« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »

2016.06.30

日本共産党カクサン部オフィシャルカード

Th__20160701_141553 本共産党カクサン部、またやってくれましたね(笑)。トレーディングカードとは…。
 今一番やわらかい政党ですよ、日本共産党。普通できないでしょ、これ。さすがです。
 1年半前の衆院選の時にもこちらで紹介したカクサン部。
 今回の参院選は、選挙権年齢が18歳に引き下げられたこともあって、ますます若者に迎合する…いやいや、訴えかける戦略ですね。
 まあとにかくこちらからホンモノ(?)を見てください。
 よくできてますよね。お金かかってそう…と思ったら、ある共産党関係者に聞きましたところ、なんでも党内にこういう技術を持った人がけっこういるそうで、もしかするとボランティアで作ったのではないかと。なるほど。
 まあ分かりやすいと言えば分かりやすいが、得意技(ポジック・政魔法)なんか、ただ政策をカタカナで書いただけだったりして、よけい分かりにくくなっているような気も…。
 どうなんでしょうね、内部的には、「けしからん」「まじめにやれ」というような声は上がらないのでしょうか。
 ま、小池さんがこんな具合ですから、大丈夫なのでしょう。小池さん、炎タイプなんだ(笑)。

 上の動画で小池さんも言ってますが、実際のカードは法律にひっかかるので作れないと。そりゃそうだ。
 たとえばこれを民進党がやったとしましょう。絶対大ブーイングですよね。シャレにならない。しかし、共産党がやるとちゃんとシャレになるところが、日本の素晴らしさでありましょう。
 ちなみに統一候補の紹介もありますが、さすがにカード化はできませんよね。ちょっと見てみたかった。
 あとはやっぱり対抗する悪のカードも必要ですよね。アベシンゾーとか。
 こうして私も半分面白がって紹介することによって、カクサン部の活動方針に見事に乗っかっているわけでして、そう考えると、なかなかの戦略だと思います。
 やっぱり日本共産党は「日本」共産党ですね。
 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.29

ユダヤと日本…

 日に続き、宗教の話です。今日はユダヤ教について。
 と言いますか、いわゆる日ユ同祖論について、つらつらと思いついたことを書こうかと思っています。
 というのは、今日ネットでスクープ! 「日ユ同祖論」が決定的に!? ユダヤと諏訪「御柱祭」の“5番目の共通点”を新発見!という記事を見たからです。
 上の動画は、その記事を書いた百瀬直也さんが作ったものです。なかなかよくできています。
 今年は私もご縁があって諏訪大社の御柱祭にほんのちょっと関わらせていただきました。体感して分かりました。まさに「世界の奇祭」。近代日本からかけ離れている。不思議すぎますが、なんかしっくり来たのも事実。
 その源を縄文に求める場合も多くありますが、一方でそれをユダヤに求める人も昔からいます。
 今回の百瀬直也さんのレポートを読みますと、なんだか本当にその気になってきてしまいますね。
 秋田の超山奥出身のウチのカミさんは「イスキリ(キリストの弟)」の信仰者であり(笑…いやマジで)、なんか顔つきも日本人離れしておりまして、まあユダヤ人っぽいと言えばユダヤ人っぽい。
 ユダヤではないにしても、ロシア経由で東北にキリスト教の一派が渡来した可能性は普通にあります。
 それから、私の住んでいる富士北麓地方にも、微妙にユダヤ伝説が残っています。そう、明見に残る宮下文書も、一部の好事家からするとユダヤ文書らしい。
 徐福伝説も色濃く残っているのですが、それを取り巻く羽田(はだ)氏も秦氏の末裔と言われていますので、まあ、まんまユダヤとも言えます。徐福自身がユダヤ人だという説さえありますし。
 私の研究している出口王仁三郎の意識の中にも、たとえば「石屋(フリーメーソン)」のような形でユダヤが出てきますね。あるいは「いいユダヤ」「悪いユダヤ」という対比。
 あの時代こそ、日ユ同祖論大流行でしたからね。単なるトンデモではなく、たとえば河豚計画のような国家的事業にまで影響を与えている。
 もちろん川守田英二の日本語とヘブライ語の比較なんか、ちゃんと言語学をやった者からすると、噴飯にも値しないバカバカしいものです。しかし、当時はある程度の知識人たちが、それを真剣に信じていた。それで歴史が動いたという意味では、バカバカしいではすまされませんよね。
 あの時代ということで言えば、かの仲小路彰の戦前・戦中の文書にも、しょっちゅうユダヤが出てきます。そこにもやはり、「いいユダヤ」と「悪いユダヤ」があるように感じますね。
 仲小路の書いたものの中には、今でも十分通用している「ユダヤ国際資本」の陰謀的な話がガンガン出てきます。ある意味、敵の向こうにある見えない存在、日本の皇室と対極にある存在としてのユダヤという図式は、今も昔も変わっていません。
 もちろん、こんなに単純化して、いい悪い、敵味方のような言い方をしてはいけませんが、どこか日本人にユダヤに対する憧れと恐怖があるのは事実のようです。
 ここから先のことは、かなり危ないので書けません…なんて、中二病的な物言いですね。でも、実際のところ今もまだ私たちの生活と心情の向こう側にユダヤが存在しているんです。ただ言えることは、いわゆる陰謀のようにマイナスのことだけではない。未来に向けて、ユダヤ人はとても重要な仕事をしているということです。
 日ユ同祖論が何を象徴しているのか、いや、それとも歴史的な事実なのか、それはもうすぐ(数十年の間に)明らかになることでしょう。結末として、結局王仁三郎や仲小路の述べたとおりになるような予感がしますがね。
 今年も、諏訪にたくさんのユダヤ人が来ていたという情報があります。それも単なる趣味人や研究者ではなく、それなりの重鎮たちが…事実は「ムー」よりも奇なり!

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2016.06.28

『宗教消滅ー資本主義は宗教と心中する』 島田裕巳  (SB新書)

Th__20160629_131742 日の「誰かに見られている…サムシング・グレート」に大きく関連するお話。
 今や多作家として有名な(?)島田裕巳さんの著書。タイトルから想像した内容とは少し違いましたが、なかなか面白い本でした。
 私は、「宗教消滅」を、基本的に島田さんと違う意味でとらえています。資本主義との関係についても。
 島田さんの論については本を読んでもらうとして、ここでは私の考え方を記しておきます。
 この本で示されているとおり、日本の新宗教を中心とする各宗派の信徒数は激減しています。あるいはヨーロッパの非キリスト教化、世界の無神論化もたしかに進んでいます。
 その「宗教消滅」ははたして悪いことなのでしょうか。島田さんの論調は「心中する」という過激な言い方からも分かるとおり、どちらかと言うと人類にとってマイナスの事象として捉えている感じです。
 ここで私がまず思い出すのは、出口王仁三郎の「宗教のない世がみろくの世」という考え方です。王仁三郎らしいですね。宗教家でありながら、宗教がなくなれば良いと思っている。
 そういう意味においては、現在の日本や世界の状況は良い方向に進んでいるとも言えます。特に日本は、昨日書いたように、もともと「宗教」はなく、生活実感であり、無意識的意識であり、あえて言うなら、自然や自然現象に仮託される「なにモノか」に対する畏敬の念だけが存在していました。
 日本人にとって、「宗教」はあくまで近代的方便。それ以前は、天皇がその象徴であったわけですけれども、今日はそこのところには触れません。
 そう考えると、日本は本来の日本に帰りつつあるとも言えますし、世界もある意味日本化しているとも言えますね。
 経済、特に資本主義経済、あるいはグローバル経済というものについても、私はちょっと変わった考えをしています。
 マルクスが喝破したとおり、資本の目的は蓄積にあります。それは人間の欲望の究極の象徴です。それを乗り越えたところに共産主義があるわけで、その意味では、共産主義の方が「倫理的」あるいは「宗教的」には次元が高いというのも事実です。
 ですから、私は共産主義にもシンパシーを抱きますし、そういう理想を未来に掲げて今の経済的自我を見直すことも大切だと常々思っています。
 ただ、現実のシステムとしては共産主義は資本主義に負けました。少なくともそう見えます。
 しかし、それは私の言う「国譲り理論」にもつながることでして、実際はまた共産主義が勃興する時が来ます(かなり遠くの未来でしょうけれど)。
 島田さん言うところの「高度資本主義」は、そういう意味では「宗教」を滅ぼすかもしれませんね。心中かもしれない。つまり、我々の霊性が高くなれば、宗教もいらなくなるし、資本主義的な経済システムはいらなくなる。それがすなわちみろくの世であると、王仁三郎は言っているわけです。全然悪いことではありませんよね。
 王仁三郎が出てきたついでに、この本に出てきた教団や人についていくつか書いておきます。
 まずは生長の家。この本でも言及されていますが、現在の生長の家は、谷口雅春が創始したころのそれとは、正直180度違う路線を歩んでいます。
 そう、今や、山梨県北杜市の山奥の森に国際本部を置く、実に自然派な(左翼的なと言ってもいい)教団になっています。
 これも前述の意味で、大いにけっこう、大いに象徴的なことです。一方で、「日本会議の研究」に示されているとおり、その反動としての谷口雅春回帰の運動が起きるのも世の常。
 三代目の現総裁が『日本会議の研究』について『日本会議の研究』について (2)のように高く評価しているのは、実に面白いことです。
 次に、私もこの本で初めてその名を知った「ヽ心会(ちゅしんかい)」。勉強不足でした。このヽ心会、「ヽ」を「す」の古代の発音「ちゅ」と読んでいることからも分かるとおり、間接的にであれ、出口王仁三郎の影響があったのは間違いありません。
 ヽ心会の開祖は姓名学の権威熊崎健翁。熊崎健翁については、かの仲小路彰が大きな影響を受けたことで、私の記憶にある人物でした。
 仲小路は、自身の名前の標記を熊崎の説に従い「明良」と改めました。また、身近な弟子や友人の改名も促しています。
 私も熊崎について勉強してたいと思います。ネット上でこのような論文を読むことができます。実に興味深いですね。
 さあ、またまた脱線してしまったので、話を戻しましょう…と言いますか、私のトンデモ説よりも、島田さんの論の方が面白いし分かりやすいと思いますので、ぜひご一読を。

