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2016.05.31

『常識から疑え! 山川日本史 近現代史編』 倉山満 (ヒカルランド)

Th_51pruseofvl 史はいずれにしても物語です。たとえば山川の日本史教科書もある立場から語られた物語ですし、倉山さんのこの本の内容もまた、倉山さんの語る物語であります。
 それら無数の物語をどれが正しいかなどというのは、これは判断できないものです。はっきり言ってしまえば、どの物語を選択するかは、その人の好みであって、また、その好みさえも常に変わり得るモノなのです。
 それを世間では「歴史認識」と言ったりします。
 たとえば私の歴史認識もずいぶん変わってきました。ものすごく簡単に言ってしまうと、左からだんだん右に移動してきて、現在はけっこうバランスよく中庸な位置にいると思います。
 私の場合は、それが左右だけでなくて、たとえば偽史と言われる世界観もある程度よく知っているつもりですし、また、ある意味ほとんど誰も知らないであろう、仲小路彰の高次元歴史観についても今まさに研究中でありますから、そうですね、上下の面でもかなりバランスよい「認識」を持っている方だと思います。ま、かなり特殊だということですね。
 そういう歴史観が構築される基礎となったのが、実は「山川の日本史」だったのです。私は大学入試(共通一次)で日本史を選択しましたから、まさに山川日本史を丸暗記しようとしたタイプでした。
 倉山さんが言うとおり、その物語は実に面白くなかった。無味乾燥で、物語というのも憚られるほどに単なるデータの羅列に感じられました。
Th_51ovvtbhbwl 実は、そこが原点なんですよね。面白くなかったからこそ、その後自分の物語を創作したくてしかたなくなった。歴史認識構築の原動力は、山川のつまらなさにあったわけです。
 過去の事象は、言うまでもなく、その時代に生きた生身の人間の感情が交錯して紡がれてきたわけで、それが無味乾燥なわけないだろうという信念。それが暴走してしまって、ある時は非常に左翼的な知識に憧れた時もありましたし、いわゆる自虐史観に耽溺するような時期もありました。
 富士山麓に住んでからは、宮下文書なるトンデモ文献にすっかりはまってしまい、またさらにそこから出口王仁三郎の「霊界物語」なる異次元の「歴史」にも触れることになりました。
 そして、最近では、天才歴史哲学者仲小路彰という存在と出会い、そんなトンデモすらも排除せずに併呑しつつ、実際の近現代史を動かしていた、おそるべき物語に触れることになりました。
 というわけで、倉山さんのこの本は正直「常識から疑え!」基礎編ですよ(笑)。いや、私、基礎編をちゃんとやらないでいきなり超応用編に行ってしまったクチなので、今さらながらこうして基礎編を勉強させていただいているわけです。
 基礎編だからでしょうか、やや倉山さんの口調が過激すぎるようにも思えますけれども、まあそのくらいやらないと、山川の本来の機能である「原動力」は有効化しないのかもしれませんね。そこも含めて、基礎編としては非常に面白い読み物(物語)であると思います。
 ところで、歴史について語るということは命がけですよね。倉山さんもお体ご大切に。

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2016.05.30

追悼 堀内光雄さん

Th_plt1605310012p1 日の安倍総理の動静を見ましたら、午後は次のようになっていました。

 午後0時22分、東京・三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑着。拝礼式に参列、献花。同49分、同所発。
 午後2時2分、東京・南青山の青山葬儀所着。故堀内光雄元通産相の葬儀に参列。同8分、同所発。

 千鳥ケ淵と堀内光雄さん、切っても切れない関係にあります。安倍総理もそのことはよく分かっていることでしょう。どんな気持ちで両墓所をお参りしたのでしょうか…。
 今月17日、元通産相、自民党総務会長、宏池会会長にして、富士急行会長の堀内光雄さんが亡くなりました。
 私もこの富士北麓に30年以上住んでいましたから、間接的には大変お世話になりました。また、最近では息子さんのお嫁さんである衆議院議員の堀内詔子さんには、直接的にいろいろお世話になっております。
 私のような外様にとっては、ここ富士北麓は、いい意味でも悪い意味でも富士急の力が大きい所という印象があります。
 この地において、相変わらず政治的には富士急派と反富士急派に二分されているという面もありまして、富士山を「不二」の象徴にと目論んできた私としては、なんとも歯がゆい気持ちを味わってきました。
 自民党における堀内光雄さんの地位というのも、また派閥の対立に翻弄されたとも言えます。こちらにあるように安倍総理は「霖雨蒼生」と表現しておりますが、このような物語があったのも事実であります。
 光雄さんのお父様一雄さん、お祖父様良平さんも衆議院議員にして、富士急行のトップ。
 最近私が研究している仲小路彰も、良平さんや一雄さんとは懇意にしていたようです。「富士山を世界に拓く」という富士急の創業精神が、仲小路の富士山発グローバリズムと結びつくのは当然とも言えましょう。
 というか、それ以前に良平さんと、仲小路彰のお父さん農務大臣だった仲小路廉は、富士山開発についてずいぶん話し合っていたようですね。仲小路彰が山中湖に疎開してきたのも、そういうご縁があったからです。
 それにしても、光雄さんが3年前に上梓した「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考えるはすごかったなあ。思わず戦慄してしまいました。
 もちろん、私がちょうどその頃、仲小路彰という存在と出会い、富士山麓山中湖における「地球戦没者慰霊施設」の計画を知ったからということもあります。
 しかし、それ以上に、光雄さんの文章に、何かが乗り移っているような鬼気迫る感じがあった。これは大変なことになったぞと、上掲の記事にも書いてありますね。
 そんな光雄さんが亡くなり、ある意味でまた新しい時代が訪れることになりそうです。光雄さん自身と、光雄さんに訪れた一雄さん、そして無数の英霊、さらには光雄さんの義父である辻政信の思いを、しっかり受け止めて、大事を進めていかなければなりません。
 あらためてご冥福をお祈りいたします。

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2016.05.29

ライヴの悦び

Th_photo 日は横浜にてバッハの協奏曲を演奏しました。
 例年通り、我が中学校の遠足&芸術鑑賞を兼ねたイベントということで、教え子たちにも(無理やり)聴いてもらいました。いや、よく寝てたかな(笑)。まあ、心地良い音楽だったということで。
 素晴らしいソリストの皆様と共演させていただき、大変光栄です。本当に楽器を続けてきて良かったと思います。
 私自身は、本番で致命的なミス(1段飛ばし)をしてしまいましたが、まあ全体としては自分自身も楽しめるコンサートでした。
 アンコールでのアクシデント(突然終了)もご愛嬌ということで、お客様にも笑顔でお帰りいただけたかと思います。
Th_13322026_499188526953158_6590652 そして、明けて今日は全く違うジャンルのライヴに出演。地元のおじさま方のバンドのお手伝いをさせていただきました。
 グループサウンズからフォーク、懐かしの洋楽、そして昭和歌謡、平成J-POPに至るまで、およそ20曲!
 バッハの時とは違って、コード譜が配られただけで、ほとんど即興で演奏いたしました。それもまた楽しいものです。曲が始まるまでどういう曲かわからない(知らない)場合もありまして、イントロを聴いて空気を読んで音を作っていくという楽しみですね。
 ところが、なにしろ20曲ということで、後半はそういう頭の使い方にすっかり疲れてしまいまして、なんだかうまくハマらなくなってしまった。こういう経験は初めてでした。頭のCPUが熱暴走しちゃったのかな。
 他のおじさまメンバーも、途中足がつってしまったり、指がつってしまったり、まあ面白かったなあ。それで会場が盛り上がるんですから。
 なるほど、ドリフターズやクレイジーキャッツなんかは、こういうバンド文化の中から生まれたのだなと実感しました。
 いずれにせよ、ライヴというのはいいものですね。あの一体感。そんな音楽の基本を再確認した二日間でした。皆さん、ありがとうございました。
 

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2016.05.28

オバマ大統領広島スピーチ(その2)

 日の記事の続きです。昨日は同時通訳入りの動画でしたが、今日はプレーンな動画をどうぞ。オバマさんのうまさが光ります。見習いたい。
 学校の先生たちもこのくらい上手に話ができるようにならなきゃね。まあ、人前で話すのが下手な先生方が多くて困ります(苦笑)。
 やっぱり「間」が大事ですね。場を作る。空気を作る。さすがスピーチだけで大統領になった男です(失礼!)。
 ところで、このスピーチの肝ですが、やはり、最後の一文に集約されているのではないでしょうか。

「That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.」

「私たちが選択する未来、広島と長崎の未来は、核戦争の夜明けとしてでなく、倫理的な目覚めの出発点として知られるようになるでしょう」(なんちゃって訳)

 文化人類学的に言っても、科学文明の進歩の時代の爛熟とともに、私たちは霊性の進歩、進化を遂げなければいけない時を迎えているわけです。
 未来の選択、原爆、そして霊性の向上ということでは、私はこのブログで何度か紹介した、高松宮宣仁親王殿下の「平和に寄す」(昭和25年)を思い出します。
 この文、安倍総理夫人の昭恵さんが、昨年9月21日にFacebookに掲載したところから、急に知られることになったものです。9月21日は安倍総理のお誕生日であり、また世界平和デーであります。
 実を言いますと、同日の朝、昭恵夫人に「平和に寄す」を総理へのプレゼントとしてメールにてお送りしたのは、このワタクシでありました。
 その日は総理夫妻は我が家の近くの別荘に滞在中。私たち夫婦は所用で東京に行っていたのですが、ちょうど私たちが千鳥ヶ淵戦没者墓苑の祭壇の前に立った時に、昭恵さんから「『平和に寄す』をFBに載せていいですか?」とのメールが届きました。私たちは英霊の魂にも背中を押され、「ぜひお願いします!」とご返事申し上げたのです(こちらがその時の昭恵さんのFacebookの投稿です)。
 今だから明かせる?歴史秘話(笑)。
 オバマさんのスピーチのライターはベン・ローズ大統領副補佐官だと思われますが、高松宮さまの「平和に寄す」のライターは、昭和の吉田松陰と言われた天才思想家、仲小路彰です。
 これを機に、もう一度、総理の目にも触れたに違いない、そしてこのたびのオバマ大統領広島訪問&スピーチに霊的影響を与えたに違いない、この名文「平和に寄す」を紹介したいと思います(「平和に寄す」についてはこちら参照)。

  平和に寄す    宣仁
 
 日本の方向は、「ポツダム宣言」によって明確にされ、今日われわれは、民主主義理想と戦争抛棄を最高の目標として進みつつ、幾多の変化を身をもって体験し来った。この平和への方向にあって、日本が平和文化国家としての自らの未来に向って努力することが、そのまま世界平和へのささやかな寄与ともなりうることを、大きなよろこびもて自覚すべきである。
 恒久平和こそ人類史の根本課題であるとともに、今日の最大の現実問題でもある。
 人類の長い闘争の歴史において、破壊か創造かの解き難い矛盾が人類の叡智による新しい方法−過去の破壊に代る未来の創造への要請として解決されるときに、まことに何人にとっても望ましい”地球の平和”の出現することを、今こそ人類は明確に認識しなければならない。
 すでにそれを実現し、創造するに足る科学、物理又技術の発展は着々と行われている。
 しかし、それを全からしめるためには、その科学的発展を、人類目的の下に活用する人間精神の根源的自覚にまつところ大である。 
 これこそ人間に内在している大きな光を求める愛の中に生きることであり、これを忘れて徒らに知的な分析のみに依存したり、矛盾対立面の拡大に努めるならば、人類は救いがたい破滅の運命に陥るであろう。

