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2016.03.31

『新幹線大爆破』  (佐藤純弥監督・高倉健主演作品)

Th_71mqxvxabal_sl1049_ 日の予告編を観たら、本編をどうしても観たくなってしまいました。AmazonPrimeにあったんですね。ラッキー。
 いや〜、本当に面白かった。40年前、11歳の自分には分からなかった様々な人間ドラマや映画の技術を楽しむこともできました。
 今はなき二人の「健」さん。ほとんど唯一と思われる悪役を演じる高倉健さんと、重厚な日本男児を演じる宇津井健さん。二人の役者としてのコントラストも絶妙、最高でしたね。
 40年前のこととは言え、ここまで内容を忘れているとは思いませんでした。ラストの記憶もなかった。当時の自分はいわゆる「鉄道マニア」の一人で、そういう視点で観ていたのでしょうか。まあ、子どもだから仕方ないですね。
 唐突な火事のシーンを除くと、脚本もほぼ完璧だと思いました。もちろん、パニックサスペンスものとしての緊張感も最高。ハリウッドものよりもずっと引き締まっている。
 今だから語れる撮影秘話はこちら、佐藤純彌監督のインタビューが実に面白い。
 半世紀近く前から現代につながる日本の技術力、異様なほどの仕事への執念、その対極にある危険や腐敗も上手に描かれています。
 そして、やはり、あの「時代」ですね。私が少年時代に体験していたあの時代感。当時は分かりませんでしたが、学生運動も、高度経済成長にもなんとなく「飽き」が来ていたあの頃。爆弾という形での革命…しかし、実際には世の中も人生も変わらない。
 監督自身もおっしゃっているように、誰も幸せにならない。なんとも煮え切らないストーリーと永遠に終わらないラスト。なんとも味わい深いですね。
 
 それにしても高倉健さん、かっこよすぎますね、やっぱり。目玉だけで演技できる不世出の役者さんですね。ラストの死に様はさすが。そして、そのあとの明るい音楽がまたいい。
 ついでになりますが、最後に宇津井健さんと千葉真一さんに登場願いましょう(笑)。
 

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2016.03.30

新幹線とテロ

Th_2016032600000015mai00011view 26日に北海道新幹線が開業しました。構想から43年。これで北海道、本州、九州が新幹線でつながったことになります。あとは四国か。
 先日、東海道新幹線と山陽新幹線に乗りました。私は1年に1回、修学旅行で乗るだけなんですよね、最近は。
 子どもの頃は、東京から静岡に帰省するときによく乗っていました。そう、私と東海道新幹線は同い年。生まれて2ヶ月弱だった私は、新幹線開業直後の1964年10月5日に乗っているんですよね。里帰り先の静岡から東京まで。
 東海道新幹線は開業以来今年で52年になるわけですが、車両故障や脱線などによる死亡事故は起きていないんですよね。これは本当にすごいことです。
 ただ、このたび1年ぶりに新幹線に乗って思ったのは、爆弾テロなんか起きたら、ひとたまりもないなということ。
 もちろん、そんなことは起きないと信じていますが、昨年車内での焼身自殺があったり、また、諸外国で自爆テロが多発したりしていることを考えると、全くありえないことではないなと思ってしまうのです。
 ご存知のとおり、新幹線には手荷物検査はありません。また、今後それが導入される可能性もほとんどゼロです。
 数分おきに1000人以上の人を乗せて出発する新幹線の乗客を、一人ひとりチェックするなんてことはできません。無理やりやったとすると、新幹線の魅力である利便性は大きく損なわれてしまいます。だいたい検査しようにも場所がない。
 それから、鈴木孝夫さんがよく言っていたとおり、新幹線にはなぜかシートベルトがありません。もし脱線などしたら、乗客はみんな吹っ飛んでしまいます。
 最悪のことを考えてみましょう。たとえば先頭車両で自爆テロがあって時速300キロで走行中の満員列車が脱線したとすると、1000人以上の死者が出る可能性があります。ジャンボジェット機墜落の倍の死者数になるのです。
 シートベルトをしていれば、もしかすると死者はかなり減るかもしれませんが、長時間シートベルトをし続ける人はいないでしょうね。
 これからサミットやオリンピックという国際的なイベントが目白押し。外国人観光客の新幹線利用数もうなぎのぼり。はたして、世界一安全な高速鉄道は、これからもその安全や安心を担保できるのでしょうか。
 そういえば、小学生の時、「新幹線大爆破」という映画を観たっけな。タワーリング・インフェルノにしようか、新戦線大爆破にしようか迷ったあげく、新幹線を選んでしまいました(笑)。
 いや、この予告編すごいな。爆弾時代かあ…なるほど、そうだったよなあ。今よりずっと危ない時代だったのに、この映画の模倣犯も出なかった…。

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2016.03.29

春の上野プロレス祭り(大日本プロレス)

Th_img_3062 日は運転手として東京へ。カミさんと娘たちは四谷でシャンソン鑑賞。
 私は、時間がたっぷりあったので、急遽思いついて上野公園へ。桜は5分咲きという感じですが、春らしい陽気に誘われた多くの方々で賑わっていました。
 その一角、野外音楽堂で行われていたプロレス興行に行ってきました。いやあ楽しかったなあ。
 今日は「春の上野プロレス」ということで、大日本プロレスが午前から夜にかけて3部構成で興行を行いました。私が行ったのは第2部。
 約1時間、全4試合で1,000円。緩い感じの内容も含めて、実に日本の春のお祭りの雰囲気が出ていて素晴らしかった。
Th_img_3053 特にセミファイナルのハチャメチャ6人タッグは最高でしたね(笑)。まあ、バラモン兄弟と植木嵩行が組んでいる時点でどうなるか分かるというか、どうなるか分からないというか。
 結果として、私の席でバラモンのどっちかがバケツを振り回し、おかげで私も私の席も水浸し(笑)。まさにお水取りの神事ですね。水を浴びて穢を払う(笑)。うれしい被災です。
 大相撲は相変わらずいろいろ問題が噴出しておりますが、本来江戸時代の相撲なんか、こういう感じだったんですよね。
 というわけで、いつも言うように、プロレスは伝統的な神事です。地元のお祭りにぜひ大日本プロレスを招聘したいと思っています。
 

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2016.03.28

In Japan - 2015(日本紹介ビデオ)

 日まで広島、奈良、京都へ修学旅行に行ってました。どこもほとんど外国人の群れ。これはこれで嬉しいことですし、案外、私たち日本人より日本のことを理解しているのではとも思いました。
 そういう意味で、時々意識して「外国人」のフリをして事物を見てみました。その方が新しい発見があったりします…なんて、いろいろ思い出していたら、こんな素晴らしい動画を見つけたので紹介します。
 過去、現在、未来、東洋、西洋、男、女…さまざまなモノが「和」している日本を見事表現していますよね。
 これぞクール、カワイイし、カッコイイ。日本人には作り得ない作品だと思います。


In Japan - 2015 from Vincent Urban on Vimeo.

