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2017.01.31

力強い選手を育てる 富士学苑女子柔道部の最新トレーニング(DVD)

 日紹介した柔道Jr世界一 『舟久保遥香』も実演参加している本校女子柔道部のDVDが、今日は発売になりました。
 さっそく観てみましたが、これは柔道関係者のみならず、他の格闘技の選手、特にグラップラーにはたまらない内容ですね。
 内部の者としても、なかなか生でその練習風景を見ることや、矢嵜監督の指導に触れることはないので、かなり新鮮な感動を受けました。選手たちにも、普段は「生徒」として接することが多いので、純粋に「カッコイイ」「頑張ってるな」と思いました。
 最新トレーニングとありますが、実際の矢嵜監督の指導は、案外古風な哲学に則った部分もあるんですよね。昔の偉人たちの稽古を彷彿とさせる、ある種の精神性を鍛える練習。そうしたバランス感覚があるのです。他の格闘技の研究も熱心ですし、本当の意味での自由な発想、型を大切にするが、そこにはまらない考え方ができるのでしょう。素晴らしいことだと思います。
 それにしても、秘密兵器?「舟久保固め」(変形腹包み)をあんなにオープンにしてしまっていいのでしょうか(笑)。まあ、実際にはどんどん進化しているのでしょうね。研究されることによって技は更に磨かれていきますから。
 本校では、女子バスケットボール部も全国レベルなので、同様のDVDが制作されました。いずれにしても、やはり指導者の信念、そして工夫、研鑽があって、子どもたちはその可能性を開花させるのだなと、同業者として身の引き締まる思いがいたしました(自分はつくづくダメ教師だなあと…)。

ティアンドエイチHP

Amazon 力強い選手を育てる 富士学苑女子柔道部の最新トレーニング(DVD)
 
 

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2017.01.30

「コク」の語源

Th_photo_main ッポロビールから「コクと香り」を向上させた「麦とホップ」が発売されるとのニュースがありました。
 また、同じサッポロビールですが、コンビニとのコラボで季節限定「至福のコク」を発売中ですね。
 こういう時の「コク」ってなんなんでしょうか。たしかにあるけれども、説明するのは難しいですね。
 コクとキレなんていう表現もよくあります。昨日の「獺祭」なんか、どちらかというと「キレ」というイメージです。こうした微妙な味覚は日本人独特とも言えます。決して科学的には証明できない「うまみ」の一つ。
 さて、そんな「コク」の正体とは別に、その「コク」という言葉自体について考えてみましょう。
 実際、私たちは「コク」というようにカタカナで書きますが、これって外来語なんでしょうか。
 いちおう言葉の専門家のはしくれとして調べてみましたところ、ふむ、諸説なるんですね。和語の「濃し」から「濃く」となったという俗説も、なんとなくありえそうですが、形容詞の連用形が名詞化するというのは「多くの人」「近くの家」とか言う時の「多く」「近く」など少数しかなく、特に単独で主語として立つのは「多くが賛成した」の「多く」くらいしかありません(「詳しくはお会いした時に」とか「正しくは〜だ」とか「細かくは知らない」などについては別に説明が必要なので割愛)。
 同じ味覚の形容詞が名詞化した例としては、「酸し」の終止形が名詞化した「すし(寿司)」、「辛し」の名詞化した「からし(辛子)」などがありますが、「濃し」が「こく」になるのはちょっと無理があるような気がします。
 そうしますと、もうひとつの可能性として挙げられている、中国語の「酷」がそのまま日本語化したという説の方が有力のような気がしてきます。
 えっ?「酷」?と思われると思いますが、もともと「酷」という漢字は「むごい」という意味ではなく、酒偏であるのことからも分かるとおり、「お酒が発酵する」「穀物が熟す」という意味があるんですよね。
 まさにお酒の発酵が進んで味に深みが増しているイメージです。そうすると、ビールの「コク」というのは、まさに麦とホップの発酵、熟成の度合いが高いということを意味するわけで、なんとなく納得できます。
 しかし、「酷と切れ」「至福の酷」ですと、なんだかとってもアブナイことになってしまうので(笑)、「コクとキレ」「至福のコク」と書くようになったと。
 まあ、「酷」という漢字も「酷似する」なんていうときは、そんなに悪いイメージではありませんね。
 それにしても、考えてみると、「酷」と「切れ」というのは、どちらかというと正反対の概念で、なんか両立しないような気もしてきます。
 それを両立するからすごいのかもしれませんが。味わい深いけれど、さっぱりもしているということでしょうか。うむ、日本の飲食文化は本当に深いですね。まさに「酷」な状況なのでしょう。

日本屈指の職人が語る「コク」とは?公開中!

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2017.01.29

「獺祭」の挑戦

Th__20170130_124829 夜は新宿住友ビルで尊敬する人生の先輩方とお酒を酌み交わしました。お料理も含めておいしかったなあ。
 私はもっぱら日本酒をいただきました。後半は「獺祭」。やっぱり飲みやすいし飽きが来ない。いいお酒ですよ。
 究極まで磨いた純米吟醸「二割三分」で大ブレイクした旭酒造さんの獺祭。今ではおいしい日本酒の代名詞となって、本当にいつでもどこでも飲めるようになりました。
 ちなみに二割三分、私は一度飲んだことがあります。というのは、これぞ完璧な「おこぼれ」なんですが、安倍昭恵さんがウチに遊びにいらした時、総理主催の某祝宴で余った二割三分をお土産に持ってきてくれたんです!
 一般庶民の代表格のようなワタクシには縁がないと思っていた憧れのお酒をいただき、ついつい我慢できず、その場で飲み始めてしまったワタクシでありました(笑)。
 もちろんそのおいしさは格別でありましたが、最近チェーン店でも出てくる「普通の」獺祭も充分においしいと思います。
 実は昨日、こういう記事が配信されました。

巨大なビルで大量生産…日本の名酒『獺祭』がちょっと変だぞ!?日本酒好きのあいだでは賛否両論

 たしかに旧来の伝統的な酒蔵のイメージも大切だと思いますが、そこを突破して安定した高得点を大量に叩き出している現在の旭酒造さんも立派だと思いますよ。一般庶民、特に若い女性や、あるいは世界中の皆さんに日本酒のおいしさ、スマートさを広めた功績、さらには昨日の私のいた場もそうでしたが、獺祭によってお食事もおいしくなり、話もはずみ、それが地球平和につながる…いや、大げさでなく、お酒にはそういう効果がありますからね。素晴らしいことじゃないですか。
 最終的に機械やAIに仕事を任せるにしても、そこにはそれを設計する「人」の智恵と経験と技術が詰め込まれているのです。実は現代的なシステムの中にこそ、そうした職人的な魂がこもったりするものです。
 そういう意味では、これからの社会の構築に際して、日本人の果たす役割というのは大きくなると思っています。
 私は「獺祭」の挑戦を応援したいと思います。

Amazon 獺祭【木箱入り】磨き二割三分 純米大吟醸 720ml

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2017.01.28

suaoki 『大容量ポータブル電源(リチウムイオン)』

Th_61z9vapvrtl_sl1024_ 日の記事で、「本気のMade in China」の小物を紹介しましたが、今日は少し大物。
 これが本当に素晴らしいんですよ。日本メーカーも負けちゃうんじゃないかという様々なこだわり。そしてやはり安い。
 5年ほど前に「2万円台で車載非常用ソーラー電源システムを構築する」という記事で紹介した、我が家(我が車)の電源システム。さすがにバッテリーがへたってしまってほとんど使い物にならなくなってしまいました。そこで安価な大容量リチウムイオンバッテリーを探していところ、評価の高いものを見つけたのでさっそく買ってみました(昨年秋)。
 今日も東京で車中泊なんですが、こいつがあれば電気毛布でぬくぬく眠ることができます(今日は暖かいので必要なしですが)。
 なにしろ本気度がすごいですよ。カタログ(広告)やレビューをご覧になれば分かるとおりです。機能的にもぬかりなくデザインや質感もGOOD。
 製品検査証や詳細な説明書(日本語あり)、付属品、梱包(かなり大仰)、保証など、本当に中国メーカー?(失礼)というほどしっかりした印象です。
 性能も今のところスペックどおりという印象。車のソーラーパネルとも直結して充電できました。
 USB4口、DC12V、そして100VのAC出力(普通のコンセント)もありますから、災害時の非常用電源としても完璧ですし、車のバッテリー上がりの際のジャンプスターターとしてもそのまま使える。
 非常に小さく軽くて持ち運びしやすいので、我が家のような旅芸人(歌謡曲バンド)としては、野外ライヴ用電源としても充分使えます。
 一つ悪いところを書くとすると、充電用のACアダプターが大きいことと熱を持つこと。そして、そのプラグを刺すとバチン!と軽く火花が飛ぶことです。ま、常にソーラーでフル充電状態ですのでACアダプターは使いませんが。
 あとはどのくらい持つかということですね。消耗品であるということは分かっていますが、安いといってもそれなりのお金を払っていますので。
 とりあえず非常用電源を探している方にはおススメですね。一家に一台あると安心です。

Amazon suaoki ポータブル電源 大容量120000mAh / 400Wh

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2017.01.27

Roiciel 2重編込の高耐久ナイロン素材 ライトニングUSBケーブル

Th_714vtgfs69l_sl1500__2 ょっと忙しいので軽めなモノの紹介。
 ウチもみんなiPhone使いですので、しょっちゅう充電ケーブルの取り合いが起きます。
 家の中でも、そして車の中でも。そんなわけで、純正ケーブルだけだと足りないし、皆さんも経験あると思いますが、あの純正ケーブル、けっこう傷むのが早いんですよね。特に子どもたちは扱いが荒くて、すぐにダメにしてしまう。
 そんなわけで、丈夫で長持ちし、なおかつなるべくダメージが少ないように長めに2mのものをと思って購入したのがこちら。4本まとめて買いました。
 ずいぶん前から使っていますが、とにかく丈夫です。特に壊れやすいプラグの根元の作りが非常に丈夫なので、子どもたちが多少手荒く抜き差ししても全然大丈夫です。
 おかげで見てる方としてもストレスが減りました(笑)。まあ、たまに純正も同じように扱ってしまうので、問題と言えば問題なのですが。
 それにしても、最近の子どもたちって、本当に物の扱いが雑ですよね。おそらくは大切に使おうという意識がないのでしょう。壊れたら買えばいい。壊れた物は捨てればいい。そういう社会を大人の私たちが作ってしまったわけですが。
 逆に、実際壊れやすい物(特に中華製)が氾濫しているというのもありますね。今日も隣の席の技術の先生と話したんですが、まあ最近の製品の作りはひどい。今日は生徒が「壊れました」といって持ってきたホウキを見てビックリ。なにしろ一番負荷のかかる結合部分がホッチキス二つを打ち込んである(それも曲げてない)だけですから。
 これじゃあ、「壊した」という意識にはなりませんね。ひどすぎます。安ければいいという、資本主義市場経済の成れの果てですな。
 しかし、先日紹介したイヤホンもそうでしたが、最近は中国のメーカーさんでも、欧米や日本で本気で評価されようという気持ちで勝負しているところがあります。ここのところいくつかそういう物に出会っています。このケーブルもMade in Chinaでしょうけれど、立派な作りだと思います。
 注文の際、いろいろ種類を選べるのでお間違えのないように。それにしても安いなあ。

