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2016.11.30

古事記講座終了〜譲位問題について

 日、富士河口湖町にて全5回で担当した「古事記講座」が終了いたしました。毎回熱心に参加してくださった聴講生の皆さま、ありがとうございました。
 古事記講座と称しながら、話は宮下文書、出口王仁三郎、仲小路彰と、いかにもワタクシらしく大脱線しながら天地開闢から悠仁さままで時空を駆け巡りました(笑)。富士山にまつわる「異神話」も堪能していただけたかとは思います。
 特に今日は天孫降臨から未来の日本まで一気にお話しまして、皆さんちょっとついて来られなかったかもしれませんね。なにしろ「国譲り」でいっぱいお話しすぎまして、最終回が超早送りになってしまいました(苦笑)。
 さて、今日は講座のまとめとして、ここ数日でも有識者会議で大きく意見が分かれた「譲位」のことについてお話させていただきました(「生前退位」という言葉は使いません)。
 その時の板書の内容が以下のメモです。お分かりになる方にはお分かりになるでしょうね。かなりきわどいお話になっています(◯で囲ってある人物は富士山に縁の深い方々です)。

20161201_10_32_44

 古事記からの日本の皇室の流れの中には、さまざまな「国譲り」があります。そこを捉えないと、このたびの譲位問題もその本質が見えてきません。
 対立構図が生まれた時に、「譲ることによって生き残る」という手段(作法)をとるのが日本流。
 皇后さまの御製(御歌)をもう一度味わうべきです。

 国譲り祀られましし大神の
     奇しき御業を偲びて止まず

 しかし、国譲りはあくまでも暫定的な措置です。どこかでそれを魂レベルで統合、和合していかねばなりません。それが我々日本の大きな課題なのです。
 「日本国民統合の象徴」という難題に真剣に取り組まれてきた今上天皇のお持ちを考えてみて下さい。
 ここではっきり書いてしまいますが、実は現在の天皇家は、国民の統合以前に、南北朝時代以来の「皇室の統合」ができていないのです。
 しかし、ここへ来て、上のメモにあるように、南北両朝の霊統がバランスよく皇太子さまと秋篠宮さまのお二人にあって、さらに悠仁さまのご存在がある。
 これはまさに、後醍醐天皇以来700年の皇統分裂を再統一するチャンスとなるのです。
 実は後醍醐天皇の即位は1318年。すなわち再来年2018年はちょうどそれから700年目となり、また明治150年にも当たるのです。
 今上天皇陛下におかれましては、現在のさまざまな意味でのお立場では、とても一人でその問題を解決することはできません。
 そういう意味で、ご子息お二人にその大任を託すというのは、大いに結構なことであり、そういう次元で考えると、やはり「お気持ち」を尊重申し上げて、ご譲位をスムーズにできる環境を整えるべきというのが、私の考えです。
 皇太子さまはもちろん、秋篠宮殿下のお役割も非常に大きいと感じています。
 ちょうど今日は秋篠宮さま51歳のお誕生日。昨日それに先立って記者会見がありました。上記のことをふまえた上で、ぜひこの記者会見をお聴き下さい。


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2016.11.29

追悼 永源遥さん

Th_imgp0388 あ、なんとも切ない知らせでした。
 大好きなサウナで倒れたとか。まあ、なんとも永源さんらしい最期であったとも言えますが…。
 試合観戦でつば攻撃を受けたこともいい思い出ですし、引退後も試合会場で何度かお見かけして、頑張ってらっしゃるなと思っていました。
 9年前には、秋田県皆瀬村『みちのくメルヘン物語』プロレスで一緒に写真を撮らせていただきました。
 試合内容からもお人柄をうかがえましたよね。永源さんを慕っている方は数知れず。その人脈の広さはプロレス界随一でした。引退記念パーティーでは西城秀樹さんのミニライヴもありました。

 恥ずかしそうにYMCAの振りをする永源さんが可愛らしい…。
 きっと、お葬式にも大変な数な方々がいらっしゃることでしょう。プロレス界、スポーツ界はもちろん、芸能界、政界、ヤクザ界…。そう、森喜朗さんとも非常に仲が良かったんですよね。似たタイプと言えば似たタイプですね。
 全日本時代の試合を観て、故人を偲びたいと思います。この試合、なんか覚えてます。いい味出してますね、永源さん。
 ああ、この6人のうち、ご存命なのは渕選手だけということですか…なんとも、なあ。そうそう、渕選手といえば、先日大仁田選手とのタッグでチャンピオンになりましたね。62歳での戴冠です。

’90ジャイアント・シリーズ」1990年9月29日~後楽園ホール~

 永源さんも59歳でタイトル挑戦しています。それもシングル。この試合もよく覚えています。7分強の試合時間ですが、内容は実に濃い。なんともプロレス的な世界が展開しています。
 永源さんのトレードマークである、つば攻撃はもちろん、その他の動きもいい。そして甲高い声もよく出ていて、コンディションの良さがよく分かります。肉体の管理も含めてプロ意識の高い方でした。

永源遙VS丸藤正道 - 2005年1月23日

 最後にやはり、定番のお客様へのつば攻撃を振り返りながら、ご冥福をお祈りしましょう。ラッシャー木村さんのマイクパフォーマンスとともに、「荒魂」の中の「和魂」でありました。

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2016.11.28

しくじり先生 3時間スペシャル

 ととい書いたように、我が家では山梨の民放2局しか映らないので、テレ朝のこの「しくじり先生」、テレビでは観ることができません。
 しかし、今ではネットのいくつかの方法で観ることができます。まずは公式ページ。こちらで12月12日まで視聴できます。
 さらに、スマホではTVerで観ることができる。そして、YouTubeにアップされたものを倍速で観ることもできます。
 今日、どうしてもこの番組を観たかったのは、3人の先生のうち、ブル中野さんと中田敦彦さんの話を聴きたかったからです。
 ブル中野さんについては、プロレスファンなら彼女の栄光と「しくじり」はよく知っているのですが、それをどう一般人に授業するのか、プレゼンするのかが楽しみでした。
 これがなかなか良い内容でした。プロレスファン、ブルファンならずとも、ちょっと感動したのではないでしょうか。
 それから、中田さんについては、まず話題が「星の王子さま」であったこと。
 実は今日、ちょうどエルサルバドルの駐日全権特命大使さまとお会いしたんですが、郵便局に一緒に行った際、ひょんなことから「星の王子さま」の話になったのです。
 そう、私も以前こちらで書いた、サン・テグジュペリの最愛の妻コンスエロって、エルサルバドルの方なんですよね。だから、星の王子さまにも火山の話なんかが出てくると。
 ちょうどそんなタイミングだったことと、あと、これは我が家(だけ)の秘話なんですけれど、オリラジあっちゃんと福田萌ちゃんの結婚に、実は私たち家族がちょっと(いや、だいぶ?)関わっているのです。
 そう、私たち家族、あっちゃんと萌ちゃんが初めて出会った某番組に出演したのです!5年前の話です。その収録のことについては、こちらに書きました。
 あの時、私たちが仲良しバカボン家族ぶりを見せつけたことが、あの二人を結婚に導いたのだと、勝手に思っています(笑)。
 で、「星の王子さま」の話なら、ぜったいに萌ちゃんとの結婚の話が出るだろうなと思って観たら、やっぱり最後はそれで決めてましたね。いい話になっていましたよ。

 「運命の人」とは突然出会うわけではない。相手を大切にしながら過ごした時間が少しずつ相手を「運命の人」にしていく。

 素晴らしい。
 なるほど、この番組、教師としても勉強になりますね。プレゼンですから、授業は。ま、生徒の反応が良すぎますが(笑)。これを機に時々観てみようと思います。

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2016.11.27

キャパシタの時代到来か!?