 つづく…となっているので、続編にも期待しましょう。

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2016.03.27

興亜観音参拝

Plt1510140830002n1 日の二・二六事件に続き、こちら「興亜観音」は南京事件と東京裁判に関わる霊地です。
 今年もまた参拝させていただきました。ご住職さまとは1年ぶりの再会。私もこの1年に起きた様々なことについてご報告申し上げ、松井閣下をはじめとする志士の皆さまのお力添えに心より感謝申し上げました。
 住職さまにとっても、この1年は激動の1年であったようです。戦後70年ということで、いくつかのメディアで紹介されたからでしょう。ネットで読むことができる、観ることができるものはこれらです。

敵味方なく戦没者を弔った松井大将

火葬場から盗み出された7人の遺灰は…

 ある意味で世間に知られるようになり、参拝者がかつてなく増えているとのこと。それはすなわち、いろいろな立場、考えの参拝者が増えるということで、中には左翼的な主張をしていく方もいらっしゃるとか。
 しかし、松井閣下の「怨親平等」の精神に則り、ご住職はしっかりお話を聞いてくださっているようです。
 そう、今日もじっくりお話させていただきましたが、いよいよ、怨親、左右、東西、上下、その他二項対立的な枠組みから脱却する時が訪れているようです。
 ご住職から大切なもの、ことを託されました。命を懸けてこの地球の未来の平和に思いを馳せた先人たちに恥じないよう、しっかり頑張らせていだきます。
 ありがとうございました。

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2016.03.26

二・二六事件と熱海

Th_img_3043 年恒例となった熱海慰安旅行。家族の慰安とともに、ご縁のある方々の慰霊の旅ともなっています。
 今年もまた直接のその場には行けませんでしたが、そこを通過する時、思いを致すのが、二・二六事件に関わり、この地で自決した河野壽大尉のことであります。
 今年は二・二六事件から80年。昨年から今年にかけて、本当に信じられないようなことに巻き込まれまして、私や家内は必然的にこの事件のことを深く知ることとなりました。それについては、いつか時が来ましたら書きものとして残したいと思います。
 その二・二六事件は首都の動乱というイメージがありますが、実は別働隊が湯河原で大きなことを起こしました。
 当時、湯河原の光風荘で静養中であった前内大臣の牧野伸顕伯爵を青年将校たちが急襲したのです。その首謀者であった河野壽大尉28歳。
 その顛末については、こちらを御覧ください。
 亡くなった皆川巡査に右胸を撃たれた河野大尉は、熱海の陸軍衛戍病院で手当てを受けます。そこに大尉の実兄である河野司氏が果物ナイフと剃刀を差し入れします。自決用にということでしょう。
 結局、大尉は果物ナイフで切腹をしましたが、なにしろ果物ナイフですからそう簡単に死ねませんでした。16時間後出血多量にて同病院にて死亡。
Th_20151104_12_23_49 その時、果物ナイフを差し入れた兄、司さんは、のちに仏門に入り、昨年私も何度かお参りした、渋谷の二・二六事件慰霊像を建立しました。
 河野壽大尉は、海に面した場所に坐し、宮城(きゅうじょう)に一礼して切腹をはかったと言います。
 そんな熱海の海に月が昇ってきました。
 大尉、そして兄の思い、苦悩はいかばかりであったことでしょう。

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2016.03.25

妙心寺塔頭如是院さんの襖絵

Th_514ajjdyjql_sx347_bo1204203200_ が校の修学旅行の最大の目的は、本山たる妙心寺への参拝であります。開山さまへの卒業の報告と、座禅を主とする特別参拝です。
 今年はちょっとしたアクシデントで、いつもの微妙殿ではなく、塔頭の一つ如是院さんでの座禅および法話となりました。それがまたワタクシにとっては大変な幸運。
 いや、もともと微妙殿が使えないとなった時に、代わりにと言ってはなんですが、私としてはぜひとも如是院さんで座禅したいと思ったのであります。
 というのは、知り合いから日本とフランスのあるシンポジウムについて聞いていたからです。その一連の内容は、最近「霊性と東西文明」という立派な本になりました。私もさっそく手に入れましたので、これからじっくり読んでみたいと思います。
 そのシンポジウムや本のことを、中心人物であった竹本忠雄さんが語った番組があります。昨日の春画の記事にも出てきた、アンドレ・マルローと深い仲にあった竹本さん。この動画の20分くらいのところから、如是院さんの襖絵の話を聞くことができます。

 そう、かの天才パーカッショニストであるツトム・ヤマシタさんが、鴨川でサヌカイトを演奏し、その音波を友禅染で染め上げ、それをまたデジタル出力して襖絵にした、その襖絵が如是院さんにあるのです。
 これはもううかがうしかない!というわけで、事前に電凸いたしましたら、ご住職が快諾くださったというわけです。
 いやあ、本当に幸せですよね。思ったことが実現してしまう。ありがたいとしか言いようがありません。
 のちにご住職と我が校の母体となっているお寺の住職とは、修行の先輩後輩の関係で、つい先日もお会いになっていたことが分かったり、まさに仏縁を感じないではいられない僥倖でありました。
 その襖絵に囲まれての座禅がまた素晴らしかった。まさに「波動」の中での瞑想です。悠久の地球の波動を感じながらの座禅。最高でしたね。
 音がそのまま絵になっている。すなわち、音を見る、ずばり「観音」です。楽譜とは違う、音そのものが視覚に訴えかけてくる。いや、聴覚や視覚を超えた共鳴ですね。魂の共鳴。
 ご住職ともお話しましたが、こういう世界になると、アナログもデジタルもありません。ホンモノがそこに焼き付けられているとともに、常に動いていて、波を発している。生きている。
 最高の体験をありがとうございました。
 座禅ののちには、法堂にて狩野探幽の雲龍図を拝観。これはこれでもちろんすごすぎ。やはり生きている。超一流の仕事というのは、コトをして、なおかつモノを活かすのですね。

Amazon 霊性と東西文明 日本とフランス「ルーツとルーツ」対話

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2016.03.24

春画展(細見美術館)

Th__20160326_102947 京の永青文庫での「春画展」。あまりに混んでいて、何度か諦めて帰ってきてしまったのですが、なんとラッキーなことに、京都の細見美術館で拝観することができました。まさに「拝観」ですな。
 このたびは、修学旅行の自由散策時間を利用して、この「春画展」と、近くの京都市美術館で同時開催している「モネ展」「ルノワール展」をはしご。実に面白い体験でありました。
 関西在住の方、とにかく「春画展」はご覧になった方がいいですよ。できれば、私のようにはしごされると良い。
 いろいろな流れ、本質がよくわかると思います。日本的な職人文化と西洋的な芸術の違いですね。
 正直言って、その想像力&創造力のスケールの違いというか、クオリティーの違いというか、いや、ジャンルの違いかなあ、単純に比較できないことが確認できました。
 もちろん、春画の勝ちです。生命力でしょうか、いろいろな意味でね。
 先に書いておきますが、ちょっとした違和感があって笑ってしまったのは、春画もまた、印象派の巨匠たちのごとく、「美術館」に「展示」されて、大真面目に解説などされ、列をなした人々によって鑑賞、観察されているこということでした。
 私は列には加わらず、すきまからのぞき見しましたが(笑)。
 そういう意味では、生命力というのは少しそがれていたかもしれません。まあ、それでも、それこそ「笑い絵」というくらいですからね、なんだか作品にこっちが笑われているというか、非常に挑戦的にも見えましたよ。
 特に若い女性のお客様が多かったので、なんだかこっち(男)としては、逆に気恥ずかしいというか…そうそう、春画の男性のシンボルの描き方って、あれは女性目線…いや女性の妄想目線だと思いますよ。男性としては、あそこまで猛々しく描かれると、なんだかショボンとしちゃう(笑)。
 一方で、挑戦されてるなと思ったのは、やはり、その局部の強調、デフォルメされた表現と対照的に、その他の部分、たとえば顔の表情や着物の表現などに、非常に繊細なこだわりが感じられ、じっくり見れば見るほど、私たちの関心が局部ではなくて、ある意味その背景の方に行ってしまう。
 全体の構図や、顔や局部の見せ方という意味では、世界に誇る(?)現代日本文化の一つであるAVと共通しているものがあって、それはそれで興味深かったのですが、そうした「背景」へのこだわりは、昔の人の方が旺盛だったなと感じました。
 現代における、そういう「挑戦的」な作品としては、実相寺昭雄の「アリエッタ」くらいしか、私は思いつきません。実相寺は現代の春画を描きたかったのでしょうね。
Th__20160326_103435 それにしても、すごい人気でした。平日の早朝だったにも関わらず、すでに入場制限ありでした。館内もギュウギュウ。
 北斎や哥麿の超絶的な名作も見ることができますが、やはり匿名性のある、まさに日本的な職人文化を堪能できるのも魅力です。
 自分へのお土産に、一番露骨ではないけれども、とってもセクシーな絵の手ぬぐいを買ってきました。それが右の写真です。
 モネもルノワールもたしかに良かったけれども、さすがにインパクトが小さくなってしまった。お二人には申し訳なかったかも。まあ、ご本人たちもきっとこればかりは納得だと思いますけどね。
 マルローの言ったことは間違っていませんね。印象派が浮世絵を発見したのではない。浮世絵が印象派を生んだのだ。

