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2017.04.21

分かりやすいイスラム教講座…加瀬英明x馬渕睦夫『日本らしい国づくり』

 スラム教…みなさんはどういう印象をお持ちでしょうか。なんとなく怖い、あるいはキリスト教より縁遠い感じがする…私も実はそんなふうに思っていました。
 しかし、2年前に仲小路彰の砂漠の光を手に入れて読んでから、すっかり印象が変わりました。
 仲小路彰がこの戯曲を執筆したのは旧制高校から大学時代にかけてといいます。1920年前後のことでしょうか。出版は大正11年です。その時代にすでに決定版とも言える(のちに昭和50年に仲小路自身によって再版されている)ものを作り上げた天才の偉業に驚きますね。
 と言いますか、大正時代にはすでにイスラム教は日本に入ってきており、ある程度定着していたということです。この動画にもありますが、ロシア革命によって多くのイスラム教徒が日本に亡命してきたのですね。大川周明などもその影響下にイスラム研究をしていました。
 というわけで、私たちのイスラム教に対する偏見というのは、案外最近作られたものであるわけですが、その原因も含めて、まさに現代的、未来的な視点からイスラム教を正しく理解するために、ぜひ皆さんにこの動画を観ていただきたいと思うわけです。
 仲小路彰が「預言」したごとく、聖徳太子とマホメット(ムハンマド)は共振しています。そういう意味でも、今こそ私たちはイスラム教を正しく理解し、尊重の心を持たねばならないと思います。私もいよいよコーランを読もうかな。
 ちなみにこの講座のタイトルは「イスラム教と反グローバリズム」であり、また番組の後半の質問コーナーで、加瀬さんが「八紘一宇とグローバリズムは全く違う」という説明をしていますが、仲小路彰的に言えば、「本来の(オリジナルな)」グローバリズム(地球主義)は「八紘一宇」「八紘為宇」と同じだと思います。
 そのあたりは、まだ仲小路彰が表に出ていないのでしかたありません。今世の中でいうグローバリズムとは、ユダヤ金融資本的な経済のグローバリズムのことですからね。
 きっと近い将来には、加瀬さんや馬淵さんも本当のグローバリズムの意味と、その発祥が日本であるという驚愕の事実を知ることになるだろうと信じます。

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2017.04.20

ボリティカル・コレクトネス?

Th_images 野綾子さんが「大人の言葉遣い わからぬ幼稚」というコラムを書いておられました。いわゆるポリティカル・コレクトネスに対する懐疑を主張されていました。
 言葉尻をとらえて、そして場合によっては謝罪させることが普通になる社会が、いかに幼稚なのものであるか、心の奥底を表現できない世界がいかに硬直化したものとなるかを述べておられました。
 曽野さん、2月だったかの南アに関するエッセイなど、それこそ「政治的」にはちょっと不用意だったかなという言説もありましたが、今回の「言葉狩り」に関する考えには全面的に賛成します。いちおう言葉を専門にしている立場としてです。
 「ポリティカル」な世界は、私に言わせてもらえば「コト」世界ですね。法律における言語はそういう性質のものです。あえて言うなら数字、数式に近づけようとしています。ぶれや余白のない絶対言語に近い世界。
 一方、私たちが使う「言葉」は、まさに「コトの端」であり、せいぜいそうした絶対世界の端っこをかじるくらい、そのほとんどは曖昧模糊とした、しかし豊かな「モノ」世界が広がっています。
 それを、差別だとかいう過剰な「忖度」によって制限することに、私も反対です。
 学校現場なんか、本当に最近は堅苦しくなってきています。愛情と信頼に根ざしたコミュニケーションの中には、あえての「悪い言葉」もたくさん存在します。活字にしてしまって、第三者が見れば、とんでもない「いじめ」や「虐待」と取られかねない言葉も日常的に行き交っています。
 もちろん、そこにはお互いの関係性があり、そこに至る文脈があり、言語的な意味論を超えた「創造的忖度」があり、肉体的表情もあります。そんな「コト」にはまらない「モノ」があるからこそ、私たちは教育をすることができます。
 また、それら「モノ」世界を含む可能性を秘めているのが、まさに言葉の力であり魅力であるわけで、それをまるで法律用語のように、堅苦しく縛ってしまうのは、結局人間の「心」をも縛ってしまう結果になると思います。
 英語では「〜マン」という言い方はやめて、「〜パーソン」というようになっていますよね。女性もいるからということでしょう。日本語の「看護師」などと一緒です。
 笑い話ですが、それでは「スーパーマン」も「ウルトラマン」も「アンパンマン」もダメなのかということになってしまいますね。
 スチュワーデスも今はダメですが、スチュワードという言い方もあったわけで、それはそれでいいような気がするんですが。同様に保母と保父でもいいようにも思います。
 なんでも平等、非差別ということになっていくと、結局極端な共産主義国のような「言いたいことが言えない国」「きれいごとだけしか許されない国」になってしまう可能性があります。こわいですよね。
 言葉は生き物です。生き物を人間の都合で縛る、制限するということがどういうことか考えておきたいところです。
 もちろん、逆に全て自由にというわけにもいかないのは言うまでもありません。野放しではなく、自分の「飼い言葉」として、それなりのしつけをしなければなりませんね。お互いに。
 ちなみに、内田樹さんも「政治的に正しいこと」は正しいのか?でポリティカル・コレクトネスに対して鋭い指摘をしています。ぜひご一読を。

