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2017.09.19

メキシコでM7.1

Th__20170921_63501 いこの前、メキシコでM8.2・秋田で震度5強という記事を書いたばかり。そのチアパス地震の余震と考えるには、あまりに震源が離れている今回のプエブラ地震。
 地図で見ますと500キロほど離れていますから、東京と大阪ほども離れています。これは誘発地震と捉えた方がいいかもしれません。
 震源が首都メキシコシティーに近かった分、被害はチアパス地震よりも大きくなっている模様です。
 日本の感覚で言いますと、紀伊半島沖でM8.2が発生し、その2週間後くらいに神奈川でM7.1が発生したという感じでしょうか(あくまでイメージです)。
 それも関東大震災の日、すなわち防災の日に二つ目の地震が発生したという状況。すなわち、プエブラ地震は、32年前1985年のメキシコ大地震の日に発生したのです。これはあまりに皮肉な偶然です。
 32年前のメキシコ地震はメキシコシティーの西側の太平洋で発生しました。マグニチュードは8。メキシコシティーを長周期地震動が襲い、全壊3万棟以上、死者1万人を出しました。
 その教訓を忘れないように、避難訓練などをしている最中、本当の大地震が発生したわけですから、これは本当に驚きとしか言いようがありません。
 この前の記事にも書いたように、メキシコでの地震は決して「対岸の地震」ではありません。環太平洋火山帯(造山帯)として考えれば、日本も全く同じ環境にあるとも言えます。
 このように短期間で大規模な地震が、やや離れたところで発生することもありうるということを、私たちも意識しなければなりませんね。
 いち早い行方不明者の救出と復興を祈ります。日本からも救助チームが派遣されることでしょう。

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2017.09.18

第19回 かりんの会 朗読会

20170918_120243_2 楽三昧の3連休最終日。昨日、一昨日の経験と思索が活きた演奏ができたかな。
 今日は河口湖円形ホールにて、朗読の伴奏をさせていただきました。
 こういう活動は、なんだかんだで30年近くやっており、いつのまにか自分の音楽活動の軸の一つになっています。
 あらためて私の音楽活動の軸というのを申し上げますと、

1 古楽器アンサンブルによるバロック音楽演奏
2 歌謡曲バンドによる昭和歌謡演奏
3 即興演奏による朗読伴奏

 であります。演奏頻度はやはり1,2,3という順番になりますかね。ですから、今日のような活動はあまり多くはない。年に2回くらいです。
 今日は、地元の村の方々を中心に結成されている「かりんの会」の19回目の朗読会。こちらも大変長く活動されている団体です。
 一昨日は15回、昨日は200回、今日は19回…なるほど、皆さん立派に継続的に活動されていますね。私はいつも乗っかるだけ。
 さて、この3番の活動の楽しみは、やはり「即興」ということでしょう。いちおう1回だけ打ち合わせはしましたが、リハもほとんどなし。その場の雰囲気で音楽や効果音を入れていきます。
 今日は四つの楽器を演奏しました。すなわち、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、八雲琴です。
 音楽と言っても、朗読を妨げることのないように、多くはオープニングとエンディング、そして場面転換の時しか入れません。
 効果音は、たとえば今日は、ワインが爆発する音、大蛇が追いかけてくる音など。その他、ヴァイオリン属の楽器では、車の音や飛行機の音、サイレン、人が話す声、猫や犬や牛や馬の鳴き声など、幽霊の出そうな音など、けっこういろいろな音を出すことができるんです。
 今日は合計で9作の作品の朗読のお手伝いをしました。内容はいちおう読んで把握していましたが、細かいところは忘れているので、ライヴで聞きながらその世界に没入し、ここだ!というところで楽器を奏でるという形です。
 人によっては、そんな危なっかしいことをして失敗したらどうするの?というお思いになることでしょう。
 しかし、面白いもので、集中していると、それこそ「ものまね(モノを招く)」状態になり、自分でも気持ちよく朗読の手助けができるのです。
 おかげさまで、話者の皆さんにも、聴衆の皆さんにも、大変喜んでいただきました。というか、とりたてて「伴奏が良かった!」と言われないところが自分としては大成功(?)。
 映画にせよ、演劇にせよ、テレビドラマにせよ、「音楽が良かった」というのは、二次的な感想であるべきですよね。
 もちろん即興ですし、絶対音感もないワタクシとしては、今となってはどんな曲を演奏したのか覚えていませんし、復元することは100%無理です。
 そういう流れて消えてゆく一回性の音楽というのも、それはそれで楽譜と繰り返し練習の音楽とは違って、実にいいものではないですか。
 私はけっこう好きです。
 そして、そして、超一流の演奏家はですね、楽譜と繰り返し練習をしても、「今、生まれて消えてゆく」音楽を表現できるのですよ。それができるかできないかで、超一流とそれ以外との区別ができるのでした。ダンスもしかり。朗読もしかり。時間芸術はそういうものなんですね。


