明見(富士吉田)と綾部(京都)をつないだ人
川合信水と肥田春充
2年ほど前、明見(富士吉田)と綾部(京都)をつなぐモノという記事を書きました。
その記事の中でも触れたキーパーソン「舟久保庄」は、のちにこちらの記事に書いたように、やはり大本信者であり、かつ宮下文書の研究者であることが確認されました。
先日70周年を迎えた綾部本宮山の「月山不二」に、富士吉田は明見の石が鎮座している理由はそこにあったわけです。
ちなみにその舟久保庄と「富士の霊石」をめぐる話は、大本の機関誌に紹介されたことがあります。私は以前、王仁三郎のひ孫のお一人である出口光さんから、そのコピーをいただきました。
同じくひ孫のお一人である出口恒(ひさし)さんが、それを活字化して、ご自身のサイトで紹介してくれています。
恒さんと言えば、上掲のサイトの内容を中心にすごい本をお書きになりました。「切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言) 誰も知らなかった日本史 皇室に隠された重大な真実」です。
時はしも「月山不二」70年に公になったこの本、一言で言いますと「やばい」内容です。また、近々このブログでも紹介するつもりです。ちなみに「月山不二」のことは次作にお書きになるとのこと。
さてさて、今日はそんな富士吉田と綾部を結ぶ人物をもう一人紹介します。これがまた「やばい」んですよねえ。
富士吉田市民の皆さん、名誉市民第一号はどなたか知っていますか?
なんと、かの川合信水なのです。富士吉田市のホームページでご確認ください。
川合信水について書き出すとキリがありませんが、私の中でのまとめ方としては、「西桂町小沼出身、グンゼの教育係で綾部に赴任、のち富士吉田で基督心宗を開く。肥田春充の実兄」…こんなところでしょうか。もっともっと奥深くて「やばい」んですがね。
まあ、とにかく川合信水は綾部に長年住んでいるんです。それも郡是製糸の重鎮として。そうそう、今年はグンゼ120周年ですね。特設サイトにももちろん川合信水の名前が出てきます。
信水が在綾のころは、言うまでもなく出口王仁三郎の大本の一つの全盛期でもありました。当然交流があったことでしょう。
というか、両者は因縁の関係とも言える。大本は郡是という近代西洋的なモノの荒魂によって出口直を通じて発動したとも言えますし、信水が持ち込んだキリスト教と対峙する形で発展したとも言えます。
一方、大正6年の貞明皇后の綾部行啓の際には、王仁三郎ら大本関係者と信水を含む郡是関係者が揃ってお出迎えしています。
これはまたいつか書きますけれども、貞明皇后は反キリスト教的立場であり、かつどうも大正天皇のご病気治癒のために大本に近づいた形跡がある。さらには、あの時代において、神功皇后を思わせるような「女」の権力と霊力を発揮している。これも、近代天皇制というフィクションに対抗して「女」を前面に押し出した天理教や大本とかぶるところがあります。
ちなみ信水の弟である、かの肥田式強健術の肥田春充は、盟友であった大川周明とともに、王仁三郎のことをかなりきつい言葉で批判しています。二人とも、そうとうに王仁三郎を意識していたし、無意識的には影響を受けていたものと思われます。
と、話がそれてしまったので、もとに戻しますが、川合信水の存在が、富士吉田(富士山)と綾部を結んだことはたしかです。そこには「不二の仕組」が働いていると予感しています。もちろん、製糸、織物技術の面でも両地を結んだことでしょう。
富士北麓では、信水は徳富蘇峰とも深く交流しています。そうなると当然、山中湖に蟄居していた天才思想家仲小路彰とも関係があったはずですね。
これはまた大変なことになってきました(ワタクシ的には)。いろいろ分かり次第報告いたします。今日はここまで。
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