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2017.01.26

加瀬英明×馬渕睦夫『日本らしい国づくり』〜 日本の神道と世界の宗教

 12月の生放送の時、大変感銘を受けましたこの番組が配信されまして、皆さんと共有できるようになりました。
 私たちがほとんど無意識のうちに一体化している「かんながらのみち」を、このように分かりやすく解説してくださることは、大変貴重なことです。
 個人的には、ワタクシの「モノ・コト論」を通じて一連の話を聴くのも面白かった。すなわち「コト」という論理、分析、言語よりも、「モノ」という不随意、自然、調和を上位に置いているのが、日本の神道であり、その象徴が天皇の存在であるわけです。
 では、なぜ神様を「みこと」というのかというと、これは仏教とも関係してきます。「みこと」とは「美こと」あるいは「御こと」であって、本体はあくまで「こと」。いわば絶対的な真実です。
 世の中には絶対的な真実は一つしかない、と悟ったのはお釈迦様です。では、その真実は何かというと、「絶対的なものはない」ということです。すなわち、「こと」という日本語はもともと絶対(孤立系)を表し、「もの」は相対(複雑系)を表した。
 で、日本の「神」というのは、もともと「モノ」であったわけですね。それがたとえば、「物の怪」とか「物悲しい」とか「〜もん」という語尾を伴う表現につながったりしています。つまり、「なんとなく」「何か」というような、不随意な他者性ですね。そうした自己を超えたところにある存在のことを「モノ」と言ったわけです。
 そうした「モノ」に対する敬意、畏怖というのが、日本の自然信仰の基本です。ちょうど、この番組でも紹介されている南洋の「マナ」とも通じますね。もちろん、言語的にも「モノ」と「マナ」は同源だと推測されます。
 そうした、他者性というか、自己の補集合全体に自分が生かされているということだけは、絶対的な真理であるわけで、それが、お釈迦様のいう「絶対的なコトはない」という悟りとも同じであるということです。
 この番組でも語られているように、一神教では、その「コト」を特定の「個」に設定してしまったため、対立や矛盾が生じてきたのでしょう。
 そんなわけで、私たちのこうした「無意識」の強靭さ、深さですね、そう、いつも書いているように、無意識や忘却が最強なんですよ。大切な「モノ」は「コトあげ」せずに、無意識の古層に保存してしまう。これが日本の「国譲り」の作法です。「コトあげ」しないというのは、解釈しないということです。他者そのモノをそのまま伝えていく、いや伝えていくという意識化さえもいらない。これが最強日本です。
 もちろん、そうした無意識保存にも時代的な危機があったりしますから、その時は伏流水が湧き出すように意識化される。今は、ちょっとそういう時期のようです。天皇陛下の譲位問題もそのうちの一つでしょう。
 加瀬さんと馬渕さんにも、そういう意識化のお役目がおありのようですね。一度ゆっくりお話してみたいところです。

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2017.01.25

告知! 2/4・5のコンサート(横浜・東京)

※おかげさまで4日の横浜コンサートは満席となりました(残念ながら当日券もございません)。

 日は、私も参加させていただく来週末のコンサートの告知をいたします。
 4日は横浜にてアンサンブル山手バロッコの演奏会。今回はオルガンをフィーチャーしてバッハとモーツァルトを演奏いたします。
 5日は東京保谷にてザロモン室内管弦楽団の定期演奏会。テレマン、ハイドン、ケルビーニなどを演奏いたします。
 長年お世話になっております皆さま方と楽しく演奏させていただきます。よろしかったら足をお運びください。

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アンサンブル山手バロッコHP


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ザロモン室内管弦楽団HP

 今回私は、4日にはヴァイオリンパートを5弦ヴィオラで、5日にはヴィオラパートを5弦ヴァイオリンで演奏するという、変則というか倒錯というか、いかにもワタクシらしい(?)形で…いや、単に所有楽器のコンディション等の都合であります…参加させていただきます。

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2017.01.24

VJJB 木製カナル型イヤホン(高音質&格安)

Th_517tpcvl3dl_sl1000_ 自身はあまりイヤホンやヘッドホンで音楽を聴くことがないんですが、娘たちは日常的にiPhoneとイヤホンで音楽を聴き続けています。時代ですね。
 私自身も、人並みにオーディオマニアだった若い頃はいろいろとこだわって、スピーカーやらアンプやらを自作したりしてましたが、今ではすっかりいい加減になってしまいました(笑)。
 まあ、やっぱり生じゃないことには違わないので、再生というフィクションにこだわっても仕方ないかなという、ある種の悟りもあると思います。
 いやいや、オーディオによる再生音もそれはそれでリアルなライヴであるというのも分かりますが、なんでしょうねえ、そうそう、以前こちらに書いたとおり、「なんで超シンプルな丸い紙のスピーカーが、複雑を極める各種名器の音やオーケストラの音を全部、それも同時に再生できるのか」的な疑問につきあたった瞬間、なにか恐怖、畏怖に近いモノを感じて思考停止に陥ってしまったというのもありますかね(笑)。
 そんなわけで、最近はあまりこだわりなく「再生音」に触れてきたのであります。ま、安くてもそれなりならいいや的な。
 でも、考えてみると、そうした「それなり」思考もまた、オーディオマニア的な時代に培われたのかな。自作のスピーカーや改造したラジカセの音が一番いいと勝手に思い込むという体験がありますからね。思い込みで音に関する感覚、評価は大きく変わる。
 まあそれはいいとしてですね、最近、ベーシストである上の娘が、どうもiPhoneの純正イヤホンや、ウチにころがっている安物イヤホンだと、ベースが聞こえないと騒いでいたので、じゃあ、ちょっとまともな(?)モノを買ってみようかということで、こちらの中華製を買ってみたんです。
 そうしたら、本当にお世辞抜きでけっこういい音がするじゃないですか。全体のバランスも良いし、低音の分離もよろしい。デザインも箱なんかも含めてGOOD。中国なめたらあかんなと。
 耐久性にはちょっと不安はあるものの、まあ値段以上の音がすることは確かです。娘はリモコン・マイクつきのものを買いましたが、私はそれらはいらないので、他のブランドの似たような(同じ)モノを買ってみました。
 で、こちらも音は文句なし。ちゃんとエージングしてみましたところ、たしかに全体の音質感が上がったような(気のせいかも)。いや、そういうふうに、なんか懐かしいとも言える「エージング」をしてくださいなんて言うところがまた、そういう「気分」「思い込み」を醸成してくれていいじゃないですか(笑)。
 すっかり気に入りました。最初安っぽいかなと思ったコート(ケーブル)も、その独特の質感のおかげで絡みにくく好感を持ちました。
 ちなみにこちら、今キャンペーンで20%引きですので、実際には2,240円で買うことができますよ。2つ買うと5%引きと書いてありますが、1つだと2割引きという、謎のキャンペーン(笑)。お得ですぞ。無駄にたくさんイヤーピースついてきますし。

Amazon VJJB 木製カナル型イヤホン

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2017.01.23

追悼 松方弘樹さん

Th__20170124_111632 た、昭和の名優があちらの世界に行ってしまいました。残念です。まだお若かったのに。
 松方さんと言えば、私の世代にとっては「仁義なき戦い」ではなく、「たけしの元気が出るテレビ」です。それがリアル体験。
 もちろん、大人になってから「仁義なき戦い」などの任侠映画における本来の松方さんに触れてもいるわけですが、やはりリアルタイム経験のイメージは強く、最初のうちはなかなかその世界に入っていけませんでした(苦笑)。
 そこであえて今日は、少し地味だけれども私にとっては実に松方さんらしい役柄を紹介します(ほとんど私の趣味です)。
 それは、こちらで紹介した映画「226」での伊集院兼信役です。
 伊集院兼信は青年将校安藤輝三の上司。事件後立てこもった蹶起隊に対し、原隊に戻るよう説得した人です。それを安藤が断るシーンは、この映画というか、この事件自体のクライマックスの一つと言っていいと思います。
Th__20170124_111759 この映画での松方さんは、いかにも彼らしい重厚感で安藤(三浦友和)に語りかけます。そして、去り際の沈黙。背中で語るところは、さすがだと思います。
 ほとんど任侠映画ですね。というか、二・二六事件自体、任侠ですが。
Th__20170124_121639 この映画には、先日亡くなった根津甚八さんも、河野司さん役で登場しているんですよね。ちょうど上掲の安藤と伊集院が対峙するシーンのすぐあと、けがをして入院した河野寿(本木雅弘)が、河野司さんが差し入れた(そしてそれで自害する)果物ナイフでリンゴをむくシーンが挿入されています。これもまた沈黙の演技ですね。
 こうして日本映画において沈黙で語れる役者さんたちが、どんどん亡くなってしまうことが残念でなりません。
 ご冥福をお祈りします。

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2017.01.22

『教養としての「昭和史」集中講義』 井上寿一 (SB新書)