Amazon 宗教消滅

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.27

誰かに見られている…サムシング・グレート

Th_depositphotos_1012776antsdemandp かに見られている…なんて書くと、いったいなんのことかと思われることでしょう。誰かに狙われてるとか(笑)。いや、ファンに常に監視されているとか(笑)。
 残念ながらそういう自意識過剰な話ではなく、どちらかと言うとその逆、無意識の話です。
 今日、知り合いの「神の手を持つ男」が学校に来まして、いろいろと奇跡的なことをやって見せてくれました。その方についても、また時節が参りましたら、ここで紹介します。本当にすごい方です。
 その方が帰り際、生徒たちにこんな話をしてくれたんです(私なりの捉え方で脚色します)。

 自分が小学生だったある日、蟻の巣で遊んでいた。蟻の行列を邪魔したり、せっかく掘った穴を埋めたり(まあ、よくやる遊びですね)。
 ふと思った。蟻は私のことが見えていないのかなと。たとえばいたずらする指の先は見えているかもしれないけれど、「私」という大きな存在は見えていないようだと。
 こんなに大きくて、そしてはっきりしていて、さらにいたずらをするという形で蟻たちに深く関わっているのに、なんで気づかないのだろう…。
 その時、はっと気づいた。どこまでも続く青空を見上げた。
 そうか、自分も蟻と一緒だ。自分は常に誰かに見られているのに、それに気づいていない。とてつもなく大きな存在だからこそ気づくことができない。
 その日から、自分は悪いことができなくなった。人の悪口を言わなくなった。嘘をつかなくなった。

 なるほど〜。非常に腑に落ちましたね。サムシング・グレートの説明として、とっても分かりやすい。
 たしかに、蟻さんをいじめても、蟻さんはいじめた私全体を意識していることはありませんよね。逆に、水たまりに溺れている蟻さんを助けてあげたとしても、蟻さんは私に感謝なんかしません。
 人間と「なにモノか」との関係も全く同じ。スケールが違うだけの雛型になっています。
 そのサムシング・グレートの指先は分かります。たとえば私をいじめている人が誰かは認識できたり、地震や台風が来たなとか、あの人のおかげで助かったとか、そういうことは意識できます。
 しかし、そのサムシング・グレート(なにモノか)の本体はほとんど意識することはありません。人間はとりあえず言語やイメージでその存在を意識することはできますが、あくまでもそれは意識的意識です。
 もちろん、無意識的意識もありますよ。それこそ言語化(コト化)できないモノとしての認識。しかし、日常的には(蟻的生活次元、つまり3次元においては)、ほとんど意識されることはありません。
 宗教というものは、それを日常的に意識するための方便にすぎません。日本では昔から「お天道さまが見てる」という言い方をしてきましたね。サムシング・グレートを自然に仮託したのは、いわゆる宗教よりも高度な文化であったと、私は思っています。
 その点、芸術の役割は重要だと言えます。人間だけに与えられた、サムシング・グレートの存在するであろう高次元宇宙にアクセスする手段です。特に音楽。
 ちょっと話が発展しすぎましたが、とにかく、その「神の手を持つ男」は、小学生の時にそうした悟りを得ていたわけですね。さすがです。
 彼のこの話を聴いて、私はこちらのコメント欄で紹介した、恩師大村はま先生の「仏様の指」の話を思い出しました。
 なぜ、その「誰か」「なにモノか」「サムシング」がグレートなのか。それは、見ていて手助けしてくれるけれども、その姿を現さない、人間に見られている感覚を起こさせないからなのですね。
 実に面白く、また不思議なことです。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.26

剣道十段天覧試合

 日は東京某所にて剣道七段の方のお話をうかがいました。いや、剣道の話ではないのですが…「戦い」の話ではありました。日本の武道のような「戦いの精神」は、はたしてこの時代の世界戦に通用するのかどうか。厳しい時代になりましたが、だからこそ、本来の「大和魂」、すなわち「Great Global Familism」を復活させたいと思いました。
 さてさて、その話は時節が到来しましたら書くといたしまして、今日は剣道のお話。
 私自身は剣道はほとんどやったことがありませんけれども、昨年から突然下の娘が剣道部に入りまして、その深い世界に没頭しております。
 私も、明治から昭和にかけての、いろいろな武道(プロレス含む)の映像をYouTubeで観て勉強をするようになりました。
 ここのところ何度か紹介した、柔道や合気道の動画はその一端です。
 今日は、剣道の十段の試合を紹介します。現在、十段(と九段)は廃止されているので、最高位は八段範士ということになります。
 Wikiによると、剣道十段は次の5人しかいないとのこと。

小川金之助 1957年(昭和32年)授与
持田盛二 1957年(昭和32年)授与
中野宗助 1957年(昭和32年)授与
斎村五郎 1957年(昭和32年)授与
大麻勇次 1962年(昭和37年)授与

 その5人のうち、持田十段と中野十段の試合が次の動画です。おそらく昭和15年の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会ではないでしょうか。段位自体は戦後に制定されたものですから、お二人とも当時十段だったわけではありません。
 昭和15年といえば、お二人とも55歳。気力体力ともなかなか充実していた時期ではないでしょうか。
 天覧試合だからというわけではないでしょう、お二人ともに本当に動かない。動けないと言った方が正しいか。心が動いたほうが負けということでしょう。
 その緊張感を味わってみましょう。

 ん?どっちが勝ったんだ?
 ちなみにこの武道大会、柔道の部では木村政彦が優勝しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.25

美空ひばり 『さくらの唄』

Th_ 日は美空ひばりの命日でした。1989年6月24日、ひばりさんは52年の短い人生を終えました。52歳。今年、私はその歳になります。
 この歳であの実績を残したわけですからね。本当にすごいと思います。
 この曲は、自分の歌謡曲バンドでも演奏しました。三木たかし特集でした。大した演奏ではありませんが、こちらで動画も観られます。
 あの時はカミさんがボーカルでしたので、とてもとても本家にはかないませんけれども、とにかくいい歌だなあと感動しながら演奏したことを思い出します。
 詩は、なかにし礼さん。ご自身が非常に大変な時期(お兄さんの借金の返済に追われていた時)に、死を恐れつつ死に憧れて、遺書のようなつもりで書いたといいます。
 ある意味暗い詩ですが、なんというか、それを一つの悲哀、哀愁、「もののあはれ」に仕上げたのは、やはり三木たかしさんの優れた作曲センスによるものでしょう。
 ちょっと、本家のライヴ歌唱を聴いてみましょうか。生でなくとも、これは「泣ける」。

 最近、この曲の未公開録音が見つかったそうですね。シングルとして発売されたとのこと。
 作曲者の三木たかしさんは、ご自身で泣きながら歌ったのに、ひばりさんはにっこり笑いながら歌ったとのこと。そこがすごいところ。恐るべし天才。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.24

