都留郡に天皇はいたか…
ひょんなことから面白い和歌を見つけたので紹介します。
上の写真は、盛岡市中央公民館所蔵の「碧玉集」のあるページです。「碧玉集」は冷泉政為という室町後期の公卿の歌集です。写真の版本は江戸になってから刊行されました。
上の写真の左ページの冒頭。
寄郡祝
君が代の千世の日つきの行末は鶴のこほりの民やしるらむ
これは謎の多い歌ですぞ。最も面白く現代語訳しますと、こうなります。
「帝の御代の千年に亘るお世継ぎの行く末は、都留郡の民なら知っているだろう」
なかなか刺激的ですよね。甲斐の国(山梨県)の都留郡の庶民が、なぜ天皇家の世継ぎのことを知っているというのか。もしかして…となりますよね。
宮下文書による富士高天原伝説や、こちらで紹介した更級日記の不思議な記述と合わせると、よりワクワクしますよね。
もう少し時代が下ると、南北朝時代、南朝の長慶天皇が今の富士吉田や都留に落ち延びて仙洞御所を構えたという伝承にも重なります。
冷泉政為の生きた時代を考えると、その後南朝伝承の影響が最も信憑性を持つと言えます。
と、ここまででやめると、いかにもそうした裏の歴史の傍証資料だという結論で終ってしまいますが、いちおう逆に最も面白くない解釈もしておきましょう。こういう可能性も捨て切れません。
「あなたの長寿に対する貢物の行く先は、都留郡の民なら知っているだろう」
これはどういうことかと言いますと、たとえば山田孝雄の労作「君が代の歴史」にもあるように、もともと「君が代(世)」という言葉は、単純に相手の長寿を賀する時の慣用句であって、特に「千代(千世)」という言葉とよく一緒に用いられるものでした。
相手の長寿を祈る、寿ぐというのは、現代の感覚よりももっと普通であって、ある意味挨拶のように交わされていた習慣のようです。
そして、さらに付け加えるべきことがあります。「つる(都留)」の郡は、古来「鶴」という吉字にかけて、縁起の良い土地名として有名でした。鶴は千年亀は万年と今でも言うように、「鶴」自体が長寿の縁起の良い鳥とされていたわけです。
ですから、この歌の前にも、かなり多くの「きみがよ」「ちよ」「つる」を含んだ歌が詠まれていますし、この政為の歌も当然それらを下敷きにしたものです。
なにしろ「郡」と言ったら、まずは「鶴の郡(都留郡)」だったのですから。現代の都留人が想像する以上に、ある意味この辺鄙な土地は有名だったのです。
もちろん、往時の「つる」がどこにあたるかという問題もありますし、富士山という中央(関西方面)からすると実に微妙なシンボルがあったことも影響していることでしょう。
「日つぎ」というのも微妙です。「日嗣ぎ」ととらえると、まさにお世継ぎになりますが、「日次」だと、日々の貢物ということになります。どちらとも取れるような漢字仮名遣いをしているわけですね。
ちなみに「つる」に関わる和歌では「みつぎ」や「めぐみ」と言う単語が使われることがあり、それらはやはり貢物という意味になりますので、ますます微妙になってきますね。
というわけで、どちらの解釈が好きか、それは皆さんにおまかせします。もちろん私は前者を推します(笑)。
都留郡にかつて天皇がいたのか…これからもいろいろ調べてみます。
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