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2017.04.19

『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』 役所広司主演・成島出監督作品

Th_81aspamovyl_sl1500_ 日は山本五十六の命日でした。それにちなんで今日は2011年公開のこの映画を鑑賞いたしました。
 映画としてはまあ及第点。淡々と人間山本五十六を描いたという感じ。平成になってからの戦争映画にありがちな視点であり、また戦闘シーンのほとんどがCGということもあり、昭和の(すなわち戦争体験者たちが作った)戦争映画に比べると、どうしても軽くなってしまっていることは否めません。
 しかし、こうしてあの戦争が遠い過去の出来事になり、ある種「物語」化していくことも致し方ないところであり、また、そのような客観性、他者性をもってして発見される新事実(真事実)もあるのもたしかです。
 そういう意味では、三船敏郎版も必ず観ていただきたいと思うわけです。両方観て初めてこの映画の価値が分かるというものです。製作者は当然、前作を意識しているわけですから。
 そうした比較や補完ができるのは、歴史における「未来人」の絶対的幸福ですし、まただからこそ、そこに絶対的責任や使命も加わってくるのであります。
 大げさでなく、人類の進化とはそうした「解釈」の上に成り立っているのです。
 さて、山本五十六といえば、軍人の中でもその解釈が分かれる存在ですよね。名将か凡将か、あるいは売国奴か…。
 知識不足な私は、その判断をしかねていますし、戦争においては特によくあるように、視点の設定によって、まるっきり反対の解釈や評価をされてしまっているのかなとも思います。本当に難しい。
 この映画もなんとなくそのあたり煮え切らない感じです。親米派であり、戦争反対派であったことは確かですし、人格的にも優れていたのでしょうが、日米戦争の将としてはどうだったのか。自己の中に大きな矛盾を抱えていたわけですから、それは迷いだらけだったでしょう。
 それが歴史という記述の上において、様々な解釈を生む原因になっているのは間違いありません。きっと善良な賢人だったからこそ、ふらふらしてしまったのでしょう。だから、これからも一つの言葉で「コト」化することはできないでしょう。そういうモノなのです。
 だからこそ「物語」として魅力的だとも言えます。二・二六事件もそうです。当の本人(たとえば安藤輝三)たちが、善良で純粋な人間だからこそふらふらしている。だから評価もふらふらするし、煮え切らない。
 おそらく、記述された歴史ではない、人間の営みの重奏する本当の歴史とは、全てそういうモノなのでしょう。
 70年目の真実とは、結局そういうコトなのではないでしょうか。お釈迦様が説かれたように、世の真理(コト)はたった一つ、無常(モノ)だということです。

Amazon 聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-

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2017.04.18

追悼 渡部昇一さん

Th_41xw782ar2l 語学者にして保守派論客の重鎮、渡部昇一さんがお亡くなりになりました。
 「知的生活の方法」を読んだ高校生の頃から、言語、文化、思想、歴史観、いろいろな面で大きな影響を受けてきました。最近もネット番組等でお元気なお姿を拝見していたので、突然の訃報に驚いています。
 最も最近の動画がこれでした。渋沢栄一を紹介する渡部さん。渡部さんがご自身の人生を振り返るように、渋沢について語っています。
 私も昨年、仲小路彰研究の関係から、渋沢栄一記念財団の会員になりまして、遅ればせながら渋沢の偉業を知り、その人生訓を学ぶことになっております。
 そんな中、尊敬する渡部昇一先生が分かりやすく渋沢栄一を紹介するとあって、続編も楽しみにしておりました。完結編もおそらく収録済みと思われます。渡部さんが最後に渋沢を語ったというのは、本当にいろいろな意味において象徴的であったのかもしれません。
 ご冥福をお祈りします。

Amazon 知的生活の方法

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2017.04.17

小柳ルミ子 『わたしの城下町』

 る歌番組の録画を観ていましたら、この曲がかかりました。御本人の歌唱ではありませんでしたが。
 珍しく生演奏の番組でして、この曲のベースがものすごくかっこよかったのでビックリ。おお、編曲は森岡賢一郎ですか。途中からすごいグルーヴ感ですね。この頃の楽曲には、こういう編曲がよくありましたよね。中間部だけエネルギッシュに動く。
 あらためて、この年になって聴いてみますと、まあ素晴らしい、素晴らしすぎる歌詞とメロディー、そして編曲ですね。詩はズズ(安井かずみ)さん、曲は平尾昌晃さん。

 この「城下町」とはどこの城下町なのか…それを知ろうとするのは、ある意味野暮でもありますが…ずばり、長野県諏訪市高島城下なのですね。平尾さんが岡谷で療養していた時のことを思い出しながら作曲したとか。
 まあ、歌詞はズズさんですから、曲のイメージとしての高島城ということでしょうかね。
 下の動画は、そう、1971年のレコード大賞、最優秀新人賞受賞のシーンです。期せずして平尾さんのお上手な歌を聴くことができます。それにしてもすごい新人だなあ…。

