.12.17

座頭市 対 プレデター

 〜む、これはすごい!正直本編観たい!
 レッドバロンとシルバー仮面という悲劇の?ヒーローを復活させて微妙な評価を得ている岡部淳也さん(元円谷プロ副社長、現ブラスト社長)が、本気で遊んだ…いや、これは本気で挑んだのかも。
 もしかすると、これからの時代劇はこんな風になっていくのかもしれない。考えてみれば、もともと時代劇というのは、かなり大げさなスペクタクルであり、現実離れしたHS(ヒストリー・フィクション)です。
 ある意味非常に未来的です。座頭市は視覚を失う代わりにある種の進化を遂げている、すなわちセルフ・シンギュラリティを余裕で実現している。
 プレデターだって、現代(ちょっと前)の中央アメリカに降り立つんだから、江戸時代の日本に来たっていいじゃないですか(笑)。
 それにしても、これ、けっこうお金かけてますよね。手抜きなしのトレーラーですよ。そして、なんとも魅力的なキャラがたくさんいる。物の怪度で言えば、プレデターもびっくりしているでしょう。
 というか、座頭市自身、もしかすると宇宙人かもしれないので、ライトセーバー持っててもおかしくないか(笑)。
 これは本気で本編作った方がいいんじゃないでしょうか。少なくとも「BRAVE STORM」よりは人気が出る?

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2017.12.16

吉井和哉☓志村正彦 『ザ・ビートルズを語る』

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 日の記事にもこの二人の名前が登場していました。
 志村正彦くんが急逝する2ヶ月ほど前に、実はこの二人の対談が実現していました。雑誌「WHAT'S IN」のビートルズ特集コーナー内での対談です。
 この前の東京ドームのあと、この対談のことをふと思い出して、ヤフオクで落札しました。あの当時は立ち読みで済ませてしまっていたので。
 あらためて8年ぶりに読んでみて、なんとも言えない気持ちになりました。
 ビートルズに対する二人の評価はなるほど当たり前と言えば当たり前の内容でしたが、中盤での吉井さんのこの部分がなんとも胸に突き刺さったのです。

 最近よく考えるんですけど、ロックとか、もうできないんですよ、オレ。
ー何をおっしゃっているのですか?
 いやいや、やっぱロックって仕事にならないんですよ。僕が今やってるのはロックまがいのものであって、本当の意味の、真のロックをやっちゃうと、死んじゃうと思うんです。それを教えてくれたのが、ストーンズとビートルズだと僕は思っていて、ロックに取り憑かれて、死と直面しながらも続けていかざるを得ない人たちと、ロックに取り憑かれてあっという間に終わって、その後に苦しめられる人たち。そのふたつの対称ですね。僕なんか15年ぐらいで中途半端に壊してしまったから、もうロックではないんです。

 この対談の数ヶ月後、本当に死んでしまった志村くんと、長い年月をかけて復活し、またロックをやり始めた吉井さん…。
 今思えば、たしかにフジファブリックの「CHRONICLE」は志村くんの真のロックでした。ある種の違和感を叩きつけられたファンは正直動揺しました。耳当たりのいい音楽ではなく、切ないまでの魂の叫び。
 この対談、そして志村くんの死から5年ほど経って、志村くんが生まれ育ったまさにその場所で、私は吉井さんとそのことについて語り合いました。
 もう一つの富士山(その8) 李良枝 『富士山』に書いたように、富士吉田市下吉田は夭逝の天才を生む(ある意味命を奪う)不思議なトポスです。
 そのことを聞いた吉井さんが、ちょっと怖そうな表情をしたのを思い出します。たぶん本気で死の匂いを嗅ぎつけたのでしょう。この対談のことも思い出したに違いありません。
 その後、彼はそのトポスから逃げるように「復活」に向かっていきました。ロックと命。生と死。「復活」を遂げた吉井和哉はいったいどんな命との闘いを見せてくれるのでしょう。志村くんもきっと吉井さんの復活を喜んでいると思います。

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2017.12.15

Horizon (Center Screen Version) / THE YELLOW MONKEY

 日の東京ドームの感動の一つに、このイエモンの新曲のMVがありました。
 基本的に吉井和哉ワールドが連続する中に、本当に全く違った世界観がドームを支配しました。私も含めて周りの人たち、みんな静かに泣いていました。
 この曲はギターのエマ、菊地英昭さんの作詞作曲です。だから違うのは当然ですが、それを歌う吉井さんの優しい歌声がまたなんとも際立って美しかった。ある種のギャップがたまらない。
 やはりひとの、それも愛する友の作品を歌うことには特別な感情が伴うのでしょう。もちろん、エマからロビンへのメッセージという意味でも、また私たちファンへの贈り物としても美しい。
 菊地英昭さんの曲(作曲)と言えば、私の大好きな「空の青と本当の気持ち」があります。あの曲の浮遊するような優しさもまたエマらしさでありました。
 それから、思わず私もつぶやいてしまったのですが、この曲、メロディーも歌詞もちょっと藤巻亮太くんっぽいですね。すなわちレミオロメン。Horizonというタイトルも。まあ、どちらが先かというのは微妙でありますが、おそらく共有する何か音楽的ルーツがあるのでしょう。無意識にしても。
 また、これは勝手な思い入れですが、「打ち上げ花火」が出てくるあたりは志村正彦くんっぽい感じもする。後半に一度だけ登場する「胸キュンコード進行」(「流してくれるだろう」のところ)も。吉井さんとはまた違った意味での繊細さを感じるところです。
 と、私は個人的ないろいろな思い出や感傷にひたりながら、この曲をドームで聴いていたわけです。しかし、おそらくはファンの皆さん全員が、それぞれの過去と現在と未来に対する切ないまでの愛を感じたことでしょう。
 言葉を伴った音楽、すなわち歌というものは、そういう次元で私たちの心を振動させるのです。何度も書いているとおり、音楽は人間に唯一与えられた高次元宇宙へのアクセスの方法なのでした。
 そして、音楽は映像と組み合わさることでさらに次元上昇します。これは映画音楽の例を考えればよくわかります。音楽が映像を際立たせるのか、映像が音楽を際立たせるのか、その両方なのか。
 この素晴らしいミュージック・ビデオは半崎信朗さんの作品。当然、半崎さんが音楽にインスパイアされて作った映像ですから、音楽が先にあったのでしょうけれど、しかし、面白いのはその映像によってまた音楽のイメージが広がる。決して狭まるのではなくて広がる。もちろん、優れた映像だからです。正直狭めてしまうMVもありますよね。
 1980年代のMTV文化以来、音楽には必ず映像が加えられるようになりました。それを音楽の堕落だと言った人もいましたし、私自身もちょっとそういう感想を持っていたのも事実です。
 しかし、考えてみると、録音文化はここ100年くらいのものであり、映像のない音だけの音楽という方が異常だったのですね。もちろん、それ以前はライヴしかなかったわけで、当然そこには映像というか視覚情報が伴っていたわけです。
 そういう意味でも、早く「オトトキ」を劇場で観たいなあ。映画音楽ではなくて音楽映画になっているでしょうから。