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2017.09.17

おさかべホームコンサート 200回記念演奏会

Th_img_1526 日に続き、ふじさんホールにて音楽鑑賞。
 期せずして、昨日書いたことを確認するコンサートとなりました。
 高校野球をずっと観ていたあと、プロ野球を観ると、独特の感動やら違和感やらがあるじゃないですか。あれと一緒だなあと実感。
 それぞれの年齢の音楽があって面白い。アマチュアとプロの両方の音楽のあり方が存在して当然。どちらも楽しければ良い。どちらも楽しくなければダメ。
 富士吉田のパインズパークのすぐ上にある刑部邸は、地元の音楽好きには有名なお宅です。なにしろ自宅を開放してのホームコンサートを22年続け、とうとうそれが200回にまで到達したのですから。
 文化不毛の地という自虐の言葉も聞かれる富士吉田において、特にクラシック分野においては孤軍奮闘されてきた刑部ご夫妻には感謝と敬意の念を禁じえません。
Th_img_1527 実はパンフレットをもらってビックリしたのですよ。なぜなら、21年前、第4回の時に出演したワタクシの、懐かしい(恥ずかしい)写真が掲載されていたもので(笑)。髪の毛がある!w
 私も若かりし頃(とは言っても30代ですが)、2回コンサートに参加させていただきました。当時としてはまだ多少珍しさのあった「古楽器」の演奏家としてです。チェンバロを運び入れてバロック音楽を演奏させていただきました。
 それからはずっとご無沙汰の状況。というか、出演者のレベルが世界的になって、ワタクシのような演奏者はお呼びいただけなくなったということですね。結構なことです。
 今日の演奏会は3部構成。1部はピアノによるクラシック。2部はマリンバによるバッハからピアソラまで。3部はジャズトリオによるスタンダード特集。
 それぞれいろいろなことを感じさせていただきましたが、やはり昨日のことからすると、高校野球とは違う、プロ野球の面白さを堪能させていただきましたね。その面白さは、場合によっては、面白くなさにもすぐに変わってしまうわけで、そういうプロ音楽の危うさみたいなものも感じました。
 実際、ここ数年、私はかつてあれほど好きだったプロ野球中継をほとんど見なくなっています。代わりにといってはなんですが、高校野球は娘の影響もあってよく観るようになっている。違う魅力があるからですね。逆に言うと、プロの面白さに飽きてしまったと。
 イベントとしても同じことが言えましょう。先月、31年続いた都留音楽祭が終わりました。一つの文化を作って安定したからこその決断でした。
 もしかすると、ホームコンサートもそういう難しさを抱えているかもしれません。刑部ご夫妻はご高齢となっても、相変わらず意気軒昂でいらっしゃいますが、いつまでもご夫妻におんぶにだっこでは、地元の文化もだめなのかもしれません。
 「初心忘るべからず」…なんとも深い言葉ですね。
 最後に本日のプログラムを掲載させていただきます。お聴きになれなかった方も、いろいろ想像してみてください。
 個人的にはピアソラの「バチンの少年」が良かったなあ。
 プロクラムにはないアンコール、全出演者によるチック・コリアの「スペイン」は、いろいろな意味で聴きごたえがありました。クラシックとジャズをつなぐものはなんなのか。その答えが垣間見えた演奏でした。

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2017.09.16

富士学苑中学・高等学校ジャズバンド部 第15回記念リサイタル

Th__20170917_0_22_28 かげさまを持ちまして、大盛況のうちに無事終了することができました。
 今回は第15回記念ということで、キューバ出身の気鋭のトランペット奏者ルイス・バジェさんをお迎えしてのコンサート。ジャズバンド部OB・OGも多数参加しての華やかなステージとなりました。
 いつも思うことですし、いつも書いてきたことですが、毎年違うメンバーになる学校の部活動バンドで、常にハイレベルをキープし、また、それぞれのメンバー一人一人の個性を活かした演奏を続けてきたことに感嘆せずにはいられません。まずは、それを実現してきた顧問の大森先生に敬意を表したいと思います。
 今年は派手なソリストはいませんが、安定したリズム隊の上に、高音もよく鳴る力強いトランペット隊、音程も正確なトロンボーン隊、チームワークの見事なサックス隊がバランス良く乗り、全体として安心して聴くことのできるバンドの音になっていました。
 そのため、広いジャンルにわたるそれぞれの楽曲をじっくり聞かせることができていたと思います。私は今回、ステージ横スクリーン用のカメラマンを仰せつかっていたので、特にそう感じたのかもしれません。なにしろ曲の構成などを予測しながらカメラを振らねばならなかったので(笑)。
 目はカメラ越しの生徒たちをとらえていたわけですが、そのおかげで、最大のステージに臨む生徒たちの細かい心の動きを感じることもできました。
 ちょうど開演前にある指導者の方と話す機会があったんです。中高生の音楽がなぜ感動を呼ぶかと。逆に言うと、なぜ大学生のビッグバンドがああなってしまうのかと(失礼)。
 野球で考えると分かりやすいですね。大学野球って、プロ野球、高校野球と比べると、どうしても魅力に欠けるじゃないですか。それと同じです。
 やはり、中高生という純粋かつ悩み多き年頃、異様なほどに吸収力があり成長が著しい年頃の、その彼らの心の動きが演奏に表れるということでしょうね。
 世阿弥の「初心忘るべからず」の「初心」とは、そういうことなのだろうという話になりました。単なる初心者の心持ちということではない。
 ワタクシごとですが、6年間ベーシストとしてお世話になった上の娘にとっても(いちおう)最後のステージということもあって、特別に感慨深いものともなりました。これからもベースを弾き続けるという娘が、これから高校を卒業してはたしてその「初心」を忘れないでいられるか。
 今日ですね、実はリサイタルが始まる前に、ひょんなことからEXILEの山本世界さんにお会いしてお話を聞く機会があったんです。まったく不思議なご縁ですよね。
 世界さんの話はまさに世阿弥の芸論そのままでした。形にはまらずいかにはみ出すか(序破急)、いかにその場のイメージを生み出すか(ものまね…モノを招く)、過去の結果にこだわらないから常に新しい(初心忘るべからず)。
 さすがだと思いました。その謙虚な姿勢とともに、なるほど若いけれどももうすでに超一流だなと思いました。
 そこなんですよね。高校生くらいまでは、無心に無欲にそこに到達している。まさに私の言うところの「モノ」優位の状況です。それが大学生くらいになると、型や理屈や自我という「コト」にとらわれてしまって、スポーツにせよ音楽にせよ、生命としての創造性を失ってしまう。
 逆に、そういう人生における不可避な逆境をやすやすと乗り越えてしまうのが天才であり、超一流になっていく才能というものでしょう。
 実際、OB・OGの中には、卒業後葛藤している者もたくさんいると思います。高校時代は良かったと思い出迷子になってしまっている人もいるかもしれません。そこで終わりにするのも一つの人生であり、そこを乗り越えようともがくのも一つの人生です。
 いずれにせよ、この「初心」の自分という強敵と、今度は一人の大人として対峙して戦っていくんだなと、それぞれの顔をアップで捉えながら考えていました。もちろん娘もです。
 そういう戦いにやすやすと勝っているという意味で、やはりルイス・バジェさんの音楽はすごかった。上に書いたことととのつながりで言えば、それこそ「生きている」、「今生まれている」音楽でした。それはテクニックに裏打ちされているものではありますが、かといってテクニックが主役ではありません。やはり、その「初心」の表れなのでしょう。
 禅宗の学校であるウチの学校風に言えば、「音楽になりきる」ということなのでしょうね。自分が音楽と一体になって、ある意味楽器という「音楽のうつわ」になって、純粋なメディア(媒体)になっている。そういうことでしょう。
 さてさて、12人の高校3年生の皆さん、お疲れ様でした。そして、これからもぜひそれぞれのスタンスで音楽を楽しんで下さい。とにかく楽器を続けてほしい。いろいろなことを教えてくれた楽器さんのためにも、ぜひ一生をかけて恩返ししてほしい。自分の経験からもそのようなはなむけの言葉を贈りたいと思います。
 最高のコンサートをありがとうございました。

