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2016.12.31

平成28年紅白歌合戦

Th__20170101_105029 年は珍しく紅白を最初から最後まで観ました(前半は車の中だったので聴いていたというのが正しい)。
 まあいろいろありましたが、それなりに楽しかったかもしれません。
 個人的には東京事変とイエモンの再集結が嬉しかったですね。あとはYOSHIKIと松田聖子の共演かな。
 あとはNHKらしい「痛い」演出は相変わらずでありましたが、PPAPもあそこまでやると面白いかも(笑)。
 ベートーヴェン第九との共演、そして武田アナのまさかの「ゴジラマイク」(笑)。
 それにしても最後、なんで紅組が優勝なのかな?どういうシステムなんだ(笑)。あの玉一個何点なんだ?
 ここのところずっとそうですけれど、女性歌手が下手になりましたよね。演歌歌手も含めて。その点、男性は安定している。そういう意味では、昨日の紅白ビデオ合戦じゃないけれども、やっぱり白組優勝でしょう。
 ま、いいか。
 とにかく今年もいろいろなことがありました。皆さんのおかげさまで、本当に楽しい年となりました。ありがとうございました。
 この勢いだと、来年の紅白には出演しているかもしれません(笑)。

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2016.12.30

クイーンのライヴより

 ととい、28日の夜でしたか、NHKBSプレミアムでクイーンのライヴをやっておりました。1974年のロンドンはレインボーシアターでのライヴ。これがなかなか刺激的でした。
 ビートルズが解散してからたった4年ですよね。クイーンはこの頃からクイーンだった。やはり、ブリティッシュ・ロックらしく、ある種クラシックの要素もしっかりありますよね。いかにも白人ロックですよ。
 ビートルズもそうでしたが、彼らはまず「コーラス」ができなくてはいけない。その点が特に優れていた。技術的なことだけでなく、編曲としてのセンスですね。
 それにしてもブライアン・メイはすごい。一瞬でブライアンだと分かる。
 そう、ビートルズって歌も演奏も上手ではなかったじゃないですか(失礼)。その点、クイーンってのはうまいバンドですね。もちろん、フレディ・マーキュリーは絶品。

 続いて、今日カミさんと大笑いしながら観たのが、『笑う洋楽展 年末SP 第3回「紅白ビデオ合戦」』。くだらなさすぎて最高(笑)。みうらじゅんさんと安齋肇さんの迷物コンビによる「おちょくり」が絶妙。
 やはり紅白のトリはクイーンですよね。というかフレディ・マーキュリー。ちなみに紅組のトリだったオリビア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」、あれもとんでもないMVですよね。
 しかし、やっぱりこの「伝説のチャンピオン」はすごい。なんで、こんな格好になっちゃうんでしょうね(笑)。それでも充分すぎるほどカッコイイ。やっぱりカリスマですね。たしかに他のメンバーとのギャップがすごいな(笑)。

 我が家でも、どういうわけか年末はクイーンということになっています。あの大げささというか、妙なゴージャスさが年末っぽいんでしょうかね。

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2016.12.29

追悼 根津甚八さん

Th__20161231_133327 俳優の根津甚八さんがお亡くなりになりました。
 長いこと闘病生活を送られていたとのこと。お疲れ様でしたと申し上げたいと思います。
 根津さんは私の通った大学のある山梨県都留市出身。大学時代には根津さんのご親戚の方に大変お世話になりました。
 私は大学時代演劇も少しやっていましたし、状況劇場で唐十郎さんに可愛がられていた根津さんは憧れの存在でした。
 舞台を観る機会は結局ないままでしたが、映画やドラマでの「渋い」演技に何度もしびれました。
 輝かしい演技歴の中で、今日は私の脳裏に焼き付いている「新田義貞」を観ながらご冥福をお祈りしたいと思います。
 大河ドラマ「太平記」の新田義貞役は、開始当初は萩原健一さんが演じていましたが、ご病気のため途中降板。そのあとを引き継いだのが根津さんでした。
 ショーケンのイメージがある程度出来上がっていた中での継投でしたので、より大変だったとは思います。しかし、さすが根津さん、しっかり雰囲気は踏襲しながらも、どんどん根津流新田義貞を作り上げていったことを思い出します。
 今日は第30話「悲劇の皇子」を御覧いただきましょう。

 ちなみに、ここで非業の死を遂げる護良親王と都留市とは深い縁があります。護良親王の首級は雛鶴姫によって持ち運ばれ、裏鎌倉街道を通って都留市にある石船神社にやってきたという伝説があります(実際復顔首級があります)。 


 

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2016.12.28

日米首脳真珠湾慰霊と裏の歴史

 ュース等で御存知のとおり、安倍首相とオバマ大統領が真珠湾を訪れ、慰霊と和解のスピーチを行いました。
 真珠湾攻撃から75年。オバマさんの広島訪問とともに、かの戦争における日米の悲しい歴史的事実に対する両国のわだかまりに一区切りつける機会となったと思います。
 ここのところ何度も書いているとおり、私は再来年平成30年が明治維新以来の150年戦争終結の年になると考えています。
 また、1318年の後醍醐天皇即位以来700年に亘って南北に分裂してきた皇室の再統合の年になるとも信じています。
 そうした流れの中で、この慰霊の意味は特別に大きかったと言っていいと思います。
 12月8日というのは、第二次大本事件の起きた日でもあります。昭和10年のことです。国家による大宗教弾圧事件です。弾圧されたのは出口王仁三郎率いる大本。
 大本で起きたことがぴったり6年後に日本に起きるという「雛型理論」については、昨年の12月8日の記事に少々詳しく書きましたので参照願います。
 大本に対する大弾圧で、亀岡の天恩郷はダイナマイトで徹底的に破壊されました。それが結局、日本が空襲や原爆によって焼け野原になることを象徴していたわけですから、今年の日米首脳による慰霊が、まさに霊的な意味を持つものであることが分かると思います。
 ちみなに第一次大本事件は大正10年に起きていますが、大正天皇の崩御によって恩赦という形で終結しています。王仁三郎と大正天皇の関係は実に微妙です。北朝の血を継ぐ王仁三郎と南朝の血を継ぐ大正天皇。
 大正天皇のお后さまである貞明皇后は、大正6年、天皇の病気治癒のため綾部の出口王仁三郎を訪れています。実はその時に皇統に関する密談が行われていたことも最近分かりました。第一次大本事件の恩赦にも貞明皇后が関わっていたのでしょう。
 ここはまさにタブーの部分ですが、皇室にとって、すなわち日本にとって出口王仁三郎という存在は、まさに裏側であり、また太陽に対する月のようでもありました。
 ちなみに安倍総理の奥様昭恵さんは、昨年ここ富士北麓にて大正天皇と出口王仁三郎という南北両朝が歴史的な和解をしたシーンに立ち会いました(こちらこちら参照)。
 先日の天皇誕生日の忘年会では、王仁三郎の耀わんで日本酒を飲む昭恵さんと、そんなディープな話もしました。昭恵さんは、上記のような歴史についてもよく理解されています。当然、総理にも間接的であれなんらかの影響を与えていると思います。平成30年に向けて、日本は着実に歩を進めつつあるのですね。
 そう考えるとオバマさんのお役目(和魂)も重要であったことがわかります。そして荒魂たるトランプさんの登場となるわけですね。アメリカ版スサノオがどのような役割を果たすのか。注目です。

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2016.12.27

SMAPは奴隷だった!?

