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2017.07.31

昭和32年の「ICBM」

 28日、北朝鮮が2度めのICBM発射に成功しました。防衛大臣の不在に合わせたタイミング。そして、いよいよ、アメリカ本土が射程距離に入り、トランプ大統領もちょっと本気になったかもしれません。
 さて、ICBMとは日本語で言うと「大陸間弾道弾」。英語ですと、 intercontinental ballistic missile 。
 なんとなくICBMというと、最新兵器のような気がしますが、案外歴史は古く、第二次世界大戦のドイツのV2ロケットにまでさかのぼります。
 V2を改良パワーアップさせたA9、A10の二段ロケットミサイルは、ヨーロッパからアメリカ大陸を直接攻撃することを目標に開発されつつありました。終戦前にはすでに開発を断念していたようですが、もし完成していれば、それこそ初めてのICBMとなり、実際に使用された可能性もあります。
 その技術は冷戦下のソ連にひきつがれ、実質的な初めてのICBMは、1957年のスプートニク1号の打ち上げに使用されたR-7ということになりましょうか。
 そう、米ソ冷戦下での両国の宇宙開発競争には、大陸間弾道ミサイルの完成、実用化を誇示する意味合いもあったわけですね。
 さて、1957年といえば昭和32年です。その昭和32年の、「新宗教新聞」を読んでいましたら、なななんと、「ICBM」という単語が出てきていて驚きました。はあ、やっぱりスプートニクの成功は、分かる人にとってはまさに大陸間弾道弾の完成を意味していたわけですね。
 なにしろ、それを書いたのは、当時防衛庁顧問だった富岡定俊。富岡定俊といえば、名海軍少将であり、あのミズーリ艦上での降伏文書調印に立ち会った人物です。
 そして、昨日の川添浩史、坂倉準三らと並び、戦前、戦中、戦後を通じて、仲小路彰に私淑した人物です。
 その富岡が「新宗教新聞」に書いた記事を御覧いただきましょう。

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 戦後の富岡は山中湖の別荘におり、ますます仲小路彰の教えに強く影響を受けるようになっていました。戦後、富岡をある意味有名にした「未来予測」「未来学」は言うまでもなく仲小路のそれそのものです。
 仲小路も実戦現場で活躍し続ける富岡に敬意を表しており、喜んで富岡のゴーストライター的な役どころを引き受けていました。
 この新聞の記事も、その宗教観、歴史観、平和観、国連観など、いかにも戦後の仲小路彰という感じがします。というか、文体も仲小路そのものと言っても良い。
 すなわち、仲小路明は、昭和32年の段階において、ICBMの脅威、それも未来的な脅威を予知していたとも言えるのです。そのあたりの慧眼はさすがですね。
 はたして、この記事にあるような役割を、今後日本はできるのでしょうか。
 よく見たら、この記事が書かれたのが1957年8月29日とあります。スプートニク1号の打ち上げ成功は10月4日。なんとまあ、これもまた一つの未来予知のようなことになっていますね。驚きです。
 蛇足になりますが、当該記事の左下にあるPL教団の野球の試合の告知。あのPL学園高校の硬式野球部の創部が昭和31年ですから、前年ですね。ここから50年にわたるPL野球部の栄光の歴史が始まるわけです。
 そして、今年2017年、実質的な廃部となりました。なんとも言えない歴史の残酷さというか、世の中の栄枯盛衰を見るような気がします。


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2017.07.30

シルクセンター@横浜

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 前も紹介しましたが、昨日演奏会の合間に再び訪問いたしましたので、ここに紹介します。
 一昨日、本当に不思議すぎるご縁で、シルクに関する大きな大きな前進を実感することができましたことを、その時に直観しましたとおり、高松宮妃喜久子さまにご報告感謝申し上げてきました。

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 そう、横浜のシルクセンター内にあるシルク博物館には、喜久子さまの揮毫になる、かつての「シルクギャラリー」にあった「絹の道」の看板や壁飾が展示されているのです。

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 昭和39年(私が生まれた年です)の東京オリンピックを中心に何年間か、「日本の絹を世界の女性に」というコンセプトで作られた高輪光輪閣の「シルクギャラリー」。それについては、今調査してまとめているところですので、近いうちにどこかで発表できると思います。

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 見事な「有栖川流」の文字ですよね。高松宮家は有栖川流の祭祀や芸道を継承しました。有栖川家に続き、高松宮家も断絶してしまったので、現在それを継いでいるのは秋篠宮家とうかがっております。
 少し話がそれますが、競馬の高松宮記念に関係して「シルクロードステークス」というのがありますが、この名称は高松宮家とシルクロードとの深い関係をさりげなく示しています。
 シルクギャラリー(財団名シルクロード・ソサエティ)に関わっていたのが、表面上は川添浩史(象郎)ら。裏には当然山中湖の仲小路彰がいました。そのコミュニティーの一角で重要な地位にあった建築家の坂倉準三。コルビュジェの弟子である彼がこのシルクセンターの設計を担当しました。たしかにこれぞモダニズムというべき、斬新かつ実用的な建物ですね。今でも新しさを感じます。

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 シルクセンターの完成は昭和34年。シルクギャラリーもその頃に始まりました。当時の仲小路の文献を読むと、シルクロード、聖徳太子、絹が一つのキーワードになっていることがわかります。
 仲小路独特の歴史思想の一つである、「日本に世界の文物が集合し、そこで純化・高度化して、それがまた世界に戻っていく」という発想の一つの象徴としてシルクがあったのでしょう。そしてそうした役割を果たす日本人の理想像としての聖徳太子。
 そんなわけで、シルクと富士山の関係も非常に重要になってくるわけですが、一つ山梨関係で面白いことがありますので、少し脱線しますが紹介しておきます。
 横浜のシルクセンターに刺激されたのが、山梨県でも昭和35年に県の団体施設として「山梨シルクセンター」を開設しました。それを引き継ぎ、株式会社にしたのが辻信太郎さん。そうです、今や日本が世界に誇る企業となった「サンリオ」の前身が「山梨シルクセンター」だったのです。
 ある意味、辻信太郎さんが、キャラクター・ビジネスの分野において、仲小路彰の夢を実現したということですね。その後、ご存知のとおり、日本のシルク産業は斜陽の一途をたどるわけですが、そこからあのキティちゃんが生まれ、世界中で愛されているというのは面白い事実です。
 辻信太郎さん、今年90歳になられますが、まだまだ現役で頑張っておられます。辻さんの独特の平和思想も、どこか仲小路彰につながるような気がします。歴史の「綾」というのは実に面白いですね。

シルクセンター公式

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2017.07.29

バッハの音楽劇@横浜開港記念会館

Th_7219 来場くださった皆さま、ありがとうございました。横浜市中区制90周年・開港記念会館100周年記念事業として行われたコンサート、それこそ開港記念会館始まって以来最高のお客様の入りと言っても過言ではないほどの大入り超満員でありました。
 そのような記念すべき演奏会にシロウトながら参加させていただける幸せをあらためて感じているところであります。演奏者の皆様本当にありがとうございました。
 この演奏会の告知としてこちらに書きましたとおり、今回の演奏曲目、特に「狩りのカンタータ」は私の大好きな曲。まさかこのような形で自らが演奏することになろうとは思いもよりませんでした。
 あらためまして、企画運営の中心となられた曽禰寛純さんに感謝です。なんでも、曽禰さんも私と同じ気持ちでこの演奏会に臨んだとのこと。つまり、若かりし頃の夢を人生の中で実現したということです。
 私なんか、その夢に乗っからせていただいてちゃっかり自分の夢も実現させてしまったということですが(笑)、曽禰さんの場合は企画・運営・解説・調整、そして演奏&トーク(王様)までこなすという、それはそれは大変な大事業をなさったということですからね。
 さらにちょうど先週、テレビ東京のNewsモーニングサテライトのコーポレートサーチで、曽禰さんのアズビルの社長さんとしてのお姿を初めて拝見した直後だったので、そのバイタリティーとお人柄、そして仕事と趣味、オンとオフの見事な切り替え(いや、もしかするとそれらがうまく共鳴しているのかも)に賛嘆せずにはいられませんでした。番組の動画はこちらでご覧になれますよ。
 仕事も趣味も…というのは私の理想でもありますが、私の場合はなんだかどちらかに偏っているようでして…いけませんな(苦笑)。
 それにしても毎度思うことですが、本当にプロの方々と一緒に音楽を作る機会というのは、ありがたく尊い体験となりますね。本番は言うまでもなく、練習での様々なアドバイスや苦言が、私たちにとっては最高のレッスンとなります。ぜいたくなぜいたくな生のレッスンです。
 また、一流の声楽の方々との共演は、器楽奏者が忘れがちな音楽の本質、「歌」心というものを体感し、共有できる貴重な機会です。本当にありがたく思います。
 さあ、曽禰さんの次の夢はもう決まっているようです。なるほど私も昔からやってみたいなと思っていた曲です。今回とは全く趣を異にする演目になりそうですよ。楽しみですね。皆様もお楽しみに。