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2017.04.16

Jアラート(全国瞬時警報システム)

 朝やはり北朝鮮がミサイルを発射しましたね。結局「失敗」となりましたが、これは正確に言うと「失敗」ではなく、アメリカによるサイバー攻撃、あるいは電磁波攻撃による「撃墜」ということになります。
 北朝鮮って、やたらミサイル発射に失敗しますよね。さすがに威信にかかわりますよ。まあ、撃墜と言われても悔しいでしょうけれども。
 もう戦争というのはそういう次元なんですよ。白兵戦なんて昔の話です。
 さて、今回のミサイルの件で初めて聞いたという方もいらっしゃるかもしれませんが、日本にはJアラートという警報システムがあるんですよね。もう10年も前からの話です。
 皆さんよくご存知の「緊急地震速報」もその一つです。そのほか、津波や噴火、気象情報などの自然災害、そして、今回のミサイルのほか、テロや空襲警報などがあるんですね。
 もちろん、これが鳴らないに越したことはありませんが、自然災害のみならず、いわゆる有事に関しても、「想定外」は許されません。
 今日は期せずして、熊本地震の「本震」の日でした。昨年の今日の記事がこちらです。たまたま私は東日本大震災の教訓から、14日の地震が「前震」である可能性を示していたわけですが、実際その予想が当たったことを受けて、私としても改めて「最悪の事態を想定する」ということを心がけるようになりました。
 ですから、上の動画を見たり聞いたりして、「その時」冷静に対処できるよう訓練しておくつもりです。
 

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2017.04.15

報道特注(右)『北朝鮮危機!』

 日の夜、「とある筋から明日は自宅待機せよとの情報が。大事に至らなければ良いのですが。日本を取り巻く情勢は私たちが考える以上に深刻です」とツイートしました。今日15日はもうすぐ終わります。おそらく無事に今日は終わるでしょう。
 「とある筋」がどういう筋であるかはここには書けませんが、とりあえず同筋から、しばらくは同じ危険状態が続きますとの続報をいただきました。
 今日はなんとか無事にすみそうですが、明日は朝から騒がしくなる可能性があります。
 情報の内容は上に紹介した「報道特注」の内容にかなり近いものです。核実験、ミサイル、テロ。アメリカの先制攻撃。
 もちろん、この番組の出演者の皆さんとは、私は立場も考え方も微妙に違いますので、「言葉遣い」は違いますが、情報は共通しています。解釈の問題ですね。
 そういう意味で、皆さんもこの番組の内容を、ぜひ「情報」として捉えて下さい。そして、それを活用してください。
 結局は中国にいろいろお願いするしかないんですよね。日本もアメリカも。そういう中で、北朝鮮問題を利用して中国が発言力を強めていくということも認識しておかねばなりません。
 また、現中国にとって、朝鮮半島と旧満州地域は「清」の亡霊であるということも忘れてはなりませんね。

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2017.04.14

嫉妬心という人類の難敵

Th_rgn1704140001p1 日、甲府で櫻井よしこさんが改憲に関する講演をしたそうです。
 北朝鮮情勢も風雲急を告げております。金正恩、トランプ、習近平、プーチンなどの「荒魂」がぶつかり合う世界の中で、9条を中心に改憲論議が高まるのも当然と言えましょう。
 ところが、最近の私は、改憲には慎重な立場になっています。仲小路彰の憲法観に触れることが増えたからでしょうか。彼の改憲論は実に高度、高次元であり、今こそ多くの人に読んでもらいたいものがあります。
 アメリカに押し付けられたと言われる「非自主憲法」であるということが、はたして本当に日本にとってマイナスなことなのでしょうか。他者性(モノ性)を重んじ、それを自己の内部に包摂し、融合することによって日常的な「コト」に成してきた日本人の本質を忘れて論議すべきではありません。
 今日も、ベテランの共産党員の方とじっくり話しましたが、天皇の存在と絶対平和主義は本来共存できるものであり、今まで右と左という対立軸でもめてきたこと自体、人類のレベルの低さを示しているとの結論に至りました。
 そうそう、最近の共産党は変わりましたよね。赤旗に年号を使うようにもなりました。戦後の日本共産党の変化の歴史を見ると、ある意味健全に進化しているなと思うわけです。まさに「日本」共産党になってきたなと。
 異論はあるでしょうが、天皇や皇室というのは、ある意味原始共産制の象徴のようなところがあります。庶民と同じかそれ以上に質素な生活をなさっていたり、歴史的に見ると、最下位層、すなわち被差別民と直接的に結びついていたり。
 資本主義も共産主義も共通の弱点によって破綻しました。それは私たち人民の「嫉妬心」であります。
 資本主義においては、持たざる者が持つ者に対して嫉妬心を持ちます。共産主義においては、働く者が働かざる者に対して嫉妬心をいだきます。
 そうした人民の負のエネルギーを抑えるために、結局は独裁的な神や人間が圧倒的な圧力、すなわち戒律や法律や武力を使う結果になってしまった。
 実は最も穏やかにその嫉妬心を抑えるのは、絶対的な神への信仰心を持つことが一番効果的なのですが、残念ながら共産主義には唯物論という属性が伴っていたために、それが基本不可能になっていました。
 一方、資本主義においては、旧来の宗教よりも、マネーというモンスター(ちなみに両語の語源は一緒です)に対する信仰心の方が強大になってしまったため、こちらも嫉妬心が増長してしまった。
 そこで登場するのが「天皇」ということになるのです。わかりやすく極論しますと、「天皇さまがあのような生活をされ、利他的に生きていらっしゃるのだから、私たち人民も…」という心の動きが生まれるというわけです。
 これは非常に高度な文化だと思います。そこをもう一度しっかり考えてみる必要があるでしょう。
 仲小路彰の天皇論、そしてそこから発展していく地球平和、グローバリズム、コスミカリズムというのも、また、それとはまた次元が違いますが、やはり天皇から発していると言える出口王仁三郎のみろくの世観というのも、この時代だからこそ顧みられて良いものと思われます。
 そのような発想をしてみますと、日本国憲法というのは、そうした未来的な可能性を示すものであるとも言えると思います。一条と九条は自然に両立するどころか、お互いを活かすものであるとも言えるのです。
 いずれにせよ、私たちにとって「嫉妬心」というのは大変な難敵ですね。なにしろ、お釈迦様が2500年前に「嫉妬心を捨てよ」とおっしゃって以来、ほとんど誰もそれを実現していないわけですから。