「オトトキ」公式

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2017.12.14

ペヤング カレーやきそばプラス納豆 (まるか食品)

Th_main_curryplusnatto っかり定期的なネタになった感のある「ペヤング」新作紹介。
 一時期の「Gショック」からすっかり立ち直り、安定した快走を続けるペヤング。もうすっかり日本のB級食文化として定着していますね。
 この会社の面白いところは、以前も書いたとおり、いわゆる無印「ペヤングソースやきそば」を安定的長期的不変的に供給しつつ、比較的短いサイクルで消えていく新商品、それも非常に挑戦的な新商品を、まるでシャレを楽しむかのように開発提供しているところですね。
 盤石の伝統芸があるからこそ、遊びや進取の精神が生まれる。これぞ本来の伝統文化伝承団体のあるべき姿であります(マジ)。
 さてさて、先月末に発売されたこの新商品「カレー焼きそばプラス納豆」。昨日初めて食べてみました。うん、これは上手に仕上げてきましたね。
 ちなみに、この「ペヤング+カレー+納豆」という組み合わせ、ワタクシは30年以上前からずっとやってきた、それこそ「伝統芸」であります。この前も、無印ペヤングにボンカレーとひきわり納豆をぶっかけてかき混ぜて食べたばかりです。
 私はもともとペヤング好き、カレー好き、納豆好きでしたから、当然自然な形でこのような食文化が形成されたわけです。そう、ペヤング1箱だと、食事としてはちょっと足りないじゃないですか。それで、大盛りカレーをぶっかけて、納豆も2パックとかぶっこむ。違う言い方をすると、米を炊くのが面倒なので、米代わりにペヤングを使っているというのも事実。一人暮らしだとこんな感じですよね。
 もちろん、このような嗜好や食環境を持つ日本人は他にもたくさんいらっしゃるでしょうから、ワタクシのオリジナルであるとは言いませんが、少なくともまるか食品さんの「新発見!」よりも30年以上早く「発見!」していたのは事実です(笑)。
 で、この「新発見!」カレーやきそばプラス納豆ですが、なかなか上品に仕上がっています。カレー味も納豆味も比較的控えめで、もちろん分量も増えるわけはないので、自分的納豆カレーやきそばを食してきた者としては、ちょっと物足りない感じもしました。
 いや、あまりに大雑把な邪道グルメと比較してはいけませんね。一つの作品としてはなかなか良くできていると思います。あのペヤング的甘ソースの風味もちゃんとしましたし。
 そうそう、ワタクシ流の納豆カレーやきそばですが、あのペヤングソースを入れるのかという質問を受けそうですね。はい、もちろんちゃんと入れます。青のりも調味パウダーも。そりゃ入れますよ。 
 あと、こういう食べ方もしますね。まず、お湯を入れる前に「生」で麺を少しかじる。そして普通に作る。正調ペヤングを三口ほど楽しんだのち、レトルトカレーと納豆をぶちこんで混ぜ混ぜする…ああ、こう書きながら食べたくなってきちゃった(笑)。 

まるか食品公式

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2017.12.13

南京陥落から80年

 元の町で万葉集講座をやりました。今日は全5回の最終日。昨年の古事記講座と同様、話があっちこっち飛びまくって、ワタクシらしい(?)トンデモな講座になりました。
 最終回の今日は、万葉集における「鳴沢」についてお話しました。内容は以前「鳴沢」とはどこか伊豆の高嶺の鳴沢に書いたものとほぼ同じで、ワタクシの「新説」「真説」を紹介いたしました。
 その中で、「伊豆の高嶺の鳴沢」の話から、伊豆山字鳴沢の「興亜観音」の話もいたしました。なんとも不思議な因縁を感じますね。なにしろ80年前の今日は南京が陥落した日。
 松井石根大将が入城したのは17日だったと思いますが、80年前の出来事が万葉集の話からこうして蘇るというのは、実に不思議な感じがしました。
 今日、中国では大々的に国家的な式典が行われました。

 南京事件、あるいは南京大虐殺については、このブログでも何回か書きましたとおり、私は「あった」「なかった」論には終始したくありません(2年前の南京事件から78年〜歴史という物語参照)。
 それよりも、私個人としては、松井石根さんを通して、戦争自体の悲惨さ、残酷さ、不条理さ、そして地球平和の大切さを学んでいきたいと思っています。
 次の動画は幸福の科学さんが製作したものですので、最後に大川総裁の霊言がありますが、それ以外はよく出来ていると思います。ま、正直この程度の霊言であれば、私でもできますよ(上から目線…笑)

