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2017.01.08

武田邦彦 『歴史の本質』(現代のコペルニクス96)

 休ではありますが、学校は入試シーズンで大忙しです。春にお迎えする小学生、中学生、春に大学生になる高校生らのお世話ということで、本当に幅広い年齢層の皆さんと関われる楽しいシーズンでもあります。
 というわけで、今日もなんだかんだ忙しかったので、ちょっとたまった仕事をしながら観た…いや聴いた動画を紹介します(前半を飛ばして本編から)。
 いまや保守論壇を代表する放送局になったDHCシアター。大学翻訳センターと化粧品、サプリメントと保守の関係はいまいちよく分かりませんが、まあ地上波テレビとのバランスということでいえば、たとえばワイドショーに影響を受けやすい主婦層をデブログラムするにはいいのかもしれませんね。
 そのDHCシアターで、武田邦彦さんが科学者という立場から歴史を語っておられます。ワタクシは、このお話の中で「反日」に分類されている「学校の教師」というわけですが(笑)、学校のセンセイがみんなそうかというと決してそんなことはありませぬ。
 私立に限らず、公立の先生方、すなわち日教組に入っておられる方々も昔とはずいぶん違いますよ。つまり、ワタクシも含めて「あまり深く考えていない」というのがほとんど。
 何も考えてない人がほとんどなので、歴史についてもそんなに興味もなく、ましてや、ここで武田先生がおっしゃっているような「歴史観」を持つ人はほとんどいないでしょうね。
 私もどっぷり日教組的な教育に洗脳されてきた世代ですから、何も考えてない(ノンポリ)ということは、放っておくと結果として「反日」になっているということはありえますが。
 たまたま、私はここ富士山麓で宮下文書に出会い、出口王仁三郎に出会い、そして仲小路彰に出会ったので、いわゆる学校で習う「歴史」とやらに疑問を抱いたり、一般とは違った側面から歴史を見る訓練をさせてもらいましたので、武田さんの「歴史観」もよく分かります。
 反面、逆にここまではっきり割り切ってしまっていいのかという、ちょっと違った疑問も浮かんでくるわけですね。それこそ科学的に歴史を見るということは、様々な側面から客観的に見るということでしょうから、この保守派の歴史観もまた「一つの見方」すなわち「歴史観の一つ」ということになるでしょう。
 戦後の歴史観というのは、なんだかんだ言って、両極端の二方向から観たものしかなかったりします。ワタクシのような、アヤシイ地方史や、官憲に弾圧された側の歴史や霊界の歴史、さらには昭和の裏面史の生資料などを見ている人間の「歴史観」は、今までは「ないもの」とされてきたわけですよね。
 私は生きている内になんとか「ないもの」側からの逆襲をしてやりたいと思っているわけです。ほら、「反日」以上にアブナイ教師だなあ、という声が聞こえてきそうですな(笑)。いえいえ、日本を愛し、地球を愛するからこそですよ。

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