« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »

2017.08.31

めざせポケモンマスター -20th Anniversary-

 ういうわけか今頃になって我が家でポケモンGOブームが起きています(笑)。
 20年も人気が衰えず、それどころか今や世界的な人気を誇るポケモン。
 私も娘たちに感化されて、なんとなく興味を持つようになりました。昨年ポケモンGOが始まった時には、こんなことを書いています。
 私がポケット・モンスターに興味を持つ一つの理由は、それが「モンスター」だからです。
 こちらの記事をご覧ください。モンスターは「モノ」だということです。昨日の話で言えば「暗黙知」ということになります。
 「モノ」に触れることは、私たちが高次元につながるための一つの方法であり、訓練であります。特にポケモンGOになって、インターネットで世界とつながり、そしてARで現実界とつながり、ますます「モノ」と「コト」の交流が盛んになってきています。
 それについては、また書くとしまして、このたびポケモン20周年を祝って制作された『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』のオープニングテーマである、「めざせポケモンマスター -20th Anniversary-」をお聴きいただきたいと思います。
 もともと非の打ち所がない神曲ですが、この最新アレンジ版は最高にかっこいいですね。特にベースラインに萌えます(燃えます)。

 あっそういえば、私は松本梨香さんによる生「めざせポケモンマスター」聴いたことあるんだ。こちらです。当たり前ですが、めちゃくちゃ上手でしたよ。

Amazon めざせポケモンマスター -20th Anniversary-

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.30

追悼 中村雄二郎さん

Th_as20170830004252_comml 学者の中村雄二郎さんがお亡くなりになりました。
 「述語集」には、大学時代からお世話になりました。難しい本を読む(読んでいるフリをする?)快感を教えてくれた人です。
 「臨床の知とは何か」は入試問題にもよく取り上げられていましたので、教員になってから読みました。やっぱり難しかったけれども、ちょうど「モノ・コト論」をやり始めていた頃だったので、暗黙知と形式知をモノとコトにあてはめて考えるきっかけを与えてもらいました。
 そう、私はモノとコトでは、モノの方を重視するのですが、そのモノを暗黙知と言い換えると、「述語集」おおける、中村さんの次の言葉は重要な示唆を与えてくれます。
 

〈暗黙知〉とはどういう内容をもっているか、彼(マイケル・ポラニー)の挙げている例によれば、われわれが或る人の顔を知っているとする。ということは、他の無数の人の顔と区別してそれを認知できるということである。ところが、それでいて、われわれはふつう、その顔を他から区別してどのように認知するかを、語ることができない。写真による犯人のモンタージュのような方法はあっても、その場合でも犯人の人相を同定するには、語りうる以上のことをそれに先立ってわれわれが知っていなければ不可能なのである。同じような知の在り方は、ひとの顔からその人の気分を認知するとき、また、病気の症候、岩石の標本、動植物などの識別についても言える。
 この知の在り方は、ゲシュタルト心理学の考えと一脈通じるところがあるけれど、ここではとくに経験の能動的形成あるいは統合に重点が置かれる。科学上の発見、芸術上の創造、名医の診断技術などの技芸的な能力は、みな、この暗黙知に拠っている。

 中村さんは西洋哲学の専門家でありながら、やはりどこか日本的な感性を持っていらっしゃった。ご本人の意識は別として、上掲の暗黙知論などは、私のモノ論と非常に近いところがあり、そこを重視している点において、あるいは、暗黙知を形式知に変換することを奨励していない(たぶん)点において、やはり日本的だと感じます。
 お亡くなりになってしまったのは残念ですが、これを機に再び「難解な本」に挑戦してみようかと思います。
 感謝の意もこめつつ、ご冥福をお祈りします。

Amazon 臨床の知とは何か

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.29

『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』 矢部宏治 (講談社現代新書)

この国を動かす「本当のルール」とは?
Th_51kqmxwoll 朝鮮がミサイルを発射しました。西日本に配備された迎撃ミサイルをあざ笑うかのようにミサイルは北海道上空を通過して、太平洋に着弾しました。
 事前通告はなし。今どき、自国の上空を他国のミサイルが自由に行き来する国なんて、世界中見ても日本以外にはありません。
 どこまで馬鹿にされているのかという気もしますが、これを単純に「狂った国」のしわざとするわけにはいきません。
 彼らにとっては、日本は日本にして日本にあらず。
 日本という島は、アメリカの植民地であり、領土であり、軍事基地である。そういう認識でしょう。
 いや、世界中でそういう認識を持っていないのは、当の日本人だけだと言っても、決して言い過ぎではないでしょう。
 この本に書かれている「知ってはいけない」ことは、もちろん「知るべき」ことです。正直、半分は私も知っていたことでしたが、半分は全く知らないことでした。知らないことでも、まあ予想の範囲内ということもありますし、予想以上で驚いたこともあります。
 いずれにせよ、この本に書かれている「不都合な真実」は、どれも戦後発見されつつある公文書に書かれていることであって、決して陰謀論者の妄想ではありません。
 「戦後レジーム」ではなく「朝鮮戦争レジーム」に生きている日本人。なるほど、現状の半島情勢は、停戦中の朝鮮戦争の再開であるとも言えますね。そう、朝鮮戦争は終結してないのですから。
 多くの密約があり、日本がその空域のみならず、国民の深層心理の部分まで、アメリカに、いやアメリカ軍に支配されているということは、今までも知られていたことです。
 しかし、それと、たとえば憲法9条との関係を、ここまで明快に説明した本はなかったと思います。まさに私にとっては目からウロコでした。
 そういう意味では、あまりの闇の深さに暗澹たる気持ちになってしまったのも事実ですが、一方でまた少し違った感想も持ちました。
 というのは、私がたまたま最近、仲小路彰が戦後残した文書に触れる機会を持ち得ているからでしょう。まさに、日本の大転換期になった、終戦から朝鮮戦争、そしてサンフランシスコ講和条約のあたりに、仲小路は大量の政策提言文書を残しているのです(それが実際にどの程度影響があったものか、検証の余地が大いにあります)。
 仲小路の構想した21世紀日本の未来像(今で言えば現在像)は、「アメリカの力を借りて日本は復興し、未来的な価値において日本は世界に貢献する」というものでした。
 つまり、この矢部さんの本に書かれていることはたしかに「事実」ではあるけれども、そのまた裏側、あるいは向こう側には、さらに深淵なる計らいがあるということになります。
 私は夢想家ですので、そういった未来的意味、裏の歴史の裏の意味については期待をしたいと感じました。
 もう少しわかりやすく言うとですね、たしかに戦後70年に及ぶ、「占領下の戦時体制」は日本自身にとっては、とんでもなく惨めな、それこそ「不都合な真実」でありますが、世界全体、人類全体、地球全体(グローバル)の歴史からすると、大きな意味があるのではないかと思いたいのです。
 実際、冷戦体制が終わり、仲小路も恐れた世界大戦の可能性はかなり少なくなっています。テロの脅威という問題はありますが、世界史全体の中で見れば、21世紀はずいぶんと平和な時代だと言えます。
 こうした世界史の進展、進化に、戦後日本の果たした役割は大きかったのではないか。それこそ、身を削って世界に貢献したとも言えるのではないか。そんな気がしたのです。
 従米の形は、たしかに外見上は惨めであり、誇りを持てるものではないのかもしれません。それを、無意識にせよ呑み、大きな不満も持たず、いやどちらかと言えば幸福に平和に発展を遂げてきた日本。そんな国のあり方は、本当に恥ずかしいものなのでしょうか。
 そうした国のあり方、日本人のあり方を、ある意味支えてきたのは天皇です。戦勝国アメリカさえもが一目置いた存在、天皇。その天皇が、日本やアメリカや世界に何を期待したのか。逆に、日本やアメリカや世界が天皇に何を期待したのか。
 そのあたりについては、それこそ仲小路彰が詳しく述べてくれています。
 そう、仲小路とその周辺グループ(高松宮含む)は、この本の主役とも言えるマッカーサーやダレスと、非常に親密に意見交換をしていた形跡があるんですよね。そこにもある種の密約があったかもしれません。
 それらが21世紀人に知られるところとなり、未来的な日本の存在価値と、そこにつながってきた過去的事実の意味が明らかになる時も近いのかもしれません。
 その日のためにも、まずはこの本に書かれている「不都合な真実」を知っておく必要があるかもしれませんね。

Amazon 知ってはいけない 隠された日本支配の構造

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.28

追悼 羽田孜さん(徐福末裔)

 田孜元首相が亡くなりました。64日という超短命政権でしたが、なんとなく私の印象に強く残っているのは、羽田さんご自身が自らを徐福の末裔であると公言していたからでしょうか。
 富士吉田市に残る宮下文書を研究している私としては、ある意味「富士高天原」が一時的に復興したかのよう感じた記憶があります。
 当地にも「羽田」さんはたくさんいますが、「はだ」と読みます。羽田孜さんは「はた」です。大田区蒲田で生まれ、長野県上田で育った羽田さん。先祖は長和町の名家とのこと。
 徐福伝説がそんなところまで伝わっていたとは。富士山のある富士吉田は別として、徐福伝説はだいたいが海に近いところに残っていますからね。
 そんな羽田さん、徐福の末裔を名乗るだけあって、日中の友好に大変大きな貢献をしました。もともと田中角栄の影響が大きい方ですから、親中であるのは当然です。ある意味、そうした政治思想から徐福を持ち出してきたとも言えるかもしれません。
 ご病気を患ってからあまり表に出ていらっしゃいませんでしたが、長野県においてはそれなりの力を持っていたようです。
 現在、富士北麓では徐福にまつわる神社が復興しつつあります。一度はおいでいただきたかったのですが、間に合いませんでした。残念です。
 現在、中国では、徐福が日本の神武天皇だったという説がブームになっています。そうしますと、羽田さんは天皇家の血筋ということになりますね。実際そのようにも捉えられていたようです。
 中国のテレビで紹介された、徐福の子孫羽田孜さんです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.27

