御柱祭木落し
一昨年、私もご縁をいただき、富士山代表として参加させていただいた諏訪大社御柱祭の「本見立て」。その時も書きましたとおり、御柱祭、まさに命がけの7年間の一つのクライマックスである「木落し」が行われ、私たちが見立てた「春宮一之御柱」も見事に落とされました。
本当にありがたいことに、今年は地元岡谷の友人のご厚意により、再び「春一」と出会うことができました。そして、その春一の立派な木落しを生で観ることができました。
もう言葉はありません。一言で言うなら「馬鹿」。命がけの馬鹿。もちろん、最高の賛辞としての「馬鹿」。理屈ではありません。理屈や個人を超えた「真理」すなわち「神」がそこに存在しました。
予定より2時間半遅れての木落し。縄文より続く御柱祭の4000年の歴史からすれば、そんなちっぽけな時間は塵にも及びません。
しかし、人間としては、やはり待ちに待った、溜めに溜めた末の数秒間。だからこそ、近代的な時間なんてものは、いったいなんなんだろうかと思われる。
なんか、男性的すぎましたね。木落し坂の突端に御柱がニョキっと現れた瞬間や、あの溜めに溜めての一瞬の放出や、その後ある種の空しさなど(笑)、これは男にしか分からない世界、すなわち本来の「荒魂(あらみたま)」なのだなと思いました。
あの場、あの空間、ベースにあるのは、実に穏やかな「和魂(にぎみたま)」です。そこに7年(6年)に一度招来される「荒魂」。出雲の「荒魂」です。
古来、日本人はその、和魂と荒魂のバランスの重要性を、それこそ言葉でなく分かっていたのでしょう。そして、今も分かっている。だから、こんな「馬鹿」な祭が続いているのです。
う〜ん、いろいろ語りたいこともあったのですが、言葉にすると実に野暮になってしまう。語らないのが粋なのでしょう。
それにしても、あの「進軍ラッパ」はいつからのものなのでしょうね。そのある種「いいかげんさ」もすごいなと思いました。西洋楽器も近代の歴史もあの戦争をも呑み込んでしまう「縄文」の懐の深さ…と言うべきでしょうか。
一昨年お世話になった春宮前の「萬治亭」ご主人萬治友美さんは、今年の御柱祭を前に亡くなってしまいました。無念だったことでしょう。しかし、萬治さん自体が「祭」だったわけで、たとえ今生の命が尽きても、その魂は御柱祭同様に永遠に受け継がれていくことでしょう。
| 固定リンク
「ニュース」カテゴリの記事
- 追悼 大宮エリーさん(2025.04.28)
- 福知山線脱線事故から20年(2025.04.24)
- YMOと仲小路彰(2025.03.13)
- 日向灘M7.1発生〜南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)(2024.08.08)
- オリンピックは◯◯の◯◯である!?(2024.08.07)
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 能『杜若』(2025.05.01)
- 『だっこがしたい足くん』 そうた (Clover出版)(2025.04.29)
- 追悼 大宮エリーさん(2025.04.28)
- 国語便覧(第一学習社)(2025.04.25)
- 食と五感(2025.04.16)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 能『杜若』(2025.05.01)
- 嵯峨野トロッコ列車(2025.04.30)
- 『だっこがしたい足くん』 そうた (Clover出版)(2025.04.29)
- 「超々広角」星空観賞用双眼鏡 Super WideBino36(笠井トレーディング)(2025.04.27)
- 福知山線脱線事故から20年(2025.04.24)
「歴史・宗教」カテゴリの記事
- 能『杜若』(2025.05.01)
- 国語便覧(第一学習社)(2025.04.25)
- 近鉄特急(2025.04.20)
- 伊勢の外宮に思う(2025.04.19)
- 家康公遺言(岡崎城)(2025.04.18)
コメント