春画展公式

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2016.03.23

中宮寺本堂(高松宮妃喜久子さま発願)

Th_dscf2401 年もまた、法隆寺の隣、私の大好きな…この前フィギュア買っちゃいました(笑)…菩薩半跏像(弥勒菩薩像)がいらっしゃる中宮寺を参拝しました。
 いつもはその美しい仏様にお会いするのを楽しみの第一にしていたのですが、今年は少し違った目的をもってお参りしました。
 ちょうど1ヶ月前に読んだ高松宮妃喜久子さまの「葵と菊のものがたり」に、喜久子さまがこの中宮寺の菩薩さまを愛し、もし地震や火事があったら大変だということで、それをお守りする耐震耐火本堂建設を発願なさったとあったのです。
 何度も書いてきたように、高松宮ご夫妻は仲小路彰と深い関係にありました。
 中宮寺の菩薩さまが、聖徳太子の母堂、すなわち穴穂部間人皇女であるならば、それこそ仲小路彰の重視する「母性」の象徴ということになります。実際、彼の「夢殿の幻」では、穴穂部間人皇女は非常に重要な立場として描かれていました。
Th_dscf2403 おそらく喜久子さまも、仲小路からそのような話を聞いておられたのでしょうね。
 昭和43年、吉田五十八に設計を頼み、現在の耐震耐火本堂を建築しました。まさに国の宝が守られることになったわけです。
 周囲に池を配し、柔らかな光の模様を映すことよって、鉄筋コンクリートのある種冷たさを緩和していますね。
 古来の建物である夢殿の中で、時々しか現われることのない救世観音像とは対照的に、中宮寺の菩薩半跏像は毎日、その慈愛に満ちた視線を、私たちに落としてくれています。
 いろいろな方の想い、ご縁を深く感じた今年の参拝でありました。

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2016.03.22

夢殿は「八紘為宇」の象徴

Th_dscf2395 隆寺お会式の日、大変重要な気づきをいただきました。
 本当に単純なことです。しかし、今まで何度もここを訪れていたのに気づかなかった。そして、これに気づいている方は実際ほとんどいないのではないか。
 聖徳太子のお姿とも言われる「救世観音」の安置されているあの夢殿。その形を思い出して下さい。
 そうです。八角形。八角円堂と言われます。「八」です。
 ハッと気づきました。
 なるほど、夢殿は「八紘為宇」の象徴なのか。
 仲小路彰の究極の名作、聖人伝シリーズ最終巻「聖徳太子の救世悲願〜夢殿の幻」によれば、太子は夢殿で地球平和を瞑想したのだそうです。
 その夢殿が八紘為宇を象徴する八角形をしているのは当然と言えば当然ですが、今まで何度も来ているのに気づきませんでした。
Th_dscf2396 神武天皇の「掩八紘而為宇」という言葉は、ワタクシ流に言えば「グローバル・ファミリズム」。すなわち「和」です。聖徳太子が十七条憲法の第一条に掲げた「和」とは、実は「八紘為宇」のことであると、私は考えています。
 それはまた、大国主の「和魂(にぎみたま)」とも言えます。つまり、日本古来の生き方。聖徳太子が蘇我氏と組んで滅ぼしてしまった物部氏が信奉してきた三輪山の神、すなわち大物主の魂です。
 仲小路によれば、そして私の解釈によれば、物部氏は滅びることによって、すなわち「国譲り」をすることによって、聖徳太子をして十七条憲法を作らせた。
 その十七条憲法の第一条は「和」。日本の古神道の魂です。そして、第二条が仏教に帰依せよです。つまり、仏教よりも神道を上に置いているのです。それに気づいている日本人は、いったい何人いるでしょう。
 いろいろな疑問が氷解しました。聖徳太子さま、ありがとうございました。


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2016.03.21

法隆寺お会式の「楽」

Th_img_2948 学旅行2日目。21日づけの記事ですが、内容は22日に関することになります。
 中学校の修学旅行の日程は、基本的に毎年同じ。というのは、法隆寺の参拝を22日にしたいからです。
 3月22日は「お会式(おえしき)」。つまり、法隆寺創建の聖徳太子の命日なのです。
 私にとっては非常に重要な日。生徒たちにとっては、法隆寺に珍しく屋台が並ぶ特別な日(笑)。
 これもまた不思議なもので、聖徳太子の「和」が人生のテーマになっている最近の私がですね、毎年お会式に参列できるなんて、これもまた必然なのでしょうか。ありがたいことです。
 時間もはかったようにピッタリ。つまり、法要が始まる時間にちょうど現場にいるということです。全く図ったわけではないのですが。
 お会式については、昨年の記事を御覧ください。
 今年は、その「楽」を少し録音してきました。昨年の記事にも書いたようにお会式の音楽は非常に面白い。雅楽と経、声明が重なって、ぶつかったり調和したり、場合によってはユニゾンになったり。面白いですね。まるで、遠野の「御祝(ごいわい)」のようです(というか、法隆寺の方がルーツなのでしょう)。
 そうそう、せっかくですので、こちらもどうぞ。「御祝」の貴重な動画がありましたので、ぜひお聴きください。謡曲と民謡。面白いですよね。

 では、法隆寺のお会式の音楽の一部をお聴きください。声明には、ちょっとペルシャ風な旋律も出てきます。まさにシルクロードの音楽大集合といった風情ですよ。
 録音状況がよくなく、雑音も多いと思います。状況が状況でしたので、どうかご了承ください。

法隆寺お会式法要


 

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2016.03.20

地球平和に向けての必然的偶然

Th_dscf2349 学旅行、宮島に続きまして、広島の平和記念公園にて平和学習。
 ここで不思議なことが起きました。まあ、またまた面白いアクシデントがあって、絶対無理だと諦めていたことが急遽実現いたしました。
 いつかお会いしたいと思っていた方と、本当に偶然に偶然に偶然が重なって必然となってお会いすることができたのです。1年に1回しか行かないその場所、その時に、たまたまその方もそこにいたということです。
 それも時間的にどうしてもズレがあるはずだったのに、ある信じられないアクシデントによって、なぜか1秒の誤差もなくぴったり会ってしまった。
Th_dscf2351_2 どうも最近こういうことが多すぎます。言い方によっては「無駄がない」。
 その方と会う目的はあくまで「地球平和」ですから、きっと多くの亡くなった方々のお力だったのでしょう。それと出発の前日、すなわち20日の早朝に、仲小路彰の研究会を開いたのも良かったのかもしれません。
 いずれにせよ、霊界からたくさんの応援をいただいている感じがします。
 ありがたいと同時に、責任の重さを痛感いたしました。しっかりやっていきたいと思います。
 


