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2016.08.31

『日本人の99%が知らない戦後洗脳史』 苫米地英人 (ヒカルランド)

嘘で塗り固められたレジーム
Th_51vbmbmmz0l_sx318_bo1204203200_ れは実に面白かった。なるほど〜と目からウロコが落ち、真実が腑に落ちるという感覚。
 このような視点で戦後史を見たことがなかったので、半ばショッキングでもありましたが、たしかに今まで教わってきた戦後史に付着した違和感はかなり払拭できたような気がします。
 では、今後日本は、日本人はどうすれば良いのか。それについても、実に画期的な方策が提示されています(たとえば「国連脱退」!)。
 詳しくは実際にお読みいただくのが一番です(ちなみにKindle Unlimitedでは0円で読めます)。
 で、私はいつものように、この本を読んで考えたことをツラツラと書きたいと思うのであります。
 日本は敗戦国であり、アメリカを中心とした連合国(戦勝国)に蹂躙され続けてきた…という事実に関しては私も否定しません。そしてそれに、「私たち日本が、日本人が悪かった」という、いわゆる「自虐史観」が乗っかってきていることも事実だと認めます。
 しかし、そうした事実をして、「日本はやられ続けてきた、だまされ続けてきた」というの(たとえば保守派の皆さんの言説)もまた、私は「自虐史観」だと考えているのです。
 そんなに日本という国や日本人は弱いのか?と疑問を持つわけです。そんなに簡単にだまされてしまうのかと。
 ここで登場するのが、ワタクシ独自の(変わった)歴史観である「国譲り理論」です。
 オオクニヌシの国譲りに象徴されるように、負けたように見せかけて、その魂を温存したり、場合によっては相手(敵)の中にある意味寄生して生き残ったりするという無意識的方法論です。
 日本の歴史を繙いてみますと、そうした「智慧」によって、本質的に生き残ってきた事実を無数に確認することができます。ここではそれをいちいち挙げませんが、先の大戦での「敗戦」はその最たる例です。
 ある意味、アメリカの言いなりになることによって(戦わないことによって)、その魂の部分を地下(無意識下)にしまいこみ、純粋保存するという方法。
 そして、その純粋保存された「地下水脈」は、本当に必要な時に再び湧出するというわけです。
 ここで私が思い出すのは、出口王仁三郎のことです。昭和10年の第二次大本事件によって王仁三郎は逮捕され、昭和17年の仮釈放まで6年以上牢獄で過ごすこととなりました。
 これは表面的には国家弾圧によって大変な目に遭ったということになりますが、のちに王仁三郎が語っているとおり、それによって王仁三郎自身、あるいは大本は戦争に関わらなくてすんだわけですね。マイナスではなくプラス。
 仮釈放については、戦況が危うくなって、軍部も政府も皇室も、いよいよ王仁三郎に頼むしかないという判断からという話も伝わっています。しかし、王仁三郎は「この戦争は負け!」と断言して、耀わんの製作に没頭していったと言います。
 王仁三郎、大本と言えば「雛型理論」ですよね。私はこの王仁三郎の晩年のあり方が、戦後日本を象徴しているように感じるのです。ご存知のように、第二次大本事件は12月8日に勃発し、太平洋戦争の雛型になっているわけですから、その後の王仁三郎や大本の「不戦」「非戦」「戦争不関与」「(強制的)戦争放棄」が、戦後日本の雛型になっていると考えるのは、決して無理なことではないと思います。
 そうしますと、そろそろ「仮釈放」になって、そして「耀わん製作」をする時が、日本にも訪れるのではないかと思われるわけです。
 もちろん、またトンデモなことを言っていると思われて当然ですが、私はこの本を読んで、直観的にそんなことを思ったのであります。ただそれだけ。
 そういう視点もまた面白いじゃないですか。そして、そういう視点、観点でもって、「戦後レジーム」を見なおしてみると、ある意味ではそれが必要悪であって、なかなか立派な御用の「姿形」であるとも思われてきます。
 いかがでしょうか。この「国譲り理論」については、またいつか詳しく書きますね。今日はここまで。
 
Amazon 日本人の99%が知らない戦後洗脳史

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2016.08.30

BAZOOKA!!! 『ミゼットプロレス』

 日の続きとなりましょうか。
 昨日紹介したバリバラをいろいろなクラスで見せました。中1から高3まで、それぞれの年代でいろいろな反応があって面白かった。
 学校こそが陥りがちなのが、偽善的な福祉教育であります。これには、私も若い頃からずいぶん反抗してまいりました。
 だいたい、自分自身もいろいろな意味で障害者です。性格や能力まで含めれば、人類みんな障害者。それでいいと思いますし。
 そんな私のある意味偏った福祉教育の教材として、昔から重用してきたのが「プロレス」です。小人プロレスや障害者プロレスの映像を授業で扱ってきました。
 10年前に紹介した、森達也さん企画の『ミゼットプロレス伝説〜小さな巨人たち〜』もそんな教材の一つでした。
 その番組に、伝説的ミゼットレスラーでありお父さんであるミスターポーンと一緒に出演し、いろいろと苦悩していたMr.ブッタマン。結局その後、日本の小人レスラーはMr.ブッタマンだけになってしまい、試合が組めない状況になっていましたが、全女崩壊寸前にプリティ太田がデビューして、なんとか日本のミゼットプロレスはギリギリ命脈を保つことになりました。
 とは言え、現状はかなり厳しい状況であり、私ももう何年も彼らの試合を生で観る機会がありません。そんな中、これもずいぶん前ですが、BSスカパーで彼ら二人の試合が生放送で放映されるという画期的なことがありました。
 その動画があったので、紹介いたしますね。試合以外のシーンも、なかなか面白く興味深いではないですか(笑)。
 それにしても、彼ら二人が引退してしまったら、いや、どちらか一方が引退してしまったら、本当に日本の小人プロレス文化は絶えてしまうのですね。
 それこそ、こういう試合が地上波で放送されたりして人気になり、仕事として生き残っていければいいのになあと思ってしまいます。いやいや、それ以前に、普通のプロレスさえなかなか放送されなくなってしまっていますからね。
 逆に、ネットでこういう試合を誰もが観ることができるようになったのは、良いことと考えるべきでしょうか。生で観たいという人たちが増えてくれることを祈ります。ホント面白いので。

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2016.08.29

バリバラ 生放送『検証!<障害者×感動>の方程式』 (Eテレ)

 日の夜、皆さんご覧になりましたか?「24時間テレビ 愛は地球を救う」ではありません。その裏番組。
 ネットでも大変な評判になっていましたから、のちにネットで観た方もいらっしゃるのではないでしょうか。Eテレの「バリバラ」。露骨に「24時間テレビ」の裏にぶっこんできたNHKも大したものですね(笑)。
 こういう両面が同時に放送されているのは、ある意味では大変健全なことですし、NHK自身の自己検証もされているので、より高度な次元になっていると感じました。
 私は、教室でもよく「24時間テレビ」に対する批判をしてきました。ただ、それは自分の感覚の押し付けであって、それこそ感動否定ポルノになってしまっていたのではと、今さらながら反省いたしました。
 こうなったら、来年はEテレで24時間バリバラをやったらどうでしょうね。笑いは地球を救う…いいじゃないですか。
 NHKに様々な批判が寄せられている昨今ではありますが、私は昔からけっこうNHKファン、それも教育テレビ(Eテレ)ファンでした。
 やっぱりそれなりの才能の集団が、それなりのお金をかけて作っているだけのことはありますよ。私は受信料を気持ちよく払っている人間です(回し者ではありませんよ)。
 うん、とにかく今回は特に、NHKさんGJ!でした。

 一方、相模原の事件があってすぐに放映された、こちらのバリバラもなかなか重い内容でした。これもまたNHKだからこそできる番組、切り口であったと思います。ぜひご覧ください。


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2016.08.28

LiuXi工房 16インチ ヴィオラ

Th_nao1212basskeyimg600x529146448_2 日は甲府のコラニー文化ホールにてヴィオラを演奏。
 山梨では有名なヴァイオリン指導者の方から頼まれて、発表会でのオーケストラ演奏のお手伝い。なんと、その方とは30年ぶりくらいにお会いしました。
 30年も前にお会いしたのに、その時の、ワタクシの印象があまりにも強烈だったようでして、それで思い出してくれて声をかけてくださったのです。
 私は全然覚えていないのですが…なんでも、その時私はヴァイオリンをケースに入れず「裸」で現場まで持って行って演奏したのだとか。それで、それではあんまりなので、帰りにその先生が「風呂敷」を私にくれたそうです。全然覚えてない(笑)。皆さんに私を紹介する時、そんな話をしてくださり、「これぞ究極のソフトケース」と冗談をおっしゃっていました。なるほどたしかに(笑)。
 そのほかにも、私の忘れている面白い(恥ずかしい)エピソードを語っておられました。当時からどんだけいい加減なヴァイオリン弾きだったんだ!自分でも驚きました。
 そのいい加減さは今でも完全に残っていて、なにしろ今回も現場に行ってみて、違う楽団から送られてきた全然違う曲の楽譜を持ってきたことに気づいたり、いやそれ以前に、リハや本番のことを記した予定表をなくしてスケジュールが全然分かっていなかったりで、皆さん、その30年前のエピソードも「さもありけむ」とお思いになっていたようでした(苦笑)。スミマセン。
 それにしても、そのヴァイオリン教室の先生や生徒さんの中に、複数の知り合いや知り合いの知り合いがいたりして、まあ世間は狭いなあと思った次第です。そんなわけで、余計に恥ずかしい思いをしたのでありますが…。
 さて、今回はヴィオラの演奏だったわけですが、考えてみると、今純粋なモダンのヴィオラって持っていないんですよ。だいたいそれに気づいたのが数週間前のこと。
 普段バロックをやっているので、バロック風に改造した5弦ヴィオラ(こちら)しかないのです。
 そうそう、この5弦ヴィオラ、この前の都留音楽祭のルーファスのリサイタルではバロック・ヴァイオリンとして、全体合奏ではバロック・ヴィオラとして演奏しましたが、双方ともにプロの皆さんから「すごくいい音」と絶賛されました。中国製の安物なのですが、確かに非常によく響くし音色もバロック楽器として聴くと倍音がいい具合に多くてなかなか良い。大当たりの楽器でした。
 で、今回はですねえ、その楽器をモダンに戻すということも考えたのですが、それも面倒くさいし、今後別の楽団でモダンのヴィオラを弾く機会もあったり、時々やっている語りの伴奏もヴィオラでやるのが一番いいので、思い切って新しい楽器を購入することにしました。
 そして手に入れたのがこの中国製の楽器。今日はこの楽器のデビュー戦だったのです。いやはや、これがまた、いい楽器なのです。30年以上の間、いろんなヴィオラを弾いてきましたが、これが一番いいかも。よく鳴るし、弾きやすいし、音程も安定している。
 そんな大満足の楽器なんですが、これをどこで買ったかというと…なんと「ヤフオク」です(笑)。
 前述の5弦ヴィオラも、知り合いのバイヤーさんを通じてネットで買ったんですが、これも現物を見たり触ったりすることなく、ポチッで購入。
 ケース、弓、肩当て、替え弦2セット、調子笛までついて、(値切って)4万2千円でした!やっす…。
 ま、考えてみると、生徒たちの楽器も全部こうしてネットで中国製の格安楽器を注文しているんですけどね。しかし、ほんとにハズレがないんですよ。中国恐るべしです。ちょっと調整してやれば、ヘタすると10倍くらいの値段の日本製と同等の音がする。これマジです。
 友人の製作家(日本人です)に聞くと、たしかに中国製は脅威だそうです。ただ、なぜ新品でもよく鳴るかというと、ちょっと板が薄めなんだそうです。たしかに少し軽く感じます。
 そういう楽器は最初からよく鳴るけれども、経年変化には弱く、30年もするとへたってきて鳴らなくなるのではとのことでした。まあ、30年持てば私にとっては充分すぎます。
 ヴァイオリンも「使い捨て」になったと考えれば、ちょっと複雑な気持ちになりますが、私のようなシロウトにとっては、実に助かることですし、なにしろ子どもたちにとってハードルが下がることは、決して悪いことではない。
 いや、それ以上に、異常なる日本のヴァイオリン文化(先生が生徒にやったら高い楽器を紹介して儲ける)を崩壊させるには良い外敵と言えるかもしれません。
 というわけで、皆さんもぜひネットでヴァイオリンを買ってみてください(なんて言っていいのかな)。ちなみに、私のおススメのお店、お世話になっているお店はバイオリンJPさんです。