Th_unknown 夜のスマスマ『SMAP×SMAP』の最終回、ウチはフジテレビが映らないので(笑)観ていません。
 これで一つの区切りとなったのは事実ですね。個人的には、かつて草彅くんと映画で共演した(睨み合った)仲でもありますし、キムタクとはある意味ご近所だったりするわけで、とても他人事とは思えないのも事実です。
 しかし、一方で、どこかで区切りをつけなければならなかったとすると、このタイミングで良かったのかもしれないとも思います。いすれのタイミングにせよ、厳しい状況になったと思われます。
 かつて、私はSMAP(スケートボーイズ)解散騒動の原因という記事を、半分おふざけのように書いていますが、実はあそこに書いたことにこそコトの本質があるのです。ワタクシ曰く「お上をなめたらアカン」。
 さて、そのお上とはなんなのか。そのあたりについて、歯に衣着せてしまうワタクシと違って、苫米地英人博士は実にストレートに説明してくれています。博士曰く「SMAPは奴隷」。
 今ちょうど、この動画で紹介されている「明治維新という名の洗脳」を読んでおります。大変面白い。来年、再来年のワタクシのテーマである「150年戦争の終結」にとっても非常に有益な内容であります。
 とにかくSMAPファンもそうでない方々も、この衝撃的な、しかし考え方によっては常識的な、博士の御説に耳を傾けてみて下さい。

Amazon 明治維新という名の洗脳

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2016.12.26

『十字架』 重松清原作・五十嵐匠監督作品

Th_91b0ahf5vql_sl1500_ まっていた録画の一つ。思わず最後まで観てしまいました。
 吉川英治文学賞を受賞した重松清の原作を五十嵐匠監督が映画化。いじめをテーマにした作品ということで、教育現場にいるからこその抵抗があったのですが、やはりさすが重松清さん、もちろん単なる「いじめはいけない」的なテーマではなく、もっと深いところを暗く照射しつつ、結局は「生きる」ということを表現していると感じました。
 私は原作を読んでいないので、基本、映画作品として観たつもりなのですが、なんというか、そうですねえ、漱石の「こころ」の読後のような残像が残りました。
 残された者たち、その「残された」の「れ」はまさに「迷惑の受身」です。迷惑というのが不適切なら、「不本意」とでも言いましょうか。
 特に遺書に「残された」人たちの背負う「十字架」は大きい。この作品でも、「こころ」と同じように、「親友」と「好きな人」が苦悩するのです。
 しかし、「こころ」と違って救いがあるのは、その十字架を背負うのではなく、その十字架によって「生」の背中や足腰が鍛えられていく過程が描かれているところでしょう。あまりに重い荷物であるために、いつのまにか一体化し、そして普通ではないトレーニングとなっていくわけですね。
 個人的には、「好きな人」として名指しされた女性の誕生日が、「ふじしゅん」の命日であることも象徴的でした。そう、昨日の記事では、クリスマスが大正天皇祭だったじゃないですか。そして、イヴは志村忌。天皇誕生日はA級戦犯ら(たとえば私の尊敬する松井石根)の命日。
 こうして「死」と「生」が重なり、そして冬至を迎え、年も新生していく。そういう時期なのですね年末は。
 そういう意味で、この映画をこのタイミングで観たことには大きな意味がありました。
 これは「いじめ」のことだけを表現した作品ではない。「いじめ」は現代的な不本意な死の象徴であり、実は私たちは多くの歴史的な「死」という十字架と一体化して生きていかねばならないというメッセージを放った作品なのです。
 五十嵐匠監督の独特の映像感覚にも感心しました。特に、クライマックスとも言えるいくつかのシーンでの、揺れやピンぼけをも厭わないハンディカメラでの長回しは、まさに私たちが「傍観者」になりたいが、しかしなってはいけないということを訴えているようでした。
 役者陣の演技も素晴らしかった。演劇的でさえあることによって、ある部分ではリアルさを増し、ある部分ではリアルを超えた象徴的な表現になっていたと思います。
 個人的には、高校生の頃大好きだった富田靖子さんが、私と同様にしっかり歳をとって(笑)、見事な母親役を演じているところにホロッとしました。永瀬正敏さんもすごいなあ。
 映画好きの下の娘ともう一度観てみようと思います。

Amazon 十字架

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2016.12.25

堀井憲一郎 『クリスマスと日本人』

20161226_174511 くら寛容な日本人であるワタクシでも、天皇誕生日は東京裁判によるA級戦犯の処刑があったということで、聖夜は志村正彦の忌日ということで、そしてクリスマス当日は大正天皇崩御の日ということで、なんとも複雑な気持ちになるのでした。
 そう、いったい日本人の何人が、12月25日が大正天皇祭であると知っているでしょうか。
 いや、別にその割合が低いということを嘆いているわけではありませんよ。なにしろ、昭和2年の12月25日、すなわち大正天皇崩御の1年後でさえ、こんな感じだったのです。
 昨年の12月に始まった堀井憲一郎さんの連載「クリスマスと日本人」は面白い。私の疑問がいろいろと解けていく。そして日本人の本質がよく分かる。おめでたさは、今に始まったことではないのだなと。
 また、私も何度か書いた覚えがありますけれども、もともとキリストの誕生日が12月25日ではないのは明らかで、クリスマスはもともと単なる冬至(新生)のお祝いであったりしたようです。
 日本人は、クリスマスはもちろん、バレンタインもハロウィンも、全くその起源とは関係なく、日本的に受け入れ、ある意味勝手に発展させてしまう。
 これこそ聖徳太子の「和」の精神であるとも言えますし、未来の地球平和の一つの作法となるとも言い得るわけですが、逆に言えばなんとも節操がないということにもなりましょう。
 論理や言語にこだわらないとも言えますし、その意味においては、逆に「祭」の本質だけを見ているとも言えますね。実に面白いことです。私はそんな日本が好きです。
 年末年始はそのハイライトですね。天皇誕生日を祝い、クリスマスを祝い、お寺で除夜の鐘をつき、神社に初詣する。
 というわけで、皆さんもぜひ堀井憲一郎さんの連載をお読み下さい。第1回はこちらになります。

クリスマスと日本人(1)

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2016.12.24

フジファブリック 『眠れぬ夜』

↓お預かりしている志村くんの遺品「アメスピ」
Th_img_6856 リスマスイヴ。すなわち志村正彦の命日。もう7年ですか。年月が経っても彼の遺した宝物のような作品たちは全く色あせないどころか、ますます輝きを増しているように感じます。
 今日はたまたま東京で用事があり、車で環状七号線を移動、高円寺を通過しました。その時聴いていたのがアルバム「MUSIC」。そして、向かった先は、これは偶然でありますが、板橋区「志村」。不思議な感じがしました。
 一仕事終わって富士山に帰る車中、何度か繰り返し聴いて涙してしまったのが「眠れぬ夜」です。
 彼のこの曲、そして曲中にある「さらける」という言葉については、かつてこちらに書きましたので、ぜひお読み下さい。
 まさに「眠れぬ夜」の連続の中で、天に召されてしまった志村くん。ある意味では「さらけて」しまったのかもしれません。そう考えると、この曲の歌詞は胸に深く突き刺さります。
 あらためて、彼と本当のお別れをした2009年12月28日の日の「天に帰った才能とは…志村正彦くんに学ぶ」という記事を読み返してみたいと思います。
 志村正彦は永遠です。

Google Play Musicで聴く

Amazon フジファブリック「MUSIC」

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2016.12.23

天皇誕生日の夜に

Th_img_6850 皇誕生日。天皇陛下万歳(ばんぜい)。「万歳」というのは字面通りですと一万年という意味であり、実際には永遠に近い非常に長い時間を表すものです。ですから、お誕生日にふさわしい寿ぎの言葉であります。「天皇陛下、いつまでもお元気で」ということです。
 ちなみに「ばんざい」と読まれるようになったのは近代になってからで、もともとは「ばんぜい」または「まんざい」と発音されていました。ですから、ここでは「ばんぜい」と書いておきます。
 実は、今日、私は「天皇陛下ばんざい」を叫ばせていただきました。それも絶対にそれを許さないような場所(敵地の懐)で(笑)。もちろんあえてです。しかし、意味としては「天皇陛下ばんぜい」であることを説明させていただきました。
 その場所とはこちらです。
 さて、今日はそこで忘年会をやり、気心の知れた尊敬すべき仲間が集まってくださったのですが、なんと、今日になって超サプライズゲストがいらっしゃることになって、私も大変うれしく、また大変驚いたのでした。
 参加者の皆さんにも全く予告せずのサプライズでした。というか、今日突然実現することになったので予告のしようもなかったのです。
 その方は、私たちの宴にいらっしゃる前には、皇居で陛下のお誕生日のお祝いの儀に出席されていたんです。そう、その方は、安倍昭恵さん。ファーストレディご本人です。
 まさかと思いつつも、なんとなく直観が働きまして、今日午前中にお誘い申し上げたところ、「行きます」とのお返事が。私にとっても今年最大のサプライズでした。
 昭恵さんを交えて、濃〜いメンバーによる濃〜い対話が続きました。もちろん天皇陛下ご自身やご皇室に関するお話もありました。いずれにせよ、未来に向けて私たちがどのように生き、どのような国、そして地球を作り上げていくべきなのか話し合いました。
 実はそこには出口王仁三郎の耀わんが二つ、そして高次元宇宙にも関係する未来の医療具が四つ集結しており、その空間はまさに未来に直接つながっていたように感じました。
 そんな中で、私もこのブログで最近繰り返してきた「天皇家の統合」「平成30年の重要性」などについてお話をさせていただきました。
 と、ちょっと堅苦しく報告してしまいましたが、実際にはおいしい秋田料理と秋田の日本酒で大いに明るく楽しく盛り上がっておりました。実に充実した時間を頂戴いたしまして、本当に参加者の皆さまに御礼を申し上げたいと思います。来年、再来年としっかり頑張らせていただきます。もちろん「地球の平和」のために。