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2016.03.19

宮島(厳島)のミシャグジ信仰

Th_img_2947 タバタしているうちに修学旅行の引率で出かけることになり、本当に珍しく記事の更新が滞っております。
 ということで、日付けにこだわらず、修学旅行での気づきなどを分散させて書いていきます。
 まずは1日目、21日のことから。
 1日目は広島です。まずは宮島へ。毎年のことなので、今までもいろいろ書いてきましたが、今年気づいたことを一つ。
 宮島、厳島と言えば…しゃもじも有名ですね。いちおう、江戸時代、誓真という僧が、弁財天の夢を見て、その琵琶の形の美しい線から杓子を考察したという伝説が残っているようですが、たぶんそれは後付けでしょう。
 私の見立てとしてはですね、やはりこれは諏訪信仰とつながっていると思うんですよね。
 「しゃもじ」は「杓文字」、すなわち、「杓子(しゃくし)」の女房詞ですから、もとは「シャクシ」です。そして、細かいことは書きませんけれど、弁財天と諏訪との関係は深い。
 江戸時代にミシャグジ信仰が宮島に渡った可能性はあると思いますよ。
 ミシャグジ信仰はどこか謎めいていて、また秘密めいたところがあります。このような世界一大きなおしゃもじという、あえてめちゃくちゃ目立つ姿をとることによって、その本来の神を隠すという、いわば「国譲り」的な作戦で、あそこにドンと鎮座しているのでしょうね。
 私の知る限り、宮島しゃもじとミシャグジをつなげた説はほとんど聞いたことがありません。皆さんはどう思われますか。

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2016.03.18

「何回失敗してもくじけない」…大村智さん

20160321_221105 だまだ忙しいので、ひと様の文章を引用いたします。
 昨年ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智さん。我が山梨県の出身。「人の役に立つことをしなさい」という母の教えを守り、遊びながら学び、とうとう世界中の人を救う神になった男。
 地元韮崎には美術館、温泉、そば屋を作り、地元への恩返しと言いつつ、ご自身の趣味を「人のため」に活かしておられます。これぞ幸福の究極の形ですね。
 そんな大村さんの業績や人生や生き方を、とてもスマートにまとめてくださっている記事がありましたので、ここに紹介いたします。
 「サイエンス・ウインドウ」の最新号に載っていました馬場錬成さんの文です。馬場さんは、大村さんの本を何冊かお書きになっていますね。大村さんを知り尽くした馬場さんによる最高の「要約」でしょう。
 ぜひ、お読み下さい。

何回失敗してもくじけない

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2016.03.17

ZGPAX S360(格安中華Bluetooth スマートウォッチ)

20160319_60255 変わらず時間がないので、軽めに行きます。
 ちょっと前に買った「大人のおもちゃ」です。でも、けっこう実用的です。
 最近はやりのスマートウォッチ。かといってAppleWatchを買うほどのお金はないし必要性もない。
 そこで試しにどんなものか買ってみたのがこれ。珍しくtotoが連続して当たったので、それを資金にしました(笑)。8000円ちょい。
 どうせおもちゃなので、一番ハデな赤を買いました。赤と言っても明るい朱色(オレンジ)のような感じ。本皮のベルトはそれなりの品質で案外オシャレでした。仕事では使えないけれどカジュアルには良いかも。
 まあそこそこいろんな機能がついていますが、私が使うのは、いわゆるノーテーション機能。iPhoneとペアリングして、iPhoneで設定している「通知」を確認する機能です。
 会議中とか、iPhoneを出すのが面倒な時とかにはたしかに便利ですね。けっこうどうでもいいメールの通知とか多いですから。
 つまり、腕時計がブーブーブーブーとバイブして知らせてくれるわけですね。それで、ちょいとタップするとメールの冒頭を読めたりするわけです。
 そのほかの機能は使ったことありませんが、基本的な時計としてもまあ使えますね。普段は画面は真っ暗ですが、時間を確認する動作、すなわち左腕を上げると画面がついて文字盤が表示されます。
 その文字盤を上下にスワイプすると、文字盤の種類が変わります。全部で8種類かな。気分で変えられるのはいいですね。なかなかリアルだし、まあまあのセンスだし。
 やっぱりちょっと大きめですけれど、赤だと逆に目立ってファッションとしてはいいかも。厚みもそれほど気になりません。
 この機種のいいところは充電でしょう。プラグをさすタイプではなく、ちょこっと置くなんちゃってドックタイプです。ちょっとコツがいりますが、慣れれば問題ありません。1回の充電で5日くらい持ちますが、はずしたら決まった場所に置くという感覚でいれば、充電という意識はいりません。
 スマートウォッチは充電が面倒という感覚がありますが、枕元なんかにドックを設置しておけばいいわけですね。
 と、そんなわけで、大人のおもちゃとしてはまあまあの出来だと思います。

Amazon ZGPAX S360

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2016.03.16

20世紀 日本の地震災害

 日本大震災から5年。天災は忘れた頃にやってくる。いや、忘れていなくてもやってくる。
 この啓発ビデオが作られたのは平成15年。阪神淡路大震災から8年、そしてその8年後、東日本大震災が起きました。
 明治三陸地震の最大余震(誘発アウターライズ地震)である昭和三陸地震は37年後に発生しました。まさに忘れた頃。
 東日本大震災からまだ5年なのです。

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2016.03.15

田中英道さん、日本について語る。

 年の年度末は例年以上に忙しく、記事をじっくり書く時間がどうにもありません。
 こういう時は人まかせが一番(笑)。
 東北大学名誉教授の田中英道さんが語る「日本」と「日本文化」。
 聞き手は日本のこころを大切にする党の中山恭子さん。それにしてもこの党名はどうなんでしょうか。気持ちは分かりますが、国民の生活が第一とか、〜と仲間たちとか、やっぱり文になっちゃダメでしょう。
 党是などには共感する部分も多いのですが…やはり党名は漢語じゃないと。現代の政治システム自体が外来のものなので、そこに「やまとことば」を混同することには、私は反対です。助詞の「の」とかも含めてね。
 それから、すぎやまこういちさんのテーマソングも、ちょっとコテコテすぎるかなと(笑)。
 いわゆる保守の方々のこうしたまじめなイタさというのは、まさに保守の現界を示していると思います。
 せっかくいいこと言ってるんですがね。
 田中さんのお話、聖徳太子の「和」に始まり、日本人の自然観、日仏の文化。美術。いろいろ興味深い。

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2016.03.14

トランプ氏が日本を嫌いなワケ!?