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2016.08.27

山口美央子 『夕顔〜あはれ』

Th__20160828_10_05_05 日は家族全員がそれぞれのイベントでそれぞれのパフォーマンスをした日でした。
 私は中高のカルチャーフェスティバルで弦楽合奏部の発表。チェロを弾きました。その後、甲府で一仕事したのち、某所でヴィオラを演奏。
 カミさんは朝から職場の運動会でドタバタ。上の娘はNHKのど自慢の予選に参加。結果は残念ながら通過ならず。かなり力を入れていただけにショックのあまり号泣しておりました。
 で、下の娘は、カルチャーフェスティバルにおいて、能楽部の一員として「半蔀」の仕舞を披露しました。いや、いつのまにかそれらしくなったなと、我が子ながら感心いたしました。
 「半蔀」の夕顔の舞は、まさに霊の舞。今日披露したのは、夕顔の霊が光源氏との恋の思い出を僧に語り、それを聞いた僧が夕顔を成仏させんと祈り、それを夕顔が喜ぶというシーンの舞です。
 その「幽霊」感、それも喜ぶ幽霊感がよく出ていて良かったと思います(笑)。
 さて、そんな娘の舞を観ている時に、急に思い出されたのが、この人のこの曲。いろんな人が言っていますが、いまだにCD化されない幻の名盤「月姫」(1983)の第1曲。
 私、大学の時、お手伝いで山口美央子の曲を演奏した覚えがあるんですよね。この曲もやったのかなあ。だから思い出したのか…。
 その後作曲家として多くのアーティストに楽曲提供した山口さん、今どんな生活をされているのでしょうか。再評価されていいシンガーソングライターの一人ですね。

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2016.08.26

2016 火祭り

 このところ毎年VIPをお迎えしていた「吉田の火祭り」ですが、今年は甲府在住(移住)の友人と一緒に、比較的落ち着いた感じで参加いたしました。
 言うまでもなく、火祭りは諏訪神社の例大祭です。今年は諏訪の御柱祭の年でしたね。中央構造線の西端である熊本で震災があったあと参加した御柱祭。いろいろ考えさせられ、感じさせられました。
 こちらにも書いたように、こうした中央構造線の荒魂も、この火祭りで御柱祭が完了するとともにひとまず落ち着くと思います。
 そんな願いもこめて、いくつかのご神事にてお祈りさせていただきました。以下、ほんの少しではありますが、写真を紹介します。

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2016.08.25

仲小路彰 『絹の道について』

Th__20160826_124610 日は「絹」に関して、またまた嬉しい大進展がありました。先日の 私たち(安倍昭恵さん、宮下織物さん、山口家)の妄想が、こんなにすぐに実現の端緒につくとは…恐るべき天の計らいであります。
 そんな私たちの未来的妄想には、様々なベースとなる歴史的事実があり、歴史的な人物がいるわけですが、やはりここのところの動きには、この富士北麓に縁が深く、また絹に対する本質的な理解者であった、天才歴史哲学者(思想家)仲小路彰の見えない力を感じます。
 今日は、その仲小路彰が「絹」について書いた文章を紹介します。仲小路彰の文章はなかなか世に出ないのですが、これは私が古本屋で見つけた何冊かの「地球との対話シリーズ」の一つ、第53号「絹の道を求めて」の序文です。
 これが書かれたのは昭和30年。このあと、東京オリンピック開催が決まり、それに伴って、高輪の光輪閣に「シルク・ギャラリー」が設けられたことは、先日書いたとおりです。
 そうした流れの原点になった文章であり、私たちはこれを半世紀後の現代に甦らせたいと考えているのです。
 ぜひお読み下さい。


   「絹の道について」  地球文化研究所(仲小路彰)

 日本の伝統は絹の上におりなされ、つぎ伝えられている。絹のように美しく、たゆるなく結ばれている。この伝統を、将来にも、より豊かにつぎ伝えることこそ「絹の道」の志向する目標である。
 「絹の道」は、かっての紀元前二世紀における東西文化の交易路としての「絹の道」が有したと同じく、二つの意味を持つものである。
 一つは、直接的な東西文化交流の主要交易品としての絹ーそしてこのことは対外貿易の主要産業の一つとしての絹を、今後日本がいかに発展させるかという、日本経済の問題に通ずる。
 一つは、絹によって象徴される日本文化の国際文化との交流、発展への広義の効果ならびにその間接的促進である。
 前者が経済的実質的効果を求めることに対し、後者は文化的、精神的効果を発揮し、しかもこの両者が互に別れることなく、相互に影響しつゝ、より有機的な発展をなさしめるところに、今後の具体的方途が示されるものである。
 それは、かつての「シルク・ロード」が、単に絹だけを運んだ交易路ではなく、より広い東西文化の交流の意義をもったことに対比され、しかも「シルク・ロード」は、ただに文化の消長のみならず、それをめぐる諸民族の幾多の興亡変転の歴史をも包合していたことを歴史的にも深く考うべきである。
 そこには東洋の特産物としての高価な絹がラクダの背に、幾多の劇的な旅中の挿話を残しつつ、はるばる西方に運ばれ、その高度の物質的掲載価値を示すとともに、広く東洋の芸術的優秀さがヨーロッパ文化に多大の影響を与え、同時に西域の文化を東方に伝えることに役立ったのである。その貴重な実証を今日日本においては、なお法隆寺、正倉院御物の世界に比類ない文化的伝統のうちに見出し得るのである。
 「絹の道」を通じて絹だけが運ばれたのではない。それはあらゆる文化の交流路であった。同じく「絹の道」も、今後の国際文化交流の中核として、その内面的充実と発展がなされるべきである。
 そして「絹の道」はあくまでも「道」として、東洋のもつ高い精神の原理を伝統的につぎ伝えゆくものであることを銘記すべきであろう。
 日本の歴史を上代以来つらぬき通してきた絹の深い伝統は、つねに日本文化の中心となり絹によって織りなされた高い生活と文化の諧調をあらわし来った。それは「絹の国」として、あらゆる生活が絹に結ばれ、養蚕にいそしむ農村のかくれた労苦に、また糸を紡ぐ工場の人々の勤労によってうけつがれ、伝えられてきた伝統の美しさのうちに、今後もなお、外面的に近代的設備の利用、拡充を図ることは当然としても、その内なる魂の純粋なる伝統を、いかにつぎ伝えてゆくかーこゝに「絹の道」の大きな使命がある。

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2016.08.24

石丸幹二&つのだたかし 『武満徹のうた』

Th_51abudd4fl_sx355_ 日の都留音楽祭でお世話になった、つのだたかさんから直接購入させていただきました。
 これは素晴らしいアルバムですね。ぐっと来ました。
 このアルバムの話になったのは、実は、つのださんに美空ひばりの「さくらの唄」を、リュート・ソングとして歌いたいと、カミさんと一緒に頼んだのきっかけでした。
 日本にもこんなに素晴らしい歌曲があるということを、西洋古楽を専門としている歌手の皆さんに知ってもらいたいというのが趣旨でした。
 すると、「ちょうどこういうのを出したところだった」とのことで、このアルバムをすすめてくれたのです。なるほど、武満徹という、素晴らしい歌曲の作曲家がいたか!たしかに。
 やはり、これは「日本のリュート・ソング」というコンセプトだそうです。そうですよね。歌詞も谷川俊太郎や荒木一郎、そして武満自身ですから。日本語を大切にしつつ、最も美しいメロディーを追い求めた武満。
 そう、今日ちょうど、「昭和の偉人」シリーズの三木たかしと宮川泰の回を観たんです。彼らの、天才的かつ職人的な仕事ぶりに家族で感激いたしました。
 なるほど、武満も同時期の作曲家ですよね。まあ、昭和のメロディー・メーカーたちはすごかった。彼らがほとんど全ての可能性を発掘してまったのでしょうか、平成になったからのメロディーはなんとなく貧弱な印象があります。
 詩、曲、歌、演奏、それぞれ分業するのが、もしかすると音楽の本来の姿なのかもしれませんね。今や、ボーカロイドまで登場し、シロウトでもその全てを担当することができるようになってしまいました。
 まさに音楽の大衆化。大衆化によって、その質は残念ながら低下してしまったと言えるでしょう。
 このアルバムは、言うまでもなく、それぞれの分野の職人芸が見事に融合された作品です。
 編曲は、つのださん自身と、息子さんでジャズ・ベーシストとして大活躍の角田隆太さん。隆太さんは、演奏でも1曲参加しています。
 今日観た「宮川泰」でも、宮川彬良さんが父についていろいろ語っていましたけれど、つのだ親子も見事その才能を受け継いでいるようですね。ま、角田家自体、もともととんでもない才能の家系ですからね(つのだたかしさんのお兄さんにはつのだじろうさんが、弟にはつのだ☆ひろさんがいらっしゃいます!)。
 おっと、肝心の石丸幹二さんについて書くのを忘れていた(笑)。
 いやあ、石丸幹二さん、本当にお上手ですね。今や俳優として有名になってしまった感さえありますが、もともとは劇団四季の重鎮ですからね。歌と演技、両方達者なのは当たり前といえば当たり前です。
 いや、その歌手と役者という二つの仕事の世界が、実に有機的につながっている感じがしますね。考えてみれば、歌手も俳優も、何かを憑依させてナンボという意味では、モノ(他者)を招く「ものまね」ということになりますよね。
 まあ、作曲家や演奏家もそうでしょう、本来は。武満さんにせよ、三木さんにせよ、宮川さんにせよ、つのださん親子にせよ、下ろしてきているに違いありません。
 さて、日本の「歌曲」といえば、今ちょっと研究中の仲小路彰もまた、多くの歌曲を作詩作曲した人物でした。ほとんどそれは知られていませんが、おそらく数百曲の作品を残しているのではないでしょうか。
 彼が山中湖に疎開していた時、名ソプラノ歌手三浦環、そして名ピアニスト原智恵子が、彼の曲を演奏して楽しんでいたという記録が残っています。
 また、村人たちとオペラなどを演奏したという言い伝えも残っているのです。その時には、彼自身も歌ったとも聞きました。
 今まで、いわゆる「日本の歌曲」にはそれほど詳しくありませんでしたが、この世界もなかなか広く深いものがありそうで、俄然興味が湧いてきました。
 仲小路彰や、いわゆる歌謡曲も含めまして、つのださんらの協力を得て、「新しい日本の歌曲」として復活させ、世界に発信することができればと思います。