教科書では語られていない現代への教訓
Th_71w8lg7nrl 当の生きた歴史を学びたいと思いつつ、データ的な知識つめこみに対する反動からか、偽史(古史古伝)や出口王仁三郎の物語、さらには陰謀論などに逃避する傾向があった私が、ここ数年でまたある種の「トンデモ」に出会ってしまい、ではますます迷走するのかと思いきや、いろいろな事情からやっと王道、正道に戻りつつあります。
 その、私にとっての最新「トンデモ」は、昨日の記事でも紹介した仲小路彰です。
 昨年、日本近現代史の重鎮伊藤隆先生にお会いして仲小路について意見交換をした時、先生は「アブナイ」と言いました。たしかに、仲小路はいろいろな意味で危ないかもしれません。
 一つには、その遺した情報の内容が実際「トンデモ」であること、そして、その内容が「トンデモ」で片付けられないような「事実」をも内包しているからです。
 前述のように「トンデモ」には全く抵抗がない(免疫がある)、私でもけっこうドン引きするような発見が相次いでいるわけですから、その道の大家としては、今さら火中の栗を拾う必要はないと判断するのかもしれません。分かります。
 私は専門家でも大家でもないので、それなりに仲小路的世界に向き合っていく覚悟ですけれども、やはり王道、正道を知らなければ、その正しい評価さえできません。
 そういう意味で、最近はそうした王道、正道の、それも最新の研究成果をよく勉強するようにしているわけです。
 とは言え、そうしたものはお堅い論文がほとんどでなかなか読む機会がありません。かと言って、本屋に積まれている「日本史ブーム本」の数々は、それこそトンデモな陰謀論か、数十年前の常識の反芻、あるいはある種のイデオロギーを補強するために恣意的に選択され編集された物語であったりして、あまり参考にならないどころか、百害あって一利なしとも言えるアブナイ水域です。
 そんな中、学習院大学学長井上寿一先生のこの本は大変素晴らしいと感じました。最新の研究成果、それも単一の視点ではなく、複数の視点を導入し、また、現代の社会状況とのアナロジーを重視して語ってくれているのです。特に、現代との比較によって、私たちシロウトは深い興味と理解を促されます。たとえば、アベノミクス、トランプ現象、シン・ゴジラ、安保法案、憲法改正問題、なんでも反対野党(笑)などなど。
 この本の冒頭にある井上さんの言葉を引用します。

 歴史とはいわば過去のデータベースですから、それを参照していまの文脈に当てはめてみる。そういうふうに考えれば歴史は無味乾燥なものではなくなります。
 言い方を変えると、今日的な関心がなければ、過去にさかのぼる必要はない。歴史を学ぶ意味はないとさえ私自身は思っています。

 そうした多様性、重層性、また反復性そこが「歴史の生命」ですよね。お恥ずかしい話ですが、この本によって、ようやく歴史学習の面白さを知りました(マジです)。
 特に戦前、戦中、戦後史という、学校ではすっ飛ばしがちなところ、またある種の情報操作によって、近いはずなのに妙に遠かった「近過去」が生き生きと感じられるようになりました。ありがたや。
 もちろんこの本は「シロウト」「一般人」向けですから、情報としては表面的かもしれません。しかし、私のように、この本を入り口として、自分につながる生きた近過去の歴史に興味を持ち、自らすすんで学習し、調査する人が増えるといいと思います。
 学者さんのお役目の一つがこういうことなのでしょうね。結果として、在野も含めて、歴史研究が進み、本当の意味での「戦後レジームからの脱却」「先の戦争の総括」に歩を進めることができるのでしょう。まさに啓蒙の書だと感じました。
 王道、正道知ることによって、ますます「トンデモ」世界に興味が沸いたというのも事実です。その内容が誇大妄想であれ、実際にそれによって多くの人々が動いてしまったのは間違いのない事実ですから。私はそっちの担当が向いているようですし。

Amazon 教養としての「昭和史」集中講義

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2017.01.21

【討論】皇室・皇統を考える…仲小路彰の天皇譲位論

 〜む、思わず真剣に聴き入ってしまった(のちに動画でもう一回視聴してしまった)。本当はトランプさんの大統領就任に関して書こうかと思っていたのですが、急遽変更します。
 すごい討論であったと思います。何がすごいのか。それぞれの皆さんの話の内容は想定内でありましたが、総体として、やはり天皇陛下の「お言葉」のすごさを再確認したということであります。冒頭のお言葉(玉ビデオ)をもう一度じっくり受けとめてみましょう。
 まさに「象徴天皇」ですよ。国民の統合ではなく、国民の分裂の象徴(さらには皇室の分裂の象徴)。だからこそ、このタイミングで「お言葉」を発して、私たちに気づきを与えようとされたのだと思います。
 たしかに「個人として」とか「象徴天皇」とか「国民の理解を」とかおっしゃったのを、表面的にとらえれば、それこそ保守の皆さんが天皇批判をし自己矛盾に陥ってしまうだけです。
 たとえばそうした「公」と「私」のみならず、「右」と「左」、「保守」と「革新」、「改憲」と「護憲」、「ナショナリズム」と「グローバリズム」などという戦後日本の二項対立的な矛盾を、ほとんど全て含んだ問題提起であったわけです。
 今回の討論で飛び出した知られざる情報に驚くだけでもいいのですが、そうではなくて、やはり陛下がここまでなさったことの霊的、未来的意味について「心をいたす」ことこそ大切なのではないでしょうか。
 ちなみに私は、天皇がテレビに出ることは悪いことではないと思います。かの玉音放送の時も「ラジオで肉声なんて」という危惧がありました。
 まあ、どこかの大統領のようにツイッター天皇になる時が来るとは思われませんが(そうなったらそれはそれですごい?)、やはり言葉を超えたところでの神と人との紐帯の存在をこそ感じるべきであります。お言葉、玉音、玉影(?)があるからこそ、その奥底の本質に達することができるというのも歴史的な事実ですし。
 「生前退位」というニュースが流れた日、私はこのように書きました。まあ、非常に浅い見識ですね(苦笑)。しかし、その後、陛下のお言葉によって、ずいぶんと考えが深められましたし、実際勉強させていただきました。
 そして、天皇について考えることは、結局「自分」について考えることになるのでした。
 さて、「象徴天皇」というお言葉について、ずいぶんと批判的な意見が出ていましたが、私はこのタイミングで、仲小路彰の「象徴天皇論」に出会うことができました。たいへん幸運なことです。
 それを近いうちに紹介したいと思います。人類史上最高の天才が、天皇と象徴ということに関して、どのような高次元な思想を持っていたか、ぜひ皆さんにも知っていただきたいと思います。
 ちなみに、仲小路彰は終戦後すぐに、昭和天皇の退位を画策し「大詔」案まで作成しています(新発見文書の一つです)。当時、昭和天皇退位論があったことは知っていましたが、こうして仲小路彰が裏で動いていたとは知りませんでした。たしかに、幼少の天皇(今上陛下)が即位した際には、仲小路がブレーンを務めていた高松宮さまが摂政になるという話がありましたね。昭和の裏面史です。
 では、その新発見文書を紹介しましょう。驚きの内容です。ガリ版の「厳秘」文書ですが、活字化してみます。

  御退位の大詔の主内容

一、世界の大勢と世界史的必然としての大戦の本質的闡明
一、今日の一切の武装の解除こそ、新しき平和世界の率先垂範として、世界文化、人類の福祉に大なる貢献をなすべき神機なること
一、億兆を安撫し、万国万民をして各々その所を得さしむる肇国の理想の新しき顕現の達成と天壌無窮の宝祚の真の正しき展開の宣示
一、次に建設すべき地球一体化の平和世界の共存共栄の世界的理念と、その実現のための国土建設の方向の明示
一、この世界的変革の十全なる実現のために、一切の陋習、国襲を排し、億兆を救済すべく、御親ら大戦の真の神意のままに、御退位遊ばされ、新しき御代の発展を祈念し給ふ
一、御幼少の天皇を奉じ、大悲大愛の大御稜威の世界的光被をなすべく、真の忍従と創造の計画、実現を総力あけて実施すべきこと、即ち一君万民の真の国体の護持をなすべきことの明示
一、これこそ皇祖皇宗の神璽に酬ふべき唯一の大道にして、全世界の真に生くべき世界平和の永遠的確立、人類文化の真の福祉と進運に寄与する所以なること


 

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2017.01.20

オバマ大統領 シッティング with ベンチ・等身大フィギュア

Th_41bvwhurf0l 本時間の明日、トランプさんが大統領に就任します。
 まじめな話、それによって世界が大きく動き始めると思いますが、その話はトランプさんの就任後にすることとしまて、今日はオバマさんについて。
 オバマさんの大統領としての業績については、もちろん賛否両論あります。私が改めて言うまでもなく、その賛否は表裏であって、どんなリーダーも必ずその両面の評価を担わなければなりません。
 というわけで、今日はそんな堅い話ではなく、全く違った次元(?)からのオバマさんの評価です。
 皆さん、こちらをご覧ください。オバマ大統領の等身大フィギュアつきベンチです(笑)。
 そのレビュー(評価)を読んでいただきたいのです。これぞ、別次元からのオバマ評(笑)。
 今日はただそれだけです。ふざけるな!と言われそうですが、まじめな賛美や批判をされるより、「まあ、ごくろうさまでした」という感じで緩くお別れの挨拶をしましょうかということです。
 しっかし、時々あるこうしたアマゾンの面白レビュー合戦(ほとんど大喜利)は読んでいて楽しいですね。そういえば去年の今頃2900万円の腕時計のレビューを紹介しましたっけ。
 上記オバマのページにある「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」もぜひご覧ください。
 ちなみにオバマ・ベンチは売り切れということです。次はトランプさんの何かが発売され、優れたレビューが投稿されることでしょう。私も書き込んでみようかな(笑)。

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2017.01.19

セレロールス 『レクイエム』

Joan Cererols - Requiem

 日は出口王仁三郎の命日。1948年昇天ですから、そうか、来年没後70年なんですね。という記事に出口なお没後100年と書きましたけれども、王仁三郎にとっても節目の年なんですね。ますます2018年(平成30年)の重要性が高まりました。
 というわけで、王仁三郎のために一つ鎮魂曲(レクイエム)を鑑賞いたしましょう。スペインの作曲家セレロールスの名品です。
 セレロールスのレクイエムと言うと、かつてはこちらの明るく美しい旋律のものが知られていましたけれども、どうもその後その曲の録音や演奏がないところを見ると、どうもセレロールスの作品であるのか確かではないということになったのかもしれません。
 あの曲は私も大好きで、レコードをすり減るまで聴きましたけれど(高校生の時?)。皆川達夫さんのバロック名盤100選みたいな本で紹介されていたんですよね。
 で、最近YouTubeに別の「レクイエム」がアップされていて、それがまた実に美しい曲だったので紹介します。日本人はほとんど知らないだろうなあ、この曲。
 セレロールスについては5年前にセレロールスのビリャンシーコという記事を書き、少し詳しく紹介していますのでご覧ください。
 そこにも書いたとおり、スペイン(特にカタルーニャ)の音楽というのは、不思議と日本人の心にしみるのですよね。
 全てを包み込む王仁三郎のことですから、天国でこの曲を聴いて満足してくれるものと思います。