 過去の日本の無條件降伏は、また単なる国家対国家の関係にとどまることなく、真に絶対平和への無條件降伏としての神への誓約でなければならない。それは真に神に対する武装抛棄とも云うべきであり、平和への精神的・物質的な献身行為によってはじめて実現するものである。
 日本は今や国土・国民・国史のすべてをあげて平和なるものへの自己開放を行うべき時であり、それは新しい平和文化への奉仕と貢献を自ら実践することによって開始されなければならない。
 まことに今日の日本の歴史的な立場は、約千三百年前、まさに聖徳太子の時代−当時大陸との交渉によってもたらされたイデオロギーの対立と相剋の中に、いかに生くべきかを求めつつあった日本の運命と酷似しているかのようである。
 当時、大陸より兵を撤し、軍事的国家より文化国家への一大転換の時代に立った日本に、大陸の文化は大きな対立をもちながら一度に流入し、日本古来の伝統とも鋭い矛盾をはらみつつ、国内は指導階級の分裂による社会不安の激化によって、危い現実に直面したのであった。
 この日本の深刻な危機に際して、聖徳太子は、「人の和を以て第一とする」十七条憲法をもって、平和文化国家としての最高の理想を表現し、日本の進むべき道を暗示されたのであり、これこそ、今日の新憲法ともならべられる平和文化への大いなる宣言と云うべきものであった。
 さらに太子は、夢殿において自ら神・仏・儒のイデオロギーの調和と体系化を実現され、かの「三経義疏」にみる仏教の深い理解と本質の把握は、単なる海外思想のまねではなく、それらの創造的統一による体系化として、その上に一切の文化建設を社会秩序にまでおしすすめられたのである。
 今日、新しい平和文化の黎明に際して、千三百年の昔、国史のまさに半ばに立たれて、平和文化国家としての方向を決定された聖徳太子の大理想を思うこと切である。
 日本の民主主義の方向は、二つの世界の大いなる対立の中にあって、その最も深い根源的理解とそれをいかに恒久平和の中に創造的に調和しうるか−という問題に直面している。

 民主主義が日常生活の中で真実の実践をみるように、日本の民主主義の最高の目標としての平和文化も、国民一人一人の信念として国土の中に未来に構想され、それへの断えない努力と献身によってはじめて実現されることを確信しなければならない。
 ここに”大和(タイワ)”としてあらゆるものの綜合と調和をなすべき日本の伝統的方向があり、平和文化の真の意義を見出すとともに、それをさらに新しい平和への信仰にまで高めることを必要とするのである。
 すでに原子力の開裂の響は、日本の国土に新しい平和世界を建設するための予言の如く、さながら、万世の平和を要望する神の声のようにひびいている。
 このような意味で、本文化大系は平和文化のための綜合的研究を行いつつあるが、実に、平和とは単に政治とか経済の問題だけにとどまらず、今後、人類がいかに生くべきかという問題として、体系的に解明されなければならない。
 人間精神の根源的自覚による大きな愛の光のもとにあってこそ、はじめて、現在の不安と動揺の人類生活に、永遠の平和が招来されうることを確信する。

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2016.05.27

オバマ大統領広島スピーチ(その1)

 くの皆さんがご覧になりお聴きになったことでしょう。私はその時間、ちょうど高校生と座禅をしておりました。座禅をしながら、いったいどういうスピーチになっているのだろうと妄想しておりました。
 妄想していたため悟りは開けませんでした(笑)。しかし、オバマさんのスピーチは正直私の妄想よりもずっと良いでした。お見事。感動すらしました。
 あとでよく聴き直してみますと、ある意味当たり前のことを言っているにすぎないのですが、やはり、71年前からの歴史も含めたシチュエーションと、ライターさんの脚本、オバマというアクターの素晴らしさは特筆すべきでしたね。
 なるほど、こういう時代、つまりほとんど同時に無数の人たちがその「場」を共有できる時代だからこそ、こうした、古典的(原始的)なパフォーマンス(演劇性)の重要性はますます高くなっているのでした。
 特に、原爆を文化人類学的な視点の中に落とし込んだことによって、加害者たるアメリカ、被害者たる日本というスケールを超えて、人類全体の問題としたところは、お見事と言わざるをえません。
 本来、原爆投下は国際法にも違反する、人類史上最悪の大虐殺行為であるわけですが、それを謝罪なくしてある種の「感動の物語」としてしまったわけです。
 しかし、それを多くの日本人は評価しこそすれ、批判はほとんどしない。日本人の特性までよく研究しつくした上での演出だったのでしょう。もちろん、それまでもが、戦後の洗脳政策、あるいは自虐的(左翼的)教育の結果であると言うこともできますが、私はそれもまた日本人にとっては未来的プラスに働いた良き歴史であると考えています(国譲り理論ですね)。はやりお見事だということです。
 今年3月に、私もあの場に行きました。その頃はまさかそこにオバマ氏が立つことになるとは思いませんでした。ただ、あの「安らかに眠って下さい。過ちは繰り替えましませぬから」の碑の前で、あらためて日本人の精神性の高さを感じたことを思い出します。
 日本語の「無主語」と英語の「We」。実はそれは同じ意味だったりする。そして、アメリカの背負った過去と開いた未来…具体的にどういうことかは2年前に書いたこちら記事と、昨年の原爆忌に書いたこちらの記事をお読み下さい。
 また、中二病的宇宙人のワタクシ的には、今回の画期的なスピーチの裏に、昨年の安倍総理の誕生日に我が家が送ったプレゼントが関係していると信じていますが、それについてはあらためて書きます。
 いすれにせよ、今日は歴史的な日となりました。オバマ大統領の勇気とそれを導いた日本の関係者の皆さまに感謝いたします。

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2016.05.26

ステキのテキはなぜ「敵」なのか

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 んだかとっても忙しいので、今日は軽めに。
 中二の娘が「ステキ」ってどういう漢字だっけときいてきたので、「元素の素に敵の敵」と言ったら、「テキのテキ?」と聞き返されました。そりゃそうだ。えっと…「敵をやっつける」の「敵」だよ。
 と自分で言ってみて、気がつきました。なんで、「敵」なんだろう。全然ステキじゃない字ですよね。
 さっそく調べてみましたら、なるほど、「素敵」は当て字なんですね。語源的には「素的」と書くほうが良い。
 つまり、語源的には「素晴らしい的」の略ではないかということです。実は、語源についてははっきりしないようなんですがね。
 用例を見てみますと、19世紀初頭の式亭三馬の滑稽本「浮世風呂」や「浮世床」に「すてきに」とか「すてきな」という形容動詞として初登場しているようです。
 ということは、この時代に江戸の流行語として流布し始めたと考えて良さそうです。「素晴らしい的」というのは実に変な感じがしますが、江戸時代から明治時代にかけて、芸者さんを「唱的」と言ったりする中国語の影響から、隠語で「〜的」(〜系の人という意味)が使われたことを考慮しますと、「素晴らしい人」を「素的」と言ったというのもあり得る話です。
 流行語ですから、語源を感じさせず、ある意味オシャレに「すてき」とか「ステキ」と仮名書きすることあって当然でしょう。今でも「ステキ」と書きたくなりますよね。軽みを加えたい。
 明治以降になって、江戸の流行語であった「すてき」がその本来の語源や用法を離れて定着してきたところから、再び漢字化が進んだと思われます。実際、明治期には、「素的」「素敵」「素適」など、いろいろなパターンがあります。そのうち、昭和になったころには、現在の「素敵」が有力になってきました。
 ちなみに「的」と「敵」は古くから混同されてきました。「敵(かたき)」と「的(まと)」が狙うべき、射止めるべき対象としてイメージが重なったからでしょうか。enemyの意味で「的」という漢字を使っている例を多数見つけることができます。
 何気なく使ってきた言葉、漢字でありますが、こうして調べてみますと、面白い歴史がある(私の勝手な説ですが)ことが分かりますね。

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2016.05.25

「怒り」の本質

158f42 日の続きかもしれません。反知性主義とも大きく関わっているかなあ、「怒り」。
 そう言えば、慶応大の小林節さんが「国民怒りの声」なる政治団体を立ち上げましたね。節さんの節操なき変節にびっくりいたしました(笑)。まあ、個人の思想信条は変化してしかるべきですので、特に怒りは湧いてきませんが。
 さて、その「怒り」ですが、これは不思議な感情です。何年か前に「怒り=生かり」という記事を書きましたっけ。語源に触れながら「怒り」は生きる力を生み出す原動力であるというような話になりました。
 たしかに、なんちゃってサヨクにせよ、ネトウヨにせよ、やたら怒っている。それが生き甲斐なのでしょう。なんでも反対したり、汚い言葉で相手を攻撃したり。
 まあ、たしかに生きる力になっているのかもしれませんね。そんな怒りを否定、禁止しちゃったら、日常のストレスで死んでしまう人も出るかも。
 最近で言うと、ヘイトスピーチとか不謹慎狩りというのも、なんだか妙な「怒り」が原動力になっていますよね。ヘイトスピーチは単なるストレス解消として解釈することもできます。しかし、不謹慎狩りに伴う怒りの感情は微妙ですね。
 私は基本的に、「怒り」とは「自分と似たモノを相手の中に見た時に起こる感情の一つ」だと考えています。えっ?ですよね(笑)。
 もちろん、自分と相手が似ていて嬉しいこともあります。共感、共鳴です。
 しかし、場合によっては、その共感、共鳴が怒りにつながることもある。ちょっと分かりにくいでしょうかね。
 一番分かりやすいのは、たとえば教師である私が、宿題をやってこなかった生徒に怒りをおぼえたとしましょう。あるいは、反抗的な態度をとった生徒に対して。これは実は、私の中にも宿題をやってこない可能性のある自分、すなわち宿題なんかやりたくない(仕事したくない…笑)自分がいたり、センセイの言うことなんか聞きたくない自分、すなわちセンセイが大した人間ではなく権威を振り回しているだけだという自覚があるからこそ沸き起こる感情です。
 おいおい、お前、正直になるなよ!ホントのこと言い出すなよ!的な(笑)。
 相手の嫌な所は、実は自分の嫌な所だというような言い方って昔からありますよね。これはたしかに一理ある。親子のケンカなんかも、似ているからこそ発生する。
 こんな場合はどうでしょうね。戦争法案反対!と叫んでいる人を観察してみましょう。その人の心に「戦争法案」という概念があるから、戦争法案なんかではない普通の安保法案に対して怒りが湧いてくるわけです。これは似ているというより、その人の心の中に「戦争」の種があるから発生する怒りだと解釈しています。
 だからと言ってはなんですが、彼らは「正義」の名の下に非常に攻撃的です。その態度、人を平気で呼び捨てにしたり、「死ね!」とか言っちゃう心にこそ、戦争の種があると思ってしまうのです。
 不謹慎狩りの場合はどうでしょうか。これには「嫉妬」の感情も絡んでいます。「ホントはオレだって不倫もしたいし、被災地に何百万円も寄付したいし、公用車で温泉とか行きたい」という気持ちがあるのに、それが叶わない、叶えられる立場にないために、それが怒りとして発動してしまう。これもまた、自分に種があって、屈折した共感、共鳴が嫉妬の怒りになっていると考えられます。自分は我慢してるのにずるい!というヤツ(笑)。
 ヤツと書いて思い出しましたが、「怒」って「奴」の「心」って書きますよね。「奴」は女のマタではなくて、「又」は「手」の意味でして、つまり女性を捕らえて奴隷とするという、なんだか物騒な文字なのです。
 そうした立場の人の心、特に虐げられた女性の感情ですから、権威、権力に対する反抗心、嫉妬心が怒りの素であることが分かりますね。
 というわけで、自分の「怒り」についても、こういう視点で見つめなおしてみることにします。人に対して怒る前に、まず自分を省みなければ。
 最後に、論語の一節をどうぞ。孔子が弟子の顔回に対して言った言葉は深い。
 「怒りを遷(うつ)さず、過ちを貳(ふたた)びせず」
 怒りを遷さないってそういう意味だったのか。

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2016.05.24

反知性主義?