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2017.09.15

また北朝鮮がミサイル発射

Th__20170917_115106 襲警報発令。Jアラートというと、こちらに書いたとおり、地震や台風、テロなどの警報も含まれますし、だいたいが日本語ではないので、なんか緊張感がありません。
 いっそのこと、空襲警報と叫ぶべきでしょう。なにしろ日本の上空を武器が飛び交うのは、先の大戦以来のことなのですから。
 北朝鮮にとってのこのミサイル発射は、この前書きましたとおり、基本アメリカとの外交手段です。日本を核爆弾で沈めるというようなことも言っていますが、それはその表現からも分かるとおり、本気ではありませんね。あくまでアメリカに対するメッセージです。
 逆に言えば、日本の中枢、たとえば東京を攻撃するだけなら、ICBMの必要性は全くありません。ICMBが発射されているかぎり、日本は攻撃対象ではないとも言えるわけです。
 水爆もICBMの核弾頭として開発していると言っていますから、つまり日本に対する攻撃手段としては考えていないということです。
 しかし、もし実際の戦闘になった場合は、いきなりICBMを発射するということは考えられず、日本にある米軍基地をミサイル攻撃するということになるでしょう。そういう意味では日本の危機も近づいていると言えます。
 いずれにせよ、キューバ危機と同等の緊張状態になっていることはたしかです。日本人もこれを機会に防衛について真剣に考えてみるべきでしょう。
 一方、実はこのミサイル発射をかなり真剣に反応しているのは中国ですね。なにしろ、グアムまで射程距離に入るとなると、発射の方向を変えればほとんど中国全土を攻撃できるということを意味しますから。
 中国としては実に面白くない状況でしょう。飼い犬に手を噛まれる。
 そういう意味では米中は裏でかなり話し合いを進めているものと思われます。両国は、韓国は正直どうでもいいと思っています。朝鮮半島をどのように分け合うか。停戦状態の朝鮮戦争が再開されたあと、どうするのか。
 そして、そこにロシアがどう関わってくるのか。その時、日本は?…アジア史の転換点を迎えています。

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2017.09.14

Lightning HDMI ミラーリング・ケーブル

Th_51u4izux3el_sl1274_ 要性を感じることが多かったので、一番安いのを買ってみました。1200円。普通に使えました。
 主に授業で動画を流したい時に便利。合唱や演劇、部活の練習などを録画して、その場で共有するのに便利。
 今までは、MacBookを教室に持参して、でHDMI接続して映画などを見せていましたが、これからはiPhoneとこのケーブルがあれば…。
 しかし、一つ問題点があって、それはUSB給電が必要だということです。結局のところ、電源につなぐよりもモバイルバッテリーを持参することになる。ケーブル1本でよければなあ…。
 まあそれでも、手軽にiPhoneの画面を大画面に投影できるのはよい。タイムラグもほとんどなし。
 一部有料ビデオ・サービスなどは対応していないとのことですが、まあ、そういう用途はあんまりないし。
 家では、AmazonのFireTVでミラーリングすることがありますが、うまくつながらなかったり、案外面倒なことがあります。
 私はプロレスを観るためにサムライTVのオンデマンド・サービスを利用しています。普段はチマチマiPhoneの小画面で一人で観ていますが、これでつなげば家族で簡単にシェアできますね。やってみよう。
 似た製品はたくさんあり、値段もピンからキリ。はたしてこの最安モノがどのくらい持つのか。そのへんも楽しみと言えば楽しみです。

