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2016.05.15

『新抄 源氏物語』 仲小路彰 (地球文庫・地球文化研究所)

Th_img_3677 日の靖国神社に続き、日本の近現代史を体感する一日でありました。
 このように間接的にではあれ、日本史、あるいは世界史に参画する感覚を持つことができるのは、非常に幸せなことですし、また緊張を強いられることでもあります。
 しかし、たしかに私たち庶民の日常の一判断が、歴史を動かす可能性があることも事実であり、そうした市井の無名の瞬間の数々と、たとえば私たちが教科書で知りうる有名な瞬間とが、どこかで連関しているというのが、歴史の真実でもあるのです。
 さて、そういう歴史の中で、有名・無名という意味でも非常に特殊な存在なのが、仲小路彰です。
 本来大変に「有名」であるべきなのに、あまりにも「無名」。その意味ははたして…。
 そんな仲小路彰に深く関係することが今日あったのです。これからの展開がどうなっていくのか。もう、天命に任せるしかありません。私心を捨てて、器になって、モノ(他者・霊界)と一体化していくしかないでしょう。
 いろいろありました中で、今日はこの仲小路彰による「源氏物語」をいただきました。全三巻のうちの第二巻と第三巻の二冊です。そのうち第一巻も私のところに来ることでしょう。
 こんな言い方はいけないのかもしれませんが、最近の私は妄想実現党の党首らしく(?)、本当に思ったことが実現していきます。
 実はこの「源氏物語」も、とにかくほしい、読みたいと、ここ1ヶ月思い続けてきたのです。しかし、ネットで検索しても1件もヒットせず、もちろん古本屋にもない。国会図書館にさえない。
 しかし、それでも必ず読むことになると信じていたところ、こうして向こうからやってきてくれるのです。本当にありがたいですし、責任を強く感じます。
 先ほど、無名と書きましたが、この本は珍しく著者名として仲小路彰と印刷されています。彼の場合は、ほとんど実名を出さず「地球文化研究所」の名前で本を出していましたからね。
 この本は昭和47年発行。奥付によると「非売品」となっています。限られた資料には「PL出版社」という出版社名が載っていましたが、実物を見るにそういう文字はどこにも見当たりません。どういうことなのでしょうか。
 さっそくむさぼるようにランダムにページを開いてみましたが、いやはや、これは本当にすごい本です。
 いちおう私も源氏物語の現代語訳などをやっておりました(頓挫しておりますが)関係上、そのすごさが多少は人よりも分かるかもしれない。
 まずうれしかったのは、私の無手勝流訳と同様に「です・ます体(敬体)」で訳されていること、また、敬語を正確に訳している点です。レベルは違いますが、どこかで自分と仲小路彰とつながったような気が初めてしました。
 さらに「新抄」についてです。これは驚きました。たしかに「抄訳」なのです。本文から絶妙にシーンが抜き出されている。逆に言うと、絶妙に省略されている。これは、完全な理解、解釈がないと、そして、読者に対する思いやり、他者意識がないと不可能な作業です。
 本当に一部を読んだだけですが、これは本当に「やられた」と思いました。当たり前ですが、私にはできない。能力も勇気もない。
 そして、各巻(まき)の冒頭にある前口上がまた素晴らしい。見事な導入になっている。
 さらに驚きなのは、第三巻の終わりにある「第四部 物語の批評」の面白さ。これは抜群です。それは次のような内容になっています。

 ・物語を読み終わって
 ・源氏物語の光を継ぐもの
 ・源氏物語をめぐって
 ・源氏物語の音楽的構成
 ・源氏物語の創作的特徴
 ・源氏物語年表
 
 どの章も非常に興味深いのですが、私はふと開いた「物語を読み終わって」のラストに、仲小路彰の心、魂を見たような気がしました。
 その前の部分で、紫式部が源氏物語を書くことを通じて、自分の愛する子どもに心や魂を伝えたことが述べられたあと、次のような文章で結ばれています。これはまさに、仲小路彰が多くの書物や歌を残したことについて、私たち未来人に伝えたかったことではないでしょうか。そして、それが今まさに大きな問題となっているのです。
 引用します。

  終焉の願い
 最後に願いとなるものは、せめてこの物語の偽りなき原本を残そうと、わが子に心深く託して、今すでにしきりに、この物語の写本筆記の行われているさまを見るにつけ、これから後も、多くの散失や、さまざまに紛らわしいものとなることを心細く危ふ(本文ママ…「う」の誤植か…山口注)んで、たとえわずかでも、真のものをどのようにしても伝えることを、愛する子供に、ねんごろに訴えるのであった。
 心なき人々が、さまざまに思いよらぬことをして、それが世を偽るなげかわしいことこそ、すでに現身をこの物語に捧げて、ながくも生きられぬわが身にとって、何よりも甲斐なく、口惜しいことであるとさとし、こうしてかく御身に託すからには、これを堅く世に秘しておくことを、決してみだりに流布してはならぬことを、最後の願いとして、わが魂の追い求めた夢の浮橋の美しい虹を、大空に通う幻のように上り行ったのである。

 ついに長和六年(一〇一七年)、三十九歳にして、天才の魂は、その悩める肉体を去ったのである。
 しかも、その後に残された「源氏物語」と「紫式部日記」一巻、「紫式部家集」一巻とは、永遠不滅の生命を持続し、その影響は、ますます広く、深く、発展するのである。

 引用終わります。
 どうでしょう、紫式部を仲小路彰に、物語を著作に、わが子を後世の人々に読み替えると、彼が自らの作品を封印し続けた(彼の死後もナニモノかによって封印され続けてきた)意味も分かってくるというものです。
 しかし、源氏物語がたしかな評価を得たごとく(実はまだまだその道程の途中なのですが)、仲小路彰の作品群もまた、いよいよ正統に評価され、正しく保存され(たとえば今はデジタル化という完全コピー技術がある)、まさに「永遠不滅の生命を持続し、その影響は、ますます広く、深く、発展する」のではないでしょうか。
 私はこのタイミングで、この本のこの部分を読んだことに、(勝手に)運命を感じています。
 おそらく、源氏物語の研究者も、このすごい本のことを誰も知らないことでしょう。しかし、こうしてその一部がネット上の言語として、つまり、消えることのない情報、証拠として残ったことから、きっと何かが動き始めると思います。
 これだけでも今日は大変な日であったのです。ああ、こうして歴史は再び動き始める。

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