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2016.04.30

十年祭

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 日は秋田にて義祖父の十年祭が行なわれました。
 何度か書いてきましたとおり、カミさんの生まれ故郷は、土方巽と細江英公が最果ての山奥だと思ったその部落から、さらに峠を一つ越えたところにあります。
 その「最果ての部落」には曹洞宗のお寺がありますが、カミさんの故郷には仏教は伝来していません(笑)。いや、まじで。ほとんど家が神道です。
 私にとっては非常に興味深い「祭」が執り行われます。10年前の神葬祭については、次の記事をご覧ください。

『命(ミコト)』

長老の「シゴト」「モノガタリ」

 一年祭についてはこちら。

神々のネットワークその1(祖父の一年祭)

 私も忘れていたので、上の記事でいろいろ復習しました。
 私の住んでいる山梨県の富士北麓地方にも、仏式でなく神葬祭や祖霊祭を行なう地域がいくつかあります。とはいえ、どこもお寺があって、仏教文化もしっかり根付いています。その点、カミさんの生まれ故郷は神社しかありません。とはいえ、なぜか盆棚を作ったり、峠を越えて風習だけは伝わっています。信仰ではなくて風習。習合しているわけですね。
 今回は十年祭ということで、これで一つの区切りとなりました。10年前に比べますと、私の秋田弁リスニング能力もかなり上がったのが、親戚の皆さんの会話の中に自然に入れていただけました。
 まあ、だいぶ飲んでいたので、半分以上はテキトーな返事をしていたと思いますが(笑)。
 しかし、最後に驚いたというか笑ったのは、その最果ての部落のお寺の住職にスカウトされたことです。いや、私は僧侶じゃないって(笑)。何度もそう言ったのですが、皆さんは大真面目に「お願いします」と。
 さあて、どうしようかな(笑)。

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2016.04.29

白井晟一作品 『旧雄勝町役場』

Th_sekkei 和の日。義祖父の十年祭のために秋田に来ております。
 昭和の日にちなみまして、カミさんの実家への道すがら、間もなく消えようとしている昭和の残影を見に行ってきました。
 白井晟一。昭和の日本を代表する「哲学的建築家」であります。彼は秋田に疎開し、その全近代的な土地に、超未来的な建築を多数残しました。そのバランスというかアンバランスが実に面白い。
 今までもこのブログで秋田の白井作品を何度か取り上げてきました。

酒造会館・試作小住宅

稲住温泉

奥田酒造店

 また、文筆家としても優れていた白井晟一の秋田に関する文章も紹介したことがあります。

おもいで

 上掲の最初の記事でちょこっと紹介した「旧雄勝町役場」が、この秋にも取り壊されるというニュースか飛び込んできたのは今月のはじめ。
 なんとか後世に残したいと思いつつも、建築後60年も経ってしまったので、やむを得ないかなというのもまた実感であります。建築という作品はそういう運命にあります。
 もちろん法隆寺のような例もあるわけですが、なんとも皮肉なもので、近代建築ほど長持ちしない。堅牢なはずのコンクリート物件が、耐震性を理由に取り壊される例があとをたちません。
 この旧雄勝町役場は、60年の歴史の中でかなり改装され、ほとんど原型を保っていないと言われていますが、それでも、白井らしい丸い穴の並んだバルコニーの意匠や、螺旋階段の手すりの曲線などに、その面影は充分残っていると言えます。
 今回は中にも入らせてもらいました。ニュースのあと、全国から見学者が来ているとのことでした。では、撮影してきた写真を御覧ください。

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2016.04.28

MOJIZO(木簡・くずし字解読システム)…そして

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 文書の崩し字、あなたも読めます 画像から似た字検索
 ようやく、こういうシステムが登場したかという感じ。ずいぶん前から早くできないかなあと思っていましたし、いろんな人に早く作ってよと言ってきたんです。
 まあ、私が望む、文脈も加味して一瞬で1ページ分活字体に直しちゃう!というのには程遠いけれども、最初の一歩ということで。
 実際、これだけでもずいぶん便利になりましたよ。
 私もずいぶん古文書を読む練習をしてきましたが、どうも長続きしないというか、どんどん忘れちゃう。くずし字字典で探すのも一苦労。
 幸いに、私が対面しているアヤシイ地方文書群は、とりあえず近代の産物のようなので、ほとんど崩されていません。だから直接読める。ちょっとだけ変体仮名を覚えればいい程度。
 しかし、一般に古文書、特に近世地方文書となると、たいがいがくずし字のオンパレードで、一部の好事家…なんて言うと失礼ですね、真面目な研究者、奇特な郷土史研究家のおじいちゃまくらいしか、スラスラとは読めない。
 しかし、昔の人は読んで書いていたわけですから、つまりは記号としてかなりの一般性というか、規則性を持っていたわけで、それは現代の人よりも、現代の機械(コンピュータ)の方が得意分野なはずです。
 そう思っていたので、上記の要望をその道の専門家の方に陳情していたわけです。
 さてさて、上の画像は、さっそく「酒」というくずし字を読み込ませてみた結果です。
 お〜!ちゃんと「酒」が第一位に表示されている。それも平城宮の木簡ですか(笑)。そこまで行かなくてもいいのに。
 要は、くずし字字典に載っているサンプルをデータ化して…と思ったら、スミマセン、実はもうちゃんと開発されていましたね。今知りました(笑)。さすが凸版印刷さん。

「凸版印刷、江戸期以前のくずし字を高精度でテキストデータ化する新方式OCR技術を開発
~江戸期以前のくずし字が80%以上の精度でOCR処理可能に~」

 これですよ。私が望んでいたのは。8割の判別成功率か。まあまあでしょうね。文脈までは加味されていないようですから、まだまだこれから進化する余地はあると思います。
 どんな分野もそうですが、こうしてAIが進歩しますと、それこそ好事家さんや奇特なおじいちゃまたちは絶滅してしまうのでしょうかね。

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2016.04.27

『Last Train Home』   Pat Metheny Group

 ぜだか、最近この曲をヘビーローテーションしています。昔から知っていた曲ですが、どういうわけでしょうか。
 とにかく今の気持ちにぴったりなのです。郷愁…なのでしょうか。
 あと、いちおう音楽をやる人間として、一度やってみたい曲です。アドリブで。これはなんかできそうな気がする(笑)。
 

 こういうアメリカのフォークソング的なメロディ、音階というのは、なんとも懐かしい感じがしますよね。それをこういうふうにオシャレにカッコよく仕上げたパット・メセニーは、やっぱり天才ですね。
 ライヴ・ヴァージョンも観てみましょうか。

 そう、去年でしたか、アニメ「ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース エジプト編」のエンディングテーマとして突然使われて、日本でも注目を浴びましたっけ。なるほど意外だけれどセンスの良い選曲でした。
 さて、この曲をどういう編成で誰とやろうかなっと。ちょっとした構想はあります。楽しみだなあ。
 あっ、この「東京」ソロ版もいいですね!