イギリスEU離脱についての私感

Th_s_ice_screenshot_20160624181303 きのニュースが飛び込んできました。
 正直、なんだかんだギリギリで残留になるだろうなと楽観していたのは私だけではなかったでしょう。
 結果として、安倍総理のG7での「リーマンショック級」発言が予言になってしまいました(苦笑)。あの時は、キャメロンさんはじめEU諸国の皆さんも、「そりゃないだろ」的な雰囲気でしたが、まさかイギリス震源で現実化しようとは…。
 まさか安倍さんの近くに、未来を観ることができる人がいるのではないでしょうね。かつての仲小路彰のように。
 ちなみに仲小路彰は、昭和28年の段階で吉田茂首相に「ソ連は内部矛盾によって解体する」と報告しています。
 今回のイギリスの決断は、仲小路彰や出口王仁三郎が構想した「世界連邦」的な融合がいかに難しいことかを証明してしまったとも言えますね。
 今回の離脱の原因として移民の問題があるのは確かです。移民の問題は、すなわち宗教の問題です。あまり指摘されませんが、キリスト教に対して、ユダヤ教とイスラム教は、そのプロセスは違うとはいえ「流浪の民」なのです。
 それが何を示すかというと、ユダヤとイスラムこそがグローバル化の推進者だということです。つまり、国家を持たない、国境を無視するということです。
 イギリスは日本と同じ島国。海という自然の国境を持っているため、両国とも歴史的に見ると、もともとは国家意識の低かった。急にお隣から攻められることがなかったからです。
 しかし、交通手段、通信手段が発達した近世以降は、逆に国家観、領土意識が強くなった。その結果として、イギリスはご存知のとおり国家拡大の攻めの方向に舵を切りました。逆に日本は鎖国政策によって、国家を守ることを決意しました。
 明治維新以降のことは、分かりやすそうで分かりにくいので、ここでは割愛させていただきますが、いずれにしても、両国の動きは「反グローバル化」だったわけです(異論もあるでしょうが)。
 もちろん、ここで言う「グローバル化」というのは、あくまでユダヤ、イスラム的な発想であり、仲小路や王仁三郎が目指した「グローバリズム」や「みろくの世」とは根本的に違います。
 つまり、今回の事態はユダヤ・イスラム的グローバリズムと、日本的グローバリズム(八紘為宇)との次元の違いを示していると、私は見ているのです。
 違う言い方をすれば、ユダヤ・イスラム的グローバリズム、すなわち経済や金融のグローバル化が、日本的グローバリズムに向けて乗り越えなければならない一つの過程であると。
Th_d5e050cd おそらく他のEU諸国の保守層(極右層)が、この流れに乗らんとして「国民投票」の実施を訴えることでしょう。ここが実は保守層の弱点です。皮肉なことですが、保守層の無意識的に忌避している「大衆の愚」の象徴が「国民投票」の結果なのです。
 今回のイギリスの国民投票の結果も、決して未来的思考に立ったものではなく、非常に現在的感情、あるいは懐古的感情に則ったものです。実際、誰がどう見ても、未来のイギリスの姿が思い描けません。
 その不安が、株価暴落という「リーマンショック級」の経済危機を招来してしまう。当たり前のことです。
 一方で、円高が進みます。これは、短期的に見ると日本経済、アベノミクスにとって不利に働きますが、長期的、未来的に見ると、やはり円=日本の信頼度の高さを示すわけで、決して悪いことばかりではありません。
 イギリスの皆さんには申し訳ありませんが、日本とイギリス、似ているようで根本が違うんですよね。近代におけるイギリスの動きについては、ここで言うまでもなく、ずいぶん身勝手で嘘で固められたものでした。
 日英同盟の時には、日本はそこに気づかなかったのですね。あれには痛い目にあいました。
 今回は日本も賢く動くことでしょう。イギリスは中国に近づく可能性がありますから、ますます日本は有利になるとも思います。
 この世界的な動きを機に、やはり日本はロシアと仲良くしておいた方がでしょう。そろそろ平和条約と領土問題解決のタイミングでしょうね。
 いずれにせよ、今回のイギリスEU離脱は、ベルリンの壁崩壊と同じくらいの歴史的転換点になるでしょう。私も私なりに未来を見つめてみたいと思います。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.23

参議院選挙2016 9党政治討論会

 日、第24回参院選が公示されました。選挙戦が始まります。中国バブルの崩壊、イギリスのEU離脱の可能性も含めて、国際的にも非常に厳しい経済状況の中、アベノミクスがどのように評価されるのか、注目です。
 野党の共闘の結果も楽しみですね。失敗ともなれば、いよいよ自民党の一党独裁体制が進みます。
 また、18歳、19歳の有権者の動向がどうなるのか。教え子たちが、どのように政治に、歴史に参画するのか。
 どの党がどのくらい票を取るかというのもありますが、そうした大きな流れがどちらに向いていくのか、非常に興味のあるところであります。
 まあ、それは半分冗談としまして、18日に行なわれた9党政治討論会はなかなか面白かったですね。2倍速でも十分聞き取れますので、ぜひ皆さんもこれをご覧になって、どの候補者に投票するかよく考えてみてください。
  私としては、自ら党首を務める「妄想実現党」の活躍に期待いたします(笑)。一説には、自民党は妄想実現党の傀儡政権だというウワサもあります(ないない)。
 いや、先日の「日本会議の研究」の記事にも書いたように、自民党の守護霊(?)は出口王仁三郎と仲小路彰なので、もしかすると霊的には傀儡政権なのかもしれませんね(笑)。
 この討論会をご覧になるとお分かりになると思いますが、ある意味どの政党もスケールの大きな未来的構想を持っていないような気がしますね。国家百年の計というものが感じられない。その点は非常に残念でした。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.22

千鳥の曲 (吉沢検校)

Th_img_4354 朝は3時半に起床。塩山向嶽寺で早朝から座禅三昧。
 向嶽寺は「塩ノ山」の足元に鎮座する禅寺。専門道場であります。向嶽寺については今までもたくさん書いてきましたので、そちらを参照いただきましょう。
 今日は「塩山」に関することを一つ。
 おとといはピラミッドとしての(!)塩山の動画を貼りましたが、今日は古典に登場する「塩山」です。
 有名な「古今和歌集」の賀部の中に、「志ほの山 差出の磯に住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞなく」という和歌があります。
 そう、4月に都留郡に天皇はいたかというマニアックな記事を書きましたが、都留郡に隣接する塩山に関するこの和歌にも、「君が(御)代」と「八千代」が登場します。
 甲斐の国はやはり「なまよみ」…いい意味でも悪い意味でも「半分黄泉の国」だったのでしょうね。
 で、その和歌を歌詞とした有名な箏曲が、この「千鳥の曲」。
 懐かしいなあ。大学で山田流箏曲をやった私も、この曲はずいぶん練習しました。山梨の大学にいながら、初めはこの歌詞が山梨に関するものとは知らずに歌っておりました。
 幕末の音楽家、吉沢検校によるこの曲、本来は箏と胡弓と唄のための楽曲ですが、胡弓奏者があまりいないので、最近は箏のみか、箏と尺八で演奏されることが多い。残念です。千鳥の鳴き声は尺八よりも胡弓の音の方が真似しやすい(たぶん)。
 とりあえず、箏による演奏、(仲小路彰とも関係の深かった)宮城道雄の名演を聴いてみましょう。

 日本人なら一度はどこかで聴いたことがあるのではないでしょうか。正直、かなり斬新な変な曲です。音階も特殊ですし、微妙な転調というか転調子が不思議な感じ。江戸末期の現代音楽なのでしょう。
 吉沢検校自身は盲目ですし、おそらくは塩の山も差出の磯も実際に見たことはなかったことでしょう。それでも、こうしてイメージ音楽になり、そして大人気になるほどに、その歌枕(塩の山、差出の磯、千鳥の組み合わせ)は有名だったということです。
 その証拠にこちらをご覧ください。こんなたくさんの和歌が詠まれているんですね。私も知りませんでした。
 さて、先ほど、箏と胡弓の演奏はあまりないと言いましたが、たしかにYouTubeにもその編成、つまりオリジナル版はありません。
 手事部分の胡弓の独奏動画はありましたので、お聴きご覧いただきましょう。若手実力派胡弓奏者として活躍中の木場大輔さんの演奏です。かっこいいですね。スマートな音。

 よく言われます。胡弓はやらないのかと。日本音楽をいろいろやってきた上に、西洋の擦弦楽器もいろいろやってきたのだから、そう言われるのも当然ですね。実はまだ全然手を付けてないんですよ。まあ、退職したらやってみようかなと(笑)。
 そうしたら、箏(お琴)も久しぶりに練習して、中能島欣一先生みたいに一人多重録音してみようかな…あっ、唄が全然だめだった。いや、唄もやってみるか(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.21

無縁の慈悲(大慈悲)