パーセル 『グラウンド上の3声のファンタジア』

 日は某オケにエキストラ参戦。基本ヴィオラでしたが、ヴァイオリンを弾く曲もあったので、5弦ヴァイオリンを持っていってすませました。隣で弾いていた知り合いも同じことを考えて5弦ヴァイオリンを持ってきていたので、二人で弦が10本という珍しい状況に(ま、誰も気がついてませんでしたが)。
 バロック音楽では、特に楽器が指定されていないこともあり、音域さえ合えば、ヴァイオリンでもヴィオラでも、あるいはヴィオールでも、場合によっては管楽器でも何でもOKということがあります。
 たとえば今日紹介するパーセルのグラウンドも、いちおうヴァイオリンが最適な音域だとは思いますが、当時の手稿譜を見ると、特に楽器の指定はありません。
 それにしても、この曲、スコアロールを見ながら聴いていただければ分かるとおり、いかにもパーセルっぽく、「普通ではない」ことがたくさん起きていますよね。2小節目の2拍目でgisとgがぶつかっていますが、そのようなことが他のところでも出てきます。
 もちろんこれは上行、下行の音型内の経過音ですから、和声学的にはギリギリセーフになるわけですけれども、しかし、実際聴けば分かるとおり、やはり不自然な妙ちくりんな響きになっています。当然、パーセルはそれを意図したわけですね。
 パーセルのこうした室内楽や合唱曲の、特にポリフォニックな曲には、こういうことがしょっちゅう起きていて、私たちシロウトが演奏すると、「間違った」と思われてしまうことがありますし、弾いている方も不安になったりします。
 この曲も、何度も「?」と思わせるところがあって、シロウトの駄作とか失敗作とかと紙一重とも言える。しかし、何かが違うんですね。シロウトともプロとも。
 何度も書いているとおり、パーセルは超天才でしたから、私たちの感性とはちょっと違ったセンスを持っているんです。もし長生きしていたら、ぜったい音楽史は変わっていましたね。天才は早逝する(パーセルは36歳で亡くなっています)。
 ところで、3本のヴァイオリンと通奏低音の曲といえば、あまりに有名なパッヘルベルのカノン(とジーグ)がありますね。あれも客観的に見ると変な曲です。編成も変ですし、カノンとジーグだけ独立しているのも変。当時のカノンとしても様式的に変で、似た作品は見当たりません。なんなんでしょうね。
 ほかにもパーセルやシュメルツァーに同編成の名曲があります。それはまたいつか紹介したいと思います。
 今日はとにかくパーセルの天才(変態)的な音楽をご堪能くださいませ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.26

吉田の火祭り 2017

Th_img_1395 吉田の諏訪神社の例大祭である「すすき祭り」の前夜祭である「吉田の火祭り」。今年は土曜日ということもあって、大変な賑わいでした。特に外国人の多さには驚きましたね。
 今までも何度もこの「火祭り」については言及してきました。
 富士山の鎮火祭であり、諏訪の御柱祭の派生型であり、お盆の送り火の拡大版でもある「火祭り」。なかなか面白い行事です。
 何度も書いてきたように、この祭はあくまで諏訪神社が主体。その証拠に、浅間神社の神様(木花咲耶姫)が諏訪神社の神様(建御名方神)のところへ「あ・そ・ぼ!」と訪れ、いろいろ相談したのちに、同じ車(神輿)に乗って街に繰り出していくのですから。
 出雲の和魂が三輪山、そして伊勢を通って、この富士山に到達したのが、浅間神社の祭神木花咲耶姫です。一方、出雲の荒魂が日本海側を通って諏訪におさまり、そこから南下して富士山に到達したのが、諏訪神社の祭神建御名方神です。
 出雲で別れた両魂が富士山(不二山)で一つになるという壮大な物語に気づいている人は誰もいません。
 しかし、面白いのは、その車(神明神輿)の後ろから、保護者たる真っ赤な富士山がついてくることですね。すなわち御山神輿。これには何が乗っているのか、正直よくわかっていないのですが、まあ間違いなく古来の富士山の神様である国常立命でしょうね。浅間大神(あさまおおかみ)と言ってもいい。
 そう、若い二人の年一回のデートを、父親が心配して後ろからついていくという感じなんですよね(笑)。
 それがとっても面白い。
Th_img_1400 それから今年はちょっとまた別に面白いことがありました。コノハナサクヤがタケミナカタのところに迎えに行って相談をする、その相談が例年より長引いたんですよね。
 そうしたら、人間界で喧嘩が起きた。いろいろな法被を着た、地元の男衆(氏子・セコ)のグループ(講)があるんですが、そのうちのあるグループの若いのと、あるグループの若いのが一瞬つかみ合いの喧嘩になりそうになった。
 もちろん先輩が止めに入って、お互いに代表(長老)が詫びを入れてすぐに手打ちになって笑顔に戻りました。
 おお、喧嘩は祭の華だなとも思いましたが、もっと高い次元で言いますと(昨日の話で言えばモノの次元)、喧嘩が手打ちになった、すなわち荒魂が和魂でおさめられたその時に、神様どうしの相談も終わって、さあお出かけしましょう(出輿)という段になった。
 ああ、なるほどなあと思いました。祭って、神様の世界で起きているモノを、人間たちが象徴的にコト化しているんだなと。
 神様と人間の関係を垣間見たような気がして、本当に感動しました。
Th_img_1406 神明神輿と御山神輿が、浅間神社と諏訪神社の結界に作られた「高天原」におさまり、宮司さんの祝詞が終わった瞬間に、さあっと涼しい風が天から吹いてきて、皆さん驚いていました。
 ふむ、祝詞という情報(コト)が神という意識(モノ)世界に影響を与え、それがまた風という物質(コト)世界に影響を与えるのですね。
 そう、ふだんはモノ世界の方がコト世界よりも上位次元なので、下から上へは影響を与えられませんが、神事や音楽という特殊な手段を通じますと、下から上へもアクセスできるというわけです。
 すごいですね、この世界は。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.25

「シンギュラリティ」はあり得るのか

Th_51gbi8kiigl_sx348_bo1204203200_ 昨日の話の続きでしょうか。私の得意なモノ・コト論と高次元論に結びつけて、「シンギュラリティ」について少し考えてみましょう。
 最近よく聞く言葉「シンギュラリティ」。AIが人間の知能を超えることによって起きる事象のことです。2045年がその特異点だとも言われ、近未来に対する期待と不安からか、多くの書籍が店頭に並んでいますね。
 AIが人類を救うという論もあれば、AIが人類を滅亡させるという論もあり、まさに両極端。いつの時代にも近未来予想はそういう傾向を持ちます。
 しかし、少し冷静に考えれば、今までの歴史がそうであったように、どんな新しい技術革新にもその功罪があって、私たちは、それをうまいことバランスを取りながら、なんとか自分たちの制御範囲内におさめてきたことに気づきます。
 おそらくはAIも同じような状況になるだろうと、私は楽観視しています。
 ただ、今までの技術というものは、身体の拡張としてのそれがほとんどであり、たとえばコンピュータでさえも、せいぜい我々の脳みその記憶倉庫や単純な四則計算分野の拡張程度のものでした。
 つまり、物質次元と情報次元レベルでの拡張にすぎなかったということです。
 では、AIはどうでしょう。
 私はAIもその次元を超えるものではないと考えています。すなわち、物質、情報よりも上位次元にある意識の領域までは、AIは入り込めないと判断しているのです。
 意識とは、意志、感情、祈り、直感というようなものです。なんとなくわかりますよね。それらをあえて言葉(情報)として表すこともできますが、実際私たちの脳の中では、言語を介さずに表出、処理されています。
 私はそれを「モノ」と呼び、いわゆる物質や情報は「コト」と呼んでいるんです。
 西洋近代化以降の日本語の辞書では、「物質=もの」、「情報=こと」と書かれているため、私の解釈と矛盾し、混乱をきたすことが多いのですが、あくまで私は古来の日本語の「もの」と「こと」を研究した結果として、自らのモノ・コト論を構築していますので、そこのところどうかご理解いただきたい。
 つまり、「もののあはれ」とか「物悲しい」とか「〜なんだもの」とか「もののけ」と言った時の「もの」は、物質化、情報化されない、ある意味不随意的な存在(「なんとなく」「なんだかわからないが」的な認識)だということです。
 逆に、言語化(コトの葉化)できる事象、物質が「こと」であると。
Th_511ektzyihl_sx309_bo1204203200_ で、話をAIに戻しますが、いくらAIがビッグデータを収集して、経験的確率的に最良の判断を下したとしても、それはあくまでも「データ」であって、まさに「コト」そのものでしかありません。
 過去そのものとも言えますね。日本語では過去の事象を「こと」と言います。ですから、古事記は「ふることふみ」なのです。
 逆に未来は「もの」ということになります。面白いことに過去の助動詞は「き」、未来の助動詞は「む」であり、「こと」と「もの」同様、kとmの音から成っています。これも偶然ではありません。
 AIは「コト」しか扱わないので、絶対に「モノ」の領域には踏み込めません。未来予測をしているように見えても、それはあくまで、「こうだったからこうする」でしかなく、「こうなりたい」とか「こうあるべき」というような意志ではありません。
 そう考えてみると、生物の進化というのは面白いですね。ダーウィンの進化論を思いっきり否定してしまいますが、私は進化は意志によって起こると考えています。たとえば、「寒いから毛が生えてほしい」とか、「食べられたくないから葉っぱと同じデザインになりたい」とか(笑)。
 つまり、意識という上位次元が、物質という下位次元に影響を与えたわけです。そして、人間はその意識次元への接触能力が、他の生物よりも高かったため、驚異的なスピードと質の進化を遂げたと。
 あくまで私の考えですよ。全然、現代科学的ではありませんが、もしかすると100年後には科学的になっているかもしれません。
 ま、それはいいとして、とにかく(現在考えられている)AIは意識領域にまでは踏み込めないので、どう考えてもシンギュラリティは起きないのです。
 AIはあくまでも記述できる言語の世界でしかありません。人間の心の大部分は言語化できません。モノ・コト論的に結論するなら、AIはあくまでコト、人間の心はモノであるということです。