20160525_181540 とぼりもだいぶ冷めてきたので、ちょっと書いておきましょうか。
 ほとぼりというのは…内田樹さんが「日本の反知性主義」という本を出して、間接的に…いや、直接的に安倍政権を批判したのをうけて、特に保守派がワーワー騒いだ上に、ななななななんと、今年度の東大入試の第一問の本文が、まさに内田さんの「日本の反知性主義」のクライマックスの部分だったから、また大変な騒ぎになったんですね。
 そりゃそうでしょう。東大が入試問題で安倍政権を批判したと捉えて、やっぱりサヨクかよと騒ぐこともできるし、東大が内田樹を出すようになったなんて、それこそ「反知性主義(この場合=バカ)」だと騒ぐこともできるし、内田樹が「反知性主義」の意味を思いっきり間違って使っていると騒ぐこともできる反面、内田さん独特のユーモアというかアイロニーだ、それがわからない奴こそ「反知性主義(バカ)」だという人もいました。
 私は仕事上東大の試験の直後にこの問題を読んだわけですが、妙に楽しく、そして納得してしまった。しかし、おそらくは上記の「バカ」とは違った意味で納得してしまったのだと思います。
 もちろん、私は知性派でもないし、かと言って反インテリという意味での(本来の意味での?)「反知性派」でもありません。あえて言うなら、無知性派(笑)。
 そんな無知性派は、無知性なりの言語で事象をとらえて生きているわけですね。たとえば「モノ」と「コト」。とっても乱暴に個人言語でしゃべってしまうと、内田さんの言う個人的知性は「コト」、集団的知性は「モノ」だと感じている(観じている)わけです。
 だから、コトよりモノといつも言っているワタクシとしてはですね、内田さんの言うとおりだと思ったし、コトの権化のような東大を受ける受験生に、こういうモノ重視の文章(すなわちモノ語り)を読ませるのは、やはり痛快であるわけです。
 というわけで、皆さんはどう感じるでしょうかね。どのタイプでしょうかね。下のリンクから読んでみてください。

平成28年度東京大学入試国語

 ちなみに本文は本文として、私情や私観を入れずにそのまま受け取り、そこにどう書かれていたか純粋に読み取るのが、入試国語の基本です。そういう意味で、たとえば怒っちゃった人はもう東大には入れませんよ(笑)。あっそうか、そういう意味で「反知性主義」を分別する目的で作られた問題なのかもしれない(笑)。
 知性ついでに、今日のチャンネル桜「頑固亭異聞」は面白かった。「戦後を彩った知識人の断末魔」。保守の方々もあんまり品のない言い方をすると、無知性に成り下がってしまいますよ。気をつけましょう。

 ま、それにしてもある意味私の前の世代までは、とんでもない時代でしたね。「天皇制ファシズム」…丸山真男かあ。読んだけど、全然面白くなかったなあ。いやいや、なんて言う我等がポスト・モダン世代もまた、私も含めて妙な方向に行ってしまいましたから、まあ、これは男のサガってやつでしょうか。もともと、男はバカ=無知性なのかもしれません。かっこつけてもダメってことですかね(苦笑)。


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2016.05.23

G7伊勢志摩サミットの主役は?

 うすぐですね。伊勢志摩サミット。伊勢志摩という、日本にとっても特別な場所で行なわれることや、オバマさんの広島訪問のことでも注目を浴びていますが、実際のところ首脳どうしの会議の内容となると、現在の世界情勢から見るに非常に難しく微妙な感じですね。
 アメリカの大統領選は言うまでもなく、イギリスの国民投票も近い、ドイツの総選挙、フランスの大統領選も来年ですか。もちろん、日本も近く衆参同時選挙になるやも。
 そんな西側諸国を尻目に、プーチンロシアは盤石の体制を整えつつあり、虎視眈々と「強いロシア」復活を狙っております。
 西側と言っても、当然日本は微妙な存在です。先日の安倍プーチン会談の様子を、欧米諸国はどのように見ているのか。警戒心を抱きつつも、どこか頼みの綱的な期待も持っている。そんなところでしょうか。
 ちょっと前の放送になりますが、BS11の「寺島実郎の未来先見塾」がそのあたりのことを分かりやすく解説してくださっていましたので、ここでもう一度復習しておこうかと思います。
 ゲスト解説者は、天江喜七郎­元ウクライナ大使と、朝日新聞の稲田信司国際報道部部部長代理。天江さんは一橋大学時代に、かの仲小路彰の薫陶を受けられたとのこと。また、日本文化にも大変造詣の深い方とうかがっています。今後、どこかでご縁があって、いろいろお話をうかがえればと思っております。
 この番組で天江さんや稲田さんが語っているように、結局、この西側サミットの影の主役はロシアと中国ということになります。そんな裏を裏返しますと、表の主役は日本ということになるはずです。
 安倍首相は、欧米の思惑を超えた次元で、日本の「和」の精神、すなわち伊勢に引き継がれている出雲の和魂(にぎみたま)を表現できるでしょうか。そこにこのサミットの成否がかかっていると言ってもいいでしょう。
 私は、地の利を得てうまく行くと信じています。そう、政治は「まつりごと」。場も非常に重要なのです。

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2016.05.22

MISO in 池袋ジャズフェスティバル

Th_img_3784 日は我が富士学苑中学・高等学校のジャズバンド部「ムーン・インレット・サウンズ・オーケストラ(MISO)」が池袋ジャズフェスティバルに出演いたしました。
 この池袋ジャズはなかなかレベルが高いという評判でありまして、その中に我等の教え子たちが堂々と参加するというのは実に嬉しいことであります。
 そんな晴れの舞台をぜひ観ようと思いきや…ワタクシはちょうどその時間、今週末の横浜のコンサートの最終練習がありまして、近くにいながら行くことができませんでした。
 ちなみにウチの上の娘は同バンドのベーシストでコンミスでして、お互いジャンルは違えど、パフォーマー、エンターテイナーとしてのスピリットは一緒、お互い頑張ろうと朝富士山で誓い合ったのであります(笑)。
Th_13241273_496789090526435_8061635 そうそう、娘は今日ベース・ソロがあるということで、朝ヴィブラートのかけ方を伝授しました。ちゃんとできたでしょうか。
 今まであまりベースで「歌う」ことを意識してこなかった娘。そろそろベースラインの「言葉」や「文脈」、「節回し」を意識させねば…なんて、偉そうなこと言ってますが、実は自分の練習も今日はけっこうヤバかった(笑)。音程が取れないという、基本的なところでつまづいてしまいました(苦笑)。
 池袋の会場の方には、カミさんがかけつけまして、録音をしてきてくれたので、帰宅後私も聴かせてもらいました。録音というのは生とは違って、シビアになるところと甘くなるところの両方があるので、実際のライヴの感触とは全く違うものです。
 娘も録音を聴いて、案外良かったり悪かったり、一喜一憂していました。実は本校は今中間テストの真っ最中。ちょっと練習不足、あるいは集中力不足という部分もあるかと思います。
 というわけで、今日は顧問の先生の許可を得ましたので、その音源をアップいたします。
 カミさんが録音機を振り回しながら録ったので、なんだか音がグルグル回っていますし、オートゲインなので、レベルが不自然ですが、どうかご了承下さい。雰囲気は十分に伝わると思います。

音源クリック→MISO in 池袋ジャズ

 バロックとジャズと言えば、以前一緒にバロック・ヴァイオリンを弾いていた友人が、今回の池袋ジャズに参加していました。MISOとほぼ同じ時間に別会場で演奏していたようで、以前私と共演していた方が、今度は娘と同じ舞台に上がっているというのは、なんとも不思議なご縁を感じるのでありました。
 ちなみに彼女の所属するバンドは「ラトリン・ロアリン・ウィリー」というバンドです。実力派揃いのなかなか魅力的なバンドですので、こちらもよろしく!

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2016.05.21

「温故知新」とは

Th_img_3751 日は某所にておいしいお蕎麦をいただきながら、昭和の天才仲小路彰に可愛がられた女性と楽しく懇談いたしました。まさに未来学的な明るい話題に終始しました。ありかとうございました。
 その前には、たまたま頭山満、松井石根の対支政策についてちょっと勉強していました。やはり、どの時代にもスケールの大きな、すなわち右だ左だ、保守だ革新だといった次元を超えた発想をする人がいるなと感じ入った次第です。
 というか、いつも私も言っているように、私たちには両翼が必要なのです。右翼だけでも左翼だけでも未来に向かって飛べない。いわゆる左翼的な(非現実的)理想論も大切ですし、右翼的現実論も大切。
 未来的とは理想そのものです。そこへの道程としての現在の現実論がある。仲小路彰の「未来学的思考」とは、まさにそういうことです。
 実は私たちは常に近未来学的思考によって行動しています。たとえば、何時の電車に乗るために何時に家を出ようとかですね。あるいは、将来こういう職業に就くためにあの大学に行かねば、そのためにこの教科を撰択して勉強しようとか。そんなのは当たり前です。
 しかし、私たちの理想論、未来観は、ついつい個人的なものになりがちです。たとえばなんでも反対現代サヨクの平和論なんか、実は非常に個人的な恐怖とか嫉妬に基づいていることが多いのです。
 一方の、過激な(時代錯誤な)保守派の方々は、やはり過去にとらわれすぎてしまっている。昔は良かったもいいのですが、ちょっと発想を変える必要があると感じます。
 すなわち、「温故知新」の意味を考えなおすべきだと思うんですね。
 私にとっての「温故知新」は、ただ単に「昔のことを学んで新しいことを知る」ではなく、「昔の人がどのような未来像を描いていたかを学んで、現代人である私たちがどのような新しい未来を思い描くかを知る」ことです。
 いや、これは私の勝手な解釈ですけれども、たとえば、冒頭に書いた頭山満や松井石根、あるいは私の人生の師匠である仲小路彰や出口王仁三郎が、当時どのような未来を想像、想定していたかを知ることが大切であって、ただ単に歴史の教科書を暗記するがごとく、何年に何があったとか、こういうことをしたからこういう結果になったとかという、その人の人生の時間内における因果関係にとらわれてしまうと、本質的な「温故知新」には到達できないと思うのです。
 今私たちが学ぶべきは、まさに過去の偉人、巨人たちが、それほどスケールの大きな「妄想力」を持っていたかではないでしょうか。彼らの残した遺産を眺めるだけでなく、それをその時代に産みだしたその根底にある未来志向のエネルギー自身を読み取るべきです。
 そうしてみますと、たとえば、戦前戦中の仲小路彰のある種過激な言説が、戦後の比較的穏やかな「未来学」「グローバリズム」と矛盾せず、自然につながっていることが理解できると思います。
 たとえば、西尾幹二さんの次の仲小路彰に関する解説には、私は多少不満を持つわけです。もちろん、西尾さんのことですから、全体を理解した上であえて番組に合わせて部分を語っているのだと思いますが。
 近いうちに西尾さんにもお会いしてそのあたりのお話をしてみたいと思っています。