Amazon 武満徹のうた

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2016.08.23

小西博之さん講演会

Th_img_5367 日は山梨県私学の研修。全体講演では、元欽ちゃんファミリーのコニタンとして私たちの記憶に強く残っている小西博之さんが登壇しました。
 いや、登壇ではないな、ほとんど壇上にはおらず、客席の中を縦横無尽に動き回りながら地声で丸2時間以上語り続けました。
 野球少年でやんちゃだった小西少年は、素晴らしい先生方に出会います。そして、自らも教師になろうと頑張ります。
 しかし、運命とは皮肉なもので、ホンモノの先生にはなれなかった代わりに、NHKの中学生日記の体育教師役として芸能界デビューを果たします。そして、欽ちゃんに認められ…。
 そんな小西さんですから、「教師」「先生」「学校」に対する思いは格別。私たち現場の教師たちにとっても、教育の原点を思い出させてくれるような熱い熱い思いを受け取らせていただきました。
 また、その迫力、表現力、アドリブ力といった「伝える力と記述」は、さすがとしか言いようがありませんでしたね。お笑いやバラエティー、そしてドラマや映画で鍛えられたプロから学ぶところは、実に多かった。
 夢を実現する力、未来を妄想してそれを実現する力…いや、力というよりも作法ですね。ある意味自分が自分がではなく、他者とのご縁の中で生まれる結実。
 欽ちゃんの50:50の法則もなるほどと思いました。考え方次第、生き方次第で、人は幸福にも不幸にもなる。
 後半は、末期の腎臓がんから生還した話をもとに、命の大切さについて。病気も全て受け入れる。決して病気と闘わないという言葉には、私も深く共感いたしました。そうして、実際に奇跡の生還を果たしたのです。
 子どもの命を守るということに関しては、私が標榜している「死なない力」と非常に近い考え方をなさっていました。
 さっそく公演終了後、小西さんに声をかけさせていただき、そのようなお話をさせていただき、お互いに大いに共鳴させていただきました。
 共通の友人もいることが分かり、これから何かしらお付き合いが始まりそうな予感です。
 今日の講演の最後に流された、和歌山の中学生の弁論も含まれた動画をご覧ください。

 また、最後に先生方全員、手話で参加した「いのちのうた」を紹介します。いい歌ですね。

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2016.08.22

トーキョーショー

 オデジャネイロ・オリンピックが閉幕しました。日本人選手たちの活躍は本当に素晴らしいものがありましたね。4年後の東京オリンピックへの期待が高まりました。
 一方で、エンブレム問題に端を発し、国立競技場問題、そして都知事交代など、運営に関してはいろいろと不安があったのは確かです。
 しかし、どうでしょう。今日の閉会式での「トーキョーショー」をご覧になった皆さんは、一気にその不安よりも期待の方が上回ったのではないでしょうか。
 私もとにかく感動してしまい、涙が止まらなくなってしまいました。正直予想をはるかに上回る素晴らしい内容でしたね。
 上の動画の冒頭にある五輪旗のハンドオーバーからして、「小池さんで良かった」と思った方が多かったのでは。なんだか、いろいろと神の采配があったのかなとさえ思えてきます。
 そして、「君が代」と「日の丸」。ここでまず泣けてしまった。あの素晴らしい君が代、そう雅楽風とも言えるし、ブルガリアン・ヴォイス風とも言える画期的な編曲をしたのは、フランス在住のジャズ・トランペット奏者である三宅純さんとのこと。
 未来的「君が代」、しかし、ちゃんと過去も大切にしている新しい国歌という感じがしました。本当に素晴らしいお仕事をなさったと思います。
 あの日の丸の現れ方も良かったなあ。なるほどと思いました。
 このトーキョーショー、綜合プロデュースはなんと椎名林檎さんだということ。先月、バンプのライヴの記事に「私の一つの妄想は、東京オリンピックの開会式に、そんなグローバル&ローカルな、すなわち極日本的な彼らと椎名林檎さんを登場させることです(たぶん実現するでしょう)と書きましたが、一足先にその妄想の一部が実現してしまいましたね。感動です。
 安倍マリオの部分については、実はちょっとウワサのようなものは聞いていましたが、ここつで完成度が高いとは…。あの2分の動画で、充分にクールでポップな東京のイメージが世界に伝わったことでしょう。いやあ、よくできていたし、総理もよくやってくれました(笑)。
 そして、圧巻は後半のパフォーマンスですね。ハイテクとローテク(シンプルな人力と道具)のバランスが良かった。中田ヤスタカさん、MIKIKOさんのセンスは、やはり我々凡人のそれをはるかに超えていました。部分と全体が有機的に関連し、まさに生き物のような作品に仕上がっていました。もちろん、青森大学男子新体操部をはじめとするパフォーマーさんたちもグッジョブ!
 なんだか、自分が日本人であることに誇りを覚えた瞬間でしたね。これぞ国際的な一大イベントにおける国家的パフォーマンスのあるべき姿です。
 ホント何度でも観たい、そして何度観ても泣いてしまう。久々に心が震えました。なるほど、このトーキョーショーは、世界に向けての発信であるとともに、私たち日本人自身へのメッセージでもあったわけですね。俄然、4年後へ向けて盛り上がることでしょう。
 私もほんの少し東京五輪に関わらせていただいている者として、このたびの「日本の天才(職人)」たちのお仕事を見習って、「地球平和」のために頑張ろうと思います。
 何度も書きますが、オリンピックは祭です。特に日本にとっては「まつりごと」の一つです。そういう意味で、絶対に成功させなければならないのです。

 追伸 安倍マリオのアイデアって森喜朗さんが出どころなんですね(笑)。
 

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2016.08.21

H.パーセル セミ・オペラ「ダイオクリージャン」

Th_img_5359 夏の古楽の祭典、第30回都留音楽祭もいよいよ最終日。受講生コンサートで、5日間の講習の成果を発表します。
 まず最初はバロック・ダンスクラスの発表です。世界的なバロック・ダンサーである浜中康子先生、そしてトーマス・ベアードさんの指導による受講生の皆さんのパフォーマンス。
 音楽祭の中でも、特に熱心に練習をし、毎年レベルの高い発表をするダンスクラスです。今年も、たくさんの受講生が参加し、そして、皆、本格的な衣装をつけて、たくさんの舞曲を舞いました。
 アマチュアによる、これほどのスケールとクオリティーのバロック・ダンスを観る機会というのも、そうそうあるものでありません。これだけでも、この都留音楽祭の価値と魅力を誇ることができますね。素晴らしかった。
Th__20160822_123259 今年の器楽、声楽の全体合奏は、パーセルのセミ・オペラ「ダイオクリージャン」の第5幕からの抜粋でした。
 私もこの曲は弾くのも聴くのも初めて。いかにもパーセルらしい、ちょっと不思議な和声進行などが散りばめられた、なかなか魅力的な作品でありました。
 いつもながら、私のパート譜切り貼りが遅い上に雑で間違いもあり、大変ご迷惑をおかけしました。スミマセン。

H. Purcell: «Prophetess or The History of Dioclesian» Z.627

 本当に魅力的な曲だったのですが、特に終曲にはパーセルの天才性(変態性?)が端的に現れていましたね。終演後、ルーファス・ミューラーさんとも話したんですけど、やっぱり短調になった時のバスの進行ですねえ、不思議なのは。
 ルーファス曰く、「ほかの普通の作曲家だったら、絶対にc-g-as-esとするだろうけど、パーセルはesではなくeにするんだよね。ものすごく魅力的だよ」。
 私は、ヴィオラ担当でしたので、まさにその音を弾く係。それでルーファスが話しかけてくれたのでしょう。皆さんも、その天才性、変態性(?)を聴いてみてください。

 ということで、私にとっても30回目の都留音楽祭が幕を閉じました。講師の先生方、受講生の皆さん、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。楽しかったですね!
 来年の第31回が(いちおう)ファイナルとなります。なんとなく寂しい気持ちですが、何事にも終わりはあります。有終の美を飾れるよう、みんなで盛り上がりましょう。そして、未来へ向けて、新しい流れを作っていきましょう。私もできることを頑張ります。
 来年、たくさんの方がこの都留に集まってくださることを願っています。

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2016.08.20

古楽版UFO

Th__20160822_120046 30回都留音楽祭も早くも4日目。今日もまた意義深いレッスン、ワークショップ、コンサートなどが目白押しでありました。
 しかし、なんと言ってもこの音楽祭4日目と言えば、クロージング・パーティーであります。毎年、世界最高レベル(?)の宴会芸が、錚々たる講師の皆さんを中心に(!)繰り広げられておりますが、まあ、今年はまた特にすごかった。
 30回記念ということもありましょうし、来年でもしかすると最後?ということもありましょう。いつも以上に気合が入っていたように感じたのは、私だけではないでしょう。
 これもまたワタクシ事となりますが、今回は、三つの舞台に立たせていただきました。まずは、恒例となったマトリョミン姉妹。いわゆるテルミンで古楽を演奏します(うまく行くわけない)。
 今年はなんと、リコーダーの吉澤実先生がマトリョミンを買ってしまったとのことで、昨年までの武澤秀平くんとの姉妹から、三姉妹に!
 三人と言えば、やはりこれでしょう、ということで、パッヘルベルのカノンをやっちゃいました。通奏低音は福澤宏さんと岡田龍之介さんという、これまた日本最強のお二人(笑)。しかしまあ、結果は推して知るべしですよね。特に吉澤さんは…(笑)。面白かったなあ。楽しかった。
 そして、今年は30回記念ということで、大福引大会をやりまして、私は司会進行を担当させていただきました。これもまた大いに盛り上がりまして、私も楽しませていただきました。というか、午前中に賞品を買いに行ったんですけど、あれほど普段絶対に自分では買わないモノを爆買いするのって、なんか快感ですね(笑)。
 そして、トリの出し物の一つとして、これも最近恒例になっている古楽版歌謡曲バンドです。
 今年は、ピアノフォルテの小倉貴久子先生の娘さんであるサキコちゃんにご協力願って、ピンクレディーの「UFO」をやっちゃいました。
 これもまた楽しかったなあ。改めて歌や楽器の、そしてアンサンブルの、はたまた仲間の素晴らしさ、楽しさを体感させていただきました。
 一緒に盛り上げてくださった受講生の皆さま、そして裏方として支えてくださったホールのスタッフ、調律スタッフの皆さま、本当にありがとうございました。
 なんか、こんな温かく楽しい音楽祭が来年で終わってしまうなんて、寂しすぎるなあ…なんとか、違う形ででも存続できる道を模索したいと思っています。皆さまのご協力をお願い致します!