Amazon AIが神になる日――シンギュラリティーが人類を救う
 AIが人間を殺す日 車、医療、兵器に組み込まれる人工知能

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.24

武満徹 『翼』・『小さな空』

 日終了した都留音楽祭。そのクライマックスの一つ、4日目夜のクロージング・パーティーは本当に素晴らしかった。あらためて夢のような時間を過ごすことができたことに感謝です。
 宴会芸というには、あまりにぜいたくな演奏の連続でした。
 今思うと面白いのは、西洋古楽の音楽祭でありながら、なぜか日本の現代歌曲や歌謡曲の出し物が多かったことですね。
 ふだん歌謡曲バンドをやっている私としては、非常にうれしいことです。海外の超一流歌手の皆さんをはじめとして、西洋古楽やクラシックを勉強している皆さんに、日本の歌の素晴らしさ、日本語の美しさを知っていただける機会としても最高ですよね。
 特に今回は、ロベルタ・マメリによる武満徹の「翼」が最高でした。涙がどんどん湧いてきて困ってしまいました。つのだたかしさんのリュートによる伴奏。
 武満の「翼」、ご存知の方も多い思いますが、もともとは劇音楽として作詞作曲されたものを、のちに自身が無伴奏合唱曲に編曲したものです。
 ここでは、日本を代表する名アルト歌手、小川明子さんの歌唱、荘村清志さんのギターでどうぞ。本当にいい歌です。

 小川さんの歌も最高にお上手ですが、マメリのあの表現はなんだったのでしょう。ネイティブでない人が歌う日本語に、独特の魅力があるのはなんででしょうね。いつも思うのですが。逆に純粋だからでしょうか。歌謡曲でもあるじゃないですか。アグネス・チャンとか(笑)。
 非ネイティブ、純粋ということで言えば、これが究極でしょう。ボカロ。初音ミクの歌唱で「翼」を聴いてみましょう。

 マメリの「翼」のすぐあと、今度はネイティブ中のネイティブ、波多野睦美さんの神声による「アカシアの雨」が演奏されました。これがまた泣けた…。歌ってすごいなあ。
 ここではその演奏は紹介できませんが、同じつのだたかしさんとのデュオで、これもまた武満の名曲「小さな空」をお聴きいただきましょう。
 武満のすごさはこういう大衆曲もきれいに作れることですね。そして詩もいい。天才。この曲も自身の作詞です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.23

ウエイン・W・ダイアー博士 スピリチュアル・インタビュー

 日の続き。自己実現、自己超越とは何か、私たちに分かりやすく説いてくれるのが、マズローの弟子の一人であるウエイン・W・ダイアー博士です。
 自己とは、エゴとは、そしてソース(源)とはなんなのか。奇跡とは、シフトとは…。
 ダイアーはさまざまな質問に、常に的確に、多くの引用や比喩を用いながら私たちに答えてくれます。
 その答えは実にシンプルです。もちろんシンプルだからといって、その実現が簡単だというわけではありません。単純なことこそ難しいというのは、私たちは経験的に学んでいます。
 そして、私たちは困難であるとすくにあきらめてしまいます。結果として、より複雑な世界で苦しむことになります。
 「シフト」は悟りに近い言葉です。複雑な世界から、よりシンプルな世界に進んだ瞬間のことを言うのかもしれません。
 このインタビューでダイアーが語っていることは、彼の贈り物のほんの一部ですが、それでも私たちは実に大きな恩恵を受けることができます。
 今日もあるクラスで生徒たちに話しましたが、ようやく科学の世界が宗教の世界に近づいてきた。
 ちょっと笑い話的に話したんですが、理系の方が文系よりもずっと遅れてると。
 生徒たちはもちろん逆だと思っている、すなわち理系の方が最先端、未来的だと思っていますから、しっかり笑ってくれました。
 考えてみて下さい。今までの科学は、せいぜい物質と情報の次元でしか思考してきませんでした。そういう意味では、すでにあったものの発見しかしてこなかった。それはまるで考古学のようなものです。
 もちろん、その発見を組み立てなおして、新たな物質を作ったり、未来を予測したりはできます。しかし、はたして、その「新しい」何かは、本当に新しいものなのでしょうか。本当にこの世に存在しなかったものなのでしょうか。やはり、発見されていなかっただけではないのか。神はすでに創造していたのではないか。
 そう考えると、文系の多くの学問や芸術というのは、古くからちゃんと意識の世界の研究をしてきたわけで、発見よりもより創造的なことをしてきたとも言えます。
 だから、文系の方が偉いんだよと、自分が理系をあきらめて文系に転向したことを含めて、半分冗談話として語りました。
 皆さんはどう考えますか。
 ダイアーの話を聴いていると、たとえばそういった理系、文系などという分け方さえもつまらないものに感じられますね。
 私は独自の「モノ・コト論」を勝手に構築して、それをもって世の中の全てを観ているのですが、なるほど、最終目標はモノとコトの統合する世界、ただありのままの存在の世界に到達することなのですね。
 これからダイアーの本を何冊か読んでみたいと思います。

Amazon ザ・シフト
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.22

自己実現と自己超越

Th_hierarchyofneedsplan 日はある研修で、心理学者である国司義彦さんの講演を聴きました。時間が足りなかったからか、講演自体はややまとまりに欠けていましたが、配られたレジュメの内容は実に示唆に富むものでした。
 国司さんが鮎川義介のところで育ったというのにはビックリしましたね。あの時代の超大物に触れていたからこその、今のユニークな活動があるのでしょう。個人的にはぜひゆっくりお話をうかがいたいと思いました。
 国司さんの心理学の中心にあるのはマズローの人間性心理学です。あの欲求段階説のマズローですね。
 あるいはそこから発展したトランスパーソナル心理学。講演では、ダイアーの著書を薦めていましたね。ダイアーになると、ちょっと心理学からスピリチュアルに傾く感じがしますが、時代(科学)がようやくそちらに追いついてきた感のある現代、国司さんのような在野の心理学者の言葉が、俄然真実味を帯びてきたようにも思われました。
 さて、マズローの五段階の欲求説はあまりに有名ですが、国司さんの言うとおり、最終段階、ピラミッドの頂点にある「自己実現欲求」は正しく理解されているとは言えません。
 最も事実とかけ離れた誤解は、「自己実現=わがまま・自己本位」という認識でしょう。そう、世の中で使われる「自己実現」という言葉には、どうしても「単に自分の夢を叶える」という意味合いのものが多く、またその際の「自分の夢」の次元が、「金持ちになりたい」とか「美しくなりたい」とか、そんなレベルの場合が多いようで、そうした誤解が生じるのもしかたないような気がします。
 かつての自分もそう思っていました。しかし、マズローが説く、「自己実現者の特徴」を読めば、そんな次元での「夢の実現」ではないことが分かりますね。復習してみましょう。

 《自己実現者の15の特徴》
・現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ
・自己、他者、自然に対する受容
・自発性、素朴さ、自然さ
・課題中心的
・プライバシーの欲求からの超越
・文化と環境からの独立、能動的人間、自律性
・認識が絶えず新鮮である
・至高なものに触れる神秘的体験がある
・共同社会感情
・対人関係において心が広くて深い
・民主主義的な性格構造
・手段と目的、善悪の判断の区別
・哲学的で悪意のないユーモアセンス
・創造性
・文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

 国司さんの言い方をお借りすれば、「自己実現=世界人類のために自己を活かす」ということになります。そのとおりだと思います。
 私もようやく最近そういう境地に近づいてきたようで、そのおかげか、ピラミッドの下部(欠乏欲求)、承認(尊重)の欲求 、社会的欲求、所属と愛の欲求、安全の欲求、生理的欲求へのこだわりはずいぶん少なくなりました(もちろんまだまだですが)。
 晩年、マズローは5段階の頂点の「自己実現」の先に「自己超越」を想定しました。次に挙げる「自己超越者の特徴」を見ると、より宗教的な世界に近づいていることがわかります。

 《自己超越者の11の特徴》
・「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている
・「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている
・統合された意識を持つ
・落ち着いていて、瞑想的な認知をする
・深い洞察を得た経験が、今までにある
・他者の不幸に罪悪感を抱く
・創造的である
・謙虚である
・聡明である
・多視点的な思考ができる
・外見は普通である

 たとえば仲小路彰などは、この境地に至っていたと思います。外見が普通であったかどうかは微妙ですが。
 私たち人間は、欲求のピラミッドを年齢とともに登っていくとも言えます。頂上の先に「自己超越」があるとして、皆さんは今何合目くらいにいますか。
 私も含めて、「承認の欲求」、それも他者から「いいね!」されたいという程度の低次な承認欲求あたりでウロウロしている大人が多いような気もしますが(苦笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.21