Th_ucf300x225 の前、分かりやすいニュースとして、数秒でスマホを充電!?3万回以上使える超効率バッテリー技術を米大学が開発というのがありました。
 正確に言うと、これは「充電するバッテリー」ではなく、「蓄電するキャパシタ(コンデンサ)」ですよね。まあ一般的には、スマホと言えば充電、充電と言えばバッテリーですから、表現としては良いでしょう。
 私、このスーパーキャパシタについては、7年前にこちらで、「これでエネルギー問題は解決だ!」みたいなことを言っています。地熱発電とキャパシタ。今でもそう思っています。
 あと、そうですねえ、小型核融合炉発電と、人工光合成でしょうかね。これからの日本のエネルギー問題の命運を握っているのは。
 実は、それらについてはもともと日本は得意なんですよね。お家芸にまではなっていないけれど、ずっと世界をリードしてきた。
 特にキャパシタについては、多くの企業が参入しつつあり、たとえば、Google様のニュース検索で「キャパシタ」と入れると、こんなふうにジャンジャン新技術のニュースが出てくる(おそらく7年後でもそうでしょう)。
 私個人としても最近、某重工業系大手に就職した教え子に、これからは大型のキャパシタを開発して、それをコンテナ船に積んで電力を世界中に売る時代だ、タンカーで原油を運ぶ時代は終わる!などと、勝手なアドバイスをしております(けっこう本気)。
 それこそ勝手なコンサルティングですが、これからはキャパシタで伸びる会社の株を買ったほうがよいかも。私は株はやりませんが、純粋に世のために投資するというのなら考えますよ。
 ちなみに超シロウトのワタクシには、キャパシタで蓄電した電気をちびちびとバッテリーのごとく取り出す技術のアイデアがあります。ナイショですけど(笑)。そこが大きな障壁ですからね。
 あとは、しばらくはバッテリーとのハイブリッドです。それも案外行けるのではないかと思っています。専門家の方、ぜひ頑張ってください。大いに期待しております。
 

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2016.11.26

池上彰のニュースそうだったのか!! 『ランキングから見える日本と世界の現実SP』

 近は仕事から家に帰ると、ある単純作業を2時間ほどやっております。単純作業ではありますが、大変面白くドキドキワクワクする内容です。
 当分この単純作業が続くと思いますが、いつかその内容を発表できる日が来ると思いますよ。というか、それを信じて毎日やっております。
 さて、その単純作業ですが、それをしながらネット動画を観る…ではなくて聴くことが多い。それも実は楽しい勉強の時間になります。
 今日はいち早くアップされた「池上彰のニュースそうだったのか」を倍速で聴きながら作業いたしました。
 もう最近はテレビをリアルタイムで観ることはほとんどないですね。録画か、あるいは動画サイトで観る。
 特に長時間番組については、動画ですと倍速で鑑賞できるのでいいですね。討論番組とかね。
 ウチは山の中なので、山梨の民放2局しか視聴できません(苦笑)。テレ朝、フジテレビ、テレ東は観られない。そんなわけで、やはり動画サイトは便利ということになりますね。
 たしかにこうしてテレビ文化は急速に変化しつつある。文化としてだけでなく、いやそれ以前にビジネスとして衰退していますよね。
 この前書いた電通の件も、そうした流れの中の一つと言えるかもしれません。広告の業態が大きく変化している。もちろん電通もそのへんはいち早く察知していたと思いますが、なかなか長年培ってしまった体質は変わりませんからね。
 そういう意味でも戦後は終わるのかもしれません。昭和史はテレビによる1億総白痴化の歴史とも言えますから。
 おっと、肝心の番組の話ではなくなってしまった。ま、いいか。内容は観ていただければそれで分かりますからね。それこそ倍速でも全く問題なく観賞できますよ。

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2016.11.25

椎名林檎 『ありあまる富』

Th__20161126_144915 日は椎名林檎さんのお誕生日。おめでとうございます。
 最近、ウチの高2と中2の娘が、すっかり椎名林檎にはまってしまい、ひそかに両親はしめしめと思っている次第であります。
 私は男として(!)当然林檎ファンでありますし、カミさんも歌い手としての林檎さんを尊敬して、今まで何曲かカバーしてきました。
 そんな林檎一家である我が家でありますが、ワタクシめはけっこう林檎さんと近いところにいるのですよ(!)。斎藤ネコさんとはヴァイオリンで即興共演したことありますし、林檎さん大好きでテレビでも共演したことのある、つのだたかしさんとは古くからの友人ですし。
 あと、なんと言っても、志村正彦くんのお通夜では、林檎さんをはじめとして東京事変の皆さんとお会いすることになりました。なんとも辛い思い出です。
 そう、そう言えは、椎名林檎さん、少し前のインタビューで志村くんのことをこう語っていましたね。

 「ありあまる富」は書いた当初、自分が書いたものとは思えないくらい遠いところにあって。実際には、最初は「価値は 生命に従って付いてる……のかな? どうかな? てへ」くらいの感じでした。でも、そこからいろいろなことがありました。志村(正彦 / フジファブリック)くんが亡くなり、(中村)勘三郎も亡くなってしまった。震災もありましたし。そのように胸の痛むさまざまなことがあったときに、それでも自分たち流行歌手はせめていつも通り歌わなくてはいけないんだと気付いたりして……。志村くんが亡くなってすぐに出演したフェスで「ありあまる富」を歌わなければいけないことがすごくつらかった。だって、要するにこの曲は「死んだらおしまいよ」って言っているようなものだから。
 でも、そういう経験こそがこの曲に命を吹き込んでいったんだと思うんです。どこか当てずっぽうで書いたのだけれど、この曲をこれからも歌わなきゃいけないんだって、いろんな犠牲や別れを体感して5年くらいかけて自覚していったのだと思う。作家として、歌手として。

 私も、この「ありあまる富」が妙に胸に響いてしまい、けっこう一人車の中でヘビーローテーションして泣いていたんですよね、あの頃。やっぱり志村くんのことがあったからだったのかと、この林檎さんのインタビュー読んで納得してしまいました。
 ちなみに上の写真は2009年のSONGSで「ありあまる富」を歌う林檎さんです。これ良かったなあ…彼女の魅力について、当時の私も熱く語っていますね。まさか、この数ヶ月後、志村くんが天国に旅立つとは夢にも思っていませんでしたが…。
 そんなわけで、今日は椎名林檎さんの名曲、「ありあまる富」を聴いていただきましょう。PVには御本人は登場しません。だからこそ、純粋に楽曲の良さ、詩の深さに心が共鳴するような気がします。
 志村くんも、きっとこの曲聴いてますよ。天国で。


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2016.11.24

「七人のコント侍」より(個人的)神回

 日の板倉さんも何回か参加していたNHKの「七人のコント侍」。
 普段共演することのあまりない組み合わせも含めて、いろいろな芸人さんの化学反応が見られる番組として、私もずっとチェックしてきました。
 この番組を見て、私は中学にコント部を作ろうと思ったんですよ。ああ、生徒もこうやって普段と違う組み合わせで化学反応を起こすと、それぞれの隠れた才能や個性が出るかなと思ったら…見事に爆発しましたよ(笑)。
 コントは本当に教育的効果が高い。いろいろな意味で。ものすごく勉強になります。昨日書いたように厳しい世界なだけに、かなり真剣勝負ですから。
 さて、数々の名コントを生み出した「コント侍」ですが、私の一番好きな回というのが、この2013年の第2期の8月3日の回。
 というか、実はこれが「コント侍」初体験だったのです。それまで見ていなかったのに、たまたまテレビをつけたらやっていて、それを下の娘と一緒に見て大笑いしたのが最初というわけ。
 人間って、なんでも「初体験」が一番ってなりがちじゃないですか。音楽なんかもそうですよね。やっぱり「出会い」は特別です。
 いや、そういうこと抜きにしても、この回はやっぱり全体に面白い。娘はもちろん、コント部の連中に見せても、やっぱりこの回は格別に面白いらしい。
 というわけで、その伝説の神回をご覧くださいませ。私は特に…う〜ん、なんだかんだ言って白鳥かなあ。昨日の板倉さんじゃないけど、人間の深層心理って面白いなと。なんか納得してしまいました。
 では、どうぞ。