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2016.12.22

『山口組分裂と国際金融』 猫組長・渡邉哲也 (徳間書店)

インサイダーが明かすヤクザとカネと世界経済の関係
Th_612yaisrkyl_sx339_bo1204203200_ 日の三島由紀夫の話の続きともなりましょうか。
 三島は「暴力」を肯定しました。それは私の解釈によれば、カネや法といった「近代」の否定の裏返しでした。
 私は世の中を理解する時に、あえてですが、「カネ」=「暴力」という等式を使うことが多い。
 すなわち、子どもの世界であれば、ある種の「暴力性」を持った強者が弱者から食べ物を取り上げることができるのと同じように、大人の世界では、「カネ」があると食べ物にありつけるということです。
 もちろん、それは食べ物に限りません。全ての本能を満たすためには、子どもは「暴力」、大人は「カネ」が必要です(あえて極論しています)。
 そう考えると、この本で語られている「ヤクザ」と「カネ」の話は分かりやすくなりますね。ただ、面白いのは、(単なる暴力団ではない本来の)「ヤクザ」にはルールがある。任侠道というルールがあるのに対し、「カネ」の世界、実体経済ではない現代的な「国際金融」の世界はノールールです。
 「弱きを助け強きを挫く」というルールがあるかないか。これは非常に重要な分岐点です。近代合理主義は、そうした保守的な、人間としての信仰心に近い「情」を排除して成り立ちます。結局のところ唯物論なのですね。
 このたびの山口組の分裂が、結局のところ、そうした分岐だったのいうのは知りませんでした。近代合理主義的な六代目山口組と、保守本流で「ヤクザ」回帰を目指す神戸山口組。
 こうしたお互いの軋轢に見られる苦悩は、まさに三島が直面したものと同じではないでしょうか。あえて乱暴に言うならば、三島が神戸山口組で、あの時の自衛隊は六代目側だったと。
 もちろん歴史は単純にはくり返しません。この分裂騒動の結末がどうなるか分かりません。ただ、世界の動きが、経済にせよ、政治にせよ、反グローバリズムの方向に向かっているのは事実です。
 私は、今の世界の動きを、単純に「グローバリズム」に対する「ナショナリズム」の反撃とは捉えたくありません。そうした二元論的な対立軸で世界を捉える時代こそが終わりつつあると思うからです。
 そう考えますと、この山口組の分裂は一つの「雛型」になる可能性もありますね。神に近い世界での「物語」ですから。
 700年間北朝と南朝に分裂したままの天皇家と、このたびの譲位の問題もまた、それに関わっているかもしれない。
 つまり、これからは対立によって結果(勝敗)を決めるのではなく、実際的な意味での弁証法的な方法によって、すなわち融合や統合、止揚、昇華といった形での結果を求められる時代になるのかもしれません。いや、きっとそうです。
 そういう意味で、今後の山口組と神戸山口組の動きには注目していきたいと思っています。
 それにしても、この本は面白かった。戦後の経済史の復習、最新経済の勉強にもなりますし、ヤクザ史としても実に学ぶところが多かった。
 そして、何と言っても、私の「カネ」=「暴力」という、思考の前提がそれほど間違っていなかったということを確認させてくれたことが嬉しかった。
 続編として半分冗談で予告されている「ヤクザと石油」もぜひ読んでみたいですね。
 いつもながらの渡邉哲也さんの分かりやすい(優しい)解説と、博識かつ冷静な猫組長の重厚な語りに感謝です。

Amazon 山口組分裂と国際金融

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2016.12.21

『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』 若松孝二監督作品

 まっていた録画の一つ。観てしまいました。私は実は三島由紀夫が苦手でして、その理由が分からず変に苦悩してまいりました。
 最近、その答が分かった気がするんですよね。というのは、例の仲小路彰が三島の死について、当時いくつかの文章を残しているのです。それを読んで、なるほどそうかと思ったわけです。
 たとえば、三島の死の一週間後に、仲小路彰は「三島の死の象徴的意味ー彼の死の後に来るものー」という文章を書いていますが、そこで展開される三島批判はかなり辛辣です。
  三島の生い立ちや性情における問題点、彼の文学における偽善性、あるいはロシア文学を知らなすぎたこと、哲学が浅いこと、また、愛国心や国防の本質を見誤ったことなどを、かなり厳しく批評しています。
 しかし、なんと言っても次の一文が、私の三島への違和感を最も的確に裏付けてくれていると思います。
「彼の死は未来に開かれたものではなく、かすかでも未来からひびく声に応じたものでもなく、まさに亡びゆく過去なるものへの対決であり、その絶対的否定にあった」
 また、仲小路は三島の文学を「彼の創作は二・二六にはじまり、そして二・二六に終わったとも云える」としています。二・二六事件の当事者に(霊的に)深く関わった私からすると、やはり三島の死によって何かが解決したとは思えないのです。
 英霊という言葉を重々しく、しかしある意味乱暴に使うことに、私は何度も反対してきました。三島や私たちが英霊という時、そこには私たちの勝手な画一化があるからです。実際の英霊は数百万あり、そして、その一つ一つが結論を出せずにいることを思うと、その無限に近い多様性を暴力的に一言でまとめてしまうのは、結局私たち自身の満足のためにほかなりません。
 この映画を観て、やはり三島は間違っていたと再確認しました。彼の求めた「革命」もまた、あくまで自己を規定する存在としての「社会」の破壊、すなわち結局は自分のためだったということになるのかもしれません。
 私は…あくまでも個人的な感情レベルでの話ですが…あの演説の時の自衛隊員たちの態度は正しかったと思います。
 三島のごく個人的な思いで、「社会」が変革されてはたまりません。結果として、社会は残酷なほどふわふわとして刀では切れない存在だったのです。だから、元来の目的的に考えてもう一つの、唯一の破壊方法である自刃しか選択肢はなくなってしまったのです。
 なんともうすら寒い風が吹いただけで終わってしまった三島事件でありました。本気だったからこその薄ら寒さ。そのなんとも言えないを若松孝二監督は見事に表現し、作品化していると感じました。
 あっそうだ、有名な演説シーン、なんか記憶にある光景(デザイン)だなあと思ったら、静岡市役所での撮影だったんですね。
 安藤輝三の眠る静岡市でこのシーンが撮られたというのも、何かの因縁かもしれません。

Amazon 11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち

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2016.12.20

加瀬英明×馬渕睦夫 『日本らしい国づくり』 vol.6日本の神道と世界の宗教

 つ大きなイベントが終わったと思ったら、別件が飛び込んできて、また忙しくなってしまいました。
 その仕事をしながら、倍速で聴いた(観た)のがこの対談です。
 最近、こうした形で知識や情報を得ることが多い。寝ながらでも聴いていたりします。それがなんとなく頭に残っているから、また面白いですね。私が少年の頃はやった「睡眠学習」というやつでしょうか(笑)。
 仕事しながらだと、当然「聞き流し」ているはずなのですが、それがふとした時に出てきたりするようですから、人間の脳ミソというのはすごいですね。
 年をとって、いわゆる記憶力はすっかり落ちてしまいましたし、「思い出し力」も相当劣化していますが、こうした妙な無意識的記憶力はずいぶん身についたような気がします。
 ちょっと変な言い方ですが、若い時は脳ミソのハードディスクに記憶して、それにアクセスする感じでした。しかし、今は、どちらかというとクラウドにアクセスしている感じです。これはこれでいいかもしれない。
 というわけで、私のクラウドに保存したのは次の動画です。
 ある意味、古代から日本にある「クラウド」の話ですね。私も最近原点回帰しているのでしょうか。

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2016.12.19

中森明菜 『原始、女は太陽だった』

 日に続き、懐かしく「熱い」曲を1曲。
 というのは、今日は久しぶりに時間できまして、たまっていた録画をいくつか観たんですが、その中に「夏目漱石“三四郎”~108年目のプロポーズ~」がありました。面白かったですね。「三四郎」を婚活小説ととらえて、どのキャラが推しメンか、あるいは美禰子は誰と結婚すべきかを検証していました。
 私はなんだかんだ三四郎推しですね。なぜなら優柔不断な田舎者ということで、自分に似ているからです(笑)。
 三四郎のモデルはワタクシとして(?)、美禰子のモデルは…ご存知だと思いますが…大島優子ではなくて(笑)平塚らいてうです。
 平塚らいてうと言えば「元始女性は太陽であつた」。そして、原始女性は太陽であったと言えば、中森明菜さんのヒット曲「原始、女は太陽だった」ですよね。
 というわけで、夏目漱石から中森明菜につながった。
 この曲の作詞者である及川眠子さんも当然平塚らいてうの名言を念頭に置いて、このタイトル、歌詞を考えたのでしょう。
 一見、平塚らいてうのそれと中森明菜のそれとは、全く違う世界を表現しているかのようですが、それは「女性」と「女」の違いだけであって、本質は実はあまり変わらないのではないでしょうか。

 この「太陽」を思わせるラテン・サウンドがたまりませんね。日本の歌謡曲において、ラテン音楽というのは実に大きな役割を果たしていますよね。
 このヴァイオリン・ソロは誰が弾いているのでしょうか。とても上手ですね。もちろん中森明菜さんの歌唱力は抜群です!

