「自由」と「不自由」
今日は我が富士学苑中学の推薦入試でありました。いつものとおり(創立以来)、国語の問題は私が文章を書かせていただいております。それを公開するのもまた恒例です。今年もここにその本文を掲載させていただきます。
昨日までのシリーズにつながるかもしれませんね。誰が何が「正しい」のか。そんな疑問も含めて、今年は「自由」というタイトルで書かせていただきました。
ちなみに問いの最後、作文のタイトルは…「自由の国」ではやってはいけないことは何もありません。自分や他人や世界に対して何をしてもかまいません。その「自由の国」に一日だけ行くことになったとしたら、あなたは何をしますか。なるべく具体的に三百字で作文しなさい…でした。
受験生の小学生たち、それぞれなかなか面白い答えを書いてくれました。入試問題を通じて、しっかり対話ができたような気がして感激いたしました。
正常か異常か。自由は不自由。不自由の中の自由。画一化の中に溢れ出る「個性」。生きる力ではなく死なない力。そうした一見矛盾するような価値観の中に、教育の本質があると思っています。
ではどうぞ(当然実際の問題では、空欄や傍線、ルビなどがあります)。
「自由」
「本当の自由とは、なんだ?」
先月行われた、富士学苑中学校の文化祭である「葵江祭」。その中で二年生が発表した演劇「夢屋」の冒頭にあったセリフです。
みなさんは「自由」とはなんだと思いますか?
なんとなく分かっていても、いざ説明しようとすると難しいですよね。今日はこの「自由」ということばについて考えてみましょう。
「夢屋」という演劇の内容を、ものすごく簡単に書きますと次のようになります。
受験勉強や校則など、中学生としてのきゅうくつな生活から逃れたいと思っているユウコは、ある日、夢をかなえてくれる「夢屋」に出会って、「自由の国」に行くことになる。しかし、実際夢がかなって「自由の国」に行ってみると、そこは住みやすい所ではなかった。食べるものも着るものも、その日にすることも、全部自分で決めなければならないからだ。そして、結局ユウコも自分から進んで「不自由の国」、つまり現実に帰ってくることになる。
さあ、みなさん、あなたが「自由の国」に行ったとしたらどう感じるでしょうか。あなたに対して、ああしなさい、こうしなさい、あれはしちゃだめ、これはしちゃだめという人はだれもいません。
もしかすると最初のうちは「ああ、せいせいした」と感じて楽しいかもしれませんね。しかし、そういう日々が続いたとしたらどうでしょうか。
みなさんも、夏休みなどの長い休みで、なんとなくヒマを持て余したり、早く学校に行きたいなあと思ったことはないでしょうか。
人はいざ自由になると、いろいろ不便に感じたり、不安に思ったりするようです。
たとえば、今日のこの試験で、なんの文章も与えられず(つまり今あなたが読んでいるこの文章がなく)、ただ真っ白な紙が配られて、「なんでも自由に書きなさい」という問題が出たとしたらどうでしょう。さっと答えられますか。原稿用紙のマス目もないのですよ。正直困りますよね。
「問一〜しなさい。問二〜しなさい。… 問六〜について三百字以内で書きなさい。」というふうに、命令された方がずっと答えやすい。そうですよね。
古い中国語では、「自由」という言葉は「自分勝手」「わがまま」というような悪い意味で使われていました。それが日本に入ってきたので、古い日本語でもあまりいい意味には使われてきませんでした。
明治時代になって、それが英語の「フリー」などの訳語として採用されて、「〜からの解放」という意味、すなわち「縛られないで思い通りにできること」というような良いイメージで使われるようになりました。
ただどうでしょう、先ほどの「真っ白な紙」のように、本当になんの縛りもないということは、実はあまり良いことではないのかもしれませんね。なにしろ全部自分で決めなければならないのですから。その証拠に、ユウコにとっての「自由の国」は「悪夢」となってしまったではないですか。
中学生になったら、みなさんは「不自由が増えたなあ」と感じると思います。勉強も忙しくなりますし、クラブ活動でも縛られます。制服も着なくてはいけませんし、髪型も厳しく決められます。もしかすると、富士学苑中学は公立中学に比べて「不自由」なことが多いかもしれません。
しかし、それは決してマイナスなことではないということを覚えておいてください。
いろいろな決まりや縛りというのは、昔の人たちが「こうしておいて良かった」という知恵です。人生の先輩《ぱい》たちがみんな通ってきた「不自由」、時代が変わってもなくならない「不自由」には、ちゃんと意味があるのです。実は「不自由」は皆さんを守ってくれたり、導いてくれたりするものなのです。
演劇の中で、夢屋はこう言いました。
「自由とは、与えられるものではなく、自分で選ぶものなんだ」
だれからの命令も受けず、アドバイスも受けないで、自分だけの力で全てを選ぶことは不可能です。それができるようになるには、大変な勉強や訓練や我慢《がまん》が必要でしょう。つまり、「本当の自由」を得るためには、勉強や訓練や我慢という「不自由」を通らなければならないのですね。
富士学苑の母体になっているのは月江寺というお寺です。月江寺の住職になるには、大変な修行をしなくてはなりません。朝三時に起きてから夜寝《ね》るまで、やらなければならないこと、やってはいけないことが全部決まっています。たとえばずっと動かないで座っていたり、難しいお経を唱えたり、ゴミがないのに掃除をしたり、食べたいものが食べられなかったり、しゃべってはいけなかったり、なんの意味があるの? という「不自由」のオンパレードです。それを毎日、何年間もやるのですから大変です。
その修行の内容はなんと何百年も前から変わっていません。そう、その変わらないたくさんの「不自由」は、最終的に自分自身を「自由自在」にコントロールできるようになるための知恵なのです。
富士学苑中学校では、その修行を一晩だけ体験する行事もあります。どうですか? ちょっと体験してみたくなってきたのではないでしょうか。
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