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2016.11.23

板倉俊之単独ライブ 『クリミナル・ピエロッツ』+『なんでも大臣』

Th_2016103120531127d64d29e851820584 宿ルミネtheよしもとで行なわれた、インパルス板倉の単独ライブに行ってきました。
 お笑いのライブは久しぶり。ルミネtheよしもとは初めてです。
 板倉ファンの姉に誘われたわけですが、コント部の顧問として勉強させていただく大変良い機会ともなりました。
 それから、今月はやたらと司会業の仕事が入って(いったい本職は何なんだ?)、それもほとんどアドリブで笑いを取らなければならないようなものが多く、ま、いわばピン芸人みたいなもんですよ。そういう意味でも勉強になった。
 そうそう、昨日もある祝賀会の司会をやったんですけど、なんとアントニオ猪木さんから「元気ですか!…1・2・3ダーッ!」という内容の祝電が来ていて、もうこれはまじめに普通に読むわけにいかないので、いきなりリアルものまねでやらせていただきました(笑)。ウケたから良かったようなものの、滑ったら祝賀会ぶち壊しとなるところでした(汗)。
 板倉さんの芸については、インパルスとしても大好きでしたし、たとえばコント侍なんかでも、その独特のセリフ回しやテンポ感にかなりはまっていたのですが、やはり舞台となるとだいぶ違った印象を受けましたね。
 まずは、非常に文学的であること。ご自身が小説家であるわけですから当然と言えば当然ですけれどせ、やはり言葉の選び方には独特のセンスがあるなと感心しました。特に使い古された(ある意味くさい)セリフに、新たな生命を吹き込むというところ。
 そう、セリフもキャラ設定も「よくある」ものばかりなんですが、それをほんの少しずらして提供してくるんですよね。使い古されているものだから、観客はみんなすぐに共有できるし、その微妙なズレやブレを楽しむことができる。
 それは、新作の「なんでも大臣」でのことわざや慣用句いじりにも言えることです。普通の日常を揺さぶってくるんですね。私たちの「常識」って、実はものすごく変なモノばかりだったりする。そこに「気づき」という笑いの種があるわけです。
 国語の教員として、ワタクシもそういうネタを授業にたくさん仕込んできました。今回のネタにも「おっ、これはパクれるな」というものがたくさんありました。使わせていただきます(笑)。
 実はそういう日常を崩すのが「文学」なんですよね。突拍子もないことは誰でも言えますし、その時はワッと驚かすことはできるけれども、深いところでジワジワ笑わせたり、感動させたり、切なくさせたりするのは、やはり日常の「小事件」だったりするのです。それが日本の伝統的な芸。文学も映画もお笑いも歌も。
 ところで、御本人も恐縮するほどかみかみだったのは、私としてはそれは気にならなかったというか、逆に自然にすら感じられましたよ。
 これって面白いですよね。今も受験生に面接の指導なんかしてるんですが、台本どおり読む感じにはしたくないので、あえてつまったり、え〜を入れたり、少しかんだりする練習をさせているんです。その方が印象いいんですよ。こいつ覚えてきたのを棒読みしてるなと思うと、面接官というのはツッコミたくなるんですよ(私もそう)。
 それから、昨日も私、司会で冒頭からかんじゃったんですが、本番ってやっぱりそういうモノなんですよね。練習ではつまずかない、なんでもないところでコケる。これはよくあることです。私もコンサートで演奏する時、いつもは間違わない簡単なところでコケることが多い。
 そうだ、この前、学校の礼拝という仏教の時間の司会をしてた時、教師生活30年にして初めて般若心経を間違えちゃったんですよ。いつもなら空で読んでいるものを、その日に限って経文を見ながら読んだら、見事に飛んじゃった(笑)。そういうものなんですね。
 しかし、そこは私もいろいろな舞台で鍛えられています(つまり失敗ばっかり…)。いつもと同じ「平常心(へいじょうしん)」ではないものの、何が起きても動じない「平常心(びょうじょうしん)」は身につけているので、間違いをネタにすることができるようになりました(笑)。昨日の司会でも段取り間違えましたが、それをネタにして引っぱって盛り上げちゃいました。
 そんなわけで、板倉さんの単独ライブ、そんな意味でもじわじわと共感できる内容で満足いたしました。結局のところ、日常に潜む私たちの日常の不条理と深層心理がえぐり出されて、気持ちよかったのかな。そうそう、板倉さんが好んで使うバンプの音楽の世界もそういう感じですよね。
 でも、やってる方としては、お笑いってめっちゃ大変だよなあ。ゴールが「笑い」しかないんですから。感動や悲しみや怒りとかいう選択肢はほとんどないし、基本何度もくり返し味わってもらえるものでもありませんから。
 だからこそ、素晴らしい仕事だとも言えるわけです。私も生まれ変わったらそちらのお仕事をしてみたいかも!?

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2016.11.22

福島県沖M7.4が発生

Th_img_6487 5時59分に福島県沖で大きな地震が発生、津波も観測されました。
 その数分前、秩父地方で深発地震があり、当地も少し揺れました。それで目を覚ました直後に再び緊急地震速報が鳴り、ラジオが緊急情報に切り替わりました。その後のことは皆さまもご存知のとおりです。大きな被害が出なかったようで一安心しました。
 さて、その後ツイッター上である科学者から批判をされ、いくつかのやりとりをしました。あまり気分がいいものではないし、論争は好きではないので、ここで復習はしませんが、例によって「疑似科学」という言葉を使われたのは正直不快でした。
 私の地震予測は常々言っているように「非科学」ですが、「疑似科学」だとは思っていません。もっと言ってしまえば(より怒られるでしょうが)、私のは「非現代科学」であって、もしかすると「未来科学」ではあるかもしれません(笑)。
 ここのところの富士山ラドン濃度の異常や、スーパームーン関係、そして、先日のニュージーランド、和歌山の地震について、このブログでも言及してきておりましたが、月曜日周辺が危険日とさりげなく書いたものが、たしかに「たまたま」的中したということでもあります。
 しかし…科学者の方は、多くの科学者がよく言うように「小さな地震はいくらでも当てられる」という論点で私を批判してきましたが、私の地震予測をご存知の方は、私が決してしょっちゅう注意喚起したり、不安を煽る発信をしているのではないことを理解してくださっていますよね(実際、ずいぶん味方をしてくれました。ありがたや)。
 私の地震予知の方法は、科学者が最も嫌うものであることは認めます。なぜなら、そこには「物語」や「体感」、しまいには「霊感」などという言葉が登場するからです。
 さらには、仲小路彰の歴史哲学、そして科学観(彼はアインシュタインと交流のある科学者でもありました)から、未来学、逆視法(未来から現在を観る)を学んでいます。ある意味、現代科学の因果関係と正反対のものの見方をするので、それはまあ嫌われますよね、科学者さんたちには。
 もう一つ、かっこつけて言うならば、高次元宇宙からの情報(それを直観とか霊感とか呼ぶ)を受け取る環境にあるので、ますますオカルト的、疑似科学、エセ科学的に見えるのは致し方ないと思っています。
 さて、そのような「非現代科学」の視点からしますと、やはり一連の流れは、2011.3.9に似ていると言わざるを得ません。それは誰が見ても「似ている」です。他人の空似であっても。
 科学者はその他人の空似には「なんの意味もない」と言います。私は出口王仁三郎からは雛型理論を学びましたので、そこに意味を見出します。それは「物語」と呼ばれます。ますます科学者ドン引きですよね(笑)。
 それはそれでいいのです。人間の叡智、あるいは自然の叡智、地球の叡智、宇宙の叡智からすると、いわゆる「科学」なんていうものは、実にちっぽけな世界観です。だから理解されなくて当然なのです。だから彼らは結局、疑似「科学」という言葉でしか、我々を批判できないのです。あくまで科学の小さな領域でしかものを考えられない。その他膨大な、ほとんど無限な補集合については、「意味がない」と断ずるしかないのです。
 ああ、結局愚痴になってしまいましたね。すみません。
 そんなことよりも、そうした「物語」的地震予測の立場としては、今後の余震の状況によっては、さらに大きな地震が沖合で発生する可能性があることを意識しておかねばなりません。
 教訓として、2011年3月9日のニュースをもう一度観てみましょう。纐纈先生のコメント、そして福島第一原発の映像が私たちに大切なことを教えてくれます。人間の、(現代)科学の無力さを。
 あっ、もちろん科学者の中にも、私の世界観を認めてくれる方はたくさんいらっしゃいますよ。私はそういう方々から多くを学んでいます。

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2016.11.21

【討論】トランプ大統領とその後の世界

 みません、公私ともども妙に忙しいので、こちらの討論を紹介して本日の記事といたします。
 保守系の方々は、だいたいトランプさんの当選をプラスにとらえていますね。基本私もそういう意見です。
 トランプさんが、常識的な政治をせざるを得ないというのも現実ですし、頭もいい人でしょうし、また、周囲のブレーンもなかなか優秀だと聞いていますので、まずトンデモないことにはならないと思います。
 しかし、最終的な判断については、ギャンブラー、そしてプロレスラーとしての「野生の勘」にまかせるかもしれませんね。それもまたいいでしょう。

 この討論でも盛んに話されているように、インターネットによってマスコミが急速に弱体化しているのは事実です。
 エセグローバリズム(仲小路彰の言う真の「グローバリズム」ではなく、ユダヤ的無国境主義)が推進してしまったインターネットが、皮肉なことにナショナリズムを後押ししてしまった。
 あと一歩のところだったのでしょうが、まさに一厘の仕組みですねえ。大どんでん返しが起きつつあります。
 こういう時だからこそ、日本は、そして日本人は、未来的思考、高次元的思考をしていかなければなりませんね。

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2016.11.20

中邑真輔選手WWE入場曲『The Rising Sun』

 19日、WWEで活躍中の中邑真輔選手が、移籍後初黒星を喫しました。タイトルマッチでサモア・ジョーから3カウント奪われました。
 負けたとは言え、現在中邑選手の人気は絶大。連勝記録にも一区切りつけて、ここからまた新しいShinsuke Nakamura像を作り上げていくのでしょう。
 日本でもレスリングセンスの良さに加え、独特のキャラづくりでも突出していた中邑選手。本場アメリカでも自分らしさを存分に発揮し、アメリカ人のハートを鷲掴みにしております。
 19日の試合の入場シーンの映像がさっそく入ってきましたので観てみましょう。
 

 すごいですね〜。かっこいいですね〜。会場を一気にShinsuke色に染めてしまう。プロレスは現代の神話ですからね。一般的な人間をはるかに超えた姿、パフォーマンスでなくてはなりません。
 たくさんのヴァイオリニストに囲まれてますね。この曲はその名も『The Rising Sun』。もともとは黒人ソウル・ヴァイオリニストLee England Jr.が一人で演奏していたのですが、このトロント大会は特別にゴージャスな演出ですね。