 以前も紹介した、水島先輩の映画作品「南京の真実」が改めて公開されていました。ぜひ御覧ください。

 同じく英語版です。


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2017.12.12

『ハッピーバースデー変奏曲』  レイチェル・バートン・パイン

Happy Birthday Violin Variations -- Rachel Barton Pine

 日は映画監督小津安二郎の誕生日(命日でもある)。それからジャズピアニストの穐吉敏子さん、歌手の舟木一夫さんの誕生日でもあります。旧暦で言うと、一休さんの誕生日。
 というわけで、皆さんに「Happy Birthday to You」の曲をお届けします。
 この前、メタリカの演奏を紹介した、女流ヴァイオリニスト、レイチェル・バートン・パインの作曲(さすがに即興ではないでしょう)、演奏によるヴァイオリン無伴奏ヴァージョンです。
 ほとんどシャレという感じで楽しいですね。そして、まあ上手いわ、この人。これはたとえ楽譜があったとしても、とても弾けません(笑)。それにしても、まあ作曲のセンスも、ユーモアのセンスもありますね。
 ところでところで、今や、世界中で歌われているこの曲、もともとはアメリカのヒル姉妹の「Good Morning to All」という曲でした。1893年に生まれた曲です。
 学校なんかで歌われたようですね。朝の挨拶として。それがポピュラーになり、そして、単純な歌詞だけに、たくさんの替え歌が即興で作られていった。その内の一つである、誕生日ヴァージョンが20世紀になって有名になった。
 このおじいさんの解説と演奏が、そのあたりの歴史を生き生きと伝えていると思います。いい味だしてますね、このおじいさん(笑)。


 

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2017.12.11

『未来への7か条』 益川敏英

Th_yoko 日も生徒とAIの話をしました。世間でもブームですね。
 夏に「シンギュラリティ」はあり得るのかに書いたとおり、私はAIが人間を超えることに懐疑的です。AIはコトであり、人間はモノであると。
 そこに書き忘れましたが、正確に言いますと、AIは人間の脳みそのある部分については、すでにはるかにそれを凌駕しています。
 少し考えれば分かるとおり、計算能力や単純記憶能力においては、どうみても人間よりも優れている。まさにコト世界ですね。
 で、「人間はモノ」という表現の中には、「人間には体がある」という意味も含まれています。いくらAIが発達しても、体の制御という面では、まあ永遠に人間のレベルには追いつかないでしょう。それはある意味、AIというよりもロボットの問題なんですがね。
 ただ、人間と…と比較するならば、当然「肉体」というモノ部分も含めての比較でなければ、アンフェアです。
 現在、最先端のAIとロボットの技術を総合しても、やはり人間の子どものように自転車を乗りこなすことはできませんし、サッカーや野球に興じることもできませんよね。
 生徒にそんな話をしていた中、少し前にノーベル物理学賞受賞者である益川敏英さんの、こんなお話が記事になっていたことを思い出しました。

ノーベル物理学賞受賞 益川教授が証言! AIが絶対に人間にかなわないもの

 益川さんは、私とは違った視点で、「AIは人間を超えられない」と言います。AIが人間に絶対敵わないもの。それは「好奇心」であると。
 なるほど、そうですね。私たち人間は、それぞれ全く異なる好奇心を持っています。その対象を選んだ理由など、誰も分かりません。私たちは各自の好奇心を神様から授けられているのです。
 もしかすると好奇心の一つとしてとらえれるかもしれませんが、「愛」というものもAIには欠けていますね。「AI」なのに「愛」がないとは、これいかに(笑)。
 先ほどの記事の中で、益川さんは「未来への7か条」を挙げてくれています。共感いたします。

< 未来への7か条 >
1:現状に満足せず、常に挑戦的な気持ちを持つ
2:科学者に対し、充分な研究環境
3:科学の発見は本筋から外れた脇道からも生まれる
4:人間の知的好奇心はAIに勝る
5:科学技術がどう使われるのか、監視する
6:純粋な若い芽が育つ環境を作る
7:「夢とロマン」を真摯に追い求めるべし

Amazon 驚愕! 日本の未来年表

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2017.12.10

THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2017(その2)

