ジャン・ロンドー 『即興曲』
先月初来日したチェンバロ奏者(クラヴサン奏者)ジャン・ロンドーの、バッハ「ゴールドベルク変奏曲」をBSプレミアムで観ました(聴きました)。
ウワサに違わず、非常に洗練されたセンスの持ち主でしたね。聴き慣れたはずの曲が大変新鮮に感じられました。
とは言え、特に奇をてらっているわけではありません。単にモダンな感性を通じて普遍的なバッハが奏されただけです。そういう意味ではバッハはすごい。
私、彼の演奏をじっくり聴くのは初めてだったのですが、聴きながらこんなことをつぶやきました。
録画してあったジャン・ロンドーのチェンバロリサイタルを聴きながら(観ながら)ふと思った。バロック音楽演奏における反復の際の即興的装飾って音を足すことがほとんどだけれど、引き算ってのはないのかな。あえて沈黙するとか…と思ったら演奏終了後に沈黙した!!禅的変奏w
そう、最後のアリアを弾き終わった後、1分くらい沈黙していたんですよね。なるほどあの長大な曲が終わったあとの余韻としては、あのくらい必要なのかも。まあ、究極の引き算でしょうかね。沈黙は。
で、ちょっと気になってYouTubeで彼の動画を探したら、なるほどなと思う演奏にぶち当たりました。かのバッハの無伴奏ヴァイオリンのための「シャコンヌ」です。
この宇宙的名曲、多くのチェンバリストが編曲して弾いていますね。大御所で言えば、レオンハルトとかコーネンなんかも録音していました。
それらに共通しているのは、「音を加える」ということでした。チェンバロとヴァイオリンの特性の違いを考えれば、また、バッハ自身やその他の作曲家の編曲を考えれば、それは全く自然な営みです。
しかし!このジャン・ロンドーは、ほとんど音を加えていない。もちろん、鍵盤楽器らしく音域は拡げてありますが、基本新しい声部を加えたり、和声を埋めたりしてません。これはある意味「引き算」です。自然な営みから考えると、かなり思い切った「引き算」ですよ。
聴いてみてください。これが…実にいいのです。
ちなみに同じ無伴奏を、バッハの長男が編曲するとこうなります。つまりは自然な営み。
おっと、肝心な一番上の動画について書くのをすっかり忘れていた。ついつい興奮してしまったのでしょうか(笑)。
彼は子どもの頃、なんとピアノよりもチェンバロを先に弾き始めたのだとか。いや、それは歴史的に考えても、また人間工学的に言っても実は自然なことなんですよね。子どもは軽くて小さな鍵盤を弾くべきです。ピアノには分数楽器がありませんからね。
で、やっぱり彼はジャズも好きなんですね。このモダンピアノによるインプロヴィゼーション、どことなくキース・ジャレット風であります。私の好きなタイプの即興。
どうせなら、リサイタルの前半をチェンバロ、中盤をフォルテピアノ、後半をモダンピアノで即興というのはどうでしょうか。ぜひ聴いてみたいところです。
もう、楽器がどうの、様式がどうのとか言う時代ではなくなったのでしょう。ようやくと言うべきか。自由で自然。型にはまらないのが、本来の生きた音楽なのですから。
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