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2016.02.02

出口王仁三郎の「屁」の歌

Th_od12 「」の話の続き(笑)。昨日書いた「屁」はどこか仏教的な結論に落ち着きましたね。
 あとで読み返してみて、自分でもいろいろ発見がありました。自分のことはもちろん、人様が自慢していたり、自らの嫉妬心のために怒っていたり、そういう姿を見た時は、「ああ、あの人は公衆の面前でオナラをしている」と思えばいいのだなあと(笑)。
 人の振り見て我が振り直せ、ですよ。
 というわけで、できるかぎり、屁は一人の時に出した方がいい。虚栄心や嫉妬心も同じということです。
 さて、一人の「屁」ということで思い出したのが、かの出口王仁三郎の短歌です。
 王仁三郎の短歌はすごい。我が師匠笹公人さんが命を懸けて編纂した「王仁三郎歌集」をお読みいただければ、そのすごさの一端(あくまで一端ですが)を感じることができるでしょう。
 そのアンソロジーにも採用されている、いかにも王仁三郎らしい歌を紹介します。

ころころと背すぢつたひて首の辺に爆発したり風呂の湯の屁は

 うん、いいですねえ。「ころころ」が良い。そのとおりですし、音がカワイイ。そのカワイさを、のちの「爆発」というブッ騒、いや物騒な言葉につなげている。このギャップがたまりませんな。
 爆発と言っても大音声がしたわけではないでしょう。どちらかというと、やはり「臭い」のテロリズムというか(笑)、嗅覚に訴える暴力性でしょうね、表現したかったのは。
 ほら、お湯の中では臭わないじゃないですか。それが水面に出た途端に屁ー器、いや兵器となる。その感じがよく出ていますね。つまり自爆テロですな。
 逆に言えば、お湯のあたたかさというか、包容力というか、あるいは不思議のようなものを感じさせる。
 こうしたユーモア、あるいは愛というものが、王仁三郎の基本です。清濁、善悪を超えたモノへの絶対愛。自身もまた清濁、善悪を超えた人生を送りましたからね。
 ところで、最近、昔ほど自分の屁が臭くなくなったんですね。家族の前などではブーブー音を出して放屁しますが、全然攻撃性がない。腑抜けな屁です(笑)。
 なんとなく寂しいような気さえする、今日このごろであります。
 ところで、ご存知と思いますが、「へ」という言葉は、放屁の音を模したものです。「へ」は古くは「pe」と発音されていました。つまり「ペ」。ブーとか、プッではなくて「ぺ」だったんでしょうかね。
 ついでに、「オナラ」は「お鳴ら」です。いわゆる女房詞です。そんなものにさえ「お」をつけてしまう日本人はカワイイですね。
 これは俗説ですが、「古の奈良の都の八重桜今日九重に匂ひぬるかな」の歌から、「匂ひぬる」ものを「奈良」とかけて「おなら」と言ったというのも、これはこれでユーモア満点ですね(笑)。

Amazon 王仁三郎歌集

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