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2016.06.02

『南京事件 兵士たちの遺言』 (NNNドキュメント'15)

 昨日、昨日の続き、「歴史認識」シリーズになるのでしょうか。
 NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」がギャラクシー賞を受賞したとのニュースが流れました。
 この作品(番組)、8年前の『兵士たちが記録した 南京大虐殺』 (NNNドキュメント'08)の続編と言っていい内容でした。
 小野さんの収集した「陣中日記」をもとに事件の真相に迫ろうというものです。
 私の南京事件に対する考えは、上掲8年前の記事や、昨年のこちらに書いたとおりで、「玉虫色」とも言えます。
 ただ言えるのは、ここのところ松井石根について調べており、そこから浮かび上がってくることもまた、真実の一面であろうと思います。そして、私はそうした松井の親中感情に大きく影響を受けて、つい先日も中国からの修学旅行団と交流しました。
 このように未来に影響をを与える個人の感情、信念こそが、私にとって意味のある歴史(物語)であるとも言えますね。
 歴史は、個人の感情、信念の集積であり、ある場合はそれらの公約数、ある場合は公倍数、ある場合は単なる一側面、という具合に、実に多様な存在です。
 それを「あった」「なかった」「30万だ」「3万だ」と言い合っても正直しかたがない。異論は当然あるとしても、私は、当時そこにいた個人の人生、感情、信念というものに触れて(場合によっては霊的にも)、それが自分の人生のどの部分にどのような影響を与えているかを考えることこそ、重要であると考えます。
 先日の伊勢志摩サミット、オバマ大統領広島訪問&スピーチを受けて、中国は9月に行われるG20において、首脳らを南京虐殺記念館に招待するかもしれません。それはまた日本にとってはチャンスかもしれませんね。安倍さんがスピーチするのもありでしょう。もし良かったら、私がライター務めますよ(笑)。

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コメント

「南京大虐殺」はなかった

1937 年12月、

南京城陥落のとき、

日本軍と
同時に入城した

120名の
内外記者団、
カメラマン、
文化人等は
誰一人として
血の海、
死体の山を
見た人は
いませんでした。

大虐殺の噂など
聞いたこともなかったと
皆一様に言っておりました。


南京市長は、
残留市民20万人を
英米独の委員15名が管理する
国際安全区へ避難させた後
避難してしまいました。


日本軍は南京入場と同時に
安全区の周囲に歩哨を立て、
日本軍人の立入りを禁止し、
住民の安全確保に
最大の努力を払った為、
ここには一発の砲爆撃もなく、
火災の発生もなく、
20万避難民は
危険を感ずることなく
安心して暮らしておりました。

国際委員会のラーぺ委員長は、

日本軍のこの手厚い配慮に対して

感謝の書翰を送ってきました。

翌月には避難民は
25万人に増加しましたが、
このとき中華民国兵数千名が突如、
避難住民に襲いかかり、
服を脱がせ、
自分は軍服を脱ぎ棄て、
脱がせた住民の服を
自分達が着て、
武器携行のまま
安全区内へ
強行侵入して来たのです。


これが有名な便衣隊なのです。


日本軍は直ちに
便衣隊の摘発に乗り出し、
抵抗する者は射殺しました。


これは国際法に基づく
合法行為であり
戦闘行為なのです。


元憲兵戦友会長の話では
この射殺死体数は
1800体から2000体以内と
言っております。


これらの死体は
民間服を着ていますが、
実は抵抗した
中華民国軍人の
死体なのです。


南京大虐殺
何万何十万などと言う
虚構の数字に
だまされないで下さい。


日本軍は
抵抗しない
住民などは
保護しても
攻撃などは
絶対にしません。


戦後、
中華民国では
大急ぎで
「日本軍による被害」の
申し出を求めたのですが
申し出る者が少なく、
手を変え
品を変えて
集めた資料を
東京裁判法廷に
提出したのです。


しかし、
殆どが
確認のない
数字でありました。


一方、
原爆を投下して
一般市民の
大虐殺を行った
米国は、
日本人による非難、
怨嗟の声の挙がるのを予想し、
これを牽制する必要上、
南京虐殺事件
デッチあげの
片棒を担いだのです。


日本人に
「我々も南京で悪いことをしたので
原爆を落とされても仕方がないのだ」
と思い込ませる為の
策略なのでした。


尚、
現在の中国の
正式国名は
中華人民共和国です。


この国の建国は
1949年で、

1945年に
戦争放棄をした
日本とは
一度も戦争を
したことはありません。


中国は
自国の建国前のことで
毎度威猛高になるのは、
これを材料にして
非力な日本を
恐喝したいからなのです。


日本が
第三国を含め
共同調査の申し入れをしても、
中国は常に拒否しています。


これは事件の
デッチあげが
ばれるからなのです。

-------

キリングフィールド

カンボジア人口 800万人の内

約250万人を殺戮した、

ポル・ポトは

毛沢東の

最も忠実で実行力のある弟子であった。

この背後に中国共産党が支援していた事が
世界に知られる

この時に

中国共産党は

旧日本軍の南京大虐殺を持ち出した....