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2016.08.19

ルーファス・ミューラー テノールリサイタル

↓わざとボカしたわけではありません…w
20160822_101548 30回都留音楽祭三日目。なんといっても素晴らしかったのは、海外講師ルーファス・ミューラーさんのリサイタル。昨年のリサイタル同様、本当に「神」レベルの歌唱を聴かせていただきました。
 さらに、(ワタクシ事ではございますが)今回は急遽私もこのリサイタルのステージに上がらせていただき、光栄にもルーファスさんと共演させていただきました。
 バロック・ヴァイオリンを本格的に始めてちょうど30年。こんな日が来ようとは思っていませんでした。世界最高の歌手の一人として誰もが認めるルーファス・ミューラーさんとバッハのアリアを演奏するとは。
 クリスマス・オラトリオのアリア「私は栄光ゆえあなたのみに生きよう」は、ヴァイオリン2本のオブリガート付きアリアです。実はこの曲、昨年あるところで演奏した、というか、私はヴィオラ担当だったので、横で聴いていたんですね。で、かっこいいので私もいつかヴァイオリンで弾きたいなと思っていたのです。それが、こんな最高の形でいきなり実現してしまうとは…またもや妄想実現党の面目を躍如してしまいました(笑)。
 今回もう一本のヴァイオリンを弾いてくれたのは、都留音楽祭に28年ぶりに参加してくれた、モンゴルより一時帰国中の友人。音楽以外でもいろいろとご縁のある方です(同じTakayuki)。
 この演奏のオファーがあったのは、実は4日前でして、彼に打診したのは3日前(笑)。そんなこんなで我々おじさん二人にとってはかなりきついミッションであったわけですが、そこは昔から無謀なことを楽しんできた「Takayukis」。リハでは大変なご迷惑をおかけしながらも、優しいルーファスさんに「緊張しないで。大丈夫だから」と慰められ、励まされ(半ば呆れられ?)つつ、あまり反省も猛特訓もせず(笑)、本番に臨ませていただきました。
 本番、実際演奏が始まってみると、2nd Takayuki さんがリハの1.5倍速でスタート!ルーファスもビックリしてこちらを見たくらいですから。その世界最速スピードに、私もなんとかついていきました…ではなく、緊張のあまり加速させてしまった!?チェロの名手武澤くんも、そうあの曲はヴァイオンリと同じことをチェロがやらねばならいなのですから、きっと大変だったことでしょう。
 しかし、まあなんと言っても、あのスピードに乗って、ルーファスさんがあの複雑で壮大なバッハの「メリスマ」を完璧に歌いこなすとは!期せずして、ワタクシたちシロウトおじさんヴァイオリニストが、天才歌手ルーファスの、その天才性を引き出してしまった結果となりました…かな?(笑)
 まあ、とにかく私の人生にとっても大変光栄な、素晴らしすぎる輝かしい経験となりました(ルーファスも含めて3人の頭が実際輝かしかったというウワサも)。本当にありがとうございました。
 前半のバロック・プログラムは舞台袖で聴かせていただき、後半の古典派プログラムは客席にてゆっくり拝聴いたしました。後半には初演作品もあったのだとか。小倉貴久子さんのフォルテピアノの伴奏も素晴らしく、本当に至福の時でありました。
 6年前にこの音楽祭誕生の秘話、すなわち私と有村祐輔先生との出会いの秘話を書きました。このたび、その記事を読んでくださった有村先生のご親族の方とお話をさせていただきました。その記事を再掲させていただき、私もいろいろな感慨にふけりたいと思います。音楽は素晴らしい。ご縁は素晴らしい。そして継続は宝なり。感謝、感謝。

(私的)都留音楽祭誕生秘話(その1)
(私的)都留音楽祭誕生秘話(その2)

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2016.08.18

「絹の道」の復路〜シルク・ギャラリー

Th__20160818_10_52_20 日は都留音楽祭の二日目でしたが、午前中は急遽富士吉田の宮下織物さんへ。総理と一緒に富士山麓で夏休み中の安倍昭恵さんから連絡があってお会いすることに。
 今まさにリオ五輪の最中で、日本選手の皆さんの大活躍に日本中が沸いているところですね。昭恵さんとの今日のお話は、4年後の東京オリンピックに関すること。先日、「東京と山梨」に書いた内容について、少し具体的に話を進めました。すなわち「絹」に関することです。
Th_unknown 半世紀前の東京オリンピックの数年前、仲小路彰、川添浩史らの発案、高松宮殿下、喜久子妃殿下のご協力により、品川高輪の光輪閣内に、「シルクギャラリー」が創設されました。
 多くの外国の要人を招いて宴が催された光輪閣。五輪によってさらに多くの外国人の来日が見込まれる中、日本の伝統文化であり、かつまた東西世界をつなぐグローバルな文化の象徴として、天皇家においても重要視されていた「ジャパン・シルク」を、世界に発信する拠点にする目的がありました。
 当時のコンセプトは「日本の絹(シルク)を世界の女性に」でした。特に喜久子さまが大変意欲的だったとか。喜久子さまが揮毫されたシルク・ギャラリーの看板「絹の道」は、今、横浜のシルク博物館で拝見することができます。
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 そして、半世紀が過ぎ、2020年に再び東京五輪が開催されます。もう一度、日本のシルクを世界に発信するチャンスです。いや、発信しなければならないのです。
 それも地球平和(真のグローバリズム)の象徴である富士山の絹。徐福以来3000年の歴史を持つ富士山の絹。シルクロードの終着点としての富士山の絹。聖徳太子の「和」の象徴である富士山の絹。
 それが世界に発信されるということは、「絹の道」の復路ということになるのです。
 これは私の妄想ではありません。実際に天と地がそのように動いているようです。そうした「霊界」での富士山と絹にまつわる動きには、当然出口直と王仁三郎川合信水も関わっています。富士山、綾部、出雲というレイラインの不思議ですね(同じ緯度にあります)。
 というわけで、今日も大変面白いお話で盛り上がりました。私は音楽祭に戻ってきましたが、カミさんはそのあと昭恵さんと吉田のうどんを食べたり、本町通り(のシャッター街)を散策したり、丸一日女子会を楽しんだようです。
 私も音楽祭を体験しながら、日本は本当に東西の文化を受容、融合、昇華することに長けた国だなあと、妙に納得したのでありました。
 都留という土地も、実は五輪にとって非常に重要な場所になります。もちろんリニア関係です。そちらも具体的に動いていくことでしょう。楽しみです。

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2016.08.17

第30回 都留音楽祭 開幕

Th__20160817_18_43_45 年もまたやっきました古楽の真夏の祭典「都留音楽祭」。
 この音楽祭も今年で30年目。2011年、震災のためお休みになりましたので、今回がちょうど30回目となります。
 よくぞここまで続いたと思った矢先、音楽監督より「来年31回目で終了する」という突然の報告がありました。
 1回目から毎年関わってきた私としては、実に寂しい気持ちになるとともに、様々な事情や、またこの音楽祭の目的が達成されてきた過程を知っていることもあって、それも一つの選択肢かなと納得いたしました。
 そんな「お気持ち」の表明もあったことから、今回は最初から皆さんの思いがいつも以上に熱く感じられます。なんとか存続の方法はないものかとも考えてくださっています。本当にありがたいことですね。
 まずは今年の、30回目という記念すべき音楽祭を今まで以上に充実したものにすべく、私も頑張りたいと思います。
 ちなみに今日は私の誕生日。ある意味最高のプレゼントとして、この音楽祭のオープニング・講師コンサートの、吉澤実先生と大竹尚之先生がソロを務める、テレマンのコンチェルトにヴィオラで乗らせていただきました。それこそ30年前、古楽を本格的に始めた頃には考えられないような光栄であります。
 自分としても30年も続けてきたことはほかにありません。逆に言うと、この音楽祭が(たまたま)地元で開催され続けなければ、おそらく今のように活発には演奏していなかったに違いありません。
 この音楽祭で頂戴した数えきれないご縁が、今の私を作り上げていると言っても過言ではありません。
 そんな感謝の気持ちもこめながら、スタッフとして、また演奏のお手伝いとして、そして宴会要員として、4日間頑張らせていただきます。
 

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2016.08.16

【討論!】 大東亜戦争と天皇

 日から都留音楽祭が始まることもあり、準備やコンサートの練習で大変忙しいので、今日も動画の紹介という形の記事にさせていただきます。
 8月16日。終戦の玉音放送の翌日。日本はどんな状況だったのでしょう。天皇陛下はほっとされていたのでしょうか。
 軍部は「敗戦」を認めず、今にも叛乱が起こしそうな状況。それを収めるために、かの仲小路彰は、おそらく71年前の今日だと思いますが、今世に知られるようになった「我等斯ク信ズ」の初版、初期稿となる「我等斯ク勝テリ」を執筆、印刷しています。大東亜戦争は目的的には負けたのではなく、勝ったのであると。それについては、時機を見てこのブログでも詳しく紹介したいと思っています。
 さて、先日の天皇陛下の「お気持ち」表明も含めて、「天皇」にあらためて関心が集まっています。その際、たとえば「象徴天皇」について考える時、絶対に避けて通れないのが大東亜戦争であります。
 その「大東亜戦争と天皇」について、保守系の論者たちが討論したこの番組をご覧頂きます。大変長いので、いつも書いているように2倍速でご覧になると良いかと思います。

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2016.08.15

池上彰の戦争を考えるSP~「こうして戦争は終わり、戦後の復興が始まった」

 戦の日。毎年いろいろなことを考える日です。
 今日は秋田から富士山に帰ってきました。8月15日ということで諏訪湖では花火大会が行なわれていました。
 お盆の花火大会はある種の送り火です。地域によっては死者の為に上げるという意識の強いところもありますね。
 さて、そんなわけで今日は11時間運転しっぱなしだったので、過去の動画を紹介して終わろうと思います。
 2011年の8月14日にテレビ東京で放映された「池上彰の戦争を考える」。いわゆる宮城事件を中心に、いかに日本が終戦を迎えたかを紹介した番組です。
 なかなかいい内容になっていると思いますよ。もちろん、この裏側ではまた別の終戦工作や続戦工作が行なわれていたわけですが、まずはここを抑えておかないと戦後日本で平和を謳歌するものとして、また、今後も平和を望むものとして失格です。
 また、ここを始点にして時を戻し、大東亜戦争、アジア太平洋戦争、第二次世界大戦について学ぶことも良いでしょう。
 あるいは終戦後の日本の軍部の動きや、GHQによく洗脳プログラムについても調べると面白いと思います。
 もちろん私もまだそれらをちゃんとやっていませんので、これからしっかり勉強していこうと考えています。

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2016.08.14

キリストの墓&イスキリの墓

 盆ということで、青森は新郷村戸来にあるキリストの墓参りに行ってきました(笑)。
 久しぶりのお参りです。もちろん、キリストの墓の隣にある弟イスキリの墓も参拝。

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 この近くには伝長慶天皇陵墓もあり、まあとにかく何でもありという感じですね。田舎のマウンド(円墳)に適当に伝説を後づけしてしまう、そのバイタリティーたるやすごいものがあると思います。
 もちろん私はそれをかなり肯定的にとらえています。なにしろライフワークが、宮下文書、出口王仁三郎、仲小路彰の研究ですから。それぞれかなりの「トンデモ」度です(もちろん、そこに大きな価値を見出しているのであって、と学会などのスタンスとはかなり違います)。