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2016.12.18

THE YELLOW MONKEY 『太陽が燃えている』

Th_img_6793 日は中学の文化祭が行われました。いろいろアクシデントもありましたが、おかげさまで大成功裡に終えることができました。生徒諸君、よく頑張った!ご来場下さった皆さま、ありがとうございました。先生方、お疲れ様でした。
 今回も多くのお客様に来ていただきましたが、中でも嬉しかったのは…今年復活し紅白にも出場することになった某バンドのメンバーで私の中学の後輩の関係者(って回りくどい言い方ですなw)が来てくれたことです。
 彼に久しぶりに会った時になぜだか急に流れ始めたのがこの曲。ジャーン!といきなりサビから始まった。なんででしょうね(笑)。

 で、ついでに思い出したのが、ヴィヴァルディの「グローリア」です(笑)。いやいや、お気づきだった方もいらっしゃるでしょうけれども、「太陽が燃えている」のサビはこの「グローリア」のサビ?のコード進行と同じなんですね。
 このコード進行はバロック期にイタリアで発見された(誰に?)もので、実は日本人にはちょっと抵抗のある進行なんですよね。これをまさか日本語ロックで聞くことになるとは、それこそ「太陽が燃えている」に初めて接したその時まで、夢にも思いませんでしたよ。

 ちょっと無理してこじつけると、「太陽〜」も「グローリア」もオクターヴ跳躍の印象に残る「リフ」がありますね(笑)。これは偶然なのか、それとも吉井さんはどこかで「グローリア」を聞いたかのか?そりゃないか。
 ちなみにかのウェンディ・カーロスの「Digital Moonscapes」というマニアックなアルバムにも、このコード進行をしつこく使ったオリジナル曲がありましたっけ。今思い出した。
 ま、ウェンディのは基本的にクラシック風音楽として作曲演奏されているので、別に目新しいわけではありませんがね。とにかくロックでというのは、あまり例がない(実際洋楽ロックでもどこかで聞いたんですけど、誰の何の曲か忘れちゃいました)。
 歌詞も含めて、やっぱり吉井和哉の音楽世界は画期的すぎますね。ああ28日武道館行きたかったなあ。

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2016.12.17

【討論】10年後に生き残っている国 (チャンネル桜)

 変忙しいので、今日も動画紹介です。いつものチャンネル桜「討論・倒論・討論」。今週のテーマは「10年後に生き残っている国」でした。
 たしかにこれからの10年というのは大激動が予想されます。何度も書いているように、明治維新以来の150年戦争が集結し、そして「戦後」が訪れるからです。
 保守系の皆さんはどのように捉えているのか。この討論を聞けばだいたい分かると思います。もちろん、私は彼らとはちょっと違う考え方なのですが、それでも充分に理解できすし、参考にはなります。
 最近、ウィークデーはリベラル系の論説を聞く機会が多いので、終末はこうして保守系のメディアに触れるようにしております(笑)。

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2016.12.16

『100歳の少年と12通の手紙』 エリック=エマニュエル・シュミット 原作・脚本・監督作品

Th_81jnncfbpl_sl1500_ 〜ん、いい映画だったなあ…。久々のフランス映画。中2の下の娘と観ました。
 映画マニアで将来はそちらの仕事をしたいと言っている彼女、初めてのフランス映画にいたく感銘を受けていたようです。
 余命わずかの白血病の男の子、たまたまぶつかった女性との運命の出会い…こう書くと、いかにコテコテなお涙頂戴映画かと思いますが、とんでもない。
 いかにもフランス映画らしく、現実が「影」、夢が「光」として表現される中、ある意味淡々と、しかし劇的に時間が過ぎていきます。そして、穏やかな結末。
 う〜ん、やっぱり女性がプロレスラーだから少年を救えたのですよね。「物語」に生きている強さ、賢さです。あらためてプロレスの素晴らしさを痛感しましたね。
 そう、フランスのプロレス界というのは、それはそれで非常に面白いんですよね。演劇性が高い。歴史も古く、アメリカより早く1830年代から見世物小屋的な興行が行なわれていたそうです。
 そう言えば、1850年代のフランスプロレスを愛したかのロラン・バルトは、「レッスルする世界」において、反神話的世界、近代的世界への憎悪を思いっきり表現しましたね。この映画を観て、それを思い出しました。
 この映画も結局、ロラン・バルトと同じことを現代に投げかけているとも言えますね。神の世界への信頼が、人間の生命の本質であるということ。私たちを幸せにするのは、人間の決めた約束事ではないのです。
 神のように「飽きずに」「瞬間瞬間を新鮮に」「繰り返す」ことにより、私たちはとりあえず「時間」を超えることができる。なるほどなと思いました。
 映画の中にもありましたね、こんなセリフが。「プロレスは人生の教科書」。
 原作も読んでみたいと思います。娘もこれでフランス映画に目覚めたかな。

Amazon 100歳の少年と12通の手紙

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2016.12.15

『ワル猫カレンダーMOOK2017』 (SUN-MAGAZINE MOOK)

Th_91pweq5xcrl しいので、短めに。
 猫好きにはたまらないカレンダー。ウチもようやく手に入れました。しばらく在庫がなかったんですよね。人気なのでしょう。
 猫好きは、やたら可愛いだけの、たとえば子猫の写真集とか、カレンダーとかあんまり好まないんですよね。特に猫を飼っている人は。
 ワル猫、すなわち野良猫生活で人相(猫相)が悪くなった奴ら、人間にも媚びを売らない猫たち、これがなんとも可愛いのですよ。
 ウチのもそうですが、家猫になっちゃうと、なんとも甘い顔になってしまうのですね。
 この本、そのような猫マニアの視点で作れているので、たとえば「エラ」とか「タマ」とかの特集があって面白い。たしかに本当の猫好きはそういうところを目が行きますよね。ウチのカミさんなんかもそうです。
 世の中、猫ブームと言われています。しかし、今までのような、ただ可愛い猫とか、あるいはなめ猫みたいなやらせ感のあるキャラとかではなく、自然や都会の中で堂々としぶとくたくましく生きる猫にスポットライトが当たるのはいいことですね。
 このカレンダー、カレンダーとしてだけでなく、読み物としても、またおもちゃとしても面白い。猫好きの方々、ぜひどうぞ。

Amazon ワル猫カレンダーMOOK2017

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2016.12.14

『衝撃の超能力ブーム~スプーン1本、人生が変わった』 (NHK BSプレミアム アナザーストーリーズ)

Th__20161216_102651 モコンが行方不明になって、テレビがつけっぱなしになっていたところ、この番組が始まりました。観られてよかった。リモコンがなくなったのも超能力のおかげでしょうか(笑)。
 つくづく私は42年前にユリ・ゲラーに影響を受け、そのまま小5病のまま大人になってしまったのだなと思いました。
 そんな私を、大人として、あるいは教師として失格だという方もいるわけですが、まあ相手は子どもですからね、ちょうどいいんじゃないですか。
 もちろん、子どものころとは違った感覚で超能力やユリ・ゲラーについて考えているわけですけれども、人間(自分)の可能性や、未知なる世界への期待という基本の部分は、やはり変わっていないと思います。
 私も「スプーン1本、人生が変わった」一人かもしれませんね。
 そうそう、2年前でしょうか、ユリ・ゲラーが久しぶりに富士吉田にやってきたんですよね。彼はかつて富士吉田に住んだことがあるんですよ。
 若い頃、有名になったはいいけれど、だからこそバッシングを受けてノイローゼ気味になってしまった。その時、隣に住んでいたジョン・レノン&オノ・ヨーコにすすめられて、富士山麓にエスケープしにきたそうです。
 なんでも家族と1年ほど住んだとのこと。そして、元気になってまたアメリカに戻ったと聞きました。
 そんな思い出深い、そして、彼を救ったとも言える富士山麓に久しぶりに来たのです。そして、パインズパークで、知り合いがばったり彼に会ったそうで、その時、目の前でスプーンを曲げてくれたそうです。知り合いはそのスプーンにサインをしてもらって記念に持って帰ってきました。
Th_img_4979 そのスプーンと、そのスプーンに触発されて私が曲げた(捻った)スプーンがこれです(笑)。上がユリ・ゲラー、下が私のです。どっちがすごいでしょう(笑)。
 そんなわけで?私はスプーンを曲げることができます。今日の番組にもあったように、覚醒催眠、それも自己覚醒催眠でしょうね。曲がると思えば曲がるわけですから。
 しかし、スプーンが曲げられたところで何もいいことはありません。せいぜい家族から怒られるくらいです。役に立たないことができてもしかたない。
 ユリ・ゲラーはまさにスプーン1本で人と人をつなぎ、人生を変えた。それはまさに「超能力」ですよね。天才的なスポーツ選手や芸術家と同様、天才的なエンターテイナーは、私たち凡人の能力からすれば、立派な「超能力」だと思います。
 そうそう、私の「超能力」と言えば、以前、今日番組にも登場していた秋山眞人さんとお会いした時、私がいるとUFOが来ないと言われました(笑)。それはそれで普通ではない能力だそうです(笑)。うれしいやら哀しいやら。
 この番組、12月20日(火)夜11時45分から再放送があります。懐かしさ満点ですからぜひ。BSプレミアムです。

