神武天皇二千六百式年祭〜宮下文書について
今日は初代天皇神武天皇が亡くなって2600年の日。
天皇皇后両陛下が、奈良県の橿原市にある神武天皇陵において「山陵の儀」に臨まれました。
2600年前って…いったい何時代なのでしょう。紀元前5世紀くらいですから、まだ弥生時代ですね。
まあ、その頃の話ですから、歴史というよりも神話の世界と言った方がいいでしょう。
没年月日はどのように決められたのか。日本書紀によると神武天皇の崩御は神武76年3月11日(ほう、311なんですね)。
神武元年元日の即位を、明治時代に計算して新暦になおして「2月11日」に定めましたので、そこから逆算して新暦4月3日としたわけです。ちなみに享年127歳(!)。
そのような事情やらなにやらをして、こんな式典には意味がないとか、神武天皇なんか実在していなかったのでは、なんて言うのは実に野暮なことであります。
神話は神話。それが事実であるかどうかではなく、そこに描かれた我が国の本質をとらえるべきです。
神話と言えば…古事記・日本書紀とは別系統の「神話」、私の住む地方、すなわち富士北麓に伝わる、いわゆる宮下文書に関する、ちょっと笑っちゃう話を紹介します。
もちろん、私は宮下文書は「物語」だと思っていますから、笑ってしまっても、だからといって、それで一笑に付すつもりはありません。本質はもっと深い(いや、浅い?)ところにあるので。
宮下文書の特徴として、記紀において神武天皇のお父さんとされるウガヤフキアエズの命が一人の人物ではなく、なんと51代にわたる王朝ということになっているのです。これはこれで面白い。同様にウガヤ朝を設定している野史はほかにもあるので、それこそ一笑に付せない。
で、それはとりあえず置いておきまして、その神武天皇に関する宮下文書の記述。というか、宮下文書原本ではなくて、その概説書として大正期に出版された、三輪義煕の「神皇紀」の記述であります。
その神武天皇の即位のところを御覧ください。
あちゃ〜、ですよねえ。即位したのが2月11日!上に書きましたように、2月11日(新暦)に定めたのは明治6年のこと。なんで、記紀より古いと言う古代文書にそれが書かれているのか(笑)。
さらに続く記述は、それこそ噴飯物です。これじゃあ、どう考えても「偽書」です。
ちなみに崩御については記紀に従った内容になっていますね。
つまり、今残っている宮下文書は、近代になってから創作された「神話」だということになりますね。
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コメント
こんにちは。興味のある記事でしたので少々コメントさせて戴きます。神皇紀は三輪義熈による宮下文書の要約・解説本です。神皇紀にはご指摘通りの2月11日の表記が確かにありますが、宮下文書その物には2月11日の表記はありません。宮下文書には神武天皇は辛酉歳1月1日に即位と表記されているのみです。(神傳富士古文献大成巻之一P.151ご参照下さい。)2月11日の表記は、明治人である三輪による発刊時の読者向けの余計な加筆解説と思われます。従って神皇紀2月11日の表記は宮下文書偽書説の根拠とはなりません。ご検討頂きたく存じます。
投稿: 天照大御神 | 2016.04.13 14:04