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2017.04.13

金足農業 vs PL学園 (昭和59年夏)

 分がちょっと(かなり)忙しい&国家が危険な状況なので、今日は軽くて重い記事で。
 この甲子園の名勝負、いいですねえ。
 なんだかんだ言って、秋田って名勝負生んでますよね。本当に雑草軍団というか、素朴な田舎軍団(失礼)というか。
 それが強大な敵を追い詰める。しかし、最後は逆転負け…みたいな。6年前の能代商業もそうでしたね。
 こちらに書いたとおり、高校野球(甲子園)は先の大戦のノスタルジーを投影した「文化」です。
 そういう点でも、弱小チームが一丸となって強大な敵にぶつかり、そして玉砕する…というストーリーは感動を呼びます。すなわち秋田のチームは、あの時の日本の象徴というわけです。
 それにしてもですね、かつて強大な「帝国」であったPL学園の野球部が滅ぶとは、まさに21世紀の世界史を予言しているかのようでもあります。
 高校野球(甲子園)は、実に面白いですね。スポーツをこうして「文化」「歴史」化する日本。私は次元が高いと思いますよ。

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2017.04.12

日本の危機と鈴木貫太郎-小堀桂一郎氏に聞く

 26分くらいから小堀桂一郎先生登場。当然のことながら、昨日も書いた二・二六事件、安藤輝三大尉の話も出てきますね。安藤輝三と出口王仁三郎という記事に書いたとおり、安藤輝三が二・二六事件において鈴木貫太郎侍従長を襲撃することを決意したその時、日本の運命は決まったと言えます。
 安藤でなければ、鈴木は完全に死んでいた。終戦の首相、御聖断を導いた首相鈴木貫太郎はいなかった。つまり、日本も死んでいたのです。
 この番組でも、静高の先輩でもある水島総さんが、このくだりのところに大いに感動していますね。
 さっそくこの本を注文しました。じっくり読みたいと思います。鈴木貫太郎の終戦工作に、はたして仲小路彰も関係しているのか。そのあたりも気になります。小堀さんはご存知ないでしょうけれども、高松宮さまを通じて、仲小路の意見も昭和天皇、あるいは鈴木貫太郎に伝わっていた可能性が大です。
 たしかに、鈴木貫太郎のようなスケールの大きな、しかし非常に緻密で繊細な、そしてある意味霊的な政治家というのは、今の時代にはいませんね。
 たしかに安倍総理にこの本を読んでいただきたいかも。

Amazon 鈴木貫太郎:用うるに玄黙より大なるはなし
 

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2017.04.11

NHK特集 『戒厳指令…交信ヲ傍受セヨ~二・二六事件秘録~』

 はりこれはすごい。すごい番組です。当時のNHKの底力を見るような気がします。
 二・二六事件。何度も書いているように、本当に不思議なご縁でウチの夫婦はこの事件に、今まさに巻き込まれています。
 昨年、安藤輝三大尉没後80年のご命日に、ばったりそのご子息とお会いしました。本当に不思議としか言いようのない展開でした(こちら参照)。
 静岡市の今はなき安藤洋裁学院の映像…安藤大尉の奥様、房子さんがこの番組に登場します。そして、「子どもたちがどんな顔しますでしょうね。初めてねえ(父親の肉声を聞いて)」とおっしゃっています。なんとも言えない気持ちになります。
 事件から81年。いまだに謎の残るこの事件。番組が放送された1979年(昭和54年)、私は15歳。まさかのちにこのように事件に関わるとは思っていませんでした。もちろん、この番組を見た記憶もありません。
 この頃は、ご覧になってわかるとおり、事件当時の関係者がまだご存命だったころ。だからこそ、分かる新事実もあり、また逆に語られない事実もあったことと思います。
 次の世代である私たちが、この事件から何を学ぶべきなのか。
 私は、たまたま当時事件と間接的に関わっていたとも言える、出口王仁三郎や仲小路彰の世界に触れています。ですから、また違った角度からこの事件を検証していくこともできるかと思っています。
 安倍源基や鈴木貞一といった、矍鑠たる明治の男たちのオーラにも圧倒されますね。NHKのスタッフたちの気合いも画面から伝わってきて、単なるノスタルジーではなく、やっぱり昭和の男は強かったなと改めて感じた次第です。
 テレビ番組としてのクオリティーの高さにも驚きますね。なんでも視聴率27%だったとか。今のテレビはどうなってしまったのでしょうか。