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2017.07.28

シルクのご縁(ネットワーク)

Th__20170730_84041 日はシルク関係で素晴らしい出会いがありました。ある意味「再会」なのですが、このタイミングでの完璧なご縁にお互い感激いたしました。
 先日、皇后さまが皇居内の養蚕所でお育てになった「小石丸」の繭糸を使って修復された、国宝級絵巻「春日権現験記絵」のことがニュースになっていましたね。天皇・皇后両陛下がご覧になったと。
 今日お会いした方との間でも、皇室と養蚕、絹のことが話題になりました。そして、富士山、宮下文書、徐福、仲小路彰のことも。
 貞明皇后、高松宮妃喜久子さまから、その長く深い歴史と伝統を伝承された皇后さま。その霊的な本質について完璧な理解をされているものと思われます。
 以前書きました「皇太子さまの御正体山登山」も養蚕と関わっているとも言えます。御正体山は養蚕の神としても信仰されていましたから。
 貞明皇后と出口王仁三郎(綾部)の関係、そして、綾部と言えば郡是(グンゼ)ですね。郡是と言えば川合信水。川合信水と言えば西桂、富士吉田です。そこに徳富蘇峰も関わってくる。
 こうしたある種霊的なネットワークが、実は養蚕、絹織物のネットワークと重なっていることが分かります。そのあたりについて今後も研究していこうと思っています。
 今日の出会いはまさにそうした未来的活動の助けとなる幸運でありました。その方ともしみじみと語り合いましたが、本当に「動かされている」と感じます。
 そして、たまたま、いや必然的に、明日は横浜開港記念館でコンサートに出演します。横浜港とシルクの関係は言うまでもありません。
 会場のすぐ近くに、仲小路彰のアドバイスによって彼の盟友坂倉準三が設計した「シルクセンター」があります。そして、そこには、これまた仲小路彰の発案によって高松宮殿下、喜久子妃殿下がお作りになった「シルクギャラリー」に関する国内唯一の展示物があります。
 今日の素晴らしい出会いをコーディネートしてくださった、ゆかりの皆さまにお礼をすべく、明日は必ず「シルクセンター」を訪れようと思います。
 不思議だなあ。本当に。なぜ私がシルクと結びついたのか。
 

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2017.07.27

蓮舫さん辞任

Th__20170728_151429 日は蓮舫さんと稲田さんの辞任に関する報道が重なりました。
 今井絵理子さんの不倫疑惑やら、先だっての豊田真由子さんのハゲー事件など、まあ、最近はたしかに「女性が輝く(炎上する)」ニュースが多いですね(笑)。
 蓮舫さんの代表辞任はなんとも唐突な気がしますが、ある意味ここまで持ったのが奇跡というか不思議ではあります。
 野田さんという強力な後ろ盾があっての蓮舫さんだったはずですが、どこかで勘違いが始まって、なんだか自分に酔ってしまったところがあったのではないでしょうか。
 その結果、多数のブーメランが突き刺さり、いよいよ回りからもソッポ向かれて辞任というのが、一番合っているように思います。
 ここ数日でにわかに「解散風」が吹いてきたのも一因かもしれません。私のところにもあるところから「解散あるよ」との情報が入ってきました。どうも小池さんの動きを警戒しての早期解散総選挙という流れのようですね。やめた方がいいと思いますが。
 小池さん(国民ファースト)は恐るに足らずです。いくら安倍一強が揺らいでいるといっても、それに代わる経済政策や外交政策を実現できる人は、残念ながら今はいませんよ。小池さんが新党を作ったとしても、また民進党の二番煎じで終わってしまうでしょう。
 蓮舫さんも小池さんも、しょせんタレント崩れの政治家もどきですよ。もうそろそろ、そういうタレント崩れ政治家もどきには、本当の政治は任せられないと、国民も気づくべきです。
 政治はある意味「忖度」の集合体です。国民や国民の生活を第一といっても、直接そこに働きかけるのは難しく、社会を未来的に良い方向に変えて、間接的に国民のためになることをするしかない。そこで重要なのは、やはり人脈であったり、場合によっては金脈であったり、権威を使って忖度させる技術であったり、案外そんなもんです。
 そうしたシステムは国民には見えにくく、また人間のサガで、ついつい権威に対して嫉妬心を抱いてしまいますから、政治家は批判にさらされることが多くなってしまう。
 とは言え、今の日本の社会状況は、国際的に見るとかなり安定しており、また恵まれているわけで、それなのに国民の嫉妬心が発動して、国会まであらぬ方向に行ってしまっている状況は、かなりおかしいと思わざるを得ません。
 蓮舫さんがやめることによって、そうしたある種の劇場型政治が終わることを祈ります。はたして後釜はだれなのか。前原さん、枝野さんでは新味がない。
 かと言って、我こそはと思っているコニタンやタマキンは勘違い野郎ですし(笑)。ますます混迷しそうな気配。
 安倍内閣としては、ここに来ての支持率低下は可能性としては織り込み済みでしょうし、長期政権になって、たしかに緩みも傲りもあったと思いますから、ちょうどいい引き締めになっているのではないでしょうか。
 ま、とにかく、蓮舫さん、お疲れ様でした。本当にお疲れだと思います。ちょっと休んでください。

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2017.07.26

キース・ジャレット 『カーネギー・ホール・コンサート』より part 7

 日は仕事が終わってから東京に行って帰ってきました。武蔵境でテレマンの「4本のヴァイオリンのためのコンチェルト」の練習というか音出し。楽しかったなあ。
 特に、めったに演奏されない第4番イ長調を古楽器で音にできたことに満足。というか、おかしすぎて(?)笑いが止まらなくなって酸欠で死にそうになる奏者が出るほど面白かった(笑)。あの曲、なぜ演奏されないのか分かりましたよ。テレマンなりのユーモアなのかも。
 で、行き帰りの車の中で何度か聴いたのがこの演奏。
 2005年秋に行われたカーネギー・ホールでのコンサート。病気から復帰して初めてのアメリカでのソロ・ライヴです。
 その中の1曲。キースのソロの一つの形式として、このような「繰り返し系」、すなわちシャコンヌやパッサカリアのようなバロックの変奏曲に近い、ダンスやブルースを基調とした音楽です。
 一聴して分かるとおり、このコード進行はビートルズのレット・イット・ビーとほぼ同じ。ビートルズもそうであったように、ヨーロッパ的、キリスト教音楽的な和声の上に、ブルージーな旋律を乗せるという、いわばゴスペル風な展開になっています。
 こういう即興ピアノ・ソロができたら楽しいだろうなあ。久々にピアノ弾いてみようかな。