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2016.05.20

ニセ坊主にご注意(笑)

 セ坊主エセ坊主の代表であるワタクシ。いや、ホント下手すりゃ日本一のニセ(エセ)坊主かもしれません(笑)。やばいな。
 さて、そんなワタクシ、今日はホンモノのお坊さんとミーティング。そう、ホンモノのお坊さんとの接点も多いものですから、ますますワタクシのニセ度エセ度が高まってしまうというのもありますね。
 どういうわけか、老師クラスの御坊様方に可愛がっていただく機会が多く、また、一方では、政治の裏側にいる方や、今風にお寺を持たずに活動している方、さらには小乗仏教を究めている方など、本当に様々なお坊さんとありがたいご縁で結ばれております。
 先日は、秋田で「どうか住職に…」と真剣に頼まれてしまいましたっけ(笑)。いよいよ、ちゃんと修行してホンモノになるべき時が来ているのでしょうか。
 いや、ちょっと意地悪な言い方をしますと、日本の仏教界が腐敗してしまっていて、非公式な坊さんの方が、実はちゃんと仏教を理解、実践していたりすることもあります。まあ、オウム真理教なんかも、そういう土壌に咲いてしまった徒花という一面もあるわけで。
 さて、ニセ坊主と言えば、ワタクシは自分でニセ(エセ)を名乗っているのでまだ良心的ですよね(笑)。そうじゃなくて、詐欺まがいのことをしているニセ坊主もいます。
 特に最近問題となっているのは、秋葉原とか原宿に出没して布施をせがむニセ坊主たちです。どうも、あれは外国人らしい。ちょうど最近、こんな啓発番組がありました。

 昔から新宿駅なんかにいますよね。虚無僧が(笑)。あれも基本、顔は見えないし、しゃべらなくてもいいので、外国人がバイトでやってるという都市伝説があります。いや、都市伝説ではなくて、実際組織的にやってる場合もあるんですよね。
 そういえば、最近ではAmazonのお坊さんの宅配が問題になりました。私はそれほど不謹慎だとは思いませんでしたがね。結局、既成仏教界としてはですね、お布施や法事料金に市場原理が入ってほしくないんでしょう。価格破壊が起きたら食っていけなくなる寺が続出しますから。
 もちろん、立派な教えを説いたり、寺子屋のような教育や文化発信に積極的なお坊さんもいますが、「坊主丸儲け」的なクソ坊主(失礼)もいます。
 これは、いわゆる「センセイ」と言われる職業、すなわち、学校の教師、政治家、医者なんかにも言えることです。僧侶も含めて「聖職」であるべき仕事ですので、厳しくバッシングされるのはしかたないと思います。
 ま、私なんか、なっちゃって坊主どころか、なんちゃって教師とも言えますが(苦笑)。なるべく人様にご迷惑をかけないようにいたします、はい。

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2016.05.19

鈴木敏文という天才

セブンイレブンのすべてをつくり、追われた男
Th_img_c4fa2b0e17b5be02d6c1a045cc1a 代ビジネスの鈴木敏文という天才という記事が面白かった。
 コンビニ業界を牽引し、日本流コンビニ文化を確立した鈴木敏文さんの功績は多大です。
 皆さんはどのコンビニがお気に入りですか?
 私はなんだかんだ言って、やっぱりセブンなんですよね。最近デイリーの面白さに気づきましたが(笑)。
 なんでセブンがいいのか。
 大した話ではないのですが、ローソンだとポンタ、ファミマだとTポイントのカードを持っているか確認されるじゃないですか。私はそれに対して「ありません」と答えるのが面倒なんです。
 というか、Pontaカードは持ってるんですが出すのが面倒(笑)。
 セブンは何も聞かれないので気が楽なんです。デイリーも。
 どうでもいいことかもしれませんが、案外人間はそういうところで動いていたりしますよね。
 もちろん、セブンの品揃えや、お弁当やおにぎりやパンの味の良さ(普通さ)なんかも安心の種ですし、コーヒーもそこそこおいしい。そういう魅力もありますよ。
 でも私は、そのレジでのやりとりなんです。これは家電店なんかでもあることです。ポイントカードを出すのが面倒。どうせそんなにポイントたまらないし。
 つまり、ポイント制によって顧客を確保しようとすると、逆に失ってしまうことがあり得るということです。いや、私だけかな。
 まあ、それはいいや。この記事の話です。ぜひお読み下さい。
 私が何に感心したかというと、鈴木さんの未来学的(仲小路彰的)発想法。こうあります。

 鈴木氏の発想の起点はいつも「未来」にあるんです。「現状がこうだから、未来はこうなる」ではなく、「未来がこうなっているだろうから、現状をこう変える」という発想法。

 過去を参考にする、たとえば前年比みたいな考え方はしない。あくまでも未来に原因を作って現在に結果を出すわけですよね。
 これって、私がいつも言っていることです。言っているだけでなく、やっている。とういか、生まれた時からそういう発想しかなかった。だから、昔も今も「時間は未来から過去へ流れている」と思っているわけです。
 最近、西園寺昌美さんが「果因説」を唱えていることを知って、ああこれも同じだなと思いました。以前、ある老師が「過去は滓(カス)」と言い切っていましたが、それも鈴木さんの発想につながりますね。
 あとは他者意識。お客様視点というか。「完売」の話も、基本は他者意識にあります。

 「完売すること」の問題について。普通の店だと商品が完売したら、「よく売りきった」とほめられるのが普通ですが、セブンイレブンでは、「販売の機会損失、売り逃し」として「犯罪行為」にも等しいとみなされます。コンビニに来て、商品がないと、お客が味わう失望感はとても大きいのです。
 
 なるほどですよね。こういうカリスマ的な天才、ワンマン経営者がいないと、なかなか新しいことはできない。一見「荒魂」のようだけれど、その発想の基底にあるのは案外「和魂」だったりするわけです。
 いろいろ勉強になりますね。
 はたして、鈴木さんが「追われた」あと、セブンはどうなるのか。推進力、革新力を失わないで行けるのか。あるいは逆に安定期に入って吉となるのか。
 おそらく他のコンビニにとってはチャンスとなるでしょう。私個人的には純国産のコンビニたちに頑張ってもらいたいのですが。

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2016.05.18

バッハのヴィオラ協奏曲(?)

 週の土曜日、横浜でこちらのコンサートに出演させていただきます。
 このコンサートでも、チェンバロ協奏曲やカンタータのシンフォニアから復元された協奏曲が演奏されます。その編曲のオリジナルなので、いろいろな意味で楽しめるものと思われます。ぜひお越しください。
 私も趣味でそうした復元を試みたことがあります。作曲するほどの才能はないにしても、そうした編曲というか再創造によって世界で唯一の音楽が生まれるというのは、素人にとっても実に楽しくエキサイティングなものです。
 そうした私の準創作活動の一つに、「バッハのヴィオラ協奏曲」があります。そう、ヴィオラ奏者にとっての、ちょっとした寂しさというのは、ヴァイオリンやチェロに比べると、主役になる作品があまりに少ないことですね。
 そんなわけで、多くのヴィオラ奏者がいろいろな編曲(復元)に挑戦してきました。逆に言うと、ヴィオラ奏者ならではの楽しみでもあるわけですよね。なにしろヴァイオリン弾きやチェロ弾きは既存の曲を弾くのに手一杯ですから(笑)。
 で、「バッハのヴィオラ協奏曲」ですが、基本的にチェンバロ協奏曲第2番ホ長調(BWV1053)を元にしています。この曲はよくオーボエ・ダモーレ協奏曲として復元、演奏されていますよね。
 そう、オーボエ・ダモーレとヴィオラの音域は近いので、私もかなり前から自分のためにソロパートを編曲して弾いてきました。
 最近になって、いくつかプロによる編曲、演奏の録音や楽譜も出てきました。今日はそのうちの一つをお聴きいただきましょう。
 私はニ長調で編曲しましたが、こちらは変ホ長調ですね。私はフラット系が苦手なので、自分のためにニ長調にしました(笑)。
 古楽器による演奏もあるんですが、YouTubeにはこれしかありませんでした。

 ついでと言ってはなんですが、「バッハのヴィオラ協奏曲」と言えば、こちらの方が有名かもしれません。バッハとは言っても息子のヨハン・クリスチャンですが…いやいや、実はこれは偽作、贋作でして、ある意味贋作者として有名なアンリ・カサドシュの作品です。
 弟のマリウスとアンリ、このカサドシュ兄弟、正直言って、素晴らしい作曲家ですよ。この曲なんか本当に名曲です。
 この時代って、こういう偽作、贋作が普通に行なわれていましたよね。江戸しぐさみたいな(笑)。今よりそのへんは緩かった。まあ、いいものならいいという時代だったのでしょう。また、「作者」意識も今より低かった。それはつまり、作品の脱作者性というか、独立性の強さを表しているとも言えます。逆に言えば匿名性が高かった。
 今はなんだか、作品は作者の所有物というか、著作権のような近代法的なコトに縛られて窮屈なような気もしますね。
 そう考えると、「飛鳥の夢」なんかにおける仲小路彰のスタンスもまた違った歴史的意味合いをもって見ることができるような気がします。

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2016.05.17

茨城でM5.5

Th_f0044065_21245261 日の夜、茨城県南部を震源とするM5.5の地震が発生しました。最大震度は5弱を記録しました。
 当地でも震度2くらいの揺れを感じました。揺れの感じからして少し深いかなと思いましたが、やはり深さ40kmとのことでした。
 いつものとおり、場所の特定までは至りませんが、ある程度予想をしていた地震でした。これに関するツイートをまとめて掲載します。

(5/11)

富士山北面標高1200m 山梨県鳴沢村
ラドン濃度

7時 24 ,22時 22

(min 5 , max 38 , avg 19 ,平常値13~22)

平常値範囲内まで低下。ひと山収束、発震スタンバイです。関東から東北方面(もしくは九州)中規模地震と予測しています。

(5/12)

発震注意期間に入った途端、いろいろな所で揺れ始めましたね。これから2週間ほどは活発な状態が続くでしょう。大規模地震はないと思いますが、直下型ですと中規模でも大きな揺れになります。ご注意下さい。

(5/16 地震発生直後)