(直日の)八雲琴復元

Th_img_1323 楽祭が終わり、ようやく夏休みの「工作」をする時間がとれました。
 秋に八雲琴を演奏することになりそうでして、多くの人の前で弾くからにはちゃんとした楽器で演奏しようと考えました。
 実はすでに八雲琴を1台持っていますし、何度か人前で演奏したこともあります。こちらで紹介した楽器ですね。しかし、これはちょっと謎の楽器でして、記事にも書いてあるとおり、勘所(壺)はないし、装飾も本来決められたものと違う。龍角(ペグ)や駒のデザインも一般的なものと違う。出自が分からない謎の楽器なんです。ほかに似たものを見たことがありません。
 また演奏用の台もなかったので、このたび新たにヤフオクで2台の八雲琴を手に入れ、合計3台を組み合わせてちゃんとしたものを1台作ったのであります。
Th_img_1332 一番古いけれども状態や材質の良いものを基本にして、あとの2台は部品取りとして使うことにしました。
 いちおう江戸時代に書かれた文献八雲琴譜を参考にしながら、なるべくオリジナルに近い形になるように復元。
 ま、こういう姿勢というのも、昨日まで開かれていた都留音楽祭において、長年にわたって楽器作りの職人さんから教わったものと言えますね。ちゃんと当時の文献にあたって復元するというやり方。
 なんとか部品も足りまして、それなりのできになったと思います。音も出してみましたが、すごく良い!胴体がいいんですね。
Th_img_1333 そう、その胴体、実はけっこうやばいものなんです。裏側にですね、なんと「直日」の署名があるんです。
 直日と言えば出口王仁三郎の娘、大本の三代教主です。明らかに自筆の署名です。直日所有の琴だったかもしれません。あるいは、上に「玉松」とも書いてあるのを見ると、信者さんの琴に直日が銘をつけたのかもしれません。
 いずれにせよ、直日が一度は手に取った琴だということで、これは非常に貴重なものであると思います。
 そして我が家で復元され、父王仁三郎の耀わんと祖父有栖川宮熾仁親王の書の前にて、何十年ぶりかに音が掻き鳴らされたのですから、不思議な因縁を感じずにはいられません。
 さて、秋までにちゃんと練習して、直日さんに恥ずかしくない演奏ができるようにいたしましょう。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.20

第31回都留音楽祭 最終日(都留と古楽の因縁)

晴信ゆかりの栖雲寺(甲州市)に残る「十字架を抱いた菩薩像」
Th_img_0_m うとう、30年以上続いた都留音楽祭が終わる日が来てしまいました。
 ここまで盛大に、盛会に、誰しもが大満足で終われることは、実に幸せなことです。
 先生方、アシスタント、ボランティアの皆さん、ホールスタッフの皆さん、そして何と言っても遠方から毎年おいでになってくださった受講生の皆さん、本当にありがとうございました。
 最終回とはいえ、特にいつもと変わらず、また来年ね〜という雰囲気で終わったのは、実に都留音楽祭らしかったと思います。たぶん、何かの形で、皆さん再会できると感じていらっしゃるのでしょう。それほどに、まるで家族のような、まさにアットホームな音楽祭でした。
 大学受験失敗という偶然(必然?)を経て、どういうわけか大好きな古楽の祭典に第1回から関わり、ここ都留が古楽の聖地と言われるまでになる、その歴史を中からじっくり体験できたのは、本当に私の人生にとって最高の運命的邂逅でした。
 今日も受講生コンサート、そしていつまでも続くフリーコンサートと、実に充実した感動的な1日でしたが、特に個人的に感慨深かったのは、フリーコンサートで、有村先生指揮合唱クラスの演奏でジョスカン・デ・プレの「千々の悲しみ」が披露されたことです。
 そう、私が30年以上抱いてきた、「なんで都留で古楽なんだろう」という純粋かつ難解な疑問への、ワタクシ的な解答がそこにあったからです。
 先日、こちらの記事で紹介したように、なんとあのキリシタン大名の有馬晴信は、甲斐国都留郡谷村藩(まさに都留文科大学やうぐいすホールのあるところ)に「島流し」になり、そしてそこで斬首の刑に処されているんですね。
 晴信は、天正遣欧少年使節を派遣したその人です。使節の中には晴信のいとこ千々石ミゲルもいました。ミゲルはヨーロッパで音楽を学び、鍵盤楽器の名手となって帰国しました。そして聚楽第で豊臣秀吉に西洋音楽を演奏して聞かせました。
 その時演奏されたのがジョスカンの「千々の悲しみ」だと言われています。
 その後、ミゲルは棄教し、晴信は岡本大八事件に連座して都留に配流、切腹を命じられます。最後まで信仰を捨てなかった晴信はキリスト教で禁止されている自害はせず、十字架の前で悄然として斬首されたと言います。
 きっとその時、以前千々石ミゲルから直接聞いたジョスカンの「千々の悲しみ」が頭の中で静かに流れていたのではないでしょうか。
 そのことを、今回の音楽祭の初日に有村音楽監督に申し上げ、ぜひとも「千々の悲しみ」を演奏してほしいとお願いしましたところ、なんと「その曲をやるつもりで楽譜を持ってきた」とおっしゃるではないですか。有村先生は、晴信のエピソードはご存知なかったので、全くの偶然と言えば偶然でした。
 そして、合唱クラスで練習をしてくださり、最終日に実際に演奏してくださったのです。400年の時を超えて流れる「千々の悲しみ」。この地に眠る有馬晴信は、どんな気持ちで聴いたのでしょう。
 まさか、400年後にこの地で日本人によって「千々の悲しみ」が生演奏されるなどとは夢にだに思わなかったでしょう。いや、晴信やミゲルが、私たち古楽人をこの都留に招いたのかもしれませんね。霊界というのは、そういうものだと私は信じています。
 そういう意味も含めて、この「千々の悲しみ」は感動的でした。最後の最後に間に合ってよかった…考えてみますと、「千々」と「千々石」も不思議な符合ですよね。
 晴信やミゲルのことは、イエズス会の宣教師によってヨーロッパに伝えられ、当時のジャポニスムの流行もあって、いくつかの戯曲として創作されたようです。時はまさにバロック音楽全盛期。当然、音楽劇(バロック・オペラ)として上演されたこともあるでしょう。
 もしかして、処刑のシーンもあったりするのでしょうか。そうだとすると、私たちの全く知らないところで、「都留」がそのまんま「バロック音楽」になっていたということです。
 もうこれは偶然ではありませんよね。あまりにピンポイントすぎます。
 そんな奇跡的なストーリーを知っていただいた上で、「千々の悲しみ」をお聴きください。
 400年以上前から、音楽に関わってくれたすべての人に感謝して、この音楽祭の幕を閉じたいと思います。ありがとうございました。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.19

第31回都留音楽祭 4日目

歌謡曲バンド「山口組」
Img_1339

 留音楽祭も佳境を迎えようとしています。4日目ともなると、いよいよ「終わり」が見えてきてしまいますね。ちょっとセンチメンタルになる瞬間が増えました。
 個人的な話になりますが、大学4年の時以来ずっと自分の人生の中心にあった音楽祭ですからね。30年超えますから、人生の半分以上。いろいろなことが思い出されます。
 都留音楽祭と言えば、昨日の海外講師コンサートも目玉の一つですが、参加者の楽しみとしては、また違った次元で(?)クロージング・パーティーも欠かせませんよね。これは本当に世界一と言っていいレベルの高さ(笑)。
 これぞ参加してくださった方のみが体験できる特別な「場」なので、このブログを読んでくださる方には伝わらないのがとっても残念です。
 今年もまた私もいろいろやらせていただきました。かつては私の宴会芸と言えば「お琴ブラザーズ」でしたが、今や解散状態で再結成のメドも立たないということでして、実は昨日のフリーコンサートでちょっとやらせていただきました。
 かつて琴2面でやらせていただいたクープランの「恋のうぐいす」を、「恋のうぐいすホール」という形で編曲(?)しなおしまして演奏いたしました。かなり面白かったのではないかと思います…(自分としては)。
 ということで、今回をもっていよいよ都留名物のパーティーも「最終回」。全体を記録してはありますが、とても外には出せない高尚な(?)内容ですので、これもまた、参加者の皆さんの心の中の思い出にしていただくしかありませんね。
 やはり、「場」、「ライヴ」というのが、音楽のみならず、さまざまなパフォーマンスにとっては重要であります。
 ただ、ほんの少し、その雰囲気を感じていただくために、パーティー(宴会)担当のつのだたかし先生と私の打ち合わせメモを特別にご覧いただきましょう(初期稿なので、実際の演目とは違います)。
 本当に最終回にふさわしい、31回の歴史の中でも最高の大宴会、パフォーマンス大会となりました。海外講師を含む先生方、そして受講生が、まったく同じ次元に上がって(下がって?)の至芸の数々。これぞ古楽界のよき雰囲気、人間関係を象徴していると思います。皆さん、特に先生方、本当にありがとうございました。超一流は軽々と壁を超え、そして聖俗をスイッチできるということを、身をもって教えていただきました。

