TED 『グァ・ワン: 未来のオーケストラの作り方』
音楽も一大転機を迎えていると感じます。
いわゆる五線譜に描くことのできる近代西洋音楽が、五線譜に描くことができるからこその限界点に達しつつある現代、はたして、その先の音楽とはいかなるものなのか。
それは、その近代西洋音楽が生まれた時に、それ以前の音楽家が想像しえなかったように、やはり全く違う次元の未知なる音楽になっていくのでしょうか。
一つのヒントが、このグァ・ワンのプレゼンテーションでしょう。
その「コンピューター音楽」は、彼が演じるように、たしかに未来的になっていく反面、逆に原始的になっていく可能性がある。
すなわち、あくまで3次元的なテクノロジーの進化としての「楽器」が、人間の身体性を奪っていった、すなわち平準化、容易化していったのに反して、5次元的な情報世界でのテクノロジーの進化は、再び私たちが音楽の身体性を取り戻すきっかけを作ってくれるかもしれないということです。
私もちょっとそんな気がしているのです。
近代西洋音楽のあり方は、「記録」という形をとって、ある意味音楽の本来的な生命を奪ってしまいました。楽譜や録音という形での再現性は高くなりましたが、その創造性、一回性、ライヴ性というのは失われてしまった。
今、たえとばポピュラー音楽やクラシック音楽の世界でも、録音や録画はほとんど無料でいくらでも見聞きできるようになりました。つまり、その価値はほとんどゼロになってしまった。
そのために、逆にライヴ会場、コンサートホールに足を運び、「今」を体感することに価値を見出す人が増えてきました。アーティスト側もそうです。小さな会場でもいいからライヴでコミュニケーションしたいと考える人がずいぶん増えました。
コンピュータ(インターネット)を介することによって、その「ライヴ」は「場」に縛られなくなる、すわなち3次元的制約に縛られなくなる可能性が出てきたわけです。
世界中で同時多発的に音楽が奏でられる。そこには演奏者と聴衆の区別もないかもしれない。3次元的近代楽器が、平準化、容易化を促すと同時に、そのために「誰でも弾ける」を突破した一部の「器用な」操縦者…マエストロとも言われる…を生み出したのとは反対に、誰でもが息をするように楽音を発するようになるのかもしれません。
音楽は7次元以上の高次元からやってくるモノです。それを記録することには実は意味はあまりありません。やってくるモノを、私たちがメディア(楽器とは少し違う)になって、この3次元に同時的に表現する。これが本来の音楽だと、私は信じています。
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