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2017.01.18

おしどりミルクケーキ

07031022_5595e3c56f7ae が友だちから誕生日プレゼントとしてもらってきてあったのを勝手にいただきました(笑)。
 私好きなんですよ、昔から。
 今では無印でも売っているミルクケーキですが、やっぱり元祖おしどりがいいですね。おしどりミルクケーキは日本製乳という山形県の会社の製品。おしどりは山形県の県鳥です。
 なんでも1919年(大正8年)に誕生した商品ということで、再来年には100歳ということになるんですね。たしかになんともノスタルジックな味わい、そして姿形、硬さ。
 日本製乳は日本で初めて粉ミルクを開発したそうで、その製造過程で生まれた副産物を無駄にしないよう工夫して開発されました。
 基本的な部分は1世紀にわたり変わっていませんが、今ではさくらんぼ味や抹茶味、コーヒー味などいろいろバリエーションがあって楽しいですね。ホームページでご覧ください。
 私は朝のブラックコーヒーのお伴として最高だと思っています。口の中でコーヒーと混ざり合って絶妙ですね。
 ボリボリ食べるのもよし、少しずつ口の中で溶かすのもよし。また、保存食としても優れています。実際、東日本大震災の際には被災者に届けられたそうです。

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2017.01.17

柔道Jr世界一 『舟久保遥香』(報道ステーション)

 日放送された番組です。ウチはなんとテレ朝が映らないので、今日初めて動画で観ました。
 主役の舟久保遥香は我が富士学苑中学校の卒業、現在富士学苑高校の3年生です。彼女の活躍や人となりについては、このブログでも何度か紹介してきました。
 昨年、松岡修造さんが来校し収録が行なわれまして、このたび晴れて放送となりました。まあ、考えてみれば、松岡修造さんが本校に来るというのもすごい話です。それも遥香のおかげ。
 本当にこの番組で紹介されているとおりです。決して誇張はありません。このとおり不器用だけれども、努力することに関しては天才です。
 そして、持って生まれた「運」もある。平成10年10月10日生まれ、すなわち東京オリンピックの開会式の日(かつての体育の日)に生まれただけでも特別ですよね。
 そして、我が中学が開校して2年目、番組にも登場している矢嵜雄大というカリスマ柔道家(格闘家)とその奥様が、ひょんなことから本校の柔道部の指導をすることになったその年に、彼女は本校に入学することになったのです。これが1年ずれていたら、今の彼女はいません。
 矢嵜先生は柔道界のみならず格闘技界では知られた「寝業師」。その技術を余すことなく吸収した彼女は、まさに畳の上の鬼女(?)。今後、立ち技、投げ技にも磨きをかけ、日本古来の、しかし新しい時代の「本物の柔道」で世界の頂点を極めてもらいたいと思います。
 この番組で紹介されているとおり、矢嵜先生の稽古メニューは、ある意味現代的ではない、かつての根性論的とも言える内容です。しかし、よく話すんですよね先生とも。やっぱり昔のめちゃくちゃな稽古、練習はすごいと。意味があると。私もそう思います。いわゆる科学的、理論的トレーニングによって失われる「モノ」もあると。もちろん、科学的トレーニングも取り入れていますが、基本は古典的な保守的なモノであると感じています。
 普段は本当に天然のボケ&抜けキャラ、とても強そうに見えない(笑)カワイイ彼女ですが、いざ柔道となるとスイッチが入って「カッコイイ」遥香に変わります。ある意味理不尽とも言える古典的な稽古を黙々とこなします。そんなギャップもまた魅力でありますし、人々や神様や仏様に愛され、運と縁をつかめる要因であると思います。
 彼女ももうすぐ卒業。すでに実業団への就職&入団も決まり、2020年の東京五輪金メダルへ向けて、着実に歩を進めつつあります。
 一緒に勉強し泣き笑いしてきた者の一人として、また東京五輪に多少なりとも関わる者として、心から彼女を応援していきたいと思っています。皆さまもぜひ応援してやってください。本当に素晴らしい人間ですので。よろしくお願いします。

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2017.01.16

平井基之 『戦略的〝東大〟合格法 受験勉強には意義がある』 (正論2月号)

Th_1433859_p 日、受験は戦略!と強調いたしましたが、それをもっと論理的に説得力ある形で表現してくれているのが、「正論」2月号の平井基之氏の文章であります。
 平井基之氏…なんて堅苦しい呼び方はやめましょう。私にとって平井くんは盟友であり、尊敬すべき後輩であります(東大に理系、文系両方で合格しているだけでもスゴイ)。
 この記事の筆者紹介にも記されているように、彼は私の学校に勤務し、主に大学進学について多大な貢献をしてくれた先生です。今は独立して「プロ家庭教師」として活躍中です。
 昨年は彼の結婚式の媒酌人を務めさせていただきました(こちらの記事参照)。また、昨年のファーストレディを招いての忘年会にもご夫婦でお招きいたしました(こちらの記事参照)。
 教育を通じて日本の、そして世界の未来を良き方向に導きたいという志において、私たちは共有するものがあると同時に、たとえば「受験」に関しても単なる大学に入るための手段と捉えるのではなく、もっと大きな視点から意味を見出しています。
 受験勉強というと、そのシステムのことも含めて批判の対象になりがちです。だいいち、こんな、大雪が降る確率が高く、インフルエンザもピークを迎えようかという悪条件の時期にやること自体、非常に理不尽です。
 しかし、その理不尽には日本的な深い意味があったりする(理不尽という優しさ参照)。また、そうした理不尽、悪条件を人生の縮図として捉え、それを「根性」+「戦略」によって乗り越えていくというのは、実は大変未来的な勉強になる体験だったりするわけです。
 平井くんとはそんな話もしてきたわけですが、彼はさらに一歩進めて、「国を護る」ためにそうした戦略体験が大いに役立つと語ります。昨日の私の記事で歴史的なことを書いたのには、彼のそうした言説の影響があるのですね。
 自分を知り、相手を知り、社会状況や自然状況を知り、そして未来を構想して、その実現のための現実的戦略を練る。これはたしかに、大学入試だけではなく、スポーツや、さらに国防や外交の世界でも基本中の基本です。
 体調管理や交通手段なども含めて、いかにして自分を有利な立場に持っていくか。それは単なる積み重ね学習や、ましてや根性だけではどうにもなりません。
 特に「情報戦」ですね。生徒たちにはよく話していますが、今の時代、そしてこれからの時代を考えたとき、大学入試において「情報戦」で勝つということは非常に重要です。
 特に教育界では様々な場面で行き過ぎた平等主義、競争排除、失敗忌避が横行しています。そんな中、大学入試は有意義に過酷であり、またある意味平等な体験の場なのです。
 機会の平等とか言いながら、なんだかんだ頑張った者が報われなかったり、正直者が馬鹿を見たりするのが、人日の世の中。そんな中で、私は大学入試は総合的にはかなり平等な場だと思っているのです。
 というわけで、平井くんの文章はとても面白く、納得のいくものですので、多くの学生、保護者、そして先生たちに読んでいただきたいと思います。正論2月号、他の記事も面白かった。ぜひ。

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2017.01.15

2017 センター試験国語(その2…古典)

036bh 日の続きです。今日はセンター試験の古典について少し書きましょう。
 写真は新井白石。そう、まず漢文が新井白石だったことに驚きました。日本漢文がセンター本試で出るのは初めてだとか。たしかに記憶がありません。
 江戸時代は平安時代以来の第二の「日本漢文」黄金期でした。新井白石も多くの漢文や漢詩を残しています。言うまでもなく、当時の日本人がお手本にした「漢文」は、唐宋時代のそれでしたから、当時としては500年から1000年前の「古文」なわけですよね。つまり「擬古文」ということになります。
 そう、古文の方も「木草物語」という江戸の擬古文でした。これはラッキーなことです。生徒たちにも、聞いたことのない作品が出たら、それは江戸の擬古文だからラッキーと思えと教えていました。
 漢文にせよ、古文にせよ、擬古文はあくまで擬古文です。文法、語彙的に擬古ということであって、全体的な文章表現は基本「出版物」なんですよね。
 たとえば源氏物語のような「ホンモノ」は出版されたわけではなく、すなわち非常に狭い読者層(たとえば宮中の貴族)を対象として書かれているので、まあ内輪話なわけですよ。だから、現代人の私たちにすんなり分かるわけはない。
 その点、江戸はすでに一般大衆を対象とした「出版文化」がありましたから、あくまでそういう潜在意識のもとに表現されている。だから、私たち「一般大衆」にはうんと分かりやすいわけです。
 だから私は、古文の問題は中世の仏教説話か江戸の擬古文を出せと吠えてきたわけです。いきなり源氏とか出すなよと。
 もちろん教養として「ホンモノ」を読むことは重要だと思いますが、あくまでも先生がいて講義してもらったり、注釈書を手元に置いておかなければ読解は無理なんですよ。それをいきなり初見で源氏物語の一節を読め、それもあの量をたった20分で完璧に理解して、問題まで解け、和歌もちゃんと読み取れって、そりゃ無理ですよ。
 そういう意味で、今回の古典の出典はGJでした。実際読みやすかったと思います、両方とも。ただし、問題はそれなりの知識と根性が必要ということで、ちょうどいい難度の問題だったのではと思います。
 新井白石の漢文の作文力とういのもそこそこでして、たとえば頼山陽なんかと比べると、まだまだ甘いというか、そうちょうど現代の高校生レベルという感じです(あくまで語彙や文法レベルでの話ですが)。
 そうそう、変わり者の国語のセンセーであるワタクシは、よく古作文や漢作文をやるんですよ。短文を作らせる。今風なネタで。そういう「作文」力をつけると、英作文ができると読解もできるようになるのと同じで、古典の読解力も確実にアップするんですよね。
 イップットばかりでなくアウトプットするのです。私は短歌(和歌)をやっているので、古文についてはしょっちゅう擬古しております。漢文は授業で(ふざけた)漢作文をやってウケを狙っています(笑)。でも、それができるようになると、生徒もそうなんですが、いちいち書き下しにして(つまりクソ難しい日本の古文に直して)読まなくてよい、つまり、漢文を(古い)中国語として、英語を読むように読めるようになるんです(発音はできませんが)。そうすると読解が早いし正確になる。どうぞお試しあれ。
 それにしても日本人ってすごいですよね。本国中国の人は全然「漢文」読めませんよ。中国の古文ですからね。今の中国語とは全く違うし。論語なんか全然読めませんよ。もちろん作文もできない。なのに、日本人はできてしまう。ヨーロッパで言えば、高校生がラテン語読んだり書いたりしてるようなものですからね。
 それから、今回も私は、全体のはじめに古文に取りかかりました。裏技とも言えますが、まず試験開始の3分で古文の問一と問二を本文を読まないでやっちゃうんですね。つまり語彙と文法という暗記事項で20点取ってしまう。
 あとで時間があったら本文を読んで点数を加算します。そのかわり、20分から3分を引いた17分を現代文の「情報分析」に割り当てるんです。具体的には、評論にせよ、小説にせよ、本文と選択肢の照合に時間をかけて、雰囲気で答えないようにするわけですね。そうすると最近は良問が多いので、間違いなく現代文で100点取れますし、実際は17分も余計にかかりませんので、結果として、漢文も含めて70分弱で150点キープできるのです。
 そして、余った時間で古文の本文をちゃんと読んで読解問題の点数を加算していく。結果として、今回は時間内で満点が取れました。実際は180も取れば充分すぎるくらいなのです。国語の場合は。もっとリアルなことを言うと、生徒であれば160取れば万々歳。それ以上の点は、神様仏様からのごほうびだと思っていいのです。
 こういう戦略的な作戦でほしい点を確実に取るということも大切です。戦いに当たっては、それがたとえ勉強であれ、スポーツであれ、戦争であれ、須らく戦略的であるべきです。なんでも正面突破の玉砕精神ではダメだったと、歴史は教えてくれますよね。情報戦で負けたことがある日本人は前轍を踏んではいけませぬ。
 というわけで、今回のセンター試験国語は、非常に公平な、良識的な、良心的な問題であったと思います。しっかり勉強して知識を身につけ、また技術や戦略を学んできた人はちゃんと点が取れたであろうということです。
 ウチの学校でも、私の言うことをちゃんと聞いていた生徒は、それなりに点を取れたはずですよ。
 ちなみに全国の平均点は昨年より10点くらい下がるでしょう。最後は戦略の差となったと思います。

