「しまった」と「しめた」
昨日の続きとなります。
昨日お会いした山川宗玄老師が引用された昭和の名僧梶浦逸外老師のもう一つのお言葉が「悪いことが起きたらしめたと思え」です。これも簡単に言うと「ピンチはチャンス」ですね。
これについては、以前私もこちらに『「しまった」と思いそうになったら「しめた」に言い換える』と言い換えて少し書かせていただきました。
今日は日本語の面から、そのことについて少し書き加えたいと思います。
私が「しまった→しめた」ということを説明する時、比喩的には「ドアが閉まった」ではなく「ドアを閉めた」ということをイメージします。
自分の意思で「閉めた」のだというふうに変換するということですね。
もちろん語源的には両者は全く違う血筋の言葉です。「しまった」は「仕舞った」ですし、「しめた」は「占めた」です。
つまり、「仕舞った」は「〜してしまった」という完了の意味であり、もう少しつっこんで言うと、「自分の意思に反して物事が進行した」というニュアンスになります。
一方の「占めた」は、その字のとおり、その場を占領したという意味で、「自分の意思の通りに物事が進行した」というニュアンスになります。
つまり、「閉まった」と「閉めた」と同様に、自分の意思かどうかという次元において、意味が対照的になっているわけですね。
もう少し正確に言うと、「しまった→しめた」は、受動的なモノを能動的なコトに変換するとでも言いましょうか。モノは不随意、コトは随意を表わす言葉ですから、そういうことになりますね。
いずれにせよ、私たちの捉え方一つで、現象は全く反対の意味を持つようになるわけで、それは非常に禅的な哲学であるとも言えますし、日本的な発想の作法であるとも言えます。
その変換をするのとしないのとでは、結果がまるっきり逆になるのは事実ですから、やはり、その作法を、ある意味技術として持っていることは大切なことではないかと思います。
昨日の山川老師のインタビューの中でも「しか」が「も」に変わった瞬間のお話がありましたね。よく言われることでもありますが、コップの中の飲み物でも、あるいは時間でも、「あと〜しか残っていない」と捉えるか、「あと〜も残っている」と捉えるかでずいぶん世界は違って見えてきますね。
こういう働きを「ことたま」と言うのでしょう。
逸外老師の葬儀にあたり、笹川良一さんが友人代表の弔辞を述べました。川上哲治さん、星野仙一さん、笹川さん、そして我が校の創設者との交友など、ジャンルを超えた器の大きい名僧でありました。
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