 この曲では力強い演奏を聞かせてくれているLee England Jr.、本来は非常に軽やかな演奏をするヴァイオリニストです。黒人ならではの感性で、西洋的ではない、ある意味本来のヴァイオリンの魅力を表現してくれる奏者ですね。私はこういうヴァイオリン好きです。

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2016.11.19

和歌山でM5.4

Th_img_6460 日お昼ごろ、和歌山県南部を震源とするM5.4の地震があり、広い範囲で震度4の揺れを感じました。遠く離れた当地富士山でも震度1〜2を記録したことからも分かるとおり、やや震源は深め、50〜60kmでした。
 この地震が発生してすぐに私は5年前のある地震を思い出しました。それは2011年2月21日にほぼ同じ場所(深さも同じ)で発生したM4.9の地震です。
 なぜこの地震を覚えているかというと、やはりあの3.11東日本大震災の直前に発生した地震だったからです。また、ニュージーランドのカンタベリー地震の1日前だったこともあります。
 そう、ちょうど先日記事に書いたばかりですが、先週13日にカンタベリー付近でM7.8の地震があったではないですか。そんな流れもあの年の記憶と直結して、思い出したというわけです。
Th_img_6459 もちろん、だからと言って近く日本で大地震が発生すると言うわけではありません。しかし、実際の科学的地震予知が不可能であると分かっている現在、私たちがもし大地震を予測し減災を心がけるならば、そうした歴史、記憶に頼るしかないのです。
 自然にはたしかにある種のパターンがあります。それがたとえ科学的に証明されない、再現性の不確かなものであっても、それを無視するのは愚かなこと、あるいは人間の思い上がりです。
 それと別の視点も。今年の秋は変に暖かい。さらにこの夏から鳥が少ない。ここ富士山麓は野鳥天国なのですが、とにかく夏の朝も鳥が鳴かなかった。ここのところも見るのはカラスの群ればかり。ちょっと異様です。
 最近もすずめの姿が見えないとの報告がありましたし、山に入っても鳥や虫がいないという話もありました。なんとなくですが不穏な感じなのです。
 これは頭で考えているというよりも、勘というか体感というか、自分の中の原始的なモノがなにかを感知している感じなのです。
 もちろん、いたずらに不安を煽る気はさらさらありません。ただ、自分の中で「ちょっと気をつけよう」という気持ちでいることを表明しているだけです。
 何も起きなければ、それはそれで良かったということになりますが、一方で、いつかも書いたように、地震はいつか必ず起きるものなので、できれば早く起きた方がいいという考え方もできる。つまり発生が遅くなればなるほど規模は大きくなるということです。
 3.11東北地方太平洋沖地震の最大余震もまだ発生していませんし、今回の和歌山の地震からも想像される南海トラフの巨大地震の発生も確実に近くなっています。
 とにかく私たちは「天災は忘れた頃に…」を忘れず、常に準備と心構えをしておくことですね。
 我が家で測定しているラドン濃度もここのところずっと高めの状態が続いています。なかなか収束しません。これは経験的には比較的緩やかかつ大きめな動きを捉えているものと考えられます。
 さまざまな情報が次なる大地震の近づいていることを暗示しているのかもしれません。なにしろ、大地震が発生することは100%確かですし、それがこうしている間にも1秒1秒近づいているのもまた100%間違いないのですから。


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2016.11.18

『ようやく「日本の世紀」がやってきた』 日下公人・馬渕睦夫 (WAC BUNKO)

Th_51jbpysksl_sx318_bo1204203200_ 3日前の記事で、馬渕睦夫さんの最新講演会の動画を紹介しました。
 今日はその馬渕さんと日下公人さんの対談本を読みました。対談本ですので、一気に読むことができますし、お互いに質問、解説しあっているので、私たちにとっても分かりやすい。
 馬渕さんの世界観は「ユダヤ史観」そのもの。この本には日ユ同祖論やモーゼ来日説まで飛び出し(もちろんご本人も注意が必要と言っていますが)、非常に危ないギリギリの線での対談が繰り広げられています。
 もちろんそこに眉をひそめる方もいらっしゃるし、実際馬渕さんの周辺の方でも、笑みを浮かべながら「ちょっと過激なんだよね」とおっしゃる方もいます。
 私は、何度も書いているとおり、そのあたりの「トンデモ」とも取られかねない世界の端緒とも言える、出口王仁三郎や仲小路彰をかじっているので、それほど抵抗はないものの、一方で、そのルーツの事情を知っているだけに、もうその百年間続いている「物語」(陰謀論とは言いません)が、はたしてそのまま現代に通用するのか、少し迷いもあります。
 まあ、そのへんは置いておいてですね、とにかくトランプ現象も含めて、この2016年の一連の動きに関する馬渕さんの解釈というのは、私のそれとほとんど同じなんですね。
 ですから、私がここで書けない(知識と筆力の問題です)ことについては、ぜひこの本を読んでいただいて理解していただきたいと思います。
 仲小路は「21世紀との対話」シリーズを数多く残しています。それはまさに、今世紀が「日本の世紀」となることの予言であったわけです。
 私もたしかにそうであると信じています。とは言え、そういう「自国中心主義」や「選民意識」や「セルフ・ヒロイズム」が、大東亜戦争の大義に結びついていったこともよく知っていますから、もちろんあらゆる意味で慎重でありたいと思っていますが。
 全然関係ありませんけれども、この本の中で印象に残った話、山梨県民として「へ〜」と思ったのは、「峠の地蔵の物々交換」の話と、堀内光雄さんと石油公団の戦いの話でした。

Amazon ようやく「日本の世紀」がやってきた

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2016.11.17

吉田秀雄と鬼十則

Unknown んだかなあ…というニュース。電通が来年度の社員手帳からあの「鬼十則」を削除するとのこと。
 いろいろな意味でため息が出ますね。亡くなった方がいるので、あまり軽々しくは言えませんが、こうして昭和が終わっていくんだなという感慨。
 昭和と言ってもいろいろな側面があります。もちろん、ノスタルジックな「漢」の代表格、吉田秀雄の遺訓が本場から消えるという寂しさという一面もあれば、GHQ主導の電通の創立と繁栄という「戦後」が終わるという、ある種明るい感慨もある。
 私は広告という世界が好きですし、中でも吉田秀雄については、日本プロレスとの関係、すなわち正力松太郎との関係、さらには山梨出身の小林一三との関係などもあって、格別な興味を持っておりました。
 下の画像は、「鬼十則」を新聞で見た小林一三が、大いに共感感激し、「謹賀新年 今日、毎日の夕刊にて貴下に関する記事を拝見しました。ついては、その「鬼十則」なるもの 全部同感にて老生も東宝の若い連中に受け売りしたいと思いますから、原稿紙でも色紙でもよろしいから、 御自筆一枚頂戴いたし度い。新年早々吉報お待ち申し上げます。おねがいまで。」という賀状を送ったの対して、吉田が書き記して返送したものです。
 
20161118_120556

 あらためて活字にしてみましょうか。

1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

 私も好きですね。これのどこが悪いのでしょう。言葉をそのまま受け取って、ああだこうだ言うほど、我々の文学センスは退化してしまったのでしょうか。電通の内部ですらそうなんですから、いわんや我々一般大衆をや。
 万葉集研究の大家であった中西進先生が、この「鬼十則」にほれこみ、そのエッセンスを「狙え。放すな。ひきずれ」という「鬼三則」に要約したのは、さすが文学の人という感じがしますよね。
 吉田秀雄は「広告は科学であり、芸術である。科学と芸術の融合活動である」と言いました。全く同意ですし、実に素晴らしい文化的な、それも日本文化的な世界観だと思います。
 「鬼十則」、電通さんが使わないなら、私が使わせていただきますね(笑)。


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2016.11.16

司牡丹 純米吟醸『吾唯足知』

Th_41gsoh9axl_sy445_ 近、毎週のように新しい銘柄の日本酒を飲んでいます。気の合う方々とのおいしいお酒ほど楽しいものはありませんね。
 その中で特に印象に残っている日本酒を紹介いたします。高知県のお酒、司牡丹の「吾唯足知」です。
 「吾唯足知」と言えば龍安寺のつくばいが有名ですよね。実にナイスなデザインです。口を巡って、時計回りにちゃんと並んでいる。それも漢文の「吾唯知足」ではなく、訓読の語順通りというところがいいじゃないですか。
Th_unknown つまり、これは日本人のデザインなんでしょうかね。
 ちなみに「吾唯知足」という言葉自体も日本人の発明だと言われています。もちろん孟子をはじめとして、漢籍には「知足」がたくさん出てきますが、「吾唯」を加えて「吾唯足るを知る(のみ)」としたのは日本人の可能性が高いとのことです。
 「知足」は禅の奥義の一つです。龍安寺のあの石庭が象徴するがごとく、決して過剰ではない、必要最低限、いや究極的には「無」にさえも満足するということです。
 ですから、そこに「吾唯」を加えることによって、ある種の禅的悟りの境地を表現したということでいえば、やはり、いずれかの禅僧が「吾唯足るを知るのみ」を日本語として考えだしたのだろうと思います。
 それが偶然か、あるいは意図的か、全ての漢字に「口」が含まれていた、さらにそれが上下左右に見事に配置されたということでしょう。
 おっと、お酒の話を忘れてた(笑)。このお酒、京都ではなく高知のお酒ですが、本当に禅味に溢れた逸品だと思いしました。
 まさに過剰な感じがしない、実にあっさりとしていて、もしこの名称でなかったら、ちょっと淡白過ぎるかなというくらい、まさに「知足」な味わいです。そういう演出効果も大切でよすね。
 かなり気に入ったので、また買い求めようと思います。そして空き瓶に安い紙パック酒を入れて「足るを知る」にしようっと(笑)。