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2017.07.25

無門関 『雲門話堕』…正眼寺の松

Th_img_1040 眼夏期講座二日目、山川宗玄老大師による提唱は、無門関三十九則「雲門話堕」。
 本当に自分の痛いところを突かれたようで、逆に快感でさえありました(笑)。
 原文や訳はこちらが分かりやすいのでぜひお読みください。
 要は、受け売り、パクリ、知ったかぶりはダメということですね。まさに私のブログなんか「話堕」そのものです(苦笑)。
 言葉にしてしまった途端、それも他人の言葉であればなおさら、「嘘」になってしまうわけですね。
 今日、織物関係の知り合いたちと飲んだのですが、ちょうどそんな話になりました。今の子どもたちはスマホからの情報によって、まるで自分が経験したり、自分が調べたりした気になってしまう。これは良くないと。
 たしかにそうですが、一方でそうした抽象的な情報を具体的に「読みとる」という、ある種高度な情報処理能力を身につけているとも言えますよね。
 そこが難しいところですが、私は人間の知性、感性の次元上昇に期待したいと思います…なんて、「話堕」な自分を弁護しているだけですね(笑)。
 それから、山川老師風に言うと「そこじゃ!」という、指導者の絶妙のタイミングですね。というか、そのタイミングを、それこそ理屈でなく分かる人でないと教育者にはなれないと。
 これも耳が痛い話ですなあ。
 コトよりモノ、これこそ禅の奥義だと再確認できた体験でした。「もののあはれ」とは「モノのアッパレ」なんですよね。
 提唱が終わり、感慨にふけりながらふとお庭を見ると、そこには「正眼寺の松」がありました。上の写真です。ああ、ずいぶんと大きくなったなと思いました。まさに「黙して語る」松であります。余計なことを語らず、黙々と自然体で生きる松。
 その「正眼寺の松」については、ぜひ次の動画をご覧ください。青木ケ原樹海の赤松林とも通ずる「強さ」がありますね。


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2017.07.24

白隠禅師と(山之上)富士山

Th_000 回の正眼夏期講座、本当にたくさんの気づきがありました。これからも少しずつその成果を書いてゆきます。
 そんな中、全く想定外の大発見もありました。鳥肌が立ってしまいました。
 おそらくどなたもお気づきでないことなのではないでしょうか。しかし、間違いなく正しいと思います。なぜなら御本人からお墨付きをいただきましたので(妄想です…笑)。
 その御本人とは、恐れ多くも、臨済宗中興、今年まさに250年遠忌を迎えている、かの白隠禅師であります。
 ここのところ白隠さんのことが気になってしかたなかったのですが、講習の二日目、山川宗玄老師の提唱「無門関」の中で、ふと白隠さんの名前が出てきました。
 なんと、正眼寺の近くで2年近く修行されていたのだとか。その地の名前にびっくり。「山之上」。
 えっ?もしかして山之上富士の山之上?
 そうなんです。以前、こちらに書きましたとおり、正眼寺のすぐ近くに「富士山」という山があるんです。標高360メートルほどのミニチュア富士山。ちゃんと浅間神社もある。
 そのかつての記事の中では、宮下文書における関山慧玄さんと富士山との関係から、いろいろと類推していますが、そこにさらに白隠禅師が関わっていたとは。
 白隠禅師と言えば、言うまでもなく富士山南麓に生まれ、のちにその地で活躍、お亡くなりになっている方です。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

 そんなふうに並び賞されていた富士山と白隠。当然お互いに(?)良きライバルとして意識しあっていたことでしょう。
 その白隠さん、富士北麓(山梨側)にも何度も足を運んでいます。今正眼寺で修行中の教え子の実家、明見の慈光院さんとも縁の深い、都留の桂林寺や、先日お世話になった塩山向嶽寺も白隠ゆかりのお寺です。
 かつての鎌倉街道の場所を考えますと、白隠さんが富士吉田に逗留した可能性はかなり高く、そこで宮下文書に関する情報に触れた可能性も充分考えられます。そうしますと、関山慧玄さんのお墓をお参りしたかもしれませんよね。
 いずれにせよ、白隠さんと富士山は格別な関係でありました。
 そんな白隠さん、1715年31歳の時に美濃の山之上を訪れ、巌滝山(現在の鬼飛山)で1年9ヶ月静かに修行したというのです。
Th__20170724_191537 その鬼飛山には、現在無住となっている賑済寺という曹洞宗のお寺があり、そこから山の中腹に登ると、白隠坐禅岩というのが残っています。その鬼飛山から北側を望むと、そこに三角形の「富士山」が見えるのです。
 まさに岳麓の原から見たような方向にちっちゃな山がある。それを白隠さんが「富士山」と名付け、富士浅間神社を勧請したとしても不思議ではありませんよね。
 この250年遠忌というタイミングで、関山慧玄さんのゆかりのお寺で、富士山から来た私にこうしたメッセージが降りたのは偶然ではありません(断言!)。間違いなく霊界からのメッセージです(また統合過剰か?w)。
20170724_191333 というわけで、近いうちにもう一度美濃加茂市を訪れ、鬼飛山に登り、富士山を望んでみようかと思っております。
 このことを山川老師にも申しあげたところ、「なるほど、調べてみましょう」とおっしゃってくれました。
 関山慧玄さんが亡くなってから650年あまり、白隠さんが亡くなってから250年。まさに時空を超えた禅ロマンですね。富士山というのはたしかに信仰の山です。

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2017.07.23

妹尾大さん講演 「創造的な働き方」の考察

Th_images_2 工大教授の妹尾大先生の講演をお寺で聴くという、実に不思議な体験。
 妹尾さんは経営工学の若手研究家。現代的な経営学と古典的な修行道場という、一見「場」違いな関係の中に、興味深い「禅味」が浮かび上がりました。
 考えてみると、禅宗の修行道場というのは、完璧にシステマチックに動いている場所であり、それも数百年間の智慧の終結としてのシステム。まさに最大効率の経営を目指したものだとも言えましょう。
 いろいろ心に残ったことがあるのですが、いくつか思い出したものだけ記します。
 今回の研修のテーマ「黙して語る」に関連して、「暗黙知」と「形式知」という言葉が出てきました。
 これはワタクシ流に言いますと「モノ」と「コト」というのと同じですね。「暗黙知」とは、言語化されない(コト化されない)実感、意識化されない身体的な知ということになりますか。
 それが禅で言う「不立文字」であり、「教外別伝」とも言えます。「今ここ」であり、たとえば言語化された過去などは、「屑」すぎない。
 全て「コト(言語・記録・記憶・形式)」などは、時空を超えるがために、いらぬ煩悩、妄想ともなりえます。禅はそれを強く戒めます。
 しかし、面白いのは、何度かこのブログにも書いたとおり、そうした「モノ」性の維持のために、「コト」を利用することがあるということです。
 禅の修行の作法などはその最たるもの。極度に厳格な形式にはまる、それも意味を飛び越えて、ある種の強制によって、その枠組にはまることによって自由を得るというパラドックス。
 私がよく言う「コトを窮めてモノに至る」というやつですね。
 妹尾さんの話に「過去の成功体験を捨てる」「過去の成功体験から逃れる」という内容がありました。この過去(コト)という妄想(もうぞう)から逃れるのは、たしかに禅の目標とするところですね。
 そういう意味で、最近の消費傾向、興味志向が、「みんなが持っているもの」よりも「誰も持っていないもの」に移行しているという話は興味深かったですね。
 流行とは情報であり、それはどう考えても「過去」のコトです。誰かが着ていたとか、どこかで流行っていたというのは、ほんの1分前でも過去の情報にすぎません。それに影響を受けていた時代が終わり、今ここの実感、ひらめき、あるいは未来的な期待というモノが重視されるようになってきた。
 そういう「モノ」を作るのがうまいのが、たとえばアップルであったりするわけです。スティーヴ・ジョブズが禅狂いだったのは、なんとも運命的、象徴的ですね。
 イノヴェーションが「新結合」であるというのも、モノ性、すなわち「他者性」「他力」「縁起」を象徴しているようで面白かった。
 一人のカリスマ経営者が垂範してきた時代が終わり、多くの凡夫たちがそうした指導者に刺激されることによってレベルアップし、「現場」が有機的なそれこそ「現・場」になっていく、そんな近未来像を想像させる講演でした。
 この講演を、普通の大学やらホールやらで聴いても、自分としてはこういう理解はでなかっただろうなあ。やっぱり「場」は大切なのか。環境というモノ(外部)によって縁起する「我」。素晴らしい禅体験でした。
 もちろん、実生活において、たとえば学校経営、あるいは各種団体やイベントの運営などにおいても、非常に参考になる内容の講演でした。ありがとうございました。

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2017.07.22

第六十三回「正眼夏期講座」

Th_img_1033 今日から正眼寺で夏期講座。私は初めての参加です。
 本校の名誉校長である山川宗玄老大師が住職をお務めになる名刹です。かつて昭和の名僧(怪僧)梶浦逸外老師が住職をお務めになったことで、川上哲治さんら多くの著名人が自己を見つめて来た修行道場です(こちらの記事参照)。
 臨済宗妙心寺派大本山妙心寺の開山でもある、関山慧玄が9年間修行した場所でもあります。関山慧玄と富士山とは深い関係がある(こちらの記事参照)。今日、富士山に残る古文書をコピーして、教え子でもある隠侍を通じて老師にお渡ししました。そこに関しましては、
 さて、今回の夏期講座、次のようなプログラムとなっております。

(1日目)
受付
開講式
法話 山川宗玄老師 「黙して語る」
斎座
講演 妹尾大先生 「創造的な働き方」の考察
坐禅
薬石
開浴
坐禅
ビデオ鑑賞
解枕

(2日目)
開静
朝課
坐禅
粥座
作務
提唱 山川宗玄老師 「無門関第39則雲門話堕」
坐禅
斎座
講演 野崎洋光先生 「黙して語る歴史の健食」
閉講式

 それぞれ多くの気づきを与えていただきましたので、明日からぼちぼちと別の話題の記事も交えながら報告がてら書いてゆきたいと思っています。では、またのちほど。
 

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2017.07.21

牛は草しか食べないのに、なぜ「肉」の塊なのか?