予想した中規模地震でしょうか。

M5.6ですか。やや深めでしたので震度5弱ですみましたね。

震源は地震の巣です。だからこそ、これ以上大きな地震がすぐに起きることは考えられませんが、いちおう後発にも注意してください。

 なぜこのような予想をしたのか、富士山のラドン濃度と地震の関係とはなんなのかについては、こちらを御覧ください。それらに加えて、あとは「直観」「体感」です。全然科学的ではありませんのであしからず(将来は科学で解明されるかもしれませんが)。
 それから、ツイートはしませんでしたが、今回の地震でまず思ったのは、「中央構造線」のことです。
 ちょうど16日に下社の最後の柱が建ち、御柱祭が終わりました。諏訪の神様はタケミナカタ。そのタケミナカタを諏訪の地に追い込んだのは、タケミカヅチ。
 ご存知のとおり、タケミカヅチを祀る神社は鹿島神宮です。今回の震源は、まあいつもの場所とも言えますが、ちょうどこのタイミングで、鹿島神宮近くが揺れたのは、中二病的に言うと(笑)、単なる偶然とも思えません。
 熊本地震と中央構造線、諏訪大社御柱祭との関係については、こちらの記事をお読み下さい。
 それこそ全く現代科学的ではありませんが、もしかするとこういう発想というのは未来科学的であるかもしれません。
 以前書いたように、私の中では、諏訪の御柱祭は、その年の富士山北麓での火祭りをもって終了すると考えています。しばらくは中央構造線上の動きが続くとは思いますが、夏の終わりには落ち着くのではないでしょうか。
 もちろん、しっかり荒御魂をお祀りすることが前提ですが。


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2016.05.16

五・一五事件と皆神山(山岸宏と出口王仁三郎)

Th_miurashoten01img600x450143702920 日は「五・一五」。言うまでもなく昭和7年の五・一五事件から84年の日でもありますし、沖縄返還から44年の日でもありました。
 沖縄返還は実質的には佐藤栄作総理の政治的な成果として捉えられていますが、その裏には佐藤総理の同級生でありブレーンであった仲小路彰のアドバイスがありました。ちなみに非核三原則も仲小路彰のアイデアだと言います。
 そのあたりの真実も、近い将来学問的に明らかになっていくことでしょう。いよいよ、昭和も本格的に研究対象、すなわち「歴史」となっていくわけです。
 さて、一方の五・一五事件について、これも最近偶然に知ったことがあったので書き記しておきます。かなりマニアックな話です。
 ちなみに昨年の首相公邸訪問以来、私たち夫婦は80年前の二・二六事件に深く深く関わることになった(…霊的にですよ)わけですが、考えてみれば、そこは五・一五事件の現場、それも犬養首相殺害の現場でもあったわけですよね。
 とりあえずそちらは関係なかったのかなと思ったら、いやいや、やっぱり関係しちゃいました。まさに霊的な部分で。
 以前、北一輝と出口王仁三郎安藤輝三と出口王仁三郎という記事で、二・二六事件と王仁三郎の関係について少し書きましたね。
 実は五・一五事件にも王仁三郎が霊的に関わっていたんですね。それを知ったのは、先日の耀わん大集合の日でした。
 五・一五事件で「話せば分かる」と言う犬養毅首相に対し、「問答無用」と言って発砲を促したのは、山岸宏海軍中尉でした。
 その山岸中尉は裁判で禁錮10年の判決を受けましたが、昭和13年に仮出獄となっています。言うまでもなく、反乱者に対するこのような「緩い」お咎めが、数年後の二・二六事件を誘発したわけですね。
 仮出獄の年、山岸は宮家の血筋とも言われるあやさんと結婚します。そして昭和15年秋、二人は信州は皆神山を訪ねています。
 二人を皆神山に連れてきたのが、山本英輔海軍大将だそうです。山本英輔大将は大正六年、かの秋山真之のすすめにより、綾部で王仁三郎と会っています。そして、王仁三郎と浅野和三郎が行なった神事によって霊的異常行動をとったという記録が残っています。当時は、海軍では王仁三郎ブームが起きていました。
 五・一五事件後の、山本、山岸の皆神山訪問には、当然王仁三郎の教えが影響しているものと思われます。言うまでもなく、皆神山は大本の聖地の一つです。
 そして、山岸夫妻はしばらく皆神山山頂に「住む」んですよね。驚きました。その時、仮の住まいとしたのが、江戸時代から山頂にあった富士浅間神社の小祠の場所に、山岸自身が奉納した拝殿だったそうです。そこで、彼らは水垢離ほかの修行を行なっていたらしい。
 実は、その後、その皆神山の富士浅間神社に関していろいろとすったもんだがあり、まさにそれが第三次大本事件を象徴するような仕組みになっていくわけですが、今日はそこのところは割愛いたします。
 山岸宏はその後不敬罪に問われ、再び収監されて戦争には直接関わらず終戦を迎えています。どういう罪状だったのか不明ですが、あるいはそこにも王仁三郎の思想が影響しているかもしれません。
 戦中皆神山中腹の小丸山古墳が天照大神の陵墓とされ、海軍将校らがこぞって戦勝祈願に訪れたということもあったようなので、もしかするとその異説を唱えたのが山岸なのかもしれません。
 一方、昭和13年に始まった大川周明主宰の大川塾の初代寮長がこの山岸宏だったことにも注目しなければなりません。王仁三郎と大川周明との関係(大川が王仁を下劣と断じた)、あるいはその先にある仲小路彰との関係も、これからの研究によってある程度明らかになるでしょう。
 戦後の山岸は敬明と変名して輪タクの会社を経営し一財を成しました。一方で、古事記の研究にいそしみ、ほとんどオカルト的な本を数冊書いています。それは古事記をもとにした予言書であり、まさに王仁三郎の二番煎じでした。もちろん、その予言(1982年ソ連日本侵攻、1984年新時代の始まり、1995年第三次世界大戦勃発など)はことごとく外れていますが。
 まあ、とにかく、山岸という人は、戦前、戦中、戦後を通じて、ずっと出口王仁三郎の影響下にあったということですね。
 ちなみに、この山岸宏(敬明)と奥さんのことについて、宮本百合子が書簡に面白い話を書き残しています。青空文庫で読めますのでぜひ。

 宮本百合子「ファシズムは生きている」

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2016.05.15

『新抄 源氏物語』 仲小路彰 (地球文庫・地球文化研究所)

Th_img_3677 日の靖国神社に続き、日本の近現代史を体感する一日でありました。
 このように間接的にではあれ、日本史、あるいは世界史に参画する感覚を持つことができるのは、非常に幸せなことですし、また緊張を強いられることでもあります。
 しかし、たしかに私たち庶民の日常の一判断が、歴史を動かす可能性があることも事実であり、そうした市井の無名の瞬間の数々と、たとえば私たちが教科書で知りうる有名な瞬間とが、どこかで連関しているというのが、歴史の真実でもあるのです。
 さて、そういう歴史の中で、有名・無名という意味でも非常に特殊な存在なのが、仲小路彰です。
 本来大変に「有名」であるべきなのに、あまりにも「無名」。その意味ははたして…。
 そんな仲小路彰に深く関係することが今日あったのです。これからの展開がどうなっていくのか。もう、天命に任せるしかありません。私心を捨てて、器になって、モノ(他者・霊界)と一体化していくしかないでしょう。
 いろいろありました中で、今日はこの仲小路彰による「源氏物語」をいただきました。全三巻のうちの第二巻と第三巻の二冊です。そのうち第一巻も私のところに来ることでしょう。
 こんな言い方はいけないのかもしれませんが、最近の私は妄想実現党の党首らしく(?)、本当に思ったことが実現していきます。
 実はこの「源氏物語」も、とにかくほしい、読みたいと、ここ1ヶ月思い続けてきたのです。しかし、ネットで検索しても1件もヒットせず、もちろん古本屋にもない。国会図書館にさえない。
 しかし、それでも必ず読むことになると信じていたところ、こうして向こうからやってきてくれるのです。本当にありがたいですし、責任を強く感じます。
 先ほど、無名と書きましたが、この本は珍しく著者名として仲小路彰と印刷されています。彼の場合は、ほとんど実名を出さず「地球文化研究所」の名前で本を出していましたからね。
 この本は昭和47年発行。奥付によると「非売品」となっています。限られた資料には「PL出版社」という出版社名が載っていましたが、実物を見るにそういう文字はどこにも見当たりません。どういうことなのでしょうか。
 さっそくむさぼるようにランダムにページを開いてみましたが、いやはや、これは本当にすごい本です。
 いちおう私も源氏物語の現代語訳などをやっておりました(頓挫しておりますが)関係上、そのすごさが多少は人よりも分かるかもしれない。
 まずうれしかったのは、私の無手勝流訳と同様に「です・ます体(敬体)」で訳されていること、また、敬語を正確に訳している点です。レベルは違いますが、どこかで自分と仲小路彰とつながったような気が初めてしました。
 さらに「新抄」についてです。これは驚きました。たしかに「抄訳」なのです。本文から絶妙にシーンが抜き出されている。逆に言うと、絶妙に省略されている。これは、完全な理解、解釈がないと、そして、読者に対する思いやり、他者意識がないと不可能な作業です。
 本当に一部を読んだだけですが、これは本当に「やられた」と思いました。当たり前ですが、私にはできない。能力も勇気もない。
 そして、各巻(まき)の冒頭にある前口上がまた素晴らしい。見事な導入になっている。
 さらに驚きなのは、第三巻の終わりにある「第四部 物語の批評」の面白さ。これは抜群です。それは次のような内容になっています。

 ・物語を読み終わって
 ・源氏物語の光を継ぐもの
 ・源氏物語をめぐって
 ・源氏物語の音楽的構成
 ・源氏物語の創作的特徴
 ・源氏物語年表
 
 どの章も非常に興味深いのですが、私はふと開いた「物語を読み終わって」のラストに、仲小路彰の心、魂を見たような気がしました。
 その前の部分で、紫式部が源氏物語を書くことを通じて、自分の愛する子どもに心や魂を伝えたことが述べられたあと、次のような文章で結ばれています。これはまさに、仲小路彰が多くの書物や歌を残したことについて、私たち未来人に伝えたかったことではないでしょうか。そして、それが今まさに大きな問題となっているのです。
 引用します。

  終焉の願い
 最後に願いとなるものは、せめてこの物語の偽りなき原本を残そうと、わが子に心深く託して、今すでにしきりに、この物語の写本筆記の行われているさまを見るにつけ、これから後も、多くの散失や、さまざまに紛らわしいものとなることを心細く危ふ(本文ママ…「う」の誤植か…山口注)んで、たとえわずかでも、真のものをどのようにしても伝えることを、愛する子供に、ねんごろに訴えるのであった。
 心なき人々が、さまざまに思いよらぬことをして、それが世を偽るなげかわしいことこそ、すでに現身をこの物語に捧げて、ながくも生きられぬわが身にとって、何よりも甲斐なく、口惜しいことであるとさとし、こうしてかく御身に託すからには、これを堅く世に秘しておくことを、決してみだりに流布してはならぬことを、最後の願いとして、わが魂の追い求めた夢の浮橋の美しい虹を、大空に通う幻のように上り行ったのである。