Amazon 司牡丹吾唯足知

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2016.11.15

馬渕睦夫氏講演 『アメリカ新大統領下で世界はどうなる』〜国際金融資本の世界戦略を阻止出来るか〜グローバリズムVSナショナリズム

 小路彰や出口王仁三郎を少し勉強しているワタクシが、比較的共感する歴史観を持っている有識者と言えば、元ウクライナ大使である馬渕睦夫さんをまず挙げねばなりません。
 馬渕さんの御著書も何冊か読んでいます。いわゆる陰謀論とは次元の違う「ユダヤ国際金融資本」論を中心に、そのユダヤの目指す、国家の壁をなくす、いや国家自体を否定する「グローバリズム」に対して、日本やロシアやこのたびのトランプの基盤となっている「ナショナリズム」との対立構図は分かりやすい。
 実のところ、それはすでに戦前において、仲小路や王仁三郎が語っていることそのままなわけですから、考え方によっては100年近く前からその構図が変わっていないということにもなりますね。
 いや、この前記事に書いたとおり、明治維新以来の150年戦争ということです。そして、その150年戦争がもうすぐ終結するかもしれない。
 昭和20年8月に仲小路は「我等斯ク勝テリ」という文書を発信していますが、まさにあの終戦は勝利への始まりだったのかもしれません。
 少し話がそれましたが、そんな馬渕さんの最新講演の様子が動画に上がっていましたので、ここに紹介いたします。
 こういう世界の見方もある、そして、それは重層的なこの世界の一面をかなり正確に描いているということを知っていただきたいと思います。もちろん、それは一面に過ぎないのだけれども、こうした見方が、大手マスコミでは紹介されていないことは事実です。そういう意味で、大変刺激的ですし面白いと思います。
 はたして、これからの世界は、仲小路が提唱した「グローバリズム」いわば本当の「グローバリズム(地球主義)」や、王仁三郎の目指した「みろくの世」に向かっていくのでしょうか。
 今日は横田めぐみさんが拉致されてから39年目の日でした。何度も書いているように、私は幼い頃めぐみさんと一緒に遊んだ仲でしたので、本当にこの件に関しては胸を痛めています。
 今年のこの大きな世界変革の動きが、この事件の解決に向けての大きな追い風になることを祈ります。

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2016.11.14

スーパームーンと地球潮汐

Th__20161115_105610 地では雨がそぼ降り、とてもお月さまを拝むお天気でありませんでした。昨日は我が寝室の月見窓からきれいに見えていましたが。
 さて、昨日も書いたとおり、スーパームーンがいつも大地震発生のトリガーになるわけではありません。少し考えればわかりますよね。たとえばドアを開けるとして、私たちがだんだん力を入れていって、あるところで扉が動き出す。決して最大限の力を出し切ったところで開くわけではない。
 もちろん、その最大限の力でなければ開かないドアもあるでしょうが、そればかりではないし、最大限の力でも開かないドアもある。
 個別の地震の発生ポイントは千差万別であり、さまざまな力関係が複雑に絡み合っているわけです。
 しかし、なんだか矛盾するようですけれども…私が中学時代、有史以来日本国内で起きた地震で記録されているものを全部調べ上げたところ、月齢7や21あたりでの発震が多かった。つまり上弦・下弦の月(半月)の頃ということですね。まあ、もしかするとなんらかの因果関係があるかもしれません。
 ちなみに、月や太陽の引力によって地面が盛り上がったり戻ったりする現象を「地球潮汐」と言います。東大の次の資料が分かりやすくて勉強になります。

地球潮汐 - 陸地の干潮・満潮

 そこにもあるように、海の大潮にあたるケースでは、地面は30センチくらい盛り上がります。これって結構ダイナミックなことですよね。この堅くて重い?地面が、グググッと30センチも盛り上がるわけですから。私たちを乗せてですよ。
 そのダイナミックな力が、当然地殻内部に影響を及ぼすことは想定されます。地震のみならず火山の噴火についても研究している方がいます。
 引力は距離の二乗に反比例します。このたびのスーパームーンは通常(平均)より5%ほど距離が近くなるので、ええと、どう計算すればいいんだ?(笑)…まあ、それほど大きな値にはならないでしょうね。
 それにしても、最近は「◯◯ムーン」と称して、世界中の人たちが月を眺める機会が増えましたよね。これはこれで面白い文化現象だと思います。
 言うまでもなく、大海や大地をも動かす月の引力は、人間にも強く作用しています。女性の生理的な周期や出産が月の引力と関わっているというのは、おそらく事実でありましょうし、男も狼になる…いやいや、それは冗談…いやいや、何かあってもおかしくないですよね。交通事故や殺人事件の発生率も月齢と関係があるとか。
 というわけで、中学生のワタクシの説に従うと、このあとの下弦の月のころ、すなわち来週の月曜日周辺が危険日ということになりますでしょうか。ま、そんなに自然は単純ではありませんが。


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2016.11.13

ニュージーランドでM7.8

Th_img_2943932b1628f2fd40b73920265a ュージーランドでまた大きな地震がありました。マグニチュードは7.8。内陸の直下型ですので、大変大きな揺れになったと思います。心配です。
 2ヶ月ほど前の防災の日、今年の9月1日づけの記事にニュージランドの地震(と日本)という記事を書きました。ぜひ、それをご覧ください。トンデモな「物語」なれど、なぜか無視し難いことが書いてあります。
 ちょうど昨日付けの記事にも、「物語」が世界を動かすという話を書きましたし、雛型経綸の出口王仁三郎について書いたところでした。
 しかも明日が68年ぶりという「超スーパームーン」。案外知られていませんが、東日本大震災の8日後も「普通のスーパームーン」だったんですよね。
 まあ、科学的に言えば(ちょうど昨日の記事で言うところの歴史学にあたる)、スーパームーンだけが大地震のトリガーになることはないわけですが、私の中学校時代の自由研究(!)によると、たしかに地震の発生と月齢には明らかな対応関係があります(満月とは限らない)。
 やはり人間のイメージとしては、つまり理論ではなく、物語的に言えば、月がいつもより近くなって引力が強くなると、地震が発生しやすそうな感じがするじゃないですか。その意識が集合すると地震が起きる…なんていうトンデモなこともあるかもしれません。
 まあ、そういう話は置くとして、2011年2月の死者200人近くを出したカンタベリー地震は、2010年9月の本震の最大余震だと言われています。ちなみに本震ではそれほど大きな被害は出ませんでした。
 つまり、熊本の地震でもそうであったように、大きな地震が起きた場合、その周辺の断層などが刺激され、より大きな地震が起きたり、より危険な領域で大きめな地震が起きたりするので、その後の地震活動にこそ注意を払うべきなのです。
 そういう意味では、東日本大震災を招いた東北地方太平洋沖地震の最大余震はまだ発生していないというのが、私の見解であり、それが「本震」よりも小さい規模なのか大きい規模なのかさえ判断できないというのが事実です。
 日本においても、数十年のスパンの中で、その最大余震の発生に対して、しっかりとした覚悟と準備が必要だということです。
 とりあえず、今回のニュージーランドの地震を、対岸の火事ならぬ南半球の地震と思うのではなく、我がこととして捉えることが大事ですね。

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2016.11.12

『切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言) 誰も知らなかった日本史 皇室に隠された重大な真実』 出口恒・飯塚弘明 (ヒカルランド)