Th_images 日から岐阜は美濃加茂市伊深の妙法山正眼寺にてプチ修行です。
 今日は前日に美濃加茂市入りし若手教員と飲みに行きました。結果として、その時の話題が今回の修行のテーマと重なってきたわけですが(笑)、なかなか楽しい夜ではありました。
 で、なんの話をしたのかと言いますと、簡単に言うと「なんで牛は草しか食べないのにあんな霜降り肉になったり、牛乳を出したりするのか」ということです。
 ま、ご存知の方もいると思いますので、答えはあえて書きませんが、現象としてはたしかに不思議ですよね。まるで錬金術です。
 というか、論点としてはですね、私たち人間はずいぶん退化しているのではないかと。1日3食バランスよく、30品目食べましょうとか、そんなふうに言ってるのは人間だけです。
 牛なんか超偏食ですよ(笑)。ベジタリアンといえばベジタリアンですが。
Th_unknown ま、とにかくですね、象なんかも草しか食べないのに、あんなに大きい肉の塊になる。これは不思議ですよね。
 で、雲水さんは精進料理しか食べませんから、基本ベジタリアンです。太りはしないけれども、肉がなくなってしまうことはない。かと言って、人間は牛のように体内に特殊な微生物を飼っているわけではありません。
 そのあたりの仕組みについては、実は科学的にはまだわからないところもあるようです。
 考えてみると、その草というか植物というのは、太陽の光エネルギーを光合成して栄養分にしている。つまり、肉のもとは草、草のもとは太陽光ということで、全ての生物(食べ物)は太陽の恵みということになります。
 光合成もある意味では錬金術です。人工光合成もまだ成功していません。ある意味、植物や動物が当たり前にやっているエネルギー変換(物質変換)を、人間は自らの手でできないということですね。
 やはりそこには「神」の意思や技術が働いているのでしょう。それ、すなわち科学の補集合の部分が宗教になったり、物語になったりするのだと思います。
 というわけで、お寺で動物の肉を食べないというのはどうかと。もとは草なんだから。いや、太陽の光なんだか。というのが、今日の飲み会の結論でした(笑)。


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2017.07.20

祝! ギャラクシー賞受賞

Th_img_0367 当に嬉しい限りです!我が中学校を舞台とした水曜日のダウンタウン「先生のモノマネプロがやったら死ぬほど子供にウケる説」が放送批評懇談会のギャラクシー賞月間賞を獲得いたしました!
 正直獲れたらいいなあと期待していたのですが、そんな妄想が実現してしまいました。Yahooニュースのトップにも『ダウンタウン「神回」に賞』というタイトルで上がっていてビックリ&エキサイト。

「水曜日のダウンタウン」神回“先生モノマネ”がギャラクシー賞月間賞受賞

 ADさんやエハラさんら、いろいろな方から電話やメッセージをいただき祝福していただきました。とはいえ、もちろんこれは番組に与えられる賞です。芸人さんやスタッフの栄誉であります。私は心から祝意と賛意を贈りたいと思います。おめでとうごさいます。
 収録当日のことはこちらに、放送日のことはこちらに書きました。そこに書いてあることが全てであり、様々な「プロ」の方々が本校の良さを上手に引き出してくれたことに間違いはありません。
 生徒たちにとっても最高の思い出、学習の場となりました。そこに加えてギャラクシー賞…こんな幸運、幸福はありませんね。本当にご縁に感謝です。
 もしワタクシが今回の神回受賞に貢献したことがあるとしたら、まあ(勇気をもって)「オファーを受けた」ことでしょうかね(笑)。中間テストの二日前でしたが、「生徒にとってテストは何度もあるけれど、こんな機会は一生に一回あるのが奇跡」と考えての判断でした。
 放送をご覧になってない方はこちらからどうぞ。

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2017.07.19

はなたれ小僧

Th_659a18e5471c59ac6640df66d3708ac9 日、日野原先生のご冥福をお祈りした記事で、「105歳ということでいえば、私なんかまだ折り返し地点にすら到達していない。本当に洟垂れ小僧です」と書きました。
 考えてみると、私はもうすぐ53歳になりますので、ちょうど折り返し地点をグルっと回っているところですね。ようやく往路。そう考えると楽しみです。
 かの渋沢栄一は「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」という名言を残しました。
 日野原先生は、この渋沢の言葉を地で実行した方ですよね。
 そして、私のような年齢の者は「洟垂れ小僧」ということになります。なるほど、六十、七十が働き盛りか。わかるような気がします。
 最近、渋沢栄一に縁の深い方とお話する機会が多いのですが、その方も七十台にしてまさに働き盛り。本当に素晴らしいバイタリティーの持ち主です。
 というわけで、私は立派な「洟垂れ小僧」ということで納得し、またそれが「まだまだこれから」という若い頃の精気を取り戻すための自分自身へのエールになるんですね。
 多くの50台の方々が、定年まであと何年とか、老後は何しようかななどと考え始めると聞きますが、私はまだまだ青年以下の少年(中二病?)なので、そのようなことを考えたことはありません。
 そうそう、そう言えば、最近、いわゆる青っぱなを垂らしている「ハナタレ小僧」を見ませんよね。昔はたくさんいましたよ。袖をテカテカにしてるヤツ(笑)。
 あれはいわゆる蓄膿症なんですってね。栄養環境がよくなり、子どもの蓄膿症が激減したようです。しかし、その一方で昔はなかった花粉症なんかが猛威を奮って、青っぱなではなくて、水みたいな透明な鼻水に苦しめられる子どもが増えてきたのは皮肉なことです。どっちがいいかって、青っぱなの方がいいですよね。ずっと楽だと思います。
 さてさて、「はなたれ」ついでにもう一つ。あさってから岐阜の正眼寺にプチ修行に行ってきます。学校の先生の中で、「はなたれ小僧」に認定された3人が寺に送り込まれるのです(笑)。
 せっかくですから、しっかり座って、「洟垂れ小僧」を卒業し、自我から解放された「放たれ小僧」になって帰ってきたいと思います(笑)。頑張ります。

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2017.07.18

『今日すべきことを精一杯!』 日野原重明 (ポプラ新書)