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2016.12.13

ELECOM メモリカードリーダー+USBハブ MR-C26

Th_mrc26wh_01 うすぐ文化祭なのですが、私は主に各クラスのパソコン関係、映像関係、音楽関係の仕事をします。
 そんな時、いろいろと重宝しているのが、このリーダー&ハブ。実はもう製造終了なのですが、楽天のお店ではまだ在庫があるようです。ぜひ皆さんもどうぞ。半額くらいになってますしね。
 USB2.0ポートが3ポート。そのうち2ポートが側面、1ポートは上面にあります。そして、その上面にはSDカードなどを挿入するカードリーダーも装備されているわけです。SD、microSD、さらにMS。なにかと便利です。
 案外重宝するのが、上面のUSBポート。ほこりは入りやすいかもしれませんが、さっとUSBメモリーやiPhoneの充電ケーブルを挿せて快適です。
 昔から、こういうハブ&リーダーを探して使ってきましたが、ほとんどのものは無名の会社(中国製)で、すぐにリーダー機能がダメになるものが多かった。しかし、これはエレコムということもあって、何年前かに買って以来、故障はありません。
 自分ももう一つ買っておこうかな。

ELECOM メモリカードリーダー+USBハブ ブラック MR-C26【KD05251】

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2016.12.12

森高千里 『渡良瀬橋』

 日も忙しいので他人の褌で…いやいや、森高千里さんの歌で記事を書きます。
 森高さんの代表曲の一つ、「渡良瀬橋」。作詩は御本人。作曲は職人斉藤英夫さん。一昨日紹介した「Snow Again」の高橋諭一さん同様、森高さんに素晴らしい楽曲や編曲を提供している方です。
 まずは、森高さん本人がピアノ、ドラムス、リコーダーを演奏して、ビートルズのレット・イット・ビーを彷彿とさせる映像に仕上がっているオリジナル・ヴァージョンをどうぞ。

 森高さん自身が、この曲が生まれてから20年目となる2012年に次のようなメッセージを残してくれています。なんともしみじみとしたいい話ですね。

 足利市には親戚がいることもあり、また、この歌にも深い関わりがあると言える、「スサノヲの到来」展が開催されたこともあって、何度か訪れたことがあります。
 しかし、まだ歌詞に登場する八雲神社には参拝しておりません。御存知のとおり、(最も有名な)八雲神社の社殿は、2012年、森高さんが参拝した数ヶ月後に不審火で全焼してしまいました。
 再建計画は多難だったようですが、森高さんを始めとする多く方々からの寄付も集まり、そして、昨年、なんと式年造替で解体された、伊勢神宮の伊勢神宮「月読荒御魂宮」の移築という形で再建されることになりました。
 八雲はスサノオ、出雲の象徴。実際、祭神はスサノオです。
 う〜ん、スサノオの力はすごい。天照大神、そして月読命の荒御魂を動かしたか…。結果として、本当に素晴らしい受け継ぎとなりましたね。まさに火事は「国譲り理論」に基づいた必然であったと。
 私も、近いうちに八雲琴を引っさげて参拝し、奉納演奏などさせていただければと思います。もちろん、出口王仁三郎の耀わん「十和田」も持っていきます。あっ、最近出ました歌集「スサノオの海」も奉納します。
 さて、この名曲、いろいろな方がカバーしていますね。まず私が好きなのは、城之内早苗さんの歌唱。大人な雰囲気ですね。

 また、元「実力派」アイドル、松浦亜弥(あやや)さんのカバーも有名です。これもまたいいなあ。

八雲神社公式

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2016.12.11

150年戦争をいかに終結させるか…

 日、久しぶりに靖國神社を参拝いたしました。真珠湾攻撃から75年ということもありますし、先日書いたように、明治維新以来の150年戦争を(再来年に)いかに終わらせるか。そういうことを考えながら参拝させていただきました。靖國神社の歴史を考えるに、やはりそういうスケールにおいての思考や祈願をもって参拝すべきだと思います。特に鎮霊社に対しては。
 一方で、今年度はちょうど一週間後に中学の文化祭があり、何かと忙しく準備に追われております。そんなわけで、仕事をしながら、私の「終戦工作」の参考としてネットで視聴した三つの番組を紹介いたします。
 まず最初は、DHCシアターの「馬渕睦夫『和の国の明日を造る』」最新回です。

 次は今日放送された「そこまで言って委員会NP」です。

 最後にチャンネル桜の「【討論】国のために死ぬこと-再考 大東亜戦争」です。

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2016.12.10

森高千里 『SNOW AGAIN』

 日は東京でバッハとモーツァルトの練習。2月4日に横浜で本番です(コンサートの詳細はこちら)。
 で、行き帰りの車の中では予習と復習のためにバッハとモーツァルトを聴きまくったかというと…全然違いまして、オール森高千里でした(笑)。
 というのは、7日のFNS歌謡祭で、森高さんがドラムを叩きながら私の大好きな「SNOW AGAIN」を歌ってくれたからです。それで森高熱が再燃。
 12年前(!)にこのブログのベストクリスマスソングは?という記事で紹介した「Snow Again」。いやあ、いつ聴いてもいい曲です。切ないなあ。
 FNSの動画、いつまで見られるか分かりませんが貼っておきます。森高千里さん、「私がオバさんになっても」と言ってましたが、オバサンにならないじゃないですか!より美しくなられている(笑)。声も変わらない。


 ちなみに1997年、すなわち19年前の公式PVはこれ。なんか泣けます(涙)。

 こちらの「SNOW AGAIN」もいいですよ〜。2年ほど前、なんとブルーノート東京でのライヴです。

 作曲の高橋諭一さんの素晴らしいお仕事ぶり。この転調は実に効果的ですね。
 最近の森高さんと言えば、素晴らしいセルフカバー。この曲は2回カバーしています。
 まず2012年バージョン。

 そして、2014年バージョン。それぞれの年代でそれぞれの味わいがありますな。

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2016.12.09

加瀬英明 『ジョン・レノンは靖國の英霊に祈った』

Ent1612080002n1 日遅れになりますが、レノン忌に平和を祈りたいと思います。
 ああ、そう言えば今日はレイク忌にもなってしまいましたね。ELPのグレッグ・レイクさんがお亡くなりになりました。
 今年3月、追悼キース・エマーソンという記事を書いたばかりでした。キースの自死もショックでしたが、グレッグのガン死も残念です。まだ69歳だったとのこと。
 さて、ジョンの死以来36年、アメリカがどう変わったのか、変わっていないのか。これは難しい問題です。とりあえず銃社会は変わっいていない。それがアメリカの未来を象徴していると思います。銃という暴力の象徴を捨てられない社会は、やはり異常です。
 逆に言えば、アメリカが銃を捨てた時、世界が大きく変わる可能性があるともいえます。はたして、いつになるのか。それとも、捨てきれないまま自らを傷つけて「自死」してしまうのか。そういえば、キース・エマーソンも銃による自殺でした。
 今日は、ジョン・レノンの親戚にもあたり、日本の文化・歴史・宗教に造詣の深い加瀬英明さんが正論の11月号に執筆した文章を読んでいただきましょう。加瀬さんには私も個人的にお世話になっております。

ジョン・レノンは靖國の英霊に祈った

 ジョンが神道に興味を持っていたことは有名です。以前、加瀬さんの著書『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』を紹介しましたね。
 私も明日、靖國神社に参拝するつもりです。私は靖國神社にお参りすると、いろいろな英霊の声を聴きます。「英霊」と一言で片付けることができないほどに多様な声です。苦悩も平安も恨みも郷愁も悔恨も恍惚も困惑も迷いも、そして未来への祈りもあります。私たち、今を生きる人間が「言葉」で片付けてはいけません。そういう意味では世の議論自体が失礼だと思っています。
 ジョンはきっとそういうことを分かっていたのだと思います。