Th_img_4356 山向嶽寺にて生徒たちと宿泊座禅体験。私も6度目となります。本当に素晴らしすぎる環境の中、本物の修行僧の皆さんと座禅させていただける幸せは、なかなか言葉で表現できるものではありません。本当に感謝いたします。
 また、毎年うかがう管長さまのご法話のありがたさ。これも実に貴重な体験です。
 今年は「慈悲喜捨」のお話でした。龍樹の四無量心。
 このお話は実にタイムリーだったのですよ。
 というのは…昨日、向嶽寺に向かう寸前に、近所のおばさんが学校を訪ねてきました。なんでも、校舎の裏で子猫が鳴いているとか。猫好きの私が行ってみると、なんと防鳥網に子猫が絡まって動けなくなっているではないですか。
Th_img_4357 さっそくハサミを持ってきてもらい、網を切断して子猫を助けました。どうも昨日からずっと雨の中もがいていたようです。近くで母猫ニャーニャー鳴いて心配していました。もがけばもがくほどますます網は絡まっていきます。もう少し発見が遅かったら、首に絡まった網が締まって死んでしまったかもしれません。
 私は猫好きですから、当然「かわいそう」だと思って当然の行為として救出をしたわけですが、どこか「助けてあげた」「いいことをした」と思っていたのも事実です。「猫の恩返し」とかあるかもな…と(笑)。
 そんなことで、ある意味自らの「慈悲」に自信をもって修行道場に入門したわけです。今思えば実に浅はかですね(笑)。
 管長さまのお話によって、私の「慈悲」は実に小さな慈悲であることが分かりました。龍樹の言葉を使えば「衆生縁慈悲」。「小慈悲」であります。
 私たち凡夫はそれを「慈悲」そのものだと勘違いしてしまうのです。お釈迦様の説いた「慈悲」はもっと大きくて深い。
Th_img_4358 ちなみに「中慈悲」は「法縁の慈悲」。仏法を学んだ末に湧いてくる慈悲です。無常、縁起などの、お釈迦様の教えを知った上での慈悲。私はここまでも行っていない。
 そして、私たちが目指すべきは「大慈悲」。すなわち「無縁の慈悲」です。今日の管長さまのお言葉にもあったとおり、これは「対象のない慈悲」です。
 「対象がない」とは、たとえば私が「子猫を助けてあげた」というように、自己と対象という関係性があるのではなく、いわゆる自他不二の状態になるということです。まあ、簡単に言えば「〜してやる」というような感覚がないということですね(これは教師業には絶対必要なことだなあとも思いました)。
 「無縁」すなわち「対象がない」状態にするためには、その関係性を捨てなければならない。それが「捨」であると。難しいですよね、「捨」は。
 宿泊座禅終了時の感想発表で、この猫の話をさせていただきました。そして、お釈迦様の教えは広くて深い、そのゴールは果てしなく遠い、しかしだからこそ頑張ろうと思えると言いました。素直にそう思ったのです。
 管長さまは、「うまくまとめてくれた」とおっしゃってくださいました(笑)。ホント、まだまだだなあ、自分。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.20

植芝盛平・出口王仁三郎・矢野祐太朗…

 こ数日続いている武道、格闘技関係の話にちなみまして、今日は合気道の開祖植芝盛平から入ります。
 植芝盛平が出口王仁三郎とつながっていることを、案外合気道関係者は知らなかったりします。まあ、植芝盛平だけでも大変な偉人ですしからね。
 大正9年に大本に入信した植芝は、教団内に「植芝塾」創り、「合気武術」を指導しました。「合気」という言葉の考案者が出口王仁三郎であるという説もあります。とにかく王仁三郎が植芝の人生にとんでもない影響を与えているのはたしかです。
 そして大正13年の蒙古行き。そのあたりの話から、大本事件、そして矢野祐太朗の世界に至る、なかなか面白い解説動画を、ハリー山科さんがアップしています。ぜひご覧ください。
 矢野祐太朗の世界観なんか、まさに最先端の多次元宇宙論に近いですよね。トンデモでは片付けられません。

 そうそう、先日紹介したハリー山科さんのこちらの動画に「塩ノ山ピラミッド」として紹介されている「塩山」に、明日から座禅に行ってきます。
 そう、「塩山向嶽寺」です。ピラミッド自体を借景とした素晴らしい庭園を眺めながら、その気をたっぷり浴びてこようと思います(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.19

神様と呼ばれた男 『塩田剛三』

 このところ格闘技ネタが続いていますね。今日は、下の娘が剣道の県大会に出まして、とりあえず1勝はしたようです。ひょんなことから1年前に剣道を始めた彼女、最近ようやくその深さ、面白さに目覚めたようで、すっかり剣士然としてきました。
 娘と剣道の八段戦なんかをYouTubeで見ますと、もう完全に「気」の世界で、ただただ口をあんぐりさせるだけになってしまいます。
 で、さっそく形だけ真似てみたら(すなわち動かないでいたら)、簡単に一本取られたとか(笑)。そりゃそうだ。殺気の出し方が分からないのに止まってたら、そりゃ打たれる。
 どの格闘技でもそうですよね。一昨日のプロレスも、昨日の柔道も。立ち会いの間合い。これである程度勝負が決します。
 相手が入ってこれない「殺気」は、もろちん高度な技術と精神性の賜物です。一方、またちょっと違った対峙の仕方というのがあります。
 分かりやすいのが「合気道」です。私も植芝盛平翁の最後の弟子と言われる廣澤英雄師範に直接、その世界を体験させていただきましたが、こちらの「殺気」を利用する…というかそれを吸収してしまうあの技は、まさに日本的な「和合」の精神の具「体」化ですね。
 かつての柔道も、かなりこの世界に近かった。三船十段を観てみしましょうか。

 もう一度合気道に戻ります。塩田剛三のこの動画もすごいですね。76歳ですか。

 私は、武道、格闘技は観る専門なのですが、今日は面白いことに、柔道界の頂点と深いご縁のある方と、東京の某所でお会いすることができました。全く不思議なつながりです。
 その方も、深く、広く、高い志の持ち主でした。やはり、武道、武芸はスポーツとは違う次元に存在していますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.18

柔道家 岡野功 『柔道にかけた情熱』

”天才柔道家“、”昭和の三四郎“といわれた岡野功の栄光の記録

 日のジプシー・ジョーさんも体が小さかった。しかし、抜群の存在感があったのは、やはり努力と精神力の賜物でしょう。
 柔道界で最強の小兵と言えば、岡野功でしょう。
 今日、学校の柔道部の顧問である矢嵜雄大先生から紹介されたビデオがこれ。部員に見せたいとのこと。
 いやぁ、岡野功、すごい選手ですねえ。25歳で引退。太く短い格闘家人生。短距離型だからこそチャンピオンになれたと。
 柔よく剛を制す、小よく大を制す…柔道の醍醐味がここにあります。80キロ中量級でありながら、無差別級で優勝を重ねるという、今ではなかなか考えられない選手です。
 太く短い柔道人生でしたが、中身は実に濃いですね。このビデオの中にも、たとえばサンボのミシチェンコの腕十字に「鮮やかに負ける」シーンなど、衝撃的な挫折が見て取れます。
 しかし、それをまた乗り越えていく様子、もちろん岡野さん自身もそうですが、日本柔道が世界の潮流の中で、変化進化していく様子も分かります。
 世界に開かれた「JUDO」に対する批判があることも分かりますが、そういう時こそ、岡野さんのような過去の偉人の試合や生き様から学ぶことが多いのではないでしょうか。生徒たちも何かを感じてくれればと思います。
 そういえば、今ちょうど、本校の舟久保遥香選手が全日本の合宿に参加しています。リオの代表選手の稽古相手として抜擢されたそうです。東京オリンピックの金メダル候補として、着実に一歩一歩階段をのぼっている彼女は「努力の天才」。このビデオを観て、彼女は何を思い、何を学ぶのか。
 もうそのあたりは私のようなシロウトがとやかく言う次元ではないのでしょう。世界レベルでの話ですから。
 あらためて日本柔道の真の復活を願いたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.17

追悼 ジプシー・ジョーさん

 死身の鋼鉄男ジプシー・ジョーさんが亡くなったとのこと。
 国際プロレス時代の、たとえば金網デスマッチなどは、リアルタイムではほとんど見ていませんが(のちにこちらのDVDで観て感動しました)、全日本時代のファイトは印象に残っています。
 上掲の試合も覚えていますね。もちろん、当時の主役はハンセンでした。そこに鶴田、マスカラスが絡むとあって、ジプシー・ジョーは完全に脇役だったはずですが、今見ますと、やはり素晴らしい存在感を示していますね。
 大型選手に囲まれても、決して見劣りしないのは、まさに鋼の身体による受けっぷりということでしょう。
 こういう試合を、本当に5年前まで、つまり晩年(80歳近く)までやり続けていたわけで、蓄積されたダメージは大変なものだったことでしょう。
 もう一つ懐かしい全日本の試合。パートナーのドリームマシンは桜田一男さん、すなわちケンドー・ナガサキさんですね。
 ここでもジョーさんは素晴らしい受け身を見せてくれています。攻撃はほとんど打撃だけですね。