Th_51hsy5xrgl 野原重明さんが、105歳の天寿を全うされました。最期の最後まで、まさに本当の長寿長命、人間にとっての健康、幸せ、仕事の大切さを体現し続けた人生でした。
 このブログでも何回かご著書を紹介してきました。そこにも書きましたとおり、日野原先生と私とはあまりにもその命、人生の質が違いますけれども、ただ一つ共通していたのは、「一日一食」でした。基本夕食一食。
 日野原先生の食生活や仕事ぶりを拝見し、私もずいぶんと勇気づけられ、そしておかげさまで健康に、そして幸福に日々を過ごさせていただいています。
 あらためて、感謝の気持ちを表したいと思います。ありがとうございました。
 日野原さんのご著書で最近読んだのはこの本でした。85歳の時のご本ですから、20年ぶりの新装版ということになります。その時から20年もずっと現役でいらしたんですからね。本当に驚きですし、尊敬申し上げたいと思います。
 105歳ということでいえば、私なんかまだ折り返し地点にすら到達していない。本当に洟垂れ小僧です。
 「人は必ず死ぬのだから、今日すべきことを精一杯やりなさい」という思想は、非常に仏教的であるとも言えます。過去や未来にとらわれず、「今ここ」になりきる。それが難しいから人は「生老病死」に苦しむのです。
 医師はまさにその「生老病死」と対面する仕事。他者の「生老病死」を手助けするとも言える。その四苦は避けられないのだから、いかにその質を上げ幸福に転ずるか、それをアシストするのが医師の仕事とも言えます。
 そういう意味では、私たちは職業上の医師でなくとも、他人の、そして自分の「生老病死」をしっかりプロデュースしていかねばならないはずです。それはもしかすると、修行のような厳しいものではなく、もっと軽やかで楽しいものなのではないか、そんなことを予感させてくれるのが、この本です。
 まさに大往生された日野原さん。医学だけでなく、栄養学、哲学、倫理学、キリスト教や仏教、神道の立場から見ても、たいへん大きな遺産を残してくださいました。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。 

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2017.07.17

Gregg Karukas 『Above The Clouds』

 日に続き「雲の上」を紹介しましょう。
 「Above The Clouds」という曲はたくさんあります。一昨日はELOのそれを思い出しましたが、昨日車の中でスムース・ジャズのネットラジオを流していたら、この名曲が流れました。
 スムース・ジャズと言えば、このグレッグ・カルーカスを忘れてはいけませんね。非常にセンスの良い、耳あたりの良い楽曲を多数提供してくれているカルーカス。私たちは意識せずとも、ラジオやテレビなどで彼の曲をたくさん聴いているはずです。
 比較的明るめの曲が多い彼ですが、時々心にしみるマイナーの曲も書きます。この「Above The Clouds」も名曲ですね。
 もちろん、この曲でフィーチャーされているチャーリー・ビシャーラットのヴァイオリンの効果もあるでしょう。ニューエイジ系では有名なヴァイオリニストです。彼のしゃべりすぎないヴァイオリンはいいですよ。
 ラテン・ギターの雄、マリオ・オリバレスとKANSASのあの頃の名曲「Dust In The Wind」を演奏している動画がありました。こちらもついでにお聴き下さい。

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2017.07.16

Electric Light Orchestra 『Above The Clouds』

Th_img_1008 日は横浜は青葉台にてバッハのカンタータの練習。
 昨日の中2同窓会でも話題に上がりましたが、それこそ私がヴァイオリンを始めたのは静岡に引っ越した中2の時から。
 そのきっかけになったのがELO。ファンクラブにも入って異常なほどELOに入れ込んでいた私、どうも友だちたちにも押し売りしたらしく、昨日のみんなも「聞かされた」「好きになった」と言っていました。
 そして、私はミック・カミンスキーみたいにロックバンドでヴァイオリンを弾きたいと思い、すみやで一番安いヴァイオリンセットを買いました。
 それがねえ、今ではバロック・ヴァイオリン弾きになり、バッハをやったりする。ま、歌謡曲バンドでも弾きますから、半分は夢が実現しているのかもしれませんが。
 で、今日、青葉台のフィリアホールに向かう途中、美しい日暈を見ました。そこでふと思い出したのがこの曲です。
 たしかに短いながらもELOらしい、すなわちジェフ・リンらしい佳曲です。作曲家としていろいろな技を自然に盛り込んだ感じ。職人技ですよね。
 こうして、それこそ40年ぶりに意識して聴くと、よくできているのが分かる。音楽って素晴らしいですね。こうして時間も空間も超える。そして進化する。高次元で生きているのですね。まさに「雲の上」。


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2017.07.15

35年ぶりの再会!

Th__20170716_82337 日は宿泊座禅の二日目ということで、朝4時に起床して作務、朝課、粥座などをこなし、8時からは中学校のオープンスクール。
 そして12時に仕事を終えて、すぐに横浜に飛びました。横浜某所にて、中学2年生の時の仲間でプチ同窓会。
 私は高校卒業時に会って以来なので、なんと35年ぶりの再会!
 まあ、なんとも不思議なご縁でこうして再集結することになったわけですが、もともとなんで中2の時、このメンバーで時々集まっていたのか…結局、その結論は今日も出ませんでした(笑)。
 懐かしい写真を見て思い出しましたが、たしかにクリスマス会なんかをやっていた。かと言って、教室で特別に中が良くていつも一緒にいたわけでもないし、グループ内でカップルができたわけでもない…不思議な男女混合グループだったのです。
 まあ、しかし、人間というのは内面は変わりませんね、大人になっても。外見は当然お互いに経年変化(劣化?)があるわけですが、まあそれもあっという間に慣れます(笑)。とういか、外見なんてあんまり重要ではないわけですね。一方、人柄というか、性格というか、基本的な生き方は、何歳になっても変わらない。
 考え方によっては、やはり中学二年生くらいで、それぞれ自我に目覚め、自我が確立してゆき、そしてそれが基本変わらないのだとも言える。
 そう考えると、今仕事で接している中学生たちの教育というのはたしかに重要だなと再確認させられるわけです。面白いですね〜。
 この仲間たちは静岡市立安東中学校に通っていました。私は転校生として東京からやってきた。都会から田舎へ(失礼)ということもあって、ちょっと最初はなじめなかったり、あるいはちょっと不満に思っていたりしましたが、この仲間たちのおかげで、実に楽しい中学生活を送ることができました。
 あっそうそう、安中時代、二つ下の学年にイエモンの吉井和哉くん(当時は一哉)がいて、今日のメンバーの一人の弟くんが彼と仲良かった。そんな関係でかな〜りレアな写真なども見ながら、吉井くんと私の不思議なご縁についても話しました。まったくねえ…あり得ないような話ですよ。
 そんな後輩吉井くんの12月の東京ドーム公演のチケットを4枚取りました。家族4人で行く予定です。なんだか不思議だなあ。
 ちょうど昨日でしたか、私が中1の時在籍していた東京の石川台中学校の同窓会の案内も来ました。こっちも懐かしいんだよなあ。行きたいなあ。
 みんなそれぞれの人生をそれぞれ頑張って、子育てもなんとなく一段落したり、仕事もゴールが見えてきたり、今、そういう時期ですから、あらためて自分の基礎を形成している「青春時代」を振り返り、懐かしみ、そしてその後のそれぞれの人生を学び合いたいと思うのでありましょうか。
 今夜はとにかく楽しかった。そして、よし、自分ももっともっと頑張ろうと思う素晴らしい機会になりました。みんなありがとう!また会おう!
 

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2017.07.14

田中英道『聖徳太子の和と悟り』

 中英道さんの聖徳太子論を紹介する記事が続いています。そんな中、ちょうど今日、またこの番組が放送されました。
 「ほとけ」は「ブッダの形」か。なるほど。仏像信仰なんですね。そして、日本の「権威と権力」の基礎を作ったのが聖徳太子だというのも納得です。
 「和」を「やわらぎ」と訓むか「にぎ」と訓むかについては、一昨日書きました。
 私は「和」を英語で説明する時、「global familism」と表現しています。まさに「家」であり、そういう意味で、田中さんの言うとおり「国家」という日本化した漢語があるわけで、それは「nation」とは全く違うわけです。そして、「八紘一宇」「八紘為宇」という概念をも生んだと。
 家の構成員として「役割分担」をするというのは、まさに仲小路彰の「グローバリズム」の発想と同じですね。異論もあるのを承知で言いますが、戦後の仲小路のグローバリズムは、戦前、戦中の「八紘為宇」の巧みな言い換えという部分もあると思います。
 いずれにせよ、聖徳太子という偉大な思想家の影響が、今の日本にもしっかり息づいているばかりでなく、今後世界に広がっていくことを期待します。田中さんのご著書が英訳されるのを楽しみにしています。

Amazon 聖徳太子 本当は何がすごいのか

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2017.07.13

聖徳太子日本国未来記

Th__20170714_132648 徳太子シリーズ。
 聖徳太子自身が虚構だともいいますが、その虚構が書いたとされる偽書となれば、いったいこれはなんなのか…いや、グルっと回って真実になっているとか(笑)。
 いつの時代にも、この聖徳太子の未来記を持ち出して、ある種の危機感をあおる人たちがいます。南北朝時代から700年以上続いている。これは「真実」です。
 最近でも、未来記を現代流に解釈して、2016年に何かが起きる、それがはずれると2017年に…というふうに、相変わらず「伝統」は引き継がれています。