Th_171211ci085000 エモンの東京ドーム、今日はBSスカパー!の生中継で鑑賞。
 昨日はずっと感動しっぱなしで、正直冷静に聴くことができませんでしたが、さすがに今日は半分は冷静に観たり、聴いたりできました。それでも何回か泣きましたが(涙)。
 まず、東京ドームは音が良くないなと。これはもう充分わかっていたことですし、どうしようもないことですが。
 私は今回が3回目のドーム・コンサートでした。最初は「X」の初ドーム。このときは本当に音響がひどかった。1990年でしたかね。まあ、お客さんの絶叫しか聞こえなかったとも言えますが。
 次は、関ジャニ∞の初ドーム。ここでも関ジャニらしくバンド演奏がありましたが、今ひとつモワモワしてしまってカチッと聞こえなかった。
 これはドームの宿命です。そういう意味では、今回のイエモンはそれなりにいろいろな技術革新があり、工夫もされていたのか、思ったよりも生音は悪くはありませんでした。
 とはいえ、特にベースの音がほとんど分解して聞こえないというのは相変わらずで、ヒーセの素晴らしいグルーブのベースがちゃんと聞こえないのは残念でなりませんでした。特にベーシストを目指す娘にとっては勉強の機会だと思ったのに、「全然聞こえなかった」という結末。
 今日はテレビでしたから、とってもよく聞こえましたよ、ベースが。逆にボーカルが引っ込んだ感じで、バンドとしての楽器音が前面に出ていてよかった。
 やっぱりこのバンドのすごいところは、メンバーのミュージシャンとしての実力が非常に高いことですね。後半はストリングスやホーンが加わって厚みのある音作りになっていましたが、基本4人だけで、それも吉井さんがギターを持っていない時は、3人の音だけで、あれだけの力のあるアンサンブルができるというのは、これは各パートの演奏技量ももちろんですが、それぞれの作曲能力が高いということを示していると思います。
 いろいろな日本のバンドを生で聴く機会がありましたが、けっこうメンバーのどこかに穴とはまではいかないけれど、弱いへっこみみたいなのを感じることが多い。そんな中、圧倒的にバランス良く「うまい」のがイエモンです。
 そして、これもあらためて言うまでもないことですけれども、やっぱり吉井さんの作詞、作曲の能力は本当にすごいなと。阿久悠やなかにし礼、そして平尾昌晃や筒美京平の正統的な継承者としての吉井和哉というのを、今日は本当に実感させてもらいました。
 最近のJロックやJポップは、サビが来るまでが退屈でしかたない。昭和歌謡と同様、吉井さんの曲も、「入り」から引き込まれる、いやイントロから引き込まれる。そして無駄なCメロがない。
 古臭い人間だと言われるかもしれませんが、やはり私はそちらの方が100年後にも歌い継がれると思いますよ。
 それにしても、吉井さんの日本語は本当にすごいですね。難しい言葉は使わない。けれども、深み、奥行きがある。これって本物の詩人の条件ですよ。
 それにしても、メンバーはみんな50代でしょうか。私も同世代として、負けないぞ!という気持ちにさせられました。新しいアルバム、楽しみですね。
 私も新たな挑戦をしますよ。東京ドームのステージに立ちますよ(笑)。
 ありがとう、THE YELLOW MONKEY。

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2017.12.09

THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2017(その1)

Th_img_0523 日は我が家族にとって一生の思い出になる日でした。音楽よありがとう。
 氷点下10度の自宅を朝5時に出発し、高3の上の娘はジャズバンド部での最後の演奏の機会となる「浅草ジャズコンテスト」へ。かつて同部がグランプリを獲得したこともあります歴史あるコンテストです。
 6年間の部活動の総決算。先生たちや仲間に感謝の気持ちをこめて演奏するよう送り出しました。
 私と家内と中3になる下の娘は、お昼前に富士山を発ち、まずは知り合いの入院する新宿近くの病院に立ち寄り、「奇跡」のお手伝い。感謝と愛をこめて。実際奇跡は起きています。
 そして、急いで会場である浅草公会堂へ。実はちょっとしたアクシデントがあり、私は車を停める場所に行きつけず、娘の最後の演奏は聴くことができませんでした。
 しかし、演奏後の娘や家族、そして先生方にお会いして、ああいい演奏ができたのだなと確信しました。みんなの表情ですぐにわかりました。
 結果は、会場賞である「浅草ジャズ賞」を受賞。娘も今までで一番楽しく、幸せな気持ちで演奏できたということで、お客さんの選ぶ賞を獲れたことが、何と言ってもうれしかったようです。6年かけて、ようやくそういう境地に達したのだなと感慨深いものがありました。自分が楽しまないとお客さんも楽しくない!
 審査員の先生方にも褒めていただき、最高のステージで有終の美をおさめることができたようです。プロのベーシストになるのかな。ちょっと楽しみです。
Th_img_0518 さて、演奏後会場をすぐに後にした私たちは東京ドームへ。そうです。今日はイエモン(THE YELLOW MONKEY)のライヴの日です。夏前に、この日は家族全員で行こうとチケットを取ってありました。娘たちはふたりとも受験生なんですが、将来人前で音楽を披露する仕事を目指す娘たちにとっては、勉強よりも大切な機会になるはず…。
 まず結論から言います。本当に素晴らしかった。素晴らしすぎた。娘たちはもちろん、私たち夫婦にとっても特別に感慨深いライヴとなりました。
 本当にイエモンはすごい。世界に誇る日本語ロックの重鎮です。みんなで何度も泣きました。なぜ泣けるのか。ロックは泣けるんだ。まるで演歌みたい。人生だ。
 彼ら4人の存在が、歌が、詩が、曲が、演奏が、全て感動的でした。音楽ってすごい。それも、力を持つ言葉を伴った音楽はすごい。
 セットリストやレビューは他の人におまかせします。とにかく私たち家族にとって、特別すぎる時間でした。個人的なことを書いてもいいですか?いや、思い出に書かせて下さい。
 若い頃、日本語ロックを馬鹿にして洋楽ばかり聴いていた私は、こちらに書いたように、彼らのアルバム「SICKS」に衝撃を受けました。その後、家内と職場で出会い結婚。歌好きの家内もすぐにイエモンの世界に惚れ込みました。
 その頃、自宅近くで伝説の第1回フジロックがあり、家から漏れ聞こえる音を聞こうかと思ったら、大変な嵐でそれどころではなくなったり、また夫婦でライヴに行くはずが、アクシデントで行けなくなったり、なんだかんだ彼らとはすれ違いがあったんですね。そのうちに解散
 しかし、その後まさかのまさかが重なりました。吉井和哉さんは河口湖に住むようになり、地元ならではのご縁でなんとなく近い存在になりつつ、しかしやはりイエモンロスの中、私は、イエモンゲノムを継ぐとも言える地元山梨の日本語ロックバンド、レミオロメンやフジファブリックにはまっていきます。
 その後、志村正彦くんや藤巻亮太くんと会って話す機会を得たり、彼らのご家族とご縁ができたりしましたが、志村くんは2009年に急死してしまいました。しかし、志村くんの力なのか、そのあと、また不思議な奇跡が起きます。
 ひょんなことから、吉井さんと会うこととなり、そして志村くん談義をすることになったのです。そして、そこで判明した驚愕の事実。なんと、吉井さんは私の中学の後輩だったのです。それも私が3年生の時の1年生。お互い住んでいたところも同じ町内で、ローカルな話で盛り上がる盛り上がる(笑)。驚きました。
 そして、その頃、全く別のルートで、イエモンを撮り続けてきた写真家の有賀幹夫さんとも出会い、こんなイベントを主催させてもらったりもしました。
 そして、その後もいろいろある中で、昨年5月のイエモン復活!8月には(実は初)ライヴ参戦
Th_img_0520 そしてそして、今日を迎えたわけです。あの頃からすると考えられないことが起きています。彼らが復活して、こうして東京ドームでライヴをするだけでも夢のようですが、そこに自分の家族が全員いるというのが、本当に私は個人的に感慨深いのです。泣けてくるのです。ちょうど彼らが活動を休止していた間、私たちは家族を育んできました。それも音楽を中心にして。
 そうして、いつのまにか娘たちもそれなりに成長し、それぞれ音楽の道を目指そうとしている。そして、私たち4人が心から共有、共鳴できる音楽が「THE YELLOW MONKEY」だった。これはどういうことなのでしょう。
 今日の東京ドームには、集まった方々数万人、それぞれの人生が詰まっていました。それを思うとまた泣けてくる。本当に音楽ってすごい。ロックってすごい。そして、人の縁というのはすごい。
 そうそう、私、途中で気づいたんです。ホーンセクションにあの人がいることを。そう、今年の9月、我が校のジャズバンド部の第15回リサイタルにゲスト出演してくださった、キューバ出身のトランペッター、ルイス・バジェさんがいるのを!こんなところでも、つながっている。今日ジャズバンド部での最後の演奏をした上の娘と、数ヶ月前同じステージで共演した彼が、今、吉井和哉たちと共演している!
 なんというか、おおげさでなく、今まで生きてきた中で、これほど「音楽=人生」「No Music No Life」を感じたことはなかった。
 ありがとう、イエモン、ありがとう吉井和哉。明日はテレビの生中継で落ち着いて鑑賞させていただきます。冷静なライヴ自体の感想は明日書きますよ。