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 で、そんなある意味妙な視点を持つ私からしますと、このトンデモの代表格、キリストの身代わりに磔刑に処されたという弟のイスキリは、「石切」に間違いないと思われます。
 というのは、いつか昔に書きましたけれど、秋田の県南の山奥(仏教が伝来していない所)で生まれ育ったカミさんが、なんでも(ロシア系の顔をした)おじいちゃんから密かに教えられた呪文のようなものがあり、そこに「イシキリ様、イシキリ様」という言葉が出てくるというのです。
 本人は文字としては「イシキリ」と意識しているけれど、発音は東北弁らしくほとんど「イスキリ」になっているわけです。
 イシキリと言えば「石切」。石切と言えば、東大阪の石切劔箭神社が有名ですよね。ここのご祭神はニギハヤヒです。すなわち物部氏の系統。
 秋田の山奥には物部系の伝承がたくさんあります。秋田のパワースポットとして有名な協和町の唐松神社。ここの宮司さんは物部(ものべ)さんです。それから昨年の夏見つけてしまった、羽後町上到米の元唐松神社。昨年の記事に書いたとおり、ここに関わっている白鳥氏は物部系です。
 そんなわけで、私が想像するに、秋田や青森の山奥には物部系の落人が多数来ていて、彼らがニギハヤヒ信仰を持ち込んだ。その一つの現れ方が「石切様」。もちろん、実際の石切場における巨石信仰などとも習合したと思われますが、とにかくそういう「イシキリ」信仰があったと。
 で、先ほど書いたように、東北弁では「イシキリ」は「イスキリ」となりますので、都会の人(たとえば山根キク)は、それを「イスキリ」と活字化してしまった。それがなんとなく「イエスキリスト」の音韻と似通っていたので、キリスト伝説と結びついてしまった。
 ロシアから流れ込んだ実際のキリスト教の影響も皆無とは言えないでしょうけれども、新郷村のキリスト伝説は、おそらくニギハヤヒ信仰の変種だと思われます。そこに仏教、そしてキリスト教が習合しているわけですから、なかなか高度ですね。
 お盆にキリストの墓参りとか、ふざけてると思われそうですが、ご存知のとおり、マウンドの向かいには澤口家の普通の仏教式お墓があり、例の、ヘブライ語の盆踊りと言われる「ナニャドヤラ」が踊られるわけでありますからね。
 そのへんも含めて、このように面白く語ることもできます。私は嫌いではありませんね。でも、やっぱり物部氏のニギハヤヒ信仰がそのベースにありますよ。
 おお、鳥越さんだ(笑)。

 さらに現代の物語、伝説、受難ということで言えば、これですね。新郷村もまた、他の青森の自治体のご多分に漏れず、原子燃料サイクル事業の助成金等を受け取っています。六ケ所村があり、さらに火山が近い(十和田なんか超巨大火山ですからね)ということもありますから。
 そんな現代の神(?)原子力のおかげで、キリストの墓も大変立派に整備され、観光地としてたくさんの人が訪れるようになったのです。

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2016.08.13

八面神社(やつおもてじんじゃ)その1(秋田県湯沢市駒形)

 13日、もう一ヶ所、直観に導かれてお参りしたところがあります。
 湯沢市(旧稲川町)駒形の八面神社。やつおもてと読みます。そういえば湯沢市の神社にはあまり行ってないなと思い検索したら出てきたこの神社。本当に思いつきで伺ってみて、またまた不思議なご縁を頂戴いたしました。
 まず八面という名称が珍しいですね。八面と書いて「やつら」とか「やおもて」と読む神社もあるようですが、ここは「やつおもて」。

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 本殿前で参拝をしておりましたら、宮司さんがいらっしゃり、声をかけてくださいました。そこから小一時間、いろいろと楽しいお話で盛り上がりました。
 まずは、その宮司さんが語る八面神社の紹介動画をどうぞ。

 ご祭神は、天照大神、素戔嗚命、大山祇命、豊受姫命、三吉大神、菅原大神。また祭神には記されていませんが、今日私が富士山から来たということでお話くださった中に、なんでも木花咲耶姫の版木があって、祭典などではそれで刷った札が配られることもあるとのこと。やはり御神縁ですね。
 で、そんなところからも話が進展していったわけですが、この神社は「女性」の力を重視しているなと感じさせるエピソードが多数ありました。
 上の動画でも可愛い巫女さんが登場していますが、実際たくさんの巫女さんが長く助勤されているとのこと。そして、最近ではお祭で舞妓さんの舞を取り入れているということです。
 天鈿女命の話や、女性が輝くこれからの時代の話、芸能やマンガの話などで大いに盛り上がりました。やはり21世紀は太陽の世紀ですねと。
 ここでおもむろに登場したのが、変性女子でる出口王仁三郎の耀わん「十和田」。さっそくご神前に奉納させていただきました。
 宮司さんも、この不思議なご縁に大変喜ばれておりました。王仁三郎が見参したことで、さらにパワーアップした?w

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 さて、上の動画にもありましたように、この神社の一つの特長は、巫女さんたちが選んだ可愛いお守りが多数あることです。若い感性でセレクトされたお守りは、可愛いだけでなく、なかなか個性的でレア。私もいくつかいただいて帰ってきました。
 ちなみにウチのシローさんには「商売繁盛」のお守りを買ってきました。シローさん、めちゃくちゃ気に入って常に首にぶら下げています(笑)。
 18日、19日にはお祭があるとのこと。私は残念ながら秋田にはおりませんが、お近くの方はぜひ参拝してみてください。私もまた伺います。

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2016.08.12

院内銀山…慰霊について考える

 12日から秋田に来ております。今日書く内容は実際には13日に体験したことですが、諸事情でこの日付けの記事に書かせていただきます。
 湯沢市(旧雄勝郡院内町)の院内銀山跡に行ってきました。

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 院内銀山を訪問するのは16年ぶりくらいのことになりましょうか。なぜこのたび再び院内銀山を訪れることになったのか。これはまた得意の(?)直観からです。人はそれを霊感とも呼びますが…。
 まあ、結果としてはたしかに霊に呼ばれたということになるのかもしれません。
 院内銀山は江戸初期から昭和29年に閉山するまで、産出量日本一を誇った「東洋一の銀山」です。かつては、その狭い山間に1万人から1万5千人の人々が生活していたと言います。今では、ほとんど人が訪れません。
 いや、今や心霊スポットとして肝試しの場所にさえなってしまっていると聞きます。

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 私が訪れた時、あと一組の参拝客(観光客ではないと思います)がいましたが、その方々もすぐにいなくなってしまい、ほとんど私一人でその場と向き合うことになりました。
 いや、本当のことを言うと、こういう霊地訪問の時には必ずご一緒する、出口王仁三郎の耀わん「十和田」をしょっていたので、それほど心細いということはありませんじた。
 さて、予備知識なしに再訪して、まず驚いたのは、寺院跡に建っていたこの碑です。本当にびっくり。なぜなら、「万教帰一」「万教同根」は、まさに出口王仁三郎の教えだからです。鳥肌が立ちました。なぜここに…。
 その碑のところに行くには、朽ちた橋を渡るか、沢まで降りて石伝いに渡るかでしたが、どうしても気になり、沢を渡ることにしました。

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 滑って転ぶことも想定に入れつつ、十和田を背負ったまま対岸に渡ると、まずそこに「水子地蔵」がありました。まずはそこに軽く拝礼してから、石碑の方へ歩いて行き、裏側を写真に撮りました。知らない人たちの名前が刻んであります。

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 帰りには、乱雑になっていた水子地蔵堂の中を少し整理して、今度はしっかりお祈りをしました。壁に詩を書いた紙が貼ってあったので写真に撮って此岸に戻ってきました。
 そして、その夜、その碑と詩に刻まれていた人の正体が分かります。それについてはあとで。
 さて、次なる目標は「御幸坑(みゆきこう)」です。ここも行ってみて分かったのですが、とんでもない場所でした。

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 なんとその「坑」は、明治天皇、有栖川宮熾仁親王、北白川宮能久親王、そして高松宮殿下、同喜久子妃殿下という錚々たるお方々が訪れている場所だったのです。
 全国でもこのような場所は珍しい。それもこのような深山の森の中。そして今ではほとんど忘れ去られている。
 明治天皇と熾仁親王、能久親王は明治14年にそこに行幸しており、その時の様子を描いた絵が、聖徳絵画館のあの一連のシリーズの中にあります。

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 そのお三人様と因縁の仲である王仁三郎の耀わんが135年後にそこを訪れたのには、いったいどういう意味があるのでしょうね。またもや鳥肌が立ちました。
 そして、高松宮様ご夫妻と言えば、有栖川家の祭事や宝物を受け継いだ方。そして、仲小路彰とも昵懇の仲であった方です。それもまた不思議なご縁であります。
 まさか、私もこの秋田の寂しい山奥で、そんな方々と場を共有するとは夢にも思っていませんでした。
 さて、家内の実家に到着してから、その話を義父にしたところ、もしかしてその寺院跡に刻まれていた名前は、「永島さん」ではないかと。

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 写真を確認すると、たしかに「永島ほうゆう」とあります。なんで義父はその方を知っているのか。なんでも今から30年くらい前に、家族で院内銀山を訪れた時、私と同じようにふっと引かれるようにお寺に敷地に行ったのだそうです。すると住職と思しき方が現れて、ゆっくり話をしたとのこと。
 その方が、永島ほうゆう(房雄)さんだったのです。永島さんは院内銀山で生まれ、小学校2年生まで院内に住んでおり、のちに愛知県に越して警察官になったとのこと。退職後、院内のことが忘れられず何度か通い、ほとんど無縁となってしまった墓地の整備や観音像の建立などをするうち、とうとう昭和58年からは廃寺となっていた正楽寺の跡を「無宗山報恩寺」として、たった一人、雪の季節を除いてそこに住み込むことになりました。
 電気も水もガスもない生活。しかし、何か特別な使命感に駆られた永島さんは、私財を投げ打ち、人生をかけて慰霊を続けました。
 そんな話に感じ入った義父は、少しばかりのお布施を置いて来たそうです。

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 永島さんは、数年前、報恩寺で亡くなっているのを発見されたそうです。
 私(というか王仁三郎)が訪ねてきたのを喜んでくださったのでしょうか。本当に今思えば不思議にその「場」に引かれて、危険も顧みず沢を渡ってしまいました。そして、その名前をしっかり記録してきてしまった。
 8月12日、13日と言えば、あの戦争もそうですが、私もその瞬間を目撃してしまった日航ジャンボ機墜落事故の慰霊の日でもあります。
 私たち、当時の人にとっての未来人は、いったいどのような慰霊をすべきなのでしょうか。いろいろ考えてしまいました。
 昨年の夏からの様々な体験は、まさに亡くなった方の霊が現代に生きており、そして決して自由ではない状況で私たちと一緒にいるということを教えてくれました。
 「慰霊」…簡単なようで実に難しい。そして、ただ祈ればいいというものではない。やはり未来的に意味のあるものにしていかねばなりません。難しい人類の課題です。

