しきたり(為来り)
今日は中学の一般入試。例年通り、国語の問題のために書き下ろした文章を掲載いたします(大した文ではありませんが)。
今回のテーマは「しきたり」。私たちが何気なく使っているこの言葉、漢字になおしますと「為来り」「仕来り」となり、「してきた(こと)」が原義であることが分かります。
実はこの「しきたり」という言葉自体はそれほど古いものではなく、近世になってから文献に現れ始めます。
「しきたり」は「しきたる」の連用形と考えられます。そして「しきたる」は「し+きたる」ですね。「し」はサ変動詞「す」の連用形、「きたる」はカ変動詞「く」の連用形に助動詞「たる」がついたものではなく、「きたる」という一つの動詞です。
この「きたる」という動詞はいろいろ謎がありまして、日本書紀や万葉集にはすでに見える語でありながら、平安時代になるとカ変の「来」よりも堅い文(たとえば漢文訓読文)に使われるようになります。
そして現在では「来る◯月◯日」とか「来るべき時」などというような場合にのみ使われるようになりました。
では、どうぞ。小学生向けの文章ですから、当然難漢字にはルビを振りました。
もう一ヶ月前のことになってしまいますが、みなさん、年末年始のことを思い出してみてください。
大晦日はどんなふうに過ごしましたか? 年越しそばを食べた、紅白歌合戦を見た、寒い中家族でお寺に行って除夜の鐘をついた…いろいろ思い出している人もいるかもしれません。
最近では、そばは食べない、紅白ではなくてガキ使を見る、除夜の鐘の音はテレビで聞くという人もいるでしょう。とは言っても、やはり多くの日本人が、先ほど書いたようなことをして過ごすのではないでしょうか。
そして、元日の朝を迎えると、新年のあいさつをし、お雑煮やおせち料理を食べ、大人はおとそ(お酒)を飲みます。子どもにとってははお年玉も楽しみの一つですね。書き初めをした人もいるのではないでしょうか。年賀状を読むのも楽しみですね。
かつてはお正月の遊びと言えば、羽子板で羽根つき、福笑い、すごろくや凧あげなどでした。私も小学生のころは、近所の友だちや親戚の子どもたちと、そんな遊びをして盛り上がったものです。
お正月と言えば、神社への初詣も忘れてはいけません。神社ではお賽銭を入れて、大きな鈴を鳴らして、柏手を打ってお祈りしますね。
ところで、このような行事や習慣はなんのためにあるのでしょう。別にみんながみんな同じようなことをしなくてもいいじゃないかと考えることもできます。しかし、なぜかみんな同じようなことをします。理由はあまりよく分かりません。
このようなことを「しきたり」と言います。
「しきたり」という言葉、もともとは「してきたこと」という意味です。昔からずっと続いてきたこと、ご先祖さまがずっと続けてきたこと、それが「しきたり」です。
おそらくその「しきたり」のほとんどには、もともと理由があったと思われます。しかし、時を重ねるうちに、だんだんその理由や意味は意識されなくなってきました。
本当に大切なこと、時代を超えて伝えたいことは、理由や意味を確認するまでもなく、「そう決まっているのだから」と言って受けつがれてきたのです。
同じように、「してこなかったこと」もありました。先ほど神社では柏手を打つと書きましが、お寺では手を打って拝みませんね。仏様の前では、合掌する時に音を立てると怒られます。
ほかにもたとえば、玄関の敷居をふまないとか、ご飯におはしをさして立てないとか、北枕にしないとか、みなさんが知っているものもあるでしょう。お父さんやお母さんの世代では、夜に爪を切らない方がいいとか、夜に口笛を吹かない方がいいなどとも言われていました。
もちろん、これらにもそれぞれ理由や意味があるのですが、やはり「ダメなものはダメ」というふうに伝えられてきたと言っていいと思います。
このように、理由や意味を超えて、「いいものはいい」「ダメなものはダメ」として伝えられてきたこと、これこそが伝統や文化、習慣といったものです。
ところが、こうした伝統や文化や習慣が、ここのところ少し薄れてきている、忘れ去られつつあると感じるのは私だけでしょうか。
科学技術が発達して、無駄なもの、無駄な時間、無駄な行為が切り捨てられてきた、つまり、効率の良さだけを大切にするようになったということもあるでしょう。
また、世の中が国際化して、日本だけに通用する「しきたり」にこだわるのはやめようという風潮があるかもしれません。
しかし、それはそれでさびしいものです。あまりに効率ばかり求めると、私たちはつい自分中心の考え方に染まってしまいます。自分さえ良ければいい、意味のないことはやりたくない、というふうに。そういう生き方になってしまうと、結局自分がひとりぼっちになり、さびしさを感じることになってしまいます。
それぞれの家にも、またそれぞれの学校にも、「しきたり」があります。ほかの家や学校にはない伝統や文化や習慣が必ずあります。場合によっては、その「しきたり」がある理由や意味が分からないかもしれません。ほかの家や学校にではこんなことやってないのになんでうちだけ…と思うこともあるでしょう。しかし、それをずっと守ってきたみなさんのご先祖さまや先輩方が数えきれないほどいるのです。
それを自分の事情や考えや感情から、急に「やめよう」と言っていいのか。もちろん、それはダメですね。
富士学苑中学校にもたくさんの「しきたり」があります。その一つ一つには、そのことと真剣に向き合ってきたたくさんの生徒や先生たちの思いがつまっています。
みなさんには、それをしっかり受けつぐ人になってもらいたいと思っています。今、ここにいる自分だけではなく、過去にあなたに関わってくれた人、そして未来に関わってくれる人たちに思いをはせることができるような人になってもらいたいと、心から願っています。
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