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2017.01.14

2017 センター試験国語(その1…現代文)

 Th_kokugo_001 日はセンター試験第1日目。今年の国語はどうだったのか。
 結論から申し上げますと、昨年より難度は上がりましたが、問題の質としては「良」であったと思います。満点が出る「正常な」試験でした。
 昨年は良問であった上に易しめで平均点がずいぶん高かった。そのためあまり文句も言えず、いざ自分の思い通りの問題になると、となぜか物足りなくなったりしました(笑…昨年のレビューはこちら)。
 で、今年もまた良問なので、あまり書くことがないんですよね。困った(笑)。
 あえて言えば、小説が「短編の全文」ではなく、長編の一部に戻ってしまったことでしょうか。そう、ずっと私は「短編の全文」を出せと言ってきたわけですよ。それを2011年の記事で強めに吠えたところ、なんと次の年から5年連続で「短編の全文」が出題された。よっしゃと思っていたら、今年は…。
 しかし、さすがによく練られていて、「長編の一部」であっても、問題としては特に問題はありませんでした(問題が問題なしって変だな)。
 世間では「おっぱい、おっぱい」で騒いでいましたが、まあ、昨年もそうなんですけど、そういう「ネタ」で盛り上がる時は、問題に問題なしということなんですよ。
 あの野上弥生子さんの小説、なんかいいですね。なんか久々に骨のある文章を読んだ気がしました。ああ、これぞ「筆力」という感じの名文ですね。そんな中での「おっぱい、おっぱい」でしたから、私としては特に違和感というか、いやらしい感はなく、やっぱり騒ぐのは「ネタ」レベルでのことだなと感じました。昨年ほどは動揺しなかったでしょう、高校生は(笑)。
 ちなみに評論は「科学批判」、すなわち近代批判の文章で、文系にとっても理系にとっても、とっつきやすいありがちな内容であったと思います(もちろん単純な二項対立ではなく重層性はありますが)。
 最後の問題2問が「適当でないもの」を選ぶ形式だったのは意外といえば意外でした。ただ、センター試験で「最も適当なもの」を選ぶ問題ばかりだと、選択肢の膨大な文章のほとんどが「ウソ」「だまし」ということになるわけで、それはそれでよくないことだとも思うのですよ。言霊的にも。
 その点、「適当でないもの」を選ぶとなると、ほとんどが「正しい」文で、間違い(ウソ)が一つということになるわけで、世の中の実態からすると、こっちの方がより「適当」かもしれない。
 「最も適当でないもの」ということも基本的にありえませんしね。そう、「最も適当」だと、いくつか「まあまあ適当」なものも混入する場合があるわけです。ん?そっちの方がリアル社会に近いか(笑)。
 小説の最後の問題も「適当でないもの」を選ぶ問題でしたね。しかし、こっちは「二つ選べ」。それでも3分の2は「ホント」なわけですから、今年の(近年の)傾向としては「適当なもの」の逆襲が始まっている、善なるものが逆襲に転じつつしるとも言えるかもしれません。
 しつこくなっちゃいますが、やっぱり気になるんですよ、自分が問題作るときにも。大まじめな受験生に対して、いかにも引っかかりそうなウソをつくっていうのが。お分かりになりますよね。
 センター試験全体で言ったら、あるいは私大の選択問題も含めれば、毎年大量のウソや、性格の悪いヒッカケが生産されているわけでして、そういう観点からも、今後の「記述化」への方向性は間違っていないような気もするわけです。
 もちろん、世の中に溢れる「ウソ」や「ヒッカケ」を見抜く力も必要ですから、そうですねえ、私が大臣になったら、「適当でないもの」を答えさせる選択問題と記述問題に出題したいですね。
 あるいは「最もテキトー」なものを選ぶとか(笑)。
 明日は古典について少し書きましょう。

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2017.01.13

SmartNews

Th_devices_2 さんも使っているのではないでしょうか、スマートニュース。
 iPhoneなどのスマホやタブレットでニュースを見る(読む)時の便利なアプリです。ご存知のとおり、日本発のこのアプリ、今やアメリカはもちろん世界的にも大人気になっております。
 たしかに便利。とくにスマートモードは読み込みは速いし、無駄な広告や画像もなくて快適です。
 そうした手軽さと、適度なカスタマイズ性(逆に言えばあまりカスタマイズできない)には、あの種の「潔さ」があり、そこが日本的と言えるのかもしれません。
 実際、街中や電車の中などで、ちょっと隣の人のスマホを盗み見すると、SmartNewsを眺めていたりします。と言いつつ、私も同じ画面を見ていたりして、ちょっと気恥ずかしくなったりして(笑)。
 そう、すなわちそうして多くの人たち(全国で何百万人?)もが、同じ情報に触れているという、ある種の危険性も感じないわけではありません。
 SmartNewsがどのようなアルゴリズムでニュース記事を選択し並べているかはよく分かりませんが、やはりちょっとした思想的な偏りや、大衆迎合傾向を感じないわけではありません。
 かつて(今も?)ニュースソースの筆頭であったヤフー・ニュースは、某新聞社の記事は載せないことで有名でしたね(今は変わりましたが)。そうして、大衆がある種の洗脳をされる可能性があるわけです。
 ネットニュースとはいえ、ニュースはニュース。ニュースという言葉には「権威」がありますし、そのソースが新聞ならさらにその権威が増したりします。
 そういう意味で、今大人気となっているSmartNewsやGunosyやLINEのニュースによって世論が動かされていく可能性というのも考えなければなりません。
 まあ、たとえば家族の中でネタを共有できるというメリットもありますがね。「あっ、それSmartNewsでしょ」という感じでね。自慢げにニュースを語ると「知ってるよ」と言われたり(笑)。
 ちなみに私は、SmartNewsにおいて、海外含む各新聞社やテレビ局、さらにオピニオン系のページを加えており、なるべく情報に偏りがないようにしているつもりです。
 広告収入の分配方法など、なかなかユニークな運営をしているとも聞きます。ここまで世界的に影響力を持ち始めると、当然ソース側もSmartNewsを使った「宣伝工作」「情報戦略」をしかけてくる可能性がありますね。
 今後どのような展開をしていくのか。日本発のアプリとして、真に日本のためになる情報を発信してもらいたいと思います。

Smart News

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2017.01.12

ダイナミック通販

 本の二つの大きな地震の間になぜか唐突に紹介した(なんでだろう)ダイナミック通販 『聖ナサホ師の宝玉』。やっぱり面白いですね。ただあのタイミングで紹介したのはちょっと不謹慎だったのでは(苦笑)。
 さて、今日はそんなダイナミック通販シリーズを娘たちと大笑いしながら100インチの大画面(プラ段スクリーン)で鑑賞しました。
 みなさんもぜひ大笑いしてください。どれが一番くだらないかなあ。宝玉もいいけど、実際ほしくて買えそうなのは「ぴよぴよネックレス」かな(笑)。

 いやはや、面白いですね。というか、通販って元来こういういかがわしさとか怪しさとかが普通の世界ですからね。実際の通販番組も大同小異ってことですよ。
 ま、聖ナサホ師の宝玉と、ウチの出口王仁三郎聖師の耀わんも、そんなに違いないかもしれませんね(笑)。
 ちなみにこの虚構番組、映像作家、ディレクターの古屋雄作さんの作品です。