Donaldtrump_003300x200 日の「討論」の中でも取り上げられました、アメリカ大統領選でのトランプ人気の不思議。
 どなたかも言っていましたが、これがアメリカの実態でしょうし、その実態を動かす優秀なブレーンが、彼のバックにはちゃんといるということです。
 そのブレーンたちは何を考えているのか。本当に反グローバリズムなのでしょうか。謎です。
 ところで、そのトランプ氏の日本に対する発言は、どちらからという批判的なものが多く、その結果、どうも彼は日本嫌いらしいと言われることが多いようです。
 つい最近近所の友人から聞いたのですが、そのトランプ氏と日本、それもここ富士北麓とは因縁の関係があるのです。シャレにならない因縁。もしかすると、これが日本を嫌うきっかけなのかも…。
 私たち富士北麓の住人なら知らない人はいないある事件があります。今から24年ほど前、河口湖畔のある大邸宅で一人の男が日本刀でメッタ斬りにされて殺されました。
 その男の名は柏木昭男。富士吉田出身の伝説のギャンブラーです。貧しい家に生まれた彼は、富士山の強力(ごうりき)で稼いだ金を元手にバブル期の不動産取引で莫大な財をなしました。地上げですね。
 そのアブク銭を持って世界中のカジノを荒らしまくり、その世界では5本の指に入るとも言われるカジノホエールとなりました。ニックネームは「ウォーリアー」。
 ロバート・デ・ニーロ主演のハリウッド映画「カジノ」にも、彼役の日本人が登場しています。それほどアメリカでは有名な日本人です。その証拠にアメリカのWikipediaにはAkio Kashiwagiの項目があります。
Kasiwagiakio 彼はオーストラリアのカジノで、たった4日間で29億円を稼いだこともあり、そのウワサを聞きつけた、当時カジノ王として名を馳せていたドナルド・トランプ氏が、わざわざ自家用ジェットを飛ばして、柏木氏を迎えに来たというのです。
 そして、伝説の勝負が行われました。1990年2月のことです。ラスベガスのトランププラザで行われたバカラの勝負は見事柏木氏の勝利。当時のレートで9億円の勝ちだったと言います。
 トランプ氏の人生において、この敗北はかなりの衝撃だったようです(自伝にもそう書かれているとのこと)。トランプ氏は当然リベンジを図ります。
 第2戦は同年5月同所にて6日間にわたり行われました。結果はトランプ氏が15億円の勝ち。自身も「人生ベストな戦い」と言う伝説的な逆転劇でした。
 しかし、柏木氏からの支払いは滞りました。一説には10億円以上の借金が残っていたと言われます。
 その2年後、柏木氏は河口湖畔、自らが35億円10年かけて建てた「柏木御殿」において、何者かに惨殺されます。日本刀で150回斬られたとか…。
 この衝撃的な事件は、日本以上にアメリカで大きく報道されました。その殺され方がいかにも「Yakuza」的だったこともありますでしょう。
 実は最近、アメリカの政治誌「Politico」にこの話が載ったんですよね。こちらです。
 この記事には、もちろんストレートには書かれていませんけれども、この事件、金を支払わない柏木氏を恨んだトランプ氏が刺客を送り込んだと、当時からまことしやかにささやかれていました。真相は闇の中ですが。
 実はこの事件に関して地元の人間二人が逮捕されましたが、のちに釈放されています。結局時効を迎えて迷宮入り…。
 その後、トランプ氏のホテル、カジノは破綻していくわけで、トランプ氏は日本に対して微妙な感情を持っていてもおかしくないのです。
 しかし、だからと言って、単純に「日本が嫌い」とはならないような気もします。戦友とも言えるわけですからね。
 もしトランプ氏がアメリカ大統領になったとしたら、その一つのきっかけは、富士吉田出身の「強力」が作ったとも言えそうです。人の歴史というのは実に面白いですね。
 ちなみに「柏木御殿」は今、某人気観光スポットになっています(地元の人は行かない)。

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2016.03.13

【討論!】グローバリズムの行方~米大統領選とEU溶解

 は仲小路彰が戦前から提唱していた「グローバリズム」を研究しています。
 その場合、彼の言う「グローバリズム」、すなわち「地球主義・球体主義」と、現在一般に流通している「グローバリズム」、すなわち「市場のグローバリズム」や「世界のアメリカ化」、「ユダヤ金融資本による世界制覇」といったものとを峻別しなければなりません。
 後者のグローバリズムは、国家を解体し、国境をなくし、全ての人がある種流浪の民になることを促進します。インターネットの普及とマネーの国際化は、それを象徴していると言えましょう。
 そうした流れと、仲小路彰の言う地球主義とは、全く反対方向を向いていると言えます。彼のグローバリズムは、私の言葉で言うなら「グローバル・ファミリズム」であって、国家の解体、すなわち「家」の解体どころか、地球全体を一つの「家」とみなす、いわば「八紘為宇」に近いものなのです。
 先週の土曜日のチャンネル桜の「闘論!倒論!討論!」は、そうそうたるパネリストたちによる、実に興味深い内容でありました。
 一般的な「グローバリズム」に伴う移民問題やTPPなどの問題などに反発する形として、ある種の「ナショナリズム」が復活しつつあります。アメリカ大統領選挙におけるトランプ氏の人気も、そこに依拠している。
 「グローバリズム」と「ナショナリズム」の二項対立ではダメなんですけどね。そこを止揚しなければ。
 ますます日本の「和」の精神が重要になってくるでしょうね。そのことに日本国民自身が気づかなければなりません。

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2016.03.12

追悼 キース・エマーソン

 日は卒業式でして、本当に生徒たちには感動させていただきました。別れは別れでも、こちらは喜びの涙でしたが、帰宅後に流した涙は別れの悲しみのそれでした。
 元ELPのキース・エマーソンさんが拳銃自殺で亡くなったという突然の悲報。
 少し前にはこんなに元気な姿を見せてくれていたのに…。

 来日前になぜ…。本当に残念でなりません。右指、右手の不調を訴えていたのは知っていますが、そこまで悩んでいたのでしょうか。言葉が見つかりません。
 私の音楽人生にも大きな影響を与えたミュージシャンです。4年ほど前、キース・エマーソン・バンドの 『Moscow』を紹介しましたね。
 私が最近テルミンを演奏するようになったのは、このライヴでのキース・エマーソンの「合気道」パフォーマンスを観た、いや聴いた、いや感じたのがきっかけです。
 その記事に貼った動画は消えてしまったようなので、あらためてここに貼っておきます。
 やっぱりすごい…日本でこの「気」を発してもらいたかった。

 ご冥福をお祈りします。

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2016.03.11

キャロライン・ケネディ駐日大使インタビュー

Th_wor1603100004p1 3.11から5年。予想される最大余震やアウターライズ地震について、いろいろ書きたいこともありますが、今日はあえて、産経新聞によるケネディ大使のロング・インタビューを紹介します。
 お読みになった方々も多いことと思いますが、あらためて内容を咀嚼しますと、3.11以前と以降とでは、日米関係が大きく変わったことが分かります。
 特に最近のアメリカのパワーダウン、それも経済や政治だけでなく、なんと言いますか、倫理的といいましょうか、いわゆる「正義」の面においても、影響力が落ちたことと、その反動としての日本のパワーアップが感じられます。
 いつかも書きましたでしょうか、私は、ケネディ家は日本の皇室のような存在であると考えており、彼女がこうして日本という「場」で、日本の、また世界の重要な「時」を過ごしていることに、ある種の運命を感じています。
 ご長男のジョン・シュ­ロスバーグさんも昨年、日本のIT企業「楽天」に入社とたという噂もありますね。
 未来的な意味において、つまり、未来から現在を見ると、明らかに大きな意味のある事実です。そのような視点から、このインタビューも味わってみたいと思います。
 そうすると、3.11の意味も原発事故の意味もまた、世界史的な意味を帯びてくるというものです。
 ぜひお読みください。