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2016.08.11

「ガンバレの日」

 オ五輪、日本選手の頑張りが素晴らしいですね。
 今日は8月11日。初めての「山の日」でもありますが、実は「ガンバレの日」でもあるんです。ご存知ですか?
 今から80年前、1936年のベルリンオリンピック女子200m平泳ぎ決勝で前畑秀子さんが日本女子として初めて金メダルを獲りました。その際のNHKの河西三省アナウンサーによる「前畑がんばれ」は有名ですよね。そこから生まれた記念日だそうです。
 その「頑張る」ですが、今のような意味で使われるようになったのは、河西アナが全国的にはやらせてからだという説があります。たしかに、それ以前の用例は、ちょっと違う意味で使われている。
 逆に言うと、ベルリン五輪以降、戦争に向かう世情の中で、「頑張る」は「努力する」「あきらめない」「命懸けで前進する」というような意味で使われるようになっていきます。
 「頑張れ日本」というムードが出てくるわけですね。
 この展開も分かるような気がします。もともと、「がんばる」は「眼張る」であったと言われており、江戸時代には「目をつける」「見張りをする」「眼を見開く」という意味でよく使われていました。
 明治以降になって、「その場にいすわる」「譲らない」というような意味で使われるようになり、漢字も「頑張る」と当てられるようになりました。
 さらに「我を張る」との混同が生まれ、「頑固」「わがまま」というような、やや悪い意味で使われることも増えました。
 1936年の世界情勢と日本の立場からすると、たしかに「譲らない」「負けない」というような意味で「頑張る」が使われる可能性というのはありますね。
 ですから、河西アナが20回以上も叫んだ「頑張れ前原」は、今の私たちが「愛ちゃん頑張れ〜!」というのとは、ちょっとニュアンスが違うような気もするのです。
 「頑張れ前原」は、あくまでも「敵に負けるな前原」であって、「結果より何より全力を出し切ってくれ」的な現代的な意味とは違うということですね。
 もちろん現代の「頑張れ!」にも「負けるな」という意味が内包されているわけですが、やはり80年前のその言葉とは、本質的なところが違うと感じます。いかがでしょう。
 ベルリン五輪の4年後1940年、本来なら東京オリンピックが開催される予定でした。しかし、昭和で言えば15年ですからね、未来の私たちからすると、やはりそれは中止にもなりますよね。
 そして、戦後1964年昭和39年(私の生まれた年ですが)、幻の東京オリンピックは24年経って実現しました。その時の「頑張れ」の意味は、今の私たちの「頑張れ」の意味に近くなっていたと思います。
 さて、4年後の2020年の東京五輪では、はたして「頑張れ」はどういう意味で使われるのでしょうか。

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2016.08.10

東京(江戸)と山梨(富士高天原)

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 日連続、東京へ。昨日は品川。今日は練馬へ。まあ、こうやって半日で往復できるわけですから、山梨というのはなかなかいい「田舎」ですよね。
 これでリニアができたら、もっと便利になります。とは言うものの、まず我が家からリニア駅に行くのに40分。品川まで15分としても、大深度地下駅から地上に出るのに20分(笑)。たとえば新宿に行くとすると、そこからまた20分。そうなると、家から車で急いだ方が早く新宿に着く可能性もあります。
 超高速鉄道時代になると、逆に微妙な立地ということになりますかね。ある意味通過県になってしまうかもしれない。
 だからこそ、私が前々から言っているように、都留の実験施設を「臨時駅」にして、朝一本でいいから下り列車を停めるべきなんですよ。そうして外国人の観光客を富士山に迎え入れるのです。帰りにも一本上りを停めれば、日帰り観光も可能になります(日帰りだと地元にあまりメリットはないのですが)。
 また、それに加えて、世界中の方々が訪れることができる、「地球戦没者慰霊施設」を山中湖に作る。これは仲小路彰の構想です。
 かつての甲信鉄道計画や、東京富士山直通弾丸列車計画、京王線の山中湖延伸計画には、実はそのような意味合いもあったのです。単なる観光、リゾートではなく、地球平和の発信という意味もあった。もちろん戦前戦中には、富士山は大東亜の象徴であり、防共の象徴でもあったわけですが。
 そういえば昨日、天江さんが仲小路彰に対して、なかなか鋭い(厳しい)指摘をしておられました。私も、戦争を挟んでの「八紘一宇」と「グローバリズム」の関係など、なかなかすんなりと理解し難いところもありますので、共感いたしました。
 そう、富士山自体が宙に浮いているんですよね。世界文化遺産になりましたが、それ以前に、戦前・戦中に着せられた「意味」をしっかり脱ぎ捨てられずにいる。戦後日本全体に言えることですし、一昨日の陛下のお気持ちにも関係するところですね。
 富士山がたしかに「象徴」になっているわけです。なんとも煮え切らない、解決していない、玉虫色でさえある、そういう歴史や存在の象徴。たしかに日本人の、日本国の魂のようです。
 もっと遡れば、西に都があった時から、富士山は「まつろわぬモノ」の象徴であったわけですし。そして、鎌倉、江戸と、行政の中心が東に移ってきた時に、また意味が少し変わった。
 それはやはり、記述された「歴史」以前の記憶、すなわち「富士高天原」の記憶の影響でしょう。その根幹の部分が、すでにはっきり解釈されてこなかった。一番の基盤の部分が忘れ去られていたわけですからね。
 特に富士山が荒魂を発揮しない、つまり噴火しなくなってからというもの、特にその傾向が強くなってしまった。
 考えようによっては、宝永の噴火後でしょう、日本が西洋に呑まれていくのは。そういう視点で語られたことってありませんよね(当たり前か)。
 というわけで、話がいろいろ飛んでしまいましたけれど、とにかく富士山が今後、どのような日本の象徴となっていくのか。これは非常に重要なことであります。
 2020年の東京オリンピックが一つの鍵を握ると思います。江戸自体が富士山を望むことを前提に設計された都市ですしね。
 私も地元民としてできることをやっていきます。特に「絹」のことについては頑張ろうと思っています。
 昨日の天江さんのお話の中にも出てきました。高松宮妃喜久子さまと「シルクギャラリー」のこと。当然、仲小路彰も関わっています。仲小路彰はアラブ博を企画しましたが、その中で吉田の絹織物にも重要な役割を与えようとしていました。
Th_20160803215528_845762425 そうそう、そうした流れの一つとして、これも富士山と東京(国の中枢)を絹が結んだということですね。そう、新しく防衛大臣になられた稲田朋美さんが、内閣の認証式の時お召しになっていたドレスの布地は、富士吉田の宮下織物さんの「濡れ巻き」シルクです。
 日本ASEANサミットの時の私と宮下さんと昭恵さんの妄想が、どんどん実現していっています。もうこの動きは止められないでしょう。
 ちなみに宮下織物さんの宮下家は、富士高天原伝説を伝える宮下文書の宮下家であります。なんという因縁でありましょうか。


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2016.08.09

長崎原爆忌の日に

Th_img_58a0daf96bb52e6924e12ab3e8ab 日もまたドタバタと忙しかったので、日記調に記します。
 早朝はリオ五輪の男子体操団体を応援。素晴らしいですね。感動しました。こちらに書いたとおり、オリンピックの体操競技は国際サイキック大会らしいので(笑)、今回は日本の能力者集団が頑張ったということでしょう。
 たしかに、中国、ロシア、イギリスあたりは、そういう霊的なことに長けてそうですよね。ま、半分冗談、半分本気で読んで下さい。
 その点、内村選手は「感じやすい」タイプなのかもしれませんが、加藤選手と白井選手は、まあ両極端ですけれども、二人とも「感じにくい」タイプですね(笑)。超越している(二人は全然違う方法ですけれど)。
 サイキック戦争もある意味情報戦ですよね。未来の情報戦。真剣に考えなければならないかもしれません。かつての日本は強かったんですが、これもまたGHQによって弱体化させられました。
 地球平和のために、その分野も再興しなければならないと思っています。
 さて、その後学校に出勤し、あさっての合唱コンクールに向けての練習を聴きました。今年の自由曲は「予感」。こちらに書いたとおり、中国やモンゴルの緑化の父(神)、富士吉田出身の遠山正瑛さんを題材にした歌です。
 まさに「体現」によって平和の実現を目指した遠山さん。生徒たちにもそこを理解して、地元の者としてしっかり歌ってもらいたいものです。
 ああそう、練習中、甲子園では山梨代表と長崎代表が戦っていましたね。試合中に原爆投下時刻を迎え黙祷を捧げていました。結果は、山梨が長崎に勝ちましたが、ちょうどその時に長崎代表が試合をするというのは、戦争ノスタルジーとしての高校野球という観点からしても、なんとも運命的でありました。
 合唱練習が終わり、お昼に東京へ。元外交官で、世界情勢や日本文化に造詣の深い、心から尊敬申し上げている天江喜七郎さんにお会いしました。
 天江さんは、仲小路彰に直接薫陶を受けた方でもあります。もともと、そのような事実も知らずに、御著書「息子への手紙」を読み、また最近では、この番組を拝見して、勝手にお会いしたいなと思っていたところ、こうして夢が叶ってしまいました。全てのご縁に感謝です。
 国際情勢について、日本のあり方について、また仲小路彰について、大変示唆に富む深いお話をうかがうことができました。本当にありがとうございました。またゆっくり議論させていただきたいとも思います。
 東京から車で帰ってきますと、長崎から戻られた安倍総理が我が鳴沢村に再び静養に来られ、ちょうど夕食にお出かけのタイミングでした。
 組閣も終え、少しゆっくりされるのでしょう。東京は暑いけれども、こちらは6度以上低いですからね。またゴルフなどされて気分転換をはかるのではないでしょうか。
 とは言え、中国が尖閣に上陸しそうな気配もあり、あまりのんびりしてはいられないかもしれません。一昨日も書いたとおり、全て中国の計画通りですから。総理の夏休みを狙ってくる可能性はあります。韓国の大統領の竹島上陸の時もそうでしたね。まったく…。
 

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2016.08.08

天皇陛下の「お気持ち」表明に関して

 さに「平成の玉音放送」であったと思います。非常に大きな意味のある「お気持ち」表明でした。
 だいたい、天皇陛下が「お気持ち」を表明する、それも自らの立場に関することを国民にお話しになるということ自体が異例です。
 だからこそ「平成の玉音放送」であると。あれから70年が経ち、録音盤からビデオという形にはなりましたが、陛下自らマイク(カメラ)の前にお座りになり、国民に訴えかけたというその事実の重さを私たちはまず考えなければなりません。
 裏側にどんな政治的事情があるのか、あるいは法制上どのような方策があるのかということ以前に、戦後70年以上が経ち、いよいよ私たちが象徴天皇制や平和憲法を通じて、日本の真の未来を考えなければならない時を迎えたのでしょう。
 この玉音放送がどんな「お気持ち」を表現したものなのかは、もうすでに多くの方々がそれぞれの立場で述べていますので、ここは私独自の視点や情報を記しておきたいと思います。一部の方々には、不敬ともとられかねない内容にもなろうかと思いますが、どうぞご容赦ください。
 まず、陛下の「お気持ち」の中で、特に重視すべきは、昭和天皇崩御の際のような世の中の停滞を避けたいという お気持ちでしょう。
 今ちょうどリオ五輪が開催されていますが、4年後の東京オリンピックの前やまさにその時に、もしそのような沈滞、自粛を招くような事態になることは、今上陛下としてはなんとしても避けたいところでしょう。
 ある意味、祭祀を重視する天皇という立場からすると、それは当然です。過去の歴史の中でも、民衆の種々の祭が、喪服や物忌のために中止になったことがあります。
 つまり、今上陛下は4年後の東京五輪を非常に重視しているということでもあります。
 そんな不敬な不吉なことを書くなと言われて当然ですが、しかし、一方で武蔵陵墓地に「平成天皇陵」が完成しつつあるのも事実です。ご存知でない方も多いことでしょう。私は月に一度は武蔵陵墓地を訪れ、大正天皇皇后・昭和天皇皇后の陵にお参りしておりますので、よく分かっています。
 火葬をお望みになることを表明されただけでなく、そのご意思に基づいた自らの陵墓をすでに造営せしめているわけです。そのあたりの事情も考慮しなければ、このたびの「お気持ち」の真意をつかむことはできません。
 もう一つ、重要なのは、やはり憲法問題です。私にとっては、これほど明確に「摂政」に消極的だとは思いませんでした。そうしますと、7月13日の記事に書いたとおり、「上皇」の地位が問題となってきます。もし「解釈改憲」や「特別法」を許さないなら、陛下のお気持ちを実現するためには憲法改正が必要となってくるのです。
 安倍政権が改憲を進めようとしていると危惧し猛反発している方々にとって、これは大変な衝撃です。なぜなら、彼らは基本、現憲法に指一本触れてはいけないという立場だからです。
 国民が二分してほとんど前進すらしないこの憲法改正問題に対し、天皇自らがその岩戸を開いてしまう可能性があるわけです。この事実は直視しなければなりません。
 来年の5月3日、日本国憲法施行70年を迎えます。昭和や戦後の総決算のためにも、また日本という国の未来のためにも、いよいよ本格的に憲法改正(私は改定と言います)について、我々国民が真剣に取り組むべき時を迎えているのです。
 昭和天皇も今上陛下も、現憲法に指一本触れてはいけないなどとは絶対に思っておられません。かと言って、未来の理想を掲げるという意味合いも強い、我が国の(日本という特別な国の)憲法を、現実に合わないからと言って「改正」するのは、これはいけませんし、陛下もお望みでないと思います。
 特に、平和憲法については、一部保守派の皆さんには残念な事実ですが、昭和天皇も今上陛下も「守るべき」だとお考えです。
 そういう「お気持ち」も含めた上で、我が国の自主独立のために、私たち国民がアメリカの庇護から自立しようとする意識を持つ(分かりやすく言えば親離れする)べき時が訪れているのでしょう(親の方もそろそろ自立しろと言っていますし…笑)。
 もう一つ重要なことがあるのですが、それについては、ここに書いて良いか、まだ関係各所に確認をとっていないので、今日は封印しておきます。また時が来ましたら、明らかにしようと思っています。

