加瀬英明×馬渕睦夫『日本らしい国づくり』〜 日本の神道と世界の宗教
12月の生放送の時、大変感銘を受けましたこの番組が配信されまして、皆さんと共有できるようになりました。
私たちがほとんど無意識のうちに一体化している「かんながらのみち」を、このように分かりやすく解説してくださることは、大変貴重なことです。
個人的には、ワタクシの「モノ・コト論」を通じて一連の話を聴くのも面白かった。すなわち「コト」という論理、分析、言語よりも、「モノ」という不随意、自然、調和を上位に置いているのが、日本の神道であり、その象徴が天皇の存在であるわけです。
では、なぜ神様を「みこと」というのかというと、これは仏教とも関係してきます。「みこと」とは「美こと」あるいは「御こと」であって、本体はあくまで「こと」。いわば絶対的な真実です。
世の中には絶対的な真実は一つしかない、と悟ったのはお釈迦様です。では、その真実は何かというと、「絶対的なものはない」ということです。すなわち、「こと」という日本語はもともと絶対(孤立系)を表し、「もの」は相対(複雑系)を表した。
で、日本の「神」というのは、もともと「モノ」であったわけですね。それがたとえば、「物の怪」とか「物悲しい」とか「〜もん」という語尾を伴う表現につながったりしています。つまり、「なんとなく」「何か」というような、不随意な他者性ですね。そうした自己を超えたところにある存在のことを「モノ」と言ったわけです。
そうした「モノ」に対する敬意、畏怖というのが、日本の自然信仰の基本です。ちょうど、この番組でも紹介されている南洋の「マナ」とも通じますね。もちろん、言語的にも「モノ」と「マナ」は同源だと推測されます。
そうした、他者性というか、自己の補集合全体に自分が生かされているということだけは、絶対的な真理であるわけで、それが、お釈迦様のいう「絶対的なコトはない」という悟りとも同じであるということです。
この番組でも語られているように、一神教では、その「コト」を特定の「個」に設定してしまったため、対立や矛盾が生じてきたのでしょう。
そんなわけで、私たちのこうした「無意識」の強靭さ、深さですね、そう、いつも書いているように、無意識や忘却が最強なんですよ。大切な「モノ」は「コトあげ」せずに、無意識の古層に保存してしまう。これが日本の「国譲り」の作法です。「コトあげ」しないというのは、解釈しないということです。他者そのモノをそのまま伝えていく、いや伝えていくという意識化さえもいらない。これが最強日本です。
もちろん、そうした無意識保存にも時代的な危機があったりしますから、その時は伏流水が湧き出すように意識化される。今は、ちょっとそういう時期のようです。天皇陛下の譲位問題もそのうちの一つでしょう。
加瀬さんと馬渕さんにも、そういう意識化のお役目がおありのようですね。一度ゆっくりお話してみたいところです。
| 固定リンク
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 家康公遺言(岡崎城)(2025.04.18)
- 小林一三『清く、正しく、美しく』(風々齋文庫)(2025.04.11)
- 新幹線発祥の地「鴨宮」(2025.04.05)
- 鯖江の眼鏡(2025.03.27)
- 『映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件』伊藤彰彦 (講談社α文庫)(2025.03.26)
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 『だっこがしたい足くん』 そうた (Clover出版)(2025.04.29)
- 追悼 大宮エリーさん(2025.04.28)
- 国語便覧(第一学習社)(2025.04.25)
- 食と五感(2025.04.16)
- スプーン&フォーク曲げ(2025.04.15)
「歴史・宗教」カテゴリの記事
- 国語便覧(第一学習社)(2025.04.25)
- 近鉄特急(2025.04.20)
- 伊勢の外宮に思う(2025.04.19)
- 家康公遺言(岡崎城)(2025.04.18)
- 服部半蔵と大久保長安(2025.04.13)
「モノ・コト論」カテゴリの記事
- 地震と大相撲(2025.03.30)
- ハイデガーVS道元…哲学と仏教の交差するところに、はじめて立ち現れてきた「真理」とは?(2024.06.03)
- 文字を持たない選択をした縄文人(2024.02.14)
- スコット・ロスのレッスン(2024.01.12)
- AIは「愛」か(2024.01.11)
コメント