Img_1318

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.18

第31回都留音楽祭 3日目

Img_1317

 留音楽祭の3日目。3日目と言えば、恒例の海外講師コンサート。
 今年は最終回ということもありまして、世界を代表する素晴らしい歌手お二人においでいただいています。まず、ソプラノのロベルタ・マメリ。そして、テノールのルーファス・ミュラー。今まで大変お世話になり、そしてそれぞれの素晴らしすぎるリサイタルに何度も感動させていただいたお二人です。
 今年はなんと、そのお二人と、そして日本を代表する歌手であるメゾ・ソプラノの波多野睦美さんの三人が共演するという、まさに夢のまた夢のコンサートが実現いたしました。いやあ、夢でも実現しそうにない組み合わせです。
 そして、それが本当に夢でもありえないような至福の時間となったのです。
 本当に初めてです。コンサート中に「このまま死ぬんじゃないか」と思ったのは。神の声を聴いたというか…いや、マメリさんにも申し上げましたが、「天国のささやき」を聴いてしまったと…そんな感じでした。
 三人とも弱音(微音)のコントロールが神がかりでした。そして、それら三神のささやきが共鳴しあい、より微細な世界へ私たちを誘う。
 ああ、なるほど、神の世界は広大かと思いきや、実は極微なんですね。ミクロがマクロ。無限小が無限大というような感じなんですね。
 歌ってすごいなあ…あらためて思いました。そして、音楽はたしかに私たち人間が高次元宇宙(神)につながる方法なのだなあと感じました。
 歌詞の世界も重要ですが、それだけとれば、それはあくまでもこの3次元的世界に刻印された情報にすぎません。しかし、それが音楽に乗ると、突然高次元の宇宙意識の世界につながるわけですから、本当に不思議ですね。
 そういう意味において、たしかに私たち人類にとって、音楽は進化への道標となるわけで、まさに「No Music No Life」ですね。
 それにしても本当に幸せな時間でした。この三人のリサイタルでありながら、大ホールは空席が多かったのは残念といえば残念ですが、逆に言うと、あのうぐいすホールの素晴らしい残響がフルに生かされたわけで、そういう意味においても、大変贅沢なコンサートであったと思います。
 生きていてよかった。大学受験に失敗して都留に来てよかった。心からそう思える瞬間の連続でした。人生とは面白いものですね。
 プログラムを載せておきます。マメリさんもおっしゃってました。パーセルの「ダイドーとイニーアス」はすごい作品だと。歌い手も特別な精神状態に追い込まれるということでした。

Img_1338

Img_1337

 あっ、それから、ある意味お恥ずかしい話なんですが、ルーファスさんの歌と小倉さんのフォルテピアノのおかげで、人生で初めてシューベルトっていいなあと思いました!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.17

第31回都留音楽祭 2日目

Img_1314

 年の(最終回)都留音楽祭が本格的に始まりました。
 午前中は個人レッスン。今日は私は小倉貴久子先生のフォルテピアノのレッスンを少し聴講。これぞ高次元音楽というべき、実に魅力的なレッスン。受講生の真剣な眼差しも印象に残りました。
 そしてお昼にはフリーコンサート。ずっと司会を務めてきた私は、ここ数年はその一部を若者に譲っております。今日は小倉先生の娘さんが担当。ものすごく上手。あとで小倉先生とともに「そっちの道に進んだら?」などと、本気とも冗談ともとれる会話をいたしました(笑)。
 ちなみに今日は私と有村夫人の誕生日でして、声楽の皆さんが即興で素晴らしいハッピーバースデーを歌ってくださりました。半世紀以上生きておりますが、今までで最も感動的なお祝いをしていただきました。感謝です。ありがとうございました。
 午後の前半はアンサンブル中心のワークショップ。今年はヴァイオリン受講者が多く、そのレベルも非常に高いので、ヴィヴァルディ、コレルリなどの合奏協奏曲を演奏。私もヴィオラで参加させていただきました。実に楽しいですね。明日はチェロの武澤くんも加わるということで、ここだけの楽団にするのはもったいないくらいですね。フリーコンサートで披露いたしましょう。
 午後の後半は全体アンサンブル。今年はモンテヴェルディのマドリガーレ。これがすごい。今日初めて全体を音にしてみたのですが、まあ、まるで現代音楽のように新鮮で過激な音楽ですよ。やっぱりモンテヴェルディは天才だ。YouTubeの音源をちょっと聴いてみてください。
 これはアレッサンドリーニによる小編成の演奏です。半音進行と不協和音の構造がよく分かりますね。

 指揮者の有村音楽監督の説明にもありましたように、様々なコントラストを強調し、ドラマチックな表現を多用して、いわゆるバロック時代を招来した超天才モンテヴェルディの、そのまた円熟期の作品ということで、演奏していても鳥肌が立ちます。
 たった三日間、4時間ほどのレッスンでどこまで完成度を高めるか。最終日の発表が楽しみです。それにしても、こんなすごい曲を私たちアマチュアを中心に具現化できるなんて、それこそ夢のような話ですね。この音楽祭の魅力の一つでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.16

第31回都留音楽祭 1日目

 よいよ最終回の都留音楽祭が始まりした。思えば30年以上、日本の古楽界をリードし、また自分の夢をたくさん叶えてくれもしたこの音楽祭。本当に終わってしまうのでしょうか。不思議な感じがします。
 というのは、音楽祭自体は今回も例年同様にたくさんの参加者がありますし、最終回とはいえ、特にいつもと変わったプログラムがあるわけでもなく、実に淡々と始まったからです。
 第1回から運営側として携わってきた私自身もまた通常運行。
 たしかにこうして全盛期に潔く終わる方がいいのかも…あえてそんなふうに思ってみるのですが、そんな感慨もやはりうたかたのようにすぐに消えてしまうのでした。
 さて、そんなわけで、このブログでの報告もいつもどおりということにいたします。
 音楽祭初日は恒例となった講師陣コンサートです。かつては4日目に行われていた講師陣コンサートですが、1日中レッスンをしつつ、受講生のリクエストにこたえてフリーコンサートで演奏し、夜は宿で深夜まで飲み、そしてパーティーでの出し物の練習をし、そのうえ講師陣コンサートのリハを重ねる…となると、さすがにタフな講師の皆さんもかなりきつい(年々高齢化するわけでもありまして)…ということでいつからか初日のウェルカムコンサートということになりました。
 これは本当に受講生にとってはぜいたくすぎる話でありまして、これから自分が教えてもらう超一流の先生方が、最高の演奏で自分たちを迎えてくれるわけですからね。それは俄然やる気になります。
 今回もまた、本当に素晴らしすぎる演奏の連続でした。毎年書いているように、こんなぜいたくなコンサート、ここでしか聴けません。
 また、都留のうぐいすホールの響きのよさも特筆すべきです。受講生中心の少人数の聴衆もあいまって(もったいない!)、さらにホールの残響が生き、古楽演奏にベストな空間となっているのです。まさに至福の時空。
 皆様に音をお届けできないのが残念ですが、写真とプログラムを御覧になりながら、想像の翼を広げて下さい。

↓アルルカン組曲(構成トーマス・ベアード)
ダンス:浜中康子 トーマス・ベアード
ヴァイオリン:渡邊慶子 伊藤誠
ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢宏 武澤秀平
チェンバロ:岡田龍之介
Img_1291

Img_1292

↓スペインのフォリア(ギニョン)
ヴァイオリン:渡邊慶子 宮崎桃子
Img_1293

↓スペインのフォリア(マレ)
Img_1295

↓トリオ・ソナタト長調(バッハ オルガン・トリオの編曲版)
チェンバロ:岡田龍之介 平野智美
Img_1296

↓組曲ホ短調(オトテール)
ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢宏 武澤秀平
チェンバロ:山縣万里
Img_1297

↓Songs(ダウランド)
メゾ・ソプラノ:波多野睦美
リュート:つのだたかし
Img_1298

↓変奏曲ヘ短調(ハイドン)
フォルテピアノ:小倉貴久子
Img_1300

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.15

『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』(NHKスペシャル)

 戦の日。昨日まで出かけていたので、たまっていた録画をいくつか観ました。その一つがこれ。
 人間性を奪う戦争の恐ろしさを感じずにはいられません。
 これを「捏造だ!」と言ってしまうのは簡単ですし、実際、アメリカやソ連の思惑がからんだ難しい事件であることはたしかです。
 南京事件などもそうですが、「なかった」と言ってしまうのは、やはり言い過ぎでしょう。かと言って「あった」として全面的に認めるのもどうかと思います。
 そう、8月15日にはいつも思うのですが、たとえば靖國の英霊たちも、まさに十人十色で、戦争で散ったことを無念に思い、国を恨む人もいれば、お国のために戦ったことを心から誇りに思っている人もいます。
 軍人に限らず、あの戦争を正しかったという人もいれば、いや間違っていたという人もいるはずでし、あの当時もいたはずです。
 いつかも書いたとおり、そうした無数の感情や志、未来への思いなどを十把一絡げにしてしまうのが「歴史」の残酷さだと思います。
 ですから、この番組をめぐって左右の人たちがお互いを認めず、罵り合ったり蔑み合ったりしているのを見ると、実に残念な気持ちになります。
 これもいつも書いているとおり、私たちは、自分の中にも、残酷な自分や弱い自分、ずるい自分、反対に強い自分や正義を守る自分、あるいは迷う自分などがいることを認めないといけません。
 一面的に過去の戦争を語ることが対立を生み、次の戦争を準備してきたという歴史的真実を忘れないことも忘れてはいけません。
 最近、かつて日中戦争に赴いた祖父が書いた本をあらためて読みました。私と同じ高校の教師だった人です。教育者として兵隊になり、戦後帰国してから再び教壇に立った祖父。喜寿を迎えた祖父が書き残してくれた大切な真実です。
 祖父は私にとっては本当に人間味あふれる、尊敬すべき人でした。そんな祖父が戦地でどのような体験をし、どのような精神状況におかれたか、その本には詳細に書かれています。
 ごく身近な人にのみ配布された私家本でしたが、非常に重要な記述も含まれていますので、近くこのブログで全文を紹介しようかと考えています。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.14

