« ステキのテキはなぜ「敵」なのか | トップページ | オバマ大統領広島スピーチ(その2) »

2016.05.27

オバマ大統領広島スピーチ(その1)

 くの皆さんがご覧になりお聴きになったことでしょう。私はその時間、ちょうど高校生と座禅をしておりました。座禅をしながら、いったいどういうスピーチになっているのだろうと妄想しておりました。
 妄想していたため悟りは開けませんでした(笑)。しかし、オバマさんのスピーチは正直私の妄想よりもずっと良いでした。お見事。感動すらしました。
 あとでよく聴き直してみますと、ある意味当たり前のことを言っているにすぎないのですが、やはり、71年前からの歴史も含めたシチュエーションと、ライターさんの脚本、オバマというアクターの素晴らしさは特筆すべきでしたね。
 なるほど、こういう時代、つまりほとんど同時に無数の人たちがその「場」を共有できる時代だからこそ、こうした、古典的(原始的)なパフォーマンス(演劇性)の重要性はますます高くなっているのでした。
 特に、原爆を文化人類学的な視点の中に落とし込んだことによって、加害者たるアメリカ、被害者たる日本というスケールを超えて、人類全体の問題としたところは、お見事と言わざるをえません。
 本来、原爆投下は国際法にも違反する、人類史上最悪の大虐殺行為であるわけですが、それを謝罪なくしてある種の「感動の物語」としてしまったわけです。
 しかし、それを多くの日本人は評価しこそすれ、批判はほとんどしない。日本人の特性までよく研究しつくした上での演出だったのでしょう。もちろん、それまでもが、戦後の洗脳政策、あるいは自虐的(左翼的)教育の結果であると言うこともできますが、私はそれもまた日本人にとっては未来的プラスに働いた良き歴史であると考えています(国譲り理論ですね)。はやりお見事だということです。
 今年3月に、私もあの場に行きました。その頃はまさかそこにオバマ氏が立つことになるとは思いませんでした。ただ、あの「安らかに眠って下さい。過ちは繰り替えましませぬから」の碑の前で、あらためて日本人の精神性の高さを感じたことを思い出します。
 日本語の「無主語」と英語の「We」。実はそれは同じ意味だったりする。そして、アメリカの背負った過去と開いた未来…具体的にどういうことかは2年前に書いたこちら記事と、昨年の原爆忌に書いたこちらの記事をお読み下さい。
 また、中二病的宇宙人のワタクシ的には、今回の画期的なスピーチの裏に、昨年の安倍総理の誕生日に我が家が送ったプレゼントが関係していると信じていますが、それについてはあらためて書きます。
 いすれにせよ、今日は歴史的な日となりました。オバマ大統領の勇気とそれを導いた日本の関係者の皆さまに感謝いたします。

|

« ステキのテキはなぜ「敵」なのか | トップページ | オバマ大統領広島スピーチ(その2) »

ニュース」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

歴史・宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: オバマ大統領広島スピーチ(その1):

« ステキのテキはなぜ「敵」なのか | トップページ | オバマ大統領広島スピーチ(その2) »