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2017.01.11

櫻井よしこ&三浦瑠麗が語る「韓中米」

 ろいろ忙しいので、今日観た番組の紹介をいたします。
 BSフジのプライムニュース、今日は櫻井よしこさんと三浦瑠麗さん、お二人の才女がゲストでした。お二人は微妙に(明確に?)立場が違うので、どういうムードになるのか楽しみでしたが、まあ若手がやや力んで、ベテランは堂々と構えるという感じではなかったでしょうか。
 話題は、韓国の「少女像」から「米中関係」まで。私も気になっているところです。私はどちらかというと三浦さんの意見に近いかなあ。保守の人たちから「お花畑」と言われることもあるし(笑)。
 もちろん櫻井さんのご意見も充分理解できますが、やはり保守の弱点は保守的であることでしょうね。かつての失敗が生きない。対立の構図を自ら作ってしまって、問題解決を先送りにしてしまうところがある。
 いつも書いているとおり、そして皆さんよ〜くお分かりのとおり、前進するには、あるいはブレーキをかけるには、「両翼」が必要なのですよ。
 理想と現実、両方あって良き未来がやってくる。他人(他国)に対する厳しさと優しさも両方必要です。信じることも疑うことも必要。極端に偏ることが間違っているのです。
 そういう意味で、やはり三浦瑠麗さんの世代の方が自由だと思いますよ。縛られていない。私たちの世代より上は、一度どちらかに偏って、そして揺り戻したりしないと真ん中に行けない。その点、若い人たちは最初から真ん中あたりに立つことができる。少しうらやましくも思います。
 私は、人生の先輩であり、かつ両翼の端の方にいる方々とおつきあいすることが多いのですが、それはそれで非常に勉強になる反面、なかなか頑なだなと思う瞬間もかなりあります。
 その点、やはり若い世代と話すと、その柔軟性にいい意味で驚くことが多々あるわけです。私も出来る限り柔らかく生きていきたいと思っているのですが。
 まあ、今日の話題である韓中米にせよ、我が日本にせよ、ベテランと若手とその他で国民が構成され、政治や経済その他の分野においても、そうした世代構成であるわけですから、やはり全体像をつかむために、いろいろな世代の意見を聴くことが必要でしょうね。
 今年はおそらく櫻井さんとも三浦さんともお会いしてお話する機会があると思います。ちょうど間の世代に立つ人間として、双方からいろいろ学びたいと思っています。
 
 

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2017.01.10

ELO 『Standin' In The Rain』

 らためて自分に最も影響を与えた音楽(曲)は何か考えてみました。ビートルズ、バッハ…いろいろなジャンルの大御所の名曲も頭に浮かびますが、最終的に到達したのが、なんとこの曲でした。
 たしかに、ロックとクラシックを結ぶという意味で、この曲は一つの極致にあるとも言えましょう。あの歴史的名盤「アウト・オブ・ザ・ブルー」の第3面「雨の日のコンチェルト」の第1曲。
 中学1年生だった私の第一印象と、今の印象が基本的に変わらないのがすごいなあ。この曲を作曲してしまう「ポップ職人」ジェフ・リンって、本当にすごい。
 当時のインタヴューで、たしかベヴ・ベヴァンが、アルバムの中でこの曲が一番好きと言っていたような。演奏は難しかったけどとか…。
 私がヴァイオリンを始めたのもこの曲に出会ったからです。ストリングスの魅力に取り憑かれてしまった。ソロ楽器としてのヴァイオリンというより、集合体としてのストリングスという意味では、今の私の音楽活動もそんなに変わってませんね。
 今日はオリジナル音源ではなく、いろいろなライヴを聴いて観てみましょう。まず、有名なウェンブリーでのライヴ。武道館などの日本ツアーも基本こんな感じでした。はっきり言うと、レコードの音源を流してそれに重ねて演奏しています。
 

 続いて、ジェフ抜きのELOpart2の演奏。1995年。ベヴのドタバタドラムスは健在ですね(笑)。ありし日のケリー。歌もベースも上手だったなあ。

 同じくpart2の演奏ですが、ルイス・クラーク指揮のフルオーケストラ帯同ヴァージョンです。1998年。「クラシック・ロック」と言ってますね。カッコイイ。

 最後にこの曲を打ち込みとキーボードで演奏している動画。ところどころコードも表示され、いかに複雑な(ロックを超えた)楽曲であるかが分かりますね。

 私の夢は、この曲を古楽器でバロック調に演奏することです。どなたかやりませんか?

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2017.01.09

仙台女子プロレス新宿FACE大会

Th_20170109_s 年の初プロレス観戦はセンダイガールズ。新宿FACEはなんと10年ぶり2回目(自分でも意外…1回目はこちら)。
 今日はですね、大雪のこともありまして、急遽娘たちを新宿まで連れていかなければならなくなりまして、結局家族全員で夕方に富士山を出発しました。
 娘たちは紀伊國屋ホールにて「スター☆ピープルズ!!」を観劇。初お芝居で、大感動しておりました。
 で、両親はどうしようかということになりまして、じゃあ久々に夫婦でプロレス観戦しようということになりまして、歌舞伎町は新宿FACEに乗り込んだというわけです。
 ウチの夫婦は仙女の里村明衣子選手の大ファンなのですが、なぜか生で観戦したことがありませんでした。娘たちと大雪のおかげで、初センダイガールズ観戦となりました。
 まずは本日のカードと試合結果をご覧ください。

観衆:508人(超満員札止め)

第1試合 タッグマッチ20分一本勝負
〇白姫美叶&朱里(12分18秒片エビ固め※後ろ回し蹴り)×桃野美桜&小波

※白姫美叶初勝利
※朱里が試合後に里村に対してシングルマッチを要求。

第2試合 シングルマッチ15分一本勝負
×カサンドラ宮城(12分43秒片エビ固め※魂のスリーカウント)〇志田光

第3試合 タッグマッチ20分一本勝負
×アレックス・リー&里村明衣子(13分28秒片エビ固め※ラリアット)〇松本浩代&アイガー

※里村が朱里に対してシングルマッチ要求を受ける。
よって、3/11新宿FACE大会は里村明衣子VS朱里が決定した。

セミファイナル タッグマッチ20分一本勝負
〈木村響子 仙女ラストマッチ〉
〇DASH・チサコ&KAORU(26分08秒片エビ固め※ホルモンスプラッシュ)×木村響子&コマンド・ボリショイ

メインイベント 30分一本勝負
〈センダイガールズワールドチャンピオンシップ〉
×橋本千紘(15分32秒片エビ固め※裏拳)〇アジャコング
※橋本が防衛に失敗。アジャコングが第三代王者となる。

 いやあ、実に楽しかったですね。笑いあり涙あり。まさに「プロレスは人生」であります。
 第1試合、成人式を迎えた白姫選手が初勝利。第2試合、実力派のキャラクター対決。第3試合、ベテラン、大型本格選手に怪奇派を織り交ぜての新鮮かつキッチュな闘い。こういう里村さんは初めて見たかも(笑)。
 そしてセミファイナルは、内容も濃く、物語性も高い感動的な「ラストマッチ」。そしてそして、メインは正直意外な結末、エリカ様が堂々たる戴冠。
Th__20170109_21_14_42 う〜ん、やっぱり最後のアジャコングの強さに唸ってしまいましたね。打撃よし、投げよし、グランドよし。そして、なんと言っても重い。全く衰えていませんね。
 橋本選手もレスリング出身らしい体幹と背筋、気持ちの強さを存分に発揮していましたが、プロレスはそれだけではダメですね。ここまでの勢いからして、橋本選手が勝つのかと思いましたが、終わってみればアジャの圧勝でした。
 いいんじゃないですかね。年の始めにそうした「厳しさ」を感じさせる内容の興行でした。プロレスなめんなよと。
 私たち夫婦も200%気合いを注入されました。若いもんには負けませんぞ!まずは娘たちに負けないよう頑張ります(笑)。

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2017.01.08

武田邦彦 『歴史の本質』(現代のコペルニクス96)

 休ではありますが、学校は入試シーズンで大忙しです。春にお迎えする小学生、中学生、春に大学生になる高校生らのお世話ということで、本当に幅広い年齢層の皆さんと関われる楽しいシーズンでもあります。
 というわけで、今日もなんだかんだ忙しかったので、ちょっとたまった仕事をしながら観た…いや聴いた動画を紹介します(前半を飛ばして本編から)。
 いまや保守論壇を代表する放送局になったDHCシアター。大学翻訳センターと化粧品、サプリメントと保守の関係はいまいちよく分かりませんが、まあ地上波テレビとのバランスということでいえば、たとえばワイドショーに影響を受けやすい主婦層をデブログラムするにはいいのかもしれませんね。
 そのDHCシアターで、武田邦彦さんが科学者という立場から歴史を語っておられます。ワタクシは、このお話の中で「反日」に分類されている「学校の教師」というわけですが(笑)、学校のセンセイがみんなそうかというと決してそんなことはありませぬ。
 私立に限らず、公立の先生方、すなわち日教組に入っておられる方々も昔とはずいぶん違いますよ。つまり、ワタクシも含めて「あまり深く考えていない」というのがほとんど。
 何も考えてない人がほとんどなので、歴史についてもそんなに興味もなく、ましてや、ここで武田先生がおっしゃっているような「歴史観」を持つ人はほとんどいないでしょうね。
 私もどっぷり日教組的な教育に洗脳されてきた世代ですから、何も考えてない(ノンポリ)ということは、放っておくと結果として「反日」になっているということはありえますが。
 たまたま、私はここ富士山麓で宮下文書に出会い、出口王仁三郎に出会い、そして仲小路彰に出会ったので、いわゆる学校で習う「歴史」とやらに疑問を抱いたり、一般とは違った側面から歴史を見る訓練をさせてもらいましたので、武田さんの「歴史観」もよく分かります。
 反面、逆にここまではっきり割り切ってしまっていいのかという、ちょっと違った疑問も浮かんでくるわけですね。それこそ科学的に歴史を見るということは、様々な側面から客観的に見るということでしょうから、この保守派の歴史観もまた「一つの見方」すなわち「歴史観の一つ」ということになるでしょう。
 戦後の歴史観というのは、なんだかんだ言って、両極端の二方向から観たものしかなかったりします。ワタクシのような、アヤシイ地方史や、官憲に弾圧された側の歴史や霊界の歴史、さらには昭和の裏面史の生資料などを見ている人間の「歴史観」は、今までは「ないもの」とされてきたわけですよね。
 私は生きている内になんとか「ないもの」側からの逆襲をしてやりたいと思っているわけです。ほら、「反日」以上にアブナイ教師だなあ、という声が聞こえてきそうですな(笑)。いえいえ、日本を愛し、地球を愛するからこそですよ。

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2017.01.07

「自由」と「不自由」

Th__20170108_122930 日は我が富士学苑中学の推薦入試でありました。いつものとおり(創立以来)、国語の問題は私が文章を書かせていただいております。それを公開するのもまた恒例です。今年もここにその本文を掲載させていただきます。
 昨日までのシリーズにつながるかもしれませんね。誰が何が「正しい」のか。そんな疑問も含めて、今年は「自由」というタイトルで書かせていただきました。
 ちなみに問いの最後、作文のタイトルは…「自由の国」ではやってはいけないことは何もありません。自分や他人や世界に対して何をしてもかまいません。その「自由の国」に一日だけ行くことになったとしたら、あなたは何をしますか。なるべく具体的に三百字で作文しなさい…でした。
 受験生の小学生たち、それぞれなかなか面白い答えを書いてくれました。入試問題を通じて、しっかり対話ができたような気がして感激いたしました。
 正常か異常か。自由は不自由。不自由の中の自由。画一化の中に溢れ出る「個性」。生きる力ではなく死なない力。そうした一見矛盾するような価値観の中に、教育の本質があると思っています。
 ではどうぞ(当然実際の問題では、空欄や傍線、ルビなどがあります)。