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2017.09.13

THE YELLOW MONKEY 『ZIGGY STARDUST』

Th_resize_image たあ〜!イエモンの原点。デヴィッド・ボウイの「ZIGGY STARDUST」の完コピ。
 一言、良い。
 イエモンが復活し、それと時を同じくしてこの世を去ったデヴィッド・ボウイ。ミューズのいたずら。
 音楽というのは、どこかDNAに似ていて、受け継がれ、更新し、そして突然変異する。
 言葉でいろいろ言うのもわずらわしいくらい、感動的な完コピでした。
 正直、ボウイはここ数十年、あんまり聴いてきませんでした。今日は本当にそれこそ何十年ぶりにアルバム「ZIGGY STARDUST」を全部聴きました。
 高校生の頃かなあ、あの頃には全くわからなかった世界観、今になって、この歳になってやっとわかりました。なんだ、このかっこよさは!…やっぱり宇宙人に戻りつつあるのかな(笑)。
 このアルバムのストーリーこそ、ある意味、私自身の30代までの人生だったかもしれません。没落していく宇宙人。
 そう、しかし、そのストーリーには先があったんですね。未来が。
 本当に単純に、このアルバムをこの歳で再聴するチャンスを与えてくれた、ザ・イエロー・モンキーに感謝いたします。
 自分も原点に帰る時を迎えているのかなあ。面白いですねえ、人生は。年取るって最高ですよ。
 さあ、もう一度聴いてみよう!

Amazon THE YELLOW MONKEY 『ZIGGY STARDUST』

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2017.09.12

祝!世界文化賞受賞 ユッスー・ンドゥール

 松宮記念世界文化賞の発表がありました。今年もまたなかなか個性的な方々が受賞したようです。

第29回 高松宮殿下記念世界文化賞 受賞者
■ 絵画部門    シリン・ネシャット (イラン/アメリカ)
■ 彫刻部門    エル・アナツイ (ガーナ)
■ 建築部門    ラファエル・モネオ (スペイン)
■ 音楽部門    ユッスー・ンドゥール (セネガル)
■ 演劇・映像部門 ミハイル・バリシニコフ (アメリカ/ラトビア)

 正直、あまり詳しく知らない人ばかりですが、音楽部門のユッスー・ンドゥールはよく知っています。と言いますか、彼が世界文化賞を受賞するとは思いませんでした。それだけこの賞の懐が広いということでしょう。
 ご存知のようにユッスー・ンドゥールは、セネガルの歌手。ワールド・ミュージックの世界ではたしかに神様のような人です。
 私たち日本人も、どこかで彼の音楽を耳にしていることでしょう(CMやBGMで)。
 昨年、こちらに書きましたように、ここのところ毎日記事に登場している天才仲小路彰が、間接的にではありますがこの賞に関わっています。
 ノーベル賞を補完する形になっているこの賞の重みは、ある意味主催者といえる日本人が一番よくわかっていないかもしれませんね。
 おそらくユッスー・ンドゥールも大変喜んでいることでしょう。
 受賞を祝福して、彼のライヴ映像を観てみましょう。まさに黒人のスピリットがワールドスケールに昇華されているのがよく分かります。
 前近代的とも言えるリフレーンが、なぜか新しく聞こえる。バロック以前の音楽が好きな私にとっては、彼の音楽はまさに古くて新しい。いいですね〜。
 派手に鳴り響くDX7の音もまた、なぜか新しくて古く感じられるのでした。

高松宮殿下記念世界文化賞

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2017.09.11

『原節子の真実』 石井妙子 (新潮社)

Th_51e8lrqjt5l 日の続き。優れた評伝。実に面白かった。文章も秀逸。
 原節子と、義兄熊谷久虎について、非常に詳しく書かれています。一箇所だけですが、仲小路彰の名前も出てくる。もちろんスメラ学塾主宰として。
 今、数人で仲小路彰邸内を整理しているのですが、その中で熊谷久虎の名前が入った文書が多数見つかっています。ちなみに原節子の名前が入ったものは、私の知る限り一つだけ。この本の著者の石井さんにもいずれお伝えしなければならないでしょう。
 原節子がなぜ独身を貫いたのか…その答は、仲小路彰がなぜ独身を貫いたのかという問いの中にあるような気がするのは、私だけでしょうか。
 実は、当時の関係者から、そういう噂を聞いたこともあります。今まで知られていた(知られていなかった)以上に、仲小路と原の関係は近かったのでしょう。
 この本の第六章「空白の一年」にあるように、熊谷久虎のスメラ学塾入塾(川添紫郎ルートでしょう)を通じて、原節子も仲小路彰と深く関わったと思われます。
 ただ、人気女優であったからでしょう、その名前はその当時の仲小路文書の中には出てきません。
 また、地元山中湖の方々に聞いても、原智恵子や三浦環が仲小路彰と一緒にいたことは覚えていても、原節子がいたとか来たとかいう話はありません。また、実際に智恵子と環の資料は山中湖で大量に見つかっていますが、原節子に関するものはほとんどありません。
 しかし、昭和19年から20年にかけて、お忍びで山中湖の「サロン」に来ていた確率は高いと思います。熊谷、川添との関係を考えれば、そう考えるほうが自然なほどです。
 原節子に関する資料が「ほとんどない」と書いたのは、私の知るかぎり、戦後になってのある文書(映画企画書)に、細川ガラシャをはじめとする日本の歴史上重要な女性を演ずるのは原節子しかいないというような内容があるのみです。
 この本にも書かれているとおり、原節子が映画人としての晩年に異常に「細川ガラシャ」にこだわったのは、仲小路彰の話を聞いたからに違いありません。仲小路は細川ガラシャに関する文章を多数残していますし、「ガラシア物語」という歌曲集まで作曲しています。
 そのあたりの富士山を取り巻くミッシングリンクには興味がわきますね。
 いずれ、この本の筆者石井さんにも山中湖に来ていただきましょうか。「原節子の真実」のそのまた真実が眠っている可能性がありますので。