 今日は時間がありませんので、オリジナル(?)「未来記」から派生したと言える書物の一つを紹介します。ネットで読むことができます。
 慶安元年(1648年)発行の「聖徳太子日本国未来記」。
 まず、弘前市立弘前図書館所蔵のもの。刊本を筆写したものでしょうか。
 続いて、早稲田大学図書館所蔵のもの
 同書は巻末に「摂州天王寺の宝庫より出づ」とありますが、やはりアヤシイと言わざるを得ません。
 やはり未来記に関わっているとも言える先代旧事本紀や、当地に伝来する宮下文書など、江戸期になり版本が出回って、歴史が庶民のものとなってからというもの、どんどんアヤシイ文献が「発見」されることになります。
 それに影響を受け、ある種の事大主義に陥った文化人、学者もたくさんいました。そうした本居宣長や平田篤胤、佐藤信淵、そしてそこに強く共感した近代人、現代人も無数にいます。もちろん大歴史哲学者仲小路彰もその一人です(ワタクシもその一人です…笑)。
 そのあたりの事情や現代につながる意義については、また機会を見て書きたいと思います。

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2017.07.12

田中英道『聖徳太子の日本思想史上の重要性』 (日本国史学会講演)

 日の続きでもう一つ。相変わらず時間がありません。最近はこうした動画の音声を倍速で聴きながら、他の仕事ができるようになりました。おっ?もしかして聖徳太子(豊聡耳)に近づいてきたのか(笑)。
 ま、それは冗談といたしまして…こちらの講演も実に興味深いものですね。
 考えてみると、日本国史学会で講演されている、竹田恒泰さん、伊藤隆さん、渡辺利夫さんとは、個人的にお会いして直接お話をさせていただきましたね。田中さんにはまだお会いしたことがありません。
 伊藤先生、渡辺先生とは仲小路彰の話をしました。お二人ともちょっと引いていました。重鎮でさえも引いてしまうくらい、日本史にとっても、国史にとっても非常にアブナイ存在なのですね。
 さて、そんな仲小路彰の聖徳太子論は、「夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願」に明らかです。
 田中先生のご意見は、仲小路の聖徳太子論と重なる部分も多々あります。さすがですね。特に1条が神道であるという点。
 ただ、田中先生は「和」を「やわらぎ」と訓んでいますが、仲小路は「にぎ」と訓んでいます。すなわち一霊四魂の「和魂(にぎみたま)」。まあ、両方とも同じ意味とも言えますので問題はありませんね。
 仲小路の論が優れていると感じたのは、「和」を積極的に出雲のオオクニヌシの和魂、つまり「にぎ」ととらえているところです。
 出雲の和魂を継ぐ三輪山の物部氏を、蘇我氏とともに滅ぼしてしまったことに苦悩し、結果として、その魂である「和魂」を十七条憲法の第一条に置いた…私にとっては、非常に説得力のある説です。
 そのあたりについても、田中さんにお伝えして知っていただく機会を得たいものです。

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2017.07.11

田中英道『聖徳太子虚構説批判』 (日本国史学会講演)

 変忙しいので、また週末に見た動画を紹介します。昨日の田中英道さんの聖徳太子論。
 大山誠一さんの聖徳太子虚構論に対する批判が中心です。
 私は、たとえば宮下文書の世界をも「歴史」として認証する、つまり虚構さえも虚構という形で存在する事実と認定する立場を取りますので、ある意味、聖徳太子が実在しようとしまいと関係なく「歴史」であることは間違いないと考えています。
 それは宗教というある種の虚構が世界を動かしていることが事実であることと同じです。虚構だからこそ「ある」「あった」とも言えるわけです。なぜなら意識化されているからですね。忘れ去られた以前に、意識化されなかった「事実」も無限にあるわけですよ。
 そういう意味で、私が大山さんか田中さんか、どちらの立場に近いかというと、当然田中さんになるわけです。
 まあ、こうして論争になること自体、異常なほどに意識化されているわけで、その点では、大山さんの視点というのも実は面白い。なぜ「信仰」に至るまで意識的に意識化されたのか。
 今、私はそこに興味がありますし、そこにこそ日本人の歴史の要点があるような気がするんですよね。
 その一つの解答として、くり返しになりますが、仲小路彰の聖徳太子論があるのだと思います。
 

 

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2017.07.10

田中英道 『リベラリズムの蛮性』

 ャンネル桜シリーズが続きます。これも大変共感したので紹介します。
 いちおう私は自称、いや他称リベラリスト。家庭内リベラリストと言われています(笑)。
 いや、本当のリベラリズムは、もちろん現代社会においては非常に重要な価値を持っています。しかし、それはあくまで「本当の」リベラリズムのことですし、私がもしリベラリストと言われるなら、「本当の」意味で言われたい。
 ところが、もうお気づきのとおり、最近の日本ではいわゆる「保守」の反対側を「リベラル」というようになってしまった。
 これはよくありません。左翼とリベラリズムは基本的に関係ありません。正直、カタカナ語によるごまかしだと感じます。
 そして、左翼陣営がその「ふわふわ言葉」の衣を着て、自らの暴力性を隠す、あるいは自己肯定する場合があります。田中先生の指摘のとおりです。
 リベラルを自称する人に限って、口汚く相手を罵倒したり、裏で無言の恫喝をしたり、あるいは相手を陥れる罠をかけたりする。まさに武士道にもとる…もともと武士道否定か(笑)。
 というわけで、なるほど田中先生のおっしゃる「日本人にはリベラリズムは必要ない」というのは、歴史的、文化的に見ても納得できますね。
 今こそ聖徳太子の「和」ですよ。それについても田中先生が最近素晴らしい本をお書きになったので、また近く紹介します。仲小路彰の聖徳太子論とよく似ています。

Amazon 日本人にリベラリズムは必要ない。「リベラル」という破壊思想

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2017.07.09

青山繁晴 『妬みの産物、陰謀論とリアルポリティクスの違い』

 日の討論に続いて観た動画。共感したので紹介しておきます。
 陰謀論、陰謀説に対する私の基本的な姿勢は、こちらこちらに書いたとおりです。否定はしない。嫌いではない。いや結構好き(笑)。しかし、与しない。
 非常にストレートに言えば、陰謀論というのは「単純化」です。実際の人間社会、いや自然界は非常に複雑であり、しかし一方で宇宙の仕組み的に言えば、もしかすると単純なのかもしれない。
 そうした矛盾した「実感」を物語化したのが「陰謀論」だと思います。ですから、人間の脳という小宇宙の中では、もしかすると真実なのかもしれない。
 陰謀論を生み出す要因の一つに、個人的なルサンチマンや恐怖、あるいは妬みというモノがある。そこがある意味リアルですよね。歴史を動かすのは最後は個人的感情ですから。
 前掲の秦さんの本に、陰謀論の主役の一人として仲小路彰の名が出てきます。
 仲小路に対する評価としては、ある意味正しいとも言える。伊藤隆先生も似たような評価をし「アブナイ」とおっしゃっていました。
 つまり、従来の歴史学の限界がそこにあるわけですね。逆に言えば実証的な歴史学や、青山さんの言うリアルポリティクスが、ギリギリのところで「物語」の巨大化を防いでいるとも言えます。
 そうして、私たちはバランスを取って生きており、社会を形成し、歴史を紡いでいくわけです。
 それにしても、たしかに世の中の陰謀論はなかなか消えません。というか、陰謀論ありきで、そこから逆算して現実が動いていくこともある。
 さらに言えば、「いい陰謀論」もあるわけですね。誰かが見えないところでこの世の中を良くしようとしていると。そう、宗教がそうなんです。神の存在とは、まさに「いい陰謀論」なのです。
 そして、その「いい陰謀論」と「悪い陰謀論」の両方を感知し、総体としてこの宇宙や自分の脳内を観察できるようになったのが、たとえば出口王仁三郎や仲小路彰のような大天才なのではないでしょうか。
 そう言えば、今日の「そこまで言って委員会」は面白かったですね。まさに各新聞社がそれぞれの「陰謀論」に従って動いているように見えました。もちろん「いい」&「悪い」両陰謀論です。
 昨日の討論でのメディア論にも全く同じことが言えますね。仮想敵というのこそ身近な陰謀論の主役です。