 ついに長和六年(一〇一七年)、三十九歳にして、天才の魂は、その悩める肉体を去ったのである。
 しかも、その後に残された「源氏物語」と「紫式部日記」一巻、「紫式部家集」一巻とは、永遠不滅の生命を持続し、その影響は、ますます広く、深く、発展するのである。

 引用終わります。
 どうでしょう、紫式部を仲小路彰に、物語を著作に、わが子を後世の人々に読み替えると、彼が自らの作品を封印し続けた(彼の死後もナニモノかによって封印され続けてきた)意味も分かってくるというものです。
 しかし、源氏物語がたしかな評価を得たごとく(実はまだまだその道程の途中なのですが)、仲小路彰の作品群もまた、いよいよ正統に評価され、正しく保存され(たとえば今はデジタル化という完全コピー技術がある)、まさに「永遠不滅の生命を持続し、その影響は、ますます広く、深く、発展する」のではないでしょうか。
 私はこのタイミングで、この本のこの部分を読んだことに、(勝手に)運命を感じています。
 おそらく、源氏物語の研究者も、このすごい本のことを誰も知らないことでしょう。しかし、こうしてその一部がネット上の言語として、つまり、消えることのない情報、証拠として残ったことから、きっと何かが動き始めると思います。
 これだけでも今日は大変な日であったのです。ああ、こうして歴史は再び動き始める。

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2016.05.14

媒酌人@靖国神社

Th_img_3658 当に素晴らしい結婚式、披露宴でした。
 今日は同志の結婚式の媒酌人をさせていただきました。それも靖国神社での婚儀。最高の場での晴れの門出のお手伝いをさせていただき、本当に私たち夫婦は幸せです。
 もう言葉にならないほど感動しました。涙が止まらなくなってしまいました。
 新郎新婦とは不思議なご縁。たしかに私たち夫婦が仲立ちになっての結びの儀であったかもしれません。
 お二人は実に賢く、志高い若者。式場として靖国を選んだのも宜なるかなであります。
 私たち夫婦にとっても、初めての媒酌人ということで、不慣れなこともありましたが、ただ、やはり一期一会の機会でありますから、あまり形式にとらわれず(ちょっと破格すぎたかな?)、その時に感じたことを言葉や音楽で伝えさせていただきました。
Th_img_3664_2 ご親族、ご友人の方々とも、魂の部分で共鳴することができ、本当に私たちにとっても最高の時間を過ごさせていただきました。
 それにしても、あの拝殿のシンプルな美しさは究極的でしたね。何もないから何でもある。ちょうど昨日から今朝にかけて学校の座禅合宿がありましたので、やはり、禅と神道はつながっているなと実感した次第です。
 建物の簡素さは言うまでもなく、様々な小道具やお供物もシンプルそのもの。まあ、靖国だけではないわけですが、修祓のアイテムが紙製だったりするのは、実に象徴的ですね。
 そうした「無」が実は非常に高機能な「有」になる。たとえば壁のない開放性(解放性)は、外からの風や陽の光、鳥の鳴き声なども受け入れ、結果として変化に富んだ瞬間瞬間の多様な連続を生む。
 今さらながら日本文化の奥深さに感じ入る機会をいただきました。
Th_img_3662 実は私は昇殿参拝は初めてだったのですが、本殿があのようにまた無駄を排した造りになっているとは思いませんでした。
 英霊の御霊が宿る鏡はたしかに、それなりの大きさと重さを感じさせますが、やはり鏡ならではの機能である無限の外界の反映は、ある種「空」を感じさせます。
 ワタクシ流に言うところの「モノ」、すなわち「他者」と、その場自体が一体化する、まさに「不二(ふに)」がそこに現出しています。それはもちろん、前述の建物の開放性とも重なってくる性質です。
 それは別の言い方をすれば「和」であり、「むすび(結び・産霊)」であって、神社というか、日本の神々の世界自体が、すでに夫婦や家族の和合を基本としていることを再確認せずにはいられないのであります。
 披露宴でのご挨拶でも、あえて「和」という言葉を使わせていただきました。それについては後日たっぷり書こうと思います。なぜ日本が「大和」なのか。
 あらためまして、新郎新婦、ご両家、大変おめでとうございました。そして、ありがとうございました。

 追伸 モーニングを貸してくださった◯◯先生ありがとうございました。靖国神社昇殿参拝しちゃいましたよ(笑)。


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2016.05.13

ジャンボ鶴田 in バラエティー番組

 日はジャンボ鶴田の命日。あれから16年経ち、今では私も鶴田選手が亡くなった年齢を超えてしまいました。
 最近では、鶴田さんのご長男さんとツイッターでつながったり、下の動画でもライバルと言っている長州力さんの娘さんと飲む機会があったりと、まあ、たしかに時代は次の世代になってきているということですね。
 さて、リング上の鶴田選手については、今までも何度か書いてきたので、また少し違った一面というか、ある意味こちらが本来の鶴田さんとでも言うべき、バラエティー番組で活躍する鶴田さんの姿を紹介します。
 ユーモアというか茶目っ気たっぷりで、優しい(けれど厳しい…笑)鶴田さんの魅力をご堪能くださいませ。
 いやあ、鶴田さん以外の芸人さんたち、歌手の皆さんも、やっぱり個性的だなあ。やっぱり昔のテレビは面白かった…のか?
 長与千種さん、私当時本気で好きでした(笑)。今でもご活躍ですね。この二人の対決はすごい。

 ストロング金剛さんとの対決も笑える。お二人とも本当に「気は優しくて力持ち」。

 小倉久寛さんのドロップキックが見事(マジ)。

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2016.05.12

追悼 蜷川幸雄さん

20130427_yanagawa_27 念。先日の冨田勲さんに続き、蜷川幸雄さんも帰幽されました。
 う〜ん、蜷川幸雄演出、冨田勲音楽による東京オリンピック開会式の夢は完全に潰えてしまいました。なんて、どれだけ昭和ノスタルジーなんだよと言われそうですが、いや、このご両人は常に「今」の人でした。いや、「未来」の人でした。若手よりも若々しかった。
 若手を演劇の世界、古典、昭和、平成、そして未来の「表現」の世界へ、なかば強引に引っ張って行きました。若手はそれを喜び、誇りとして、そして、伝統を引き継ぎく歴史の担い手と成長していきました。
 そうした若手育成の功績、すなわち、日本の演劇界、表現界の土台を築き続けてきた功績こそ、最も評価、感謝されるべきところでしょう。
 ウチの上の娘はジャニーズが、下の娘は藤原竜也が好きです。双方、蜷川さんと深く関わっていますよね。蜷川さんが「今」の人である証拠だと思います。さっそく娘たちにそういう話をしようと思います。
 皮肉なものですね。先日の冨田勲さんの追悼記事で紹介した「恐怖劇場アンバランス」のエンディングに、蜷川幸雄さんの名前があったんですね。主演です。役者としての蜷川さん。アングラ芝居をやっていた頃です。
 あえてもう一度その映像を観ていただき、追悼といたしましょう。

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2016.05.11

祝!イエモン復活

Th__20160512_63934 、涙…。この日が来るとは。本当に感慨深い。
 THE YELLOW MONKEYが12年ぶり復活。今日はその復活ライヴ第一日目。その第1曲目はなんと「プライマル」でした。そう来たか!
 ニコ生では2曲めの「楽園」の途中まで…でしたが、もう充分にイエモンの魅力が格別であることが伝わってきました。こういうバンド・サウンド、本当に最近聴いてなかった。そして、こういうロックな日本語!
 正式解散が発表されたのが2004年。その時、12年前の私はこんな記事を書いています。
 そう、実はあのあと、「大切」を吉井和哉さんに送り、「Thank you my friend!」というお言葉とともにサインを頂きました。そこから不思議な縁が動き始めたんですね。
 そして、2年前、本当に不思議としか言いようのないご縁で、ひょんなところで吉井さんとお会いしました。で、いろいろしゃべってみてビックリ!な、なんと、彼は私の中学の後輩だったのです。それも、私が3年の時の1年生。お互いロック好きということで、静岡市内の同じ中古レコード屋に通っていたことが判明。
 そこからはまたまた不思議な縁で、イエモンの専属カメラマンである有賀幹夫さんとも知り合い意気投合しました。今日も有賀さん、大活躍、大興奮だったことでしょう。ある意味一番イエモンを理解している人物ですからね。
 その他にもいろいろありまして、ここ数年はイエモンの復活を妄想していたんですね。そうしたら、実現してしまった!
 考えてみると、会いたいと思ったロック・ミュージシャン(志村正彦くん、藤巻亮太くんら…みんな吉井さんと縁がありますね)とは、みんな富士吉田で会っている…自分で言うのもなんですが、ワタクシの妄想実現力は並みではないですな(笑)。
 それにしても、今日のセットリスト、すさまじいですね。これで満腹かと思ったら、たとえば「Love Love Show」がないではないか。どれだけ名曲持っているのか…やっぱりすごい。吉井さん、やっぱりロック界の平尾昌晃だ。
 もちろん、他のメンバーたちのロック魂、技術も健在なようで、本当に嬉しかった。ネット中継からもちゃんと音圧やドライヴ感が伝わってきました。
 今のところツアーのチケットが取れていませんが、なとんか妄想力によってゲットし、必ず生で大好きな「空の青と本当の気持ち」を聴いてやろうと思います!待ってろイエモン!(笑)
 以下、ネタバレです。

1. プライマル
2. 楽園
3. Love Communication
4. Chelsea Girl
5. A HENな飴玉
6. Tactics
7. LOVERS ON BACKSTREET
8. 薔薇娼婦麗奈
9. 球根
10. カナリア
11. HOTEL宇宙船
12. 花吹雪
13. 空の青と本当の気持ち
14. ALRIGHT
15. SPARK
16. 見てないようで見てる
17. SUCK OF LIFE
18. バラ色の日々
19. 悲しきASIAN BOY
20. Romantist Taste
21. BURN
22. BRILLIANT WORLD
23. WELCOME TO MY DOGHOUSE
24. JAM

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2016.05.10

メモリ増量

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 近私のメモリがいっぱいになってきたようで、どうも動作が鈍い。言葉に詰まるようなことが多くなってきました。
 記憶力という意味では、ハードディスクはとっくにいっぱいになっていて、古いデータを消していかないと新しいデータが入りません。とは言っても、データの消去の仕方も、デフラグの仕方も分からないので、結局いっぱいなままで、新しいデータが入らないし、古いデータもとっちらかって取り出せなくなっています。
 人間の脳にもRAMのような機能があるようです。記憶ではなく、ソフトの運用を最適化するような機能。それもまた不足してきています。
 ちょうど8年前に買った我が家のMacBook (13-inch, Aluminum、Late 2008)も、動作が鈍くなってきていたので、今日メモリを8GBに増量しました。仕様では最大4GBとなっていますが、実際には8GBまでだという情報があったからです。たしかに普通に8GBを認識しています。
 おかげで、大変動作がスムーズになりました。これでまた当分使えそうです。ちなみにOSは最新のEl Capitanです。
 Macはすごいですね。8年前のモデルでも、こうして自分で簡単にメモリやハードディスクを増量して、今でも普通に使える。デザイン的にも全く古さを感じさせない。さすが。
Th_81u8ludpgl_sl1158__2 ちなみに刺したRAMはこれです。円安で少し高くなりましたが、4GB2枚で3900円でした。本当にメモリはどんどん安くなりますね。
 実は私も頭のメモリ(RAM)を増量してもらいました。髪の毛の増量じゃないですよ(笑)。今年すごい人に出会ったんですよ。その方が革命的な発明をしましてね、それで詰まりを取ってもらった結果、RAMの領域が拡張したようなんです。おかげさまで以前のスムーズさに戻りました。
 そちらにつきましては、いずれここで紹介できるかと思います。