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2017.12.08

富岡八幡宮事件について

Th_1024pxtomioka_hachimangu_201708 の毛もよだつような事件です。由緒ある神社でこのような事件が起きるとは。
 しかし、考えてみれば、平安時代や鎌倉時代には、神社を舞台とした殺傷事件はいくつかありましたし、怨霊になって神社自体を呪うというのもあったこと。
 なんだか、突然現代から中世に引き戻されたような気がしますね。
 いくつか気になることがあります。
 まずは、深川八幡が富岡八幡と呼ばれるようになった由縁。報道されているとおり、この神社を近代的な意味において「再興」したのは、今回の被害者、加害者の祖父である富岡盛彦。
 富岡盛彦は神社本庁の総長まで務めた近代神社界の重鎮、実力者です。彼と、谷口雅春、朝比奈宗源、安岡正篤、岡田恵珠らが、日本会議の前身である日本を守る会を創設しました。
 立派すぎる父を持つと大変で、盛彦の息子、すなわち今回の事件の姉妹の父親はいろいろと問題があった人と聞いています。そして、孫の世代にこんな時代錯誤なことが起きた。それも神社本庁がらみのトラブル。なんとも不思議な因縁であります。
 う〜ん、富岡を名乗ってしまったところからして、大きな間違いだったのかもしれませんね。
 もう一つ、気になるのは、大相撲との関係です。
 今、角界は大荒れです。それも外国勢力と国内勢力との対立。深川八幡は古くから江戸勧進相撲と深い関係があります。
 勧進相撲は、本来神事であった相撲を、表面上その性質を残しながら、一つの興行として発達していきました。それが現在の大相撲につながっています。
 ここで思い出されるのは、2011年、平成23年の春場所です。そう、八百長関係で中止となった場所です。その本来開催されるはずだった幻の場所中に、あの東日本大震災が起きました。私は、ずっと続いてきた地鎮の祭事を行わなかったからだと、真剣に思いました。
 今回の事件も、もしかすると、大相撲の混乱、腐敗、外国勢力(特に蒙古)の侵入と関係あるかもしれません。
 それこそ全く科学的ではありませんが、日本は科学の国ではなく、霊性の国です。この事件についても、ワイドショー的な視点だけでなく、霊的な視点で解釈しなければならないと思います。
 そう言えば、ここのところ、富士山のラドン濃度が異常値を示しています。大相撲の混乱とともに再び大地が動くことのないよう祈りたいと思います。

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2017.12.07

『ゴッチ式トレーニング』 藤原喜明 (新紀元社)

