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2017.07.31

昭和32年の「ICBM」

 28日、北朝鮮が2度めのICBM発射に成功しました。防衛大臣の不在に合わせたタイミング。そして、いよいよ、アメリカ本土が射程距離に入り、トランプ大統領もちょっと本気になったかもしれません。
 さて、ICBMとは日本語で言うと「大陸間弾道弾」。英語ですと、 intercontinental ballistic missile 。
 なんとなくICBMというと、最新兵器のような気がしますが、案外歴史は古く、第二次世界大戦のドイツのV2ロケットにまでさかのぼります。
 V2を改良パワーアップさせたA9、A10の二段ロケットミサイルは、ヨーロッパからアメリカ大陸を直接攻撃することを目標に開発されつつありました。終戦前にはすでに開発を断念していたようですが、もし完成していれば、それこそ初めてのICBMとなり、実際に使用された可能性もあります。
 その技術は冷戦下のソ連にひきつがれ、実質的な初めてのICBMは、1957年のスプートニク1号の打ち上げに使用されたR-7ということになりましょうか。
 そう、米ソ冷戦下での両国の宇宙開発競争には、大陸間弾道ミサイルの完成、実用化を誇示する意味合いもあったわけですね。
 さて、1957年といえば昭和32年です。その昭和32年の、「新宗教新聞」を読んでいましたら、なななんと、「ICBM」という単語が出てきていて驚きました。はあ、やっぱりスプートニクの成功は、分かる人にとってはまさに大陸間弾道弾の完成を意味していたわけですね。
 なにしろ、それを書いたのは、当時防衛庁顧問だった富岡定俊。富岡定俊といえば、名海軍少将であり、あのミズーリ艦上での降伏文書調印に立ち会った人物です。
 そして、昨日の川添浩史、坂倉準三らと並び、戦前、戦中、戦後を通じて、仲小路彰に私淑した人物です。
 その富岡が「新宗教新聞」に書いた記事を御覧いただきましょう。

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 戦後の富岡は山中湖の別荘におり、ますます仲小路彰の教えに強く影響を受けるようになっていました。戦後、富岡をある意味有名にした「未来予測」「未来学」は言うまでもなく仲小路のそれそのものです。
 仲小路も実戦現場で活躍し続ける富岡に敬意を表しており、喜んで富岡のゴーストライター的な役どころを引き受けていました。
 この新聞の記事も、その宗教観、歴史観、平和観、国連観など、いかにも戦後の仲小路彰という感じがします。というか、文体も仲小路そのものと言っても良い。
 すなわち、仲小路明は、昭和32年の段階において、ICBMの脅威、それも未来的な脅威を予知していたとも言えるのです。そのあたりの慧眼はさすがですね。
 はたして、この記事にあるような役割を、今後日本はできるのでしょうか。
 よく見たら、この記事が書かれたのが1957年8月29日とあります。スプートニク1号の打ち上げ成功は10月4日。なんとまあ、これもまた一つの未来予知のようなことになっていますね。驚きです。
 蛇足になりますが、当該記事の左下にあるPL教団の野球の試合の告知。あのPL学園高校の硬式野球部の創部が昭和31年ですから、前年ですね。ここから50年にわたるPL野球部の栄光の歴史が始まるわけです。
 そして、今年2017年、実質的な廃部となりました。なんとも言えない歴史の残酷さというか、世の中の栄枯盛衰を見るような気がします。


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