Amazon Komputerbay MACMEMORY 8GB (2x 4GB)


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2016.05.09

岡崎体育 『MUSIC VIDEO』

 日とは打って変わって…いやいや、考えてみますと冨田勲さんはテレビの仕事が多かった。テレビ番組のテーマ曲やBGMというのは、基本映像とともに享受されるわけで、そういう意味では、「MUSIC VIDEO」のはしりであったとも言えそうです。
 たとえば昨日紹介した冨田勲さんの3作品など、それぞれ「情景」が浮かぶじゃないですか。その番組を観ていなくとも。クラシックにおける「描写音楽」の例を挙げるまでもなく、音楽と「情景」というのは、そのように有機的に結びついているはずのものです。
 そういう意味で、この岡崎体育さんの「MUSIC VIDEO」の「MUSIC VIDEO」は、80年代のMTV以来逆転してしまった音楽と映像の関係を揶揄しているようで面白い。映像が先になってしまったり、映像がないとダメな音楽になってしまったり…。
 こういうふうに「あるある」になってきた過程を遡ってみるのも面白いかもしれませんね。たしかに「とりあえず」感のあるPVが増えたような気もしますし、もし自分がそれっぽいものを作ろうとすれば、やはりこれらにかなり近い形になると思われます(笑)。
 いずれにせよ、岡崎体育さんの目の付け所と、音楽、映像の微妙なレベルやセンスがお見事です。 

 最後の最後までやられたって感じですよね(笑)。これ、たとえばライヴやテレビ番組の収録なんかの時はどうするんでしょう。
 そう、MTV後のミュージックビデオ文化って、すなわちライヴ(生)文化の否定の一面もあったわけですし、逆にライヴ(生)を引き立たせる役割をしたとも言える。
 私は、以前書いたように、音楽には映像(見た目)が伴うべき、つまり「録音文化」は音楽史においては邪道であったと考える立場なので、決してミュージックビデオに対して批判的ではないんです。逆に興味深く見守っているわけですね。
 しかし、一方で、みんなが「あるある」と思ってしまうような定型化、硬直化してしまったのもまた事実であります。
 こうして岡崎さんにそこんとこを指摘されちゃって、クリエーターさんたちはやりにくくなってしまいましたね(笑)。いや、いい刺激になったか。
 ところで、岡崎体育さん、下手物(失礼!)かと思ったら、ちゃんと正統的な楽曲も作ってますね。いろいろ聴きましたが、私は次の「鴨川等間隔」が好きです。ちょっと志村正彦風じゃないですか、メロディーも歌詞も歌の表現も。
 純粋にいい曲ですよ。そして、この「MUSIC VIDEO」もなかなかいい感じ。プロがお金と時間とスタッフを駆使すればするほど、こういう作品は作れなくなってしまう、そういうパラドックスが心地よいのであります。

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2016.05.08

追悼 冨田勲さん

Th_2016050800000309oric0003view 曲家の冨田勲さんが亡くなりました。
 私もどれだけ富田さんの音楽を聴き、影響を受けてきたことか。感謝の気持ちでいっぱいです。
 やはり、時代的に、私は富田さんのシンセサイザー音楽に魅せられていた時期が長かった。富田さんのシンセ演奏を通じて、壮大なるクラシック音楽の世界を知りましたし、古典が決して古臭くなく、非常に未来的に感じられた。また、電子音楽の拓く新しい世界への予感を抱かせていただきました。
 最近も二十年ぶりくらいに職場のプラネタリウムを復活させたのですが、三十年前のBGMがたくさん出てきまして、その半分は冨田さんのカセットテープ(!)でした。
 富田さんの作曲、編曲の数は膨大であり、そのジャンルもまた、ジャンルなどという言葉を使うのが馬鹿らしいほどに多様です。
 Wikipediaの作品群を見るだけでも、そのまさに宇宙的な広大さと多様さに驚愕させられますね。
 当時、冨田さんの影響を受けて電子音楽に行った方々は、その後、ある意味狭い電子音楽の世界に埋没してしまったり、逆に古典的なアナログ楽器に回帰してしまったりする傾向が強かった中、ご本人はいつまでも、その宇宙的(拡張的・不可逆的)な創作意欲を継続し、たとえばイーハトーヴ交響曲では初音ミクを採用したりしていましたね。
 今日は、そんな膨大な冨田作品の中から、比較的マイナーだけれども、独特の味わいのある「恐怖劇場アンバランス」のテーマソングをお聴きいただきましょう。
 それにしてもすごいキャスティングとスタッフたちですねえ。豊かなテレビの時代でした。

 最後に、やはりこの名曲でしょう。これほど日本人のノスタルジーを刺激する音楽はないでしょうね。「新日本紀行」のテーマです。

 おまけと言ってはなんですが、この曲も冨田さんの作品なんですよ。

 東京オリンピックの音楽は冨田勲さんだよなあと思っていた矢先の訃報。とても残念です。ご冥福をお祈りします。

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2016.05.07

皆神山の謎と一厘の仕組

 日の記事に書きました「五五五」。だんだんその意味が分かってきた…というよりも、分かりそうな予感がしてきました。
 特に皆神山を中心とした何か。実際、皆神山に関する非常に貴重なお話をお聞きすることができましたし、それこそレアな御本もいただいてきまして、さっそく読んで驚愕しているところです。
 4年前、耀わん「十和田」と皆神山を参拝し、宮司さんとも偶然お会いでき、こちらに記したような不思議な体験をしましたが、このたびいろいろな情報をいただきまして、私のとった一つ一つの行動が、なんともある意味「危なっかしい」ものであったことを知りました(苦笑)。まあ、王仁三郎自身に動かされてのことなので、そういう運命だったのでしょうし、それなりの意味があったのだと思いますが。
 そんな皆神山について、音楽家でもあるHARRY山科さんが、大変おもしろい動画を公開しているので、皆さんにも紹介したいと思います。
 全部ここに貼り付けるわけにもいかないので、とりあえず「序章」と「皆神山の謎」だけ。興味を持った方はいろいろ探してみてください。
 私は、ピラミッドとかUFOとかいう言葉にはあまり深入りしないことにしていますので、山科さんの言葉を全て鵜呑みにはしませんが、しかし、比喩として、あるいは言葉にならないモノをコトの葉として仮に表現するとすれば、それらも理解の範疇になります。
 それにしても、「皆神山の謎」に、普段日常的に関わっている(それもかなり深く)、富士山、三ツ峠、塩ノ山、岩殿山、唐松神社、そして皆神山や諏訪大社、ミシャグジなどが続々と出てくるのには、さすがにビックリしました。なるほど、そういう捉え方もあるなと。
 「一厘の仕組」とはなんなのか…実は、一昨日もその核心に触れるお話が出ました。それも、今まで誰も気づいていない、指摘していない仕組みです。「一厘の仕組」=「不二の仕組」…はたしてそれが正しいのかは、これから私の人生の中でも証明されていくのかもしれません。

Amazon 皆神山の謎 入門篇

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2016.05.06

耀わん大集合

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 日のことです。諏訪大社を巡ってのち、私たちは和田峠を越えて上田市へ。
 ここで、本当に奇跡的なことが起きました。出口王仁三郎の耀わんが五つ集まったのです。
 展覧会ならまだしも、こんなことはそうそうあるものではありません。私たち一般人所有のものを含めて、こうして今まで世にほとんど知られていなかった耀わんたちが、このように集結することは滅多にありません。というか、今までなかったと思います。
 5月5日(これは大本的には因縁の日なのだそうです)に、五つの玉が集合した意味はなんなのでしょうか。本当に偶然といえば偶然、必然といえば必然、いずれにせよ神の計らいによってこのような有り難い時間と空間が顕現したのだと思います。
 初めてお会いした方々とも、不思議と波長(波動)が合い、非常に濃い、中身のある、そしてこれからの日本や世界にとって非常に重要なお話をすることができました。
 今、私にとって非常に重い仕事がやってきているのですが、それについても、多くの示唆をいただくことができ、やる気も与えていただきました。このような機会を作ってくださった皆様に感謝です。

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 このたびは、ただ五つの耀わんが集まっただけでなく、最も大きなお茶碗に注がれたご神水をそれぞれに分け、それをまた元に戻し、それを皆さんでいただきました。
 まさに「統合」「和合」の象徴をいただいたという感じがしましたね。


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 上から見た図であります。言葉では説明できませんね。それぞれ多様だけれども、しかし真の意味で個性的。つまり、それぞれバラバラではなく、王仁三郎というキャラクターで統一されているという意味での「個性的」です。

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 違った角度から。それぞれが高次元宇宙につながり、様々な「気」の流れを生んでいます。「関係性」自身が持つ秩序への志向。宇宙の成り立ちを観るかのような感覚に陥りました。

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 厳の御霊たる五つの御玉。青、赤、白、黄、紫の玉。それぞれがそのどれかに当たっているのでしょう(ウチの「十和田」は青?)。なにしろ五月五日ですから。
 この奇跡を意味あるものとしたいと思います。いや、しなければなりません。
 ありがとうございました。

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2016.05.05

建御柱

 日は諏訪大社本宮の建御柱の日でした。
 ニュース等でご存知の方もいらっしゃると思いますが、最後の最後にお一人の方が御柱から落下し、お亡くなりになってしまいました。非常に残念であると同時に、御柱の怖さといいますか、重みというものを感じざるをえません。
 苦しいことではありますが、亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに、敬意、感謝をも捧げたいと思います。
 また、再来週の下社の建御柱は無事に終わるよう祈ります。
 今日、私も諏訪におりました。実は、建御柱の行われた本宮以外、すなわち前宮、春宮、秋宮には参拝をいたしました。
 このタイミングで諏訪大社を参拝したのは、もちろん熊本の地震を収めるためです。こちらに書いたように、諏訪と熊本はつながっています。
 5月14日の「前震」の際の私のこのツイートは現実になってしまいました。

これだけ大きな揺れの地震が起きると余震に意識が集中しがちですが、3.11の前の3.9のように結果として「前震」だったということもあるので、今後(数日〜数十年のスパンで)九州全域で万全の注意が必要です(明治熊本地震の10年後日向灘M7.1、20年後宮崎県西部M7.6)。

 そしてその「本震」の起きた16日には次のツイートをしました。

科学から離れた話ですが…阿蘇と諏訪、富士山はつながっています。とりあえず諏訪の御柱祭、富士吉田の火祭りが終わるまで落ち着かないでしょう…というか、大昔の人たちはある意味科学的な感覚で大断層や火山の周辺に「荒魂」を鎮める神社を配置したのでしょう。

 この流れの中で、富士山からある「モノ」を携えて諏訪を巡り、地鎮の祈りをしようと考えたのです。
 まずは、前宮に参拝。ここは特に重要な社です。諏訪大社の中で最も古いと思われ、そして、見事中央構造線の上に位置しています。