 ご冥福をお祈りします。国際プロレスのDVDをあらためて観てみたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.16

『日本会議の研究』 菅野完 (扶桑社新書)

Th_51mlqjm62kl るほどよくできた「物語」ではありますな。どうせなら、タイトルは「日本会議物語」とかにした方が良かった。「〜の研究」なんていうと学術論文のようです。
 いや、これは論文の体を装ったエンターテインメントなのかもしれませんね。ストーリー展開はなかなか秀逸なので、ぐいぐい引き込まれてあっという間に読み終えてしまう。
 たしかによく調べていますが、その技法は学者のそれというよりも、オタクのそれですね。ま、今や学者もオタクも区別がつかないような感じですけど(苦笑)。
 こういう本を読んで「そうだったのか!」と感心してしまう人、洗脳されてしまう人がいると思うと、なんだかウンザリしてしまいます。特に反安倍の方々。
 いや、いつも書いているように、私はウヨクでもないし、保守派でもないし、単純な安倍シンパでもないし、日本会議に入りたいと思っているわけでもない。どちらかというと、それらを否定しないがかなり大胆に修正したい立場の人間です(どんだけ上から目線なんだよ!w)。
 歴史はそんなに単純じゃないですよ。残っている資料が語るコト、関わった人が語るコトだけでは、その本質は分かりません。語られたコトだけをつないでいくと、どうしてもストーリーになってしまう。ヒストリーは難しいですね。
 モノ+カタリ=コトなんですよ。モノをコト化する行為を日本語では「カタル」と言ったのです。だから「かたり」は「騙り」ともなる。
 そういう意味では、この本も「騙り」になってしまっていると思います。冒頭で、陰謀論にはくみしないと書きながら、結局、世の「陰謀」がそうであるように、全然「陰」ではなくて明らかなストーリーになってしまう。結果として、ある特定の「悪玉」の存在を想定することになる。そこで思考停止。
 実際の世の中はそんなに単純ではありません。コトの補集合たるモノ世界が、無限に茫漠と広がっているのです。
 たとえば、私だけが(!)知っているモノとしては、谷口雅春の上に存在する出口王仁三郎の霊的影響力、そして、生長の家、あるいは日本教文社、日本青年協議会の創立や発展に、裏側で深く関わっていた仲小路彰が挙げられます。
 私は、それらをたまたま「研究」している、いや単に二人の巨人のファンであるだけですが、ある意味で彼らのあまりに巨大なモノ性を知っている(感じている)者としては、とても「カタル」気になれません。恐ろしい。
 日本会議がこうして厳然たる存在感をもって存続している理由、それは、まさにそうした「モノ」に依拠したエネルギーを保持しているからです。それが「まつりごと」である政治に深く関わっているのはもちろんですし、ここまで言っていいか分かりませんが、その中心核の一歩手前には「天皇」の存在があることを忘れてはいけません。
 世の中がなぜか「日本会議」ブームです。こうして「とりあえず」明らかにされていく、コト化されていくことによって、結局その本質はますます分からないモノになっていくという面白さ。
 この本で分かったような気がして、そこを批判、攻撃して満足する人たちが増える…これこそ、我が国の作法である「国譲り」による高度な戦略、無意識的必勝法ということになるのでしょうか。神々は強いですよ、本当に。
 
Amazon 日本会議の研究

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.15

舛添都知事辞任

Th_2016061500000129jij0007view 議会からも見放され、自民党からも冷たくされ、いよいよ「耐え難い」として、舛添さんが辞任を表明しました。
 最後まで自らの「成果」を列挙し、謝罪よりも「耐え難い」という個人的理由を述べたあたり、いかにも舛添さんらしい幕引きと言えましょう。
 東京は都会だから田舎とは違う…などということはなく、逆に東京都は日本全国の「利権」を象徴する町です。そんな中、舛添さんは、そうした「利権」に関してあまり口出ししない、すなわち保守的な業界にとっては都合の良い都知事でした。
 そうした利権で動くカネの規模からしたら、絵画購入やら湯河原往復やら、そんなの物の数にもなりません。そんな些少な「利権」と表面上の権威で満足していた舛添さんは、ある意味立派でした(笑)。
 石原さんや猪瀬さん、あるいはもしかしたら次の都知事になるかもしれない(?)橋下さんなんかは、利権側にとっては非常に面倒くさい存在だったわけですね。
 オリンピックに向けては、舛添さんくらいがちょうど良かったとも言えます。そういう意味では、次の都知事は青島さんが一番いいでしょう(笑)。
 冗談はおくとして、さてどうしましょうかね、次の都知事さん。おそらく与野党相乗りの無難な人選の選挙になることでしょう。逆に言うと、そうした傀儡をコントロールする黒幕どもによる選挙になるのかもしれません。
 あと、都知事選というと、個性的な「泡沫候補」でしょう。マック赤坂さんはまた出るのでしょうか。

 私としては、外山恒一さんを推したいですね。また出てくれないかなあ。この政見放送好きです。

 「私もビビる」って(笑)。でも言ってることは半分以上正しかったりする。
 ところで、前回の都知事選では、外山さんは「舛添&田母神」という原発推進派を揶揄する活動をしていました。
 結局、この二人が失脚したところを見ますと、外山さんの活動は実を結んだとも言えますね。すごい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.14

大きな地震に注意

20160615_101219

 意喚起いたします。
 私は4年半前(2011年12月)より、富士山北面1200メートル地点にある自宅にて、ラドン濃度を毎日計測しています。
 今までの観測においては、最高値は38Bq/m3(ベクレル毎立方メートル)でしたが、6月6日より急上昇傾向を示し、本日夜には41となって最高値を更新しました(15日朝には42)。
 今までの経験から考えられることは、今後富士山周辺で比較的大きな地震が発生する可能性があるということです。
 特に富士山の北東にある道志川断層帯を震源とする中規模以上の地震に注意が必要です。
 4年半の中で37以上を観測したのは3回。まず、2012年1月15日に38。その後、14まで収束して1月28日に道志川断層震源M5.5(最大震度5弱)が発生しました。その時のグラフです。
 まだ3.11から1年経っておらず、東北・関東の余震が多いですね。

20160615_64127

 次に2015年1月28日に37。この時は富士山周辺では対応地震は発生しませんでしたが、10台まで収束した2月中旬以降、東北および関東で集中的に中規模地震が発生しています。グラフでご確認ください。

20160615_64658

 そして、直近で38を記録したのが、昨年秋、2015年10月4日です。その時は3週間後の10月25日に道志川断層震源M4.4(最大震度3)が発生しています。その時のグラフです。

20160615_65118

 これらから判断しますと、今回のラドン濃度急上昇、最高値更新は、道志川断層震源の中規模地震(M5以上)の兆候である可能性が最も高いと考えられます。
 しかし、一方で、関東、東北南部での大規模地震、あるいは富士川河口断層帯や神縄・国府津-松田断層帯など、比較的富士山に近い地域の断層が動く兆候、または駿河湾震源のいわゆる東海地震の兆候である可能性もあります。
 もちろん日時、場所の特定はできませんし、場合によっては何も起きないということもありえますが、今後1ヶ月ほどは東日本を中心とする日本全域で大きな地震の発生に注意し、備えておくことは無駄ではないと思います。
 また、今後の推移、変化、他の兆候などがありましたら、このブログやツイッターで報告いたします。

追伸 現在、富士山自体の活動は静穏です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.13

スパルタンX (木森敏之さん作曲)

 日は三沢光晴さんの命日。7年前の今日、リングの上で三沢さんはその闘いに終止符を打ちました。
 プロレス界が苦しい時代、まさに命懸けでプロレス界を守った三沢さん。再びプロレスブームと言われる時代が訪れた今、三沢さんはこの世をどんな思いで眺めているのでしょうか。
 そんな三沢さんの入場テーマ曲は、言うまでもなく「スパルタンX」。この曲には「ミサワ」コールが重なって聞こえてきます。三沢さんの強さ、かっこよさ、厳しさを象徴する名曲です。
 この曲は、これまた若くして(40歳で)亡くなった木森敏之さんの作品。木森さんは1988年に亡くなっているので、三沢光晴のテーマとしての自曲は聞いていないことになりましょうか。
 木森さんは、この曲では作曲者として「キース・モリソン(Keith Morrison)」というペンネームを使っています。洋楽的なカッコいいイメージを求めたのでしょうか。というか、もともとこの曲はジャッキー・チェン主演のカンフー映画「スパルタンX」の日本版(エンディング)テーマソングとして作曲されたのですね。
 ちなみにこの曲は、三沢さんより先に上田馬之助さんが入場テーマとして使ったという話があります。本当ですかね。なんか笑えます(笑)。
 木森敏之さんの他の代表作と言えば、やはり岩崎宏美さんの「聖女たちのララバイ」でしょう。名曲中の名曲。ウチのカミさんもよく歌っています。
 ただ、この曲、ご存知の方も多いかと思いますが、盗作疑惑があってですね、結果として「John Scott」との共作ということに片付いたんですよね。すなわち、映画「ファイナル・カウントダウン」の劇中歌と似ている…というか、そのまんまです(笑)。これは偶然とか言い訳できませんよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.12