平成六年(1994年)
羽田内閣で法務大臣に任命され、法相就任直後、毎日新聞のインタビューにおいて「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言。

事実上更迭される形で在任わずか11日で法相を辞任した。

-------

日本憲兵隊戦友会誌より引用

永野法相の発言は狡猾な新聞記者の罠にはめられて生じた事件のようである。

これはかつての教科書検定事件(昭和五七年)新編日本史検定事件(同六一年)奥野国土庁長官事件(同六三年)の際と全く同じ筆法であり国の体面を犠牲にして私利私略のに走る憎しみ、顰蹙すべき魂胆と言わざるを得ない。

しかし、新聞記者の卑劣さを、なじることによって永野法相の軽率が免責されるわけではない。

この程度のみえすいた罠にかかることは政治家として未熟無思慮と言わざるを得ないが、それ以上に発言を簡単に取り消し「侵略戦争であった」「南京大虐殺を認める」無節操の方が余程責任は重いと思う相手は真の反省と、とるはずがない。

前例の奥野長官も藤尾文相も文官ではあるが発言を撤回していない。

従って信念を貫いて辞任したことになる。

永野法相は陸軍大尉後陸軍幕僚長の要職まで勤めた武官として、その進退のあり方は醜態と非難されても致し方がない。

南京事件は東京裁判で中国側証人が例の「白髪三千丈」式の作り話に出た訳で南京攻略戦から東京裁判まで約十年間戦地の将兵も国民もこの事を知らず、また南京大虐殺などという記録は何処の国にもなかった、とのことである。

南京陥落とともに入城した外人記者五名を含む百二十名の新聞記者、カメラマンがあったが一名も虐殺を見たものもなくその記事もない。

筆者も憲兵正史編集の際南京攻略戦に参加した憲兵数人から事情を聴取したが虐殺現場を知る方は一人もなかった。

また虐殺人員を彼らは三十万人と稱するが当時の南京の総人口二十万であったことからして如何に出鱈目な数字であることが感得出来る。

陸軍将校によって組織されている偕行社は六年の歳月をかけて南京戦に参加した全部隊の戦闘詳報から軍司令官以下兵に至るまでの日記や敵側の記録各国の報道等を収集し膨大な南京戦史を発刊したが虐殺事件というようなものは全くなし極く僅かな殺害事件、暴行事件があったのみである。

南京事件はあまりにも事実とかけ離れているので日本側としては日中双方より真相究明委員を出し真相の糾明に当たり度いと提案しているようだが、中国側がこれに応じるものとは考えられない。

今の処この件については手の打ちようがないようである。

政治家たるもの、勇気を以って時期を見計らい大東亜戦争肯定論、南京大虐殺否定論を堂々と発表し、それから取り消す事なく罷免の途を甘受してほしい。

斯くすれはば死屍累々ということになろうがそうでもしなければこの屈辱の史観は是正されることがないと思う。


次に四月二十五日付国民新聞の一面に「南京虐殺贖罪の碑建設へ」
「中曽根、福田、元総理が顧問に」
と写真入で出ているのに驚いた。

内容は元社会党委員長田辺誠氏が、かつて中共を訪れた際「南京虐殺記念館を建てるべきだと促したことが契機となり、昭和六十年八月記念館が建設された。

さらに今日群馬県の一民間人が記念館のとなりに平和記念館を建設し、その中に贖罪記念碑を立て日本人観光客(年間一万人)に懺悔とお詫びをさせようという企画が進められているこの計画には前記元首相二人を始め社会、自民、新生等の国会議員ニ十七名が名をつらねている贖罪碑の前には大きな献金箱が据えられるが、この献金箱は群馬県の提供によるものだという。

この発案者は元海軍報道部上海派遣員現在日本芳名録出版会長の横山誠(八三)氏。

氏は日中友好慰霊塔建設実行委員会を組織し事務局を前橋市に置き平成八年を目標に目下募金活動展開中という。

以上まで書き進めて筆者はもうこれ以上続ける勇気をなくしてしまった。

それは先の教科書検定問題から今次の贖罪慰霊碑の建設まで日本の体面を汚す事件の総てはその発端が日本人である。

またその企画に元首相をはじめ国会議員が名を連ねているとは何としたことであろう、

ありもしない南京虐殺に日本人が贖罪碑まで立て日本人に懺悔お詫びさすとは何ととぼけた血迷った愚かしい企画であるまいか。

こんなことをしていては世界の笑い者になることは必定である。

もうこの辺で御免蒙り擱筆する。

投稿: 日本憲兵隊戦友会誌 | 2016.06.07 07:00

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