 それからJason Vieuxの編曲によるバロック・前奏曲風ソロ・ヴァージョンも大好きです。生まれ変わったら、こういうの弾きたいなあ、ギターで。

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2016.04.26

『お定恨み節』 戸川昌子

 川昌子さんがお亡くなりになりました。
 息子のNEROさんとともに、昭和のキャバレー文化を現在まで守ってきた女神の昇天。残念でなりません。
 昭和のキャバレー文化は、サロン文化と平行しつつ、時々互いに交わりながら、時代を紡いできました。
 退廃的な優雅さ、ゴージャスなチープさと言った、人間の表裏を、酒と煙草と女を表象にして、表現し続けてきた…そんな昭和の物語が遠い神話の世界になってしまいました。
 多くの昭和の男たちが、戸川昌子の女の魔性に絡め取られ、小説や音楽や芝居といった「子」を生み続けました。そういう男に子を生ませる女もいなくなっちゃいましたよね。
 私は戸川さんの文章や音楽にそれほど触れてきた人間ではありませんが、この「お定恨み節」は忘れられませんね。
 初めて聴いたのは、大学の時。受験に敗れた負け犬が、田舎の文学部という格好の場所を与えられ、そう、時代はもう軽くて薄っぺらなバブルに向かおうかという時、昭和の残滓にすがることによって、せめて世間に流されまいと抵抗したのでしょうね。妙に気分にぴったりだった記憶があります。
 この曲、言うまでもなく、題材は「阿部定」です。歌詞を読めば分かりますよね。
 1975年発表のアルバム「インモラル物語」に収録されています。このアルバム、この曲だけでなく全体にかなり過激。猥雑なパワーに満ちあふれています。
 よく分かりませんが、おそらく前年にフランスで製作公開された過激な(ある意味古代的な)変態映画「インモラル物語」にインスパイアされたのでしょう。
 というか、フランス(舞台は東欧)に負けないぞ、日本はもっと変態だぞ、という意気込みで作られたような気がしますね、このアルバム。すごい時代でした。
 最近では、息子さんのNEROさんが、お母様のお仕事をしっかり継いで、素晴らしい活動をなさっているとのこと。ロックからシャンソンへ。ぜひ頑張ってもらいたいものです。
 紀元節の二人のトークがすごい。赤塚不二夫さんも神ですよね。

 NEROさんの歌声もどうぞ。


 

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2016.04.25

『まんがで楽しむ能の名曲七〇番』 村 尚也 (著), よこうち まさかず (イラスト) (檜書店)

Th_81h7ryfdzl 日は大変なことがありました。いいことと言えばいいことですが、恐ろしいこととも言えます。とんでもない人生になったなと。地球の未来に責任重大であります。
 いろいろな「モノ」と「コト」を提示された中に、ある「創作能」の台本がありました。今は忘れられている昭和の作品です。こういうものを現代に蘇らせなければならない。楽しみですが大変だろうなあ。
 さて、今日は能に関する良書を一冊。
 プロの能楽師になった教え子のおススメがこれ。
 彼女には我が校で「能」の授業、および「能楽部」の顧問を担当してもらっています。
 能の面白さ、私もようやくこの歳になって、そして、教え子に教えられてようやく分かってきました。もっと早くその面白さを知っていればなあと思います。
 なるほどね、難解なものを「マンガ」で表現するというのは、たしかに日本の伝統芸の一つですね。
 で、実際読んでみると、なるほど面白い。今まで観た番組も、今さらながら「そうだったのか…」と分かる次第(笑)。
 よくぞ全て4ページでまとめたものだなと。それぞれの本質を理解していないと、ここまで上手にまとめられませんね。
 ある意味ストーリーのまんまではないため、実際に観てみたくなるのも、なかなか上手なしかけだなと思いました。
 これから能に親しもうという方にも、また、それなりに詳しい方にも楽しめる内容です。
 冒頭の導入やそれぞれの解説も素晴らしい。特に冒頭の「ムラ流 能を自由に見るコツ」はいいですね。私も気が楽になりました(笑)。
 もともと、能は「マンガ」的「アニメ」的であるとも言えます。クライマックスで「止め絵」が使われるなんてのは、まさにアニメ的ですよ。ストーリーもぶっとんでいるし、題材からしてマンガ的。
 そんな、日本文化の一つのラインを確認しながら楽しむのもありではないでしょうか。

Amazon まんがで楽しむ能の名曲七〇番


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2016.04.24

放射能とワクチン 不安に寄り添う怪しげな「支援者」

Th_41obuz6hwql_sx338_bo1204203200_ 白い記事があったので紹介します。
 私の周りにもいる「なんでも反対派」。不安を意識化して他者と共有し、仮想敵(それも強大な)を設定して、それと健気に闘う自分を演出する。不安を怒りに変換して自己満足しているようにしか見えない…なんて書くと、ご本人たちは更に激高し、私をさえ陰謀の片棒をかつぐ敵と認識して「陰で」攻撃を始めるでしょうね。
 と、そんな「なんでも反対派」というか、「なんでも不安派」の代表について、社会学的に考察し批判したこの記事は面白かった。
 宗教の誕生やカルト団体、原理主義団体の誕生を見るようですね。
 子宮頸がんワクチンに関しては、ここに書かれていること以外の「陰謀」はあるとは思っているので、完全に同意できませんが、放射能に関してはほぼ同意できます。
 昨日もその道の専門家からお話をうかがいました。やはりちゃんと勉強しないと本質は分かりませんね。分からない「モノ」を恐れる、あるいは畏れるというのは、もちろん人間としての正しい感情ですけれども、分かることを分からないままにしておいたり、分かりやすい情報を鵜呑みにして分かった気になっているのは罪です。
 私の周囲の「なんでも反対派」や「陰謀嫌い(つまり陰謀論大好き)派」の皆さん、なんだか精神的になんだかとっても不健康に見えます。
 私たちが本当に闘うべき相手は誰なのか(もちろんそれが自分であったりすることが多いのですが)、ちゃんと考え、勉強していかなければなりません。
 私が怒りを覚えるとすれば、そうした「弱者」に群がって利益を得ている偽善者たちに対してです。
 では、お読み下さい。本当はそういう人たちにこそ読んでいただきたい。しかし、そういう人たちはもう「フタ」をしてしまっているので、まあ読まないでしょうね。読んだとしても、これこそ陰謀だとか、騙されているとか言い出しそうです。

放射能とワクチン 不安に寄り添う怪しげな「支援者」(前編)

放射能とワクチン 不安に寄り添う怪しげな「支援者」(後編)

Amazon はじめての福島学

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2016.04.23

情報化とは何か

Furoku

 日から今日にかけて若き物理学者と語らいました。非常に面白い発見が多数あり興奮しました。
 宇宙、素粒子、経済、宗教…本当に多様な話をしたわけですが、特に印象に残り腑に落ちたのは「情報」についてです。
 まだまだ詳しくは書けませんけれども、とりあえず私たちは今、修行、訓練の場にいることはたしかです。
 ここ3次元の世界は、私たち人類にとってはまさに修行の場であります。
 私たちはこれまで、特に科学を通じて、3次元における物質の性質を発見、理解し、それをコントロールして、様々な「整理」を行なってきました。
 それは基本的に物質自身に整理する(整理される)力(相互作用)があるからです。身の回りの風景、たとえば都市を見ると、混沌を見事に整理してきた歴史を見ることができますし、それ以前に自然界の様々な現象を見ると、自然自体にも整理能力があることが分かります。
 今、この3次元世界もどんどん抽象化、情報化が進んでいます。物質を離れつつある。
 経済(貨幣)もそうですし、こうしたインターネットのようなサイバー空間もそう、子どもたちの遊びも情報化していますし、マイナンバーなどの社会システム、選挙に象徴されるように政治の世界もまた情報化しています。
 物質文明に慣れてきた私たちは、そこに違和感や危険を感じもしますが、一方でその利便性に流される、いや取り込まれているのも事実です。
 つまり、私たちの意識や行動自体が情報化していっているわけです。
 しかし、はたして、かつて私たちが物質の性質をある程度理解していたように、情報の性質についてどれほど知っているでしょうか。
 といいますか、最先端の物理学の世界においても、高次元宇宙に存在する情報の性質はいまだ解明されていない。
 だいたいが、ここは3次元であり、たとえばインターネットもあくまで3次元の物理的なデバイス上での情報のやりとりであるので、その情報の半分は3次元的な振る舞いをしてしまう。
 結果として、ネットはカオスです。玉石混交。それをせいぜい、ネトウヨとネトサヨのような二元論的な対立構図でしか整理できない。私たちの祖先が、原始に自然界の物を整理しはじめた時のように。
 まさに修行、訓練は始まったばかりなのです。
 高次元の情報の性質を知り、それをコントロールできるようになると、私たち人類の抱える様々な問題は解決します。
 私たちは「意識」を持つがゆえに、実はその情報の世界にアクセスすることができます。脳はある意味、高次元にアクセスするデバイスなのです。肉体は3次元にとらわれますが、意識は時空を超えることができますよね。
 私たちは、実は日常的に、情報の相互作用(自己整理能力)を体感しています。あの人とは気が合うとか、シンクロニシティとか、感化とか、引き寄せとか。
 そう考えると、まさに人類は歴史的折り返し地点に立っているのではないか、というのが私たちの結論でした。
 そして、その折り返し地点には、鏡がある。私たちの未来は実は原点に帰ること。さまざまな分裂、分析、対立が、再び統合、融合されていく。ビッグバンの前の状態を発見するがごとく。あるいは神話(記紀)を後ろから読んでいくように。
 たとえば原子力の問題にしても、核分裂から核融合へ。これは実に象徴的です。
 先ほど書いたように、私たちは未知の領域に対面すると、最初、違和感や危機感を抱きます。相手を敵と見なします。そこから修行は始まります。原子力に対する反発、あるいは様々なシステムのオンライン化に対する忌避感情というのは、そういうものなのかもしれません。
 それをどう乗り越えるか。私たち人類に課せられた試練であり、天命であると思います。
 ちなみに私はこういう世界観、宇宙観を「モノ・コト論」で解釈しています。いかにも文科系な発想ですが、古い日本語にはある種の科学性があると思っているからです。さすが優秀な物理学者はそれを完全に理解してくれました。理系と文系もこうして自然に融合できるのだなと、実に嬉しかった次第です。

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2016.04.22

告知! 5/28 「バッハのチェンバロ協奏曲」 in 横浜

 例の横浜開港記念会館でのコンサート。今年は「バッハのチェンバロ協奏曲」を中心に、なかなか重厚なプログラム。
 素晴らしいお二人のチェンバリストの競演も実にゴージャスですし、世界初演(?)となるオリジナル復元版の演奏もあり、私も興味津々。明日東京で練習があるのですが、とっても楽しみです。
 私も3曲お手伝いさせていただきます。プログラムでは「ヴァイオリン・ヴィオラ」となっておりますが、実際には5弦ヴィオラ1台で両方を兼ねさせていただきます(スミマセン)。
 エマヌエル・バッハの協奏曲もいいですねえ。お父さんとの対比は本当に面白い。息子の親父に対する反抗?
 ぜひ、ご来場くださいませ。お待ちしております。

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山手バロッコ公式

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2016.04.21

地震予知はムダなのか?

Th_trimmed_smiling_apr2011 大のロバート・ゲラーさんの意見が「地震予知はムダ。いますぐやめたほうがいい」東大地球物理学者の警告という記事で紹介されていました。
 ゲラーさんの考え方については311のあとすぐに書きました。ゲラーさんの論文も読むことができます。

地震予知はどうあるべきか

 地震予知はたしかに難しいし、ハザードマップは「油断」を生むこともたしかです。その点に関しては、ゲラーさんと同意見です。
 ただ、「やめたほうがいい」のは科学者による科学的な予知であって、もう少し緩い「予測」「予報」はあってもいいと思います。
 それについての私の考え方は11年前に書いたとおりです。

地震お見舞い&提案

 311以降、私はラドン濃度を計測しはじめ、また、体感についても自分なりに分析してきました。それについては、以下の記事をお読み下さい。

富士山ラドン濃度と全国の地震の関係について

雛型体感と地震予測

 2011年にも今回の熊本地震と同じ位置で大きな地震が起きていたんですね。そういう意味では、今回の熊本地震は311の誘発地震だとも言えます。
 もう一つ昔の記事を。私の予測は外れています。そして、東大地震研の纐纈さんの「敗北宣言」が重い。

房総沖大地震はいつ起きるか?

 地震予知はムダ…あくまで現状ではムダということで、様々な挑戦を全てやめろという意味ではないと思います。私は私なりに自分の方法を磨いていきたい。
 

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2016.04.20

トイレットペーパーの幅はなぜ114mmなのか?

Th_210858_8715 本地震の被災地ではきっとトイレットペーパーも不足していることでしょう。それ以前にトイレが不足しているのではないでしょうか。
 そんな時にこんな話題もなんですが、皆さん、トイレットペーパーの幅が何ミリかご存知ですか。パッケージで目にすることも多いので、覚えていらっしゃる方もいることでしょう。そう、114ミリです。
 あの幅についてどう思いますか?ちょっと広すぎるような気もしないでもない。実際、ヨーロッパやアジアの諸外国では100ミリ程度のところが多いようです。
 なぜ日本では114ミリという中途半端な数字なのか(JIS規格です)。
 その前に、私の中での「114ミリ」は、トイレットペーパーよりも先に、天体望遠鏡と大砲です。
 特に反射望遠鏡の口径、すなわち鏡の直径としての「114mm」には特殊な感情を持っています。ちょっと説明しにくいのですが、あまり好きではないというか(笑)。
 というのは、昭和の天体望遠鏡ブームの頃、日本では反射望遠鏡と言えば、100mmと114mmが少年たちの実際的な憧れの対象でした。
 私はミザール(日野金属産業)の名機H-100を買ったので、おそらく他のメーカーの114mmに対して、14ミリのコンプレックスを持っていたのでしょうかね。今思えば、その見え味に大差はないはずですが(高度経済成長期の東京でしたし)、やはり、カタログデータばかり眺めるような年頃でしたから、数字には敏感だったのでしょう。
 では、なぜ中途半端な114ミリなんていう口径だったのか。それが分かったのは、少しあとのこと、中学生になった頃でしたでしょうか。
 アメリカやイギリスのカノン砲や艦砲に、「4.5インチ砲」というのがいくつかあるんですね。それが114ミリ。そこで初めて、114ミリが4.5インチであることを知ったわけです。
 で、実はトイレットペーパーも戦後米軍のために国内生産されるようになって、その時に当然アメリカの機械を導入したので、4,5インチになった。日本ではインチはあまりなじみがないので、結局114ミリという中途半端な数字がJIS規格になったというわけです。
 私が、ちょっと幅広すぎるなと思ったのは、それがアメリカンサイズだったからでしょうか。
 日本でも、資源の節約の意味も含めまして、最近は幅狭なペーパーも出始めているとか。
 あと、検索して分かったんですが、アイスの棒も114ミリなんですね(笑)。これもまたアメリカ文化でしょうか。
 それから、逆に日本でも114ミリとは言わないで4.5インチという表現を使うモノとして、たとえばスマホのディスプレイがありますね。とは言え、巨大化する(アメリカ化する?)スマホ界においては、もう対角線114ミリの画面を持ったスマホなんてもうありませんね(苦笑)。


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2016.04.19

BEHRINGER(ベリンガー)格安ヘッドフォン HPM1000

Th_617nqnpn8xl_sl1000_ ちゃくちゃ安いヘッドフォンを娘のために買ってやりました。いちおうBEHRINGERなので、「プロ用の高級品だぞ」と言ってあります(笑)。
 Amazonで1,274円でした。ありえない安さですよね〜。ところがけっこう使えるのでビックリしているところです。
 まず、なぜこれを買ってやったかと言いますと…、高校二年になる上の娘は、ジャズバンド部でベースを担当していまして、今、まさに「高二病」という感じで、自分はどこまでも上手くなると信じこんでおり(私も高2の時はそうでした)、まあ明けても暮れても練習ばかりしているわけです。
 寝る間を惜しんで、あるいは寝食忘れてというのはこのことかという感じで、たとえば私が寝てからとか、朝5時に起きてとか、ブンブン練習するわけですよ。
 さすがにうるさいし近所迷惑(近所いませんが)。というわけで、アンプにヘッドフォンをさしてやりなさいと。アンプには外部入力もあるから、ミキシングされた音が聞こえるぞと。
 さっそくやってみましたら、本人も大変気に入ったようです。密閉型のヘッドフォンならではの解像度と、安物ならではの必要最低限の重低音で、練習にはちょうどいいのです。
 音楽全体を聴くには全然物足りない音質ですが、ベースの音をピックアップして聴くには、ほとんど偶然ですが、なかなかいい感じなのです。
 レビューにも誰か書いていましたね、あまりにリアルサウンド…いやウルトラリアルだと、けっこう疲れるんです。適当にモヤがかかっているくらいが疲れない。そういうのもあります。
 それからそれから、アンプのヘッドフォン・ジャックは6.3mm、いわゆる標準サイズじゃないですか。最近のヘッドフォン、イヤフォンはミニプラグばかりで、変換プラグだけでも500円くらいしてしまう。
 この製品にはちゃんと変換プラグがついてきますし、プラグ自体L字タイプなので、なんとなく特別感がある(笑)。なんとなくスタジオ用っていう感じが出ますね。
 というわけで、安い割には作りも悪くなく、装着感も案外良い。これはいい買い物でした。あとは耐久性です。ウチの娘は物を壊す天才なので、ちょっと心配です。

Amazon BEHRINGER HPM1000

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2016.04.18

阿蘇・宇佐・伊勢…

Th__20160419_121753 本、大分の地震の被害に遭われた方に、心よりお見舞いを申し上げます。
 おとといの記事にも少し書きましたが、今回の地震は中央構造線の西端で発生したものと考えると、今まさに御柱祭が行われている諏訪大社と関係しているとも言えます。
 ご存知のとおり、諏訪は中央構造線と糸魚川静岡構造線の交点にあたる特別な場所です。
 パワースポットという言葉はあまり好きではありませんが、たしかに中央構造線上には重要な神社仏閣があります。
 地震が発生したり、火山が噴火したり、あるいは地殻の圧力によるプラズマ現象が発生したりと、古の日本人にとって、たしかにそこは「神」を感じる場であったのでしょう。
 私の専門である日本語学(国語学)的な見地からも面白いことが分かります。
 今回地震が相次いでいる熊本の「阿蘇」、そしてその北東に位置し、次第に地震が増えつつある大分の「宇佐」、そこからだいぶ東に構造線をたどりますと、「伊勢」神宮に到達します。
 たとえばこの「阿蘇」「宇佐」「伊勢」という地名には共通点があります。「アソ」「ウサ」「イセ」、あるいは「aso」「usa」「ise」と標記すると分かりやすいでしょうか。
 そうです。「ア行音」+「サ行音」の2音節で構成されているんですね。違う言い方をすると「母音」+「サ行音」ということになります。これは偶然ではないでしょう。
 古代人がこの音の並びに、どのような言霊を感じていたかは判然としませんが、たしかに「母音」は特別な音であるのはもちろん、「サ行音」は「ス」を中心とする特別な子音であるとも言えます。「ス」の重要性についてはお分かりの方はお分かりでしょう。
 さらに面白いのは、「母音」+「タ行音」との関係です。たとえば伊勢の東に構造線をたどると、「渥美半島」があります。「アツミ」です。同じ「アツミ」でも、新潟の温海温泉、それから漢字的には「アツミ」である「熱海」も温泉地、すなわち大地の活動が活発なところですね。
 ちなみに、古代の日本語では、「サ行音」と「タ行音」の混同が起きていたと想像されます。特に東西の方言においては。江戸っ子でさえ、「おとうさん」が「おとっつぁん」になったり、「まっすぐ」が「まっつぐ」になったりしますからね。
 そうしますと、さらに発展させることができます(行き過ぎとも言えますが)。
 たとえば、「出雲(イヅモ)」「伊豆(イヅ)」「江戸(えど)」「蝦夷(えぞ)」、あるいは「安曇(アズミ)」、富士山麓の「明見(アスミ)」、「吾妻(アヅマ)」などにもつながってきます。「浅間(アサマ)」もです。
 そう、「母音+サ行・ザ行・タ行・ダ行音+マ行音」という3音節のグループも現れてきますね。
 我が富士山北麓地方の「明見(アスミ)」には「阿祖山(アソヤマ)太神宮」という神社があります。「アスミ」の語源が、「阿曽海(アソウミ)」という言い伝えもあります。

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2016.04.17

『叛乱』 (佐分利信監督作品)

Th_71ptuo0ckml_sl1063_ 日夫婦で鑑賞いたしました。いくつか二・二六事件に関する映画を観てきましたが、今までで一番いい作品だと思いました。
 ある意味淡々と歴史的な事実に則ってストーリーが展開していきます。最初と最後が処刑のシーンであって、中身のほとんどは回想シーンであるとも言えますが。
 昭和29年の作品。佐分利信が監督ということになっていますが、途中佐分利は病に倒れ、彼を補佐した複数の人間の監督代行によって完成しました。
 しかし、面白いもので、全体としては佐分利信らしい重厚な印象を与える出来になっており、不自然な感じは全くしません。
 二・二六事件自体が、数日のうちになんともテンションの下がる展開になっていくため、物語としても緊張感を持続するのが難しい。その点、この映画はよく頑張ったと思います。
 そう、そのなんとも言えないテンションの下がり方にこそ、この事件の悲劇があり、ある意味では、そのテンションが最低に落ちるのが、まさに処刑のシーンという言い方もできるわけで、これがたとえば西洋での事件だとすると、こうして作品化されるようなことはなく、単なるクーデター大失敗事件として記憶されるだけになったことでしょう。
 もちろん、そうした見方に異論のある方もいらっしゃるでしょうけれども、昨年から「直接的」にこの事件に関わることになった私たち夫婦からしますと、まさにその「え〜」というテンションを思いっきり下げてしまう運命の不随意性こそが、日本的な「もののあはれ」であり、救いようのない切なさという魅力そのものになっていると感じるのです。
 正直、そうした運命に翻弄されたご本人たちの魂は…それは加害者、被害者という区別を超えてですが…、事件から80年経った今でも、その「未来的な意味」が掴めないまま、この現代に浮遊してしまっているのです。
 この映画では、主役と言っていい安藤輝三を演じている細川俊夫がGJです。まさにそうした浮遊の運命を予感させる安藤の苦悩。その予感は的中してしまったわけですよね。それを淡々と表現しています。
 他の青年将校とは違い、非常に聡明かつ冷静、そして直観力や愛に溢れた安藤輝三は、たしかにこうして苦悩したのでしょう。そして、自害にも失敗してしまう。辛いですね。
 今年の7月12日、そんな安藤らが処刑されてからちょうど80年になります。その日にいったい何が起きるのか。なんとか彼らの「浮遊」を終わりにしてさしあげたいものです。

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2016.04.16

熊本でM7.3

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 たってほしくない予想が当たってしまいました。被災された皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
 最大震度は6強と発表されましたが、マグニチュードは「前震」よりも一段階大きく、また揺れの範囲も遠く東北南部まで及びましたので、実質的には震度7の揺れに襲われた地域もあったものと思われます。
 当たってしまったのは、一昨日の記事熊本で震度7にも載せました次のツイート。

これだけ大きな揺れの地震が起きると余震に意識が集中しがちですが、3.11の前の3.9のように結果として「前震」だったということもあるので、今後(数日〜数十年のスパンで)九州全域で万全の注意が必要です(明治熊本地震の10年後日向灘M7.1、20年後宮崎県西部M7.6)。

 決して「予知」したとか、そういうことではなく、経験に基づいた注意喚起のつもりでした。やはり、この「前震」と「本震」のことは3.11の最大の教訓だったのです。
 もちろん同じような考えで備えていた方もいると思いますが、気象庁や地震学者はこのようなコメントは出していませんでした。立場上仕方がないのでしょうか。
 私は、3.11において、3,9を「前震」と思えなかったことを悔いて涙した纐纈さんのことを忘れることができません。学者としてなんとも無念だったのでしょう。
 私は学者でも予言者でもないので、あくまでも経験と直観でものが言えます。たとえばそれがはずれて批判されても気にしなくていい立場です。ですから、今回も自然に上のようなツイートができたわけです。
 「近代科学」は素晴らしい。しかし、その論理の厳密さ、自己や他者に対する厳しさにより、非常に不自由な世界にもなっている。
 そんな思いもあって、私は、「本震」のあと、あえて次のようなツイートをしました。

科学から離れた話ですが…阿蘇と諏訪、富士山はつながっています。とりあえず諏訪の御柱祭、富士吉田の火祭りが終わるまで落ち着かないでしょう…というか、大昔の人たちはある意味科学的な感覚で大断層や火山の周辺に「荒魂」を鎮める神社を配置したのでしょう。

 今回の群発地震が一日も早く収束することを祈ります。

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2016.04.15

ダイナミック通販 『聖ナサホ師の宝玉』

 本の地震が大変なことになっています。詳しくは明日あたりにまた書きます。
 全然関係ありませんが、岡本夏生さんがテレビ引退との報道がありました。今日はそれにちなんで、岡本さん出演の「ダイナミック通販」の名作(?)を紹介します。
 岡本さん、私と同世代で同郷、実家は近所のようです(笑)。ですから、一線を退くのはちょっと寂しい。とんでるキャラがけっこう好きだったんですけどね。
 このダイナミック通販でも地味にいい味出してますよ。では、お楽しみ下さい。峰竜太さんもねえ…。
 

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2016.04.14

熊本で震度7

Th_afr1604150006p3 ずは被災された方々にお見舞い申し上げます。大きめの余震が続いていますので、今度ともどうぞお気をつけ下さい。
 私自身もここで情報をまとめておきたいので、
 ちょうど昨日に次のようなツイートをしたばかりでした。

今朝の富士山ラドン濃度は28。徐々に上がっています。遠方の動きを捉えているのでしょうか。電磁波異常は「低」。

 遠方とは書きましたが、正直九州だとは思いませんでした。なぜ遠方と書いたかと言いますと、経験的に、ラドン濃度のグラフが描く山がなだらかな場合、震源が遠いことが多いからです(逆に急坂を描くと富士山に近い震源)。
 地震発生後のつぶやきもこんな感じでした。

富士山ラドン濃度は29に上昇中。昨日朝「遠くの動きを捉えているのでしょうか」と書きましたが、九州とは。震源が浅いので余震にも注意ですね。

 なお、富士山ラドン濃度と全国各地の地震の関係についてはこちらをお読みください。
 次のツイート。

明治22年に似た地震が発生しています。明治熊本地震。その時はM6.3死者20名。

 明治熊本地震では液状化も発生したようです。今回もこちらと同じく布田川、日奈久両断層帯の活動と思われます。両断層は阿蘇山から八代海に伸びる活断層。両者が連動するとM8レベルの直下型地震が発生するおそれがあります。そうなると今回の震度7をはるかに超える多く広範囲な揺れになるでしょう。
 そうした将来的な可能性も含めての次のツイート。

これだけ大きな揺れの地震が起きると余震に意識が集中しがちですが、3.11の前の3.9のように結果として「前震」だったということもあるので、今後(数日〜数十年のスパンで)九州全域で万全の注意が必要です(明治熊本地震の10年後日向灘M7.1、20年後宮崎県西部M7.6)。

 さらに次のツイート。

当然、阿蘇山のことも忘れてはいけない。

 先ほど書いたように、今回動いたと思われる断層は阿蘇山と直結しています。火山活動に対して直接的な影響はないともいえますが、地中のマグマは地震の揺れによって「沸騰」することがあります。これだけ余震が続くと心配になりますね。
 続いて、就寝前の定期報告ツイート。

富士山北面標高1200m 山梨県鳴沢村
ラドン濃度

7時 26 ,22時 29

(min 5 , max 38 , avg 19 ,平常値13~22)

上昇傾向。4/3からのなだらかな山を見るに、別地域でもうひと揺れあるとも読めます。

 これは科学的ではなく、経験的な「見立て」です。
 ふとんの中で思い出したことがありましたので、次のツイートをしました。

参考までに…3.11の前に熊本で連発がありました。私たちが考える以上に日本列島の各地は地脈(経絡)によって結びついています。「3.9と3.11の間に何が起きたか」

 もう一つ、これこそ科学的ではなく「霊的」な話になってしまいますが、やはり大切なことだと思ったのでつぶやきました。

先日、諏訪大社の御柱祭に参加させていただいた時、中央構造線に沿い伊勢を通って阿蘇までの龍脈をイメージしたばかりなので、この地震にはいろいろな意味で驚きです。

 「荒魂」の動きには充分注意しなければなりません。日本人は「荒魂」と上手につきあってきました。決して忌避するだけではなく、ある種の畏敬の念を抱いておつきあいをしてきました。
Th__20160415_113618 と、そんなことを考えているうちに、富士山麓もちょっと揺れたような。気のせいかなと思ったら、駿河湾で深発地震が起きていました。

駿河湾南方沖か。こちらは震源が深いので異常震域。

 最後はおまけ的なツイート。

益城町といえばドモホルンリンクルの再春館製薬だが…大丈夫だろうか。

 これに対して知り合いが「あそこは大丈夫だと思います。黒い噂は絶えないですが(´・ω・`;)」とのリプをくださりました。
 いずれにせよ、今回も誰も予想していなかった大地震が発生してしまいました。日本中いつでもどこでもこうした地震が発生する可能性があることを忘れてはいけません。それこそが、先ほど書いた「荒魂」との共存のしかたそのものです。

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2016.04.13

太田裕美 『木綿のハンカチーフ』 (松本隆・筒美京平作品)

 やら風呂場から歌声が聞こえてくる。カミさんと長女が「木綿のハンカチーフ」を熱唱しています。いや、二人で熱唱ということではない。母親が娘に歌唱指導しているようです。
 なんか企みがあるようです。ちょっと楽しみですね。
 私は少し距離を置いて冷静に聞いている風でありますが、実際はいろいろ言いたくてしかたない。なにしろ、この曲には特別の思い入れがあるのです。
 まあ、ばっちりリアルタイムですからね。1975年12月リリースですから、私は11歳。5年生でしょうかね。多感な頃です(笑)。
 これがまた40年経って聴くと、まあ、この曲の詩、音楽、そして歌唱のすごさを再認識させられるわけですよ。まあまずは当時のシングルを聴いてみましょう。

 そう、4番まであるんですよね、歌詞が。そして、「木綿のハンカチーフ」は4番の最後にならないと出てこない。
 この歌詞は、もうお気づきの方も多いと思いますが、1番から4番まで、それぞれの前半が男、後半が女の言葉になっている、いわばダイアローグ形式になっているんですね。斬新だと思います。
 大人になってからよく読むと、なんとも切ない詩ではないですか。松本隆さん、普通の言葉を駆使して、ここまで深い世界観を創りあげるんですから、やっぱり天才ですね。
 そして、そこに与えられた音楽というかメロディーも、もうこれは天才の仕事としか言いようがない。筒美京平さんらしく、Aメロの入りでもう掴んでしまう。あとは説明するもの野暮。完璧。
 前奏や間奏、後奏も含めてアレンジも言うことなし。特に、男性に絡むフルートと女性に絡むシンセの対比がいいですね。
 では、太田裕美さんの比較的最近のパフォーマンスをどうぞ。ほとんど変わらぬ可愛らしさですね!

 さあ、娘にも頑張って練習してもらいましょう。

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2016.04.12

愛國号(第74号)「山梨」

Th_aikokugou_0074 い文献をいろいろ調べています。面白かったのは、昭和8年発行の「山梨県師範学校」の「県下に於ける美事善行調査」
 この時代は面白いですね。戦争に向かっていく感じが本当に手に取るようにわかります。よく今の日本が戦前のそれに似ているという人がいますが、明らかに違いますよ。
 たとえばこの調査は、山梨県内の各地区の子どもたちが、立派な大人や団体のことを報告するという形を取っているんですが、その「立派な」というのは、多くが愛国的な精神、報国的な行動と同義になっています。
 まあ、その細かい内容は実際に読んでいただくとして、一つ、ある地区の「美事善行」を読んでいたところ、こういう箇所がありました。
 「非常時に当り青年団に於ては愛国機献納金の募集に熱中し早く愛国機山梨号の出現を希望して居る次第であります」
 「愛国機」とはなんぞや。私は知らなかったのですが、30年代から40年代にかけて一般市民や非軍需企業などが献金し、それを元手に製造された航空機が陸軍に献納されていたんですね。ちなみに海軍は「報国号」。
 上の報国は昭和7年にされたものです。結果、早くも昭和8年の4月に献納されました。報国した少年の夢はすぐに実現したわけですね。山梨県民全ての献金によって完成したので「山梨」と名付けれました。
 「愛国号山梨」は、陸軍初めての単葉戦闘機である九一式戦闘機です。献納された愛国号は全部で6000とも7000とも言われています。すごい盛り上がりですよね。
 ちなみに朝日新聞社は「軍用機献納運動」を展開し、全国民からの献金を集めて、「全日本号」を陸海軍150機ずつ全300機献納しています。今では考えられませんね(笑)。
 「愛国機山梨号」ははたして、その後どのような運命を辿ったのか…今のところ分かりません。
  いずれにせよ、今とは教育界も世の中もだいぶ違う雰囲気ですね。

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2016.04.11

追悼 岩崎富士男さん

 阪芸大教授で、キューティーハニーの主題歌の作詞者(変名クロード・Q)としても有名なクリエイティブ・ディレクター、岩崎富士男さんが亡くなりました。
 私は6年ほど前に、それが岩崎さんの作品だとは知らずに、モノ・コト論の視点から「だってなんだかだってだってなんだもん」という記事を書いています。
 岩崎さん、コピーについて、「出し尽くして空っぽになった時に降りてくる。日常の言葉が特別な意味を持つ」というようなことをおっしゃっていたと記憶しますが、「だって…」なんか、たしかにその最たるものですね。「コトを窮めてモノに至る」そのもの。
 さて、その岩崎さんの様々な経歴の中で、特に重要であり、しかしあまり知られていないのが、カンヌ国際広告祭でグランプリを受賞した、ナショナルのCM「光のメニュー」でしょう。
 いろいろな方が関わって出来た名作ではありますが、その中心にいたのは岩崎さんであったのはたしかでしょう。

 LED時代になってから見ますと、蛍光灯でさえ温かさを感じますね。
 ご冥福をお祈りします。

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2016.04.10

都留郡に天皇はいたか…

20160410_20_55_24_2

 ょんなことから面白い和歌を見つけたので紹介します。
 上の写真は、盛岡市中央公民館所蔵の「碧玉集」のあるページです。「碧玉集」は冷泉政為という室町後期の公卿の歌集です。写真の版本は江戸になってから刊行されました。
 上の写真の左ページの冒頭。

   寄郡祝

 君が代の千世の日つきの行末は鶴のこほりの民やしるらむ

 これは謎の多い歌ですぞ。最も面白く現代語訳しますと、こうなります。

 「帝の御代の千年に亘るお世継ぎの行く末は、都留郡の民なら知っているだろう」

 なかなか刺激的ですよね。甲斐の国(山梨県)の都留郡の庶民が、なぜ天皇家の世継ぎのことを知っているというのか。もしかして…となりますよね。
 宮下文書による富士高天原伝説や、こちらで紹介した更級日記の不思議な記述と合わせると、よりワクワクしますよね。
 もう少し時代が下ると、南北朝時代、南朝の長慶天皇が今の富士吉田や都留に落ち延びて仙洞御所を構えたという伝承にも重なります。
 冷泉政為の生きた時代を考えると、その後南朝伝承の影響が最も信憑性を持つと言えます。
 と、ここまででやめると、いかにもそうした裏の歴史の傍証資料だという結論で終ってしまいますが、いちおう逆に最も面白くない解釈もしておきましょう。こういう可能性も捨て切れません。

 「あなたの長寿に対する貢物の行く先は、都留郡の民なら知っているだろう」

 これはどういうことかと言いますと、たとえば山田孝雄の労作「君が代の歴史」にもあるように、もともと「君が代(世)」という言葉は、単純に相手の長寿を賀する時の慣用句であって、特に「千代(千世)」という言葉とよく一緒に用いられるものでした。
 相手の長寿を祈る、寿ぐというのは、現代の感覚よりももっと普通であって、ある意味挨拶のように交わされていた習慣のようです。
 そして、さらに付け加えるべきことがあります。「つる(都留)」の郡は、古来「鶴」という吉字にかけて、縁起の良い土地名として有名でした。鶴は千年亀は万年と今でも言うように、「鶴」自体が長寿の縁起の良い鳥とされていたわけです。
 ですから、この歌の前にも、かなり多くの「きみがよ」「ちよ」「つる」を含んだ歌が詠まれていますし、この政為の歌も当然それらを下敷きにしたものです。
 なにしろ「郡」と言ったら、まずは「鶴の郡(都留郡)」だったのですから。現代の都留人が想像する以上に、ある意味この辺鄙な土地は有名だったのです。
 もちろん、往時の「つる」がどこにあたるかという問題もありますし、富士山という中央(関西方面)からすると実に微妙なシンボルがあったことも影響していることでしょう。
 「日つぎ」というのも微妙です。「日嗣ぎ」ととらえると、まさにお世継ぎになりますが、「日次」だと、日々の貢物ということになります。どちらとも取れるような漢字仮名遣いをしているわけですね。
 ちなみに「つる」に関わる和歌では「みつぎ」や「めぐみ」と言う単語が使われることがあり、それらはやはり貢物という意味になりますので、ますます微妙になってきますね。
 というわけで、どちらの解釈が好きか、それは皆さんにおまかせします。もちろん私は前者を推します(笑)。
 都留郡にかつて天皇がいたのか…これからもいろいろ調べてみます。


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2016.04.09

御柱祭木落し

 昨年、私もご縁をいただき、富士山代表として参加させていただいた諏訪大社御柱祭の「本見立て」。その時も書きましたとおり、御柱祭、まさに命がけの7年間の一つのクライマックスである「木落し」が行われ、私たちが見立てた「春宮一之御柱」も見事に落とされました。
 本当にありがたいことに、今年は地元岡谷の友人のご厚意により、再び「春一」と出会うことができました。そして、その春一の立派な木落しを生で観ることができました。
 もう言葉はありません。一言で言うなら「馬鹿」。命がけの馬鹿。もちろん、最高の賛辞としての「馬鹿」。理屈ではありません。理屈や個人を超えた「真理」すなわち「神」がそこに存在しました。
 予定より2時間半遅れての木落し。縄文より続く御柱祭の4000年の歴史からすれば、そんなちっぽけな時間は塵にも及びません。
 しかし、人間としては、やはり待ちに待った、溜めに溜めた末の数秒間。だからこそ、近代的な時間なんてものは、いったいなんなんだろうかと思われる。
 なんか、男性的すぎましたね。木落し坂の突端に御柱がニョキっと現れた瞬間や、あの溜めに溜めての一瞬の放出や、その後ある種の空しさなど(笑)、これは男にしか分からない世界、すなわち本来の「荒魂(あらみたま)」なのだなと思いました。
 あの場、あの空間、ベースにあるのは、実に穏やかな「和魂(にぎみたま)」です。そこに7年(6年)に一度招来される「荒魂」。出雲の「荒魂」です。
 古来、日本人はその、和魂と荒魂のバランスの重要性を、それこそ言葉でなく分かっていたのでしょう。そして、今も分かっている。だから、こんな「馬鹿」な祭が続いているのです。
 う〜ん、いろいろ語りたいこともあったのですが、言葉にすると実に野暮になってしまう。語らないのが粋なのでしょう。
 それにしても、あの「進軍ラッパ」はいつからのものなのでしょうね。そのある種「いいかげんさ」もすごいなと思いました。西洋楽器も近代の歴史もあの戦争をも呑み込んでしまう「縄文」の懐の深さ…と言うべきでしょうか。
 一昨年お世話になった春宮前の「萬治亭」ご主人萬治友美さんは、今年の御柱祭を前に亡くなってしまいました。無念だったことでしょう。しかし、萬治さん自体が「祭」だったわけで、たとえ今生の命が尽きても、その魂は御柱祭同様に永遠に受け継がれていくことでしょう。

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2016.04.08

「花まつり」とは

Th_o0320042710486062223 日はお釈迦様の誕生日(花まつり)。毎年この日に我が校では入学式を行います。
 昨年は大変でした(笑)。司会なのに薬物中毒で酩酊(笑)。どういうことかはこちらを御覧ください。
 そんなわけで、今年は薬は飲まずにつつがなく司会業を乗り切りました。
 さて、寒冷地である富士北麓も、最近では温暖化の影響(おかげ)で、この入学式の日に桜の開花を見ることができるようになりました。
 伝統的には、この地では月遅れで花まつりをやっています。その頃、すなわちゴールデンウィーク明けでないと、花が咲かず、花御堂を作れなかったのです。
 そんなわけで、最近は逆にですね、月遅れでやりますと花が散ってしまっているので、我が校でも花御堂は造花のものになってしまいました。味気ないといえば味気ない。
 ところで、なんでお釈迦様のお誕生日(降誕会・灌仏会)を「花まつり」と称するのか。これにはなかなか面白い歴史があるようです。
 歴史と言っても、実はそんなに古い話ではなく、せいぜい遡って明治時代からのこと。
 花御堂自体は江戸時代以前から作られており、もちろんそれは、お釈迦様が生まれたルンビニーの風景、気候風土がもとになっています。
 しかし、「花まつり」という言葉自体は近代になってからのものなのですね。一説によれば、明治30年代にヨーロッパに留学していた日本人たちが、クリスマスに対抗して(?)彼の地で始めたとも。まじめに「釈迦マス」を企画したのでしょうか。ありえますね。
 日本で一般的になったのは大正時代。浅草の蓮窓寺(真宗大谷派)の安藤嶺丸という進歩的な坊さんが、「花さかじいさんお釈迦さま」というキャッチコピーで(笑)、日比谷公園を舞台におおがかりなお祭りをやったのがきっかけだとか。
 まあ、あの時代、ある意味で西欧文化に対抗したり、国家神道の動きに対抗したりする必要があったのでしょうね。そうして、仏教が意識化されたというのは、実に面白いことです。
 基本、日本での仏教は習合、生活化、無意識化が進んでいましたからね。
 戦後、仏教はGHQに神道ほどに敵視されず、というか、けっこううまく立ちまわって(?)、現在に至ります。そして、「花まつり」も地味に、仏教系幼稚園などに受け継がれているというわけです。


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2016.04.07

「六段」三態

 はかつて山田流箏曲をやっており、そんな関係もあって娘に「琴」という名前をつけました。
 しかし、だからといって「琴」を弾くことを望んだことは一度もなかったのですが、どういうわけか現在は習いに行っております。
 名は体を表すというのか、思ったより上達が早く、いよいよ「六段」の楽譜をもらってきました。言うまでもなく八橋検校の名作です。
 大学当時、私の担当は「替手」でした。娘が本手を弾けるようになったら、私も35年ぶりに替手をやって合奏してみようかなどと考えています。
 その六段の模範演奏と言えば、中能島欣一先生の多元録音が最高です。
 中能島欣一先生のソロ演奏では、芸能花舞台が衝撃的でした。
 長らくその映像を観ることができなかったのですが、最近YouTubeに上がっているのを見つけので、まずはそれを紹介します。冒頭が欠けているのが残念です。

 う〜ん、六段も完璧ですが、やっぱり「三つの断章」がすごすぎる…。すごい人でした。
 そうそう、今日のGoogleはラヴィ・シャンカルでしたね。ラヴィ・シャンカルもなん六段を演奏しているんですよ!ほとんど即興ですがね。なかなかいい。

 もう一つ、私は西洋と東洋の古楽を両方やってきまして、その融合を試みてきた者でもあるわけですが、5年ほど前、私も考えつかなかった「事実」が判明しました。たぶん事実でしょう。
 なんと、この八橋検校の「六段」がグレゴリオ聖歌の「クレド」をもとに作られたというのです。それを発表したのは、かの古楽界の重鎮皆川達夫さん。
 たしかに、日本音楽らしくない整然とした変奏曲である六段が、スペインの変奏曲ディファレンシアスの影響下にあることは昔から言われていました。
 しかし、クレドと小節数が同じで重ねて演奏してもいいとは。これはある意味では、先日法隆寺で聞いたお会式の楽に近い発想ですね。つまりありえると。
 その六段の初段を胡弓で、クレドをヴィオラ・ダ・ガンバで同時に演奏したのが次の動画です。
 ちなみに六段の方は陰旋律ではなく陽旋律にしてあります。それもありだと思います。なぜなら、当時の筑紫は陽旋律が一般的で、のちに京都や江戸に六段が伝わって、いわゆる都節の影響を受けて陰旋律に変化したと考えられるからです。
 面白いですね。私も中能島欣一先生のように多元録音でやってみようかな(笑)。

Amazon 箏曲「六段」とグレゴリオ聖歌「クレド」~日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い~

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2016.04.06

ムヒカ大統領インタビュー

 「界一貧しい大統領」と呼ばれ、今や世界中で大人気の、南米ウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカ氏が初来日したというニュースが流れました。
 そこであらためて、昨年多くの日本人に感動と示唆を与えた、ムヒカ元大統領のインタビューを観てみましょう。
 ムヒカさんの「貧しい人」の定義は「無限の欲があり、いくら持っていても満足しない人」」ですから、実際は「世界一豊かな大統領」だったということでしょうね。
 ご自身がおっしゃるように、彼のそのような思想、信条に、日本の伝統的な魂が影響を与えたのは本当でしょう。
 たしかに「民と同じレベルで生活する」というところや、「足るを知る」という観念は、まさに日本の皇室や仏教の教えそのままであると感じます。
 私たち日本人の本来の素晴らしさを、こうして外国の方が認め、学び、紹介してくれることに、感謝の気持ちをおぼえるとともに、少し恥ずかしいというか、残念な気持ちもしますね。

 このインタビューを家内と観ていまして、日本にもこのような真のリーダーが現われるといいねと話しました。
 政党でも作ろうか。「清貧党」とか「利他知足党」とか。そして総理大臣にでもなろうかな(笑)。

Amazon ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領

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2016.04.05

「うわぐつ」「うわばき」分布図

 日の「上履き」についての話の続き。
 ご存知の方も多いかと思いますが、その「上履き」のことをなんと呼んでいるかという方言マップを、マンガ家で自ら「上履き研究家」を名乗る(笑)中村ゆきひろさんが作成しております。
 Twitterでの多くの意見を取り入れて、なかなか素晴らしい出来の資料ですね。国語学(日本語学)の調査方法も、このネット時代に大きく変わっていることにも感激。

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 ふむふむ、大変おもしろい。
 私は小学校は東京都大田区、中学は大田区から静岡市へ。高校は珍しく土足の学校でしたので経験なし。で、基本は「うわばき」派でありますが、静岡では、たしかに両方の言い方を聞いたような気がします。
 ちなみにここ山梨は「うわばき」です。珍しく普通ですね。というのは、山梨は現代方言においてけっこう陸の孤島だったりするんです。それについては後日書きますね。
 秋田出身のカミさんは、やはり「ズック」だったような…いや、なんだっけな、という感じでして、もしかして「裸足」だったんじゃないの?とか(笑)。
 あっそうそう、和歌山と名古屋では「バレエシューズ」って言うことになってるじゃないですか。山梨のこのあたりでも、「上履き」の中でも小学校で使うような、真ん中にゴムの帯があるようなタイプを、やはり「バレエシューズ」って言うんですよね。
 ついでに、和歌山ではビーチサンダルのことを水雪駄と言うと書いてありますが、山梨だと「万年草履」です(笑)。
 あっ、また思い出してしまいましたが、山梨のある時代の中学校限定の特殊方言としては「キャラメル」が最高傑作でしょう(笑)。分かりますか?答はこちらを参照のこと。
 いずれにせよ、昨日書いたように、学校というところは非常に狭い社会で、隣の県とも交流のない閉鎖的なところです。その結果、その土地に特有の学校方言が生まれ、残っていくんですね。
 

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2016.04.04

大人の上履き(ムーンスター)

Th_71vdqx8rxl_ul1500_ 年度から「上履き」を履くことになりました。昨年度までは校舎内でサンダルを履いていましたが、防災上の理由から、つっかけるのではなく、しっかり「履く」タイプにチェンジいたしました。
 さて、どういう靴を上履きにしようかなと思いましたが、今、こういう「大人の上履き」というやつがあるんですね。
 これがたしかに履きやすい。軽いし、かかとがつぶれにくいし、かかとにちゃんと上履き風の紐(?)がついてるし。
 で、「上履き」を久しぶり(高校が土足だったので38年ぶり)に履くことになって、ふと思ったわけですよ。「上履き」文化って日本独特なんじゃないかなって。
 ちょうどネットニュースに「沖縄は土足の学校が多い」という話題が出ていました。たしかに、欧米式だと靴は脱がない。日本は畳文化ですので、外履きは脱いで室内に入る。
 学校ももともと寺子屋だったので、やっばり靴を脱いで入る伝統ができたのかな。では、なんでこういう(ああいう)形に定着したのかな…などと思っていたら、学校生活における上履きの変遷とその役割という論文を見つけました。
 なるほど〜、とっても勉強になりました。バレエシューズねえ…。そして、教育的観点「靴をそろえる」を実行するためのアイテムとしての上履き。なるほど。
 そうか、逆に生徒が廊下を走らないようにサンダル式の上履きを採用している学校もあるんだ(笑)。あるいは、裸足。裸足を売りにするところもあるのか。
 上の論文にも書かれていますが、日本の学校文化というのは非常に特殊で面白い。軍隊文化の名残りもたくさんある。リコーダーとナチスの関係についてはこちらに書きましたっけ。
 当たり前にほとんど全ての日本人が共有してきた「学校文化」を意識しなおしてみるというのも面白いですよ。特に学校の先生はそういう視点も持つべきでしょう。

Amazon Moonstar 上履き MSオトナノウワバキ03

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2016.04.03

神武天皇二千六百式年祭〜宮下文書について

Th_r 日は初代天皇神武天皇が亡くなって2600年の日。
 天皇皇后両陛下が、奈良県の橿原市にある神武天皇陵において「山陵の儀」に臨まれました。
 2600年前って…いったい何時代なのでしょう。紀元前5世紀くらいですから、まだ弥生時代ですね。
 まあ、その頃の話ですから、歴史というよりも神話の世界と言った方がいいでしょう。
 没年月日はどのように決められたのか。日本書紀によると神武天皇の崩御は神武76年3月11日(ほう、311なんですね)。
 神武元年元日の即位を、明治時代に計算して新暦になおして「2月11日」に定めましたので、そこから逆算して新暦4月3日としたわけです。ちなみに享年127歳(!)。
 そのような事情やらなにやらをして、こんな式典には意味がないとか、神武天皇なんか実在していなかったのでは、なんて言うのは実に野暮なことであります。
 神話は神話。それが事実であるかどうかではなく、そこに描かれた我が国の本質をとらえるべきです。
 神話と言えば…古事記・日本書紀とは別系統の「神話」、私の住む地方、すなわち富士北麓に伝わる、いわゆる宮下文書に関する、ちょっと笑っちゃう話を紹介します。
 もちろん、私は宮下文書は「物語」だと思っていますから、笑ってしまっても、だからといって、それで一笑に付すつもりはありません。本質はもっと深い(いや、浅い?)ところにあるので。
 宮下文書の特徴として、記紀において神武天皇のお父さんとされるウガヤフキアエズの命が一人の人物ではなく、なんと51代にわたる王朝ということになっているのです。これはこれで面白い。同様にウガヤ朝を設定している野史はほかにもあるので、それこそ一笑に付せない。
 で、それはとりあえず置いておきまして、その神武天皇に関する宮下文書の記述。というか、宮下文書原本ではなくて、その概説書として大正期に出版された、三輪義煕の「神皇紀」の記述であります。
 その神武天皇の即位のところを御覧ください。

20160404_11_38_54

 あちゃ〜、ですよねえ。即位したのが2月11日!上に書きましたように、2月11日(新暦)に定めたのは明治6年のこと。なんで、記紀より古いと言う古代文書にそれが書かれているのか(笑)。
 さらに続く記述は、それこそ噴飯物です。これじゃあ、どう考えても「偽書」です。

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 ちなみに崩御については記紀に従った内容になっていますね。

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 つまり、今残っている宮下文書は、近代になってから創作された「神話」だということになりますね。


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2016.04.02

FinePix HS20EXR (FUJIFILM)

Th_41hr8njlial 年ほど前に買ったマニアックな(今はなき)ネオ一眼GE X500が不慮の事故により壊れてしまったので、ワガママなこだわりで買ったのがこのカメラ。
 やはり、こだわると5年前の製品になっちゃうんですよね(苦笑)。中古で1万5千円。
 こだわりという意味では大変満足しています。あえて私のワガママなこだわりを書きます。

・充電池ではなく乾電池式
・マニュアルズーム(ただし30倍以下)
・マニュアルフォーカス
・明るいレンズ
・動画がステレオ音声
・長時間シャッター
・比較的大きなセンサー
・適度な大きさ
・安い

 これらを全て満たしているのは、このHS20しかありません。私にとっては、これが究極のカメラです。
 当然、2011年当時も注目していたわけですが、新品ですと「安い」に該当しなかったので、そういう意味では5年経ってようやく理想のカメラになったというわけです(笑)。
 5年前と言っても、私のようなシロウトが使うカメラとしては、性能には全く物足りなさはありません。逆にちょうどいい。
 先日、修学旅行でいろいろ撮ってきました。マニュアルズームは本当に気持ちいいし、思い通りになる。電池の持ちもよくなるし。
 本格一眼を使うほどの根性も財力もない。ネオ一眼は私にとってはちょうどいい存在です。マニュアルモードつきの小型オートマ車という感じでしょうか。
 それから、私はデジカメで動画作品を作りますので、その際にもこのレベルのカメラは重宝します。下の娘が映画を撮りたいと言っているので、その練習用、あるいは光学的な勉強用にもちょうどいい。
 しばらく大切に使おうと思います。
 
Amazon FinePix HS20EXR

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2016.04.01

ペヤング 激辛カレーやきそば (まるか食品)

Th__20160402_61918 まだに「ペヨング」を食べるに至っていない!寄るコンビニ全てで売り切れている!おそるべし、ペヨング、いやペヤング。
 ペヨング(Googleさんでもまだ変換されない…ぺよん具になる)については、食したらそれなりの報告をするつもりです。
 しかたなく、今日は最近再販となった「激辛カレーやきそば」を購入しました。私にとっては初体験。
 うわっ、たしかに「油断ならない辛さ」ですわ!なめてた…。これは逆に一気に食べないと辛い(つらい)。そう、激辛(げきつら)です(笑)。
 「からい」と「つらい」」が同じ漢字だということに納得。なんでも食べたがる猫のチョモも、さすがに近寄りさえしない。離れててもこの辛さが伝わるらしい。
 ちょっと食べさせてと言ってつまんだカミさんも「ヒーッ!」となっていました。
 もう最後はカレー味という認識というか感覚は全くなくなり、ただペヤングらしい麺の食感だけが残る。味覚が壊れているらしい。手近にあった豆乳をガボガボ飲みながら、なんとか完食しました。
 そして、しばらくすると、味覚が復活した口の中に激辛感が復活します。寝る前に食べて大丈夫か?
 ところで、ペヤングと言えば、1年ちょっと前のあのG騒動で、一時は市場からその姿を完全に消してしまいましたが、私も含めたマニアたちの「ペヤングロス」の辛さ(つらさ)が、逆にその復活の後押しをする結果となり、現在のペヨングブームにもつながることとなりました。
 ちょうど商品が消える寸前に、ガーリック醤油やきそばの記事を書いています。
 今思えば、その時の器というかプラケースを取っておけばよかった。
 そう、復活後は、皆さんご存知のとおりのパッケージとなってしまい、表面を覆うビニールの包装にはかつてのケースを模した「絵」が描かれていますけれども、それがまた虚しいんですよね。
 あの旧式のケースを取っておいて、毎回使い回せばよかった。あの、箸が空洞の底や壁にあたる感じこそが、ペヤングだったのに、そして、その空洞を通して左手に伝わる重さ(軽さ)が実に味わい深かったのに。
 どこかで旧式ケース手に入らないかなあ。ヤフオクにもないしなあ。

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