Th_515liu0pttl_sx339_bo1204203200_ 日は東京にて、この本の著者出口恒さんの講演を聞いてきました。共著者の飯塚さんとも久しぶりの再会。
 講演の最初に語られた、トランプが新しい世界を作り出す荒魂、トリックスターとして働くというお話は、私の考えと完全に一致します。そして、そこから一般的な日本史とはたしかに違う「誰も知らなかった日本史」のお話がどんどん展開していきました。大変面白い。
 この本に書かれていないお話も豊富にあり、講演会としては大満足の内容でありました。
 私はずっと王仁三郎的世界に触れてきましたし、この本の最後に「次回作に著したい」と書かれている「富士の霊石」にも深く関わる宮下文書にもどっぷり浸かってきました。そして、最近では王仁三郎と完全に同レベルの知られざる巨人仲小路彰にも出会いましたから、このようなある意味「トンデモナイ」話に抵抗がない…どころか、大変興味深く接することができます。普通の人ならドン引きするモノばかりですよね(笑)。
 ちなみにこの本に書かれていること、すなわち王仁三郎が書き遺したもの、あるいは霊的に他人に書かせたものについて、私は完全にその内容を信じている、あるいは事実であると考えているわけではありません。
 尊敬する歴史学の重鎮伊藤隆先生にお会いした時にも、これらについて、実証科学的に「あやしい」「間違っている」「危険」というようなお話をうかがい、たしかにそうだと思う私もいます。
 しかし、先生にも申し上げましたが、それがたとえ嘘であっても、その言葉たちが多くの有識者たちを動かしていたのは揺るぎようのない事実ですので、それもまた歴史の一部として扱いたいし、アカデミックな立場の方々はそこには触れられないでしょうから、私のようなシロウトがそこを真剣に考えるのは悪くないと思います。
 実は今日、昼間はこうして大本の世界に心遊ばせたのですが、夜は天理教の世界でお酒を呑みながら陽気づくしを楽しみました。
 そこで思ったこと。トランプ現象を支えたアメリカの大衆の心理と、天理・大本の信者たちの当時の心理は、かなり近いものではなかったのかと。
 トランプ関係の記事に書いたとおり、そこには近代的な科学や工業やマネー(すなわち「コト」)以前の、モノが蠢いており、つまり「物語」こそが現実を動かすということなんですよね。
 ですから、いわゆる歴史学の立場から一笑に付すというのは、未来を見誤るきっかけになってしまいます。実際、イギリスのEU離脱もトランプ勝利も、いわゆる有識者たちは見誤ってしまったわけですから。
 そういう轍をさんざん踏んできたことを私たちは忘れてしまうのです。それを神話の世界の話からずっと覚えていたのが、たとえば出口王仁三郎であり、仲小路彰であったと、私は考えています。
 そういう世界観でモノを見られる方には、ぜひこの本を読んでみていただきたい。そこに大切な未来へのヒントが隠されているように思います。
 オニや仲小路が、「未来を予言していた」とのちに言われるのには、そういうワケがあるではないでしょうか。
 あとは、こそに皇室が深く関わっているということですね。出口王仁三郎と仲小路彰の霊的な接点はそこにあります。
 王仁三郎は有栖川宮熾仁親王の落胤、仲小路はその有栖川家を実質的に継いだ高松宮さまのブレーンだったわけですし。そして、そこに富士山がまた大きく関わってくる…。
 私も「富士の霊石」を身近で研究している者として、その壮大な物語をしっかり復習し、そして、明治維新以来の、日本の巻き込まれた150年戦争に終止符を打ちたいと考えています。

Amazon 誰も知らなかった日本史

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2016.11.11

ベースの日

 日は11月11日。とういことは…ポッキーの日。
 とともに、今日は「ベースの日」でもあります。1111がベースの4本の弦を表しているとのこと。
 かの亀田誠治さんが企画し、おととし正式に記念日に制定しました。
 今日も赤坂BLITZでスペシャルなライヴが行われています。昨年の出演者はすごかったですねえ。スタンリー・クラークや、私の尊敬する女流ベーシストTOKIEさんも参加しておられました。
 今年の詳細などはベースの日公式ページでご確認ください。
 そうそう、今日はそんなベースの日にふさわしいある動画をご紹介いただきました。昨日の「トランプとプロレス」という記事に、音楽プロデューサーの山田貢司さんがコメントくださり、そこで紹介してくれたのがこの動画。ふむ、これはすごい(笑)。

 くそまじめにやってるところが良い!China(笑)。
 私もヴァイオリンやヴィオラで人のセリフのカバーをして遊ぶことがありますが、音程採るの難しいんですよねえ。これは完璧(笑)。それもフレット楽器でやってるところがなあ。谷啓さんがトロンボーンでやったりはしてたけど。
 ま、それは良いとして、ベース大好きなワタクシとしては、こういう記念日ができたことがとても嬉しいですね。
 地味なようで一番重要でカッコイイ。ベース自体は娘にまかせまして、最近私はチェロばかり弾いております。若いときはヴァイオリン、壮年期はヴィオラ、そしてそろそろ老いの時期を迎えるにあたり、チェロに移行しつつあります。なんでしょうね、面白い現象ですね。
 さて、ベースの魅力を皆さんが見事に語ってくれている、昨年のベースの日の記念番組をお聴き下さい。楽しそうですねえ。

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2016.11.10

トランプとプロレス

 日も、なんでセンセイはトランプ支持するの?とずいぶん聞かれました。
 もちろん、昨日書いたような未来学的な理由もあるのですが、もっと下世話な(トランプ的な)、しかし神話的な意味もあります。
 そう、ワタクシどもプロレスファンからしますと、9年前のWWEにおけるビンス・マクマホン会長との抗争を思い浮かべるわけであります。
 この大統領選での「ヒール」としての闘いぶりというのも、非常にプロレス的であり、だからこそそれはある種の演技、物語の役どころであって、その裏側の真意が分かっていたのです。
 さて、その9年前のWWEでのヒールぶりを振り返って観てみましょうか。

 今回の大統領選でトランプが勝った地域は、まんまWWEのファンが多い地域です。たかがプロレスとはバカにできませんよ。
 と、言いますか、プロレスは大衆娯楽であるということもありますが、ワタクシ的には「反近代」という意味を持つ「現代の神話」なのです。
 これは非常に重要な視点です。アメリカには「神話」が生きているということです。そして、世界は理屈(科学)ではなく神話(物語)で動いているのです。
 そんな観点をもって、レッスルマニア23でのトランプの「悪神」ぶりを味わってみましょう。

 もうお気づきと思いますが、世界の首領がどんどん「ヒール」化しています。トランプ、ドゥテルテ、プーチン、習近平、金正恩…来年のフランス、ドイツもどうなることやら。
 そんな中、日本ではすっかりヒール扱いされている安倍さん、実は唯一のベビーフェイスなんですよね。最終的にはベビーフェイスが勝つのがプロレスの物語、そして世界の神話です。
 実に面白いことになってきましたね。
 ちなみにエイブラハム・リンカーンも若い頃レスラーだったとか。

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2016.11.09

トランプ氏勝利と今後の世界・日本

Th__20161110_93143 日は世界史に残る日となるでしょうね。と言いますか、今年2016年。
 イギリスのEU離脱、そしてアメリカ大統領戦でトランプ氏が勝利。
 後出しと言われるかもしれませんが、どちらも私は予想通りでした。生徒たちには散々そう言ってきましたから証人はいます(笑)。
 なぜそのような予測をしていたかというと、仲小路彰の書いたものを読む機会があったからです。彼は戦前、戦中、戦後を通して、米英、そしてソ連の自己矛盾による没落を予測していました。
 そして、まずソ連の崩壊が彼の死後すぐに実現し、そしてそこからまた数十年して英米の没落が実現しようとしています。
 仲小路彰は昭和15年のある文書で、次のようなことを書いています。

 今日我々が当面している戦争は、世界史に於ける四つの秩序の相剋として考へることが出来る。
 四つの秩序とは何か?
 1. 十八世紀的なイギリス産業資本の秩序
 2. 十九世紀後半以後に於て急速にその独占的支配力を完成した金融資本の秩序
 3. 欧米的資本主義の自己否定として生誕した社会主義の秩序
 4. 欧米体制そのものに原理的な対立関係に立つ日本的秩序

 先の大戦だけを見れば、4だけが負けた形になりましたが、戦後日本は伝統的な作法たる「国譲り」によってその命脈を維持しつつ発展しました。
 3はソ連の崩壊という形で実質的敗北となり、1のイギリスは完全に斜陽、特に産業資本による帝国主義的イギリスは、このたびのEU離脱で復活するどころか、アナクロニズムとして葬り去られることでしょう。
 2は具体的にはユダヤ国際資本が牛耳るアメリカのことです。そのアメリカもかつての輝きは全くなく、そして今回トランプ氏勝利という、まさに自己矛盾を露呈しました。少なくともアメリカは大きく二分され、内部対立が激しくなることでしょう。
 とすると、残るは4。かろうじて生き残ったはずの4が、いよいよ勝者になる日が来るのでしょうか。
 再来年は明治150年。すなわち150年戦争がようやく日本の勝利で終結するとも考えられます。というか、私はそのように信じています。
 短期的に見ると、世界の政治経済は混乱するでしょう。しかし長期的に見れば、決して悪い流れではありません。日本にとっては様々なチャンスとなるでしょう。
 単純にアメリカ依存からの脱皮ということではなく、もっと積極的、主体的な改革をする、すなわち真の戦後レジームからの脱却のチャンスです。
 以前こちらに書いたとおり、トランプ氏と日本との間にはなかなか深い因縁があります。少なくともトランプ氏の意識や無意識の中で、日本という存在は他国に比して大きい。
 トランプ氏のブレーンたちはかなりの切れ者集団だと聞きます。今回の選挙戦も全て計算通りなのです。見事でした。
 さあ、安倍首相を中心とする日本の「頭脳」たちがどうそれに立ち向かうか。新たな戦いの始まりです。