Th_513hs8kogil_sx349_bo1204203200_ ロレスの神様(の一人)、カール・ゴッチ没後10年。
 まだまだ現役で頑張っている、ゴッチの愛弟子の一人である藤原喜明組長が伝え、語る「ゴッチ流の鍛え方」。また、アントニオ猪木さんをはじめ、ゴッチの洗礼を受けた内外のプロレスラーたちが師匠について語る、語り合う貴重な話が満載のこの本。大変興味深く読ませていただきました。
 ここでちょっとワタクシごととなりますが、実はこの本の奥書にはウチのカミさんの名前が出ております。
 う〜ん、まさか自分の嫁の名前がプロレスの神様ゴッチの本に載るとは、プロレス大好き少年(青年)だったワタクシは、まさに夢にも思わなかったなあ。人生は何が起きるか分かりません。まさに一寸先はハプニング(笑)。
 実はカミさん、ゴッチについて語ってくれた外国人レスラーの皆さんの英語を翻訳するという大役を仰せつかっていたのです。
 たしかに、毎晩毎晩、苦労しながら訳していましたっけ。私もちょっとだけアドバイスなどしましたが、ほとんど自力でやっておりました。
 いくらプロレス、格闘技大好き女とはいえ、専門用語など出てくると、さすがに困惑していました。私だって分からない。で、そういうところは、きっと編集者の方が適語に直してくれるだろうということで、なんちゃって直訳でごまかしていたんですね。
 そうしたら、結局ほとんどがそのまんま活字になってしまった。ですから、ちょっと細かく読むと変なところがあります。ごめんなさい。
 ま、それはいいとして、やっぱり昭和の天才のことになってしまいますね。外国人ですから昭和というのは変かもしれませんが、彼ら天才たち、たとえばこのカール・ゴッチやルー・テーズ、そしてビル・ロビンソンなんかは、昭和の日本で輝いたとも言えますね。
 もちろん、当時の日本が経済的に栄えており、よってプロレス界のギャラもかなり高かったから、彼らが日本に稼ぎに来ていたという側面もありますが、それと同時に、いやそれ以上に、日本のファンが、彼らのような「職人」や「努力家」、「苦労人」が好きだったし、よく理解していたという部分もありました。
 ゴッチの没後10年にあたり、日本のレスラーたちが中心となって、荒川区の回向院にお墓が建立されました。こういうところもまた日本的ですよね。
 今、再びプロレスブームが起きつつあります。この前書いたお笑いの世界と同様に、あの頃、すなわち昭和をもう一度と言うわけではありません。若い人たちは、常に新しい世界を模索し、切り開いていかなければなりません。
 しかし、だからこそ、まさに「温故知新」、かつての大物たちに学ばねばなりません。
 くり返しになりますが、当時と同じ練習をして、同じ闘いを見せるということではありません。ただ、もし彼らが現代において現役バリバリだったら、時代の要請にどう応えるのかを想像するのは大切なことだと思います。
 そういう意味で、この本に登場するゴッチの遺伝子たちが、こうして現代のリングに何かを残し、何かを語りかけ、何かを問いかけようとしていることに、心から感謝と敬意を抱かねばなりません。
 レスラーはもとより、私たち観戦する側も、もう一度原点や本質に帰ってみる必要がありますね。私は今はなんのスポーツもしていませんし、体をほとんど動かしませんが、なぜかこの本や、以前紹介した鈴木秀樹選手のビル・ロビンソン伝 キャッチ アズ キャッチ キャン入門』など、具体的な体の動かし方、つまり文字とは違う言語…肉体言語…で語られた本に、ものすごく大きな刺激を受け、そして学びました。
 プロレスに限らず、いろいろな分野で、かつての天才や職人たちの「体の動き」を紹介する本が刊行されることを期待します。
 不思議ですね。ビデオとは違う良さがあるんですよ。ポイントを抽象してあるから、シロウトでもじっくり真似てみることができます。実際に体は動かさずとも、脳内の自分の別の体を動かすことができるんですね。そこから学ぶモノは、あきらかに文字言語から学ぶコトとは大違いなのです。

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2017.12.06

タビビヨリ 柔らかコンフォートカジュアル (アシックス)

Th_81pthrflgpl_ul1500__2 年買ったアシックスのコンフォートシューズが、それこそとってもコンフォート(快適)でして、毎日出勤の時に履いていました。
 傷みもなくこれは長年履けるぞと思っていたところ、まさかの猫ちゃんが(たぶんシローさん)がトイレと間違えて(笑)粗相をしてしまいました。
 丸洗いしたけれど、猫ちゃんのオシッコは強力でなかなか臭いがとれません。しかたなく、新規に購入することにしました。なにしろ満足して使っていたので、同じ「旅日和」シリーズにしてみました。
 昨年から履いていたものは、紐がないタイプだったので、今度は紐ありに。前のはスリッポンのようにサッと履けるのが良かったけれど、紐タイプとなるとどうかなと思っていたのですが、全く同じような感じでサッと履くことができました。いちおう紐の横にファスナーがついているのですが、それは使わなくとも大丈夫でした。
 幅広タイプですし、いわゆるウォーキングシューズなので、決してオシャレな感じではありません。しかし、日常の仕事や出張に使うにはギリギリ大丈夫ではないでしょうか。
 安い割に耐久性もありますのでおススメですよ。
 猫ちゃんにやられないように玄関に放置しないよう注意します(笑)。

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2017.12.05

『Metallica's One for violin and cello』 Rachel Barton Pine and Mike Block

 常に自由な感覚で活躍中のヴァイオリニスト、レイチェル・バートン・パイン。
 彼女は、こちらで紹介したように片足切断という悲劇に見舞われながらも、逆に何かを吹っ切ったかのような活動を繰り広げていますね。
 バロック・ヴァイオリンもうまいし、最近はヴィオラ・ダモーレもめちゃくちゃ上手に弾いています。
 かと思えばロックをやったりする。この動画でもメタリカの名曲「ONE」を自分で編曲して弾いています。
 メタリカとクラシックの親和性については、こちらこちらに書きました。まあ、やっぱりクラシックもロックも白人の音楽だということです。
 さて、レイチェル・バートン・パインと一緒に弾いているチェリストがマイク・ブロック。彼は独自の支持装置(ベルト)を使って、この動画のように立ってチェロを演奏することが多い。いいですね。
 立ってチェロというと、バロック時代に同じくベルト(ストラップ)で楽器を吊るすヴィオロンチェロ・ダ・スパラがありました。
 ロックはやっぱり立って動いて演奏するのがよい。そういう意味ではアポカリプティカには限界がありました。
 考えてみると、ELOのチェリストたちもライヴでは独特の持ち方で立って動き回りながらチェロを弾いていましたね。
 ヴァイオリンの顎当てでさえ、私にとっては邪魔な存在です。なるべく体を自由に演奏したい。
 というわけで、私もさっそくチェロ立奏用のストラップを自作してみようと思います(笑)。