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2016.08.07

和魂と荒魂

Th_201608070006spnavi_2016080700025 日も朝からいろいろありましたので、思いつくままに記していきます。
 まず、オリンピック水泳。見事男子個人メドレーで金と銅でしたね。水泳は、他の競技と比べて、試合ごとあまり条件が変わらないので、選手の体調と精神管理が勝敗を分けます。そういう意味では日本人は結果を出しやすい競技とも言えましょう。しかし、お見事。
 同様な条件の競技として、本来なら体操も挙げなければならないところですが、どうしちゃったのでしょうかね、日本。
 そうそう、4年前のロンドンオリンピックの時に、こんな記事を書きましたね。今やオリンピックは(特に夏の体操と冬のフィギュアスケートは)、サイキック戦なのだとか。今回の日本超能力軍団は大丈夫でしょうか。
Thumb12182shimpo331009domestic_l さて、次。安倍昭恵総理夫人が三宅洋平さんと沖縄の高江を訪問したとのこと。ちょっと前に三宅洋平さんおススメの映画「標的の村」をこのブログでも紹介しました。
 そう、実は私に三宅洋平さんを紹介してくださったのは昭恵さんでした。そして、実際高江訪問の話もその時出ていたので、ああさすがの実行力だなと思った次第です。
 いろいろと批判もあるでしょうし、裏に何かがあると勘ぐってしまうのも致し方ないところですが、たまたまお二人と直接高江の話をさせていただいた私としては、お二人が非常に純粋に物事をとらえて行動する方であるということを、私の実感をもってここに書いておきたいと思います。
Th__20160808_102758 さて、お昼をはさんでは私の勤務する中学のBBQ大会が開かれました。先生、生徒、保護者が大変仲の良い家族のような学校ですので、毎年大いに盛り上がります。
 それにしても、今年はすさまじかったな(笑)。なにしろ、いちおう教頭であるワタクシをですね、みんなでだまして全身水浸しにするという展開に。なんちゅう学校じゃ!(笑)
 いえいえ、こういう文化を作ってしまった張本人の一人はワタクシなのです。もちろんふざけているわけではなく、大真面目に(?)教育の根幹を考えてのこと。
 いつもこのブログでも書いているとおり、和と荒のバランスことが日本の智慧であり、神道の真髄であります。とても分かりやすく数値化してしまうと、和魂9:1荒魂なんです。
 非日常的な「祭」で荒魂を現出させ、結果として平和を召喚する。これこそ高度な日本文化です。
 オリンピックに代表されるスポーツは、それを体現するものですね。戦うことが「平和の祭典」となる。
 また、昭恵さんと三宅さんのような、ある意味荒っぽい突然の行動というのもまた、結果として未来の平和につながる。
 子どもたちなんか、そういう文化を持つ最たる存在ですよ。それを表面上の和だけで片付けようとするから、教育は結果として荒廃してしまう。日常と非日常、ケとハレを現場で演出していかなければ、絶対に本質な和の精神は身につきません。これは譲れません。
2016080700000063mai000view と、そんなことを体感していたら、ある筋から中国の尖閣への大規模な侵攻の話が飛び込んできました。いよいよ漁船ではすまされないことになりそうです。8月にぶつけてくるというウワサは聞いていましたが、本当にこういうことになるとは。
 こういう問題においても、実は荒魂が非常に大切です。話せば分かる、ではダメなんです。やはり、抜かぬ刀をしっかり磨いておいて、ちらつかせるという姿勢も大切です。
 そう、教育においてもそうですが、荒魂は相手の「邪悪」を封じるという意味で、非常に利他的なんです。私たちもそうでしょう。罰則があるから法律は守るし、おっかない人の前ではいい人間になる(笑)。
 数千年後の理想の世の中(みろくの世)は、荒魂の出番はなくなります。私たち人類がそこまで進化できるのか。自分が行きているうちには無理でも、その牛歩の如き歩みの一歩になれるよう精進するのが、私たちの生きる意味であり、宗教の価値であり、また「未来学」の意味でもあるのです。


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2016.08.06

原爆忌・スカジャンボリー・薪能

D0017381_333568 日はいろいろと忙しかったので日記調に。
 まずは原爆忌。8時15分に家族で黙祷しました。その前だったでしょうか。ちょっと娘たちが興味深いことを言っていたので紹介します。
 そう、写真にある平和記念公園の碑がテレビに映しだされた時です。娘たちが急に怒り出しました。
 えっ?もしかして、「これじゃ、日本人が悪いことをしたみたいじゃん!」と言い出すのかと思ったら、そうではなくて、ある意味もっと単純な理由で怒ったのでした。
 「眠って下さいじゃなくて、お眠り下さいでしょ!」
 なるほど。この碑文については、2年前の今日、私はこのように書きました。その後も何回か現地を訪れ、この碑と対面していろいろ考えたり、生徒たちに語ってきましたが、この単純なことには全く気づきませんでした。
 娘たちの純粋な感情、これは貴重かもしれません。死者に対する敬意というか、不幸にも地球史上特別な惨劇の被害に遭われた方々への、純粋なる鎮魂の気持ちが、たしかに「尊敬語」という形で表現されてもおかしくありませんね。
 単純なことでしたが、なにか大切な気づきを与えられました。
Th_img_5145 さて、そんな娘たちですが、その後、長女は所属するジャズバンド部の一員として山中湖へ。東京スカパラダイスオーケストラ主催の「トーキョースカジャンボリー」に出演するためです。
 私たち夫婦は地元の利を活かして(?)会場外で鑑賞。なかなかいい演奏でしたよ。会場も大いに盛り上がっていました。中高生にして、あの大観衆の前で演奏できるんですからねえ。うらやましいかぎりです。
 昨年はウチの娘も、スカパラのメンバーと共演していましたが、今年は単独ステージでした。まあ大したもんですな。
 本人は、スカパラはもちろん、やはり上原ひろみのパフォーマンスに圧倒されたようです。そりゃそうでしょうね。
Th_img_5153 で、私たち夫婦は長女たちの演奏が終了するとすぐに、今度は能楽部に所属する下の娘がお手伝いとして参加している、富士吉田梅若薪能へ。北口本宮冨士浅間神社です。
 まさに動から静へ…いやいや、なかなか能も激しいですよ。特に今年の番組は興味深かった。日吉式、すなわち神事としてのシンプルな「翁」と、絢爛豪華な「嵐山」のコントラスト。さらに「嵐山」に挿入された間狂言「猿聟」が実に面白く、こちらも能とのコントラストが鮮やかでした。まさにバロックですな。
 というわけで、今日は朝から晩まで、娘たちのおかげでいろいろ勉強になったり楽しませてもらったり。ありがたい…と言いながら、娘たちの成長ぶりに、ますますライバル意識を燃やす私たち両親でありました(笑)。


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2016.08.05

『大怪獣モノ』 河崎実監督作品

 ン・ゴジラがブームを巻き起こす中、あえてこのB級映画を観るために2時間かけて小田原に行ってきました(ちなみに監督自身「シン・ゴジラに便乗した」と公言しております)。
 同行したのはB級映画監督を目指す中二(中二病)の次女。そんな娘も大満足すぎる素晴らしい作品でした!
 いやはや、ホント、我が家のための作品のようでしたよ(笑)。そういう意味でも予想以上。
 なにしろ、娘は7年前のキャンプ場プロレスで、主演の飯伏幸太くんと一緒に焼きそば食べた仲ですし、6年前にはこんなふうに準主演の鈴木みのるちゃんに「来いよ」と言われたこともありますからね、まあその二人が出ているというだけでも、我が家としては観なければならない作品なのであります。
 さらに驚いたのは、映画が始まってすぐに「モノノケ」「艮」「荒魂(あらみたま)」「和魂(にぎみたま)」「鬼(モノ)」などなど、このブログではおなじみのワードというか、今朝も家族でそれらについて語り合っていたばかりです(どんな家族じゃw)。
 ご存知のとおり、私は出口王仁三郎の研究家ですし、「モノ・コト論」をライフワークにしておりますので。
 ついでに言えば、冒頭モノが現れたところで、プラカードを持って怪獣保護(自然保護?)を訴える左翼的な集団が、いとも簡単にモノに食われてしまい、自衛隊員?が「大変だ!だけど、なんかすっきりした…」というあたりも、ちょっと我が家(特にカミさん)っぽい(笑)。
 そして、父親たるワタクシ個人のことを言いますと…河崎実監督ファン歴30年なんですよ。こちらにちょっと書いた「地球防衛少女イコちゃん」のビデオ持ってます(笑)。
 まあ、そんなこんなで、この映画は我が家のために河崎さんが作ってくれたと勝手に思っています(笑)。それにしても、くだらなすぎて素晴らしい。オチも河崎監督らしいし。なるほどマムシ(アラシ・フルハシ)最強ってことですよね。
 途中超マニアックな映画ネタもあったり、日本特撮界への自虐ネタがあったり、また日本の防衛に対する揶揄があったりと、政治色が強いと言われるシン・ゴジラなんかよりずっと高度な文化、教養が必要な作品であったとも言えます。
 プロレス関係者はだいたい分かったんですけど、実は私もこの人誰?何の人?という友情出演者がけっこういました。まだまだ勉強不足ですね。
 意外だったのは、思ったより飯伏選手が棒読みではなかったことかな。勝手に完全なる棒読みを期待しちゃっていた。そういう意味では謎のシャワーシーンも、勝手に妄想していたほどではなかったかも(笑)。
 家に帰ってきたら、カミさんが「私も観たい!」と叫んでいるので、たぶんもう一回家族で観に行くと思います。
 ちなみに、今回最もシュールだったのは…150人収容の映画館で、観客は私たち親子を含めて4人。うち一人、私の斜め前でポップコーンを抱えていたおっちゃんは、ほぼ最初から最後までイビキをかいて寝ていました。その空気がなんとも。そこまで含めて見事なB級作品でした。やっぱり映画は映画館で観るべきだと思いましたよ(笑)。
 ぜひ皆さんも劇場へGO!あっ、そうそう、ワタクシ的なツボは音楽、特にあのロッキーのテーマのパロディでしたな(笑)。