Amazon 原節子の真実

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2017.09.10

『新しき土』 原節子主演・アーノルド・ファンク監督作品

 の前紹介した伊丹万作の「戦争責任者の問題」。あれを書いたあと伊丹はすぐにこの世を去りました。
 「だまされる」側を断罪した伊丹、そこには当然自らの愚かさへの反省の気持ちもこめられています。おそらくそうした反省の一つがこの作品でしょう。
 ご存知のように、この作品には、アーノルド・ファンク版と伊丹万作版の二種類のバージョンがあります。もともと共同監督という形でという話だったのですが、二人は大げんかしてしまい、結局別々に編集することに。
 結果として、伊丹版は散々な評価で終わり、伊丹は恥をかくことになりました。また、歴史的に言えば、日独防共協定への道を作り、「戦争責任」の一端を担ったことになってしまった…。
 伊丹にとっては、本当に思い出したくもない作品でしょう。ちなみにその伊丹版、私は未見です。観るのも辛いかも。
 ファンク版も正直大した作品ではないわけですが、なんと言っても16歳の原節子が理屈抜きに素晴らしすぎてたまりません。
 また、無駄にたくさん配置された「日本の名所」たち。貴重な記録ですね。特に様々な富士山のアングルは興味深い。冒頭の荒々しい冬の富士山は富士吉田の富士山ですね。数年後には防共の砦となる富士山です。
 原節子は、この映画の宣伝のため、公開直後に欧米を回ります。その時同行したのが、義兄の熊谷久虎。二人はその外遊の最中に、フランスで川添紫郎と出会います。
 それがのちに、二人を仲小路彰と結びつけるきっかけとなるんですね。
 仲小路彰と原節子の微妙な関係については、こちらこちらに少し書きました。
 この映画が、仲小路彰と原節子を結びつけたと言えます。私にとってはそういう意味で興味深い作品です。戦後、原節子が映画界から姿を消したのちも、仲小路彰は彼女が「細川ガラシャ」を演じることにこだわりました。そして原節子自身もこだわりましたが、結局それは実現しませんでした。
 もう一つ番外編。この映画製作のために来日していたファンク夫妻は、偶然、万平ホテルにおいてリアルに二・二六事件に巻き込まれました。なにか象徴的な感じがしますね。ちなみにその日は仲小路彰36歳の誕生日でした。
 あっそうそう、この映画の結末で、原節子演じる光子が火山の噴火口に飛び込もうとするシーンが、あまりに唐突だし現実味がないという批判がありますが、これって木花咲耶姫の伝説に基づいたものですよね。
 多くの富士山のシーンとともに、いろいろな日本的な過去・現在・未来が象徴されていると感じました。私はこの映画、大した作品ではないけれども、しかし嫌いではありませんね。役者さん、音楽、円谷英二の特撮など、実は見るべきところが多い作品ですし。

Amazon 新しき土

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2017.09.09

パーセル 『一つの音の上のファンタジア』

Purcell : Fantasia a 5 "Upon one note", Z.745
Th_unknown OneNoteというMicrosoftのクラウドサービスを時々使っております。
 で、そのOneNoteというのは、おそらく「一つのノート(手帳)」みたいな意味だと思うんですけれど、そういえば音楽にもOneNoteというのがあるなと突然気づきましたので、今日はそれらを紹介します。
 noteには言うまでもなく「音符・音」という意味もあります。noteはもともとラテン語のnota(印)から来ています。
 そう、音楽において「記述」ということが始まったのは、一つの革命でありました。それまでは、全てが即興か口伝だったわけですから。楽譜が登場したのは西洋では3世紀ごろ、日本ではずっと遅く8世紀くらいでしょうか(もっと早かったという説もあり)。
 OneNoteは「一つの音(音符)」。実際のところ、記述される以前の音楽というのは、ある意味OneNoteの上に構築されることが多かった。いわゆるドローン・バスですね。古い楽器にはドローン弦がついていたりすることが多い。この前復元した八雲琴も基本そういう構造をしています。
 今でも、即興演奏にはドローン・バスがよく使われます。一つの音(主音か属音)という基礎の上に、自由にメロディーやハーモニーを構築していく。単純なようで、実はとても複雑な音楽を作ることができます。
 音楽が記述されるに従って、より意識的に新しい可能性を追求することになり、結果としていわゆる近代西洋音楽が成長していきました。しかし、バッハのような、いかにも記述的、建築的な音楽でも、たとえばフーガの掉尾には、それこそ終わりを予告する「印」のようにドローン・バスが鳴り響くことが一般的です。面白いですね。ルーツに帰って終わるというのが。
 ほかにもあえて一つの音にこだわった音楽というのは無数にありますが、今日は天才パーセルの「一つの音の上のファンタジア」を聴いていただきましょう。これは「OneNote」がバスではなくど真ん中でずっと鳴っているという珍しい曲です。さすがパーセルですね。