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2016.12.08

『合同歌集 スサノオの海』  出口光ほか・笹公人監修・藤原龍一郎解説 (河出書房)

Th_51kjhvshabl_sx353_bo1204203200_ 日は歴史的特異日12月8日。ウチの学校では「成道会」が行なわれました。お釈迦様がお悟りを開いた日ですね。
 そして、81年前の昭和10年第二次大本事件が勃発。その6年後、昭和16年には太平洋戦争開戦。真珠湾攻撃から今年で75年となります。
 戦後昭和38年には力道山が刺され、そして、昭和55年にはジョン・レノンが亡くなりました。
 あっ、それから、ウチの義理の兄の誕生日でもあります(笑)。
 さて、そんな歴史的な転換点となってきた今日12月8日に、合同歌集「スサノオの海」が発売となりました。
 私も所属させていただいている天命歌会のメンバーの力作、魂の歌とエッセイが収められている歌集です。メンバーのリーダーは、上記第二次大本事件の「主役」であった出口王仁三郎のひ孫出口光さんです。
 このたび、この合同歌集に私も自作の和歌(短歌)11首とエッセイを掲載していただいております。今回は「色色の歌」と題して、色を詠み込んだ歌を並べさせていただきました。
 監修は私の師匠でもあり、現代短歌界をリードする笹公人さん。そして、名解説で歌集の価値をお仕上げてくださっているのは、やはり短歌界を重鎮であり、そしてプロレスファンでもある藤原龍一郎さん。さらに、今回素敵なイラストレーションを添えてくださったのは、今をときめくイラストレーター森泉岳土さんです。
 私どものようなシロウトにとって、このような錚々たる方々にお力添えいただけるのは、本当に幸せなことです。
 実は、私はまだ実物を手にしていないのですが、早く手にしたい、早く皆さんの歌も読んでみたいと、ワクワクどきどきしております。
 もし、興味を持っていただけたなら、ぜひともAmazonからお買い求めくださいませ。私も私なりの言霊を込めたつもりでおります。
 ちょうどこの時節でありますからして、スサノオに始まり、王仁三郎に流れ込んだ「正統の歌流」を継ぐ天命歌会の歌集。持っているだけでも運気が上がると思いますよ(笑)。

Amazon スサノオの海

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2016.12.07

『脳に免疫力をつければ病気にならない!』 苫米地英人 (コグニティブリサーチラボ株式会社)

Th_51tilqayql 日の話の続きとなりましょうか。
 昨日の基準で言えば、苫米地さんの理論はぎりぎり「エセ医学」「非科学的」となるかもしれません。苫米地さんは脳科学者ですが、全体として非常に未来的な思考をしますから、今の「科学」(近代科学的手法)では証明できない話も出てきています。
 私はほとんど全てにおいて、苫米地さんの言いたいことが分かりますし、また、それこそ科学的なエビデンスはゼロですけれども、絶対的な「実感」「実観」というのがあります。そこに共感、共振というのがあるのは動かしようのない真実でして、それは、まさに「情報空間」での現象なのかもしれません。
 この本で強調されているのは、私たちの体に起こる変化(たとえば病気)は、脳が作り出したものであり、脳がアクセスしている「情報」のエネルギーをコントロールすれば、病気は治るし、それ以前に病気にならない、つまり健康になるということです。
 「病は気から」と昔から言いますが、苫米地さんに言わせると、それ以前に「健康は気から」ということになる。すなわち「気」とは「情報」であるということです。
 昨日書いた、私が今実体験しているモノも、そうした「情報空間」、別の言い方をすれば「高次元宇宙」にアクセスする道具のようです。
 最先端物理学では、高次元宇宙に関する研究も進んでいます。つまり、苫米地さんの唱える理論や、私の関わっているモノの原理については、未来には「常識」となるのかもしれません。
 科学の世界では、当然と言えば当然ですけれども、事実が先行して、そして私たちの理解がそこに追いついていくわけです。
 昨日も書いたとおり、私たちが理解できないからと言って、その事実の全てを「ニセ」とか「エセ」とか断じてしまうのは謙虚さが足りないと思います。
 もちろん、低次元で詐欺的な行為をしたり、あるいは利己的な行動を無意識的にとったりする人はいますよ。それはすぐに分かります。くり返しになりますが、私はそういう人たちを、人一倍嫌います。当然、自分はそういう人にはなりたくない。
 そうそう、「なりたくない」と書いて思い出しましたが、この本で面白かったのは、「病気にならない」と唱えては病気を招くという話です。
 「無意識は肯定と否定を区別しない」。これはなるほどと思いましたね。たとえば、「病気にならない」と言うのは、「病気」になる自分を想像して、それを否定するという過程を踏んでいるわけですね。「ガンが治る」もガンであることを認めてしまっている。
 たしかに、「ああいう人にはなりたくない」と言った私も、自分に実はそういう人になる要素があるから、それを否定したくて、あえてそういう表明になるわけですよね。
 ですから、苫米地流に「私は健康だ!」と全肯定してしまえばよいと。「私は善人だ!」ってね(笑)。いや、冗談ではなく、たしかにそれが情報のエネルギーを最大化し、そして「コンフォート・ゾーン」を変化させたり、形成させたりする。
 それはやはり実感としてよく分かります。人が私のことを「はったり野郎」と呼ぶのは、あまりにも簡単に断言するからかもしれませんし、人が不可能だと諦めてしまったことを、こりずに追い求めつづけるからかもしれません。
 ありがたいことに、私自身は、苫米地さんが薦める、「ストレス・コーピング」も結構得意な方ですし、ゴールを現状の外に設定するのも日常茶飯事ですし、楽譜を見て楽器を弾く、それもヴァイオリン属を弾く機会が多い。
 苫米地さんが一日一食を否定されているのは、ちょっと残念でしたが、それも理解はできますよ。あくまで、私の一日一食は、自分にとってのコンフォート・ゾーンであって、他人には勧めたりしませんしね。あくまで私の流儀であると。
 ま、いずれにせよ、とても共感できる内容の本でした。一度、苫米地さんともお会いしてお話してみたいなと思いました。レベルは全然違いますが、いろいろな面、たとえば歴史観などでも共有できる部分がありますので。

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2016.12.06

『「ニセ医学」に騙されないために』 NATROM (メタモル出版)

危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!
Th_51mundyzcgl 近も、某科学者の方から「ニセ科学」を振り回すなと叱られました。全然振り回してないんですけど。
 そう、お気づきの方も多いと思いますが、私のやっていることの8割くらいは「ニセ…」と言われてもしかたないものですね。
 「ニセ科学」はもちろん、「ニセ歴史学」「ニセ宗教」「ニセ哲学」「ニセ政治学」「ニセ経済学」などなど…。では、いちおう専門の「文学」ではとうかというと、あんまり「ニセ文学」とは言われませんね。そこに事の本質が見えてきます。
 教育ではどうかなと考えると、「ニセ教師」とは言われませんが、「ハッタリ教師」とは日常的に言われます(笑)。
 そんな「ニセ人生」を歩んでいるワタクシではありますが、ここのところさらに危険な領域、「ニセ医学」の方にも足を突っ込んでおります…と、客観的に書けるところが、ある意味ワタクシらしさでもありますな。
 この前も「ニセ科学」と言われて腹が立つわけでもなく、妙に納得さえしてしまったわけですが、こちらの「医学」に関しても全く同じスタンスであります。
 今、関わっている「ニセ医学」は、あまりにその効果が絶大であるため、ここにはその詳細を書くわけにはいきません。しかし、私の周辺にいる方々の多くが「実体験」しているので、どうも単なるマヤカシではなさそうなのです。
 こういうモノがどこから来たかというと、どうも未来から来たようでして、面白いことに、ネイティブアメリカンの有名な長老のお墨付きさえいただいたというシロモノであります。
 おそらくこれを表舞台に出してしまうと、そのモノによって利権を侵される巨大な力の反発を受けることになるでしょう。場合によっては命さえ危ないかもしれない(?)。
 しかし、私は、自分の直観として、これはホンモノだと思っています(全く科学的な判断ではありません)ので、なんとか最終的には世に出したいと思っています。慎重に慎重に事を進めます。
 さて、そんなわけで、世で「ニセ医学」と言われるものがどんなものなのか、そのあたりを勉強しています。この本なんかその入門には最適でしょう。
 ここでしつこく確認しておきますが、私は「ニセ科学」やその一部である「ニセ医学」、「ニセ歴史学」、さらには「ニセ宗教」なんかも基本大嫌いです。それを振り回して金稼ぎするような人は軽蔑しています。
 しかし、世の中には、そういう意味ではなく、現代においては「ニセ」と評価されてしまうモノに純粋に興味を持ち、研究に取り組んでいる人もいるのです。私の知り合いにも、尊敬すべきそういう人たちが比較的多数いらっしゃいます。
 これも言い古された表現で、ある意味注意すべき言葉ですが、「全ての発見、発明は、それがなされる以前には全てウソ、妄想であった」というのも真理だと思います。
 考えてみれば、今の科学の常識も、以前は非常識であったものばかりですね。私たちは人類は、そうした批判や嘲笑を乗り越えて進歩してきたわけです。
 なんでも「ニセ」という言葉で片付けてしまうことは、そうした本来の人類の姿勢から外れていると思います。事実、私は数々の妄想を実現してきました。妄想実現党なるニセ政党まで作っている始末ですから(笑)。
 というわけで、この本の内容も、全くその通りだと思う反面、いや科学的に証明できないからと言って全てがニセとは限らないだろう、とも思うのであります。本当にそれが半々という感じで自分の中にあります。
 それはそれで、自分としては非常に健全な姿勢だと思っています。若い頃はどちらかに偏る傾向があったのですが、ここのところ、さまざまな二項対立の構図は薄れ、うまいこと融合できるようになってきました。年の功ですかね。
 理屈、客観、論理をつきつめるのも人間として崇高な姿勢ですが、それらの補集合たる世界の存在を認めるのもまた、謙虚という崇高なあり方だと思います。