キャロライン・ケネディ駐日大使インタビュー

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2016.03.10

「つなぐ」と「つなげる」

Th_1_2 日のレミオロメンの「3月9日」の動画の最後、「彼らにとってライヴとは…繋がり」とありました。それにもまさに「つながる」話であります。
 この前、Twitterを眺めていたら、某新聞記者の方がこちらの記事を引用して、「つなげる」を「つなげられる」のら抜き言葉?とつぶやいていました。
 なるほど、この記事の「とにかく色々なものをつなげる」という文章における「つなげる」は「つなぐことができる」という意味、すなわち「つなぐ」の可能動詞の「つなげる」ですね。だからら抜き言葉ではない。正しい日本語です。
 そう、実は非常にややっこしい問題があるのですね、この言葉には。
 たとえば「機器をつなぐ」「機器をつなげる」はほとんど同じ意味だとも取れます。もちろん頭をスイッチすると、上掲記事の文章のように「機器をつなげる」は「機器をつなぐことができる」というふうに感じてしまうわけですが、今は可能動詞は置いておきましょう。
 「絆をつなぐ」「絆をつなげる」も両方あり得ます(なんとなく「つなぐ」の方がいいような気がしますが)。
 しかし、「手をつなぐ」とは言うけれども「手をつなげる」は不自然な感じがする。可能動詞としてしか捉えられない。不思議ですね。
 では、打ち消しで「機器をつなげない」と言うとどうでしょう。これは不可能と捉えられることが多くなりそうです。つまり、可能動詞「つなげる」に打ち消し「ない」がついたと感じるわけです。
 「手をつなげない」も不可能っぽいし、「絆をつなげない」も…なんか微妙だな。
 ま、とにかくそういう不思議なことが起きるわけです。わけが分からなくなってしまう。
 一方、「絆をつないでいく」「絆をつなげていく」は同じ意味にしか捉えられません。誰かにスマホの充電を頼むとしましょう。「充電器つないどいて」と言いますよね。しかし、「充電器つなげといて」とはあまり言いません…と思って、娘に聞いたら「つなげといて」だって(笑)。
 「切れたリボンをつないどいて」を「切れたリボンをつなげといて」と言えるでしょうか。これは両方言えますよね。
 「点と点をつなぎなさい」とは言うけれども『点と点をつなげなさい」とは言わないような気がします。
 「つなげよう、心の絆」「つなごう、心の絆」はどうでしょう。
 …と、いろいろなパターンがあって、人によって使い方、感じ方が違うのです。
 なぜこういうことが起きたのか、実はよく分からない部分もあるのですが、簡単にまとめておきます。
  まず、現代語では「connect」の意味の日本語として「つなぐ(五段活用)」と「つなげる(下一段活用)」両方が使われています。辞書的にはほぼ同じ意味。
 ただ、上に書いたように、微妙な使い分けもありそうです。カミさんに言わせると、connect自体が目的だと「つなぐ」、connectしてその先の何か別の目的がある時は「つなげる」だそうな。なんかそれもあるような気がします。
 さらに「つなげる」には「connect」と「can connect」の二つの意味があるということ。つまり、上の例のごとく可能動詞「つなげる」もあります。
 ちなみに古語には「つなぐ」しかありません。四段活用です。「つながず」「つなぎて」…となります。「つなぐ」と同義の「つなげる」は、明治時代になって使われ始めました。
 なぜ、「つなぐ」だけでなく「つなげる」が生まれたのか。これは謎です。たしかに、「捧ぐ」→「捧げる」、「欠く」→「欠ける」、「負く」→「負ける」のように古語の下二段活用が現代語の下一段活用になることは普通ですが、「つなぐ」は四段活用ですからね。
 昔、こちらに書いたとおり、たとえば「立つ」「立てる」のように、活用の違いによって、自動詞と他動詞の区別をする場合がありますが、「つなぐ」と「つなげる」は両方とも他動詞ですからね。
 あっ、今思いついたのですが、「間違う」と「間違える」は同じ意味で五段活用と下一段活用ですね。しかし、これはもともとは「ちがふ」と「ちがへる」で、自動詞と他動詞の区別があるので、「つなぐ」とはちょっと違う成立事情がありますね。
 ちなみに名詞形は「つなぎ」ですね。やはり古い「つなぐ」の連用形であって、「つなげ」とは絶対に言いません。
 そして、上に書いたように(そして「立てる」と同じように)「つけげる」には可能動詞もある。こうなると、非常に複雑で、何がなんだか分からなくなってきます。
 しかし、引用した記事のように「connect」なのか「can connect」なのか一瞬迷うような使い方はやめた方がいいということですね。やはりプロのライターとしては「つなぐことができる」と表現すべきだったのではないでしょうか。

 


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2016.03.09

初音ミク 『3月9日』

 日はちあきなおみの「弱音」を聴いてみました。ある意味、ちあきさん並みの弱音コントロールを聴かせてくれるのが、初音ミクさんですね(笑)。
 今日は3月9日、すなわち「ミクの日」であります。そこで、今日に最もふさわしい、レミオロメンの「3月9日」を歌ってもらいましょう。
 今、ウチの中学の3年生が一生懸命練習してます。卒業式で歌うんですね。山梨発の名曲がこうして全国で歌い継がれていることは、本当に誇りですね。

 生徒たちが歌っている合唱ヴァージョンも、このミクのも、私にとっての肝心なところがなあ…そう、「ひつじぐもは…」のところのベースの半音下降がないんですよねえ。あそこがミソなのに…。
 ということで、久しぶりに本家レミオロメンのテレビ・ライヴを聴いてみましょう。これが一つの完成形ですね。藤巻くんの歌、前田くんのベース、神宮司くんのドラムスの充実度、皆川さん、河口さんのサポート…なんか、懐かしいなあ。名曲ですね、ホント。

 「うまくはいかぬこともあるけれど、天を仰げばそれさえ小さくて」からのこのベースはたまりませんね。神歌詞に神アレンジですよ、まったく。
 久しぶりに彼ら三人でこの曲を聴かせてもらいたくなってきました。そろそろ再始動ありかな?

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2016.03.08

ちあきなおみの「弱音」

Th__20160313_151734 日BSジャパンで再放送された「武田鉄矢の昭和は輝いていた 【孤高の歌姫ちあきなおみの世界 2時間スペシャル】」を観ました(聴きました)。
 う〜ん、すごいなあ。弱音の美しさ、うまさは、美空ひばり以上かもしれませんね。
 楽器も歌も、とにかく「弱音」のコントロールが上手い下手を決めますよ。これは持論であります。もちろん私はそれができないので「下手」。あっ、歌は下手以前に歌えないので、楽器の話ですよ。
 番組ではなかなか貴重な「弱音」が聴けましたが、ここではYouTubeから絶品の「弱音」を聴いていただきましょう。
 まずは、最後の作品となった「紅い花」。まさに絶頂での引退。

 続いては、ちょっとジャジーなちあきなおみ。活動休止後のシングルとなった「星影の小径」。鳥肌モノですな。

 最後は代表曲の一つ「黄昏のビギン」。永六輔、中村八大、ちあきなおみ…最強トリオですね。音(声)の消え際の美しさは世界一でしょう。カミさんに歌わせてみよう。そして、自分もヴァイオリンでマネしてみよう。難しいだろうなあ。しっかし、いい曲ですねえ。

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2016.03.07

『江戸しぐさの終焉』 原田実 (星海社新書)