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2017.04.10

保守とリベラル?

Th_44279_368_cc85661cd446058c73e202  進党の長島昭久議員が離党しました。もともと堅実な右派で、民主党、民進党に所属していること自体が不自然でした。そう、民進党自体がそういう矛盾を抱えた野合政党だということですね。
 もちろん自民党もそういう矛盾を抱えた大政党ですが、自民党にはそれを包み込む度量というものがあります。歴史的に見ると、その包摂機能が長期政権の土台になっていることがわかります。
 違いを認める、というのは「自由」「民主」の基本だと思います。
 哲学者ヴォルテールの言葉(と言われる)「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」こそが、自由主義、民主主義の大前提ですよね。
 そう考えると、最近よく使われる、保守とリベラルの対立構図というのは、実に変だということになります。
 いわゆる「リベラル」が相手の自由や人権を認めないというのは、よく見かける風景です。経済学者の渡邉哲也さんがうまいこと言ってましたね。曰く「他人の人権に興味のない人権派、暴力的な平和主義者」(苦笑)。
 言うまでもなく、保守の対義語は革新のはずです。その革新をなんとなく甘くごまかしてリベラルというようになったのはいつごろからでしょうか。
 もちろん、革新(左翼)も保守(右翼)も時代によって大きな変化をし、両者ともその定義が難しくなったというのもありますね。
 そんな中、保守はさすが保守で、「保守」という言葉を保守していますが、革新はさすが革新で、「革新」という言葉をある意味革新してリベラルと称するようになった(笑)。ま、そんな感じでしょう。
 私からすると、保守もリベラルも「雰囲気」に過ぎませんが。
 ちなみに私はどっちなのかというと、どっちでもないというか、どっちでもあるというか…それこそ雰囲気ですね。ヴォルテールの言葉には強く賛同しますから、もしかするとリベラルなのかもしれない。
 ウチの中では「家庭内左翼」と言われています(笑)。国防女子がたくさんいるので。
 保守の定義も難しいですよね。エセ保守もたくさんいますし。勘違い保守もたくさんいる。ネトウヨも保守を自認していたりする。
 私の好きなのは、哲学者適菜収さんの定義ですね。曰く「人間理性に懐疑的であるのが保守」。
 そうすると、私も絶対的に保守ということになってしまいますなあ。ふむ、なら中島岳志さんの「リベラル保守」に近いのかもしれない。自分が何者か…自分を定義すること…難しく面白いですね。

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2017.04.09

バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番(視覚化)

 6月10日、コンサートに出演します。懐かしいメンバー&初めましてのメンバーとの初めての練習が今日ありました。
 ソロと指導は、天野寿彦さん。ずいぶん昔にご一緒したことがありましたが、その当時はまだアマチュアでいらしたのが、その後芸大の古楽科を卒業され、今ではすっかり日本を代表する若手バロック・ヴァイオリニストになられました。
 レッスンも大変分かりやすく、また楽しくしていただきながら、自分は全然上達してないなあと反省したりもしました(苦笑)。
 さて、今回は大曲ばかりなんですが、その中でも天野さんが大活躍するのがバッハのブランデンの4番。
 私も、何度かこの曲のヴィオラを担当したことがあります。この曲のヴィオラはものすごくやりがいがあるんですよ。そうそう、6年前にこの曲の編曲版(ヘ長調)を演奏した時に、「あの曲のヴィオラ・バートの秘密(?)」という記事を書きましたっけ。
 そこに書いてあるとおりです。ヴィオラ奏者一世一代の晴れの舞台。一瞬だけね(笑)。
 今日は、天野さんも参加しているバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏を「視覚化」した動画を貼っておきます。めっちゃきれいですよ。しかし、すごいですね。演奏そのまま。楽譜どおりではない。
 ヴィオラのパートをおっかけてみてください。こんなことをやってるんですよ、地味に。


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2017.04.08

漢文の授業廃止を!?