【討論】これでいいのか?政治と宗教(チャンネル桜)

 田から12時間かけて富士山に帰って来ました。東北道や関越道は大渋滞ですので、日本海回り、山形、新潟、長野を経由するいつものコースをゆっくり走ってきました。
 なにしろ12時間も時間がありますから、車内では高校野球をラジオで聞いたり、いろいろな音楽を聞いたり歌ったり。そして、家族が寝ているスキを狙って(?)1.7倍速で聞いたのが、この討論。
 いやあ、実に面白かった。まあ最も興味のあるテーマですしね。そして、島田さんや上祐さんが参加している。すごいなチャンネル桜。水島先輩。
 彼らか参加したことにいろいろ批判もあるかもしれませんが、私の感覚としては、やはりお二人は重要なことをおっしゃっていると思いましたよ。
 そう、以前こちらにも書きましたとおり、オウム真理教事件は自分にとっては他人事ではないのです。他人事のように一方的に糾弾したり、忌避したりできません。
 彼らが(おそらく)そうであるように、自分たちなりの方法で、そこを乗り超えないと未来的真理には近づけないのです。
 …というわけで、時間があまりないので細かいことは書きませんが、とにかく面白いので、ぜひ聴いてみてください。それにしても、「政治=まつりごと」と誰も言わなかったのは意外といえば意外でした。核心すぎるのかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.13

太平山煙岡神社(羽後町)

 田でお盆の墓参り。秋田の不思議なお盆については、ずいぶん前にこちらにも書きました。あまりに見事な神仏習合。
 その帰り、カミさんが懐かしい所に行きたいということで、いくつかのポイントを回りました。たしかにこれが日本の原風景、ある意味消えてゆく姿もまた、国譲り的な美しさを感じました。
 さて、そんな中、逆にカミさんが地元でありながら、実は一度も行ったことのない所にも行ってみました。
 羽後町の太平山にある煙岡神社です。すぐ近くのみはらし荘には、私も一度連れて行ってもらったことがありますが、煙岡神社は初めて。

Img_1231

Img_1232

 まず、その社名に興味が湧きますよね。どうも、幻の羽後城の狼煙台だったらしい。証拠はありませんが、たしかにここからの眺望は素晴らしすぎ。狼煙台には最高の山ですね。
 横手盆地を一望できるだけでなく、日本海も見える日があるとのこと。夜景も美しいとか。

Img_1240

Img_6205

 夕刻、入道雲の立ち上る田園と遥かな稜線は、普段空の狭い山梨県に生活する者にとっては、実に新鮮。と言いますか、なにか異世界に迷い込んだような感じさえします。
 さて、この煙岡(けむりがおか)神社、田代の地主、昨日の鎌鼬美術館の建物の持ち主でもあった、長谷山家によって「再興」されたということです。かつては山自体がご神体であったのでしょう。祭神は結局分からずじまい。
 義父母に聞くところによると、雨乞いの神様だとのこと。社務所は田代の旦金森(だんごもり)にあります(鉱山の匂いのする地名ですね)。麓の人々がお山に雨乞いをしたのでしょう。

Img_1235

 ちなみに太平山という名前から分かるとおり、煙岡神社の近くに三吉神社もあります。秋田だけでも太平山という山は八つあるとか。本家秋田市の太平山信仰、三吉信仰が各地に広まり、いわゆる太平山講、三吉講がここにも到達していたことがわかります。
 参拝して中を覗かせていただくと、日の丸の扇が祀られていました。どのような由緒がある扇なのでしょうか。

Img_1233

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.12

鎌鼬美術館(羽後町田代)

Img_1208

 うやく訪問することができました。素晴らしい美術館でした。感無量です。
 伝説の舞踏家土方巽。若い頃彼の大ファンだった私が、まさか美術館設立に(ほんのちょっとですが)関わることになろうとは。
 というか、それ以前に、まさか自分の嫁さんのお母さんの実家前が、あの「鎌鼬」の撮影場所だったとは…。
 そのあたりの驚きの連続は、こちらからお読みください。まったく人生とは不思議なものです。
 そんな舞踏の聖地、写真の聖地に、本当に素敵な美術館ができました。設立に尽力されたお二人の地元の方とも春に、そして今日もお話させていただきましたが、やはり「場」というのはとても重要です。「場」には「魂」が記録されるのです。
 それはおそらく7次元的意識の世界が、5次元的情報の世界、3次元的物質世界に投射されるということなのだと思います。
 歴史的な作品が生まれた場、その「リアル」を超えるのは難しい。別の場所にいくらお金をかけて資料を集めてもだめです。そこには「魂」が刻印されていないからです。
 土方を研究するある外国人舞踏家は、それこそ義母の実家の前の田んぼの泥を体に塗りつけて舞ったといいます。それはたしかに正しい。50年の時を超えても、そこには間違いなく「魂」が生きていると思うからです。
 鎌鼬の撮影場所ともなった、旧長谷山邸の蔵を改装して作られた鎌鼬美術館。そこに土方がいるかのような「リアル」さを体験できました。
 もちろん、貴重な展示物や美しい田代紹介のビデオも素晴らしかったのですが、やはり、その「体感」ですね。これぞ本当の聖地、メッカであると感じました。
 昨秋の開館以来、冬期は休館、基本土日のみ開館にも関わらず、すでに世界中から1000人以上の人が、この知られざる山村を訪れたとのこと。
 慶應義塾大学という中央と、地元の協力体制、愛情、行動力が、このような遺産を現代に、そして未来に甦らせたのだとも感じました。
 今、富士山麓のいくつかの遺産の保存、顕彰に携わっていますが、なるほど、こういう形を取るのが一番だなと痛感しました。そちらも頑張らねば。
 どうそ、皆さんも、この美術館を中心とした村全体を舞台に、今に生きる土方巽、そして細江英公の魂を体験してみてください。
 私も秋田を訪問したおりには、必ず訪れたいと思います。関係者の皆さん、本当にありがとうございました。
 最後に…ワタクシ的に最も感激したのは、写真集鎌鼬のために撮影され、しかしボツになった、多くの写真をペタ焼きの形でたくさん見ることができたことです。それはまたまた実にリアルな作品群でありました。
 公開することを前提に許可をいただき写真を撮らせていただいたので、どうぞご覧ください。

Img_1194

Img_1206

Img_1195

Img_1196

Img_1197

Img_1198

Img_1200

Img_1201

Img_1202

Img_1203

Img_1204

Img_1205

Img_1207

Img_1209

Img_1210

Img_1211

Img_1212

Img_1214

『鎌鼬 田代の土方巽』 (慶應義塾大学出版会)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.11

小野小町伝説

 朝3時に富士山を出まして、12時間かけて夕方3時に秋田に到着。さすが渋滞のピークということで、東北道は使えず初めて常磐道へ。震災の被災地を通りながら仙台へと思いましたら、こちらも茨城県内で渋滞が始まりましたので、日立のあたりで下道に降り、結局秋田県横手市までずっと一般道を走ることにしました。
 時間はかかりますが、もともと運転好きの私や、狭い車内でワイワイやったり、グーグー寝たりするのが好きな家族は全然苦ではありません。
 特に今回は初めて通る地域がほとんどだったので、いろいろ風景やら建物やらを見ながら楽しくドライブしました。
 いろいろ思うところ、感じるところがあったのですが、今日は一つだけ取り上げましょう。
 福島県の小野町。いたるところに「小野小町生誕の地」というようなことが書かれていました。
 ほう、ここにも小野小町伝説があったのか。
 まさに今から向かう秋田県県南には、最も有名な「小野小町生誕の地」があります。そう、湯沢市の小野です。なんとなくですが、小野小町と言ったら秋田という印象がありますよね。秋田美人と言ったり、新幹線がこまちだったり、お米もあきたこまちだったり。
 まあ実はこれも全く確証はなく、ある意味、福島の小野町やその他全国にある生誕地伝説と同じくらいの信憑性(の低さ)です。ただ、古今和歌集において紀貫之が小野小町を出羽国司の娘としているのは大きい。
 福島の方は、小野篁が現在の小野町を訪れ、そこで地元の美女(愛子…めづらこ)と結婚して生まれたのが小野小町という設定。
 ちなみに全国にある小野小町伝説地はこちらでご確認ください。めちゃくちゃ多いですね(笑)。
 実は、このマップに載っていない地味な伝説地が山梨県都留市にあるんです。
 都留市に小野というところがあります。山間の小さな部落です。そこに小野小町のお墓があって、毎年ちゃんとお祭をしています。お寺の関係地内にありますが、お祭は神道式です。
 小野小町の夫とも言われる小野貞樹が甲斐守だったこともあって、このような伝説地が生まれたのではないでしょうか。
 私は甲斐国に流された怪僧小野文観との関係を疑っていますが。
 もう一つ、少し前に所用で通った東京の町田市小野路にも色濃い小野小町伝説が残っています。これもいつか紹介します。
 こうしていろいろな伝説地を回りますと、昔の人々の想像力、創造力のたくましさをひしひしと感じますね。歴史においても、科学的根拠とはどうでも良い、ある種印象派的なリアリズムでいいような気がしてきます。
 あっそうそう、小野町は現代の美女(?)リカちゃんにも縁のある町なんですね。これは知りませんでした(笑)。リカちゃん50周年ということで、こちらも歴史、伝説の領域に入りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.10