Th_41f4o9bruvl 戸しぐさの正体」の続編。「〜の終焉」とあるので、最終版なのでしょうか。いや「〜の復活」とかあったりして(笑)。
 正体、終焉、復活と書いてみて、ちょっと思いついたことがあるので、忘れないうちにメモしておきますね。
 昨日の「ニコラウス・アーノンクール」にも大いに関係するのことです。というか、昨日書いたことが実は江戸しぐさ的なモノであると。
 すなわち、古楽復興運動の歴史が、なんとなく江戸しぐさ復興(?)運動の様子に似ているということです。いや、逆かな。江戸しぐさが古楽に似ていると。
 たとえば、まさに昨日書いたことですが、アーノンクールのヴィオラ・ダ・ガンバの弾き方は、あれは全然歴史的ではなく、自己流。いわば「(エセ)江戸しぐさ」であります。つまりエセバロックしぐさ(笑)。
 それでも、彼は古楽界の重鎮として一生を終えました。アーノンクールは古楽界の先駆者のように紹介されることが多いのですが、実は古楽の第一次ブームは19世紀末から20世紀初頭、つまりアーノンクールからさらに80年ほど遡るわけですね。
 そのころ、たとえばチェンバロが150年ぶりくらいに復活したわけです。ランドフスカなんかが弾いていましたよね。その頃のチェンバロは、今では「モダン・チェンバロ」と呼ばれる、いわゆる歴史的なチェンバロとは違う、当時の「現代風」ななんちゃってチェンバロだったわけです。
 これが、ちょうど150年前の「江戸しぐさ」の復活(?)と似た状況ではないかと。
 ランドフスカの頃はもちろんピアノが隆盛でした。他の弦楽器や管楽器もかなり工業化され、音は大きく平均的で安定しましたが、その一方で失ったものがあった…それは、ちょうど現代の私たち日本人が、近代化の末に何か大切なモノ(なんだか良くわからないけど)を失ってしまったという、まあどの時代にもどこにもよくある感覚ですよね。
 そのある種の危機感が「過剰な正義感」を生み、さらにそれが懐古主義に向かって動き出す。そして、その「過剰な正義感(観ではない)」が、ごく個人的(つまりその時の「現代的」)な「あるべき過去」すなわち「偽史」の誕生を促すことになる。
 ランドフスカの弾いたチェンバロはまさにそうでした。当時のモダンであるピアノを改造して「それらしくした」チェンバロが「正統」とみなされて受け入れられるという状況が生み出されました。
 もちろん、バロック音楽は実在していたわけで、実在したかどうか分からない「江戸のしぐさ」と同列に扱うのはいけないと思いますが、「なんとなく」「雰囲気」で新たに創り出された「過去風なモノ」という意味、そして、それを生み出した人間の精神性ということでは、似ていなくもない。
 そう、私は「江戸しぐさの正体」の記事で書いたように、そういう偽史や偽史を生み出した人間の、その人自身の真の歴史に興味がある変態なので(笑)、なんとなく原田さんみたいに一方的に断罪する勇気がないんですよね。
 つまり、そういう個人レベルの正義感からついてしまった「ウソ」が、勝手に独り歩きして、公的な価値を持ち始めた時、なかなか引っ込みがつかなくなってしまって、結局ウソにウソを重ねるということは、たとえば自分だったら普通にありうるなと思うわけです。
 芝三光さんが、はたしてどういう気持ちで「江戸しぐさ」を生み出したのか、正直そこまではよく分かりません。はたして悪意はあったのか…。
 ランドフスカの弾いたチェンバロは、それなりに評価され、また、アーノンクールのガンバの弾き方はまあいいかとされ、その他の彼の業績のおかげでほとんど文句を言われることはありません。
 その後、古楽界では、さまざまな研究や経験が積まれ、とりあえず「ヒストリカル」な楽器がほぼ完全に復元されるようになりました。それと同時に、演奏法も研究され、それなりの成果をあげてきましたが、はてさて、それで本当のバロック音楽が復活したかというと、それは絶対にあり得ません。
 言うまでもありませんが、ここは21世紀の日本です。いくら懐古趣味や保守主義を徹底しても、その「当時」には帰れません。それが歴史です。
 なんだか、いろいろ書いているうちに脱線してしまいましたね。結局、「江戸しぐさ」はどうあるべきかというと、まあ、モダン・チェンバロとしての「江戸しぐさ」は終焉してもらってもかまいませんけれど、その反省に基づくヒストリカル(オリジナル)・「江戸のしぐさ」の研究や復興、実践はあってもいいと思いますよ。もちろん、それが学校教育の中で扱われてもいいでしょう。
 というか、今の古楽界、結局みんな「昔」より安易な「今」に流れて、江戸時代…いやいやバロック時代にはなかった肩当てやらあごあてやら、アジャスターやらヘーキで使ってるし、iPhoneでチューニングしたりしてますし(笑)。
 音楽だと許されて、しぐさだと許されないのか…など、いろいろ考え始めるとキリがありませんね。実に面白いですねえ。
 とりあえず、ここらへんで終わり。

Amazon 江戸しぐさの終焉

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2016.03.06

追悼 ニコラウス・アーノンクールさん

Th_0160306at69_p 楽界の重鎮…いや、古楽界を軽くはみ出してクラシック界の名指揮者となったニコラウス・アーノンクールさんがお亡くなりになりました。
 私がバロック音楽に興味を持ち始めた中学3年の頃聴いた、当時最新盤だったヴィヴァルディの四季には、本当に衝撃を受けましたね。なにしろ、それまではイ・ムジチが標準でしたから。
 特に冬の二楽章。これは40年経った今でも充分に新しい(速すぎる)。土砂降りとか言われていましたね(笑)。

 それから、ある意味ショックだったのは、このブランデンブルク協奏曲の映像ですね。テレビで初めて観た時、ええ〜!って思いましたよ。
 なんでって、アーノンクールがガンバを弾いてるんですが、弓の持ち方が「順手」、すなわちチェロみたいに持っている。なのに、強拍はちゃんとアップになってる(笑)。おいおい、そんなんでいいのかいって。

 今になってみれば、楽器や奏法にこだわりすぎて、たとえば日本の古楽界は硬直化してしまったわけで、このいい加減さは、今ではヨーロッパでは(特にイタリアでは)標準ですよね。
 いずれにせよ、旧弊を克服し、古くて新しい解釈の方法を我々に提示してくれたアーノンクールは、西洋音楽史に残る名演奏家であり、名指揮者であることは間違いありません。
 私の人生を変えた人物の一人であるとも言えます。感謝の気持ちもこめつつ、ご冥福をお祈りいたします。

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2016.03.05

【討論!】ここが危ない!TPP

 近の研究テーマは「グローバリズム」。「和」の地球規模拡大版としての「(仲小路彰の)グローバリズム」と、ユダヤ金融資本の狙う国家解体方向としての「(アメリカの)グローバリズム」を、まずは峻別すること。全く正反対ですので。
 TPPをどのように捉え、受け入れ、あるいは拒絶していくのか。まさに今、日本は歴史の大きな分岐点に立っていると感じます。
 はたして日本は関税自主権を失うことになるのか。中国封じ込めのためのアメリカの捨て駒となるのか。あるいは、国内産業各分野の新たなる進化を促すきっかけとなるのか。
 この討論の中でも述べられていますが、甘利さんもまあ見事にはめられましたね。たしかに甘利に…いやあまりに露骨です。全然陰謀じゃない。
 藤井さんのおっしゃるように、ある意味世界や日本は第2次世界大戦前の状況に似ているとも言えますが、かといって、単純にあのような戦争が起きるというわけではありません。
 まずは正しい認識、知識を得ることが大切です。判断はそのあと。そういう意味で、この討論は非常に貴重な情報を提供してくれます。最低、このくらいの知識が必要でしょう。
 皆さん早口なので、倍速だと聴き取れません(笑)。1.7倍くらいがいいのではないでしょうか。