Amazon 「ニセ医学」に騙されないために

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2016.12.05

2018年(平成30年)は特別な年

 ったく時が経つのは早いものでして、今年も師走となりました。
 来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが、では再来年のことを言うのはいいのではないかということで、2018年のことを書いておきます。
 再来年は平成30年。来年は酉年ですから、再来年は戌年です。
 今上天皇の譲位問題について、先日こちらにちょっと書きましたが、今上天皇のご意向としては平成30年の11月に大嘗祭を行いたいようですね。
 前の記事に書いたとおり、私はそれに賛成する立場です。法的な問題や政治的な問題は別として、歴史的、いや霊的に考えると平成30年は大きな区切りをつける絶好の機会となるからです。
 2018年(平成30年)は次のような区切りがあるんです。

嵯峨天皇宸翰勅封般若心経1200年
後醍醐天皇即位700年
明治維新から150年
第一次世界大戦終結から100年
出口なお没後100年
田中角栄・中曽根康弘生誕100年

 まず最初の嵯峨天皇宸翰勅封般若心経1200年ですが、かなりマニアックなところですけれども、これは非常に重要な意味を持っています。
 嵯峨天皇の果たされた歴史的な意義はここでは省きますが、三筆の一人でもある嵯峨天皇が般若心経をお書きになり、それをお納めなさったということにおける神仏の融合の霊的な意味は非常に大きいと思います。
 平成30年はその写経の行なわれた818年と同様に戊戌の年となります。大覚寺の動画をご覧ください。

 そして、大覚寺と言えば南朝大覚寺統。天皇家が南北に分裂したのは後醍醐天皇が即位した1318年。再来年はそこからちょうど700年となります。
 それ以来、霊的には分裂したままの天皇家。この前あえて書かせいただいたとおり、国民統合を象徴する以前に、天皇家が統合されていない状況のまま、700年が経ってしまったわけです。
 それを霊的に解決できるのは、それぞれ南北両朝の霊統を継ぐ、皇太子殿下と秋篠宮殿下しかいません。
 また、そこに深く関わっている有栖川家と出口家のことも忘れてはいけません。ちなみに大覚寺の最後の宮門跡である慈性入道親王は、有栖川宮韶仁親王の第二皇子。慈性入道親王は明治維新の年に亡くなっていますから、再来年は150年遠忌となります。北朝系の親王が大覚寺の宮門跡になったというのも象徴的ですね。
 さて、今書いたように、明治維新から150年というのも非常に大きい節目です。いつかも書いたように、日本は明治維新以来の世界戦争に巻き込まれており、考え方によっては今もその戦争は継続しているのです。
 私は再来年に150年にわたる近代戦争がようやく終結を迎えると考えています。世界はその方向に動いています。そして、日本の霊的勝利が確定する…そう信じています。
 第一次大戦の終結は1918年。そこから100年というのもまた象徴的ではないですか。そして、その1918年には出口なおが没しています。そして、昭和を象徴する巨頭、田中角栄と中曽根康弘はその年に生まれています。
 そう言えば、今日、安倍総理が年末に真珠湾を訪れることが発表されましたね。まさに戦後の総決算の時が来ているのだと感じます。
 これらを総合的に考えますと、やはり平成30年(2018年)は、日本の歴史、世界の歴史にとって非常に大きな節目、区切りの年になるに違いありません。私は楽しみにしています。来年はそこへ向けて、私もしっかり準備をする年だと思っています。

 

 

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2016.12.04

ユーキャン新語・流行語大賞 2016 について

 「本死ね」をどうとらえるか。私は非常に不快に思います。大騒ぎはしたくありませんが。
 新語・流行語に該当するのかという以前に、自国に対して「死ね」という言葉を使う「大人」の気がしれません。その言葉を使う親の子どもが気の毒です。
 人に「死ね」と言うことはもちろん、たとえば「アメリカ死ね」とか「韓国死ね」とか言えばヘイトスピーチと言われ、そして絶対に流行語大賞には選ばれませんよね。
 まあ、考え方によっては、日本という国の寛容さ、あるいは謙虚さを表しているのかもしれませんね。国譲り理論の一つとも言えます。
 いずれにせよ、こんな言葉を年末に選んで大騒ぎする国もないでしょうね。やっぱり寛容なんですよ。
 ちなみにウチの家族は誰かに「死ね」と言われたら、「ありがとう。言われなくてもいずれ死ぬよ」と言うことにしています(笑)。
 ただ、日本はしなない…と打ち込んで変換キーを押したら「シナない」となりました…これは(笑)。日本の場合は死ねと言われても死にませんよ。だから動じなくていいのです。気分よくないけれども言わせておけばよい。
 それを言ってしまった本人は、ある意味国を家族のように、親のように思っているんじゃないでしょうか。甘えられる存在。親だからこそ言えちゃうというのもあるじゃないですか。
 親も「親に死ねとはなんだ!」と一言恫喝して終わりにすればいいでしょう。
 ちなみに上の動画は民進党の公式チャンネルです。この言葉をこうして前面に押し出してくる民進党。残念ですね。いや、怒られたいのかな。甘えてるのかな(笑)。
 そう言えば先週でしたか、先々週でしたか、蓮舫さんが山梨を訪問しました。輿石東さんを称える会にも出席していましたね。
 今となってみればですが、輿石さんはそれなりの器の人でしたよ。称える会には自民党の地元選出議員さんたちも参加していました。
 かつてはかなり強硬な反輿石だった私が言うのもなんですが、蓮舫さんや日教組のお偉方には、せめてこちらの輿石さんの(産経の!)インタビューを読んでいただきたいものです。
 

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2016.12.03

第36回 浅草JAZZコンテスト

Th_img_6686 は8年ぶりになりましょうか。浅草JAZZコンテストの応援に行ってまいりました。私の奉職する富士学苑中学・高等学校のジャズバンド部(Moon Inlet Sounds Orchestra)が7年ぶりに出場したのです(ウチの娘もベースで参戦いたしました)。
 今日は午前中仕事だったため、後半のバンド部門から鑑賞。浅草は大変な人で賑わっていました。
 前回7年前の出場では見事グランプリを受賞しましたが、その時は自分のコンサートが八ヶ岳でありまして応援に行けませんでした。前々回8年前は金賞と浅草ジャズ賞を受賞しました(こちらの記事参照)。
 結果から言いますと今回は見事「銀賞」を獲得いたしました。生徒諸君、そして顧問の先生、おめでとうございます!
 グランプリや金賞受賞経験のある身内の者として、もしかするとちょっと悔しい結果だったかもしれませんが、予選参加150組近くの中から本線に出られるのはたった16組。およそ10倍の難関ですからね。その中で3位ですから立派なものです。
 まあ、身びいきではなく、選曲、演奏、会場の雰囲気などなど総合点ではウチのジャズバンド部がトップだったと思います(思いっきり手前味噌か…笑)。
 が、他の出場者も非常にレベルが高く、いろいろな事情を考えますと「銀賞」も納得の結果だったと思います。ちなみに娘は本番のソロでコケたことにショックを受けていましたが…すぐに立ち直っておりました。
 さて、今回は大変ユニークなバンドが多く、バラエティに富んでいて全く飽きずに集中して鑑賞することができました。
 それぞれ講師の先生方の講評に納得させられましたが、ここでは、エセ評論家のワタクシめが、僭越ながら(失礼ながら)各バンドに寸評を加えさせていただきます。あくまでも古今東西絃楽器演奏者としてのコメントです。