Th_2017040600000001pseven0001view 田尚樹さんが「漢文の授業廃止を」と言ってましたね。なるほど。賛成の反対だな(笑)。
 まあとにかく百田氏の意見を読んでみてください。こちらです。
 ふむ、まあ氏が中国嫌いなのはよく分かりました。ただどうでしょうね。本当に漢文のせいで、中国への憧れがあるんでしょうかね。
 私はそれほど漢文が好きではないし(入試問題としては好きですし、入試対策を教えるのも好きですが)、自分自身あまり積極的に読んでこなかった。だから、学校で全員が学ばなければならないとは思わないけれども、しかし、たしかに日本文化に与えてきた影響は無視できないので、そうですね、まあ高校では必修ではなく、選択でもいいかもしれませんね。
 中学レベルでは一度やっておくといいでしょう。その時、先生がどのようなところに重点をおくべきか。これは私の考えですが、日本人がいかに工夫して外国語を理解したか、訓点というのは世界でも珍しい素晴らしい知恵です。
 それを学ぶことによって、日常で使われている漢語の構成なども漢文文法的に捉えることができるようになる。そこは強調すべきです。別に中国礼賛ではないですし、百田さん的にも日本の誇りにつながっていいのではないでしょうか。
 考えてみると、漢文のみならず、漢文訓読体というのが、日本の近世、近代において社会や文学に与えた影響は大きい。最近評判の?、そして百田さん大好きの教育勅語だって漢文訓読体じゃないですか。
 日清戦争や日中戦争の時代にも、漢文を排除せず、また漢文訓読体を使ってきました。そんな感じでいいんじゃないでしょうかね。
 ただ、たしかに、センター試験の国語において、200点中4分の1の50点が漢文というのは、さすがにちょっとどうかと思いますがね。
 
 
 

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2017.04.07

「忖度」とは…

Th_o0412042413757107253 ちおう日本語を専門にしている者として一言。
 「忖度」…今年の流行語大賞でしょうかね(笑)。皆さんはこの言葉を使ったことがありましたか?
 私は時々使っていました。他の言葉と同様、いつか誰かが使っていたのを真似したんでしょうね。
 その時の私の理解、すなわち使っていた時の理解としては、「推量の同義語」でした。
 日本国語大辞典の用例を見てみましょう。

*東京新繁昌記〔1874〜76〕〈服部誠一〉初・人力車「盖し人の行く所を忖度(〈注〉ハカル)して而して何れの帰りと唱ふ者は」

*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉二・四「他人の心を忖度す可らざるは固より論を俟たず」

*浮雲〔1887〜89〕〈二葉亭四迷〉一・一一「文三の感情、思想を忖度し得ないのも勿論の事では有るが」

*近代絵画〔1954〜58〕〈小林秀雄〉ピカソ「ピカソの真意を忖度(ソンタク)しようとすると」

 最初の例は、まさに「推量」ですよね。別に「人の心の中」という特定はありません。そして、福沢、二葉亭、小林の例では、それぞれ「他人の心を」「文三の感情、思想を」「ピカソの真意を」という目的語がくっついている。
 そう、やはり「忖度」はもともと「推量」でしかなく、日国も含む現在の辞書的な意味「他人の心中やその考えなどを推しはかること」というのは、ちょっと行き過ぎな気がするんですね。せいぜい「(他人の心中やその考えなどを)」とカッコ書きすべきだと思います。
 では、流行語大賞になりそうな、今の世で使われている、つまり森友学園問題において使われている「忖度」はどうでしょうか。
 「自分より偉い人に気を遣って(無言のうちに)便宜を図ること」という、さらに限定的な意味に、あるいは悪い意味になってしまっていないでしょうか。
 もちろん、先ほどの日国の文例がそうであるように、実際の言葉の意味というのは、時代ともに変化し、そして往々にして限定的になっていくものですが、このたびの「忖度」に関しては、かなり行き過ぎのような気がしてなりません。
 まあ、いずれにせよ、「言挙げせぬ」「コト化しない」という「モノ」文化の日本では、相手の心中を読んだり、言葉なしに阿吽の呼吸で事を進めたり、空気を読んだり、以心伝心と言ったり、そういうモノがコトよりも重視されますよね。そんな中、「忖度」くんが新たな意味を持つようになったということでしょう。
 「忖度」くんの心中を「忖度」するに、ちょっと申し訳ないような気がしますが…。
 今回、誰が「忖度」という言葉を言い始めたんでしたっけ?責任は重大ですよ(笑)。
 それにしても、「忖度」という熟語、漢字の読みの問題としても難しいですよね。漢検準一級レベルかな。
 「忖」という字は、日本では「忖度」以外使いませんよね。「度」を「たく」と読むのはどうでしょうか。これもほとんどありません。
 ちなみに室町の辞書には「忖度 シュント 推量義也」とあります。呉音で「じゅんど」と読んでいたのでしょう。そして、意味は単に「推量」とのことです。

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2017.04.06

統合失調=統合しすぎ

Th_koyoshio1129 いぶん前に読んで面白い!これだ!と思ったのですが、今まで忘れていました。そして、なぜか今日急に思い出した。

「霊がいるなら、“大腸菌の霊”が見えないのはおかしい」苫米地英人が語る、スピリチュアルと統合失調(康芳夫対談)