 

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2016.11.08

『ねこ柄まにあ』 南幅俊輔 (洋泉社)

Th_51fhdkuftul よいよ明日アメリカの大統領選挙です。どうなるのか。私はトランプ支持です。きっと世界は大変なことになるでしょう。しかし、それこそ日本独立のチャンス、戦後を終わらせるチャンスとなると信じています。
 さて、そんなことより(?)、ウチの猫が増えすぎていて困っているのですがどうしましょう。猫手当てとか支給していただきたいところです。なにしろ、ウチの猫は全部保護猫ですからね。
Th_img_6332 現在6匹。珍しく一つの画面に収まりました。めったにないですよ、こんなこと。
 みんな仲良しですが、下半身不随のミーちゃんだけは、やっぱり他の猫と同じことができないので、ちょっと仲間はずれになっている感じ…いや、自ら孤立している状況ですね。
 特に子猫たちがちょっかい出すんですよ。動きが鈍いからですね。それで、ミーちゃんは怒る。まあ、人間界じゃ「いじめ」と認定されそう。
 ですから、こうしてみんな一緒に写るのは珍しい。で、ご覧になってお分かりのとおり、黒猫が2匹ですが、一方は長毛種です。ですから、けっこうバラエティーに富んでいます。デザイン的にはとても個性的。
 そして、性格もみんな違って面白いし、他の猫との関係によって変わったりする。まあ、人間と一緒ですね。
 そのあたりの、デザインの種類と性格の関係などを、見事に分類してまとめてくれているこの本。猫好きにとっては、本当にたまりません。眺めているだけで幸せになりますね。
 基本的に外猫、野良猫を対象にしているところがいい。猫好きは、カレンダーや写真集に出て来るような「きれいな」「子猫」にはあんまり興味がないんですよ。きったない成猫がいい(笑)。いや、ウチだけかな?
 猫の柄と性格の関係は、人間で言えば人種と性格の関係みたいなものですから、当然ありえますよね。ウチは今まで黒猫を4匹飼ってきましたが、たしかにおとなしく賢い。このたび初めて「トラ」系を飼うことになりましたが、たしかにヤンチャで甘えん坊かも。
 というわけで、猫を飼っている人も飼っていない人も、この本を買って和んで下さい。
 私は、時々登場する、「なんでこんな変なデザインになっちゃったのか」系に癒やされました(笑)。

Amazon ねこ柄まにあ

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2016.11.07

長崎バスのCM

 もなき一日を走る。長崎バス…教え子がまた快挙を成し遂げました。我がことのように嬉しい。
 今、いろいろと大変な電通さん。その電通に就職した教え子がこのたびTCC(東京コピーライターズクラブ)で最高新人賞を受賞しました。
 出向していた電通九州にて手がけた長崎バスのCM、ポスター。取材に取材を重ねて、誰よりも長崎バスに詳しくなった末に湧き出した「言葉」。
 そんなホンモノの言葉が高く評価され、地元でも大変な評判となり、また、こうして全国的にも高く評価されたというわけです。
 主演・監督役所広司。地方の地味な、しかし人々の生活を支えてきた「バス」の魅力、価値を、見事に表現していると思います。
 私は上掲の「オラショ」ヴァージョンが特に好きです。
 その他の受賞作品は長崎バスの公式サイトでご覧ください。それぞれが一本の短編映画…いや、長編映画を観るような、実に素敵な作品に仕上がっています。
 受賞した彼女は、某公立高校に入学したのもののワケあってやめてしまい、ウチの学校で拾ったノラ猫みたいなヤツでした。初めて会って話をした時のことをよく覚えています。この猫は特別な才能を持っているなと直観しました(笑)。
 私の直観はある意味大当たりしました。普通に勉強もできたけれど、やはり感性、特に言語感覚が憎らしいほど優れていたので、普通に勉強させるのはもったいないと思い、日芸の放送学科を目指させたのは、このワタクシであります。実は、自分の憧れの学校、職業を目指させたのですが(笑)。
 その後も、いろいろ紆余曲折というか波乱万丈ありましたが、それをも栄養分にして頭角を現し、電通にも余裕で合格、入社後も生き生きとその才能を発揮しておりました。
 ホント今、電通はいろいろ批判されておりますが、非常な多様な側面のある会社ですからね。一つの試練の時なのかもしれません。
 苫米地英人さんの『電通 洗脳広告代理店』にあったような一面もあったと思いますが、アメリカの権威、実力の低下に伴い、実際は非常に「日本的」な企業、そして業務を行なってきたと思います。教え子のような若いクリエイターをしっかり育てる風土もちゃんとあるのです。
 まあ、世の中、戦後のいろいろな行き過ぎに修正がかかり始めている感じがしますね。ここで電通がどのように変わり、あるいは変わらないのか。教え子の今後の活躍にも注目しながら遠くから眺めていきたいと思っています。
 とにかく、おめでとう。そして、ありがとう。教師冥利に尽きます。

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2016.11.06

アイリスオーヤマ IHクッキングヒーター IHK-T32-B

Th_61gmmiybfdl_sl1000_ 日は軽めに行きましょう。
 我が家もそろそろ築20年になろうかということで、というより、猫たちによってかなり破壊が進んでいます(笑)。
 今、6匹いますからね。どなたか子猫2匹もらってくれませんか?ものすごくいい子たちですよ。可愛いし。
 で、家の方は基本傷が付くくらいで特に大きな劣化はないんですが、付属機器はさすがに経年劣化で買い替えをしなければならない物が出てきました。
 まず生活に支障が出たのはガスコンロ。2口あるうち、左側はとうとう使えなくなりました。今までもいろいろごまかしごまかし使っていたんですが。
 右側も万全の状態ではないのですが、カミさんがいろいろ工夫してガンバってくれています。てか、ウチの家族はそういうの鍛えられてるんで、普通の人だったら発狂してしまうような不具合も、なんとか我慢と知恵で…いやいや、持ち前のいい加減さで乗り切ってしまうところがあるんですよね(笑)。
 それでも、さすがにコンロが一つだと湯もわかせないということで、このたび安いIHクッキングヒーターを買ってみました。
 なんとなく本格的にIH化したりするのには抵抗があったんですが、これのようにカセットコンロの代わり程度の存在感ならいいかなと。
 で、ずばり感想ですが、私たち家族、すなわち縄文人にとっては、なんだか火がないのに熱くなるのがなんとなく納得できず、温まったモノ自体に、なんだかだまされているような気がして、おいしいものもあまりおいしく感じないんですよね。これはもちろん製品が悪いのではなくて、私たち縄文人の火への信仰がよくないんです(笑)。
 そんなこと言ったら、電子レンジも炊飯器もダメですよねえ。縄文人はその辺の違いというか同じというか、それが分からないようです。
 ま、今まで火がぼうぼう燃えていたところに、火も煙も、また熱さもない、別の神様が降臨してしまったという感じなのでしょうが、そのうち慣れるでしょう(笑)。
 火力というか熱力の面では実は充分なのですが、やはり見た目のイメージ的に、たとえばお湯が沸騰するのに時間がかかっているような気がするんですよね(実際はそんなに変わらない)。やはり心理的なものです。
 まあ便利な時代になりましたよね。一人暮らしとか、ご老人には安全でいいかもしれませんし、何しろ手入れが楽でいい。軽くて持ち運べますし。
 ウチは災害(停電)の時のことも考えて、コンロ型ストーブも備えています。古典的なものと新しいものをしっかり使い分けていきたいですね。