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2017.12.04

アナザーストーリーズ 運命の分岐点 『落語を救った男たち 天才現る! 古今亭志ん朝の衝撃』  (BSプレミアム)

Th__20171205_160311 ょうど昨日の続きとなります。M-1を観ながら、あっそうだ、録画したのをまだ観てなかったと思って今日じっくり鑑賞したのがこの番組。
 天才古今亭志ん朝が主人公。古典の天才がいて、それに王道では敵わないと、立川談志をはじめとするプチ天才たちが新しい芸を生み出していく。
 こういう構造こそが、今の漫才界にも必要だと言いたかったのです。偉そうな言い方ですが。
 門外漢のシロウトが…自分でもそう思う反面、実はそういう昭和の幸福かつ厳しい構造というのは、お笑いだけでなく、あらゆる分野において、今不足しているのだと感じています。たとえば、いちおう私がプロである(はずの)教育界でも。
 懐古ということではなくてですね、平成が終わろうとしている今、歴史になってしまおうとしている「昭和」、私を育てた昭和という時代の、そういう構造ってなんだったんだろうと真剣に思うわけです。
 古き良き時代をもう一度というのではなく、逆に今、なぜそういう構造がなくなった、というより、いらなくなったのかというのに興味があります。
 おそらくは人類の進化の過程だと思うので、悪いことではないと思うのですよ。
 人類は「最近の若者は…」と何千年も言い続けながら進化してきたわけですから(笑)。面白いですよね。
 今年の自分の進化としては、そういう考え方ができるようになってきたということです。自分の過去の常識に反することを、前向きにプラスとして捉えられるようになった(やっと)。
 だから、昨日の言い方とか、この記事の冒頭と矛盾してしまうかもしれないのですが、ある意味、時代を革命的に動かす天才を必要としない世の中になりつつあるのかなと。革命の時代は終わって、成熟の時代なのかと。
 ま、そんなことも考えながら、この番組を観たところであります。
 アナザーストーリーズ、全体として、昭和を懐かしみ、すごい時代だったなと感じさせる番組ですが、なるほど昭和へのノスタルジーもそろそろ捨て去るべき時代なのかもしれませんね。
 私も残党にならないように時代の先端を走っていきたいと思います。時々後ろを振り返りながら。


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2017.12.03

M-1グランプリ 2017

Th_ddbdd_760_2101715_20171204_12094 M−1、とろサーモンが優勝でしたね。個人的には、最近ひょんなことから身近に感じている和牛を応援していました。
 和牛のすごいところは、予選から全部違うネタを用意してきたことです。普通は鉄板ネタを何度か使って優勝を狙いますよね。彼らは全部違うネタを作ってきた。作るだけでも大変ですし、その配置を考えるだけでも非常に難しいことは想像に難くありません。まさに身を削って頑張っていますね。
 そういう意味では優勝候補と言われながら今年も優勝できなかったのは、本人たちも残念でならないでしょう。
 ことお笑いに限らず、シロウトがプロを偉そうに批評するのは、実にイタいことなんですが、ちょっと今日は少し大きな視点から感想などを。いちおうコント部(仮)顧問だもので(笑)。
 M−1は言うまでもなく「漫才」の王者決定戦です。キングオブコントはコントの王者決定戦。漫才とコントの違いについても言うまでもないでしょう。
 いや、というか、その境界がはっきりしなくなっているのが現状とも言えますね。たとえば今日のM-1でも、いわゆる伝統的なボケとツッコミのしゃべくり漫才はほとんどなく、だいたいがコント漫才、あるいは動きで見せたり、歌で聞かせてたり、場合によってはお互いに叫び続けるような、一言で言うならリズム系でしょうかね、そういう「新しい」タイプの漫才でした。
 和牛もとろサーモンも「コント漫才」やりましたよね。というか、旅館の女将と中居で少しかぶった感がありました(笑)。
 たしかにしゃべくり漫才よりも本は作りやすい。シチュエーションや動きで見せられますからね。観る方もコントの見方で観られるので楽といえば楽。
 私も数年前、コント部のある2人に漫才をやらせてみたんですが、その時の脚本の一部がこれ。ほら、やっぱりコント漫才になってる。

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 やっぱり演る方も観る方も分かりやすいし、全体として変化をつけやすいんですね。当然作る方も作りやすい。
 まあ、考え方によっては、落語の二人版とも言えますよね、コント漫才は。だから別に批判するわけではないんですが、なんかみんながみんな、そういう「今風」な漫才をやるとですね、伝統的なものも観てみたくなるわけですよ。
 もちろん、やすきよ時代からコント漫才はあるわけで、もう充分伝統的ではあるわけですが、あまりにみんなが同じような傾向になってしまうと、ふと基本に立ち返りたくなる時ってあるじゃないですか。今日はそういう気分でしたね。
 それから、個性、特技に若い内からはまってしまうと、つまり、一度ウケたネタを改編するだけだと、結果として自分たちの首をしめてしまいますね。
 和牛で言えば、水田さんの「自閉的ボケ」(言葉の意味を直線的にしかとらえられない)と、川西さんの常識人ぶり(そして時々壊れる)のパターンが多すぎかなと思っていました。今回で言えば決勝2本目がそうでした。だから私は1本目の方が面白いと思いましたね。前半普通にボケながら、後半それを回収するという私の好きなパターンでした。2本目はまあ得意の、いつものパターンでした。だから新鮮味がなくかったのかも。