 この曲、なにしろど真ん中にOneNoteが鳴っているので、よく聴かないとそれが分からない。ですので、イメージ化した動画で「見て」みましょう。すごい曲ですね。

 私もこの曲を演奏したことがあります。それもど真ん中の音を(笑)。これが意外に難しいんですよ。というのは、ずっと同じ音を弾いているわけですが、周囲の音の関係で、その音のキャラクターがどんどん変わるわけです。それを意識して音にしてゆくとなると、非常に高度な表現力というか演奏力を期待されことになるわけです。
 とか言って、実際には周りの人たちが苦労して弾いているのを、ニヤニヤしながら見ていただけなんですけどね(笑)。
 しかし、考え方によっては、これぞまさに「縁起」。すなわち他者によって初めて自分が生まれ、変化していくという、お釈迦様の教えの表現でもありますね。面白い。

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2017.09.08

メキシコでM8.2・秋田で震度5強

Th_mexicanearthquake_2 キシコで巨大地震が発生しました。太陽嵐と地震の関係については懐疑的なワタクシでありましたが、この巨大地震、そして夜の秋田県大仙市の震度5強などを見ると、なんだか単なる偶然とは思えなくなってきますね。
 自然、大宇宙のことは、人間はほとんど分かっていない…いつかの地球物理学者とのバトルを思い出しつつ、やっぱり「モノのあわれ」ってそういうことなんだよなと痛感しております。
 ところで、昨日の記事のノリで物語を紡いでみると、また妙な偶然があることに気づくんですよね。
 あまりニュースになりませんでしたが、実は昨日、メキシコ政府が北朝鮮大使を国外追放にしているんですね。核実験やミサイル発射に反発する形で。
 これは国際的にも非常に珍しいケースです。なぜメキシコがという感じ。かつては正男さん暗殺の件でマレーシアが断行したくらい。メキシコが基本的にまじめな反核国だからということになると思いますが、駐メキシコ大使を「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましくない奴)」と称したところからも分かるとおり、政府あげて北朝鮮嫌いという感じもあるようですね。
 で、ここであまりに自由な発想を持つ陰謀論者などは、「これは北朝鮮が対抗措置として地震兵器を使ったのだ」とか言い出しそうですよね。なにしろ、北朝鮮は人類で唯一、国民が太陽に降り立った経験のある国ですから(笑)。とすると、今回の巨大フレアも…?
 ま、死者も多数出ているようなので、冗談はこれくらいにしまして(しかし大きなスケールは忘れないで)、環太平洋造山帯(火山帯)として考えると、メキシコと日本は兄弟のようなものです。
 メキシコで起きることは日本で起きると言っても、決して間違いではありません。私の計測している富士山ラドン濃度も、ある意味環太平洋造山帯(火山帯)の動きを見張っているとも言えます。
 また、秋田の地震についても、あのあたり(大仙市)は、大正3年の秋田仙北地震(強首地震)の震源地に隣接しています。直下型のM7以上の地震で推定震度7の揺れがあり、94人が亡くなりました。その地震の際も、活発な前震活動があったようですが、今回の震源地付近でもここ数年小規模地震が継続的に発生していました。
 今回のM5.3が本震であるという証拠は何もありません。私たちは熊本地震で大切なことを学んでいるはずです。決して油断をしてはいけません。逆に最悪の状況を想定して準備をしておかねばなりません。
 すなわち、内陸のみならず、海域での巨大地震についても、「いつ起きてもおかしくない」と警戒しなければならないのです。それも地域を限定せず。なにしろ日本列島はすべて環太平洋造山帯(火山帯)の一部なのですから。

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2017.09.07

大規模太陽フレア発生

Th_2017090700000071asahi0009view 夜、X9.3の大規模フレアが発生しました。あさっての午後あたりに、太陽嵐が地球に到達し、なんらかの影響が出そうな気配です。
 なんとも象徴的というか…北朝鮮で水爆実験が行われ、ついで電磁波兵器についての言及があった矢先ですからね。
 言うまでもなく、水爆のエネルギー発生原理は太陽と同じ核融合です。そして、北朝鮮の言う電磁パルス兵器(EMP)の原理は太陽嵐と同じです。
 あまりのタイミングの良さに驚きました。ひな型でしょうかね。それとも本家が怒ったのでしょうか。
 1989年の太陽嵐による磁気嵐の被害は甚大でした。特にカナダのケベック州の大規模停電は、電気に依存している私たち現代人に警鐘を鳴らしたと言えましょう。その時のフレアの規模はX15。
 今回よりも大規模でした。一方、2003年のフレアは観測史上最大級のX28でしたが、特に大きな被害はありませんでしたから、単純にフレアの規模だけで地球への影響を予想することはできません。
 フレアが起こった場所、放射線の放出方向、コロナ質量放出の有無なども考えに入れる必要があります。今回のフレアについては、私自身は時間がなくて分析していません。専門家の分析を待ちたいと思います。
 それでも巨大な自然現象ですから、予想外のことが起きるということも想定しておかねばなりません。ケータイがつながりにくい、GPSにずれが生じる程度ならいいのですが。停電は厄介ですよね。
 明日の午後以降に備えて、とりあえずは電子機器の充電はしっかりしておいた方が良いでしょう。
 一方、電磁パルス兵器の脅威について考える機会ともすべきです。戦争のあり方は70年前とは大きく変わっています。ある意味高次元になっている。情報戦、電磁波戦、AI戦。
 まあ、そんな人間の荒魂なんて、太陽の荒魂に比べれば、塵みたいなものですけどね。