 1 ジャズ箏 Ramses…山田流箏をやっていた者として一言。素晴らしい。めちゃくちゃ上手いですよ。やったことがある人でなければ分かりません。見事でした。ここまで箏でジャズできるんだという感動。特に邦楽独特の(調弦&押手による)狭い半音程がブルージーで素晴らしかった。
 2 高橋由香里カルテット…うまい。講評ではもっと山場をというようなことがありましたが、新しい若いジャズはこれでいいと思いました。昔のおじさんたちの感覚では物足りないかもしれませんが。非常にスタイリッシュで未来的な演奏でした。
 3 DUOSKE…ギターもベースも超絶技巧。本当にうまい。ただソリスト賞をとったベーシストの方、クラシックを学んでしまったマイナス面が出ていたと思います。たとえばフィンガリング。無駄がなさすぎで見た目的につまらない(笑)。吉木さんと対照的。音程もボウイングも完璧だが、それで何を表現しているのかわからなかった。これからに期待。
 4 DALIHI…スマートなフュージョン。私好みのバンド。ここでもコール・アンド・レスポンスを求められていたが、最新の音楽は空気のようでもいいのでは。たしかに浅草ジャズには「人情味」が必要ですが(笑)。これからもブレずに極めてほしいなあと思いました。
 5 Swing Strong Strings…ギターのお二人はお見事。ジャンゴ風な運指も見られた(シロウト目に)。ベースも安定。やっぱりヴァイオリンですかね。ヴァイオリン弾きとして断言できますが、グラッペリには近づくことも難しい。あの音と会話(おしゃべり)を聴いてしまうと、どんなジャズ・ヴァイオリニストもイマイチになってしまう。ヴァイオリン弾きは辛いですね(苦笑)。
 6 笹下中学校 SASAGE JAZZ ENSEMBLE ORCHESTRA…公立中学でこのクオリティーを持続するのは、ホントすごい。中学生らしい演奏という意味でも出色の出来でした。厳しい練習してるんだろうなあ。中学校教師としていろいろ想像しながら聴いてたら、なんだかホロッとしてしまいました。頑張って。そして音楽を続けて下さい。
 7 ウチの学校…内堀さん同様、もうたくさん聴きすぎていてコメントしづらいので一言。素晴らしい。
 8 ラテン連合軍…さすが日大&東工大OBチーム。よく見かける(た)顔が散見されました。リーダーはウチのジャズバンド部のOB。昔からしゃべりはうまかったけど、今回も厳しい質問にも上手に答えていて、そこに感動(笑)。演奏は完璧。ラテンはずるいと言えばずるい。一番分かりやすいので。特に1曲勝負の時は。講評でも言われていたように、渋い演奏にも挑戦すると「ギャップ」でさらに盛り上がるバンドになると思います。聴く方としては、ずっとあの調子だと疲れます(日本人は)。

 というわけで、本当に全体が素晴らしいコンテストでした。聴衆として大満足です。みんなよく練習してますね(反省)。
 ところで…やっぱりすごかったのは「ゲストステージ」。佐藤秀也さんのサックス&フルート、向井滋春さんのトロンボーンはもちろん、吉木稔さんのベース、関根英雄さんのドラムス、そしてそしてなんと言っても本日のスペシャル・グランプリはピアノの市川秀男さんでしょう。
 今日MCの紹介にもあったとおり、椎名林檎さんの伴奏があまりに素晴らしく、最近もYouTubeで観なおして娘たちと感動したばかりだったので、今日は生でその演奏を感じることができて最高に幸せでした。
 ちなみにこのお宝ショウのすぐあと、某ライヴハウスで斎藤ネコさんと共演させていただきました。贅沢な幸せでございました。

 おっと大切なこと忘れてた。司会の牧岩雅夫さん、相変わらずいい味出してたなあ。最近司会業の多い(笑)ワタクシとしても、大変勉強になりました。

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2016.12.02

Jay Hardway 『Sonia』

 ランダで活躍中の若手DJジェイ・ハードウェイの新曲『Sonia』のPVを観てビックリ!見慣れた風景が…カッコよくなっている!
 Martin Garrixとの共作「Wizard」が世界的ヒットになり、今年9月には来日公演も果たしたJay Hardway。日本でも人気が上昇中です。
 そんな彼が来日に際して、日本で、それも山梨で、それも富士吉田を主とする富士北麓でPVを撮ったのです。
 地元の人なら分かるかなあ。ホテル鐘山苑の庭園とか、不二阿祖山太神宮とか、忍野のとうもろこし畑とか(笑)。
 ふむ、西洋人にしてみると、実にエキゾチックなんでしょうね。いや、日本人が見ても、なんか特別な感じがしますよ。
 浴衣姿の女の子が光の玉を追いかけていく。たどり着いたところは、明見(笑)。
 不二阿祖山太神宮の三柱鳥居はたしかにカッコイイかも。それにしても、最後、宮司さんが象さんのお人形を持って微笑んでいるところが、なんとも謎ですね。なんかカワイイ。
 まあ、それにしても、見慣れた風景がドローン撮影するとこんなにカッコよくなるんですね。すごいなあ。もちろん音楽もカッコイイ。日常を編集し直すとこんな別世界が広がるわけです。
 日常の再編集こそは、私たちの人生を豊かにしてくれるアートです。というか、アートは日常の再編集そのものなんですよね。
 もちろん再編集とは映像に限ったものではありません。音楽も文学も絵画も映画も演劇も全てそれです。
 そういえば、12月8日に「スサノオの海」という歌集が出るんですが、私のやっている「短歌(和歌)」なんか、非常に分かりやすい「再編集」の例ですよ。作歌していると、「再編集」という言葉にピッタリな意識になります。
 ま、あまりそういう意識が強くなるといい歌が生まれないのも事実ですけれどね。
 そういう意味では、この「Sonia」のPVはギリギリの線を行っていると思います。

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2016.12.01

カリタ 『手挽きコーヒーミル クラシックミル』

Th__20161202_84417 は生まれて初めてコーヒーを挽きました。いやあ、今までなんでこんな素晴らしい作業をしないできたのでしょうか。
 コーヒーは好きで毎朝飲んではいたわけです。粉で買って、普通にコーヒーメーカーで淹れてですね。
 ただ、最近、街のカフェが流行ってるじゃないですか。コンビニでもおいしいコーヒーが飲める。特にセブンイレブンのコーヒーはおいしく感じる。なぜなら、目の前に豆が詰まっているからですよ。
 それをガーッとその場で挽いて淹れている。その雰囲気、ヴィジュアルがおいしそうなわけです。
 それで、これは我が家でもそうした演出が必要だということで、このたび初めてコーヒーミルを買って挽いてみたわけです。
 もちろん香りと味も違うのはもちろん、たしかにあの挽いている時の五感への刺激がたまりませんね。
 まず、視覚。あえてフタを開けてハンドルを回してみると、豆が踊っている。それだけでも楽しい気分になります。
 続いて聴覚。あのガリガリという音はたまりませんね。機械の均等な音ではなく、ちゃんとメロディーが奏でられる。まるで楽器を操っているかのよう。
 楽器と言えば、触覚も大切です。あの振動が心地よいですよね。
 そしてもちろん嗅覚。粉では味わえない、あの香り。ぜいたくです。ここがポイントですよね、コーヒー好きにとっては。
 そして、最後に味覚。やはり挽きたては違う。今日はスーパーで安い豆を買ってきて試してみたのですが、気分も含めて明らかにセブンカフェより美味しい!新鮮な苦味、酸味が素晴らしい。粉の時は、思わずミルクを入れてしまうことが多かったのですが、やはり挽きたてはブラックがいいですね。
 というわけで、これは電動の機械では味わえない、実に人間的な喜びであります。ヨーロッパ人がほとんど中毒と言っていいほどはまったのは、こうした五感へのバランスの良い刺激があったからでしょうね。
 そして、このカリタのクラシックミル、デザインもおしゃれですし、機能的にも優れている。安定感もあるし、挽きやすい。
 挽ける量が少ない(小カップ4杯分くらいが限度)のと、引き出しから粉を取り出すのがちょっとコツがいること以外は完璧だと思います。このお値段でこのぜいたくをこれから毎朝味わえるということ自体がぜいたくですね。
 これからはいろいろな豆を買って、挽き方も工夫してみたり、いろいろ実験していきたいと思っています。
 この歳になって、こんな人生の喜びに出会えるとは(笑)。

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