 苫米地英人さんと康芳夫さんの対談。平成と昭和の怪物どうしの対談ですよね。ほかの回も面白かったのですが、この「スピリチュアルと統合失調」の話は特に興味深かった。
 そう、あっこれ、自分じゃん!と思ったのです。昨日の記事もうそうですが、私はいい年して、そして学校の先生でありながら、けっこう「トンデモ」な発言をするじゃないですか。学校でも若い頃からそれが売りみたいなのところがあって、昔の教え子たちに会うと「あっ幽霊の先生だ」とか言われる(笑)。授業中そんな話ばっかりしてたんでしょうね。
 まあ、たしかにそういう話って子どもたち大好きですしね。雑談としてはおいしいネタです。そして、これは客観的に考えればですね、ある種の「権威」になりうるんですよ。
 すなわち、「反知性主義」的な尺度をもって「知性主義」的な学校という場で優位に立つというか。もっと端的に、自己批判的に言えば、学歴や学力のなさを、そうした検証不能な物語でごまかすというか。
 ワタクシ流に言えば、「コト」ではなく「モノ」で勝負するってことなんですがね。理屈では存在しないはずの共通実感の方を重視する。
 そういうことをしているうちに、そして、それを多数の他者に受け入れてもらっているうちに、なんとなくその「モノ」の方が実体で、「コト」がフィクションのようにさえ感じるようになる。自分はそういうプロセスを経て、今のようなトンデモ人間に成長したとも言えます。
 昨日の記事における、森友学園と稀勢の里を結びつけるのなんか、まさに「統合しすぎ」のいい例でしょうね。自分でもアヤシイと思いますが、しかし、どこかそういう世界観もあるんだという、変な自信もあったりする。
 でも不思議ですよね。苫米地さんの言うとおり、それは「頭がおかしい」のだと結論づけることもできるのに、なぜか、あんまり人からはそういうふうには言われないで、逆に面白がられたりますんですよね。
 ということは、やっぱり人間の脳にはそういう非科学的なモノを受け入れるプログラムがあるのだと思います。そのように進化してきたということは、やはりそこに意味がある、宇宙生命として必要だと判断されてきたのでしょう。
 最近は「スピリチュアル」という言葉がよく使われますが、古い古い日本語ではそれを「モノ」と言ったのです。ですから、万葉集あたりで「モノ」という和語には「霊」とか「鬼」という漢字が当てられているんですよね。
 さて、自分のこれからの人生、コトとモノのバランスがどのようになっていくのか、自分でも楽しみです。
 コトを窮めてモノに至る…という私の哲学すると、コトとモノも統合されていくはずです。

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2017.04.05

報道特注(右)【辻元疑惑追及SP 後編】深い闇!

 日公開された動画。実に面白い。
 今回の森友学園問題。私も先日一方の当事者の方とお会いし、いろいろお話させていただきましたが、まあ、ある角度から見ますと、たしかにこの動画のとおりでもあります。
 「でも」と言ったのには、別の角度もいくつかあるからでして、私はそれのどちらにも偏らない、というか、その当事者の方にもお話しましたが、稀勢の里の大阪場所奇跡の優勝とも絡めてこの問題を捉えるほどの「トンデモ」なので、まあニュースやワイドショー的な「事実(ファクト)」はどうでもいいのでした。
 そう、誰も言いませんが、稀勢の里の奇跡の逆転優勝、あの瞬間、ああこの問題は終わったなと思ったのですよ。
 相撲は地鎮の神事です。ああして、大阪場所で「日本人の」横綱が一厘の仕組さながらの奇跡の大逆転を成し遂げたことの、歴史的、神話的意味を捉えねばなりません(すみません、トンデモで)。
 三月場所ということで言えば、あの平成23年(2011年)のことを思い出さねばなりませんね。あの時こちらに書いたとおり、地鎮の神事(具体的には横綱の四股踏み)が行われなかったがために、あの大震災が起きてしまいました(すみません、トンデモで…笑)。
 いや、そういう視点というのも大切なのですよ。今回の問題の土地は、それこそ「地歴」の複雑に積み重なった土地です。ある種の荒魂が表面化し、それを横綱稀勢の里が踏み固めたというストーリーも、それはそれで面白くないですか?
 奇しくも、横綱は「見えない力を感じた」と言いました。「見えない力」ということを、たとえば政治家や私のような教育者が口にすると、やれスピリチュアルだ、やれトンデモだ、非科学的打などと言われてしまいますが、真のマツリゴトを行う神人とる横綱がそういうことを言っても誰も責めないどころか、共感や感動を呼び、いい意味でニュースのタイトルになる。面白いですね。
 私は、教育者である以前に人間ですし、日本人ですので、そういう「見えない力」すなわち「モノ」を大切にしたいと思っているのです。
 今回の森友問題は「モノ」世界での出来事が、現実界、特に法律や文書などの「コト」世界に噴出してしまったものなので、まあ、皆さんいろいろはっきり言えませんよね(笑)。はっきり言うとしたら、籠池さんのように大嘘つきにならざるを得ません。
 そういう意味では、総理もあまりにもはっきりと「言挙げ」してしまったという落ち度があったのです。日本は「言挙げせぬ国」なんですよね。私もこれ以上語るのはやめます。