大怪獣モノ公式

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2016.08.04

『日本人の99%が知らない戦後洗脳史』 苫米地英人 (コグニティブリサーチラボ株式会社)

Th_51xyfgtzzyl_2 Amazonの読み放題サービスが始まりましたね。さっそく登録して読んだ、記念すべき第一冊目がこの本。
 まずはAmazonの Kindle Unlimited について。これは本当に画期的なサービスですね。特に私のような田舎者にはたまらない。我が家に和書12万冊の蔵書を誇る図書館ができたようなものです。
 また、雑読派の私にとっても実に魅力的。けっこう新しい雑誌もあったりで、情報源がここのところのネットから、再び書籍回帰するような予感がします。これはいいことです。
 そう、私の研究対象である出口王仁三郎や仲小路彰の、あの膨大な情報量、現代のネットのそれを軽く凌駕してしまう情報のソースは、ほとんどが印刷物なんですよね。雑誌を含む本と新聞。私もそこに回帰しようと思っていた矢先のこのサービス開始。今後の自分の変化が楽しみです。
 たとえばこの本に書かれている情報は、インターネットの中にはなかなかまとまった形では出てきません。やはり書籍の形(もちろん印刷物ではないいう意味では抽象的な情報なんですが)で、つまり、苫米地さんの天才的な脳ミソでまとめあげてくれた形で享受できるのは、私たちネット市民にとっては非常にありがたいことです。
 これで月980円なら安いものです。いよいよ街の本屋さんは厳しくなってしまいますね。音楽の分野では、たとえば私も利用しているGoogle Play Musicやamazonミュージックのようなサービスによって、もうすでに物質から解き放たれた抽象的世界に変化しています。
 もともと、言語も音楽も情報であり、私の「モノ・コト論」で言うと「コト」にあたりますから、逆に今まで物質(紙やプラスチック)に依存していたあり方の方が異常だったわけです。
 私たちには物質の所有欲があり、そしてそれが貨幣経済を生む原因になっていたわけですから、いよいよそこから解脱する時代を迎えたとも言えます。実際、経済においても、金から貨幣、紙幣、そして電子マネーへとコト化が進んでいますしね。
 というわけで、前置きが長くなってしまいましたが、この本の内容も、ある意味ではそこに関連しているわけです。アメリカや日本の一部の権益者が、物質所有の欲望のために、私たち日本市民をうまくだましてきたし、今もしていると。
 まったくそのとおりだと思います。しかし、前述のように、彼ら(それをユダヤだという人もいます)が自らの欲望を究極化した結果、面白いことに、私たち市民の意識の次元が上昇してまった、すなわちインターネットとグローバル経済網によって、世界同時に市民意識の抽象化(次元上昇)を成し遂げてしまったということにも注目すべきだと思います。
 私の「国譲り理論」によれば、このような被洗脳状態というのは、無意識という他者性の高いモノによって、人間や国や地球が進化していくための一つの作法である、あるいは神の経綸であると考えられます。
 ですから、変わり者の私は、この本を読んでなるほどとは思えども、一方であまり危機感は抱かないのであります。あくまで変わり者の私の個人的な感想ですがね(笑)。
 ただ、こういう事実、歴史の真実や、表面上のストーリーや文脈を知った上で、なおかつ他者まかせにするということは、意識の上に無意識を置くことにほかならず、お釈迦様の教えにも違わない良いことだと思うのです。
 いわゆる保守派の人々は、こういう事実を知ったことによって怒りさえおぼえて、自我を更に強く意識するようになります。逆にリベラルな方々は、こういう事実を知らず、あるいは知ろうともせず、ただお子ちゃまレベル(すなわち自分レベル)の理想を語って満足してしまいます。
 それではいかんのですね。私はそういう第三の心のあり方を、それこそ王仁三郎や仲小路から学んでいるのです。

Amazon 日本人の99%が知らない戦後洗脳史

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2016.08.03

THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 YOKOHAMA SPECIAL

Th_img_5102 ォ〜!
 そう叫びたいロックな自分がいます。20年来の夢が叶いました。そして、それにふさわしすぎる内容。まるで私のために…みんなそう思ったことでしょうね(笑)。
 イエモンの横アリ2days二日目に参戦してまいりました。本当に本当に感動、興奮。何回か泣いてしまいました。
 復活イエモンは、復活どころか間違いなくパワーアップ、スケールアップ、レベルアップしていました。予想以上です。
 最近もいろいろなロックのライヴに行ってますけれど、やはり格が違う。歌、曲、詩、演奏、全てが骨太なストレート・ロック。ガツンとやられました。
 いや、実は…18年前、1998年のこと、チケットが手に入っていながら、当日アクシデントで山梨県民文化ホールに行けなかった私、ようやくリベンジすることができたのです。
 ソロの吉井さんのライヴは毎年のように行っていましたが、イエモンのライヴは今回が初めてなのです。まさかこういう日が来ようとは…。
 1998年のツアーは、あの地獄のロード、活動停止、解散の端緒となった PUNCH DRUNKARD TOUR であります。今日の吉井さんのMCにもあったとおり、あのツアーの最終は横アリ4days!
 そういう意味も含めて、オープニングからあのSICKS収録曲の連続は、もう鳥肌モノ。まさに私のためのセットリストでありました(笑)。みんなそう思ってるんでしょうね。
 いや、しかし、そうした聴き尽くしたはずの過去の名曲たちが、妙に新しく、生き生きと感じられたのはなぜだったのでしょう。やはり、彼らも私たちも、それなりに時を刻み、たとえば20代から40代へ、30代から50代へと、ちょうど人生の大転換期を経てきたからでしょうか。
 発せられる音楽も違えば、受け取る側の受け取り方も深まっているのかもしれません。なるほど、人間の生み出した「作品」が、独立独歩していくということの意味がよく分かりますよね。まさに作品は生き続けるのです。
 ちょっとワタクシゴトになりますけれど、それこそこの「18年」の間には、イエモンを巡るいろいろ不思議なご縁がありました。
 そうですね、ちょうど再集結の話が始まる頃だったのでしょうか、吉井さんとお会いしてお話する機会が訪れました。そこで、彼が私の、中学の二つ下の後輩だったこと、住んでいたところも100メートルも離れていなかったことが判明し、「大岩中央スーパー」とか超ローカル&マニアックな話で盛り上がるという、まあホントに嘘みたいなことがありました。そして、故志村正彦くんの話ではしんみりするという…そう、きっと志村くんがそういうご縁を作ってくれたのだと信じています。
 その直後、今度は全く別ルートで、今日もご活躍だったカメラマンの有賀幹夫さんと知り合うことができ、こんなイベントを企画させていただくことにまでなりました。ストーンズの日本公演がイエモン再集結のきっかけだとすると、まさにその核心にいらっしゃった方ですからね。なんだか本当に不思議すぎます。
 そんな私的な思いもありまして、とにかく今日のライヴは、ある意味自分の今までの人生、特に思春期から今に至る「大人」としての、しかし「中二病」な自分の人生の総決算のようなライヴでありました。
 本当に、私もロックしたくなった。もちろん音楽としてのロックという意味でもありますが、それ以上に人生自体をロックのような激しさで歩んでいきたいと思わせるライヴでありました。
 秋にはツアーも始まるとのこと。旧山梨県立県民文化ホール(現コラニー文化ホール)で、本当にリベンジしようかな。それともその前日の、吉井さんと私のほろ苦い青春の思い出の地、静岡市民会館にしようかなあ。
 そして、ドキュメンタリー映画も!これは本当に楽しみですねえ。本格的な再始動。いや再起動かなあ。再稼働とも言えますね。
 本当にありがとう、イエモン。そして、これからもよろしく!うん、彼らはストーンズのように70歳になっても、きっとイエモンしてますよ。私も負けませんよ(「負けるなよ!」って言われましたからね)。

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2016.08.02

祝 舟久保遥香インターハイ優勝!

 やあ、興奮しましたね。というか、緊張した(笑)。
 ウチの中学出身でそのまま富士学苑高校に進学し、柔道部にて矢嵜雄大・仙子夫妻の指導を受けて6年目となる舟久保遥香が、昨年に続きインターハイ2連覇を成し遂げました。
 昨年高校2年生で、インターハイ優勝、世界ジュニア優勝を果してしまったために、プレッシャーもあったことでしょう。まあ、でもそれは当たり前のことで、それを乗り越えなければ一流のアスリートにはなれません。
 今日は午前中の団体戦も含めると全9試合!恐ろしいですね。ちなみに団体戦では、自分より大型の選手に押さえこまれ、久しぶりの負けを喫しました。それでもチームは全国3位。これもまた快挙です。
 団体で負けた悔しさを、個人戦ではプラスに発揮しましたね。落ち込んだりせず、とにかく「悔しい」と思うところが、彼女の良さだと思います。
 試合内容は、得意の寝技、極め技、絞め技が炸裂したという感じでしたね。決勝もそうですが、腕や肩、首を極めながら体を回転させて絞め上げていく。3回戦では、その動きで相手を落としちゃいました。
Th_80bcbf09a85720518876822b87b8b83c 練習中、試合中はカッコいい彼女ですが、学校ではいつもフニャフニャしてて、天然ぼけかましまくり(笑)。そんなギャップがまた魅力です。なかなかルックスもよく、スポーツ紙などでは「能年玲奈(現のん)」に似てると書かれ、美女アスリートとして、リアルビーナスカードにも採用されました。
 さあ、次は…また世界でしょうか。そして、4年後の東京オリンピック金メダルへ。皆さんの応援もよろしくお願いします。

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2016.08.01

三浦環全集

20160802_83253 、山中湖の文学の森にて文学の森フェスタが開かれ、三浦環の使っていたピアノが公開されています。
 そんな折、ようやくこの全集を手に入れることができました。中古でもかなり高額な値がついていたのですが、オークションで運良く定価の半額で落札することができたのです。
 まだ全部は聴いていませんが、三浦環の人生や哲学を反映した歌唱は、今聴いてもたしかに独特な空気を感じさせますね。
 あの時代、ある意味
 この全集には、三浦環が山中湖で深く交流した天才思想家仲小路彰の作詞作曲した曲が2曲収録されています。
 特に「スメラ民の歌」は、他のCDやネットのデータ販売でも聴くことができなかったもので、私も今回初めて聴きました(もう一曲の「永遠なる女性」はこちら)。
 ちなみに「スメラ民の歌」は、こちらで紹介した、原節子さん出演の「指導物語」のオープニングソングです。映画では男性が歌っていました(誰かはわかりません)。
 ですから、曲としては聴いたことがあったわけです。この曲も歌詞を読めば、いかにもその時代を象徴する内容であることが分かります。
 解説書にも、ほとんど仲小路彰のことは書かれていません。まあ、しかたありませんね。全く知られていませんから。特に音楽界では。
 私には、優秀な声楽家や研究家の知り合いもたくさんいますので、なんとか皆さんのお力を借りて音楽家仲小路彰も研究・顕彰していきたいと思っています。
 
Amazon 三浦環全集

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