     「自由」

 「本当の自由とは、なんだ?」
 先月行われた、富士学苑中学校の文化祭である「葵江祭」。その中で二年生が発表した演劇「夢屋」の冒頭にあったセリフです。
 みなさんは「自由」とはなんだと思いますか?
 なんとなく分かっていても、いざ説明しようとすると難しいですよね。今日はこの「自由」ということばについて考えてみましょう。
 「夢屋」という演劇の内容を、ものすごく簡単に書きますと次のようになります。

受験勉強や校則など、中学生としてのきゅうくつな生活から逃れたいと思っているユウコは、ある日、夢をかなえてくれる「夢屋」に出会って、「自由の国」に行くことになる。しかし、実際夢がかなって「自由の国」に行ってみると、そこは住みやすい所ではなかった。食べるものも着るものも、その日にすることも、全部自分で決めなければならないからだ。そして、結局ユウコも自分から進んで「不自由の国」、つまり現実に帰ってくることになる。

 さあ、みなさん、あなたが「自由の国」に行ったとしたらどう感じるでしょうか。あなたに対して、ああしなさい、こうしなさい、あれはしちゃだめ、これはしちゃだめという人はだれもいません。
 もしかすると最初のうちは「ああ、せいせいした」と感じて楽しいかもしれませんね。しかし、そういう日々が続いたとしたらどうでしょうか。
 みなさんも、夏休みなどの長い休みで、なんとなくヒマを持て余したり、早く学校に行きたいなあと思ったことはないでしょうか。
 人はいざ自由になると、いろいろ不便に感じたり、不安に思ったりするようです。
 たとえば、今日のこの試験で、なんの文章も与えられず(つまり今あなたが読んでいるこの文章がなく)、ただ真っ白な紙が配られて、「なんでも自由に書きなさい」という問題が出たとしたらどうでしょう。さっと答えられますか。原稿用紙のマス目もないのですよ。正直困りますよね。
 「問一〜しなさい。問二〜しなさい。… 問六〜について三百字以内で書きなさい。」というふうに、命令された方がずっと答えやすい。そうですよね。
 古い中国語では、「自由」という言葉は「自分勝手」「わがまま」というような悪い意味で使われていました。それが日本に入ってきたので、古い日本語でもあまりいい意味には使われてきませんでした。
 明治時代になって、それが英語の「フリー」などの訳語として採用されて、「〜からの解放」という意味、すなわち「縛られないで思い通りにできること」というような良いイメージで使われるようになりました。
 ただどうでしょう、先ほどの「真っ白な紙」のように、本当になんの縛りもないということは、実はあまり良いことではないのかもしれませんね。なにしろ全部自分で決めなければならないのですから。その証拠に、ユウコにとっての「自由の国」は「悪夢」となってしまったではないですか。
 中学生になったら、みなさんは「不自由が増えたなあ」と感じると思います。勉強も忙しくなりますし、クラブ活動でも縛られます。制服も着なくてはいけませんし、髪型も厳しく決められます。もしかすると、富士学苑中学は公立中学に比べて「不自由」なことが多いかもしれません。
 しかし、それは決してマイナスなことではないということを覚えておいてください。
 いろいろな決まりや縛りというのは、昔の人たちが「こうしておいて良かった」という知恵です。人生の先輩《ぱい》たちがみんな通ってきた「不自由」、時代が変わってもなくならない「不自由」には、ちゃんと意味があるのです。実は「不自由」は皆さんを守ってくれたり、導いてくれたりするものなのです。
 演劇の中で、夢屋はこう言いました。
 「自由とは、与えられるものではなく、自分で選ぶものなんだ」
 だれからの命令も受けず、アドバイスも受けないで、自分だけの力で全てを選ぶことは不可能です。それができるようになるには、大変な勉強や訓練や我慢《がまん》が必要でしょう。つまり、「本当の自由」を得るためには、勉強や訓練や我慢という「不自由」を通らなければならないのですね。
 富士学苑の母体になっているのは月江寺というお寺です。月江寺の住職になるには、大変な修行をしなくてはなりません。朝三時に起きてから夜寝《ね》るまで、やらなければならないこと、やってはいけないことが全部決まっています。たとえばずっと動かないで座っていたり、難しいお経を唱えたり、ゴミがないのに掃除をしたり、食べたいものが食べられなかったり、しゃべってはいけなかったり、なんの意味があるの? という「不自由」のオンパレードです。それを毎日、何年間もやるのですから大変です。
 その修行の内容はなんと何百年も前から変わっていません。そう、その変わらないたくさんの「不自由」は、最終的に自分自身を「自由自在」にコントロールできるようになるための知恵なのです。
 富士学苑中学校では、その修行を一晩だけ体験する行事もあります。どうですか? ちょっと体験してみたくなってきたのではないでしょうか。

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2017.01.06

キャラメルマシーン(お笑いマジック)

 えと、これまた昨日の続きですね。言うまでもなく、お笑いというのは「普通」ではだめで、いわば「異常」「異能」「障害」「犯罪」をギリギリのところでプラスに転ずる、人間ならではの非常に高度な文化です。
 だから、私は学校で「コント部(仮)」を勝手に作って、一般の教育現場ではもしかすると「いじめ」や「差別」の対象になりかねないギリギリの個性をプラスに転ずるよう尽力しております(なんて言うとカッコイイけど、実際は自分も含めて「変」を楽しんでいるだけ)。
 そんなわけで、この年末年始もたくさんお笑い番組を観ましたが、やっぱり先程書いたギリギリの線でしたよ。特にそれを痛感したのは、BS朝日の「お笑い演芸館 年越し10時間スペシャル!総勢60組が漫才・コントで大爆笑の初笑い」でしたね。
 「お笑い演芸館」は地上波とは違い、しっかり時間をとってネタを見せてくれるので、とても勉強になりますし、芸人さんの実力も見えてしまう。
 今回は総集編的な構成でしたので、いろいろ「笑い」という文化を総括しながら、ゆっくり観させていただきました。
 繰り返しになりますが、どの芸人さんも、「異常」「異能」「障害」「犯罪」をギリギリのところで笑いに転換してくれていました。
 プロレスなんかもそうですが、そうした「異能」「異形」的な「モノ」を見せる、すなわち「見世物」というのが、この現実社会には絶対に必要です。もちろん、そこにはヤクザさんも関わってきますね。大多数の「普通」「正常」の側のためのアジール。
 今回のこの特番、とにかく10時間もあったので、その中のどれを紹介するか非常に迷いましたが、思い切って意外なところで、お笑いマジックの「キャラメルマシーン」さんを紹介しましょう。
 マジックという非現実、そしてフィクションの中に、「モノ」的な笑いが重なり、独特の世界を作り上げていて、私はけっこうハマってしまいましたね。
 マジックというのは、ある意味では予定調和に陥りがちです。そこに不調和な(異常な)お笑い要素が入ってくる。その違和感というか、妙なバランスいうか、快感というか、そんな魅力がありますね。
 他にもお笑いマジックの方々は大勢いますが、その不調和さという意味でキャラメルマシーンは絶妙だと思います。では、どうぞお楽しみ下さい。


 

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2017.01.05

「普通」とは「健常者」とは?

Th_img_22f1b52335568a94877bb99a80f8 日の「ヤクザ」の話ともつながっていますが、ここのところ「普通」とか「健常者」とか、それってなんなんだろう、自分は普通なのか健常者なのか、それとも異常なのか、などと考えてばかりいます。
 特に学校教育に携わっている者として、最近なぜか増加している「発達障害」などについて、正直違和感を持ち続けているわけです。
 今の学校、特に公教育にあっては、「普通」や「健常者」が心地よい環境のみ整えられ、そこからはみ出る者についてはまるで異物のように扱うという傾向があります。
 もちろん私はその対極にある「異常」な教育者であるわけです(笑)。だから私もここ教育界においては行きづらい部分もある。
 そんなことを考えている中で、非常に面白いネット記事に出会いました。武術家の光岡英稔さんとしょうぶ学園施設長福森伸さんの対談『自分は健常者だと思っている私たち全員が抱える「ある重い障害」』です。
 内容は読んでいただくのが一番ですから、ここではなぞりませんが、私は非常に共感する部分がありました。
 特に面白かったのは、アメリカの自閉症協会によるニューロティピカル(定型発達)の定義です。皆さん、どのくらいあてはまりますか。私もそれなりにあてはる部分もありますよ。なんだかんだ言って、私も「普通」派「健常」派になってしまいっている(?)のだなあと痛感いたしました。

・ニューロティピカルは全面的な発達をし、おそらく出生した頃から存在する。

・非常に奇妙な方法で世界を見ます。時として自分の都合によって真実をゆがめて嘘をつきます。

・社会的地位と認知のために生涯争ったり、自分の欲のために他者を罠にかけたりします。

・テレビやコマーシャルなどを称賛し、流行を模倣します。

・特徴的なコミュニケーションスタイルを持ち、はっきり伝え合うより暗黙の了解でモノを言う傾向がある。しかし、それはしばしば伝達不良に終わります。

・ニューロティピカル症候群は社会的懸念へののめり込み、妄想や強迫観念に特徴付けられる、神経性生物学上の障害です。

・自閉症スペクトラムを持つ人と比較して、非常に高い発生率を持ち、悲劇的にも1万人に対して9624人と言われます。

 まあ、「定型発達という障害」という表現自体がパラドックスを含んでいるわけですが、そういう視点を持ち込むことによって、私たちの常識を揺るがす意味はあると思います。
 定型とはなんなのか、社会性とはなんなのか、障害とはなんなのか、それ以前に発達とは本当に発達なのか…少なくとも教育者は一度は自問自答してみるべきだと思います。
 光岡英稔さんの『教育すると、人間は「弱く」なる!』もぜひ。