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 前宮は昨日、無事に建御柱が行われました。こうして熊本の荒魂も慰撫されていくことでしょう。一之御柱。

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 二之御柱。新しくそびえ立った柱は天と地を結び、新たなる気の流れを造っていました。

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 そして、建御柱の行われていく本宮には参拝せず、その後友人と合流して下社春宮へ。
 下社は再来週建御柱が行われます。古い御柱はすでに抜かれておりますので、この期間は「御柱のない諏訪大社」ということになります。

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 ご縁があって、春一の本見立てに参加させていただきました。春一が建つのを見届けたいのですが、当日は別の意味での建御柱があるので、私はそちらに専念いたします。
 春一のところにはやぐらが組まれておりました。前回の建御柱では三人の方が落下し二人が亡くなりました。またその後いろいろあったと地元の方にうかがいました。
 今年はぜひ無事に終わってもらいたいと思います。

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 続いて、秋宮へ。こちらも御柱のない社。

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 建御柱を待つ、八本の御柱。地を曳かれ、落とされ、地のエネルギーを刷り込まれたこの柱たちが、いよいよ天とつながるわけです。森に立っていた時とは違った意味で「建つ」。まさに八柱を建てるですね。

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 春一にもエネルギーが充満していました。

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 この御柱祭が終わる頃には、九州の荒魂もかなり鎮まっていることでしょう。そして、富士山の諏訪神社の大祭「火祭り」によって完全収束するものと思われます。


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2016.05.04

『飛鳥の夢』 (宮城道雄作曲・仲小路彰作詞)

 日の記事の続きで、高松宮さまと仲小路彰のことを調べておりましたら、(個人的には)衝撃の事実を発見しました。本当にビックリ!
 宮城道雄作曲としてよく知られている「飛鳥の夢」の歌詞の作者は、その世界ではずっと「不詳」とされてきましたが、なんと実際は仲小路彰の作でした。
 山田流ではありますが、いちおう箏曲をやっていた者として、この曲は何度か聴いたことはありました。比較的よく演奏される大曲ですからね。
 しかし、しかし、まさか、まさか仲小路彰の詩(和歌)に宮城道雄が作曲したものだったとは…。
 この曲は、聖徳太子1330年記念芸術祭で舞の地歌「ひじりの宮のみ前にありて」として初演されたものです。その芸術祭の主催者は高松宮様でした。のちに「飛鳥の夢」と改題。
 ちなみに邦楽・邦舞部門のほかに洋楽・洋舞部門もあり、そちらは原智恵子や團伊玖磨、芥川也寸志らが参画しており、そちらの作品もどんなものであったか、非常に興味があります。
 詩(長歌)については、当時「高松宮御撰」としか発表されていませんでしたので、知られないのも当たり前です。
 仲小路の高弟であった春日井邦夫さんの「情報と謀略(下)」494ページにある「聖徳太子1330年御忌奉讃歌」の一部が歌詞の記憶と一致して驚いた次第です。
 仲小路は同歌を山中湖の早朝の散歩の中で作ったとか。本人による作曲(朗詠)版もあるようです。本人版の楽譜は今も山中湖の山荘にあることでしょう。なんとか手に入れてみたいと思います。
 仲小路彰と宮城道雄の交流についても興味のあるところです。仲小路彰による「静物語」というアヅマカブキの音楽は、宮城道雄と原智恵子が担当したとの記録もありますから、互いにかなり深く音楽的につながっていたものと思われます。音楽家(作詞者、作曲者、演奏者、歌手、教育者)としての仲小路彰についての研究もやらねばなりませんね。
 いやあ、本当にびっくりしました。おそるべし仲小路彰。

追伸 同芸術祭については、上記「情報と謀略(下)」495ページ以降に詳しい記録がありました。

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2016.05.03

高松宮グループ(仲小路彰ら)の独自安保構想

 法記念日にちなみまして、最近入手いたしました資料を紹介します。
 ここのところご縁あって研究をしている、富士山麓山中湖に隠棲していた昭和の天才思想家「仲小路彰」。ほとんど彼の名前は世に出ていませんが、その隠然たる影響力は、政治、経済、宗教、文化などの各界に及んでいました。
 中でも歴代首相や高松宮殿下の「相談役」「指南役」であったことは、様々な資料から窺い知れることであり、そういう意味からも没後30年を過ぎた現代において、いよいよ歴史学の対象になる時機が来ていると感じます。
 表の世界、たとえばマスコミなどには、それこそほとんど名前が出てきません(本人が隠したとも言える)が、珍しく新聞の記事に彼の名前が出ていることを知りました。
 それも朝日新聞。昭和62年ですから、亡くなって3年後ですね。高松宮周辺の政策グループ「地球文化研究所」のメンバーとして、川添紫郎(浩史)や富岡定俊と並んで、「文明思想家」仲小路彰の名前が活字になっています。
 記事の内容はご覧になっていただければ分かるとおり、戦後史の一面として非常に興味深いものです。
 憲法9条改正や徴兵制の導入、自衛隊の国防軍昇格など、今でも(今日も)批判や反対の対象になっているキーワードが登場します。秦郁彦さんの解説もなかなか面白く勉強になりますね。
 それこそ、今日は様々なグループによる護憲、改憲の集会が開かれましたが、まずは戦後史を裏面まで勉強してからでないと、自分の立ち位置は決められませんね。単純な二項対立ではすまされません。

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2016.05.02

感謝! 不二草紙 本日のおススメ 12周年

Th__20160503_65150 日書きも書いたり丸12年。
 本日このブログ12歳の誕生日を迎えました。4400近い記事を情報空間に並べてきたことになります。アクセス数も500万を超えました。まさに皆さまのおかげでございます。本当にありがとうございます。
 12年もの間、1日も欠かすことなく書き続けてきた自分に「偉い!」と言ってやりたい(笑)。なんでも三日坊主、熱しやすく冷めやすいワタクシにしては、本当にありえない快挙であります。
 やはり、これは完全オープンな「ブログ」だったから成し得ることができたに違いありません。こうして他者の目、それも不特定多数の方々の温かくも厳しい目があったからこそ、ある意味立派な自己が立ち上がってきたのでありましょう。
 まさに自他不二。他力。縁起。当初はそんな意図はありませんでしたが、結果として「不二草紙」と名付けた意味が分かりました。
 12年と言えば、暦の一周でありますから、これを機にこの「難行苦行」をやめるという選択肢もありました。しかし、もうここまで来ますと、逆にこのブログに自分が生かされている気がしまして、やめたら冗談でなく死んでしまうような気さえするのであります。
 実際、この12年間は、それまでの40年間とは全く違う人生となりました。このブログを通じての出会いは無数。それも、本当に不思議なタイミングでの出会い、必然的な出会いばかりでありました。
 今はたとえばFacebookのようなSNSが花盛りで、まあ実質上「クローズド」な情報空間の中での発信が大部分になっています。
 私は12年前、まさにブログという言葉が生まれたその頃から、オープンな情報空間の可能性を信じ、間接的ではありますが実名を公開する形で発信を続けてきました。
 けっこう過激なことを書き続けてきたにもかかわらず、一度も「炎上」などすることもなく、いやそれ以前にほとんどコメントもつかない(苦笑)、まあそこそこアクセス数があるのに、誰も反応しないという不思議な空間を創り上げてきました。
 それはもしかすると私の玉虫色な言語表現、ある種の戦略や実験が成功してきたことの証左なのかもしれません。いや、それが私の人格の本質なのもかもしれませんね。
 もしかすると、こうして膨大な「言葉」を無意識的、意識的に羅列することによって、その言葉という情報自身が互いに影響しあって、全体像を構築しているのかもしれない。最近気鋭の物理学者の方とお話した、高次元空間における情報の自己整理能力、すなわち古来の日本語でいうところ「言霊」が、この三次元空間において顕れているのかもしれない…などと妄想するのであります。
 もうこうして、ほとんど義務というより、惰性というより、日々刻々の営みとしての自然な書き連ねになったこのブログは、私という存在を超えて、一つの生命体になっているとも言えるかもしれません。
 情報は「コト」です。その葉であり端が「ことば」です。すなわち、「コト」自身は3次元世界をを超えた、たとえば5次元の空間に充満しているモノです(だそうです)。その一部がこうして3次元空間に刻印されつつ、ある種の秩序を保っていく…これこそが「コトタマ」すなわち「情報の生命力」なのかもしれません。
 インターネット空間は、私たちの次元上昇(巷間言われている軽い意味ではありません)の修行の場、いや仮体験の場であるとも言えますね。
 そんなわけで、エセ坊主蘊恥庵庵主こと山口隆之は、懲りもせずこれからも駄文を紡ぎ続けることでありましょう。これは私の個人的な趣味であるとともに、人類の大いなる実験なのであります(ホントか?)。
 今後ともよろしくお願い致します。どうぞ見守っていて下さい。13年目の庵主はそれこそ回生の時を迎え、ますますパワーアップしていきます。いろいろとんでもない報告ができると思いますので、お楽しみに!


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2016.05.01

鳥海山大物忌神社

 回の秋田行はたった三日間。行くのに丸一日、帰るのに丸一日。真ん中は法事というか十年祭。
 車の運転は大好きなので、片道約10時間でも全然平気です。というより楽しい。いろいろなところに寄れますしね。
 帰りは久しぶりに本荘回りで日本海側に出たので(最近は最上川下りコースが多かった)、途中鳥海山麓を通ることができました。
 私にとって鳥海山はとにかく「恐い」。なんか分かりませんが、とにかく恐くてしかたがないのです。おそらく、そこに鎮座する「大物忌神」が恐いのでしょう。まさに「モノ」。それも「オオモノ」。「忌み」は「斎み」ですから、嫌うとか避けるという意味ではなく、畏れ祀るという感じでしょうね。よ〜く分かります。
 さて、その大物忌神、正体はまさに「モノ=何か」です。大いなる何かですので、そう、「サムシング・グレート」ということになるでしょうか。
 社伝によれば、古事記の豊受大神と同神ということになっています。すなわち、伊勢神宮外宮の信仰体系によると、それはまたすなわち天之御中主神、国常立大神と同じ神格ということになります。
 出口王仁三郎もまた、鳥海山を重視していますね。国常立の奥さん豊雲野の因縁を書き残していますし、鳥海山麓に歌碑も建てています。
 詳しくはこちらを参照してください。
 そんな大物忌神社、本宮は鳥海山頂にありまして、そこへはとても行く余裕はありませんので、里宮たる吹浦口宮に参拝してきました。そこでも充分すぎるほどの霊気、すなわち「モノ」を感じることができます。
 まずは、火山、大地の神である大物忌神さまに、九州の地震の収まらんことをお祈りしてまいりました。
 写真でどの程度伝わるか分かりませんけれども、その強力な力を感じ取ってください。ちなみに横並びに祀られているのは月山神です。いちおう月読命とされていますが、正直もっと古い感じがしますね。
 大物忌神にしても月山神にしても、のちに古事記所載の神に同定されただけであって、本来は縄文系の神(山そのもの)であったと思われます。
 そう言えば、王仁三郎は綾部に「月山不二」を築いたっけな。ふむふむ。

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