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2017.07.08

【討論】作られた内外マスメディアの嘘を暴く(チャンネル桜)

 末は、日常生活ですっかりお花畑になった脳内を正常化(清浄化)するために、比較的保守的な番組を観ることにしています(あるいはプロレス観戦)。
 今日の夜の「日本よ、今…闘論!倒論!討論!2017」は実に面白く勉強になりました。
 最近、TBSの某番組に出演させていただき、いまだに地上波民放の影響力がかなりあることを実感いたしました。
 今度はNHKの全国番組に出る予定ですので、なんか不思議なタイミングで、既存メディアであるテレビの力を再確認する機会を得ている感じです。
 その地上波テレビの実態、実体は、この討論で述べられているとおりだと思います。新聞社を中心とする日本の既存のメディアの異常な状況は恐ろしいかぎりですね。
 いくらネットがここまで発展したとはいえ、やはり既存メディアが長年築いてきた「偽りの信用」は、なかなかそう簡単に崩れるものではありません。
 スポンサーという形で企業の経済活動と直接結びついてきたメディアや広告業界が、ある意味では、この情報革命のさ中に、最後の抵抗をしているようにも感じられますね。
 そしてNHKでさえも「偏向」を指摘される。ただし、NHKの場合は、左派(リベラル?)からは政権べったりだと言われ、右派(保守?)からは中国べったりだと言われる。
 ある意味バランスが取れているとも言えますね(笑)。大変だと思います。
 民放は、これはもうたしかに画一化、硬直化していて、かなり危険な状況だと私も思います。
 今では、たとえばこのチャンネル桜のように、独立系の新しいスタイルの放送局が増えでいますが、やはりある意味一方通行で選択の余地がない(逆に言えば視聴者としては楽な)地上波民放の影響力は、まだまだ衰えそうもありません。
 「一億総白痴化」と言われた時代からずいぶん経ちましたが、たしかにそれは正しかったのかもしれない。日本人ほど情報リテラシーのない民族も珍しいですよ。教育の問題かなあ…。
 というわけで、地上波民放を観る機会の多い方には、ちょっと我慢してこの番組を観ていただきたい。そして、まずは疑うという意味で、あんまりお人好しでないちょっと性格の悪い視聴者になってもらいたいものです。

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2017.07.07

「若者のすべて」@富士吉田市夕方6時のチャイム

 日は月江寺にて宿泊座禅。ちょうど薬石(夕食)前の座禅中に防災富士吉田の放送がありました。
 「今日7日から13日まで、夕方6時のチャイムがフジファブリック(志村正彦)の『若者のすべて』に変わります」という内容でした。
 そして、ちょうど薬石の準備をしている時に「若者のすべて」が流れました。無言の行でシーンとしていた中でしたので、生徒たちの中にも気づいた人がいるのではないでしょうか。
 富士吉田市が生んだ天才音楽家・詩人志村正彦くんのお誕生日が7月10日。その日をはさんで一週間、夕方6時のチャイムが「夕方5時のチャイム」に変わるわけですね。
 お誕生日周辺と命日(12月24日)周辺で、こうしてチャイムがフジファブリックの楽曲になる試みは、地元の有志、志村くんの同級生らの尽力で2012年から毎年実施されています。
 お誕生日の10日はもちろん、明日あさっての土日には、きっとこのチャイムを志村くんの故郷で聴こうと、全国からファンが集まることと思われます。
 志村くん急逝の1年後こちらに書きましたように、本来富士吉田の「夕方6時のチャイム」はドヴォルザークのあの旋律でした。そして、あの旋律と「若者のすべて」のメロディーとは、しっかり有機的に結びついています。
 ですから、一番いいのは、富士吉田で通常ヴァージョンのチャイムと若者ヴァージョンのチャイムを両方聴くことではないでしょうか。
 とは言え、私たちのような地元民ならまだしも、全国のファンの皆さんはなかなかこちらにおいでになれないと思います。
 それでも両方とも聴いてみたい!という方に今日はちょっとした裏ワザをお教えいたします。
 お教えいたしますと書きましたが、私も実は気づかなかったのですが、ある方が私にメッセージをくださりまして、そして偶然にも関係者とその翌日にお会いすることがあっての裏ワザです(まったく不思議なご縁です)。
 それは、富士吉田の研修施設「富士Calm」さんの富士山ライブカメラを視聴するという方法です。

富士山ライブカメラ@富士Calm

 富士Calmさんは、以前フジファブリック学を開催させていただいたり、いろいろとお世話になっておりますし、スタッフの皆さんも大のフジファブリック(志村正彦)ファンということもあって、大いにこの話が盛り上がりました。
 こちらにありますように、富士Calmさんのライブカメラは、野鳥の声も聴くことができるよう音声きれいに発信しております。
 そして、スタッフの皆さんのご厚意により、夕方のチャイムが特別ヴァージョンになる時には、格別のご配慮(調整)をしていただけるとのこと。
 これで遠方の皆さんもほぼリアルタイムで、それも富士山を眺めながら聴くことができます。もちろん、通常のチャイムもですね。ぜひ富士吉田に行きたいけれど行けないという方は、この方法でお聴き下さい。
 皆さんの心が一つになり、富士山の上空にいる志村くんに思いが届けばいいですね!

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2017.07.06

布施明 『君は薔薇より美しい』

 日は山中湖で楽しい宴。最高のBBQを楽しみました。帰りの車の中でたまたまこの曲がかかり、またまた気分は最高。家族みんなで「変わった〜〜〜♪」と歌いまくっていました(笑)。
 あらためていい曲だなあと。ミッキー吉野さんらしい明るさ。よく聴くと実に面白い楽曲ですね。実はコード進行もこってるんですよね。
 それにしても布施明さんというのはすごい歌手ですね。圧倒的歌唱力。声量があるのに軽みがあるという。
 さらに驚くのは、あれから40年近く経っても変わらない…どころか、ある意味進化している!wwww

 この曲、最近またちょっとしたブームですよね。ニセ明さんのおかげです(笑)。たしかに星野源さんが好きそうな歌ですよね。
 こうして若手のアーティストが昭和の曲、歌手をリスペクトしてパロってくれるのは嬉しいですね。

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2017.07.05

やりすぎ都市伝説 『昭和史を裏で動かしていた安岡正篤』

 日の安岡正篤について、中田敦彦さんがプレゼンしております。
 あっちゃん、しゃべり上手いですよね。教員としては見習わなければなりません。
 「黒幕」という意味では、安岡よりももっと知られていない人がたくさんいます。昨日も登場した仲小路彰もそうです。
 このあっちゃんのプレゼンのごとく5分で、たとえば仲小路を一般の人たちに興味を持ってもらうにはどうすればいいのか。考えるだけでも恐ろしい(笑)。けれども、いずれそういうこともしていかねばならないでしょう。
 安岡の言うとおり、生前においては「無名有力」というのは事実だと思いますが、没後において無名の偉人の業績を世に活かすには、当然それを学問的な研究対象にしなければなりません。
 そういう意味で、安岡は生前から「有名」であったとも言えます。彼を中心とした勉強会などがありましたし、没後も複数の研究会があり、また著作もほとんど全てが出版され、研究者による安岡本も多数書かれ、ベストセラーになってもいます。
 その点、たとえば仲小路に関しては、全貌はおろかその一部分さえもいまだ闇の中です。そのまま忘れ去られてしまうことは人類の未来にとって大きな損失となるでしょう。
 生前の仲小路を知る人の中には、本人は没後も表に出ることを望まないだろうと言う方もいらっしゃいますが、多くの歴史的偉人がそうであったように、遺された情報については、御本人の生前の意思から独立し、多様な視点からの解釈にさらされて、そうして現代的、未来的意義を獲得していくものです。
 芸術作品と同じですね。よく言われるように、作品が作家から親離れして成長していく。そういうものだと信じます。
 はたして、仲小路彰が民放のバラエティ番組に登場する日は来るのか!?まずはNHKスペシャルかなあ。とりあえずあっちゃんに知らせてみましょう。
 さて、あっちゃんのプレゼンをついでにもう一つ。伊集院光ナイスです(笑)。