赤尾敏さんの政見放送

Th_130509875480916111885_img_156860 日は朝から(いや、昨晩からか)未来に関わる面白いことの連続でありました。楽しいですね。
 そんな一日の始まりはなぜか赤尾敏でした(笑)。
 というのは、ここのところ「正論」で連載されてい高須クリニックの高須克弥さんと、赤尾敏のめいで「国防女子が行く」の赤尾由美さんの対談を読んでいて、久々に赤尾敏節を聞きたくなったのです。
 あ、上記お二人の対談はネットでも読めますね。面白いですよ。

高須克弥×赤尾由美【危ない二人】(1)
高須克弥×赤尾由美【危ない二人】(2)
高須克弥×赤尾由美【危ない二人】(3)

 少年時代、東京で育った私ではありますが、さすがに赤尾敏さんの辻説法を生で聞いたことはありません。上の写真にもあるような、電信柱に貼られた赤黒のポスター(?)はしょっちゅう見かけましたが、右も左も分からないノンポリ少年にとっては、なんとなくおっかないオッチャンというイメージしかありませんでした。
 ただ、なんでしょうね、政見放送の印象は残っていた…ところが、YouTubeで検索してみると、どうも私の覚えていた政見放送は赤尾さん晩年のもの、すなわちワタクシが大学も卒業して、社会人になってからですね。それも東京都知事選かあ。
 まあ、今こういう変なオッチャンいないからなあ。昨日の王仁三郎のような昭和の怪物…(いいか悪いかは別として)怪物、大物を許さない社会になっていることはたしかですね。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.11

大宅壮一の出口王仁三郎評

Th__20160613_12_32_03 昨日の明見(富士吉田)と綾部(京都)をつないだ人という記事にも登場した出口王仁三郎。
 あまりにも巨大すぎてなかなか評価の難しい人物(怪物)であります。まあ凡人には計り知れないということでしょうかね。大賢は大愚に似たり。
 そういう人については、やはりいろいろな時代のいろいろな立場の人たちの印象や評価を総合するしかありません。
 そういう意味で、このブログでも何人かの有名人の王仁三郎評を紹介してきました。正直、賢愚相半ばしてますね。で、結局総合できない(苦笑)。
 というわけで、今日はかの大宅壮一の王仁三郎評を読んでみましょう。
 たまたま古書店で「文藝春秋」の臨時増刊「風雲人物読本」(昭和30年6月)を手に入れましたので、該当部分「怪僧・出口王仁三郎」をスキャンします。
 まず第一に、大宅壮一が「新興宗教研究の第一人者」と紹介しているところが面白い(笑)。大宅壮一自身の評価も定まっていなかったわけですね。
 大宅壮一は戦前、第二次大本事件の前(昭和6年でしょうか)、実際に王仁三郎に会っています。その時の印象も含めて、なかなか面白い評価をしていますね。それこそ新興宗教には厳しい立場を取ることの多かった大宅壮一ですが、こと王仁三郎に関しては、馬鹿にしきれない感を正直に吐露していますね。豪放磊落という意味で、好きなタイプだったのでしょう。
 歌詠みの端くれとして作歌に苦しんでいるワタクシにとっては、「しゃべっていることがそのまま歌になる」と評する短歌に関する部分が興味深い。大宅の選歌もなかなかのものですね。
 そして、大宅らしく、王仁三郎を「日本一のジャーナリスト」と呼んでいるところが面白い。
 では、どうぞお読み下さい。

908291

908292

908293

908294


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.10

カッター付ハサミ (サンスター文具)

Th__20160611_125411 日は軽めなおススメ。
 世の中にはいろいろなハイブリッドがありますよね。これとこれを一緒にしたらどうなるかとか、これとこれはいつも一緒に使うから一体化すべしとか。
 で、結局失敗するものもある。重くなったり、どっちか一方があまり使わなかったり。昔良く見た赤青鉛筆なんか、やっぱり赤の減りが早くて青が余る。4色ペンとか、絶対インクが均等に減りませんよね。結局ほとんどが無駄になったりする。
 ま、そういうふうに「減る」ものだといろいろ問題がありますが、基本減らない道具のハイブリッドはけっこう便利だったりします。
 その極致がスマートフォンじゃないでしょうか。電話、テレビ、ナビ、カメラ、お財布、音楽プレイヤーなどなど…全てくっつけちゃった。それはそれですごい。人間の欲望ってすごいなと思うわけです。
 今日おススメするのは、案外便利なハイブリッド。それも基本的に同じ機能、目的で使うものが二つくっついている。
20160611_131648 そう、これ、名称は「カッター付ハサミ」ということなんですが、どうなんでしょうかね。「ハサミ付カッター」でもいいような気もしますし、どちらかが主でどちらかが従ではなくて、同格と捉えてもいいかもしれない。
 私たち、生活の中で、いろいろなものを切りますが、案外、はさみとカッター、どっちがいいかなと迷うことが多い。迷うというか、どっちかにしたいと思うというか。
 そんな時、どっちか一方しかないと、ああもう一方があればなと思うじゃないですか。あるあるでよすね。
 それをこういう形で一体化したのは、なかなかお見事です。
 私が昔考えたのは、(日常的によくやるように)ハサミの片方の刃をカッターとして使えるようにするということでした。しかし、これは刃の厚みや安全性の問題があってどうも難しそうでした。
 ですから、サンスターさんがこのような形で実現したのには、正直やられたと思いました。
 なるほど、カバーねえ。その発想はなかった。
 同じようなコンセプトで、違うアプローチをしたのが、オートさんのカットプロですね。こういうふうに両者をかけ合わせて、全く違う第三者を作るという方法もありますが、ある意味、「まんま」をくっつけちゃったサンスターさんのやり方は、ある意味オシャレです。単純(小学生的?)なだけに、逆に発想が難しいのではないでしょうか。
 と、そんなわけで、これを机の引出しやカバンや車のダッシュボード(私はそうしています)に入れておくと、何かと便利であります。
 皆さんもぜひ使ってみてください。

Amazon カッター付ハサミ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.09

明見(富士吉田)と綾部(京都)をつないだ人

川合信水と肥田春充
Th_harumichishinsui11 年ほど前、明見(富士吉田)と綾部(京都)をつなぐモノという記事を書きました。
 その記事の中でも触れたキーパーソン「舟久保庄」は、のちにこちらの記事に書いたように、やはり大本信者であり、かつ宮下文書の研究者であることが確認されました。
 先日70周年を迎えた綾部本宮山の「月山不二」に、富士吉田は明見の石が鎮座している理由はそこにあったわけです。
 ちなみにその舟久保庄と「富士の霊石」をめぐる話は、大本の機関誌に紹介されたことがあります。私は以前、王仁三郎のひ孫のお一人である出口光さんから、そのコピーをいただきました。
 同じくひ孫のお一人である出口恒(ひさし)さんが、それを活字化して、ご自身のサイトで紹介してくれています。
 恒さんと言えば、上掲のサイトの内容を中心にすごい本をお書きになりました。「切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言) 誰も知らなかった日本史 皇室に隠された重大な真実」です。
 時はしも「月山不二」70年に公になったこの本、一言で言いますと「やばい」内容です。また、近々このブログでも紹介するつもりです。ちなみに「月山不二」のことは次作にお書きになるとのこと。
 さてさて、今日はそんな富士吉田と綾部を結ぶ人物をもう一人紹介します。これがまた「やばい」んですよねえ。
 富士吉田市民の皆さん、名誉市民第一号はどなたか知っていますか?
 なんと、かの川合信水なのです。富士吉田市のホームページでご確認ください。
 川合信水について書き出すとキリがありませんが、私の中でのまとめ方としては、「西桂町小沼出身、グンゼの教育係で綾部に赴任、のち富士吉田で基督心宗を開く。肥田春充の実兄」…こんなところでしょうか。もっともっと奥深くて「やばい」んですがね。
 まあ、とにかく川合信水は綾部に長年住んでいるんです。それも郡是製糸の重鎮として。そうそう、今年はグンゼ120周年ですね。特設サイトにももちろん川合信水の名前が出てきます。
 信水が在綾のころは、言うまでもなく出口王仁三郎の大本の一つの全盛期でもありました。当然交流があったことでしょう。
 というか、両者は因縁の関係とも言える。大本は郡是という近代西洋的なモノの荒魂によって出口直を通じて発動したとも言えますし、信水が持ち込んだキリスト教と対峙する形で発展したとも言えます。
 一方、大正6年の貞明皇后の綾部行啓の際には、王仁三郎ら大本関係者と信水を含む郡是関係者が揃ってお出迎えしています。
 これはまたいつか書きますけれども、貞明皇后は反キリスト教的立場であり、かつどうも大正天皇のご病気治癒のために大本に近づいた形跡がある。さらには、あの時代において、神功皇后を思わせるような「女」の権力と霊力を発揮している。これも、近代天皇制というフィクションに対抗して「女」を前面に押し出した天理教や大本とかぶるところがあります。
 ちなみ信水の弟である、かの肥田式強健術の肥田春充は、盟友であった大川周明とともに、王仁三郎のことをかなりきつい言葉で批判しています。二人とも、そうとうに王仁三郎を意識していたし、無意識的には影響を受けていたものと思われます。
 と、話がそれてしまったので、もとに戻しますが、川合信水の存在が、富士吉田(富士山)と綾部を結んだことはたしかです。そこには「不二の仕組」が働いていると予感しています。もちろん、製糸、織物技術の面でも両地を結んだことでしょう。
 富士北麓では、信水は徳富蘇峰とも深く交流しています。そうなると当然、山中湖に蟄居していた天才思想家仲小路彰とも関係があったはずですね。
 これはまた大変なことになってきました(ワタクシ的には)。いろいろ分かり次第報告いたします。今日はここまで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.08

