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2017.08.30

追悼 中村雄二郎さん

Th_as20170830004252_comml 学者の中村雄二郎さんがお亡くなりになりました。
 「述語集」には、大学時代からお世話になりました。難しい本を読む(読んでいるフリをする?)快感を教えてくれた人です。
 「臨床の知とは何か」は入試問題にもよく取り上げられていましたので、教員になってから読みました。やっぱり難しかったけれども、ちょうど「モノ・コト論」をやり始めていた頃だったので、暗黙知と形式知をモノとコトにあてはめて考えるきっかけを与えてもらいました。
 そう、私はモノとコトでは、モノの方を重視するのですが、そのモノを暗黙知と言い換えると、「述語集」おおける、中村さんの次の言葉は重要な示唆を与えてくれます。
 

〈暗黙知〉とはどういう内容をもっているか、彼(マイケル・ポラニー)の挙げている例によれば、われわれが或る人の顔を知っているとする。ということは、他の無数の人の顔と区別してそれを認知できるということである。ところが、それでいて、われわれはふつう、その顔を他から区別してどのように認知するかを、語ることができない。写真による犯人のモンタージュのような方法はあっても、その場合でも犯人の人相を同定するには、語りうる以上のことをそれに先立ってわれわれが知っていなければ不可能なのである。同じような知の在り方は、ひとの顔からその人の気分を認知するとき、また、病気の症候、岩石の標本、動植物などの識別についても言える。
 この知の在り方は、ゲシュタルト心理学の考えと一脈通じるところがあるけれど、ここではとくに経験の能動的形成あるいは統合に重点が置かれる。科学上の発見、芸術上の創造、名医の診断技術などの技芸的な能力は、みな、この暗黙知に拠っている。

 中村さんは西洋哲学の専門家でありながら、やはりどこか日本的な感性を持っていらっしゃった。ご本人の意識は別として、上掲の暗黙知論などは、私のモノ論と非常に近いところがあり、そこを重視している点において、あるいは、暗黙知を形式知に変換することを奨励していない(たぶん)点において、やはり日本的だと感じます。
 お亡くなりになってしまったのは残念ですが、これを機に再び「難解な本」に挑戦してみようかと思います。
 感謝の意もこめつつ、ご冥福をお祈りします。

Amazon 臨床の知とは何か

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