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2017.09.06

伊丹万作 『戦争責任者の問題』

Th_exi_14_03a り合いからぜひ読みたまえと言われたので、初めて読んでみました。
 伊丹万作。言うまでもなく、偉大な映画監督であり、伊丹十三の父であり、大江健三郎の義父です。私にとっては、「手をつなぐ子ら」の脚本を書いた人物としても意識されている。

…だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。  しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

 うん、たしかに鋭い指摘ですね。
 この「だまされていた」という言い訳はたしかに、いろいろなところで聞かれますし、私自身ももしかすると、何度か使ったことがあるかもしれない。先の戦争のことのみならず、日常の失敗についてもこう言って逃げたことがあるかもしれない。
 だました側のこともちゃんと書き、状況が一変したとたん、かつての強者を集団で糾弾しはじめる弱者に対する批判も手厳しい。
 まさに弱者こそが強者になりつつある現代における「モンスター◯◯」や「なんでも反対派」に読んでいただきたい名文です。
 もちろん、「だまされてはいけない」というメッセージとして、現代のあれやこれやに当てはめてみてもいいでしょう。「国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。とても単純だ」…ちょうど一昨日ゲーリングの名言を引用したじゃないですか。
 皆さんも、こちらでじっくり読んでみてください。

Amazon 伊丹万作エッセイ集

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2017.09.05

つなき&みどり 『愛の挽歌』

 日のNHK「うたコン」は筒美京平特集。素晴らしすぎましたね。筒美さんの哲学がいいじゃないですか。
 作りたい歌を作るのではなく、売れる歌を作る。
 作ってしまったら、もう自分のもとを離れて歌手のものとなる。
 自我にとらわれない禅的な境地ですねえ。かっこよすぎます。結果として、普遍性を持つ、時代を超える名曲になる。
 そう、今日、歌われた筒美さんの曲の中で、不覚にも知らなかった曲があったんですよ。いかんな。それが、これ。

 ブルージーな感じがいいですねえ。これって、三原綱木さんと田代みどりさんのデュエット曲だったんですね。当時はご夫婦だった。
 原曲を聴いてみましょう。昭和47年のヒット曲なんですね。15万枚売れていますから、それなりですね。たぶん、8歳の私もテレビか何かで聴いたことがあったのでしょうが、完全に忘れていました。もちろん、筒美さんの作品だなんて意識しなかったし。

 三原さんも歌がお上手ですねえ。なにしろ曲がかっこいい。今日の番組でもつくづく感じ、涙さえ出てしまいましたが、筒美さん、本当にいろいろなタイプの曲を作ることができますね。
 世界中の音楽を換骨奪胎しているのでしょうけれど、しかし、似た曲が二つとない。天才職人の仕業ですね。
 そうそう、なぜか我が家に三原綱木さんが所有していたベースがあって、娘がそれを弾いているんですよね。不思議なご縁であります。

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2017.09.04

パールハーバー・アーカイブ

 日の記事の続きです。
 私はむやみに危機感を煽ることはあまり好きではありません。ナチスのゲーリングの次の言葉を忘れてはいけません。

 もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に晒したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。

 しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。

 国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。とても単純だ。

 自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。

 この方法はどの国でも同じように通用するものだ。

 しかし、一方でこのような歴史も忘れてはなりません。
 真珠湾攻撃。言うまでもない日本海軍によるハワイ海戦、大東亜戦争の緒戦の一つです。
 日本側の戦果、アメリカ側の損害が非常に大きかった一つの理由に、アメリカの油断があったことは定説となっています。
 自然環境のみならず、軍備的にも「最強」と言われたハワイが、これほど見事なほどにやられるとは、正直アメリカ人のほとんどが思っていなかったと思います。
 「リメンバー・パールハーバー」とは、そうした油断は禁物であるという意味です。
 今の日本はどうでしょう。
 北朝鮮のミサイルが実際に日本の上空を通過しても、大多数の日本人が「まあ戦争にはならないだろう」「北朝鮮が攻めてくるなんてことはないだろう」「アメリカがなんとかしてくれるだろう」といった感覚でしょう。
 いくら国際的孤立という意味において似ているとはいっても、当時の日本と北朝鮮を同列に並べるのはナンセンスとも言えますが、「リメンバー・パールハーバー」の感覚は持っていてもいいのではないでしょうか。
 もちろん、それは日本だけでなくアメリカにとってもそうです。実際、トランプ大統領は臨戦態勢にあるとも言えます。
 この前こちらに書いたとおり、北朝鮮にとっては、日本はアメリカ軍の前線基地でしかありません。すなわち、当時の日本にとってのハワイと同じ感覚でとらえているのです。
 そうしますと、当時のハワイの住民の立場が、今の私たち日本国民ということになりますよね。そう考えた時、参考になるのが、「パールハーバー・アーカイブ」です。
 昨年、首都大学東京システムデザイン学部の渡邉英徳研究室によって公開された「パールハーバー・アーカイブ」。広島、長崎などと同様に、貴重な証言が上手にまとめられています。ぜひご覧ください。

