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2017.01.15

2017 センター試験国語(その2…古典)

036bh 日の続きです。今日はセンター試験の古典について少し書きましょう。
 写真は新井白石。そう、まず漢文が新井白石だったことに驚きました。日本漢文がセンター本試で出るのは初めてだとか。たしかに記憶がありません。
 江戸時代は平安時代以来の第二の「日本漢文」黄金期でした。新井白石も多くの漢文や漢詩を残しています。言うまでもなく、当時の日本人がお手本にした「漢文」は、唐宋時代のそれでしたから、当時としては500年から1000年前の「古文」なわけですよね。つまり「擬古文」ということになります。
 そう、古文の方も「木草物語」という江戸の擬古文でした。これはラッキーなことです。生徒たちにも、聞いたことのない作品が出たら、それは江戸の擬古文だからラッキーと思えと教えていました。
 漢文にせよ、古文にせよ、擬古文はあくまで擬古文です。文法、語彙的に擬古ということであって、全体的な文章表現は基本「出版物」なんですよね。
 たとえば源氏物語のような「ホンモノ」は出版されたわけではなく、すなわち非常に狭い読者層(たとえば宮中の貴族)を対象として書かれているので、まあ内輪話なわけですよ。だから、現代人の私たちにすんなり分かるわけはない。
 その点、江戸はすでに一般大衆を対象とした「出版文化」がありましたから、あくまでそういう潜在意識のもとに表現されている。だから、私たち「一般大衆」にはうんと分かりやすいわけです。
 だから私は、古文の問題は中世の仏教説話か江戸の擬古文を出せと吠えてきたわけです。いきなり源氏とか出すなよと。
 もちろん教養として「ホンモノ」を読むことは重要だと思いますが、あくまでも先生がいて講義してもらったり、注釈書を手元に置いておかなければ読解は無理なんですよ。それをいきなり初見で源氏物語の一節を読め、それもあの量をたった20分で完璧に理解して、問題まで解け、和歌もちゃんと読み取れって、そりゃ無理ですよ。
 そういう意味で、今回の古典の出典はGJでした。実際読みやすかったと思います、両方とも。ただし、問題はそれなりの知識と根性が必要ということで、ちょうどいい難度の問題だったのではと思います。
 新井白石の漢文の作文力とういのもそこそこでして、たとえば頼山陽なんかと比べると、まだまだ甘いというか、そうちょうど現代の高校生レベルという感じです(あくまで語彙や文法レベルでの話ですが)。
 そうそう、変わり者の国語のセンセーであるワタクシは、よく古作文や漢作文をやるんですよ。短文を作らせる。今風なネタで。そういう「作文」力をつけると、英作文ができると読解もできるようになるのと同じで、古典の読解力も確実にアップするんですよね。
 イップットばかりでなくアウトプットするのです。私は短歌(和歌)をやっているので、古文についてはしょっちゅう擬古しております。漢文は授業で(ふざけた)漢作文をやってウケを狙っています(笑)。でも、それができるようになると、生徒もそうなんですが、いちいち書き下しにして(つまりクソ難しい日本の古文に直して)読まなくてよい、つまり、漢文を(古い)中国語として、英語を読むように読めるようになるんです(発音はできませんが)。そうすると読解が早いし正確になる。どうぞお試しあれ。
 それにしても日本人ってすごいですよね。本国中国の人は全然「漢文」読めませんよ。中国の古文ですからね。今の中国語とは全く違うし。論語なんか全然読めませんよ。もちろん作文もできない。なのに、日本人はできてしまう。ヨーロッパで言えば、高校生がラテン語読んだり書いたりしてるようなものですからね。
 それから、今回も私は、全体のはじめに古文に取りかかりました。裏技とも言えますが、まず試験開始の3分で古文の問一と問二を本文を読まないでやっちゃうんですね。つまり語彙と文法という暗記事項で20点取ってしまう。
 あとで時間があったら本文を読んで点数を加算します。そのかわり、20分から3分を引いた17分を現代文の「情報分析」に割り当てるんです。具体的には、評論にせよ、小説にせよ、本文と選択肢の照合に時間をかけて、雰囲気で答えないようにするわけですね。そうすると最近は良問が多いので、間違いなく現代文で100点取れますし、実際は17分も余計にかかりませんので、結果として、漢文も含めて70分弱で150点キープできるのです。
 そして、余った時間で古文の本文をちゃんと読んで読解問題の点数を加算していく。結果として、今回は時間内で満点が取れました。実際は180も取れば充分すぎるくらいなのです。国語の場合は。もっとリアルなことを言うと、生徒であれば160取れば万々歳。それ以上の点は、神様仏様からのごほうびだと思っていいのです。
 こういう戦略的な作戦でほしい点を確実に取るということも大切です。戦いに当たっては、それがたとえ勉強であれ、スポーツであれ、戦争であれ、須らく戦略的であるべきです。なんでも正面突破の玉砕精神ではダメだったと、歴史は教えてくれますよね。情報戦で負けたことがある日本人は前轍を踏んではいけませぬ。
 というわけで、今回のセンター試験国語は、非常に公平な、良識的な、良心的な問題であったと思います。しっかり勉強して知識を身につけ、また技術や戦略を学んできた人はちゃんと点が取れたであろうということです。
 ウチの学校でも、私の言うことをちゃんと聞いていた生徒は、それなりに点を取れたはずですよ。
 ちなみに全国の平均点は昨年より10点くらい下がるでしょう。最後は戦略の差となったと思います。

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