またまた格安腕時計

Th__20170813_154116 日紹介したなんちゃってMONDAINEは快調に稼働中です。作りも良く、みんな本家と見間違います(笑)。
 ナイロンのバンドの装着感、使い勝手も大変よく、いい買い物をしたと思っています。
 さて、実は同時にもう一つ、少しビジネス寄りのシンプル腕時計も買いました。それがこれです。MONDAINEと同様に秒針が赤いところがミソ。
 これはいくらに見えますか?答えは780円です(笑)。中国からの送料が150円。合わせて930円です。
 船便で2週間ほどかけて届きました。作りは残念ながらなんちゃってMONDAINEには遠く及びません。よく見ると、雑な作りですが、よく見なければ、まあ780円には見えないかな。
 本革バンドは予想よりもちゃんとした品質でした。まあまあかな。
 デザイン的に、これはこれでまあ日常的に使えるでしょうか。ビジネスでもカジュアルでも行けると思います。
 なんちゃってMONDAINEは春夏、こちらは秋冬と使い分けてみましょうかね。

Amazon POTOJP メンズ腕時計 クォーツ 腕時計 薄型 軽量 シンプル アナログモデル ウォッチ watch レザーバンド おしゃれ 高品質 ファッション ビジネス カジュアル 男女兼用 (ブラウン)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.09

有馬晴信終焉の地「甲斐大和」

20170810_65049

 崎原爆忌。原爆投下の時間に甲府にいました。その後都留で音楽祭の打ち合わせや大学の学長さん副学長さんとお会いする用事がありましたので、甲州街道で笹子峠を越えて移動しました。
 その途中、笹子トンネルのすぐ手前に、長崎に縁の深い方の終焉の地があるので立ち寄ることにしました。
 長崎に縁の深い方…それは、有馬晴信です。有名なキリシタン大名ですね。
 なんと、その有馬晴信は甲斐の国大和の地で斬首されているのです。墓所は不明になってしまっていますが、その謫居したところはわかっています。

_001

 有馬晴信の甲斐国への島流し(配流)については、没後400年祭の行われた2012年に流刑地「甲斐」という記事の中で一度書いています。
 晴信が配流される原因となった岡本大八事件については、Wikipediaをご覧ください。よく分からない事件です。
 岡本大八事件で、岡本大八は駿府安倍川河川敷で火あぶりの刑に処されています。そして晴信は甲斐国郡内(都留)に島流し。のちに切腹を命じられますが、キリシタンは自死を禁じられていたので斬首となりました。

_002

 ここでちょっと気になるのは、大八事件で取り調べをする側にあった甲斐国出身の大久保長安も、のちに安倍川でさらし首になっていることです(大久保長安の謎についてはこちらの記事参照)。
 どうも徳川家は甲斐の国に何か特別な感情を持っていたようです。富士山をはさんで、今も静岡と山梨が微妙な関係にあるのは、このあたりからの伝統なのかもしれません。
 晴信を甲斐の郡内に島流しにしたのはよかったけれども、そこはまさに「生黄泉」の国。妙な霊力を身につけては困るということで結局死刑に処したのかもしれません。

20170810_65221

 晴信の悲しい人生について、キリスト教の本国ヨーロッパでは、当時物語として語られていたようですね。そのあたりについても調べてみたいと思います。音楽劇もあったかもしれません。
 話がいろいろ飛んで申し訳ありませんが、今年、30年以上続いた古楽の祭典「都留音楽祭」が最終回を迎えます。有馬晴信が流された地で、当時晴信も聴いたであろう古楽の祭が長く継続したのは、もしかしてそのようなご縁があったからなのでしょうか。
 そんなことを思いながら、晴信終焉の地にお参りいたしました。まさに信仰や音楽は時空を超えるのです。

_004

 また、キリスト教国によって長崎に原爆が投下されたことを、晴信は遠く山梨の山の中で、どのような気持ちでとらえているのでしょうか。
 なんとも不思議な気持ちになりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.08

やわらかプラスチック

20170810_54405 昨日学校のBBQがあって、その最中、生徒たちとはしゃぎすぎ、森のなかであるモノをなくしました。
 そのあるモノは買うととっても高いものなので、自分で作ることにしました。私は他人が作れるものは自分でも作れるという考えの持ち主なので(笑)、今までも何かをなくしたり、忘れてきたりした時は、即座にそれらしいモノを作ってきました(つまりごまかしてきた)。
 というわけで、今回そのごまかしのために購入したのがコレ。
 けっこう今はやってますよね。100円ショップで「おゆまる」なんか手に入ります。いろいろ検討して、この商品が一番安く、信頼性も高そうだったのでAmazonで注文しました。
 それが今日さっそく届いたので成形に挑戦。いやあ、これは楽しい。面白い。
 つまり60度以上のお湯に入れると、透明なゲル状になってどんな形にもなり、冷えるとかなり硬質な白いプラスチックになるというものです。
 60度以下になると急に固まるというわけではないので、それなりに成形の時間があるし、それでも固くなってしまったら、もう一度お湯に入れれば再び少しずつ柔らかくなる。
 逆にすぐに固めたい時は冷水などで冷やせばよい。表面的に修正したければドライヤーを使うと便利。
 やけどに気をつければ、子供たちの工作やアクセサリー作りにも最適ですね。
 ちょっとした部品が割れたりした時に、これがソックリなものを作るのもいいでしょう。プラスチック用の接着剤が普通に使えます。
 そんなわけで、今回はヘタすると10万円するようなものを10円くらいで作ってしまいました。それも10分で(笑)。そのできもなかなかで、家族も感心していました(?)。
 ぜひ皆さんもいろいろなモノを作ってみて下さい。色もつけられますよ。

Amazon chalt やわらかプラスチック お湯につけて何度でも使える (100g)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.07

電気自動車の時代は来るのか?

Th_2017080700010007autoconen0001vie ヨタとマツダの資本提携のニュースがありました。トヨタがここのところよく動く。いろいろな形での提携先を求めている。
 トヨタという大化け物でさえ、これから一人では立ち行くのが難しい時代が来ることを予感させます。
 ヨーロッパを中心に、明らかにガソリン離れが起きていますね。そして、その代替となるのは電気エネルギーです。欧州メーカーはずいぶんと派手にEVへの移行を宣言しています。
 トヨタもそれに刺激されたというか、それに惑わされているように感じます。
 今までもHVやEVの問題点をいくつか書いてきましたが、その根幹にあるのは、身近なところでは「充電」の問題。それはたとえばこちらに書いたとおりです。スマホでさえ充電不足の不安にさいなまれるのに、いわんや車においてをや。
 ガソリン車がここまで普及し、そして100年前と変わらず今も主流なのは、ガソリンを手に入れることに関する安心があるからです。
 電気の場合はどうでしょう。それは上掲の記事に書いたとおりで、さらに言えば、ヨーロッパのメーカーが言うように、全ての車が電気自動車になった場合、はたして今のガソリンスタンド並みの安心感、安定感を得ることができるか。
 これもいつも書いているように、バッテリー問題というのは実に難しい。それこそスマホのバッテリーにさえ充電時間がかかるように感じているし、「へたる」ということも私たちは体験済みです。
 だから私はキャパシタ(コンデンサ)に期待し、またコンデンサとバッテリーのハイブリッドの技術を開発して、特許をとろうかと思っているのですが(笑)、実はそれ以前に、消費電気量と総発電量の問題がある。
 つまり、今ある世界中のガソリン車が全て電気自動車に変わったとしたら、いったい何機の原子力発電所を新規に建設しなければならないかということです。
 エコ、エコを唱える人にかぎって、原発反対を唱え、プリウスに乗って、自宅にソーラーパネルをつけたりしていますが、もし、その動きを世界中のみんながしたら、間違いなく電気が足りなくなりますよ。現状では。原発を大量に増やすか、あるいは火力発電所を大量に増やして石油を消費しまくるかしかない。全然エコじゃないですよね。
 しかし、それはあくまで「現状では」という前提の話です。そう、未来的に核融合発電が実用化すれば、その問題も解決する可能性が高いのです。
 これもしつこいほどこのブログに書いていますとおり、私は「原発には反対の賛成なのだ!」という立ち位置です。すなわち、核分裂原子炉発電には反対だが核融合原子炉発電には賛成なのです。
 最近ではあのGoogleが核融合分野に進出するとのニュースも聞かれました。あるところから私に入った情報では、常温核融合とは全く違う発想での、新しい核融合のスタイルがもうすぐ確立するとのこと。それも日本が中心となって。けっこうなことですね。
 もし核融合発電が一般化すれば、それはすべての車を電気自動車にしてもいいでしょう。飛行機でさえも核融合炉エンジンを搭載すれば、石油から解放されるかもしれません。
 トヨタが今こうして「電気」にシフトしようとしているのは、そのような情報を得ているからかもしれませんね。
 キャパシタと核融合、日本の技術力に期待しましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.06

『ドラマ東京裁判 第3回&第4回』(NHKスペシャル)

 日の続き。後半です。
 たしかに映画としては描ききれない、テレビドラマだからこその表現もありますね。当時の映像をカラー化して挿入しているのもいい。リアル感が増している。
 さて、後半の一つのクライマックスは、例の東條英機の天皇に関する発言でしょう。昭和22年の大晦日のことです。この発言が「天皇無罪論」を揺るがすことになりました。
 しかし、年が明けて昭和23年1月6日の法廷の東條自身の発言で、それは見事に覆されます。
 あの見事な逆転答弁の裏には何があったのか。ドラマでも、キーナンと東條の打ち合わせがあったことが示唆されています。
 実は、その年末、あの田中隆吉は山中湖にいました。その田中を呼び出しアドバイスを与えたのが、仲小路彰です。仲小路は東京裁判の意味、特に天皇を護ることの重要性を語りました。
 大晦日、田中はキーナンから電報を受け取り、急遽東京に向かいます。そして、キーナンと会談し、結果として木戸幸一を通じて東條に仲小路からのアドバイスが伝わることになって、あの運命的な発言に生まれました。まさに仲小路彰が天皇を、日本を救ったのです。
 知られざる歴史秘話ですよね。
 広島原爆忌にこの秘話を書くというのも、なんとも運命的な感じがいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.05