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2017.07.04

『安岡正篤の教え』 松本幸夫 (Kindle版)

Th_51qga0zybpl そるべし山中湖。
 仲小路彰だけでも一生かけても整理しきれないのに、まあほかにもいろいろ出てくる出てくる。
 最近では日本画家、富士山を描き続けた山元桜山に関する文献で面白いものを見つけました。これはこれでかなりヤバイですよ。
 さて、このたび登場したのは、なんとあの「安岡正篤」。私にとっては二・二六事件の思想的背景として、また、玉音放送のあの詔勅に手を入れた人物として、あるいは「平成」の年号の考案者として、それなりに興味を持ってはいましたが、富士山と関係があったとは思っていなかったし、正直言うと著書も一冊も読んでいませんでした。
 そこに突如現れたのでビックリ。
 たしかに、安岡正篤は戦後の歴代総理の指南役としても有名で、たとえば佐藤栄作にも大きな影響を与えています。そうすると、当然仲小路彰との関係も想定されますよね。
 表の黒幕(というのは変か?)安岡と、裏の黒幕(これも変か?)仲小路。
 ただ私の勝手な印象ですと、やはり安岡は陽明学を中心とした中国の思想哲学をベースにしているため、仲小路のような世界的宇宙的なスケールとは少し違うような気がしています。もちろんどちらが優れているとかそういうことではなく。
 というわけで、急遽、安岡正篤について勉強しなくてはならなくなったので、まずは原典に当たるのではなく、良き入門書をということで、この本を読んでみました。
 おそらく専門家の方からすると、本当に入門の入門なんでしょうが、私のような門外漢にとってはまさに門から「失礼しま〜す」というのにちょうどいいくらいでした。
 たしかにいいこと言ってますね。勉強になりました。
 ただなんというか、これは自分の偏見なんですけど、中国って言ってることとやってることが違うじゃないですか。ああいう立派な哲学がたくさん生まれたのは、現実があんまりひどかったからですよね。論語なんか象徴的。
 ということで、またまた勉強しなければならないことが増えてしまいました。やっぱり二・二六事件関係かなあ。安岡が戦前発行していた「篤農」もたくさん出てきました。あの当時のものを読むだけでも面白そうですね。

Amazon 安岡正篤の教え

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2017.07.03

磯自慢 大吟醸純米 エメラルド

Th_61xeej0smnl_sl1066_ 日は思わぬ展開からの楽しい宴に参加させていただきました。
 いやあ、宇宙人どうしの会話は楽しいですね(笑)。おそらく一般の方々からすると???な世界だと思います。スケールが大きすぎる。
 宇宙から見ますと、今、地球は大きな転換点を迎えているのであります。その渦中というか、ど真ん中にいる私たち宇宙人(笑)はとっても忙しいのですが、実に楽しくもあるのでした。
 さあ、そんな宴のメインドリンクがこちら「磯自慢 大吟醸純米 エメラルドボトル」でありました。ホストの宇宙人の方のおススメだったわけですが、私が磯自慢の焼津出身だと知って驚いておられました。
 私と焼津と磯自慢のことについては、12年ほど前にこちらに書きましたのでご覧ください。その時紹介した「大吟醸 水響華」も大変素晴らしいお酒なのですが、今日いただいた大吟醸純米エメラルドは、さらにおいしかった。キレがあるのに実にまろやか。
 焼津のお酒だけあって、お魚に合いますね。今日はお寿司をいただきながらの相伴でした。
 日本酒は宇宙でも人気なんですよね。
 なんでもホストの宇宙人さん、今度は地元限定の幻の磯自慢を手に入れてくださるとか。その時には必ず馳せ参じます(UFOで)。
 ごちそうさまでした。

磯自慢酒造公式YouTubeチャンネル

Amazon 磯自慢 純米大吟醸アートラベル(新エメラルド)720ml


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2017.07.02

都議選の結果について

Th_2017070200000054jijp0005view 議選の結果は予想通り都民ファーストが過半数を超え、自民は歴史的大敗となりました。
 と言いますか、自民の大敗がクローズアップされていますけれども、今回は国政選挙も遠く、この都議選の結果はかつての民主党による政権交代の時ほどの影響はないでしょうね。
 それよりも、あの民主党ブームの時と一緒で、都民ファーストのシロウト軍団によって都政は混乱するでしょうね。こういう流れは冷静に考えると危険であります。
 となると、今回裏の勝利を収めた公明党がその影響力を増しますよね。これは間接的、長期的に見ますと、自民党に有利に働くと思います。
 そのような実態や、小池都知事の政治思想を棚に上げてしまって、「安倍に打撃を与えた」と歓喜しているなんちゃってリベラルの皆さんには、「ご愁傷様」と申し上げたいと思います。小池さん、安倍さんより右寄りかもしれませんよ。
 何度か書いたように、都知事のお父様小池勇二郎氏は、戦前スメラ学塾に属していました。戦後まで含めた、総合的な意味で仲小路彰の思想を信奉していたとしたら、単純に右とか左とか言えませんが。どうなんでしょう。
 もちろん、ここのところの安倍政権での不祥事については、大いに反省を促したいと思いますよ。また総理自身の発言にも問題ありだと思います。一強の傲りと言われてもしかたない。
 今回の選挙の結果が出る前に、すでに総理は四谷会談で内閣改造の具体案を練っています。この改造がうまくいくかどうかで、これからの長期的な政権運営の命運が決まります。かなり思い切ったことをするのではないでしょうか。
 それにしても野党第一党民進党の不甲斐なさには恐れ入ります(笑)。今チャンスですよ。なぜチャンスをつかもうとしないのか。その気がないのか。
 野党がふにゃふにゃしている間に、自民党内でポスト安倍の動きが活発化してしまいますよ。今日、時を合わせたかのように中国の軍艦が領海侵入しました。変な話ですが、これは自民党には追い風ですね。
 最後に歴代政権の支持率のグラフをご覧ください。こう見ると小泉さんはなんだかんだすごかったなあ。あと、逆の意味ですごいのは鳩山ポッポさんか(笑)。

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2017.07.01

バッハ 『羊は安らかに草をはみ』(ワルター・カーロス版ほか)

 日は娘たちの本番や試合そっちのけで、東京にて7月29日の「バッハの音楽劇」の練習に参加。
 今回演奏する「狩のカンタータ」と言えば有名なソプラノのアリア「羊は安らかに草をはみ(Schafe können sicher weiden)」でしょう。
 実はこのブログで13年前(!)に一度取り上げているんです。こちらです。
 ここで紹介しているワルター・カーロス(今は性転換してウェンディ・カーロス)の演奏、すなわちスイッチト・オン・バッハ2に入っているものですが、13年前のようにYouTubeなんかなかった頃はともかくとして、実は今でもネットで聴くことができないんです…と思って、いろいろ検索していたらようやく見つけました!

Wendy Carlos performing "Schafe können sicher weiden" ("Sheep may safely graze") from Cantata No. 208 by Johann Sebastian Bach (5:11)

 私も最近はレコードやカセットを聴く機会(機械)がなく、ずいぶん久しぶりに聴きました。懐かしい!やっぱりこれはこれでいいですね〜。
 それこそ、これを聴いてた中学生の頃、自分がこの曲を含むカンタータ全曲(+シンフォニア)をオリジナル楽器で演奏する日が来ようとは夢にも思いませんでした。感無量です。
 というわけで自分自身も29日はとっても楽しみです。ぜひ皆様おいでください!
 さて、この、バッハを代表する名アリアですが、YouTubeでもいろいろなものを「観る」ことができます。その中でも、ちょっと面白かったものを二つ。
 まず、オリジナル編成での演奏ですが、微妙にミュージック・ビデオしているものをどうぞ。

 続きまして、なんか分からんけどこれはこれで感動的(?)なMV。誰がどういう目的で作ったのかな(笑)。歌詞とは全く別の物語になっていますが、たしかに音楽の展開には沿っている。

 ほかにもいろいろな編曲版がありますので探してみて下さい。というか、普通にオリジナル編成オリジナル楽器の動画がないんですよね。

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