東京キューバン・ボーイズ

 の娘が最近いろいろな音楽を聴くことに目覚めました。特に古いジャズなどをよく聴いております。よいことですね。
 自らもビッグバンドで演奏する者として、やはり本物のすごい世界にようやく憧れるようになったようです。先日もマイルス・デイヴィスなんぞを聴きながら、それを採譜し、厳選された音の並びに感動していました。いい勉強をしているなと思いました。
 で、今日は車の中で、日本のビッグバンドの話になりました。かつて「東京キューバン・ボーイズ」というすごいラテンバンドがあったと言ったのですが、2005年に再結成しているんですね。
 上の動画は、1980年に解散した見砂直照さん率いる旧「東京キューバン・ボーイズ」がNHKの番組で再結成したものです。ピアノは前田憲男さんが特別参加。
 ふむ、皆さんお上手ですね。日本のラテン演奏ってなんか独特だなあ。見砂直照の指揮の素晴らしさにも感動。
 そういえば、母親がTCBよく聴いてましたっけ。戦後のラテンブームを作った功績は素晴らしいものがありますね。そこから昭和歌謡のラテン風味も生まれたわけですから。
 下の動画は直照さんの息子さん和照さんが再結成した新生「東京キューバン・ボーイズ」です。こちらもちょっと新しいテイストを加えつつ、なかなかいい味を出していますね。
 若かりし頃を思い出しながらライヴを楽しむ年配の皆さまの姿が目に浮かびます。一度生で聴いてみたいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.07

ペット用空気清浄機 PMMS-DC100-P (アイリスオーヤマ)

Th_25main が家には3匹のお猫様がいらっしゃいます。シロー、ミー、チョモ。人間はお猫様の下僕です(笑)。
 そんなわけで、お猫様仕様の家なので、臭いし汚い。掃除をしてないという説もありますが…。
 抜け毛もあるし、けっこう部屋の空気が汚れているのではないか。そんな疑いもあったので、空気清浄機を購入いたしました。
 以前、買ったものは、だいぶ古くなって、替えのフィルターも手に入らなくなったし、あまり効果が感じられないものだったので、今回は「ペット専用」という強力なウリ文句の製品を選んでみました。
 まず、購入してみて分かったこと。案外、ウチの空気はきれいだったということ(笑)。
 PM2.5にしても、ハウスダストにしても、基準値よりかなり低く、ハウスダストに至っては0.0という数値を示すことが多い。
 ん?そんなことはありえないはずなのに…いやいや、実際きれいなのだ!と思い込むことにしました。
 ちなみに設置場所はお猫様たちのお手洗いのすぐ前です。お猫さまがおトイレしますと、センサーが反応して作動する場合もありますが、しないこともある。
 つまり、おまかせモードにしていると、ほとんど作動していのかいないのか分からないくらい静かです。
 ちなみに多くのレビューにあるとおり、ペットモードにすると轟音で運転が始まり、猫たちが逃げます。まるで「ペット除去モード」(笑)。
 臭いに関しては、もう家族みんな鼻がバカになっているので、よくわかりません。強烈なシロ−さまのウ◯チにも効果があるものかどうか。
 もう私たちは、少しでも香りが漂ってくると、反射的に口呼吸するような「自動モード」に進化していますからね(笑)。よくわからないのです。
 ただ、気分的なものも大切です。空気清浄機が鎮座しているだけで、なんとなく部屋の空気がきれいになっているような気がして、結果として健康になるということもあるでしょう。
 デザインや使用感は悪くないですね。高級感や堅牢さはほとんどありませんが、逆にペット専用らしい「可愛らしさ」「ポップさ」があって悪くないですね。
 おうちにお猫様、お犬様のいらっしゃるご家庭の皆様、2万円以下で買えますし、「気分的に」お試しあれ。

空気清浄機 PMMS-DC100-P 25畳まで対応 ホワイト送料無料 清潔 空気清浄 PM2.5 〜25畳 ニオイ対策 ニオイ 臭い 花粉 アレルギー ハウスダスト アイリスオーヤマ キャットランド

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.06

追悼 モハメド・アリ選手

 木アリ戦。当時はそれほどプロレスや格闘技に興味がなかった私を目覚めさせた一戦。
 世間では酷評でしたが、私はなぜか興奮したのを覚えています。
 今あらためて観てみると、やはり名勝負だと感じますね。猪木の戦法も見事ですが、あのアリキックを受け続けたアリもお見事です。表情、言葉など感情表現もさすがプロですよ。
 ダメージ的には圧倒的に猪木の勝ちですが、印象はそこまでではなく試合自体の不満というレベル、あるいは猪木はずるいという次元に持って行った。
 もちろん、期待した闘いではなかったのでしょうが、ある意味私たち普通の人間の想像をはるかに超えたレベルの高い闘いが繰り広げられたと言えましょう。
 だからこそ生まれた両者の友情、信頼。
 のちにパーキンソン病で苦しんだアリは、猪木によって何度か蘇ったと言えます。
 人種問題、宗教の問題、人権の問題…ボクシング、格闘技を超えて、「闘い」を見せてくれたモハメド・アリさんのご冥福をお祈りいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.05

岩戸開きの衝撃(波)

Th__20160605_18_10_05 に忙しいので(なぜだ?)備忘として書いておきます。なんのことやら分からないと思います。すみません。時が来れば意味のあるものになると信じます。
 今日はある歴史的な場所に初めて足を踏み入れました。大変な緊張を強いられました。自分だけでは背負いきれない歴史の重み、人々の思いというモノがあると感じたので、私にとっての最強の援軍でありお守りでもある「十和田」を背負っていきました。
 写真は一仕事終えたあとの富士山。ずっと雲の中だったのですが、最後に神々しい姿を見せてくれました。思い切ってやってみて良かったのかなと。
 昨日が「不二」にとって非常に重要な日であったことも関係しています。いよいよ「不二の仕組」の発動なのでしょうか。何かが開いたような気はします。
 そんな一大事だったのですが、その最中、それこそこれが岩戸開きの衝撃かというような、実に不思議な、というか、恐ろしいことが起きました。コトというよりも、まさにモノに襲われたような。
 そう、ある建物の中で、今まで幽閉されていたモノを開封せんとしていた時です。
 「ドーン!」
 という聞いたことのないような大音響とともに、建物自体が大きく揺れたのです。
 あえて言うなら、直下型地震が直上で発生したというような…なんだか変なたとえですが。
 私は空から何か降ってきて屋根を突き破ると直感したので、思わず肩をすくめて頭を守る動作をしました。そして、脱出口を確認。建物自体が崩壊するように感じたのです。
 すぐに外に出てみましたが、何もない。何も起きていない。本当になんの変化もなかったのです。驚きました。不思議すぎます。
 カミさんも一緒でしたし、ある方に電話をしながらのことでしたので、もちろん気のせいとか錯覚というようなことはありません。
 まさに岩戸開きの衝撃波でした。一瞬「怒り」なのかとも思いましたが、いや、少し冷静になってみると、そういう感じではない。もしかして人間にとっては少し大げさすぎる「喜び」の表現かも…などと前向きに考えることといたしました(笑)。
 それにしても、驚きました。昨年のUFO遭遇と同じくらいの驚きと不思議さでありました。
 なんだか、自分で言うのもなんですが、最近あっちの世界(?)と確実につながってしまっているように思えるのです。またまた中二病が重篤化したのでしょうか(笑)。
 いずれにせよ、重い重いことを成すためには、それなりの覚悟と修行が必要なのだなと痛感した次第であります。地球のために頑張ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.04