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2016.11.05

SQ KISAS & 石井裕太 ジャズ・コンサート

Cd_2

 来場くださった皆さま、誠にありがとうございました。
 本当に素晴らしいコンサートでしたね。ワタクシは司会でありながら、純粋な一観客として心震わせておりました。
 黒川ひとしさんの編曲による、弦楽四重奏とサックスによるジャズ、タンゴ、ボサノバなどの演奏。その編成からだけでも、そのスペシャルな響きが想像できますよね。
 そして、黒川さん独特の編曲。今日も司会の言葉の中で申しましたが、その和声感覚、無調性感、ポリフォニックなセンス、休符を活かしたリズム、スイング感。
 それが超絶にうまい奏者たちによって見事に現実化され、まさに世界唯一の時間と空間を体験することができました。
 そして、なんと言っても今回のコンサートの目玉は、地元都留出身の期待の新人サックス奏者石井裕太くん。
 彼の演奏は彼が学生の時代からずっと聴いてきましたが、今日、こういう編成で改めて聴く機会を得て、その天賦の才に驚きさえ感じました。
 私はこのブログで何度も述べているように、楽器にせよ、歌にせよ、最高の音楽表現を「美空ひばり」だと思っております。そういう観点、聴点から言っても、裕太くんの表現は最高レベルにあったと思います。
 これも舞台上で思わず言ってしまいましたが、やはり弱音の美しさ(高音でも低音でも)、隅々まで魂のこもった一音一音に、ただならぬモノを感じました。
 特に、私のわがままでアンコールまでさせてしまった、クラリネットによる「オブリビオン」は、この世のものとは思えないほどの美しさでありました。
 もちろん彼のアドリブのセンスの良さも充分堪能することができました。楽譜に書かれた音を構築する弦楽四重奏と、そこに降りてきて浮遊するサックス&クラリネットの「今」の音の対比がたまりませんでしたね。
 まさに「今ここ」、都留にしかない響き。とても感動的でした。
 それにしても司会業って面白いですね。観客の立場で演奏前の期待や演奏後の感想を、ご本人たちの前でしゃべっちゃえるわけですから。そしてアンコールまでお願いできちゃう(笑)。ちょっとはまりそうです。
 考えてみますと、今日の会場だったうぐいすホール小ホールは、まさに私が20年間ずっと都留音楽祭においてアドリブ司会をやってきた場所です。曲を聴きながら、次にしゃべることを考えるというか感じることをずっと訓練してきた場所です。それが今日生きたなあと、個人的には感じました。
 さらに個人的なことを言いますと、ここ都留で、30数年前、ヴァイオリンのケースを持って歩いていた私に、突然声をかけてきた黒川さん。そこから私の人生が動き出しました。
 今の職場はまさにその瞬間から決まったようなものですし(いろいろ不思議なご縁があった)、自分の学校に通い始めた長女が期せずしてジャズバンド部でベースを弾くようになり、今年の夏、石井裕太くんと共演しました。そして、今日私がこういうご縁で黒川さんたちと裕太くんのコンサートの司会を務めさせていただくという…音楽の紡ぐ不思議なる縁と恩と人生を感じますね。
 そんなわけで、個人的にもいろいろな意味で感慨深いコンサートでありました。終演後、長女は裕太くんとツーショット写真を撮りました。裕太くんのお母様と私は「将来の日本のジャズ界を担う二人?」と、半分本気で笑いましたが、これからの若い世代に大いに期待しつつ、半分は「負けないぞ!」という気持ちでいるワタクシでありました(笑)。
 あらためてまして、皆さまに、特に黒川さんに感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。


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2016.11.04

無功徳

Th_img_6026 日、我が校では月遅れで達磨忌の法要をしました。ダルマさんの命日は10月5日です。
 左の写真は、今我が家に逗留している、馬堀法眼喜孝の達磨像(&王仁三郎の書と茶碗)です。すごい存在感です。
 法要の集会の中で、本校の母体となっている月江寺の住職さまよりご法話をいただきました。その中で、私の心に残ったのは、達磨大師が武帝に語った「無功徳」という言葉です。
 武帝は仏教を深く修めていたので、達磨大師に「自分にはどのような善果があるか」と期待して聞いたところ、達磨大師は一言、「功徳なし」と言ったという話。
 なるほど、見返りを期待してはいけないということですね。そのとおりだと思います。
 法要後、私は地元の教育フォーラムにて、ちょっとした発表を行いました。その内容も「見返りを期待しない奉仕」に関わるものでした。不思議な因縁を感じました。
 今日はその発表のレジュメをここに公開いたします。お時間のある方はぜひお読み下さい。そんなに難しい内容ではありませんので。

「地域に生かす」とは〜仏教の観点から〜

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2016.11.03

「素晴らしい」は素晴らしくない?

 日は明治節。晴れの特異日ということで、たしかに今日もまた素晴らしい青空でした。
 …と、その「素晴らしい」という言葉なんですが、実はあんまり素晴らしくないのです。今日はそんなお話を。
 「すばらしい」という日本語、今では誰もが「wonderful」の意味で使いますよね。ところが、もともとは正反対の意味の言葉だったんです。ご存知でしたか?
 だいいち、この「すばらしい」、それほど歴史がない言葉なんです。書き残されている実例としては、せいぜい江戸時代の中期くらいまでしか遡れません。
 そして、それらの例のほとんどが「ひどい」「最悪」というような意味で使われているのです。驚きですね。
 語源的にはプレアデス星団と深く関わっています…いや、冗談ではなく、プレアデス星団の和名「すばる」、そうあのスバル自動車の「すばる」ですよ、その動詞「すばる」から派生した形容詞だと考えられるのです。
 「すばる」は、プレアデス星団がそうであるように、何かがごしゃっと集まることを表わす動詞です。「すまる」とも言います。
 他動詞だと「すべる・すめる(統べる)」ですね。スメラミコト(天皇)にもつながってきます。
 で、その「すばる」が形容詞になると、集中、集合が内向きのエネルギーの流れとして捉えられ、あまり外向きでない、発展的でないイメージを持つことになったようです。
 今私たちが抱く「素晴らしい」の語感は、その「素」や「晴」という漢字のイメージからしても、どちらかというと開放的ですよね。
 つまり歴史的に、どこかで「素晴らしい」という漢字が当てられて、そこからプラスのイメージが生まれ、ついには定着したということでしょうか。
 いや、それ以前に、日本語によく見られるある性質による変化とも言えるかもしれません。その性質とは、「ひっくりかえり」です。
 たとえば、「すごい(すごし)」という言葉、もともとは「ゾッとする」というかなり悪いイメージの言葉でした。それが今では「すごいねえ!」という褒め言葉になっている。
 そう言えば、「やばい」も最近ではいい意味に使われるようになってきましたね。そういう感嘆詞的な形容詞は、逆の意味で使われるようになる性質があるんですね。
 逆にプラスからマイナスになる例としては、お前とか貴様とかがありますよね。褒め殺し的な使い方が定着してしまう例です。
 まあ上記のように、「すばらしい」は天皇の縁戚にもあたるので、いい意味でもいいような気がしますがね(笑)。

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2016.11.02

松山大耕さんのTED 『寛容と和』

 レゼンつながりでこちらの動画を紹介します。昨日の記事にも出てきたTED。いろいろ勉強になります。
 2年ほど前に京都で行われたTEDで、妙心寺塔頭退蔵院の副住職、カトリックの中高で学び、東大、東大大学院にて文系理系をまたいで勉強された松山大耕さん。新しい時代を担う坊主のホープです(笑)。
 妙心寺と言えば、私の奉職する学校の母体の母体であり、毎年修学旅行にて特別参拝させていただいているお寺ですね。
 また、あさって、野狐禅いや野狸禅のクソ坊主いやニセ坊主のワタクシ、ある教育関係のフォーラムにて、仏教について語らせていただくこともありまして、久しぶりにこの動画を拝観いたしました。
 世界中の他の宗教に対して、寛容や和を語るのは、現実的にはかなり難しい部分があります。言うまでもなく、仏教も神道も「宗教」ではないからですね。
 このプレゼンで松山さんがおっしゃっているとおり、「Believe in something」か「Respect for something or Respect for others」かの違いなんですよね。
 やはり、かの出口王仁三郎が言ったように、「宗教がなくなる時がみろくの世」すなわち「宗教なんていう言葉がなかった頃にもどれ」ということなのでしょうか。
 「日本の〜」…これがいつか「地球の〜」になる日が来ることを祈ります。いや、祈るだけでなく行動します。

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2016.11.01

山中伸弥教授の「人生を変えるプレゼン術」

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 日の高校1年生の国語表現の授業で使った資料がこちら。iPS細胞の山中伸弥さんのプレゼン術。
 今の世の中、本当にプレゼン力が必要ですね。生きることが全てプレゼンとも言える。
 特に先生なんか、毎日何時間もプレゼンに明け暮れているわけですが、いわゆるプレゼン力がない人がたくさんいます。
 ま、私も人のことは言えませんが、それでも多少は経験が多い方なので、まだいい方なのではないでしょうか(たぶん)。
 この山中先生のプレゼンの奥義にもあったように、だいたいが分かりにくいプレゼンや授業というのは、情報が多すぎるんですよね。やたら板書する先生とかいるでしょう。そんなの教科書に書いてあるのに(笑)。
 私は国語のセンセイなのですが、ほとんど板書をしないことで有名です(おいおい!)。反面、生徒を寝かさない(生徒が寝ない)ということに関してもちょっと有名です。もちろん、怖いセンセイとして寝かさないのではありませんよ。
 まあ、自分のこといいとして、とにかくこれからの世の中を生きていく生徒たちは、とにかくプレゼン力を高めなければなりません。それをプレゼンが苦手なセンセイが教えなきゃならないわけですから、これは大変ですね。生徒が可哀想。
 最近は動画サイトでTEDなんかも見られますし、そちらの方で勉強した方がいいかもしれませんね。ただ、それを発表する機会がなかなかないのです。そこで、国語表現の時間にそういうことをしてみようとしているわけです。
 プレゼンと言えば、かつて紹介したスティーブ・ジョブズ驚異のプレゼンがありました。
 私もそれを真似ようと頑張りましたが、やはりカリスマ性がないのでジョブズ流は難しい。その点、この山中流にはシロウトでもすぐに真似ができることが多くありますね。書籍の方もちゃんと読んでみようと思います。

Amazon 「プレゼン」力 ~未来を変える「伝える」技術~

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