誰かに見られている…サムシング・グレート
誰かに見られている…なんて書くと、いったいなんのことかと思われることでしょう。誰かに狙われてるとか(笑)。いや、ファンに常に監視されているとか(笑)。
残念ながらそういう自意識過剰な話ではなく、どちらかと言うとその逆、無意識の話です。
今日、知り合いの「神の手を持つ男」が学校に来まして、いろいろと奇跡的なことをやって見せてくれました。その方についても、また時節が参りましたら、ここで紹介します。本当にすごい方です。
その方が帰り際、生徒たちにこんな話をしてくれたんです(私なりの捉え方で脚色します)。
自分が小学生だったある日、蟻の巣で遊んでいた。蟻の行列を邪魔したり、せっかく掘った穴を埋めたり(まあ、よくやる遊びですね)。
ふと思った。蟻は私のことが見えていないのかなと。たとえばいたずらする指の先は見えているかもしれないけれど、「私」という大きな存在は見えていないようだと。
こんなに大きくて、そしてはっきりしていて、さらにいたずらをするという形で蟻たちに深く関わっているのに、なんで気づかないのだろう…。
その時、はっと気づいた。どこまでも続く青空を見上げた。
そうか、自分も蟻と一緒だ。自分は常に誰かに見られているのに、それに気づいていない。とてつもなく大きな存在だからこそ気づくことができない。
その日から、自分は悪いことができなくなった。人の悪口を言わなくなった。嘘をつかなくなった。
なるほど〜。非常に腑に落ちましたね。サムシング・グレートの説明として、とっても分かりやすい。
たしかに、蟻さんをいじめても、蟻さんはいじめた私全体を意識していることはありませんよね。逆に、水たまりに溺れている蟻さんを助けてあげたとしても、蟻さんは私に感謝なんかしません。
人間と「なにモノか」との関係も全く同じ。スケールが違うだけの雛型になっています。
そのサムシング・グレートの指先は分かります。たとえば私をいじめている人が誰かは認識できたり、地震や台風が来たなとか、あの人のおかげで助かったとか、そういうことは意識できます。
しかし、そのサムシング・グレート(なにモノか)の本体はほとんど意識することはありません。人間はとりあえず言語やイメージでその存在を意識することはできますが、あくまでもそれは意識的意識です。
もちろん、無意識的意識もありますよ。それこそ言語化(コト化)できないモノとしての認識。しかし、日常的には(蟻的生活次元、つまり3次元においては)、ほとんど意識されることはありません。
宗教というものは、それを日常的に意識するための方便にすぎません。日本では昔から「お天道さまが見てる」という言い方をしてきましたね。サムシング・グレートを自然に仮託したのは、いわゆる宗教よりも高度な文化であったと、私は思っています。
その点、芸術の役割は重要だと言えます。人間だけに与えられた、サムシング・グレートの存在するであろう高次元宇宙にアクセスする手段です。特に音楽。
ちょっと話が発展しすぎましたが、とにかく、その「神の手を持つ男」は、小学生の時にそうした悟りを得ていたわけですね。さすがです。
彼のこの話を聴いて、私はこちらのコメント欄で紹介した、恩師大村はま先生の「仏様の指」の話を思い出しました。
なぜ、その「誰か」「なにモノか」「サムシング」がグレートなのか。それは、見ていて手助けしてくれるけれども、その姿を現さない、人間に見られている感覚を起こさせないからなのですね。
実に面白く、また不思議なことです。
| 固定リンク
「音楽」カテゴリの記事
- AIで創る「新しいバロック音楽」(2025.05.14)
- 古文訳J-POP(有隣堂しか知らない世界)(2025.05.12)
- 『砂の小舟』 丹波哲郎 監督作品(2025.05.08)
- 『Baby, I Love You』by Suno AI v4.5(2025.05.07)
- 『Tokyo Jazz』by Suno AI v4.5(2025.05.04)
「心と体」カテゴリの記事
- 佳子さま降臨(2025.05.16)
- 天然温泉 ロテン・ガーデン(町田市)(2025.05.15)
- 完全版 『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』 小佐野景浩(2025.05.13)
- 『Baby, I Love You』by Suno AI v4.5(2025.05.07)
- 全日本プロレス チャンピオン・カーニバル2025 後楽園ホール大会(2025.05.06)
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 光明寺さん(小山市)で思う(2025.05.23)
- 榮山寺のカオスとコスモス(2025.05.22)
- 吉野〜南朝の幻影(2025.05.21)
- 『超国宝』展 (奈良国立博物館)(2025.05.20)
- 私的「大鹿村騒動記」(2025.05.18)
「教育」カテゴリの記事
- 古文訳J-POP(有隣堂しか知らない世界)(2025.05.12)
- 『だっこがしたい足くん』 そうた (Clover出版)(2025.04.29)
- 追悼 大宮エリーさん(2025.04.28)
- 国語便覧(第一学習社)(2025.04.25)
- ホワイト社会?(2025.04.22)
「歴史・宗教」カテゴリの記事
- 乙姫さま降臨(2025.05.26)
- 岡崎市円山の神明宮と古墳群(2025.05.24)
- 光明寺さん(小山市)で思う(2025.05.23)
- 榮山寺のカオスとコスモス(2025.05.22)
- 吉野〜南朝の幻影(2025.05.21)
「モノ・コト論」カテゴリの記事
- 地震と大相撲(2025.03.30)
- ハイデガーVS道元…哲学と仏教の交差するところに、はじめて立ち現れてきた「真理」とは?(2024.06.03)
- 文字を持たない選択をした縄文人(2024.02.14)
- スコット・ロスのレッスン(2024.01.12)
- AIは「愛」か(2024.01.11)
コメント