パールハーバー・アーカイブ
 
 

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2017.09.03

北朝鮮が核(水爆)実験

Th_be3045fbb5605166db658bdd129f8003 浜で結婚式に参列中入ってきたニュース。「ICBM用の水爆実験に成功」。北朝鮮による6回目核実験はICBMの弾頭用であると。
 期せずして昨日の記事「第二次世界大戦終結から72年」の続きとなりますが、なぜ、北朝鮮が今日核実験を行ったのか。それは9月3日が「対日戦争勝利記念日」だからです。
 中国やロシアなどかつての共産主義国は9月3日を「対日戦争勝利記念日」としています。北朝鮮では解放記念日は8月15日です。しかし、やはり政治的な影響関係から、9月3日を特別な日としているようです。
 マスコミでも、このことはほとんど指摘されていませんね。
 ところで、昨日もたまたま引用しましたが、富岡定俊による(つまり仲小路彰による)昭和32年のこの文章の先見性はすごいですねえ。先見性というか未来性。単なる理想論ではなく、人間の霊性に関わる現実論だと思いますよ。
 再掲しようと思います。今こそ、この精神が大切でしょう。両トップにも読んでいただきたい。もちろん、日本のトップにも。

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2017.09.02

第二次世界大戦終結から72年

 本人に、終戦の日はいつ?と聞くと、ほとんどすべてが8月15日と答えます。
 しかし、正確に言いますと、その日は玉音放送が流された日でしかなく、世界標準ではやはり日本が降伏文書に調印した9月2日が一般的だと言っていいでしょう。
 実際、アメリカでは9月2日は対日戦勝記念日(VJデー)としてお祝いします。
 今日で日本の降伏から72年ということになりますね。大東亜戦争(太平洋戦争)の価値評価は大変難しいところがありますが、今日を独立記念日としている国が複数あることからも分かるとおり、日本が列強国と戦った結果、多くの植民地が解放されたというのも事実です。
 上の動画は、その降伏文書調印式の様子をカラーでとらえた非常に珍しいフィルムです。戦勝65年を記念して公開されたもののようです。
 1ヶ月ほど前に、昭和32年の「ICBM」という記事にも書きましたが、この調印式には富岡定俊海軍少将も随員として参列しています。
 作戦部長として戦った富岡少将にとっては、これ以上の屈辱はなかったと思います。実際、式典終了後に自決しようとまで考えたそうです。
 ちなみに、この調印式が行われていたまさにその時、富岡少将の奥様操さんは山中湖にいました。そして、仲小路彰に誘われ「かじや荘」を訪れました。そこには、仲小路とともに、歌手の三浦環、ピアニストの原智恵子が待っていました。そして、小音楽会が開かれたといいます。
 戦争の象徴ともなっていた富士山が、再び平和の象徴に戻った日。穏やかな湖のほとりで、そのような音楽会が開かれたことは、私も最近まで全く知りませんでした。

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2017.09.01

宇宙人同志との再会・対話

Th_img_1439 縁あって高城剛さんとお会いし、じっくりお話をさせていただきました。
 3時間すぎても話題が尽きずタイムアップ。科学、宗教、教育、文学、音楽、医学、食、健康、歴史、霊界、言語…あらゆる分野にわたる壮大なる、しかし、何モノか一つに収斂する対話でした。
 その内容は、おそらく普通の人が聞いても全く理解できないのではないでしょうか(笑)。
 根本的にはですね、私たちは「同窓生」だったという話。53年ぶりの再会だったという話。
 お互い53歳なのにですよ。
 つまりですね、私たちはこの地球に生まれる前に一緒にいたということです。そして、1日だけ私が早く地球に来て、翌日高城さんが来たということ。
 もう、余計に分かりませんよね(笑)。
 ま、簡単にいえば、私たちは宇宙人だということです。そして、同じミッションを持ってこの地球にやってきた。すなわち「宇宙人同志」
 今まではそれぞれ別々の人生を歩んできましたが、いよいよ再会してこれからは一緒に何かをやっていくということです。
 おいおい、先生!大丈夫?
 そんな声が聞こえてきそうですが、しかたありません。本当のことなので。
 ま、濃密な会話の内容はここではとても開陳できませんが、そのうちに時機がくれば社会現象として現れてくるでしょう。
 一つ言うなら、私たちの「意志」は過去は全く相手にせず、未来だけを見ているということです。時間は当然のことながら、未来から過去へ向かって流れている。
 それからどうも同窓生は全部で20人くらいいたらしいので、ほかの人達ともこれからどんどん再会していくだろうということ。これは面白いことになりましたね。
 それにしても、本当に想像していた以上に波動が合いました。そして、高城さん、素晴らしい。賢い。解き放たれている。謙虚。かっこいい。
 某ホテルのラウンジで異常に盛り上がる宇宙人二人を、金曜日の夜の赤坂に繰り出していた地球人たちは、実に不思議そうな顔をして見ておりました(笑)。
 これから、大きな進展があると思いますので、そのたびに経過報告できる部分はしていきます。お楽しみに。

高城未来研究所

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