 ま、シロウトはなんとでも言えますよね。どんなに大変な思いで、それこそ命がけで仕事していらっしゃることを知ると、本当はこんなこと言えないんですが。今日だけは許してください。
 皆さんお疲れ様でした。お笑いはまさに人を幸せにするお仕事。心から敬意と感謝を申し上げたいと思います。

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2017.12.02

『時間とはなんだろう 最新物理学で探る「時」の正体』 松浦 壮 (講談社ブルーバックス)

Th_51xnuh5xl_sx324_bo1204203200__4 日に続き、時間のお話。
 昨日とは打って変わってちゃんとした時間論。なにしろ「最新物理学で探る」わけですから。いや、それ以上の価値がありました。
 まずは、少年時代理系を目指しつつ比較的早く挫折し、完全なる文系になったワタクシとしては、この本の目指す「数式を使わないで」という方針はまさに渡りに船というか、地獄で仏というかでしたね(笑)。
 あっそうそう、先に書いちゃいますが、ちょっと前まで理系を挫折して文系になったことを、私は「負け」だと思っていたんですが、最近は完全にひっくり返って「大勝利」だと思うようになりました。
 コトで世界を見ようとする理系のかっこよさを認めつつ、やはり本質はモノの方にあると悟ったからです。
 おっと、私の「モノ・コト論」を知らない人は、え?理系がモノで文系がコトじゃないの?と思われるかもしれませんが、逆です。コト(型・言語・理論)の究極の形が数式(数学)であり、それで説明できない、いわばコトの補集合全体がモノ(もののけ?)ですので。
 で、この本も結局のところ、狭いコト世界での話に終始しているので、文系からの上から目線的には(笑)、結果としてやっぱりその他補集合の方が本体だなと。たとえば「時間」についても。
 だから、いくらここ数百年の物理学のすさまじい挑戦と成功と発見の歴史を解説したところで、それを実現してしまった人間のすごさをものすごくよく分かる一方、「時間とはなんだろう」という問いについては、結局「よく分からない」という結論になってしまっている。
 まあ文系的に言えば、そういう理解できない、すなわち制御不可能なところこそが、「もののあはれ」であって、そう、たしかに「もの」や「あはれ」や、その組み合わせの「もののあはれ」という日本語の使用例を見れば、そこには必ず「時間」の流れ(無常観)が関わってきています。
 時間の不可逆性、いやそれ以前に止めることができないという本質に対してため息をついたのが「もののあはれ」ですからね。ブッダの言う「苦諦」です(「もののあれは=苦諦」参照)。
 さらに、ある意味文系的なアプローチとしての「哲学的時間観」というのも、結局は言語という「コト(の端)」によって、正体不明な「時間」を解説しようという試みなので、かなり無理があります。ハイデガーでさえも結局あきらめてるし。
 ですから、私はもっと生活感に根ざした「時間論」を展開したいと思っているわけです。それが、結果として「時間は未来から過去へと流れている」という、現代地球人の一般常識とは180度違うものになってしまっているのですが。
 もちろん、私は理系を否定しているわけではありません。いつも書いているとおり、私の哲学の終着点は「コトを窮めてモノに至る」ですから。そういう意味ではこの本の価値は高いと思います。数式(純粋コト)ではなく、人間味あふれる手垢のついた言葉(コトの端)で全体を予感させようとしているわけですから。
 著者は科学者であり、詩人なのでした。実際、自然界と人間の、両方のすこさが表現されていますし。私はそういう人が好きです。

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2017.12.01

加速する人生

Th_unknown 走に入りました。俗説のとおり、教師であるワタクシはたしかに走らずにはいられないほど忙しい。
 今年は公私ともに忙しかったため、本当に時間が早く過ぎました。
 皆さんもというか、人類のほとんどが体感しているように、年をとると時間が早く進むようになります。
 これがなぜなのか、今までもいろいろな解釈がなされてきました。たとえばこの記事などよくまとまっていますよね。

大人はなぜ時間を短く感じる?

 なるほど、たしかにありそうな話ではあります。
 しかし、私はちょっと違った解釈をしておりまして、最近はそれを証明しようと企んでいるところです。
 時間というのは、目に見えない、触ることができない、いわば「情報」に近いものだと思います。
 物体の質量に比例して引力が大きくなるのと似て、私たちの脳内に情報が増えると、「情報引力」も大きくなり、流入してくる情報量も増えてきますし、まるでブラックホールが物質を飲み込むように、情報の流入スピードも早くなってきます。
 その、情報の流入スピードこそ、私たちが感じる「時間」であると考えるのです。
 もちろん、こんな説は地球上には存在しません。あくまで宇宙人の「時間観」であります(笑)。
 しかし、地球人にとっても、おそらくは「忙しい」というのは「情報流入過多」の状況を言うのでしょうし、大人になると、蓄積されている「情報質量」も大きくなっているというのは、なんとなく実感としてあるのではないでしょうか。
 最近ウチの父親はボケてきていまして、蓄積されていた情報がダダ漏れになり、また新しい情報の流入も巧みにやりすごしているように見えます。今度確かめてみようと思うのですが、たぶん今の父にとっては、時間は昔よりゆっくり流れているかもしれないし、あるいは時間の流れすら感じていないかもしれません。ちょっとうらやましいかも(笑)。
 ま、私はもう少し大人として頑張らねばならないので、自分の加速する人生について、このように考えるようにしています(方便)。
 「普通走り続けていると疲れてだんだん速度が落ちるものだ。それなのに日々加速するなんて、オレっすごいな!」
 

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