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2017.01.04

『ヤクザと憲法』 圡方宏史監督・東海テレビ制作作品

 事が始まり、急に忙しくなったので、昨年末に観た映画の紹介をいたします。
 「ヤクザと憲法」…ホンモノの組事務所にカメラが潜入した、東海テレビ制作のドキュメンタリー映画。面白かった〜。
 ヤクザのドキュメンタリーと言えば『YOUNG YAKUZA』を思い出します。こちらも実に良かったのですが、また違った意味での迫力…いや魅力を感じました。
 何度も書いているように、私は「ヤクザ」文化に深い興味を抱いており、いろいろな本を読んだり、そちらの世界の方のお話を聞いたりしてきました。実際このブログでもヤクザについての記事をたくさん書いてきましたし(検索窓で「ヤクザ」と打って検索してみてください)。
 もちろん、そこには私ならではとも言える、宗教的、芸能的、格闘技的な視点というのが入っているわけですね。つまり、日本の本質であるところの荒魂と和魂を考える時に、どうしても避けて通れない世界なのであります。
 先日読んだ『山口組分裂と国際金融』は、そこにさらに「経済」という視点をも加えてくれる良書でした。
 この「ヤクザと憲法」は、「憲法」とあるからどれだけ政治的、あるいは法的なのかと思いきや、これは結局のところ「経済」の話だなと思った次第です。
 もちろん法的な部分、政治的な部分でヤクザ文化が抑圧されてきたのは事実ですが、その裏側には、やはり「カネ」の世界がある。当然と言えば当然ですが、その「カネ(経済)」の世界があまりにも変わりすぎた。上掲の『山口組分裂と国際金融』の記事にも書いたとおり、ヤクザの任侠道と、国際金融的な自由主義経済とは相容れないのです。
 そういう意味でも、私はついつい(本来の)「ヤクザ」を応援したくなるわけですね(笑)。弱きを助け強きを挫く。今の世界経済はその逆になってしまっていますから。
 ところで、『YOUNG YAKUZA』でも、結局のところ主役は熊谷組長(その後いろいろ大変でしたね)でしたが、この『ヤクザと憲法』においても、やはり川口和秀組長の存在感…というか、「カッコよさ」は抜群ですね。やはり違いますよ、このレベルになると。佇まいだけで、男が惚れ込んでしまう。私とは対極にある男です(笑)。
 まあ、それにしても、東海テレビさんもなかなか思い切った作品を作りましたね。こういう番組をぜひとも地上波で放送してもらいたいものです。
 『YOUNG YAKUZA』でも垣間見えた、荒魂の中の和魂、すなわちヤクザの皆さんの内包する「優しさ」が、この作品でも見事に描かれている、というかにじみ出てしまっていると思います。
 現代は「弱者の理論」で動いているとも言われますが、本当の弱者とはだれなのか、なんなのか、彼らの生きていく場所はあるのか、家はあるのか、国はあるのか、世界はあるのか…しみじみと感じ入ってしまいました。名作でしょう。

「ヤクザと憲法」公式サイト

Amazon ヤクザと憲法―「暴排条例」は何を守るのか

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2017.01.03

『ジャニーズと日本』 矢野利裕 (講談社現代新書)

Th_510zvmnpqsl_sx301_bo1204203200_ 日の続きともなりましょうか。渡辺和子さんは「置かれた場所で咲きなさい」と言いました。それはSMAPの「世界に一つだけの花」につながると言えます。
 渡辺和子さんは父親が背負った「日本の悲劇」からクリスチャンになり、そしてキリスト教に自由と個性と民主主義を見出しました。
 ジャニー喜多川さんは、日系二世としてアメリカのエンターテインメント(特にミュージカル…最初はベースボール)を通して、日本人に自由と個性と民主主義を伝えようとしました。
 そうした戦後のアメリカ文化受容(もちろん押し付けという反面もあるわけですが)の様子を、特に音楽的な背景を詳細に記述することによって明らかにした本です。とても面白かったし、勉強になりました。一気に読んでしまった。
 実は今日、たまたまですが、上の娘が帝国劇場で行われた「ジャニーズ・オールスターズ・アイランド」に行ってきたんですよ。それで大興奮で帰ってきた。なんだか、大好きな永瀬廉くん(と誰か)とハイタッチしただとか…よく分かりませんが(笑)。
 娘は午前中、村の厄払い行事に参加してからの上京でしたから、「神様に感謝!」と言っておりました。まあ、間違ってないな。芸能と神事とは深いつながりがあるのが日本ですから。実際、厄払いをした八幡神社には、立派な回り舞台があります。かつてお隣静岡から芸能集団が来たのだとか(非日常のマレビトですね)。
 さらに面白かったのは、その舞台の内容です。いや、厄払いじゃなくて、ジャニーズの方。なんでも、戦争中の話、大東亜共栄圏のこととか、硫黄島での玉砕(徹底抗戦)の話とか、戦後の復興、過去と未来の東京オリンピックの話などが満載の内容だったとか。
 昨年の舞台も特攻隊の話とか、そういう感じだったそうで、さらに太鼓や三味線の演奏などが繰り広げられたのだとか。
 そう、この本でいうところの「ジャパニズム」満開なわけですよ。アメリカ文化を伝えようとしたジャニーさんが行き着いたのが、実は非常に日本的な、ある意味保守的な世界だったというが面白い(インターネットに消極的な商売の姿勢も保守的と言えば保守的ですよね)。
 これは日本文化の特徴です。浮世絵とフランスのジャポニスムの関係を挙げるまでもなく、日本というのは「逆輸入」によって自己の価値を知ることが多い。また、外来文化を自由に取り入れつつ、いつのまにか、オリジナルより高度な独自の文化に昇華してしまうのが得意。
 そういう意味では、まさにジャニーズ文化というのは、宝塚と同様に、結果として非常に「日本的」な世界を築くに至っているわけですね。面白いことです。
 矢野さんが指摘している、日本のアイドル文化は単なる「未成熟」ではないというのは、ある意味では神道的な「常若(とこわか)」の価値観、思想に近いものがあると感じました。
 そう、SMAPやTOKIOや嵐が実現した世界観、アイドル像は、世阿弥が風姿花伝の「年来稽古条々」で語った、まさにその年齢なりの「花」に該当すると思います。
 そうした、固定概念、社会通念から自由になった「花」のあり方という観点からすると、実は日本はすでに充分に自由や個性を重んじた民主主義の世界であったとも言えましょう。
 逆説的になりますが、ジャニー喜多川さんが示してきた、あるいはこれからも示し続けるであろうモノは、実は、日本人が忘れてしまった「純日本的なるもの」なのかもしれません。それはいつものように「外から観た日本」として意識化されるのです。
 それもまた、世阿弥の「離見の見」に近いところがある。日本人はいつも大切なモノを忘れてきました。それは決して悪いことではなく、私の言うところの「国譲り」の作法ということになります。無意識化することによって純粋保存する、忘れることによって遺すという最強の作法。
 そう考えると、ジャニーズの掟からはみ出して、それぞれの「自我」を発揮してしまいながら「国民的アイドル」となったSMAPという存在と、その解散劇が意味するところが分かってくるように気もします。
 そういう視点で戦後を見直すのに、この本は最適だと思います。ジャニーズのみならず、その背後にある音楽的、芸能的、政治的背景が上手にまとめられています。
 もしかすると、本当に「戦後」は終わろうとしているのかもれません。そのあたりについて、今私は仲小路彰の戦後対米政策を通して勉強しているところです。アメリカの言いなりになっているように見せかけて実は利用していた…そのあたりについて、ぜひジャニーさんとも話をしたいところです。

Amazon ジャニーズと日本

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2017.01.02

追悼 渡辺和子さん

Th_owatanabe570 日、静岡から山梨に帰る途中、安藤輝三さんのお墓参りをしました。二・二六事件の首謀者の一人とされる安藤輝三にまつわる、我が家の不思議な体験については、そのご命日の奇跡としてこちらに少しだけ書かせていただきました(全て書くことは今はできません)。
 実は我が家とご縁ができた二・二六事件関係者はあと二人います。そのうちの一人が暗殺された渡辺錠太郎大将です。そのことについても少しだけですが、一昨年の夏に秋田に行った時こちらに書きました。
 その錠太郎さんの娘さんである渡辺和子さんが、昨年12月30日にお亡くなりになりました。エッセイ『置かれた場所で咲きなさい』などでも有名な方です。
 当時9歳だった和子さんは事件の一部始終を目撃してしまいました。その後の苦悩と赦しの人生については、こちらの記事をご覧になるとよく分かると思います。
 事件からちょうど80年。ようやく「やった」側「やられた」側ともに一つの区切りがつけられたのかと感じています。特に和子さんの「赦し」の姿勢は、これまでの、また現在の、そしてこれからの様々な衝突や恨み、憎しみの昇華のあり方に対して、またキリスト教を始めとする宗教の本来のあり方について、とても大切な「型」を示してくれたものと思います。
 私たち夫婦もいつか和子さんにお会いして、いろいろお話しようと思っていたわけですが、残念ながらそれは叶いませんでした。しかし、彼女の示してくれた「希望」を、これからの世界に、地球に拡げていくという使命を強く感じることはできました。
 そうした使命を、私たち今に生きる者たちが実現していくことこそ、彼ら英霊に対する唯一の慰めであり、また義務です。平成28年の年末、そして29年の年頭にあたり、渡辺和子さんの遺してくださった「魂」に感謝し、改めてご冥福をお祈りしたいと思います。

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2017.01.01

あけましておめでとうございます(2017年賀状公開)

2017

 けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 今年は平成29年でありますが、来年平成30年がいろいろな意味で重要な年となりますので、その準備期間としてやらねばならなこと満載であります。
 何事も本番よりも事前の準備が大切ですよね。準備がちゃんとしていれば本番はなんとかなるものです。というわけで、今年は真剣にやらなくてはならないですね。
 なのに年賀状は「文春」ネタで作りました(笑)。スタートからして、またふざけてるではないか!とのお叱りの声が聞こえてきそうであります。てか、文春さん、勝手に使ってゴメンナサイ。
 実はリアル年賀状につきましてはですね、プリンタのトナーが品切れで年明けでないと入荷せず、まだ出しておりません。たぶん忘れた頃に届くと思いますがご了承ください。
 今回はPhotoshopを使って、どこまで雑誌の紙面を再現できるかに挑戦しました。結局印刷すると不明瞭になってしまって無駄骨になってしまったのですが、紙の質感とか、裏ページからの裏写り感とか、いわゆる「ワープ(曲げ)」のしかたとか、いろいろ勉強になりました。
 本文も適当に作って書き下ろしたんですが、結局読めません…というか、読めないようにしました。
 実はほかにも暗号めいたことや、隠しメッセージもあるんですけど、ま、誰も分からないでしょう。
 というわけで、今年もまた「地球平和」実現のために、いろいろなところに出没いたしますので、よろしくお願い申し上げます。
 

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