古事記講座終了〜譲位問題について
今日、富士河口湖町にて全5回で担当した「古事記講座」が終了いたしました。毎回熱心に参加してくださった聴講生の皆さま、ありがとうございました。
古事記講座と称しながら、話は宮下文書、出口王仁三郎、仲小路彰と、いかにもワタクシらしく大脱線しながら天地開闢から悠仁さままで時空を駆け巡りました(笑)。富士山にまつわる「異神話」も堪能していただけたかとは思います。
特に今日は天孫降臨から未来の日本まで一気にお話しまして、皆さんちょっとついて来られなかったかもしれませんね。なにしろ「国譲り」でいっぱいお話しすぎまして、最終回が超早送りになってしまいました(苦笑)。
さて、今日は講座のまとめとして、ここ数日でも有識者会議で大きく意見が分かれた「譲位」のことについてお話させていただきました(「生前退位」という言葉は使いません)。
その時の板書の内容が以下のメモです。お分かりになる方にはお分かりになるでしょうね。かなりきわどいお話になっています(◯で囲ってある人物は富士山に縁の深い方々です)。
古事記からの日本の皇室の流れの中には、さまざまな「国譲り」があります。そこを捉えないと、このたびの譲位問題もその本質が見えてきません。
対立構図が生まれた時に、「譲ることによって生き残る」という手段(作法)をとるのが日本流。
皇后さまの御製(御歌)をもう一度味わうべきです。
国譲り祀られましし大神の
奇しき御業を偲びて止まず
しかし、国譲りはあくまでも暫定的な措置です。どこかでそれを魂レベルで統合、和合していかねばなりません。それが我々日本の大きな課題なのです。
「日本国民統合の象徴」という難題に真剣に取り組まれてきた今上天皇のお持ちを考えてみて下さい。
ここではっきり書いてしまいますが、実は現在の天皇家は、国民の統合以前に、南北朝時代以来の「皇室の統合」ができていないのです。
しかし、ここへ来て、上のメモにあるように、南北両朝の霊統がバランスよく皇太子さまと秋篠宮さまのお二人にあって、さらに悠仁さまのご存在がある。
これはまさに、後醍醐天皇以来700年の皇統分裂を再統一するチャンスとなるのです。
実は後醍醐天皇の即位は1318年。すなわち再来年2018年はちょうどそれから700年目となり、また明治150年にも当たるのです。
今上天皇陛下におかれましては、現在のさまざまな意味でのお立場では、とても一人でその問題を解決することはできません。
そういう意味で、ご子息お二人にその大任を託すというのは、大いに結構なことであり、そういう次元で考えると、やはり「お気持ち」を尊重申し上げて、ご譲位をスムーズにできる環境を整えるべきというのが、私の考えです。
皇太子さまはもちろん、秋篠宮殿下のお役割も非常に大きいと感じています。
ちょうど今日は秋篠宮さま51歳のお誕生日。昨日それに先立って記者会見がありました。上記のことをふまえた上で、ぜひこの記者会見をお聴き下さい。
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