「昔」の語源
今日は備忘的な記事になります。去年の年頭にも「今年は本を一冊書く」とか言っていながら、全くその気配すらありませんでした(苦笑)。どうも機が熟していなかったようです。
で、今年こそは!と思っていますが、これもどうなることか…たぶん、来年の今頃同じような記事を書いているような(笑)。
書きたいことはずいぶん溜まっています。特に昔からずっとやってきた「モノ・コト論」。そして、そこに絡めた「トキ論」。時間は未来から過去に向かって流れていた!というやつです。
つまり、「モノ・コト・トキ」という古くからある日本語を分析して、日本人の古くて新しい哲学を構築したいと思っているのですが…ま、死ぬまでにはなんとかしますよ。
で、今日は「昔」という言葉についてちょっとメモしておきます。さっきも「昔からずっと…」と書きましたね。まあ、昔といえば過去のことです。それもある程度の「距離感」のある過去。近過去ではない。
「むかし」という言葉は、万葉集にも使用例がいくつか認められますので、かなり古い言葉であることがわかります。万葉集でも現代とほとんど変わらない意味で使われていますので、日本人としてはかなり長く親しんできた言葉だと言えるでしょう。
さて、この「むかし」の語源ですが、やはり定説はありません。語源説ってけっこうトンデモになりがちですからね。なかなか証明がしにくいので、学問にならない。研究者も少ない。
私も個人的には、それこそ昔から語源には大変興味を持っていて、いろいろな仮説を立てていますが、それらももちろんあくまで想像にすぎません。私は学者ではないので、勝手なことを言ったり書いたりできるわけです。
で、そういうスタンスで考える、「むかし」の語源は、「向かし」です。おっと、「むかし」と入力して変換すると「向かし」がちゃんと候補に出てくるではないか。
そう、「向かす」という「向く」の他動詞がありますよね。現代語で言うと「向かせる」になります。その「向かす」の名詞形が「向かし」です。
つまり、「昔」とは「向かせる」の名詞だと考えるわけです。ちょうど「透く」「透かす」「透かし」の関係と同じですね。
今でも「昔を振り返る」という言い方があるように、私たちは基本的に未来に向かって立っています。私は「時間は未来から過去に流れる」と考えている者です。つまり、私たちは「今・ここ」に止まっていて、時間の方が向こうからやってきて、過ぎ去っていくという感覚です(「未来」「過去」という漢語もそういう意味です)。
すなわち「向かし」とは、過ぎ去った事象を思い出すことを、「後ろを向かせる」という比喩で表現したものであると考えるのです。普段は未来の方(前)に向かって立っている私たちが、自分自身を過去の方(後)を向かせる、そうして思い出したり、感じたりできる事象を「昔」というと。
どうでもいいようにも感じられるでしょうけれども、実はこの「いつもは前向き、時々後ろ向き」というのが、実は日本人の「時間観(感)」、そしてそこから出る「世界観」「人生観」にとって、非常に重要なものになってくるのです。
ちなみに「昔」という漢字は、なぜか「干し肉」という意味なんですよね。
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