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2017.04.04

テレマン 組曲「風変り」

 たテレマンです。つまり忙しいのです。新入生を迎え入れる準備などですね。
 さてさて、そんな時は多作家で決して重くないテレマンさんに任せるのが一番(笑)。
 昨日の「学校の先生」もユーモアセンス抜群でしたが、こちらの組曲もなかなかいいセンスですよ。
 「La Bizarre」というのは、「風変り」と訳されますが、そうですねえ、音楽の感じからしますと、「気まぐれ」という感じでしょうかね。
 変な曲ではないですよ。「おっ、こう来るか!」という感じではありますが、全体的なセンスはいいですよね。
 聴いている人の予想を裏切ることを楽しんでいる。そんなテレマンのニヤケ顔が目に浮かびます。
 単なる変な曲を作るのは、私にもできます。しかし、センスよく遊ぶというのは、それこそ最高のセンスを要します。やっぱり私にとっては、テレマンは音楽史上最高最大の天才です。

 

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2017.04.03

テレマン カンタータ『学校の先生』

 日に続いて教育に関する記事。
 いろいろ難しいことは抜きにして、古今東西を問わず、学校のセンセイなんていうのは、まあこんな感じなんでしょうね。
 権威主義は往々にして滑稽です。私もまあこんなふうに見えるのでしょうか(笑)。
 そして、いつの時代、どこの国も、子どもたちは変わらない。退屈なら居眠りするし、つまらなくなればイタズラもする。
 このテレマンの喜劇カンタータ、もちろん原曲はドイツ語ですが、いろいろな国で、それぞれの言葉に翻訳されて演奏されています。
 上で紹介しているのは、イタリア語ヴァージョン。舞台の演出も現代的で分かりやすい。面白いですね。
 日本語でやったら、「ハニホヘトイロハ」とか歌うのかな。
 「こんなアリアはテレマンでも書けないだろう」と言って歌う調子っぱずれなアリアなど、なかなか楽しい内容になっています。

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2017.04.02

【討論】日本の偏向教育を問う!

 友学園問題が、国民に教育を問い直す機会を与えてくれていますね。
 仏教(禅宗)をベースとする私学に奉職する者としても、いろいろ考えさせられることがあります。
 そんな中、この討論は実に面白かったですね。なんか他人事ではない身近な話が続出しておりました。
 まずは山教組の話。今はあの頃ほどではありませんが、全く何もないわけではありませんよ。まあ、公立の先生方も面倒くさがっていますがね(笑)。
 その山教組、いや日教組のドン、輿石東氏が旭日大綬章を受けた時の話も面白かった。菅官房長官もしゃれたこと言いますね。そう、まさに保革相乗りが普通の、謎な県ですから、山梨は。
 あと、私の恩師、大村はま先生の話も出てきましたね。
 ちなみに私の「教育勅語」観はこちらに書いたとおりです。
 暗唱については、私もいろいろ迷いがあります。私は素読にはあんまり賛成しないというか、素読があんまり好きではない先生なのですが、考えてみれば、ウチの学校でも、意味も分からず「般若心経」を暗唱させておりますな(笑)。
 それこそ、塚本幼稚園の園児にとっては、教育勅語や論語なんか、我々にとってのお経みたいなものでしょう。
 そこに目くじら立てるのもどうかとも思いますよね。というか、ある意味、戦後の公教育は、それこそ日教組などによって非常に左に偏った内容になっていましたから、たまに森友学園みたいなのが出てきてもいいと思いますし、実際需要があったわけですからね。
 もう少しまともな人が右寄りの学校作ってもいいんじゃないでしょうかね。え?私がどうかって?いやいや、私は「家庭内左翼」と言われているくらいですから無理無理(笑)。

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2017.04.01

純米大吟醸『やまとのこころ』 (末廣酒造)

Th_img_9965 イプリルフール。今日は我が家にとんでもないお客様がいらっしゃいました。
 その方がお土産に持ってきてくださったのが、このお酒。ご相伴させていただきました。
 犬猿の仲と言われる長州と会津。その長州のお米を、会津の酒蔵で醸した、まさに「大和(great harmony)」なお酒。東北の復興、そして150年の恩讐を超えた、未来へ向けての和解を願って構想されたこのお酒の味は格別でした。
 実に柔らかい。まさに和合ですね。さまに荒魂があったからこそ醸された和魂です。日本の素晴らしい文化と歴史を味わうことができました。
 ちょうどその前に、我が鳴沢村のおばあちゃんが作られた「とぶろく」を飲んでいたので、その味も加わり、富士山を中心とした、東と西、北と南の和合も実現いたしまして、それこそ今日にふさわしいウソのようなホントの空間が現出いたしました。
 山口県で作られているこのお米、無農薬にこだわっているために、なかなか出来具合が安定しないとのこと。そのため、今年はにごり酒になってしまったとか。それもまた、自然のリズムの一つなのでしょう。
 そう、私たち人間は最後は「祈る」しかないのですよ。そして、その結果はそのまま受け止め、自分が変化するきっかけにするしかないのです。荒魂と和魂。そこに生かされている私たち。今日はこのお酒を飲みながら、6時間にわたって、そんな話をさせていただきました。ありがとうございました。ごちそうさまでした。

「やまとのこころ」完成

にごり酒 やまとのこころ

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