「月山不二」誕生70年

Th_tukiyamafuji 日はしも陰暦五月の五日なり富士の神霊月山にまつる(出口王仁三郎)

 70年前の6月4日(旧暦5月5日)、大本の聖地綾部本宮山に長生殿跡に「月山不二」が完成し、王仁三郎と二代さんによって主神の神霊遷座祭が行われました。
 こちらにも書いたように、その月山不二の頂上には、富士北麓明見の舟久保家から運ばれた富士山噴火の霊石が祀られました。その記事にもありますように、ここ富士北麓と京都綾部には非常に不思議な関係があります。そこにも登場した大本信者「舟久保庄」は、やはり宮下文書に深く関わった人物であることがのちに分かりました(こちらの記事参照)。
 今では月山不二は禁足地になっていますが、なんとかこの記念すべき年に、遥拝でもよいののでお参りをしたいと思っています。
 月山不二の成った昭和21年6月4日その日にお生まれになったという大本関係者の方がいらっしゃいます。お誕生日のお祝いメッセージをさせていただきましたところ、やはりその因縁にはご自身も驚かれたとのことです。
 そして、私にとっても、今日が「不二の仕組」の本当の始まりの日となりそうです。まさかの展開です。私も不思議な因縁に生かされています。お役目をしっかり感じながら、私心を捨て純粋に勤めてまいろうと思います。
 さてどうなることやら。頑張ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.03

少年の「死なない力」

Th_2016060400000004jct0002view 事で良かった。まずは純粋に喜びましょう。
 いろいろと不思議な点はありますが、とにかく少年に「死なない力」があったことはたしかなようです。
 いつも言っているように、教育界で獲得すべきとされる「生きる力」よりも、私はその「死なない力」を重視したいと思っています。
 おそらくはこの少年のケースもいろいろと紙一重があったことと思います。その紙一重の撰択を誤らないのが「死なない力」でしょう。
 私も4日ほど断食したことがありますが、とりあえず人間は水さえ飲んでいれば1ヶ月くらいはなんとか生きられるようです。
 少年はとにかく冷静であったのでしょう。非日常的なピンチに見舞われた時、パニックに陥ったりして冷静さを失うと「死なない力」は衰えてしまいます。
 そういう意味では、いろいろと非難された父親の子育ては間違っていなかったのかもしれません。
 ここは難しいところです。最近は家庭でも学校でも、なるべく子どもにリスクを与えないようにしています。それが実は「死なない力」を減退させているとも言えるのです。
 ほんの少しでも、想定外のことに出会わせて、それを乗り越えさせる体験はとても重要です。私たち人間は、想定外のことに出会ったとしても、過去の微小な体験を拡大したり、敷衍したりして、なんとか危機を乗り切れるものです。
 この少年はおそらくそうした微小な危機体験をしてきたのでしょう。もちろん、テレビで見たり、人から聞いたりといった間接体験も含めてです。
 そういう意味では、「置き去り」が虐待だと言い切ってしまうのもどうかと思うのです。おそらく多くの大人が、子ども時代に近い体験をしているのではないでしょうか。
 「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」などと言われてきたように、子どもを甘やかさず、ある程度の負荷をかけることは、ある種の智恵として受け継がれてきたものではないかと思います。
 いずれにせよ、本当に良かった。少年はきっと大物になりますよ。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.06.02

『南京事件 兵士たちの遺言』 (NNNドキュメント'15)

 昨日、昨日の続き、「歴史認識」シリーズになるのでしょうか。
 NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」がギャラクシー賞を受賞したとのニュースが流れました。
 この作品(番組)、8年前の『兵士たちが記録した 南京大虐殺』 (NNNドキュメント'08)の続編と言っていい内容でした。
 小野さんの収集した「陣中日記」をもとに事件の真相に迫ろうというものです。
 私の南京事件に対する考えは、上掲8年前の記事や、昨年のこちらに書いたとおりで、「玉虫色」とも言えます。
 ただ言えるのは、ここのところ松井石根について調べており、そこから浮かび上がってくることもまた、真実の一面であろうと思います。そして、私はそうした松井の親中感情に大きく影響を受けて、つい先日も中国からの修学旅行団と交流しました。
 このように未来に影響をを与える個人の感情、信念こそが、私にとって意味のある歴史(物語)であるとも言えますね。
 歴史は、個人の感情、信念の集積であり、ある場合はそれらの公約数、ある場合は公倍数、ある場合は単なる一側面、という具合に、実に多様な存在です。
 それを「あった」「なかった」「30万だ」「3万だ」と言い合っても正直しかたがない。異論は当然あるとしても、私は、当時そこにいた個人の人生、感情、信念というものに触れて(場合によっては霊的にも)、それが自分の人生のどの部分にどのような影響を与えているかを考えることこそ、重要であると考えます。
 先日の伊勢志摩サミット、オバマ大統領広島訪問&スピーチを受けて、中国は9月に行われるG20において、首脳らを南京虐殺記念館に招待するかもしれません。それはまた日本にとってはチャンスかもしれませんね。安倍さんがスピーチするのもありでしょう。もし良かったら、私がライター務めますよ(笑)。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2016.06.01

『地球との対話』シリーズ (地球文化研究所) 

Th_img_3883 日の歴史(物語)の話の続きになりましょうか。いや、もうこれが私にとっては結論と言ってもいい存在である天才歴史哲学者、仲小路彰(の歴史観)。
 今日は彼の書き残した膨大な書籍のほんの一部(それでも膨大でしたが)に触れる機会がありました。今まで目にしたことがあるものも数冊ありましたが、ほとんどが初見。それどころか、いまだ世に出ていない超重要文書もそこにはありました。
 まさに私たちに、常識となっている物語を書きなおすことを要求する超重要資料でもあります。一言でいうなら「やばい」。
 特に、戦前、戦中、戦後すぐのものは大変な内容であることが、一瞥して理解されました。それらは、時が来れば世に出ることになりましょう。それこそ山川の教科書を(日本史のみならず世界史も)書きなおさなければならなくなるでしょう。
 戦後のものについては、芸術論、文化論に類するものがたくさんありました。それらこそ私の興味の対象ですね。そんな中で、独特な雰囲気を醸していたのが、「地球との対話」シリーズ全62巻でした。
 「地球との対話」シリーズは、昭和27年に創刊し、ほぼ月に一冊刊行された40ページほどの小冊子。一般に発売はせず、会員に配布されていたようです。
 もちろん実質的には仲小路彰の筆ですが、戦後の彼がそうであったように「地球文化研究所」の署名しかありません。編集兼発行者は光輪閣の三浦昇となっています。川添浩史や高松宮殿下との関わりをうかがわせますね。
 今手許に第58巻があります。目次は次のようになっています。

Img_3884

 「序」だけでも非常に深い。紹介します。なるほど、日本は「成」か。

   序

 日本文化の本質に対する理解は、すでに日本人自体にとってきわめて困難となっており、まして外国人がそれを明確にとらえがたいことは想像に余りある。
 しかも、こうした至難な条件の中に、かってブルーノ・タウトが日本文化に対して示した理解の偉大さは、おどろくべきものがある。近代文明の根本矛盾に苦しんだ彼が、その放浪のはてに日本にさまよい来て、日本の純粋な文化の伝統に近代文明を超克すべき永遠の真理への啓示を受けたことーいわば苦悩と絶望のはてにはじめて発見したものとしての日本文化への傾倒こそ、日本文化発見への真実のコースであるかに思われる。
 まことに、現代文明に対する否定的精神のうちにのみ、日本文化再発見への糸口が与えられるのであろうかー
 日本文化とは、いわば「無」の次に来るものというべきであろうー「存在」そのものの否定としての「無」ーその次に出てくるものとしての日本文化ー存在の極限に「無」「空」をみるインド、シナ文化に対し、さらにそのはてにあるものとしての日本文化ー無の彼方に純粋にあらわれてくるものー存在と無を結ぶ純粋生成にこそ、日本文化の本質がある。

  西洋      有
  中国・インド  無・空
  日本      成

 無とは存在に対するものであり、空とは実体に対するものであるーその無・空そのものの成立ー無がどうしてあらわれるかー無をして無ならしめているものー無の働らきをなさしめるものそれが日本文化の役割である。
 無の働らきとは、無にも有にも通ずる究極の成であり、それは有と無を結ぶ偉大なる創造的機能である。日本文化は、極東にして極西の国といわれるように、有と無との両者を結ぶ機能を純粋創造性のうちにあらわしている。

 巻末に58巻までのタイトルが並んでいます。どうぞ御覧ください。う〜ん、興味深すぎ。全部読みたいですね。

Img_3885


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »