『江戸しぐさの終焉』 原田実 (星海社新書)
「江戸しぐさの正体」の続編。「〜の終焉」とあるので、最終版なのでしょうか。いや「〜の復活」とかあったりして(笑)。
正体、終焉、復活と書いてみて、ちょっと思いついたことがあるので、忘れないうちにメモしておきますね。
昨日の「ニコラウス・アーノンクール」にも大いに関係するのことです。というか、昨日書いたことが実は江戸しぐさ的なモノであると。
すなわち、古楽復興運動の歴史が、なんとなく江戸しぐさ復興(?)運動の様子に似ているということです。いや、逆かな。江戸しぐさが古楽に似ていると。
たとえば、まさに昨日書いたことですが、アーノンクールのヴィオラ・ダ・ガンバの弾き方は、あれは全然歴史的ではなく、自己流。いわば「(エセ)江戸しぐさ」であります。つまりエセバロックしぐさ(笑)。
それでも、彼は古楽界の重鎮として一生を終えました。アーノンクールは古楽界の先駆者のように紹介されることが多いのですが、実は古楽の第一次ブームは19世紀末から20世紀初頭、つまりアーノンクールからさらに80年ほど遡るわけですね。
そのころ、たとえばチェンバロが150年ぶりくらいに復活したわけです。ランドフスカなんかが弾いていましたよね。その頃のチェンバロは、今では「モダン・チェンバロ」と呼ばれる、いわゆる歴史的なチェンバロとは違う、当時の「現代風」ななんちゃってチェンバロだったわけです。
これが、ちょうど150年前の「江戸しぐさ」の復活(?)と似た状況ではないかと。
ランドフスカの頃はもちろんピアノが隆盛でした。他の弦楽器や管楽器もかなり工業化され、音は大きく平均的で安定しましたが、その一方で失ったものがあった…それは、ちょうど現代の私たち日本人が、近代化の末に何か大切なモノ(なんだか良くわからないけど)を失ってしまったという、まあどの時代にもどこにもよくある感覚ですよね。
そのある種の危機感が「過剰な正義感」を生み、さらにそれが懐古主義に向かって動き出す。そして、その「過剰な正義感(観ではない)」が、ごく個人的(つまりその時の「現代的」)な「あるべき過去」すなわち「偽史」の誕生を促すことになる。
ランドフスカの弾いたチェンバロはまさにそうでした。当時のモダンであるピアノを改造して「それらしくした」チェンバロが「正統」とみなされて受け入れられるという状況が生み出されました。
もちろん、バロック音楽は実在していたわけで、実在したかどうか分からない「江戸のしぐさ」と同列に扱うのはいけないと思いますが、「なんとなく」「雰囲気」で新たに創り出された「過去風なモノ」という意味、そして、それを生み出した人間の精神性ということでは、似ていなくもない。
そう、私は「江戸しぐさの正体」の記事で書いたように、そういう偽史や偽史を生み出した人間の、その人自身の真の歴史に興味がある変態なので(笑)、なんとなく原田さんみたいに一方的に断罪する勇気がないんですよね。
つまり、そういう個人レベルの正義感からついてしまった「ウソ」が、勝手に独り歩きして、公的な価値を持ち始めた時、なかなか引っ込みがつかなくなってしまって、結局ウソにウソを重ねるということは、たとえば自分だったら普通にありうるなと思うわけです。
芝三光さんが、はたしてどういう気持ちで「江戸しぐさ」を生み出したのか、正直そこまではよく分かりません。はたして悪意はあったのか…。
ランドフスカの弾いたチェンバロは、それなりに評価され、また、アーノンクールのガンバの弾き方はまあいいかとされ、その他の彼の業績のおかげでほとんど文句を言われることはありません。
その後、古楽界では、さまざまな研究や経験が積まれ、とりあえず「ヒストリカル」な楽器がほぼ完全に復元されるようになりました。それと同時に、演奏法も研究され、それなりの成果をあげてきましたが、はてさて、それで本当のバロック音楽が復活したかというと、それは絶対にあり得ません。
言うまでもありませんが、ここは21世紀の日本です。いくら懐古趣味や保守主義を徹底しても、その「当時」には帰れません。それが歴史です。
なんだか、いろいろ書いているうちに脱線してしまいましたね。結局、「江戸しぐさ」はどうあるべきかというと、まあ、モダン・チェンバロとしての「江戸しぐさ」は終焉してもらってもかまいませんけれど、その反省に基づくヒストリカル(オリジナル)・「江戸のしぐさ」の研究や復興、実践はあってもいいと思いますよ。もちろん、それが学校教育の中で扱われてもいいでしょう。
というか、今の古楽界、結局みんな「昔」より安易な「今」に流れて、江戸時代…いやいやバロック時代にはなかった肩当てやらあごあてやら、アジャスターやらヘーキで使ってるし、iPhoneでチューニングしたりしてますし(笑)。
音楽だと許されて、しぐさだと許されないのか…など、いろいろ考え始めるとキリがありませんね。実に面白いですねえ。
とりあえず、ここらへんで終わり。
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コメント
毎度拙著とりあげていただきありがとうございます。
「江戸しぐさ」についてはバロック音楽で言えば、エレキギターや電子オルガンまで持ち出してロックサウンドを、これが本当の18世紀のバロック音楽だと言い出した上、これらの技術や音楽は伝承者が弾圧されたから失われたのだと言い張っているようなものなので、モダンチェンバロに例えるのはちょっと違うように思われます。
投稿: 原田 実 | 2016.03.31 13:10