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2016.03.04

追悼 ハヤブサ選手

20160306_94825 まりに哀しい訃報です。
 2001年の試合中の事故でほとんど全身不随になってしまったハヤブサ選手。不屈の闘志でリハビリを続け、奇跡の回復力で、最近では車椅子から立って、自分の足で歩けるようになっていたのに…。
 関係者から聞いたところによると、本人は2019年にリング復帰の目標を立てていたけれども、どうもそれが早まりそうだったのだとか。早ければ来年には思い出の川崎球場で復帰という計画もあったそうです。
 事故後は、歌手として、また語り部として多くの人たちに生きる勇気を与えてくれたハヤブサ選手。いよいよ、リングに戻る日が近づいたなと思っていた矢先の訃報。本当にショックです。
 今日は往年のファイトを振り返ってみたいと思います。いろいろな名試合がありますが、あえてこれを選びました。
 当時インディーの選手がメジャー団体のリングに上がることは考えられないことでしたが、そこは馬場さんの懐の大きさ。この参戦、そして東京ドーム出場が、その後のインディーのレベルアップを促したことは、歴史が証明しています。
 まあ、それに伴って、皮肉なことですが、メジャーの凋落という現象も起きてしまったわけですが…。
 いずれにせよ、本当に日本プロレス界の宝でした。残念です。ご冥福をお祈りします。


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2016.03.03

中宮寺 菩薩半跏像(フィギュア)

Th__20160304_11_22_51 うすぐ恒例の中学修学旅行で中宮寺を訪れます。そして、この菩薩半跏像(弥勒菩薩像)とも1年ぶりの再会。
 今回は、高松宮妃喜久子さまの本を読んだあとなので、またちょっと違った気持ちでお会いすることができます。
 いつかも書きましたが、私、この仏像が大好きでして、それこそ自分の中学時代の修学旅行で初めてお会いしてすっかり惚れ込んでしまいました。
 私の母親がやはりこの仏像が大好きで、そういう影響もあってのことか、あるいは何か我が家と霊的なつながりがあるのか、とにかく、私も理屈抜きにこの仏様が大好きなのです。
 そんな再会を目前にして、タイミングよく、このレプリカが到着しました。あるところから譲っていただきました。フィギュアですね。
 最近は中宮寺公認のフィギュアもある(こちら)ようですが、これはどのような素性のものか良く分かりませんが、これはこれでなかなか良くできています。。
Th__20160304_11_59_00 公式のような質感の再現までには至っていませんけれども、ディテールの細工も比較的よくできています。
 素材は…よく分かりません。たぶんレジン(樹脂)だと思うんですけどね。
 本物のこの仏像は、長年、香を吸収して見事に黒光りしていますが、そうした光沢感はありません。あれを塗装で再現するのは難しいでしょうね。
 これからは3Dプリンタで、こういうモノのレプリカはどんどん大量生産できるようになるでしょう。そこに製作者の魂はこもるのでしょうか。ちょっと心配です。そういう点で、このフィギュアは、なんとなく作り手の個性、気持ちを感じますね。
 とりあえず修学旅行までは、学校の仏壇に安置させていただきます。
 今日はひなまつり。これからは女性、母性の時代です。まさにそれらを象徴する仏像である中宮寺菩薩半跏像。いよいよ「みろくの世」到来でしょうか。

Amazon 中宮寺菩薩半跏像

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2016.03.02

渋谷すばる 『歌』

20160303_64756 日、NHK歌謡コンサートに関ジャニ∞の渋谷すばるくんが出演していました。大御所たちと堂々と共演した上に、竹内まりやの「元気を出して」のカバーを披露しました。
 すばるくん、歌うまいんですよね。歌にはかなりうるさいウチのカミさんも「うまい!そして、かっこいい!」と感服していました。ちなみにジャニヲタの上の娘は、なにより自分のベースの師匠(ニューブリードの斉藤さん)がこうしてジャニーズと共演していることに感動しておりました。
 渋谷すばるくんを知ったのは、今からもう9年も前のことですか、関ジャニ∞初めての東京ドーム公演に、クラスのギャル3人を連れて(に連れられて)行った時です(その日のことはこちらの記事参照)。
 非常に楽しい時間、感心する時間を送らせてもらったのですが、メンバーの中に明らかに歌声が違うのがいて、隣のギャルに「あれ誰?」と聞いたら「すばるだ」というのです。へえ〜、なんかジャニーズ離れした演歌歌手みたいなのがいるんだなと思った記憶があります。
 さすが私が見込んだ男(笑)、ここのところソロでの活動が目立っていましたが、とうとうソロカバーアルバムを出しましたね。これがまた渋い選曲でいいんだなあ…今回歌謡コンサートで披露した「元気を出して」も入っています。
 こちら特設サイトで、ちょこっと試聴できますので、ぜひどうぞ。
 こうして過去の名曲たちに敬意を表し、若いファンたちに「聴かせる」というのも、つまり伝統芸能の伝承というのも、ジャニーさんの一つの大切な仕事であり、モットーです。偉いですねえ。ワクワク学校やジャニーズワールトに参戦した娘の話を聴くと、たしかに単なる商業主義ではなく、日本文化や日本の歴史を大切にしていることが分かりますね。
 そうそう、すばるくんの歌と言えば、1年ほど前のThe Coversの歌唱を聴いていただくのもいいのではないでしょうか。これもお見事。私の大好きな「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」も素晴らしいですね。男子でここまで歌える人はなかなかいませんよ。

 音域的に、女歌も似合いますね。セクシーです。しかし、河村隆一よりはワイルドな表現もできる。
 ふむ、これはソロコンサートにも行ってみたくなりますね。ちょっとチケット入手を試みてみます。9年ぶりにすばるくんの生歌を聴けるのか?w
 追伸 3月7日のCoversに再び登場するとのことです!SWEET MEMORIESが楽しみ。

Amazon 歌(初回限定盤)

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2016.03.01

三一節にちなんで

Th_300pxmarch_1st_movement 日は三一節。1919年の三・一運動からそろそろ百年ですね。
 日本統治時代の朝鮮については、日韓両国の評価が大きく異なっていますし、両国内においても様々な意見があるのが現状です。
 まあ、それが事実であって、たとえば今いろいろ言われている慰安婦問題なんかも、結局いろいろな捉え方が当時からあったということです。それを無理やり一つの「歴史的事実」としてまとめようとするから対立も起こる。
 仲小路彰も未来学原論で言っていましたね。統一は素晴らしいことだが、一方の立場からの統一をしようとするから対立、矛盾が生まれると。
 私が、日本統治下の朝鮮の様子を垣間見るのは、この前書いた朝鮮総督であった斎藤実の働きを通じてです。
 斎藤実は非常に人道的な統治を行い、朝鮮人からも大変喜ばれ、尊敬されていたと言います。それでも、時々反抗運動が起きています。まさに両面あるんですね。
Th_makoto_saito 斎藤実が朝鮮総督になったのは、三・一運動のすぐあとです。
 イギリスの植民地研究家であるアレン・アイルランドは、斎藤実の朝鮮統治について次のように述べています。
「1922年の朝鮮においては、反日の過激論者を除けば、斎藤総督に対する世間一般の評価は次のようであった。総督は、公明正大で寛容な施政により朝鮮を統治しようと真摯な思いで生き生きしていた。そして、彼は卓越した改革を成し遂げた。教育の問題においては、実に惜しみなく人々の教養に対する意欲に力を貸し、政治的野心については、無益に独立を望む気持ちを助長するものは如何なるものにも断固反対する一方、熱心に地方自治を促進し、日本人と朝鮮人の関係に友好と協力の精神をしみ込ませようとしていたのである」
 なかなか高い評価ですね。斎藤は1927年までの8年間、朝鮮総督を務めます。その後、宇垣一成と山梨半造が総督を務めますが、いろいろ難しい問題が生じ、再び斎藤に白羽の矢が立てられます。1929年から再び3年間にわたって重責を担うことになりました。
 そのへんのことを詳しく書いた本がありますので、また読了後に紹介したいと思います。
 とにかく、歴史を一面的に捉えないようにしたいですね。日韓両国ともに。

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