『ドラマ東京裁判 第1回&第2回』(NHKスペシャル)

 年末放送されて物議を醸したドラマの再放送がありました。今日と明日二日間で全4回を放送。
 今日は前半の第1回と第2回。
 昨年末見逃したうえに、今回も放送されるのを知らなかったため、あとからある人に聞いてネットで観ました。なるほど、よくできたドラマですね。
 今日放送された前半に関しましても、いろいろ書きたいことがありますが、スミマセン、時間が本当にないので、あらためていつか書きます。
 やっぱりパル判事の存在感ですね。私も彼の言うことが一番真実に近いと思います。このドラマでのパル判事の描き方はなかなか秀逸ですよ。保守派の論壇からは批判もありましたが、かなり実像に近いと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.04

ジェフ・リン&リチャード・タンディ 『ELOアコースティック』

 ととい二つのXanaduで、めちゃくちゃ健在なところを紹介した今年70歳になるジェフ・リンですが、今日は、ちょっと前にELOの盟友キーボーディストリチャード・タンディと共演した様子をお聴きいただきましょう。
 ジェフ・リンはELOをいったん解散後、憧れのビートルズのメンバーやボブディラン、トム・ペティ、ロイ・オービソンらと仕事をし、ある意味本人の夢を見事にかなえたわけですが、近年はそのような活動を経たのち、自らの若かりし頃の音楽をよく演奏するようになりました。
 これは単に世間がリバイバルを望んでいたというだけでなく、ジェフ本人が、自らの若かりし頃に対してリスペクトを持っていることを表していると感じます。
 セルフカバーする際、アレンジにもあまり手を入れないこと、歌い方もほとんど変えないことからも、それがよくわかります。その最たるものが、2012年に出した再録音ベストでしょう。ほぼ完コピ。自分の作品を完コピ。セルフ完コピ。これってすごいことですよね。そういえば、日本でも最近イエモンがセルフ完コピベストAmazon THE YELLOW MONKEY IS HERE. NEW BEST を出しましたね。
 年をとると、若い頃の自分が懐かしいだけでなく、「今」ない魅力、感性を持っていることに気づき、ちょっとしたファン的な視点から見直してみたりするんでしょうかね。面白いですね。
 私もそろそろそういう年齢ですから、昔の恥ずかしい日記でも引っ張り出してみよかな(笑)。詩や曲もたくさん作ってたしな。
 さて、前置きが長くなってしまいましたが、そんなジェフが盟友リチャードと、これもまた決して奇をてらわず、ほとんどそのままアンプラグドで演奏しているのが上の動画です。
 いいですねえ、なんともいえない懐かしさと新鮮さ。音楽というのは本当に時空を超えます。やはり高次元での出来事なんですよね。
 それにしても、すごい人たちがコメントしてますねえ。ロック界はおじいちゃんたちが元気だ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.03

第3次安倍内閣

Th__20170804_114902 閣改造。第3次安倍内閣が誕生しました。難産でしたね。
 だいたいが、改造しなければならない理由が「身から出た錆」でしたからね。マスコミや野党が異常倒閣運動をしていることも事実ですが、たしかに安倍政権自身の油断、傲りというものもありました。
 安倍総理も記者会見の冒頭、深々と頭を下げましたね。これは長期政権にはありがちなことです。人生と一緒ですよ。それをどうプラスに転換するか。そこが実力の見せ所です。
 さて、今回の人事、一番のサプライズはやはり河野太郎さんの外務大臣就任でしょう。お父様の河野談話の件もありますし、過去の外務省批判もあります。親中・親米ですし、原発反対ですし、安倍さんとは相容れない部分が多いはずです。
 米中韓、そして北と微妙な関係にある現在、あえてこのような人事をしたことは、もしかすると大成功につながるのかもしれませんね。私たち国民のあずかり知らぬところでのパワーバランスというのがあるのでしょう。
 ちなみに河野太郎さんの奥さんと私は、小学校の同級生。憧れの帰国子女でした(笑)。まさか河野洋平さんのところのお嫁さんになるとはねえ…彼女、いつかも書きましたが、私の天敵だった(?)向山洋一先生の秘蔵っ子でした。
 野田聖子さんの総務大臣も話題になっていますが、私はそこはあまり気にしていません。
 それより、ワタクシ的に最も注目するのは…厚生労働大臣に就任した加藤勝信さんです。加藤さんとは、間接的にではありますが、今とてもとても近い関係にあります。
 医療界の、それこそ強力な岩盤規制に風穴をあけてもらいたいところです。期待していますが…働き方改革の方で忙しくなっちゃうかなあ。
 そして、加藤さんは拉致担当大臣も兼任します。何度も書いてきたとおり、横田めぐみさんは私の同い年の幼なじみです。父親どうしが同じ職場で、同じ社宅で遊ぶ仲でしたから、とても他人事とは思えません。
 そういえば、田原総一朗さんが総理と会談し、政治生命を懸けた大冒険を…と言っていましたが、その冒険は、小泉総理が、ちょうど同じように支持率の下がった時に敢行した北朝鮮訪問、首脳会談に近いものなのでしょうか。
 そのあたりについては、また後日書きたいと思います。
 いずれにせよ、安倍さんに替わる人物が、与党内にも野党にも見つからない現在、安倍さんをより良い方向に修正していくのがベストだと思いますので、私は現内閣を応援、そして批判していきます(上から目線ですな)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.02

二つの『Xanadu』

 外夏休みの方が忙しいのが教師業です。今年はプライベートでもいろいろありすぎるので、毎日タスクをこなすのが大変です。でも、忙しいって楽しいですね。動いているので、いろいろな出会いがある。
 出会いの中には再会もあります。人だけではなくモノやコトに再び出会って感動することもある。
 先月は35年ぶりに中二の時の仲間と会いましたが、その時話にも出た「ELO」。当時私が推しまくっていて、周囲の仲間は無理やり聴かされているうちに、けっこうファンになってくれたりしました。
 その頃から少したった1980年、映画「ザナドゥ」が公開されました。ご存知の方も多いと思いますが、あの映画のサウンドトラックはオリビア・ニュートン・ジョンとELOが担当しました。
 オリビアの歌った名曲「Xanadu」はジェフ・リンの作品。のちにジェフ自身が歌ったELOバージョンも録音されています。
 そんな文句なしの名曲「Xanadu」を、今日たまたまYouTubeで聴く機会がありました。時代を超えた二つのバージョンです。
 まず、ご本人ジェフ・リンが今年の6月にウェンブリー・アリーナで歌ったライブ。まあ、ジェフは年取らないなあ。今年70歳になるんでしょ!?見た目も全然変わらないし、声も変わらない。そして、アレンジも基本変わらない。素晴らしいですね。

 う〜む、素晴らしい。
 さてさて、本家とはかなり違う世界観の「ザナドゥ」をどうぞ。なななんと、松田聖子と河合奈保子のデュエット、日本語歌詞のバージョンです。
 それにしても、二人のアイドル、歌うまいなあ…そしてカワイイ(笑)。今のアイドルはどうしちゃったんだ?
 日本語歌詞は森雪之丞さん!良き時代ですなあ。洋楽も邦楽も。

 そういえば、私の音楽人生のベースにあり揺らがない、ELOの名盤「アウト・オブ・ザ・ブルー」発売から40年(!)ということで、記念ピクチャーレコードが発売されますね。今はなき長岡秀星さんの名グラフィックです。買わなきゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.01

Natural Park 腕時計

Th_img_1096 た、格安腕時計を二つ買いました。そのうちの一つが届いたので紹介します。
 いや、1年前に買った285円(今は244円!)の腕時計は今でもちゃんと動いていて、大活躍中なのですが、夏場のお出かけ用にさわやかなデザインのものをと思いまして、これを買ったわけです。
 一見、というかよ〜く見ないかぎり、絶対「MONDAINE」ですよね(笑)。つまり、中国お得意のパクリということになるでしょうか。あんまりにもソックリなので感動すらしてしまった。
 MONDAINEは掛け時計を使っていて、実に見やすいので、同じデザインの腕時計もほしいなあと思っていたのですが、いくら安くても2万円くらいなので躊躇していました。
 そこに突如現れたのが、この偽物。2,399円。文字盤が白いものは、とりあえず私が最後の一つを買ってしまったので、残念ながら今は品切れになっています。
 同じものが、1万5千円くらいで売っていることもあるので、これはおトクな買い物でした。そして、それなりに品質が良さそう。パッケージもしゃれていますし、全体的な質感も決して本家に劣りません。
 Natural Park という自然公園みたいな(?)ブランドの時計、けっこう安くてセンスがいいものが揃っていますね。
 そして、このブランドの最大の特長はナイロンバンドではないでしょうか。独特な編み込みの軽くて丈夫なバンドです。単なる編み込みバンドなので穴はなく、編み込みの無数の隙間を穴代わりに使います。それがいいのか悪いのか、しばらく使ってみなきゃ分かりませんね。乱暴と言えば乱暴だし、機能的と言えば機能的。
 244円の時計の運針音が大きかったのに対して、さすが日本製ムーブメント(?)、ほとんど無音です。ガラスはミネラル(プラスチック)なのでキズがつきやすいかもしれません。
 というわけで、この夏はとりあえずこれをしてお出かけします。

Amazon Natural Park 腕時計

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »